こんな幼気な子供を犠牲にするのか
「マカディオス、どうして怒られているかわかるか?」
シボッツに両手をつかまれながらマカディオスは跪いてうなだれていた。それにしてもお説教の時にどうして怒られているかを聞いてくるなんて、あまりセンスを感じない。などと不遜な気持ちを抱きつつ、マカディオスは答える。
「あー……。軽々しく『アンタに死んでもらう』とかいったから?」
「それもあるが、俺は別の注意も伝えたい」
もったいつけて何を伝えようというのか。
「重大な誤解をまねかせる台詞は危険だ」
例えば誰かの窮地を救えなかった時に罪悪感から、自分が殺したようなものだ……。なんてことは口が裂けてもいってはいけない、とシボッツは切々と説き伏せた。
「無意味な争いの火種になるだけだ。古今東西、そういった悲劇は絶えない」
「あるあるー、わかるー」
「え、そんな格好つけて話す人なんてめったにいないような……」
ウィッテンペンとトムの反応には温度差があるが、マカディオスはとりあえず注意の内容を理解した。
「誤解が生じないように説明し直してみろ」
「やってみるぜ」
マカディオスはわざわざトムの両肩をつかむところからやり直す。
「おう、聞いてくれ。俺のアイディアはこうだ。アンタの追手に、アンタはもう死んじゃったって誤解させるんだ。いくらしつこいヤツらでもあの世まで追い詰める気概はねぇだろうよ」
灰毛の大瘤グマの話がヒントになった。村人達の恐怖心はだいぶ薄れたようだが、伝承自体はまだ語り継がれている。
「一芝居打つんだ。トムは猛獣に食べられちまったってな」
猛獣が里に繰り出して人間や家畜に被害を与えたのならともかく、不用意に森に入った人間を襲ったのであれば、わざわざ危険を冒してまで森の大瘤グマを退治しようと乗り込んでくる者はまずいない。ウィッテンペンの暮らしが荒らされることもないだろう。
「俺の敵討ちに名乗りを上げるヤツなんていないだろうしな」
怒りと自嘲のまじった乾いた声でトムが唇の端を上げた。
「追手を上手く騙せるかが課題ではあるけど、そのやり方なら誰かの命を奪わずに事態を収束させられそうだね。ほら、シボッツ。マカくん、ちゃんといえたよー」
皆の前でお説教した分しっかり褒めてあげたら、というつもりでうながしたウィッテンペンだったが……。
「んんっ! すぐに反省し改善し実行するなんて、素晴らしすぎるぞマカディオス! 最高! 天才! はぁ、可愛い可愛い!!」
いつもどおりのシボッツの態度だ。頭をなでたり頬をもちょもちょ挟んでくるのもいつもどおり。小さい頃から続く、ごく当たり前のこと。最近少し褒められる機会が減って寂しかったところだ。
以前は些細なことで絶賛されたものだった。スプーンを持てたとか、一人で着替えができたとか、ボールを蹴って遊んだだとか。今ではその程度では喜んでくれない。
(喜ぶハードルが日に日に高くなっていってるな。贅沢で困るぜ)
マカディオスは過去を振り返りつつ平然としていたが、トムは明らかにシラーッとした目をしていたし、ウィッテンペンも笑顔のままで若干引いていた。
二人の視線に気づいてシボッツが真顔に戻る。神経質で気難しそうなあの顔だ。
「……忘れろ。さて、話を戻すぞ」
マカディオスの案を成功に導くべく、大人達が具体的な行動を詰めていく。
「本物の大瘤グマと交渉するか?」
「先生と違って流暢におしゃべりできるわけじゃないから、細かい部分の説明を理解してもらえないかも」
というわけで大瘤グマとトムの共演は断念。
「ではあの毛皮を利用するとしよう。ウィッテンペンの戦利品の」
「毛皮を材料に生きたクマと見間違うほどのハリボテを作るのか? 興味を引かれる仕事ではあるが納得がいくものを完成させるには時間がかかってしまう」
ぐずぐずしていたら追手が森に踏み入ってくるだろう。準備が間に合わない。
「うぅ、どうすれば……。こうなったら、わ、私が魔法でなんとかしてみるよ! クマの幻影を動かすか、毛皮をもとに本物っぽいクマを作り出せば良いんでしょ?」
「おおー。作戦が終わったら魔法で色々見せてほしい!」
「決まりだな。その手でいこう。他に考えるべきことは……」
「ありがとうございます。貴女には何から何まで世話になりっぱなしだ」
皆から頼りにされたウィッテンペンは気まずそうな泣き笑いの表情であたふたと手をばたつかせる。
「ああーっ、でも上手くいくか全然自信なくて! 私の得意分野は肉体と精神の変容およびその応用だから、他に手段がないならやるしかない的な意気込みで……。すみません、ちょっと練習させてください」
急に冷静になったウィッテンペンはおもむろに椅子から立ち上がり、ドアを開けて出ていった。大釜の前に立ち深呼吸。こわばった顔で魔法の素材を放り込み、恐る恐るといった手つきで中身をかき混ぜると……。
爆発。
鮮烈な緑の発光。
大鍋方面から押し寄せる衝撃波。
どこか長閑な風情を醸し出す炸裂音。
部屋中に煙が充満し、立ち込めた白い揺らぎの中にチラチラとファンシーなクマの影が見えたような見えないような。
「オレでもわかるぞ。こりゃダメだな」
唯一爆風にビクともしなかったマカディオスが、目を回して床に伸びたウィッテンペンを助け起こしながらつぶやく。
不幸なトムは顔をぶつけて鼻血をたらりたらりと流していた。
軽くて小さなシボッツは部屋の壁際まで吹き飛ばされ、かぶさってきた大瘤グマの毛皮の下で哀れにもがく。
相談は仕切り直し。
「オレがこの毛皮をかぶったら、少しは本物らしく見えやしねぇか?」
「全然見えない。そんなことはダメだ。許可できない。変装しているとはいえ、危険な連中の前に姿をさらすことになるんだぞ」
シボッツが怒涛の勢いで反対を示す。
「そのままかぶっただけなら粗が多いけど、細かい部分に手を加えれば遠目にはそれらしく見えるかもしれないな」
「おい! 自分が助かりたいからって、こんな幼気な子供を犠牲にするつもりか!」
トムはわめきたてるシボッツを眺めた後、陽気に手を振るマカディオスを見た。
「どう見ても彼がこの部屋で一番たくましいけれど」
嬉しくなったマカディオスは自慢の上腕二頭筋を満面の笑みで見せつけた。
「ウィッテン! この卑劣な外道を説得してくれ!」
「いいね! 肉体を変化させる術なら大得意だよー!」
自分が作戦の要となり意気揚々のマカディオスの横で、シボッツは頭を抱えていた。
作戦内容が決まった。これでヴォルパーティンガーにも仕事を依頼することができる。
「報酬は俺が出そう。成功報酬だが、特上のステーキでもリンゴをくわえた豚の丸焼きでもクジャクの蒸しものでもなんでも望みの肉料理を提供しよう。どうかマカディオスに危険がないよう、守っていただきたい」
前足で耳を整えた後、やたらと渋い声で返事があった。
「勇敢な坊主の面倒は俺が見てやろう。クロツグミの心臓をナナカマドの串に刺し連ねて炎で炙ってくれ。味付けはタレ……いや、やっぱり塩で」
「契約は結ばれた。塩……、塩だな、これ以降の変更は受け付けないぞ」
満足そうに頷きながらもシボッツはクロツグミの小さな心臓に上手く串が打てるだろうかと心配していた。
「ウサギがしゃべった……」
トムが目を見開き、ポカンと開きそうな口を両手の指で隠す。
「野太い声なのに胸がキュンってしてしまう……」