21.王女の癇癪
妹が癇癪を起こしていると、妹付きの侍女が部屋に駆け込んできた。部屋に行けば肩で息をしている妹の後ろ姿と、妹が投げたのだろう、あちこちに物が散乱した惨状が目に入った。侍女たちはオロオロと狼狽えている。この暴れようでは侍女らも止めるのが難しかったことは分かった。
「ジェーン、これはどういうことだ」
振り向いた妹は大粒の涙をこぼしている。
「もうすぐ社交界にデビューするということは、大人の仲間入りをするということだ。そのような年齢にも関わらず、子供のように物に当たり散らすとは……恥を知りなさい」
「だって!」
妹は駆け寄ってきて私に縋り付く。こういったところにも子供っぽさを感じる。かつては見たことのなかった行動だ。
「マギーを辞めさせたと聞いたの! 今すぐマギーを呼び戻して!」
「駄目だ」
マギー・パット・オースチン。大変優秀であると推薦を受け、ジェーンのマナー教師となったのだが、問題のある女性だと発覚したのは、全く別の件からだった。
チャールズ・パット・オースチン。オースチン家の次男が不祥事を起こした。従来貴族と新興貴族の融和の象徴となるトレヴァー家と、国内きっての青き血を持つミラー家の婚約は、絶対に成功させねばならないものである。それにケチをつけた家はいくつもあったが、トレヴァー家三男の努力やアサートン家の協力もあり、王家の意図を汲んで諦める家がほとんどだった。本気で諦めたかどうかは不明だが、ここは一旦様子見をすると判断したのだろう。
それにも関わらず、高いプライドが邪魔をしたのだろう。引くに引けなくなったオースチン家の次男は暴挙に出た。ミラー家の令嬢を害そうとし、彼女を守ったトレヴァー家三男が大怪我を負った。怪我は怪我なのだが、人ひとり庇って階段を勢いよく転げ落ち、全身打ち身で済んだのは幸運だと言われていた。頭も打っていたそうだから、余計に。これでトレヴァー家三男やミラー家の後継者である令嬢にもしものことがあり、婚約が破談になれば大事になることは避けられなかった。今後の明暗を分けたはずだ。
そのような問題を起こしたオースチン家は、真摯に謝罪せねばならぬ立場にありながら、仕方なく謝罪したといった態度だったようで、トレヴァー家、ミラー家、アサートン家から厳重な処罰を求める声が上がった。問題を起こした次男を領地に下げるだけでは納得させられなくなってしまった。
他のきょうだいも王室に関連する組織に勤めている。要職には就いていないものの、勤勉であり、勤労だと耳にしていた。家族とはいえ次男とは別の人間だ。それを弟の不始末で処分するのもと躊躇していたところに、出てきたのだ。オースチン家の人間は人格に問題がある、との報告が。これまでは表に出てこなかった声が上がったのは、ひとえに次男が起こした騒動によるものだろう。
姉であるマギー・パット・オースチンは、ジェーン王女を甘やかし、自分に傾倒させようとしているとの報告を目にしても、はじめはただの嫉妬だろうと王家の誰もが思った。我らの目に映るマギーは完璧だったからだ。
だが、調査はせねばならない。結果は分かっていたがマギーの身辺などを調査させた。その結果、ジェーンはマギーにひどく依存していることが発覚した。実に上手く隠されていた。マギーはオースチン家の後継者である長男とジェーンを結びつけようとしていたのだ。ジェーンに甘い父王がそれを認めてしまえば、オースチン家は王家の縁戚となる。
デビュー前だというのに、ジェーンは既にオースチン家の長男と会ったことがあるという事実に、父も母も怒り、すぐさまマギーをジェーン付きから外した。
なにがしかの罰を与えたいところだが、顔を合わせたことが数回あるだけで、それ以上はなにもない。偶然だったとシラを切られたらそれまでだ。長男とジェーンを婚姻させるという話も、聞いたことがあるのも一人だけだったし、文書などがあるわけでもなかった。願望を口にしただけだと言われれば終わりだ。
「彼女はおまえを利用して王家の縁戚になるつもりだった。そのような思想の人間をそばには置いておけない」
「でも、あの方とはなにもないわ!」
「当然だ。何かあってからでは遅い」
納得のいっていないジェーンに、もしことが起きていればどうなったかを理解させねばならない。
「もし、オースチン家の後継者とそなたが関係を持っていたら、そなたはこれからの長い人生を離宮で過ごすことになったろう」
オースチン家次男が不祥事を起こしていなければ、そのまま婚姻していたかもしれない。彼らの目論見どおりに。ぞっとする。
「嫌よ! 私は悪いことをしていないもの!」
「我ら王族は、何かあってからでは遅いのだと何度も言っているだろう!」
声を荒らげて叱れば、不満を隠しもしない様子で私を睨みつけてくる。この年でこれでは、外になど出せない。
もっと早くに気付ければよかったが、ことが起こる前だったのは不幸中の幸いかもしれない。
オースチン家が次の行動に移る前に手を打たねばならない。オースチン家長男とジェーンは運命の相手などと嘘を流布されては困る。ジェーンの嫁ぎ先がなくなってしまう。そのためにも、オースチン一族の調査を速やかに済ませ、問題のある者は職を解かねばならない。そうして、問題を抱えているのはオースチン家だという空気を醸成せねばならないのだ。
どうしたものかと思案していたところ、そっと護衛騎士が耳打ちしてきた。
「殿下。アサートン家のトーマス様がお着きになられたようです」
「すぐに行く」
ジェーンは感情の昂りが収まってきたのか、先ほどより落ち着いているように見える。これならば大丈夫そうだと判断し、侍女たちに何かあれば連絡するよう命じて部屋を出た。
廊下に出てから、大きく息を吐く。頭が痛い。ただでさえこれからのことを考えれば失敗が許されないという状況なのに、王女である妹があのような状態などと。
我が国はこれ以上力のある商会を国外に流出させるわけにはいかない。かつてと違って国力すなわち武力ではない。いかに経済的に発展しているかが重要となってきている。経済力があれば、よしんば戦争などが起こった際にもその準備が可能となる。他国への交渉もしやすくなる。そのためにも、金のなる木である商会は、これまでのように搾り取る存在ではなくなった。新興貴族として有力な商会を国内に留めておくことで、国力を上げていかねばならないのだ。
オースチン家を切り捨てれば済む話でもない。己の利権に執着する既存の貴族も守るのだという立場を明確にせねばならない。
頭の痛いことだが、アサートン家の四男であるトーマスは色々と知恵を貸してくれる。王家に協力してくれており、実にありがたい存在だ。今回の騒動の中心となっているトレヴァー家の三男もなかなか機転がきくという。落ち着いたら是非会いたいところだ。




