70.偽りの運命の恋は終わる
ベン視点です。
暴力表現があります。ご注意ください。
「マギー、貴様何処に行っていた」
ネヴィルのその問い掛けは、親が出来の悪い子供を叱るようだと思った。ちらと彼女を窺うが、表情はずっと変わらず、ネヴィルを冷たく見下ろしている。
「私が何処に行こうと勝手でしょう」
主従関係もない。婚約者でもない。恋人ですらなかった。マギーの気持ちを利用した、支配関係。
「新しい男が出来た途端にこれか」
「そうね。貴方の何倍も、いいえ、比べるなんて失礼なほど素晴らしい人よ」
煽るための発言とはいえ、自分のことを過剰に褒められて居心地が悪い。
「その素晴らしいお相手と馬鹿にしに来たのか?」
歪んだ笑みを浮かべるネヴィル。瘡毒とその治療法の所為で、かつての優れた容姿は見る影もない。
「そうよ。自慢しに来たの。貴方の破滅もこの目で見たかったのもあるわね」
「……やはりおまえか」
唸るような低い声がネヴィルから漏れる。
「えぇ、そうよ。悪事が暴かれていく気持ちはいかがだったかしら?」
「手元に全て証拠はあった! どうやった!」
「教えないわ。貴方も悪事の手口は人に教えないでしょう?」
マギーは笑う。その笑顔は歪んでいた。
ハンプデンの領地で過ごしていた時の笑顔はまったく違うものだった。ネヴィルのことなど忘れてくれればと思っていた。
本当はこんな風に対決させたくなかった。だが、レジナルドから来た手紙に、遠去けるのではなく、正しく終わりにしたほうが良いと書かれていた。何故だと思ったが、今の彼女を見ていて思う。人に終わらせられるのではなく、自分の手で終わりにしないと前に進めない、そういう者もいるのだと。少なくともマギーという人はそうだ。
「この私が、どれだけ躾けてやったと思っている……!」
「何が躾けてやった、だよ」
我慢ができなくてつい反応してしまったが、仕方がない。この発言を黙って聞いているなんて無理だ。
人をつかまえて躾だなんだと、愚劣な発言だ。コイツは唾棄すべき存在だ。そのような人間に、彼女だけを対峙させたくない。
「おまえは彼女の気持ちも尊厳も何もかもを踏みにじっただけだ」
「何が悪い! この私のために働けることの何が不満だ!」
「全部に決まってるだろう。頭がおかしくて話にならないな」
何がこの私のためだ。勘違いもここまで来ると度し難い。
「ハンプデン如きが……!」
「おまえ、生まれしか誇れるものないのか?」
恵まれていることを当然と思っているんだろう。どれだけ努力しても得られないものがある人間の気持ちなんて分からないんだろうな。権力を振り翳して、多くの人間から色んなものを奪ってきたのだから。
マギーもそうだが、レジナルドもずっと努力しているし、オレも少なからず努力してきたつもりだ。そんな人間の気持ちを、ネヴィルのような奴は永遠に理解しない。
「私は完璧だ! この私こそが間違いを正すべきなのだ!」
……話すだけ無駄だな、これは。
マギーを見ると頷いた。同じ考えのようだ。
妄執に囚われている人間と対話をするのは難しい。
「ネヴィル、貴方はもう終わるわ。貴方だけじゃない。クックソン家もね」
「終わらん! 貴様が薬をよこせば私は元に戻るのだから!」
確かにマギーは回復に向かっている。クリスがハリス商会を通して他国から治療薬を入手してくれたお陰だ。
破滅するつもりでいるマギーに治療薬を服用してもらうことは難しかった。服用してることを分からせないようにと思ったが、無理だった。どうやって飲ませたかといえば、オレも感染したと言って飲ませた。我ながら無茶苦茶だと思うし、彼女も嘘に気付いていたと思う。それでも飲んでくれた。
時間はかかるだろうというのが医者の見立てだ。それでもいい。身体もそうだが、心だって傷ついてる。
「貴方にとって私は虫ケラのような存在だったのでしょうね。でもね、お生憎。私は毒を持つ虫だったの」
マギーを始めとするクックソン家の被害者達は、クックソンからすれば虫のように小さな存在に見えただろう。取るに足らない存在だと思われていたのだろう。
爆発から逃れようと人は去り、オレ達の周りにも人はほとんどいない。壇上に第二王子が上がった。本当は爆発していないから、式典用の壇は無事だということに多くの人間が気付いてない。
「ネヴィル・リー・クックソン。そなたを始めとするクックソン一門がこの式典を妨害すべく、爆発物を大量に仕込んでいたことは既に調べはついている」
殿下が指示を出すと、騎士達に捕まえられた者達が会場に戻って来た。クックソン一門や、それに与する者達だろう。
「後日裁判を行う。本来なら出廷させるが、逃走の恐れがある。身柄を拘束せよ」
近衛騎士が四人ネヴィルを拘束する。
「離せ!! 私を誰だと思っている!!」
殿下は無表情のまま、近衛騎士に合図する。
諦めることなく抗うネヴィルを、マギーは瞬きもせずに見つめ続ける。目に焼き付けるように。
「さようなら、ネヴィル。貴方を愛していたわ」
あまりに小さい声は、隣に立っているオレにしか聞こえなかったと思う。
殿下はアサートン侯と父、ミラー伯に声をかけると早々に王都に戻って行った。
ネヴィルがこの場で命を捨てることは防げたが、奴に残された時間は多くない。速やかに裁判を行い、クックソン一門を処罰する必要がある。
関係者が去り、さっきまでの騒ぎが嘘のように静かになった会場には、オレとマギー、アサートン令息とレジナルド、ティムとデイヴィッド、クリス、後片付けをする者達しか残っていなかった。警護の騎士達は見送りを終えたらこちらに戻って来るだろう。
「一瞬なんだな」
あれだけ準備をしてきたのに、式典も何もかも、一瞬で終わった。
「築き上げるのはとても大変なのに、なくなるのは一瞬なのよね」
そう言うマギーの表情はどこか寂しげだった。
後悔しているのだろうか。今までは復讐することだけに心を奪われていたはずだ。目の前で愛した男が拘束されていくのを見て、心が揺れたのだろうか?
わっという声が上がって、声のした方を見ると、ナイフを持った男がこっちに向かって走ってくる。ネヴィルの従者としてずっとそばにいた男だ。
騎士はまだ戻っていない。いるのは使用人だけだ。あちこちから悲鳴が上がる。騎士が慌ててこっちに向かっているのが見える。
騎士が来るまで時間を稼げれば、そう思ってマギーを見る。彼女は従者の方を向いたままだ。怯えてもいない。オレの視線に気付いたのか、オレににこりと微笑むと、従者に向き直って目を閉じた。
「おまえさえ! いなければ!!」
彼女に向かって振り上げられたナイフを見た瞬間、身体が勝手に動いた。マギーを抱きしめた瞬間、背中に痛みが走った。
「ベン!!」
次の攻撃が来るかもしれないと思った瞬間、レジナルドの叫びが聞こえた。
「ベン!!」
駆け付けた騎士に一瞬で拘束され、その場にねじ伏せられた従者はまだ何か叫んでいたが、マギーの無事のほうが気になった。
「怪我は?」
「ないわよ! どうして!!」
真っ青な顔をして、オレを見る。
「身体が勝手に動いたんだから、仕方ないだろ」
「私のことなんて放っておいてくれて良かったのに! ここで死んでしまっても悔いはなかったのに、どうして!」
従者に切り付けられたところが熱い。痛いというより、熱い。
「そんなことより、怪我は?」
「ないわよ……っ」
マギーの目からボロボロと涙がこぼれる。
「良かった」
あぁ、オレは彼女に死んでほしくないんだ。
傷の所為なのかなんなのか、力が抜ける。
皆の声が遠くに、聞こえる──




