72.王子にはなれない。だって魔法使いだから
ベン視点です。
本日2つ目の投稿になります。
そろそろオレの怪我も完治する。そうなればマギーは何処かに行ってしまうだろう。彼女を縛り付けるものはもうない。ここにいてもらう理由も。
「若いからすぐ治るとは医師から聞いていたけれど、本当ね」
背中の傷を見て、マギーが言う。オレには見えないが、この様子からして経過は良好なんだろう。
「……不思議なものね」
オレの背中を、布で拭きながらマギーが話し始める。
「頭の中ではね、こう言おう、ああ言おうって思うの。知っていると思うけれど、私はこれでも口が達者なほうなの。言葉に詰まることなんて、滅多にないのよ」
そのとおりだと頷く。
「そうだろうな、祖父たちのやり取りからしてもそう思う」
頭の回転も早く、博識。瞳のことがなければ、その優秀さを褒められたに違いない。
「私、貴方の怪我が治ったらここを出て行こうと思うの」
「そうか」
思っていた言葉に胸が痛む。分かっていても、やっぱり聞きたい言葉ではなかったから。でも、彼女の性格からして、なぁなぁにするはずもなかった。
少しの沈黙の後、彼女が言う。
「…………引き止めては、くれないのね」
予想と違う言葉が続いて、胸が苦しくなる。もしかしたらオレと同じ気持ちを抱いてくれているんじゃないかと思ってしまう。
「引き止めはしない」
「……そう、よね」
顔は見えないのに、その声だけで落胆したのが分かる。緊張する。心臓が早鐘を打ち、気持ちが逸る。
「ただ、あと二年待ってほしい」
「……え?」
振り返ってマギーの顔を見る。大人の女性なのに、驚いた顔は少女のようにあどけない。
「二年後には学園を卒業する。そうしたら何処へでも一緒に行ける」
大きく見開かれた目に、みるみるうちに涙がたまっていく。
「こんな格好の時に言われると思っていなかった」
本当はもっと格好良く決めたかった。でも、面と向かって言う勇気が彼女にはなかったんだろう。もし本当に出ていくだけなら、オレに言わずに出て行ったはずだ。マギーはそういう人だ。
シャツを着て立ち上がる。
「そこで待っていてくれ」
引き出しに隠しておいた箱を取り出し、マギーの元に戻る。
「これを」
箱を渡すと、恐る恐るといった様子で、蓋を開ける。
堪えきれなくなった涙がこぼれ落ちる。
「……そばにいられればいいと思ったの。私はもう貴族ではないから」
胸の前で、ぎゅっと箱を両手で握る。
「貴方の幸せを見られたらと思ったの」
いつもの彼女とは思えないほどに、幼く感じられる言葉に、どれだけ気を張って生きてきたのかが分かる。
「でも、貴方の隣に誰かが立つのだと思ったら苦しくて、貴方から離れなくちゃと思うのに、苦しくて。それでも引き止めてほしくて……あんな……」
拭くものがないから、申し訳ないけど指で拭う。
「言ってくれて良かった。何も言わずに何処かに行かれることも想定して、家の者に目を離さないように頼んでいたぐらいだ」
世の中の恋人は、鋼の心臓を持っているんじゃないだろうか。緊張で心臓が壊れそうなぐらい早鐘を打っている。レジナルドの奴、あんな顔をして婚約者に甘い言葉を吐いているらしくて、強心臓だと思う。
「オレは口下手で、実の兄に嫉妬するような弱い人間だし、世の中を上手く立ち回れる賢さもない。だからオレといても良い思いはさせてやれないかもしれないけど」
マギーの目がオレを見つめる。瞳の色が左右違うことなんてどうでもいいことだ。オレにとってはどちらの色も綺麗に見えるんだから。
「マギー嬢、どうか私と結婚してください」
彼女の瞳が揺れる。瞳にオレが映っていた。
「気が強いわよ」
「知ってる。でも実は泣き虫だよな」
「知識をひけらかすかもしれないわ」
「オレの知らないことなら教えてくれ」
「不吉な瞳よ」
「どっちも綺麗だから気にするな。少なくとも一緒にいて不幸になってない」
「刺されたじゃない」
「刃物持った人間に襲われて逃げなかったら刺されるだろ……」
「結構年上よ」
「女性のほうが長生きらしいから、同じぐらいに寿命を迎えられるから寂しくない」
「……恋人がいたのは知ってるでしょう?」
「知った上で求婚する男に言う意味あるのか?」
止まっていたはずの涙がまたこぼれる。
「私、悋気深い女よ」
「どうぞ。する必要もないと思うけどな」
マギーは複雑な表情をしている。色んな感情が己の中でないまぜになっているんだろう。
「この際だから不安に思ってること全部言ってくれ。オレは鈍感だからすぐに気持ちに気付いてやれないと思うから」
やっと涙は止まったが、化粧が崩れてしまったマギーを見て、可愛いと思ってしまった。オレとのことで悩んで、苦しんで、こんなに泣いた。
「何でも言っていいの?」
「当然だ。トレヴァー家もハンプデン家も夫と妻は対等と教わる。言いたいことを言えない関係は対等じゃない」
きっとオースチン家はそうじゃなかった。でももうオースチン家は無関係になったから関係ない。遠縁に頼んで彼女を養女にしてもらう約束もした。無論、マギーがオレの求婚を受け入れてくれたならという条件付きだ。
「なぁなぁにしないのね」
「人の気持ちに付け込んだ最低な奴と一緒にするな」
「そうね、ごめんなさい」
「それに、はっきりさせないと、逃げていくからな」
手を伸ばして彼女の手に自分の手を重ねる。
「…………返事は?」
「喜んで」
声が震えていた。またあふれてきた涙を堪えている。
これから彼女が流す涙は、幸せなものだといい。
「……私にも、幸せは来るのね」
「そのためにオレがいるんだろ」
この言葉は、愛の言葉並みに恥ずかしい。
「言ったろ、オレはマギーだけの魔法使いだって」
言った瞬間抱きつかれた。
婚約者でもない。いや、さっき了承されたから婚約者ではある。
本来なら婚約者でもよくはないと思うが、今は許してほしい。
そっと腕を回して、彼女を抱きしめる。
「私の、私だけの魔法使いね」
「あぁ。命尽きるまで付きまとう魔法使いだ」
この時の彼女の声は、これまで聞いた誰の声よりも切なく、甘かった。




