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怖いもの、山のかなたに行っちまえ

 ウィッテンペンがベッドに入ったのはついさっきのことだった。突然のケガ人の治療。その後は化膿止めや炎症を抑える薬をせっせと作っていた。呪術師が住む森の家には煮込まれた薬草の香りが満ちてふわりふわりと漂っている。

 気持ちよく閉じかけた目蓋は焦ったノックの音でこじ開けられた。

 嫌な予感に不満もいわずに飛び起きる。シボッツが看病していたケガ人の容態が急変でもしたのか。それとも、マカディオス関連で何か異常事態だろうか。寝間着の上からさっとカーディガンを羽織ってドアを開けた。

 予想どおりそこにはシボッツがいた。もともと生命力の弱そうな血色をいっそう薄くした顔で。

「あの男は『正答の教導者』に追われてる」

 蒼白の顔のシボッツが告げた言葉は、ウィッテンペンが予想もしないものだった。

「ほぇう……」

 間抜けで奇妙な鳴き声を響かせ数秒の沈黙。それから一転、冷静で凛とした顔でウィッテンペンはテキパキと動き出した。

 大釜の中に魔法の素材を次々に放り込んでいく。葉に似た姿のコノハムシ、枝に扮するナナフシに、樹皮に紛れるキノカワガ。吹き上がる炎も煙も怪しげな緑の輝きを帯びていた。家全体に隠蔽の魔法をかける。厄介な相手に見つかることがないように。

 呪術を制御する集中力は切らさず、シボッツに声をかける。

「シーちゃん、貯蔵庫入って右手の棚に置いてある大きな生ハムを持ってきて」

「生ハムだと? いったいどんな魔法に使うんだ?」

「ウサギ先生に仕事を頼むんだよ。さ、急いで」

 生ハムの塊という高報酬と引き換えに、騒動に巻き込まれたヴォルパーティンガーも快く力を貸してくれた。翼と角持つ肉食ウサギが夜の森の探索に向かう。

「それじゃおやすみなさーい。良い夢をー」

 ウィッテンペンは目をこすり自分の部屋に引っ込もうとする。もう夜も更けているが、今から寝れば少しは体と頭を休めることができるだろう。

「えっ、寝るのか? 近くに『教導者』が来てるかもしれないのに」

 ずいぶんと呑気というか豪胆というか……。とシボッツは口の中でつぶやいた。

 片手をドアノブにかけ、あくび混じりにウィッテンペンが振り返る。

「打てる手は打ったよ」

「まだあるぞ。あの人間を問答無用で叩き起こして、追手の詳細を聞き出すとかな。少々強引な方法になるがそこは致し方ない。情報が必要なんだ。ケガ人だろうとなんだろうと、なんとしてもしゃべってもらう」

 シボッツが得意げに名案を披露すると、ウィッテンペンが氷を思わせる視線を向けてきた。

「私が手当てした人にどんな仕打ちをするつもり?」

「……いや、もちろん冗談だ」

「寝ずにずーっと警戒してるわけにもいかないんだから。頭と体を休めた方が良いよ。シーちゃんも寝ちゃえば?」

「いや。万が一に備えて起きている」

「監視の気は済んだんじゃないの? まぁ、いいや。あまり根を詰めすぎないようにねー」

 睡眠で疲れをとった方が良いという意見もわかるが、問題事が起きているのに眠れるほどシボッツは肝が据わってはいなかった。たいして役に立たなくても、夜通し起きて怯えているのが自分に似合う気がした。

「……」

 あまり意味のない寝ずの番に戻る前に、シボッツはマカディオスのもとに顔を出す。案の定、駆け布団が蹴り落とされていたのでそれを巨体にふわりとかけ直す。

 この筋肉質な巨漢を見て可愛いと思う者は少ないだろうが、シボッツはその貴重な少数派に属していた。彼にとってマカディオスは、尋常でないほど元気のありあまった幼い子供だ。血のつながりこそないけれど深い縁と絆があると信じているし、マカディオスの実母よりもかいがいしく世話をしているという自負がある。

「……お前の幸せと無事をただ祈っている」

 マカディオスの腕輪にそっと指先で触れて、ヒビがないかを確認した。

「何か怖いのか、シボッツ」

 ビクッと手が跳ねた。寝ていると思っていたマカディオスは目を覚ましていた。


 そばにいるシボッツは不安そうだ。神経質なのはいつものことだが、今はいっそう周囲を警戒している。家の外で風か獣が物音を立てると小さな肩がビクリと跳ね上がった。

「……なんでもない」

 その答えは予想済みだ。何か起きた時、大人はあまり事情を話してはくれない。特にシボッツは。

 それがマカディオスには少し不満で寂しい。

 こんなにも何かを恐れているのに自分はまったく頼りにされていない。蚊帳の外。物の数に入らない。

 思い切ってこういった。自分は味方なのだと伝えたい。

「お前を怖がらせてるものを全部どっか遠くにぶん投げてやろうか?」

 返ってきたのは疲れた苦笑。

「お前は眠ると良い」

 小さな手がマカディオスの顔に伸びてきた。そんなに脆く華奢な手ではとうてい覆い隠すことなんてできはしないのに、マカディオスの両目を閉ざそうとする。シボッツの体温はいつだって命の火が消えかかった小鳥みたいに低い。ひんやりと冷たいその手が、実のところマカディオスはそんなに嫌いではなかった。




 朝、周囲の様子を調べてきたヴォルパーティンガーが戻ってきた。

「お疲れさま。どうだった?」

 いつもの黒いドレス姿のウィッテンペンが肉食ウサギを抱き上げる。

「この森によその人間が潜んでる様子はないぞ。だがまったく気を抜いてもいられん」

 森の奥までは侵入してこなかったようだが、浅い部分に犬と人間の臭いがあった。そしてあのケガをした男性の臭いも森の中に残っている。と報告する。

「うーん、当分雨が降る見込みもないし……」

 ウィッテンペンが困り顔で思案する。雨を降らせるなど天候を操るのは、魔法で干渉する範囲が広すぎて難しい。得意分野ではない。

「マカくんに頼むのも、あの心配性の保護者が絶対許さないだろうしなぁ」

「ウィッティ、オレに頼み事か?」

「ごひゃぁああっ!?」

 驚いたウィッテンペンの腕からヴォルパーティンガーが逃げ出した。

「お、おはよぉお……。早起きだね」

 うろたえながらマカディオスの気をそらそうとする。ウィッテンペンにとってシボッツは親しい友達ではあるが、その分欠点も承知している。気に入った者には優しいが、癪にさわった相手には陰湿な対応をする。彼の大事な守り子に余計なことをしゃべったら、それはそれは長い嫌味を聞かされることになるだろう。

「朝ご飯! 起きたら朝ご飯食べないとね! 頼みっていうのは、これをケガした人に渡してほしいなって! そう! そういうことなの! いっしょに食べてきたら良いんじゃないかな!」

 ライ麦パン。乱雑に切り分けられたチーズ。丸ごとのリンゴ。

 調理の手間がいらない簡単な朝食だ。少しボリュームが物足りないがメニュー自体に不満はない。それ以前に、ふるまわれた食事にケチをつけるのは無作法だと教わった。

「おう。わかったぜ」

 滞在先では家主のいうことをよくきくように、ともいわれている。


「おーい、食事を持ってきたぞ」

 右手で一つのトレイを持ち、肩と同じ高さに上げた上腕二頭筋でもう一つのトレイを保持。空いた左手でドアを開けた。

 ケガ人は上半身を起こしてベッドで休んでいた。まだ傷が痛そうだが、この様子ならだんだん元気を取り戻していくだろう。

「おっ……きいね。君は人間?」

「さぁな。しらねぇ」

 ベッドサイドの小さなテーブルに朝食のトレイを置こうとして、椅子からずり落ちそうになっているシボッツに気づく。

「ああ。そこの小さいの、寝ちゃったみたいだ」

「こんなにぐっすりなんて珍しいな」

 ここのところシボッツは寝不足のようだった。起こすのもなんだかかわいそうだ。

 マカディオスなら片手で充分持ち上げられる重さだが、両手で慎重に抱きかかえる。ケガ人の部屋を出て、シボッツのために用意されているベッドまでそーっと運んだ。

「待たせたな。飯にしようぜ。オレもここで食べて良いか?」

 落ち着かない表情の男性は断る勇気もないのか曖昧に頷く。

「オレはマカディオス。とても強くて頼もしいマカディオスだ」

 ライ麦パンにチーズを合わせながらまず自分から名乗った。

「ああ。君が森で倒れてた俺を助けてくれたんだってね。君は変わってる。見た目も名前も行動も。そういう善意や幸運に与れるのは、外見の良い美男美女の特権だとばかり思ってた。俺みたいなさえないヤツなんかじゃなくてさ」

 さえない男はため息交じりに名前を明かした。男はトムといった。この辺りの人間ではごくありふれた名だったが、マカディオスには新鮮な響きに聞こえる。

「ここは呪術師の小屋のようだね。君もあの小妖精も、魔女の下僕か何かなのか?」

「ん、いや、別に……」

 トムの勘違いを解こうと説明しようとして、はたと口をつぐんだ。外の者に城の住民のことを話してはならない。どこまでダメなのか、どういう理由で禁じられているのか皆目わからないが、黙っていた方が良いだろう。

 相手にしゃべらせた方がうっかり約束を破らずに済みそうだ。話をうながそうとマカディオスは尋ねた。

「どうしてあんなところに倒れてたんだ?」

「必死の思いで脱出したところに、凶暴な犬をけしかけられたから! 俺を『教導者』に引き渡すって村の最悪な連中に納屋に閉じ込められたんだ」

 マカディオスは犬という言葉をしっている。納屋もわかる。聞き慣れないのは。

「その『教導者』ってのはなんだよ」

 意外そうな顔をしてトムはマカディオスを見つめた。

「しらないって本当か? 『正答の教導者』は君達化け物の天敵じゃないのか?」


 『正答の教導者』は個人ではない。ある集団をさす言葉だ。

 もともと『正答の教導者』は『無貌の作家』が人々に授けた物語の正しい解釈を教えて回る団体だった。

 『無貌の作家』は人前には姿を現さない。

 授けられた物語に記された役目をきちんと果たす人もいれば、物語の意味を読み解けずに困っている人もいた。

 そこで救いの手を差し伸べるのが『正答の教導者』。


「正しい答えに導いてくれるんだとさ」

 忌々しげにトムが笑う。

「そんな『教導者』が偉そうにしていられたのも、三年前の大異変までだった」

 マカディオスは笑顔で首を傾げた。トムと話していると聞き慣れない言葉がたくさん出てくるので楽しい。


 大異変によって、人々はこれまでの自分や世界を大きく揺るがす事実を手にする。

 本当は『無貌の作家』なんて存在しないのだ。

 課せられた物語は無責任に作り出された偽物。

 物語に従えば幸せになれるわけでもなく、世界をより良くできる保証なんてものもなかった。


「ええー。大変じゃねぇか。そんなことがあったのかよ」

 大変だと口にする割に、あまり事態の深刻さがピンときていないマカディオス。

「あったんだ! そして俺はまさに大変なことの最中なんだよ……」

 トムは威勢よく怒った後、急にしおらしくなった。自分の置かれた状況を思い出したのだ。力なくもしょもしょとチーズをかじる。

「……異変の前から『教導者』は偉ぶったいけ好かない連中だったけど、異変後はさらにひどくなった。暴走している、といってもいい。……とても怖い」

 マカディオスはリンゴを噛み砕いてゴクリと呑み込み、ぐぐっとトムに顔を近づけた。

「よし! オレを頼れ! お前の怖いものを全部遠くのかなたにぶん投げてやる!」

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