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どんなジャックにもジルがいる  作者: 黛ちまた


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53/73

53.それは一面であって全てではない

 フィアを送ってタウンハウスに戻るなり、ベンの姿を探した。

 

「ベン!」

 

 うんざりしたような顔で、ベンが言った。

 

「話なら明日にしろよ」

 

 もやもやしながら翌朝を迎えた。聞き出そうとしたらベンはもういなかった。逃げたのかもしれないけど、オレも寝坊した。

 

「話は聞けなかったようだな」

「なんで分かるんだ」

 

 昨日は姫のそばに付きっきりだったはずなのに、何故そこまで把握してるんだ、怖い。

 

「以前は眉を顰めたが、近頃はそうでもない」

 

 なんの話かと問えば、ベンのことだと言う。

 入学してからのベンは自暴自棄だった。最近やっとベンが気持ちを取り戻したと思ったのに。

 

「弟があの女狐に取り込まれないといいが」

 

 女狐とは、マギー・パット・オースチンのことだろう。どんな人物かは分からない。彼女自身が問題を抱えていることも分かっているけど、なんというかどう評価していいのか分からない。瞳の色の所為で彼女は不遇を強いられた。そこをネヴィル・リー・クックソンに利用されたのだとしても、ネヴィルの為に幼かった姫にあのようなことをしたのは間違いなく彼女だ。命令された証拠でもあれば話は変わるんだろうけど。

 ある一面では被害者でも、別の面では加害者。よくあることではある。どの角度から見ても被害者になる、ある意味完璧な被害者なんてそうそうありえないから。

 それにクックソンの計画が上手くいけば、マギーの得るものは大きい。彼女がもし、自分と同じように瞳の色を理由に不遇を強いられている者の立場を変えたいと考えてネヴィルに手を貸していたら。一介の伯爵令嬢には無理でも、王妃になら可能性がある。婚姻相手として忌避された自分が国一番の女性になる。これ以上ないと思う。

 

「ベンを信じているけれど、心配はなくならない」

 

 オレと違ってベンは上手く立ち回ることが出来るとは思う。でも、相手は卑怯なクックソン家だ。毒を食らわば皿まで、なんて言葉があるけど、それは決死の覚悟というか、自暴自棄というか、本人が無事ではないと思う。

 

「素直になれない気質だろうが、もし助けを乞われたら助けてやればいい」

 

 素直になれない気質。何も考えてないオレと違って、ベンはいつも考えてるからなぁ。

 

「レジナルド・ジョー・ハンプデン=トレヴァー」

 

 トーマスに名前を全て呼ばれる。

 

「おまえはおまえのままでいいんだ。お前のやりたいようにやれ。誰もおまえの代わりに責任は取ってくれないのだからな」

 

 そう言われて、自分の中でグラグラ揺れていたものが、ピタッと止まった。

 

「そうだな。確かにそうだ。オレが逆立ちしてもベンにもトーマスにもなれないし」

「そうだ。おまえ以外の誰も、レジナルド・ジョー・ハンプデン=トレヴァーにはなれない」

 

 なりたくはないだろうけど、確かにそうだ。

 安易に自分ではない誰かになりたくなってしまうけど、本当は自分のままでいたいのだと思う。誰かになりたくなるほど自分のことを嫌いなら話は違うのかもしれないけど。

 

「でもおまえになりたい人間は多いと思うぞ」

 

 良いことを言った、と得意気になっていたトーマスの表情が、一変する。

 

「アサートン侯爵家の四男で、容姿も良くて頭も良くて、姫の婚約者。男女共に憧れる人間は多いはず」

「それはオレの一面でしかないだろう」

「でも一面ではある」

 

 トーマスの眉間に皺が寄る。

 

「オレはオレが好きではない」

「どうして?」

 

 これだけ色んなものを持ってるのに自分が嫌いだなんて。

 

「……ワガママだと言われるだろうが」

 

 少し諦めたような、憂いのある顔。何かあったんだろうな。

 

「一つもないのか?」

「え?」

「いや、自分の全てが嫌いなのか?」

「そういうわけではない。好きではないが、恵まれているということは分かっている」

 

 なるほど。トーマスは己の持つものが全て与えられたもので、自分で得たものじゃないと言いたいんだろうな。

 

「何もしないとどうなるか知っているか?」

 

 オレの質問の意図が分からないようで、トーマスは怪訝な顔のままだ。

 

「優れた容姿を持って生まれても、何もしなければ衰えるんだぞ」

「それはそうだろうが」

「そうなってしまっても、努力で向上させられると思うが」

 

 フィアがオレの為にキレイになりたいと努力してくれたように。

 

「今、皆からの憧れを集めているのも、おまえの日頃の努力の結果なんだと思うけれども。それでは駄目そうか?」

「駄目では、ないが」

「何一つ好きな所はないのか? 好きになれそうな所は?」

「何故おまえがそんなに必死なんだ」

 

 困った顔を見せるトーマス。珍しいな。

 

「必死というか、好きな所なんて一つもあれば充分だろう? 自分の全てが好きというのはまた別の話の気がする」

 

 トーマスは呆れたようにオレを見る。でもその呆れ顔は、ちょっとわざとらしくも見える。

 

「おまえらしいな、レジナルド」

 

 オレには分からないけど、持ってるからといって幸せでもないんだな、ということ。トーマスにはトーマスにしか分からない悩みがあるんだろう。何でも持ってると思われてる姫にだって、色々あったんだから。

 見える部分だけが全てじゃない。分かってるつもりで分かってないことってあるんだと、ここ一連の騒動で知った。ひっくり返せば幸せも不幸せなように。

 難しいことは分からないから、オレはオレなりに解釈していくしかないんだけど。

 

「自分の好きな所が増えるといいな」

「……そうだな」

 

 オレの目下の悩みは沢山あるわけだけど、いずれ解決するつもりでいるからまぁ良いとして。

 

「オレはさ、欲しいものを全部手に入れられるだけのものを持っていない」

 

 才能とか、色々。努力だけでは手に入れられないものはそれこそ山ほどある。

 

「だからどうしてもほしいものがなんなのか、突き詰めてみた」

「……まさかそれが」


 さすがトーマス。分かったのか。

 

「オレを死ぬほど愛してくれる人、だったわけだが、想い合うことはできても、そこまで愛してくれる人はいないだろうなぁと、諦めていた」

 

 だから婚姻は結ばなくてもいいと思っていた。

 

「もし今、おまえにそれがないとしても、いつか気付くかもしれない」

「見つからなかったら?」

「人生は旅である、と先日読んだ本に書いてあった。目的がある旅だけではないだろう。旅そのものが目的かもしれないけれど」

 

 トーマスが怒った顔になる。

 驚いてどうしたのかと問う。

 

「おまえに諭されるのが腹が立つ」

「トーマス、理不尽なこと言わないで」


 扱いが酷い。

 

「どんな手段を使っても、おまえの望みを叶えてやる」

 

 引っかかる物言いではあるものの、頼もしいといえば頼もしい。

 

「弟を問い詰めるか?」

「尋ねるは尋ねる。でも先程トーマスが言ったように、咎めるようなことはしたくない」

 

 頭から押さえ付けるようなことはしたくない。

 それは気質だけで後継者を決めて、ベンに目を向けないハンプデン家と同じ気がする。決定権は確かにあちらにあるんだろう。約束もあったんだと思う。オレはご先祖様にそっくりな気質なのかもしれない。似ていなくても、ベンにはハンプデンへの強い思いがあって、ハンプデンの血が流れてるんだから、それでいいじゃないか。気質にこだわるけど、その噂のご先祖様の後は違う気質なんだろう。それなのにオレの代でだけそれにこだわるのはおかしな話だと思う。


「ベンを信じる」

 

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