14.初耳ですけど?
数日後、オレが芸術祭に作品を出すことが噂になっていた。クリスから聞かされてちょっと驚いたけど、トーマスが噂を流すと言っていたことを思い出す。
本日の分の領地経営の勉強を終えて、クリスとお茶を飲む。はぁ、疲れた。
「レジー兄さんがミラー嬢のために彫った蝋燭が展示されるって」
フィアのためには作っていないんだけど、今からでも彫るべき?
「オースチン先輩に勝てればいいんだけどな」
「レジー兄さんはなんでそこまでして、ミラー嬢の元婚約者たちに勝ちたいの?」
なにかしらで勝つ。
本当は相手の得意分野で勝てるのがいいんだけど、残念ながらオレは凡人なんだよね。
トーマスにも聞かれた。そんなに気になるものかな? いや、気になるか。貴族同士の婚約は今もまだ政略が多いし、場合によってはあっさりと解消されるものだ。そこに相性はあっても愛情が、というのはあまり聞かない。中にはいるけど。それはたぶん、婚姻と恋を分けて考えているからで、そうするしかなかったからだろう。それが正解だって分かってるけど、オレは受け入れられなくて、婚姻を結べなくてもいいと思ってた。家のためにと言われたならしたとは思うけど。
割り切れないオレは、その点貴族に向いてない。そんなオレが、自分の望んだ相手の婚約者となれた。それだけでも幸運だ。余計なことはしないほうがいい。分かってる。それなのに、アイツらが今更ながらにフィアに近付くのが許せない。フィアを傷つけたのに。今更なんだっていうんだ。遅いんだよ、もう。
「フィアの元婚約者たちは優秀な人材ばかりで、ミラー伯が娘とミラー家のために良き伴侶をと探したのがよく分かるんだよ。その期待に応えようとフィアも頑張ったけど、残念ながら伝わらなかった。オレに声はかかってなかったから、ミラー伯のお眼鏡にオレはかなってなかったってことなんだ。婚約解消が続いてなかったらオレはフィアの相手になれなかった」
相槌を打ちながら、クリスがサブレを口に入れる。サクサクといい音が聞こえてきて、オレも手を伸ばす。
「だから、オレが相手だとフィアは残り物で満足するしかなかったと言われてしまうと思ったんだよ。それは嫌だったし、それで得られたフィアの想いは愛情じゃない気がしてしまった。それが、オレが元婚約者たちに勝ちたい理由」
くだらないとは思うけどさ、嫌なんだから仕方がない。相手にもされてなかったオレが、フィアの気持ちを得るには努力しかない。
「兄さんに、というんじゃなくて、トレヴァー家にも声はかけられていたみたいだよ?」
「ん?」
「ミラー家から」
「え?」
初耳なんだが?
「うちは男子が五人もいるから、当然声がかかったんだよね。長男から婚姻相手を決めようとした父様たちが長兄に声をかけたの」
「いや、長兄は後継者だろう?」
サブレを口にしてクリスはにやりと笑う。
「そう思ってたのは兄さんたちだけなんじゃない?」
確かに、常々兄さんたちは口にしてた。両親は言ってなかったけど。長男、次男の自分たちが伯爵位を継ぐんだ、って。それはそうとして、ミラー家だって長兄に打診がされてるとは思わないんじゃないか……?
「次兄にも声をかけたけど、次兄がこれでもかというほどに否定したらしくって、それでレジー兄さんまで話がおりなかったみたい」
……次兄なら言いそうだ。あー、絶対言う。
いつも人の意見を無視して、皆もそう思ってるのを代弁していると言わんばかりの話し方をする。自分の意見を通すためなのかなんなのか。
「じゃあ……」
言葉にしようとして、それはあまり健全じゃない気がして、ぐっと言葉を飲み込んだ。言ったところで今更だからだ。
「それより、断っておきながらアサートン家に言われたらひょいひょいと婚約者に名乗りをあげた家ってことにならないか?」
こっちのほうが問題だ。かなり失礼だと思う。
「あ、それはね、解決してる」
クリスや、一体どこまで把握してるんだい?
知りたいことを教えてもらえるのは嬉しいけど、色々とね、思ってしまうよ、兄としては。
「ミラー嬢との婚約について打診したのは次兄までで、三男以降には声をかけていなかった、って説明したみたい。事実だしね」
「後継者に声をかけたのか? ってミラー伯は思わなかったのか?」
「思ったかもしれないけど、男子が五人もいるし、長子にこだわらない家も多いでしょ」
昔は長子相続が当たり前だったけど、不貞の結果生まれた庶子だとか、後妻の実家が前妻の家よりも大きいから、後妻との間にできた子供を後継者にするとか……まぁ大人の世界には色々あって、後継者を長子とする風潮は、廃れてはいないものの、絶対ではなくなってるのは知ってる。
……つまり、オレはもう頑張らなくてもいいってことになるけど。
「それでも、オレは勝ちたい」
始めたことはやり終えたい。どんな結果になっても。
「レジー兄さんならそう言うと思った。他の兄さん達なら絶対放り投げてると思う」
「そうかもな。それが正しいとも思う」
「そう?」
「その分、空いた時間を別のことに使うほうが有意義だからな」
クリスはクッションを抱きしめたままカウチに寄りかかった。
「僕はレジー兄さんの考え方のほうが好きだよ」
「どうも」
あの時あぁだったら、こうだったら──言い出したらキリがない。全く思わないわけじゃないし、それが悪いとも思わない。たぶんそれは、取り返しのつかないことが起きていないからそう思えてるんだろうと思うし。
「オレはクリスのように考えることも得意じゃないし、考えるなら行動に移したい。オレにできることは努力しかないしな」
こういうところがトーマスの言う脳筋なのかも。
「僕なんかは考えるばっかりで、行動に移すのが苦手だから、レジー兄さんはすごいと思うけど」
ないものねだりってことかな。
人は自分にあるものを当たり前だと思っていて、人の持つものが羨ましい、という奴。
「そういうものか」
サブレを口にする。オレしか分けてもらえないサブレは、サクサクほろりと口の中で砕けて、惜しみなく使われているだろうバターと砂糖が口いっぱいに広がる。贅沢だなぁ。エリナー嬢に会ったらお礼をしないと。
ハリス商会にもクリスとの婚約によるメリットはあるんだろうけど、デメリットだってあるはずだ。クリスならなんとかしそうな気もするけど、こちらとしても受け入れているってことを態度に表さないとな。
「美味い。ありがとな、クリス。エリナー嬢にも礼を言っておいてくれ」
返事の代わりにクリスは微笑んだ。
「そういえば、どんな噂が流れてるんだ?」
頼もしい我が友人が流した噂。
オレが芸術祭に彫刻を出品する、ぐらいしか知らない。
「ミラー嬢の新しい婚約者は、その溢れる想いを形にすべく、日夜婚約者を想いながら彫刻を彫っている。貴族に当然として求められる素養を遺憾無く発揮して、とかそんな感じだったと思う」
やっぱり彫ろうかな? っていうかこれ、暗に彫れって言ってるような?
「誰もが芸術の才能があるわけじゃないから、最近は芸術品を見極めるほうにばかり目がいきがちだし、そこまで強く求められているものでもないけど、レジー兄さんの彫刻には大きな意味があると思ってるよ」
暇つぶしとか考えごとをする時の精神集中以外になにかあったかな……。
クリスが人差し指を立てる。
「人に見せられるものを作れるほどの彫刻の才能があるということ。これは誰でもできることじゃないでしょ?」
二本目の指が立てられる。
「レジー兄さんと張り合いたかったら、同じことをしないといけないということ。でもその努力を皆が皆できるわけじゃないでしょう? 今更ミラー嬢を惜しいと思ったとしても、誰もができることじゃないってこと」
「でもそんなものは、誰かできる人間にやらせればいいんじゃないのか?」
自分でやらず、対価を払ってやらせればいい。
「今後その話はつきまとうよ?」
嘘の才能を持ち出したなら、今後そのことでいじられるということか。一時の見栄のために生涯他の貴族に揶揄されるのは愚かだなぁ、確かに。もしそれを実行に移したなら、それこそ笑いものだし。
クリスの三本目の指が立てられる。
「レジー兄さんの気持ちが嘘じゃないことの証明になるってこと。これが一番大事」
え? オレの想いって疑われてるの? そういえば伯爵位欲しさになんてことも何度も言われたな……。
「彫刻でなんでフィアへの想いが証明されるんだ?」
形のないものの証明って難しくないか?
「さっき言ったでしょう? ミラー嬢の新しい婚約者は、その溢れる想いを形にすべく、日夜婚約者を想いながら彫刻を彫っている、って」
「あぁ、なるほど」
彫らないといけないらしい。
「上手くいかなくてもいいんだ。いくつもの失敗品があるととてもいいと思う」
「なぜ?」
「フィアの可愛らしさを表現したいのに、表現できない! そう言ってくれればとても効果的だと思うな」
「そこそこ彫刻ができる奴が、愛しい婚約者を彫ろうとするけど、自分の思うものが彫れなくて苦悩してる、ってことか?」
「ご名答」と答えてにっこり微笑む弟。
頼もしいけど、兄さんは色々不安です。
それにそんなものでオレの気持ちが形になるとも思えないけどなぁ……。




