じゃがいものスープ
大通りの、とある路地裏。古いビルの自動ドアに、ハルトは端末をかざした。”ピッ”という音とともに自動ドアが開いた。
暗いエントランス。開かれたエレベーターに乗る。
長いエレベーターを降りると、木漏れ日が差し込む森の中。人が一人歩けるくらいの細い一本道を二人は歩いた。
森を抜けると、真っ白い空の下。森に囲まれた広い敷地と、遠くに一軒家が見えた。
ひめるの家は、地下にある。ひめるは見えてきた家に向かって走り出した。
「パパ早くー!」
「まだあんまり無理するなよー。熱下がってないんだろー」
ひめるの後ろから聞こえるハルトの声は走るほどだんだん遠くなった。息を切らしてはく白い息と、頬にあたる冷たい空気がなんだか心地よかった。
地下には、”空”と呼ばれる天井があり、そこには太陽も月も星も立体に映し出される。空の色や、体感として感じる気温や湿度、雨や雪も、天候を管理している人が、外の天気や時間軸に揃えている。
植物や生き物も生息している。ここはもともと地下植物園として計画が進んでいた場所だったとハルトに教わったことがあった。
“ガチャ”
「ただいまー」
ドアを開けると、トールと茶色の毛の猫、――トリが玄関で出迎えた。
「おかえりなさい」
執事服を着た黒髪の男の人は、ひめるの家の執事、――トール。
家の中は、焼いた魚の匂いがした。ひめるは、階段を駆け上がり、パパの寝室へ向かう。トリもひめるの後をついて行った。
「暖かーい。ただいまトール」
少ししてから、ハルトも中へ入った。
「お帰りなさい、ハルト」
「いやー。今日は寒くてねー」
トールはハルトのコートとカバンを受け取ると、ハルトが見かけない帽子を被っていることに気が付いた。
「お揃い、ですか?」
ハルトはすぐ、トールが赤いニット帽のことを言っているのだと分かった。
「これか。お前の分もあるぞ」
トールが預かったハルトのカバンには、ブランドタグのついた白いニット帽が入っていた。呆れたように、でも少し照れくさそうにトールは笑った。
「全く。ありがとうございます」
ハルトの寝室のドアを開けると、電気もつけないまま部屋に入った。
「ただいま、ママ」
ひめるは、女性が写った写真に手を合わせた。
「ママ。今日ね、いいことがあったんだ。僕、研究をすることにしたよ。それでね、新しい星に」
「おーい、ご飯にするぞー」
階段の下からハルトがひめるをよんだ。
「あ、はーい」
部屋から返事をした。
「続きはまた今度言うね。ママ」
ママの写真。隣には数冊の本と、液体が半分ほど入った茶色の瓶があった。
外は、夜の景色の中でしんしんと雪が降っていた。
木製のテーブルには、二人分と一匹分の食事が並んだ。ひめるとハルトは、合掌して挨拶をした。
「「いただきます」」
スプーンが食器にあたる音。トールがキッチンの片付けをしている音。口に運んだスープは、じゃがいもの味がした。トリは豪快に魚にかぶりついていた。
「今日はじゃがいもが取れましたので、スープにしました。街の方にいただいたお魚は、ムニエルにしてみました」
「街へ降りていたのか。何か変わった様子はなかったか」
ハルトは、パンをかじった。
「おかげさまで。みんな生き生きと暮らしております。明日は、花祭りが催されるみたいですよ」
ひめるは、ムニエルに骨が入っていないか念入りに探りながら二人の話を聞いていた。
「花祭りか。しばらく行ってないな」
パンを頬張ったハルトは、壁にかけられたカレンダーを見つめ、めくったり戻したりした。
「うーん。俺は厳しいなー」
ハルトはひめるを見たあと、トールに言った。
「すまん。連れて行ってやってくれないか」
「私は問題ないですが、いいのですか。ひめるはまだ、生まれてすぐ頃の一回しか、街へ降りたことがありませんが」
「まだ正直わからないが、何かあったらお前がなんとかしてくれ」
「かしこまりました」
ハルトは、ひめるの口元についたスープを拭き取った。
ムニエルに骨は入っていなかった。
「「ごちそうさまでした」」
トリは、テーブルの上で幸せそうに眠っていた。
「いやー、んまかった。あ、トール。今日の分、俺のポケットに入ってる。あ、あと。後でお願いがあるー」
「わかりました。後ほど確認しておきます」
トールは、ハルトに暖かい緑茶を入れ、ひめるにコップ一杯の水と、錠剤を二つ置いた。
その夜、ひめるはトリに研究すると決めたことを話し、ハルトはトールにマッサージをしてもらった。
お母さんが作るシチューが今でも一番好きです。