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アリシェ・ディ・ノエットはどうにもならない

作者: ねこすけ

 王都の一画が禍々しい黒炎に包まれ騒然となったその年、僕は家庭の事情で心乱され、いっぱいいっぱいになっていた。


「この子はアリシェという。私の娘だ」


 父のノエット子爵がぎこちなく笑いながら、シンと冷えた家族の前で、一人の娘を紹介した。

 年の頃は僕と同じくらい――十五才くらいだろうか。

 ふっくらとした白い頬に短く黒い髪がかかっている。ほそい目は黒。

 お世辞にも美人とは言えない。小柄で小太りで、顔立ちもぼんやりしている。

 ただ、僕の異母妹だというその子は、突き刺さる視線をものともせず、平然としていた。


「アリシェと申します。皆様、どうぞよろしく」


 その子の挨拶を機に母が悲鳴を上げた。


「どういうことです、あなた!? 約束を破ったのですか!? わたくしを裏切っていたのですか!?」


 母は父に駆け寄り、胸元にすがりついて父を詰った。

 祖父は無表情だった。

 祖母は困惑したように、その子を見ていた。




   ***




 ガタンと馬車が揺れて、僕は回想から我にかえった。


 王都の学院に戻っている最中だ。

 王都の一画には禍々しい黒炎がまだ上がっているということだけれども、対応の目処がたったらしく、僕のように領地へ避難していた学生たちに戻るようお達しがあった。


 なぜか父と異母妹も一緒だ。

 父は向かいに難しい顔で腕を組んで座り、異母妹は僕の左隣で我関せずと外の景色を眺めている。


 父と異母妹は王都に何の用があるのだろうか?

 ヒステリーを起こして倒れた母を領地に置き去りにして。


 父と母は我が国の貴族にしては珍しく、熱烈な恋愛結婚だ。

 母はうちより高位の貴族家のお嬢様。うちは爵位こそ低いものの歴史は国随一と言ってもいいほど旧く、代々神域を守ってきた神官の家系だ。身分的な障害はなかった。


 が、我がノエット家には一つ、悪評がある。

 代々の当主に必ず庶子がいるのだ。

 無論、貴族家の当主に庶子がいるだなんて珍しい話ではないのだけど、うちは代々、律儀に計画的かと問いたくなるくらい、必ず一人いるのだ。

 父にも異母姉がいるらしい。会ったことはないけれど。


 母方の祖父母は最初、悪評が生真面目につきまとう我が家に、愛する娘を嫁がせるのは嫌がったそうだ。

 が、若い父は熱心に訴えたらしい。

 決して母を裏切ることはしない――と。

 かくして父は母を娶った。


 その言葉の通り、父は母を大切に扱い、とても愛している。

 少なくとも、僕の目にはそのように見えていたのだ。


(父上と母上はこれから、どうなるのだろう?)


 僕の心は千々に乱れている。

 ガタゴト揺れる馬車の中、父は眉間に皺を寄せて、目を瞑っていた。




   ***




 王都の邸に着いた翌日、婚約者が僕を訪ねてきた。


「ジェット様、お元気でしたか?」


 可憐に笑う彼女との婚約は、両親とは違い政略により結ばれたものだけれども、僕たちは仲良くやっている。

 学院ではともに過ごし、時間があればお互いを訪問しあっている。離れている時は手紙のやり取りを欠かさない。

 両親のような熱烈な恋ではないけれども、温かな情愛を育めていると僕は信じている。


 ここしばらくなかった穏やかな気分で彼女とお茶を飲んでいると、応接室に異母妹が入ってきた。

 なぜここに来た!?


「……ジェット様、そちらの方は?」


 少し不安げな彼女にどう返したものかと迷っている内に、異母妹が淡々と挨拶をした。


「ごきげんよう。兄がお世話になっております。妹のアリシェと申します」

「妹? でも、ジェット様に妹がいるという話は聞いたことが……」

「つい先日ご紹介に預かりました。母の異なる妹でございます」

「え……?」


 信じられないといった顔をした彼女に、僕は言った。


「……父の庶子だ」

「……さようでございますか……」


 スンと彼女の顔から表情が抜け落ちた。怖い。


 うん。

 君は僕の両親に憧れていたもんね。

 悪評をものともせず乗り越えた熱い恋に。

 いつか僕たち二人もそのようになれたら、と語った時の真っ赤な顔は大層可愛らしかった。


 異母妹が去った後も僕たちはお茶を飲み続けたけど、残念ながら味がまったく分からなかった。




   ***




 そして僕は訳が分からぬまま、また馬車に揺られている。


 婚約者が帰り、父と異母妹と三人で無言の夕食を取った後、自室で寛いでいると、邸に神官と神殿騎士たちが押しかけてきた。

 え、何事?――と僕と使用人はおろおろしていたけど、父と異母妹は予想していたようで、平然と出迎えていた。いや、知っていたなら先に教えておいてよ。


 神官の先導で父たちが迎えの馬車に乗り込もうとした時、


「大神官様、息子も共に」


 と、父はぐるりと振り返って僕を指さした。

 え、何事?――と戸惑う僕を余所に、難色を示す神官に父は何やら説得を重ね、


「あれは跡継ぎですから」

「さようか。であれば、かまうまい。それより今は一刻を争うゆえに」


 神官が周囲に手振りしたかと思えば、僕は神殿騎士たちに担ぎ上げられて、あっという間に馬車に押し込められた。

 いや、僕、部屋着なのだけど、と文句を上げる暇もなく、父と異母妹と神官が馬車に乗り込んできて、即、馬車は走り出した。


 馬車は夜の王都を駆け抜ける。


(いや、どういう状況なの、これ?)


 質問はたくさんあるが、問える雰囲気ではない。


 異母妹は我関せずと、外の夜景を眺めている。

 問えたとしても、ぽっと出の妹には訊きたくないというこだわりもあるけど。


 向かいに並んで座る父と神官は、眉間に皺を寄せて目を瞑り、腕を組んでいる。

 なぜ揃いのポーズなのか、流行っているのか、としようもないことが頭を巡る。そして、彼らは質問を受け付けてくれそうにない。


(そういえば、父上は大神官様と呼びかけていなかったか?)


 大神官――女神を奉ずる神殿の頂点に立つ者。

 うちのノエット家は神官の家系だ。先祖代々、女神の坐す神域を守る家だから、歴代の当主も神官だ。跡継ぎの僕も神官となるべく、学院で神学を修めている最中だ。

 そんな神官候補の僕からしたら、大神官様といえば、上司の上司の上司の……残念ながら僕は記憶力がやや雑なので、どれくらい上の階層なのかは存じ上げないが、まあとにかくとても偉い身分だ。


 その姿を見る限り、偉そうな感じはしないけれども。

 父より少しばかり年上に見え、茫洋とした雰囲気の方だ。眉間に皺を寄せているけど、父ほどの苦渋は発していない。

 祭典での遠目にも仰々しい大神官服ではなく、平神官が着るような簡素な服をまとっているので、余計にぼんやりして見える。


(あ――…)


 けれど、神官服の隙間からちらりと見えた首飾りは何連にも重なっていて、大神官様かどうかは分からないけど、すごく高位の神官様であることは察せられた。


 そして部屋着の僕。


(いや、本当にどういう状況なの、これ?)


 馬車は走り続ける。




   ***




 そして、馬車から降りた僕の目の前には、禍々しい黒炎が立ち上っていた。

 炎のように揺らめいているけど、熱くはない。逆に背筋が凍るような寒気をもよおす。


 三ヶ月程前、突如として黒炎はこの場所に湧いた。

 そこにいる全てのモノを呑み込んで。全ての生命を呑み込んで。

 地方に伝手のある人々は王都から避難した。僕もその一人だ。


 こういう禍々しいモノは世界中に点在するけれども、さすがに一国の首都にあるのは困るということで、神殿が総出を挙げて供物を捧げ、女神様に祈った。


 何とかしてくれ、と。


 そして、何とかなる目処が立ったということで、僕は王都に戻ってきた。


 僕たちが馬車から降り立つとすぐに、神殿騎士たちは散り、誰も立ち入らせないように周囲を固めた。

 黒炎の傍にいるのは、僕たち四人だけになった。


「御使様」


 なぜか神官様がうやうやしく異母妹に頭を下げた。父もそれに倣う。


「よろしくお願い申し上げます」

「うん」


 異母妹は淡々と応え、懐から小さな瓶を取り出し、栓を抜いた。

 すると、黒炎が音もなくするすると瓶に吸い込まれていった。

 街の一区画いっぱいに広がっていた巨大な炎は、みるみるうちに小さな瓶に収まっていき、やがて異母妹が栓を閉めたかと思えば、きれいに目の前から消え去っていた。

 後には何もない。

 ただ、半球状にえぐれた地面が見えるのみ。


「はい、終わり」

「ありがとうございます」


 何事もなかったかのように言う異母妹に対し、神官様と父は土下座せんばかりに頭を下げた。

 視界の端に、神殿騎士たちが跪いているのが見える。


 そんな中ただ一人、僕は突っ立ったまま、唖然として異母妹を見ていた。

 いや、こいつ、妹じゃないよね?

 というか、人間じゃないよね?




   ***




 東の空が白み始めた頃、邸に戻った僕は父と異母妹――じゃなくて御使様から、神殿の上層部とノエット家代々の当主のみが知ってよい話を聞いていた。


「女神様は霊薬を作っておられて」


 御使様は淡々と語る。


 代替わりされて間もない女神様は、まだまだ手際のよろしくないところがあり、霊薬を作っている最中に材料の飛沫が少しばかり下界に飛んでしまった。

 その飛沫の一つが王都に落ち、黒炎となった。

 数滴の飛沫くらいどうでもよいかと気にしていなかったのだが、何やら人間たちがきゃあきゃあ喚いていることから、どうやら人間たちにとってはどうでもいいことではなかったらしいと何となく察したらしい。

 女神様はまだまだ若くてつたないところはあるものの心優しいので、側仕えを下界にさし向けた。

 だが、神域の方々にとっては、下界に飛んだ小さな小さな一滴の飛沫を探すのは大変困難で手間のかかることだった。

 人間と同程度に感覚を下げないと、どうにも見つけづらい。


 そこで我がノエット家が出てくる。


 ノエット家初代様は千年の昔、女神様の側仕え――御使様と約定を交わし、何かあった時には御使様に人間としての依り代を提供することとなった。


 それが当主の庶子――アリシェ・ディ・ノエットという身分である。


 人間たちが『ノエット家当主の庶子』という認識を持つことにより、御使様がかろうじて人間と同程度の感覚を持つ依り代となるそうな。


「この当主の庶子設定どうにかなりませんか!? 家庭崩壊の危機なんですけど!?」


 ここまでは大人の態度を何とか保っていた父が、とうとう目を血走らせて懇願した。

 異母妹――じゃなくて、御使様は軽く首をかしげた後、


「無理。そういう約定だから」


 どうでもよさそうに言ってのけた。


「初代様は何を考えてこういう契約をしたんだぁ!?」

「いろいろあって、流れで何となくこんな感じの約定になった」

「説明が欲しいんじゃないんですぅ!」


 いつも穏やかな父が髪を振り乱して絶叫している。

 常とは違うその姿に驚くが、うん父よ、気持ちは分かる。


 王都に湧いた災厄が片づいた今、父と僕の心は家庭問題に苛まれている。

 そう、この約定は、神殿の上層部とノエット家当主とその継嗣しか知ることを許されていないのだ。それも約定の内で、仮に他の人に語ったとしても、他の人はそれを認識できない。


 かといって、約定の破棄もできない。

 代替わりして間もなく、手際が悪くて(人間観点で)いろいろやらかして下さる女神様だが、少なくとも代替わりして二千年は経っているらしい。――僕の生きている間に、というか人類が存在している間に、女神様の手際が良くなるとはとても思えなかった。

 ノエット家という繋ぎがあるからこそ、神殿総出の祈りに応えていただけたのである。供物の準備で国庫がほぼ空になったそうだが……


 つまりはノエット家はこれからも、代々律儀に必ず庶子がいる家という悪評を負い続けるということだ。

 父も。僕も。


 ちなみに、父は今回のことがあるまで、この約定を知らなかったらしい。

 幼い頃に『異母姉アリシェ』に会ったことがあるそうだが、約定を知らなかったため、母に裏切らないと熱い約束ができたそうだ。憐れ。


「では、私はそろそろ帰る」


 説明を終えた御使様は、椅子から立ち上がった。


「神域までお送りいたします」

「必要ない。あんな小さな雫と違って、神域の位置ははっきり見えるから。――ではまた」


 御使様は片手を上げ淡々と挨拶をすると、ふっと消えた。


「……二度と来ないでくれーーーッ!」


 うん、父よ。

 僕もそれには同感だよ。


 御使様が立ち去った後には、大きな傷跡が残る王都と、家庭問題に悩む煤けた父と僕がいた。

 朝日が目にしみる。



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