38.初めて一緒に過ごす放課後 前編
放課後、フィアの教室に向かう途中で弟──四男を見かけた。学年も違うアイツが何故この階に?
父親の言葉を思い出す。
クックソンに利用されるかもしれないと。オレの弱点はフィアだ。兄二人は卒業済みだけど、ベンは在学中。フィアに近付くことができる。
弟を疑うのは嫌だけど、フィアに何かあってからじゃ取り返しがつかない。あとできちんと説明しておこう。それに、クックソンに弟を利用されるのも腹が立つ。
仲があまり良くないからといったって、弟は弟だ。タウンハウスに戻ったら、それとなくベンにも聞かないとな。
そっと教室に入ってフィアをおどろ──
「?!」
入る前からフィアがこっち見てた! なんで? 驚かせようと思ったのにオレが驚いてしまった。
フィアはオレに気付いて笑顔になると、駆け寄って来た。
「レジー様」
「待たせてしまいましたか?」
早く迎えに行こうと早歩きして、驚くフィアを妄想してたんだけどね、オレが驚いて終わりました。
「レジー様が迎えに来てくださるのが嬉しくて、ずっと扉を見つめておりました」
だからか。フィアもトーマスと同じで気配を察知できるのかと思ってしまった。
「嬉しいけれど、さっきの体勢で見続けるのは首を痛めそうだから、やらないほうがいいと思う」
身体は正面を向いて椅子に座っていて、首だけ扉のほうを向いていたから、きっと疲れる。正直ちょっと怖かった。夜に見たら危険だと思う。
「では次からは身体ごと……」
周囲の級友たちが困った顔をしていたり、首を横に振っているのが見えた。うん、確かにちょっと、関係ない人には困るかもしれない。
「声をかけられるのを待っていてください」
「でも」
「長く待たせるつもりはないけれど、いつ来るかと待つのも楽しいかもしれないし」
なんとか止めさせようと思うものの、上手い言い訳が思いつかない。
「わかりました。レジー様の足音は聞き分ける自信あります」
「わかるの?!」
「はい」
オレも気配を察知できるようになりたい。
「えっとフィア、今日の予定を聞いても?」
「あ、はい。ミラー家のタウンハウスにお招きしたくて」
「よろこんで」
なんだろう? こんなことなら何か贈り物を用意しておけばよかった。でもフィアがどんなものを好むかもまだそれほど詳しくないし。あまり根掘り葉掘り聞き出すのもどうなんだろう。ランチやお茶会は何度かしているから、好きな紅茶だとか菓子は少しだけ知ってる。
「レジー様?」
フィアの好きなものについて考えていたら声をかけられた。
「ごめん。つい考えごとをしてしまって。今なにか話していた?」
「いえ。なにを考えてらしたのですか?」
「フィアのことをまだまだ知らないことを恥じていたというか」
今日のこともそうだし、オレ、未熟者だ。
「私のことを知りたいと思ってくださるのですか?」
「それは勿論! 自分のこともできたら知ってほしい」
愛されたいオレとしては、フィアがオレよりもオレのことを知っていてほしいなんて思ってしまう。
恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうにフィアが笑うから、こっちもなんだか嬉しくなってしまう。
「フィアの笑顔を見るだけで、幸せになります」
フィアの顔が真っ赤になり、走って教室を出て行ってしまった。
「フィア?!」
慌ててフィアのカバンも持ってフィアを追いかける。
オレたちが走っていても、最近では皆慣れたもので、フィアの逃げた先を教えてくれる。皆優しいなぁ。
「フィア! 見つけた!」
「れ、レジー様! 申し訳ありません、私、恥ずかしさに消えたくなってしまって……」
思わず逃げ出したものの、どうしたものかとオロオロしているフィアに、ほっとする。
「最近は皆が教えてくれるんですよ」
「そうなのですか?」
手を差し出すと、逃げ出したことで気まずいのか、おずおずとオレの手に自分の手を重ねてくる。
「そうなんです。それに教えてもらえなかったとしても、絶対に探し出します」
「では、逃げる時は人目につく場所を通ることにします」
「出来たら逃げないでほしいけれど、どうしても逃げたくなったらそうしてください」
恥ずかしさが我慢できる上限を超えると、本人でも制御が難しくなるんだろうな。
馬車の待機場に向かいながら、とりとめのないことを話す。婚約したばかりの頃は、こんな風に気安く話すことも難しかった。お互いに探り合っていたというか、思うことを思うままに話すのは勇気が必要だった。
緊張したフィアの気持ちを、どうやったらほぐせるかが分からなくて。それまで女性と親しくしてなかったから、どんな話を女性が好むかも分からなかったし。だから自分の話をして、それからフィアはどうだったかを尋ねて、を繰り返した。フィアは自分からは進んで話さないから。その反動なのか手紙では饒舌なんだけど。
「今日は天文学の講義があったんですが、講師が代理の先生で。その先生のカツラが曲がっているのに気づいてしまった生徒が笑って、授業どころじゃなかったんですよ」
貴族の多くは自前の髪を結うのが普通だけど、代理の講師の中には経済的に厳しい状況に陥ってる者もたまにいて、そういう時は髪を切って売ったりするらしい。平民も売るようだけど、貴族の髪のほうが高く売れるのだそう。
髪を売ってしまった貴族は、伸びるまではカツラを被る。髪が薄くなってしまった貴族なんかも被るらしい。
その代理の講師がまさにそれで、カツラを被ってたんだけど留めが緩かったのか、少しずつズレていくものだから、目のやり場に困った。
「まぁ! それは我慢するのが難しいですわ」
「明日はフィアのクラスで講義があるみたいだから、楽しみにしていてください」
「酷いわ、レジー様。私、我慢できないかもしれません」
タウンハウスを王都内に持つ家は馬車で屋敷に帰る。タウンハウスを持てないような小さな家などは、縁戚のタウンハウスに身を寄せていることも多い。生徒の多くは学園が用意する馬車に乗り合って帰宅する。タウンハウスは小さいから厩舎を用意するのは難しい。家によってはそのタウンハウスの規模も違うから、公爵家あたりだと馬車もあるみたいだけど。
タウンハウスがあっても、学園が用意する寮で生活する生徒もいる。家族と折り合いが悪いだとか、教育方針が厳しいだとか、経済的にとか、理由は様々。
トレヴァー家とハンプデン家はどちらもタウンハウスがある。しかも隣だ。必然的に同じ馬車に乗り合うことが多くて、その縁で両親は知り合った。そういうのも良いよね。残念なことにトレヴァー家とミラー家のタウンハウスは方向が逆だから、そんな機会はなかった。
生徒に何かがあってはいけないから、学園が用意する乗り合い馬車は、御者台に御者が二人、後ろにも一人。それから馬車伴走犬。中も見えるから、いわゆる不埒なことはできない作りになっているし、乗り合うだけあって十人ほど乗れる。
学園帰りをフィアと過ごすのは初めてだ。休みの日にミラー家のタウンハウスを訪れてお茶をするのは何度かしてるけど。
男爵家や子爵家出身で、不真面目な生徒は授業をサボって学園の外に繰り出すらしい。最終学年になると受講する講義が減るから、オレもフィアも少しは余裕ができるのかもしれないけど、貴族の子供は自分の足で買い物に行かない。欲しいもの、必要なものがあれば懇意にしている商会に連絡をして持って来てもらう。
でも、商会がもっと身近になったら、自分たちの足で王都内を歩いて回ったりするようになるのかもしれない。




