かくれんぼとおつかい
「隠れ場所だけじゃなく、移動の時も気をつけろ。痕跡を残すな」
それが先生の教えだ。助言自体は参考になったものの、小さく翼で飛べる角ウサギのヴォルパーティンガーとマカディオスではそもそも体の造りが違う。
「オレも飛べたら良かったぜ」
「なんだ? 飛べんのか?」
小さな先生は不思議そうな顔をしてマカディオスの頭の上に降り立った。
「さぁ、坊主。知識を得た後は実践で身につけろ」
「森のかくれんぼだな!」
ポージングを決めて意気込んだのは良いものの、結果はさんざん。
茂みの中はすぐ見つかった。木の上に登ってもダメだった。岩陰程度なんて論外だ。
上手く逃げ隠れするのは難しい。マカディオスの体では潜伏は不利だ。おまけに追跡役のヴォルパーティンガー先生は、狩る側も追われる立場も両方理解している。とても手ごわい相手だ。そういう相手が敵ではなく教官なのは幸運なことだった。
何回も見つけられ、工夫を重ね、ついにここなら大丈夫と思える場所に潜り込めた。
マカディオスは森の王者たる大瘤グマの住処の洞穴にいた。洞穴の先住者を追い出したわけではない。少しの間、お客さんとしてお邪魔させてもらっているだけだ。大瘤グマがそれに納得するまでに、自己紹介の挨拶、木の実のプレゼント、粘り強い説得、レスリングの勝負という過程をへたが。
この方法でマカディオスは午前中いっぱい先生の追跡から逃げ切った。
とんでもない方法かもしれないが、そんな隠れ方はズルだとか潜伏テストの対象外だとかはヴォルパーティンガーは一切言わなかった。
賑やかな昼ご飯。テーブルの上に並ぶのはチーズとキノコの風味が効いたシチュー。タンポポの花を散らしたサラダ。ネトルのハーブティーが入ったポット。
城の食事も楽しいが、ウィッテンペンはほがらかで話していて面白い。イフィディアナともシボッツとも違うタイプの大人だ。
いつもと違う場所で過ごすのも新鮮だし、何かを集中的に学ぶのも特別感があってやる気が出る。
午後の授業はウィッテンペンが先生だ。いくつかの薬草を森の中から採取してくるのが課題である。
「森のおつかいだな!」
「素材は私のところに持ってきて確認させてね。それまで途中で食べたりしちゃダメだよー」
「おう」
マカディオスは意気揚々とおつかいへ。
お腹の不調によく効く実を集め、すりおろして使うと肌の炎症や痒みを抑える根を掘り出す。最後に、止血から風邪予防まで効果の広い万能の薬草を探しに向かう。
古い木々が自然に倒れてできた森の広場。明るい場所を好むとウィッテンペンから習ったとおり、目当ての薬草が群生していた。旺盛な生命力の表れのような萌える緑の中に、痛々しい赤。花でも木の実でもない。血の色だ。
ぐったりとした様子で一人の男性が横たわっていた。右手は薬草の汁で染まり、体中の傷口に塗りたくったようだ。
「おい」
声をかけても反応はない。
目の前で人が倒れている状況は怖かったが、マカディオスは冷静さを失ってはない。前日にウィッテンペンから応急処置の基礎について教わっていたのは最高のタイミングだった。倒れてる人を急に抱き上げたり揺さぶったりしてはいけない。特にマカディオスの怪力では。
注意深く観察すると男性は静かに息をしている。眠っているようだ。
「おい。大丈夫か?」
そばにしゃがみ込み、もう一度呼びかける。
閉ざされた目蓋がピクピク動く。顔をしかめながらもその目が開き、マカディオスの姿を映す。疲れすぎていてビックリする気力もないらしい。
「あぁ……」
ため息ともうめきともつかない声を上げ、また眠りにつこうとする。
「気分よくお昼寝って感じじゃなさそうだな。安全な場所に連れてってやるよ」
おつかいに出かけたマカディオスが思いもしない人物を連れ帰り、大人たちは慌てた。
「何者だ?」
シボッツはあからさまに警戒し。
「マカくん、その人をそこのベッドに」
ウィッテンペンは構わず手当てを引き受け。
「坊主、何も心配することはないぞ。その男の命が無駄になることはないんだからな」
ヴォルパーティンガーは死にかけた人間を食べるチャンスをうかがった。
なんだかんだ言いながら、結局は家の主であるウィッテンペンに皆で協力することになった。
「獣の噛み痕だな。大きさからして、狼か犬だろう」
「森に来て、運悪く動物に襲われちゃったんだね」
「どうだか。服装と持ち物に違和感がある。コイツは木こりにも狩人にも見えない。森暮らしの隠遁者にも」
ケガ人に優しいウィッテンペンとは対照的に、シボッツはかなり強い疑いの目を向けている。
「そもそもこんな傷を負ってマカディオスの前に現れたというのが気に喰わない。……試すためか?」
「心配なのはわかるけど、今は治療が優先でしょ!」
そんなやり取りをじっと見つめるマカディオスに、シボッツが気づいた。あのケガ人が悪党だと決めつけた口ぶりでこう尋ねる。
「マカディオス。アイツから何か言われたりはしなかったか?」
その横をすいと通り過ぎる。そこに誰もいないかのように。
「ウィッティ。手伝うことはあるか?」
意地の悪いやり方だとはわかっていた。しかし、それだけシボッツの態度に腹が立っていたし、寝込んでいる人のいる部屋で大声での口ゲンカもしたくなかった。
背中に恨みがましい視線をひしひしと感じる。
部屋の空気がものすごく重苦しい。
「城の住民である俺との関係を悪化させ、マカディオスを孤立させる……。という巧妙に仕組まれた罠だろうか? どう思う?」
「いや。アンタの墓穴だろうよ」
小声の問いかけをヴォルパーティンガーがあっさりと切り捨てた。
ギスギスしたまま夜を迎える。笑い声も冗談もない静かな夕食の後で、ついにシボッツが歩み寄った。
「マカディオス。俺は反省し心を入れ替えた。傷ついた者への思いやりに欠けていた。……寝ずの看病であの哀れな男を見守ろうと思う」
「おぉー! シボッツ! 大好きだぜ」
素直に喜んだマカディオスはシボッツの小さな体を抱き上げ、両腕で高く掲げる。
シボッツがケガをした人にあんなにトゲトゲしい目つきと言葉を向けるなんて耐えられなかった。時々余計なお世話に感じるが、シボッツはおおむねマカディオスに優しい。他の人にシボッツが嫌なヤツだと誤解されてしまいそうなのが何よりも嫌だった。
「はぁ……。ほどほどにね」
シボッツとの交友関係がそこそこ長いウィッテンペンにはわかっていた。看病ではなく監視が本当の目的だということが。
天井に張り付くヤモリがベッドを密やかに見張っている。硬い木の椅子の上には妖精が腰かける。眠るケガ人を冷ややかに眺めながらシボッツはあることを考えていた。
(どうも奇妙な男だ。存在感が希薄というか……。まるで夢の中の登場人物みたいに曖昧な雰囲気だ)
年齢はだいたい中年と青年の間といったところだろうか。体格は極端に太っても痩せてもいない。背の高さはまぁ普通の範囲内。だいたいシボッツからしたら、たいていの人間の方がずっと大きい。
(人間、で間違いないな。まやかしや変身の術はかけられていない)
患者を診るウィッテンペンに負けず劣らずの注意深さで魔法の痕跡を探る。
(マカディオスの情報がもれているとは思い難いが、アイウェンとイフィディアナを憎む者は多い……。用心に越したことはないだろう)
秘密というものは一度バレてしまえば取り返しがつかないのだから。
「う……」
ベッドに寝かされた男性が身じろぎをする。
シボッツは気配を消し部屋の暗がりに溶け込んだ。
「違う、俺は……やめてくれ」
苦しげに首を振り、誰かに責め立てられているかのようなうわ言を繰り返す。
「『教導者』は嫌だ。……引き渡さないでくれ」
「っ!」
シボッツが慌てて部屋を出る。ウィッテンペンに状況を報せに急ぐ。
ケガ人はシボッツが危惧していたような刺客ではないのかもしれない。しかしどうやらマカディオスは、彼を助けると同時に大きなトラブルの種まで運んできてしまったようだ。
これは厄介なことになったという焦りの中で、自分の善意でウィッテンペンたちに迷惑をかけたとしったらマカディオスは落ち込むだろう、とそんなことも気になった。