伝説は風化しても
「力尽くでどうこうできる問題には思えないけどね。それとも、すべての『教導者』を根絶やしにでもしてくれるのかい?」
「はーん。ずいぶんと大ごとなんだな」
トムを取り巻く状況はマカディオスが思っているよりも深刻そうだ。相手をぶん投げてこらしめればそれで終わり、とはいかないらしい。
「『正答の教導者』は大きな組織だ。特別感あふれる神秘的な美少女に泣きつかれて頼まれたのならともかく、こんなさえないおじさんのために敵に回すような団体じゃない」
マカディオスは大胸筋をムキリと目立たせた後、首を傾げた。
「そういうもんかよ? 美少女だろうかおじさんだろうが困ってるならオレが助けになるぜ」
トムはどこにでもいそうな男性だ。表情や角度によっては若者にも中年にも見え、特に美しくも醜くもない地味ですっきりとした顔立ちだ。彼を見ても、その外見からなんの深い感想も浮かんでこない。パッと見た時の第一印象をハッキリと言い表すのさえ難しい。さえないというより存在自体がぼやけた感じ。
「マカディオス」
目覚めたばかりといったありさまのシボッツが部屋に入ってくる。スミレ色を帯びたほの白いふわふわの髪が少しもつれていた。
「……ソイツと何を話してたんだ?」
「この人はトムだ。美少女とおじさんについて話したぜ」
「……はぁ」
シボッツの小さな肩から緊張がふーっと抜けていくのがわかった。マカディオスはもっと詳しく説明してあげようと思ったが、うんざりした様子で手を向けられてさえぎられる。
「もう充分だ。ありがとう」
それからいかにも意地の悪い顔でトムへと向き直った。
「ふん、意識がハッキリしたようだな。それじゃ俺ともお話をしてもらおうか」
ベッドで半身を起こしたトムに見下ろされながら話すのが気に入らないのか、シボッツは椅子を運んできて偉そうに座る。それでもまだシボッツの方が目線が低い。
「……」
ついに椅子の上に立つ。腕を組んで自分を少しでも強そうに見せかけている。
「わぁ」
そんなことして良いの? とマカディオスはあんぐり開いた口を手で覆った。もし自分がそんなことをすればシボッツは危ないだとか行儀が悪いとか叱るくせに。
トムもただ黙ってはいなかった。
「このちっぽけな妖精は、ケガをしたただの人間と話すのがそんなに恐ろしいのか? 振る舞いまで小物らしい」
部屋の空気がピリつく。
「ねー! 誰かドアを開けてー!」
ドアの向こうから声がする。マカディオスは立ち上がってウィッテンペンを部屋に入れてあげた。彼女の両手はトレーで塞がっていた。四人分のハーブティーが妖しげで美しいカップの中で湯気と香りを立ち昇らせる。
「ありがと、マカくん! ……何してんの、シボッツ、降りなよ」
多少ギスギスした雰囲気は残ったものの、ウィッテンペンとお茶のおかげで空気が変わった。今後トムをどうするか。お茶を飲みながら意見を出し合う。
「……大人が話をするからマカディオスは出て行きなさい」
「嫌だね。シボッツがトムに意地悪をしねぇか見張ってるぜ」
そしてシボッツが根っからの嫌なヤツだとトムに思われないように。マカディオスにはすごく優しいのに、なんで他の人にはトゲトゲした態度をとることが多いのか。不思議でならない。
マカディオスは心地良さそうな灰色のラグの上に座って皆の会話を見守った。
「危険がすぐそこまで迫ってるわけじゃないから安心してね。でも長期的な見通しになると……無責任なことはいえないかな。隠蔽の魔法の材料にも限りがあるし」
トムが首を下げる。まだ傷の痛むケガ人が治療への感謝をしたようにも、話を聞いて控えめに頷いたようにも、静かな絶望に項垂れたようにも見えた。
「森の外に叩き出せば話が早い。そもそもこの男がどういうわけで追われていたのか、聞き出さなくて良いのか? 助けてやろうって気も起きないことをして逃げてるのだとしたら?」
トムが話しやすいよう、ウィッテンペンがほがらかにうながす。
「この頑固者を説得してあげて?」
「……アイツらが人を追い詰める理由なんて決まってるだろ。くだらない理由だ。与えられた物語に叛こうとした俺を村の連中は正しく教導してもらおうとしたのさ」
シボッツでさえも皮肉っぽく茶化すことはせず、静かにトムの話を聞いている。
正しく教え導くことの何が問題なのか、マカディオスにはピンとこなかった。例えばシボッツはスプーンとフォークの使い方やパンはちぎって食べることを教えてくれた。ウィッテンペンと角ウサギ先生の授業も面白かった。城にいる竜のイフィディアナは勉強みたいに何かを教えることはあまりしないが、自分自身の振る舞いでマカディオスに生き方や考え方を示している気がする。
しかし、たしか村人たちはトムを『正答の教導者』に引き渡すために閉じ込めたそうではないか。逃げるトムにケガを負わせてまで追い詰めた。そういう強引さで無理やり何かを教えようとするのは良くないんじゃないかとマカディオスも一人でうんうんと頷き結論を出す。
「俺は村の一員でありながら除け者でもあったんだ。そういう物語を受け持っていたから」
一番上の兄は大工の仕事。家の柱になるような、巨大な樹木も彼のもの。
二番目の兄は家具職人。タンスやテーブル作るため、大きな板は彼のもの。
三番目の兄は雑貨を手掛ける。スプーンやお椀を削り出す。扱う木材、小さいけれどキレイで上等。
トムは末っ子四番目。除け者トムが使って良いのは、誰もほしがらない木切れだけ。
「それでオモチャみたいな細工物を作って、遠くの市場に売りにいったりしてたんだ」
爪はじきにされて小バカにされて軽んじられる。それがトムが果たすべき役割。そういう風に決められたから。
「でも結局物語に意味なんてないってわかっただろ? もうこんな扱いはうんざりだった。俺は正式な村の仲間として認めてもらいに村長の家に話にいったんだ。職人の腕前を示そうと思って、渾身の力作まで持っていってさ」
兄達が見向きもしなかった木の材料をコツコツ集めて選りすぐり、トムが完成させたのはドールハウス。華やかな家の中には立派な家具も上品な食器もそろっている。可愛らしくて精巧な出来栄えだ。
他の職人がトムの作品を見ればその技術力に敬意を示したことだろう。けれど村長は嘲るように鼻で笑った。
こんな小さな家にとても人間は住めやしない。
あのタンスを見ろ。ワシのパンツ一枚だって入りやしない。
爪楊枝の代わりにもならないゴミを作って、いったい何を自慢したいんだ?
お前が努力してなろうとしている存在は、我が村にとって役には立たないものなんだ。
今のままでいておくれ。その方がずっと利用価値がある。お前みたいな除け者がいると村をまとめるのがはかどるんでな。
私の物語を紡ぐ礎になってもらいたい。慕われる村長というこの役目に私は誇りを持っているんだよ。
「それなら村を出てくと啖呵をきったら、控えていた数人の村人が俺の腕をつかんだ」
シボッツの深い溜息。
「そうか。そんな経緯があった者を見殺しにするのは俺としてもツライが、積極的に手を貸すのはこちらも色々と厳しいんだ」
「危なくないよう見計らってこっそり逃がすっていうのなら……? あぁ、やっぱりなし!」
ウィッテンペンは出しかけた案をすぐに撤回。
こっそり完璧に逃がすと、まだトムが森にいると思った追手が探しにくる。森から出たとわかるようにトムを逃がせば、痕跡をたどる犬にやがて追いつかれてしまうだろう。
「面と向かって『教導者』と敵対するのも怖いぃ……。面倒事を避けたくて、私はこの森を選んだのにー」
『教導者』の単語が出た時、シボッツは素早く視線をウィッテンペンに向け、それからマカディオスの反応をうかがった。特に興味を示さず平然とした様子のマカディオスにシボッツは警戒を解く。もうすでにトムから説明された言葉だったので、今さら興味も持たなかったのだが。
ウィッテンペンが暮らすこの森は、獰猛な大瘤グマもたくさん住んでいる。獣に食べられ命を失う危険があるこの森にわざわざ好き好んで入り込む人間はまずいない。薪や木の実がほしければもっと安全な選択肢がある。木が生えているのは何もこの森だけではない。
トムが命からがらこの森に逃げ込んだのも、追手が躊躇するのを期待して一か八かの賭けに出たのだ。
特にウィッテンペンがこの地に住み着いた頃の森は凄まじかった。人や家畜を好んで襲う一頭の大瘤グマが森を拠点に周辺の村々を荒らし回っていたものだ。他のクマよりもずっと巨大で、残忍な悪知恵に長け、色の薄い灰色の毛並みを月光の下で輝かせるクマが。灰色の暴君は人間だけでなく他の大瘤グマもを脅かしていた。まだ母グマの後を無邪気について回るような幼い子グマが多く犠牲になった。
「だいぶ昔のことだから村人たちの恐怖心も風化しているかもね」
「今でも村にその話は伝わってるけど、誇張された昔話って認識だなぁ。動物は大好きだけど猛獣は怖いよ」
マカディオスは自分が腰を下ろしているカーペットをじっと見た。もしかしてこれはクマの毛皮ではないだろうか。
「ウィッティ、その特別凶暴な大瘤グマってのは……」
「伝説は風化してもラグとしては現役だよ」
猛獣との激闘。縄張り争いと生存競争の勝者に輝いたのはウィッテンペンだった。
伝説になるくらいの恐ろしいクマを敷物に変えた彼女でも『正答の教導者』と敵対するのを避けている。トムも力尽くではどうにもならないと諦めていた。
(世の中ってのは本当にややこしい!)
それでも一つアイディアを思いついた。
トムがこれ以上追跡されず。
ウィッテンペンが捜索隊に悩まされることもなく。
『正答の教導者』と敵対しないでも済む方法が。
「なぁ、聞いてくれよ。解決策を思いついたんだ」
がっしりと大きな手がトムの両肩をつかむ。
「アンタに死んでもらうってのはどうだ?」