51.姫のデビュタント 前編
デビュタントになるのは令嬢だけで、令息はある程度の年齢になれば社交界に顔を出す。全ての令息がそうとも限らないけど、後継者となることが決まっていれば社交界に出て繋がりを持つことは必須だ。
ハンプデン家とミラー家のことがあるから、近頃は招待されれば参加している。面倒だし好きにはなれないけど、全てはフィアの為だと思うと苦じゃなくなるんだから、我ながら単純だ。
社交界に興味が持てなくて(今も興味はないけど)、父に言われない限りは夜会に不参加だった。参加しないで済んでありがたいと思っていたんだけど、こうして真面目に参加してみると、以前と顔を合わせる人達が変わっていなくて、父はハンプデンの後継者としての準備をオレにさせていたんだと分かった。
今日のデビュタントボールで、姫が初めて社交界に顔を出す。トーマスとの婚約は既に知れ渡っているとはいえ、皆の関心は高いだろう。王に可愛がられていると噂の王女にお近づきになりたいと思う者はそれなりにいるはず。アサートン家ももれなくついてくるわけだし。
オレはフィアをエスコートして参加。夜会を好きにはなれないだろうけど、こうしてフィアをエスコートしていると、あぁ、フィアの婚約者なんだオレ、……と実感することができて、幸せな気持ちに浸れる。
見て見て! この可愛い女性がオレの婚約者です! ……と頭の中で思った回数は数えきれないほど。それぐらい浮かれてる。婚約者っていいね。堂々と隣にいられるし、惚気られるし、幸せ。(トーマスは嫌がるけど)
「フィアがデビュタントとして参加したときはどうでした?」
そう尋ねるとフィアの表情が曇る。え、もしかして何かあったんだろうか……。フィアの言葉を待つ。
「レジー様もご存知の通り、以前はお恥ずかしい格好でしたから……」
すっかり今の姿に見慣れてしまっていたけど、そうだった、フィアはふくよかだったし、白粉たっぷりだったし、髪型も違っていたんだった。
「これまでの婚約者の方たちも私を伴って夜会に参加なさることを嫌がっておいででしたから、レジー様とこうして参加していることにまだ慣れることができなくて……」
「僕も積極的には参加していなかったから、不慣れですよ」
「そうなのですか?」
「そうです。一緒に少しずつ色んなものに慣れていきましょう」
「はい、レジー様」
ふわりと微笑むフィアがあまりに可愛くて! 今日はいつもと化粧が違うから、可愛いけどキレイだったりもして、キレイだけど可愛くて、ああぁ、夜会に参加している男性達からフィアを隠したい!
「夜会でのレジー様はいつもとはまた違って素敵です」
「それはこちらの台詞です。いつも可愛らしいけれど、夜会でのフィアは美しくて、誰かに奪われないかと不安です」
学園でもそうだったけど、以前とは様変わりしたフィアを目にして後悔した者は間違いなくいると思う。
「もしそのような方が現れたら、婚約者のレジー様のおかげだとお伝えしたいと思います」
フィアの言葉に口元が緩んでしまう。嬉しいという気持ちが抑えられない。女性のように扇子もないから、手で口元を隠すしかない。
「夜会でのレジー様は髪をゆるく後ろに流されてらして、凛々しくていらっしゃいます。見惚れる女性も多いと思うのです」
オレと同じようなことを考えてるフィアに、胸がきゅんとする。実際は許されないけど、頭の中ではフィアを抱きしめる。
ほんの少し口を尖らせて、オレにだけ聞こえるように小声で言う。
「本当はレジー様を屋敷に閉じ込めて、どなたにもお見せしたくないです」
これは何のご褒美でしょうか!
フィアにならいくらでも監禁されたい!
「されたい……」
他の人達からしたらだいぶおかしな会話なんだけど、オレとフィアはこれでいいんです。むしろ最高なんです。
今日もフィアの色のピアスを着けてきた。
学園ではオレとフィアのことは知られているけど、社交界でも早く広まってほしい。婚約者だということは知られているけど、そうじゃなくて。オレがフィアのものだって知られたい。婚姻を結ぶのが早いけど、それはまだ少し先のことだし。レジナルド・ジョー・ハンプデン=トレヴァーは身も心もフィアメッタ・オブ・ミラーのものだと知られたいなぁ。
遠く、鐘の音が聞こえた。
この鐘の音をもって夜会が開始になる。
周囲の貴族達もデビュタントが通ることになる場所を空けるように移動していく。夜会の流れとしてはデビュタントが入場する前に陛下が登場する。それから今回のデビュタントが全員入場する。爵位の低い者から順番に陛下がデビュタント一人ひとりに声をかけることで、令嬢が社交界に迎えられたことになる。付添人は令嬢の後見人だから、誰がシャペロンになるかも注目の的だ。ジェーン殿下のシャペロンは王従姉の公爵夫人が付くと聞いてる。公爵夫人の産んだ令息は王位継承権第五位。シャペロンには最適な人物だ。もし王家に何かあった場合は、公子を後継者としたいという王家の意向もこれで伝わる。つくづく、貴族とか王族は面倒だと思う。こういうの本当に苦手。
「レジー様」
フィアに袖をほんの少し引っ張られる。この仕草可愛いね?! もっと引っ張ってほしい!
「あちらの、奥から二番目の柱に隠れるようにしてらっしゃる方」
相手に気付かれないように、全体を見回すようにして、柱の横に立つ人物を見る。
「先日お伝えした女性です」
遠目だから目の色までは分からないけど、彼女が姫を支配していたクックソンの愛人か……。
忌憚のない感想を言わせてもらうと、大変地味だ。本来なら罪人として裁かれてもおかしくない人物なのだから、地味なのは正しいんだけど。マギーを罪人とすると姫のことも多くの者に知られることになる。それを避ける為に詳らかにはされない。されないが、人の口に上る噂を完全に封じることは難しい。明らかにしたところでクックソンまで繋げるのが難しい。かしましい宮廷雀に好き勝手に噂させておくのも、否定すれば却ってその噂が真実であるように思われることもあるからだ。どうしても払拭しなければならない噂の時のみ、王家はこれまで対応してきたみたいだから、対応しないのは真実ではないからだとも取れるらしい。
「参加しないほうが要らぬ憶測を生むのでしょうけれど、私ならここにいることすら辛いです」
むしろ悪意はなかったという主張のために参加してるんだろうけど、知る人は知ることだし、下手をすれば高位貴族達から嫌味の一つも言われるだろう。あんなことをしておいて嫌味で済むなら安いものだと個人的には思ってしまうけど。
マギーのエスコート役は、オースチン家の長男のようだ。表向き、二人は姫とトーマスの橋渡しをした功労者という扱いでもある。
「そもそもフィアはあのようなことをしないから、その心配は不要です」
そうですね、とフィアが頷く。
陛下がご入場されたのに合わせて、参加者がみな礼をする。着座されると陛下の近くにいる高位貴族から頭を上げていって、入り口付近の下位貴族が頭を上げる。同時ではないんだよね。こういったところにも爵位が関係してくる。他の国は知らないけど。
広間の巨大な扉が、音をたてて開く。普通の夜会だと後から参加する貴族の為に開け放たれている扉も、デビュタントボールの場合は時間になると閉じられる。デビュタント達が扉の向こうでシャペロンに支えられて立っているはずだ。
本日の主役となるデビュタント達だけに許される白。同じ色ながら思い思いのデザインや装飾をすることで他のデビュタントと差をつける、らしい。令嬢も家も大変だろうと思う。高位貴族とデザインが被らないようにしないといけないし。
広間の入り口から陛下の正面まで続く真紅の絨毯の先頭を、シャペロンに支えられながら入場するのはジェーン殿下だ。たとえ既に婚約者がいても、ここでエスコートするのはシャペロン。陛下への挨拶が終わると、婚約者がいれば婚約者が迎えに行く。まだ婚約者がいなければ今夜のパートナーが。
……フィアのデビュタントの時、迎えに行きたかったな、と思いながらデビュタント達が陛下に挨拶するのを眺める。関心はないけど、顔を覚えないといけないんだよね。覚えられる自信はないけど。
姫が陛下からお言葉を賜り、礼をとく。婚約者のトーマスが笑顔で迎えに。笑顔で! あのトーマスが笑顔! 見慣れないものを目にして落ち着かない気持ち。




