32.最高の相手が最良の相手とは限らない
「さて、本題に入ろうと思う」
王太子殿下の言葉に、緩んでいたその場の空気が突然緊張感を伴うものに変わった。姫の顔が強張る。
「ジェーン、おまえをそうさせてしまったのは我らの落ち度だが、王族としての立場を全うせねばならないのは分かるか?」
厳しく聞こえる内容だけど、王太子殿下が姫に向ける眼差しには優しさというか、気遣いのようなものが感じられた。姫もそれに気付いたのか、困ったような顔をした後、頷いた。
「はい、お兄様。申し訳ありませんでした」
「おまえは今日、トレヴァー伯三男のレジナルド・ジョー・ハンプデン=トレヴァーに無体を強いたことにより、王族として不適格の烙印を押される」
王族として不適格。
姫が心を入れ替えたのもあって、被害者でもあるし、なんだか複雑な気持ちになる。ここに来るまではあんなに姫に対して不快に思っていたのに。あんな風に、愛されたかったんだと泣いてる姿を見てしまったら、愛されたい仲間としてはなんとかしてあげたくなるというか……。
「……その無体を強いた相手、私ということにしませんか?」
「え? トーマス?」
カップに紅茶を注ぎ足すトーマスに、カップを差し出したら嫌な顔をされた。入れてくれたけど。
「確かに姫は今回、レジナルドに対して加害者となりかけましたが、その前に姫はオースチン家、クックソン家の企みの被害者でしょう。姫のことを未遂で防げたとしても、奴らのことです。殿下たちお二人も不適格と謗られるでしょう。何故、止められなかったのかとね」
王太子殿下とツァーネル殿下の二人は苦い顔をする。心当たり、あるといえばあるからそういう顔にもなるとは思うけど。姫はまた泣きそうな顔になった。
「失敗したとしても、王家に対して不信感のようなものを植え付けられれば、あちらはとりあえず勝ちとするでしょう」
ミルクを注ぎ、スプーンでゆっくりとかき混ぜる。
「調べてみましたが、国内の情勢が慌ただしくなり始めた頃と、姫の教育係がオースチン家に決まったのは同じ時期です」
王家も調べたんだろう、驚いた様子もなく、両殿下は頷いた。ジェーン殿下は自分が利用された事実を認識させられて、ドレスを掴む手に力が入ったのが見えた。いたたまれない。
「悪質だ」
「そうだ、悪質だ」
思わずこぼしてしまったオレの言葉をトーマスは拾うと、王太子殿下を見る。
「今回奴らを叩く心算で動くとのことですが、ジェーン殿下とレジナルドに瑕疵を付けて、それで被害を最小限に食い止められたとするのは実に不愉快です」
不愉快って、随分はっきり言うなぁ、トーマス。
「……それを防ぐのに、そなたとジェーンが婚約をすると?」
「そうです」
トーマスはジェーン殿下を見る。
婚約という言葉が出たのもあって、姫は落ち着かない気持ちになったみたいだ。困った顔のままだ。今の姫なら自分を責めて、自分がトーマスと婚約していいのかと思ってるかもしれない。
「被害を抑えきれたとしても、手を打つのが遅ければ姫はオースチン家の後継者、もしくはクックソンのいずれかと婚約させられる可能性があります。そうならないために陛下は他国に姫を嫁がせて政争から守ろうとなさるのだと思いますが」
それが元々の作戦だった、そういえば。
王家に成り代わることができなかったら、姫と婚姻を結んで王家の縁戚になろうとしてる。
「このとおりレジナルドはミラー嬢しか見えていないので、姫が強引に降嫁したとしても幸せになれないことは間違いありません」
姫は頷いた。分かってもらえて嬉しい。
「それならばあちらの準備したものをこちらが利用すればいいんです」
「どういうこと?」
分からないので素直に聞くことにした。トーマスは口は悪いけど優しいから教えてくれる。
「教育係に連れ出された先で会っていたのは、オースチン家の後継者ではなく、私だったとすればいい」
「自分だったと言い出したら?」
「自分こそが姫の相手だと言うのか? 成人してそれなりに経つ大の男が、社交前の姫をたぶらかそうとしたと思われるのがオチだ。そう思われたとしても、得られるものが大きいからそうしようとするんだろうが」
言われて気付いた。オースチン家の後継者って、二十六ぐらいにはなってるはずだ。
ちらと姫を見る。
姫はデビュー前で、十五才。政略結婚としてはありだろうけど、恋愛結婚とするとその年齢差はちょっと……。
「ぅわぁ、微妙」
「幼女趣味といわれるだろうな」
想像して不快に感じたんだろう。姫はツァーネル殿下の袖を掴んだ。
「その点私は十七才だ。城への出入りもしていて姫と顔合わせをしていたとしても不思議ではない。ただデビュー前の姫と頻繁に顔を合わせるわけにもいかなくて、教育係の手を借りて外で会っていたとすればいい」
「オースチン家とよりは自然な流れに見えるけれど、トーマスはそれでいいのか?」
姫がいる前でこんな言い方をするのは悪いんだけど。
今の姫ならトーマスの相手になってもいいかなぁ、なんて勝手に思ったりもするけど、一番大事なのはトーマスの幸せ。
トーマスは姫を見る。
「いかがでしょうか、姫。私では姫の相手として足りませんか?」
傷物になるかもしれなかった姫に、最高の相手を連れてきた感じだと思うけど、こればかりは相性というか、相手のあることだから難しいよね、と思いながら姫を見る。
姫の顔はみるみるうちに赤くなった。
……うん、嫌ではなさそう。
まぁそうだよね、だってトーマス、顔立ち整ってるからね。顔よし、家柄よし、頭よし。口は悪いけど根は優しい。これで姫がトーマスは嫌だと言ったらちょっと弁護に回りたくなるかも。
「……私が相手でもいいのですか」
「私を溺愛する父が、陛下に直訴して陛下が溺愛する姫を奪ったというシナリオも考えたりもしました」
それもありなんだ。
「友人のレジナルドがツァーネル殿下に呼び出されたのを利用して、変装して城内に入り込み、姫に会おうとしたところを護衛騎士に捕まったということにすればいいでしょう。結果として私と姫のことが発覚し、デビュー前ですが婚約が決まったとすれば問題ありません」
確かに護衛騎士に組み敷かれたけど、それすら利用するとは、トーマス恐ろしい……。
「普段から城に出入りしてるおまえがわざわざ変装する意味が分からないよ」
オレならまだしも、普通に会えるだろう。この前も城に行くって言ってたぐらいなんだし。
「私と姫の様子を訝しんだとすればいい」
それはありえる。
いくらトーマスが侯爵家の四男とはいえ、姫を溺愛する殿下たちはすぐには賛成できない。デビュー前だし。
「オレが今日、ツァーネル殿下に呼び出された理由は?」
「妹姫を溺愛するツァーネル殿下と王太子殿下は、それぞれ別行動を取っていたとする。ツァーネル殿下は私の評判を聞くためにおまえを呼び出した。おまえが呼び出されたと知った王太子殿下は、モリス侯爵邸には婚約者の体調がすぐれないため見舞いに行くと言って断り、城内に留まることにし、私を呼び出した。殿下も不在という建前だから、私にも人目につかない格好でくるよう命じたとすればいい」
それらしい理由になってる!
「当時私の婚約者はミラー嬢だった。既に心に姫がいた私はミラー嬢につれなくあたってしまっていた。おまえは私と姫がそういう仲なのを知り、想い人との婚約を譲られたことにも恩を感じていて、城にもぐりこむのを手助けした」
「……おまえの頭の良さを悪巧みに使わせないためにはどうすればいいか考えたいと思う」
「なんだ突然?」
あまりになめらかにシナリオを作り上げていくものだから、友人の頭の良さに驚きつつ、トーマスを幸せにしないと世界が不幸になりそうな気がしてきた。クリスもそうなんだけど。
「クックソンの企みを知っているとオースチンを脅してください。姫と私を橋渡ししたことにするならば、王族を謀ったことには変わりないけれども、減刑して男爵への降格で許すとしていただければいいかと」
未遂だから貴族籍を奪う決め手に欠けるし、許してクックソンに関する情報を流してもらいたい、そんなところ?
「トーマス、そなたの提案は最良のものだ。私も妹は可愛いが、そのためにそなたを犠牲にする気はない」
王太子殿下の発言が至極真っ当で、聞いてるオレも嬉しくなる。
「父が、私に最高の相手をと言っているんです」
突然話を変えたように見えるトーマスの、次の言葉を待つ。
「大国の姫をもらってこようとしていて」
溺愛してるとは聞いていたけど、なんだかすごそう。つまりトーマスにとっては迷惑そう。
「レジナルドを見ていて、私も誰かを愛してみたいと思ったのです。侯爵家に生まれておきながら何を馬鹿なと思われるかもしれませんが。最高の相手だからといって私の最高の相手になるとは限りません。愛する相手を自分で選びたいと思ったのです」
「それは、ジェーンならば愛せると思ったと?」
「それは分かりません。ですが向き合い、愛する努力をしたいと思います」
姫の目から涙がこぼれる。
「もし、私を選んでいただけるのなら、私も愛されるに相応しい人間になりたいと思います。同じだけの想いを返せるように、努力します」




