本人に話してなかったの?
感じの良いお客さんがくるのは楽しい。ミステリアスな黒い服も親しみの持てる笑顔も、どちらもとびきり似合っているお姉さんはウィッテンペンと名乗った。
「それじゃマカくん、健康のことで何か困り事はないかな?」
「マカディオスの健康状態? なんでも答えられるぞ」
しゃしゃり出ようとしたシボッツをウィッテンペンがあしらう。
「マカくんに聞いてまーす」
バツの悪そうな顔をしつつもシボッツは素直に引き下がった。
「オレはすこぶる元気だぜ」
最高に格好良いポーズと共に宣言する。スケジュールの大部分が遊びと睡眠と食事で占められた毎日の暮らしぶりを伝えると、ウィッテンペンは嬉しそうに頷いてノートに何かの印をつけた。
「いいねー! 普段はどんなことをして遊んでるの?」
「城の外に出かけて、遊び相手を探しにいく。知らない場所に行くのが楽しい」
「活動的なんだねー。お友達とは何をするの?」
大人はなんでもかんでもお友達と一くくりにする。本当に友達だと感じられる気の合うヤツも、たまたまその場にいたってだけのヤツも、ちょっとそりの合わないヤツも、なんだコイツと思ういけ好かないヤツまで、一緒くたにお友達と表現したがる。マカディオスは頭の端でチラッとそんなことを思っていた。
「あー、そうだな。高く放り投げてキャッチしたり、抱えて全速力で走ったりするのが好きだぜ」
そうなんだねとにこやかに相槌を打ちながら、ウィッテンペンの手は素早い動きで何かを書き留めた。
「力の制御は上手くいってるかな? 腕輪が補助をしてくれてるけど、自分の意志で……」
「ウィッテン!」
急にシボッツが大きな声を出したのでマカディオスはびっくりした。いつもは真夜中のネズミのささやきみたいにしゃべるのに。今のは尻尾を踏まれたネズミの絶叫ぐらいのボリュームは出ていた。
「ええ? 何? ……んん? もしかして、本人に話してなかったの?」
「……別室で話そう」
「あちゃ……、やらかした。ごめん」
二人に続いて当然の顔で自分もドアを出ようとすると、シボッツに止められた。
「マカディオス。お前はこの部屋で待機だ」
「おいおい。オレを一人にして良いのか? ソイツは危険だ。オレは勝手にスゴロクを進めるかもしれないんだぜ?」
精いっぱい悪ぶった脅し文句を考えてマカディオスはすごんでみせた。お客さんが来たのに一人にされるなんてあんまりだ。
「そこの本棚の本は自由に見て良い」
シボッツは放置されたスゴロク盤に一瞥をくれると、肩をすくめ小さな本棚を指さす。部屋には他にも本棚はあるがこの本棚は小さくて、てっぺんには数字のブロックやカードの箱が乗せられている。置き場も区別されている。他の本棚は部屋の奥の壁際なのに、小さい本棚だけは部屋の入口近く。
ドアが閉まる。二人の足音が遠ざかる。
「わぁ、信じられねぇ。本当にオレを置いてったぞ」
マカディオスは置き去りにされたスゴロクをしばらく眺めた後、ダイスを振った。出目は6。大きく進んだが止まったマスは振り出しに戻る。
虚しい。
一人きりにされた腹いせに部屋をめちゃくちゃに散らかしてやろうかという考えが浮かぶ。きっとシボッツは怒るだろう。イタズラは手っ取り早い方法だ。相手の関心を引けて、自分の不満も発散できる。
その時、もっと恐ろしいアイディアがひらめいた。この部屋にはシボッツが大事にしているものがたくさんある。これを隠したり、汚したり、壊したりしたら、今までにないくらいの大きな感情を向けられるはずだ。何もかも壊してやる。本にボードゲームに、小まめに手入れされた苔のテラリウム、ガラス瓶に入れて飾られた何かの卵の殻、マカディオスがプレゼントした木の実、下手くそな似顔絵、前に城のテキトーな場所で昼寝をした時にいつの間にかかけられていた黄色のタオルケット。
「おぅ……」
これらの品を自分がバッキバキに破壊するところとその後のシボッツの反応まで想像し、マカディオスは罪悪感で身もだえした。頭を抱えて巨体を震わせたせいで、うっかり近くのものを壊しそうになったのだが悲劇は起こらなかった。シボッツは何かと運が悪い質なのだが、マカディオスは割と幸運に恵まれている。
「……オレは邪悪で弱いんだぜ」
だからあんまり寂しい思いをさせないでほしい。
そんな気持ちで、丁寧にスゴロクの駒やダイスを箱にしまって片付け始めた。
それが済むと、小さな本棚の前にいく。上の方には子供向けの物語、中段には絵本、一番下の段には図鑑や厚い物語集がずしりと構えている。マカディオスはシボッツよりもずっと体が大きいので、本棚の中身を見るにはしゃがまなくてはならなかった。
興味をそそられた背表紙をくいっと引き出す。背表紙の雰囲気が格好良くて選んだ本だった。主人公は、美しい人間の姫君と海の魔物の間に産まれた少女。過酷な運命が荒波となって少女に押し寄せる。父から受け継いだ鱗とヒレを隠すため、普段は魔法のアンクレットをつけて人間の姿になっている、という設定だ。
ぱらぱらとページをめくり、マカディオスは本の世界に引き込まれていく。
城には使っていない部屋がいくらでもある。その中の一室にシボッツとウィッテンペンはいた。
「いやもう、マカくんもあれだけお話できるようになってるから、てっきり説明してあるものだとばっかり。……はい、うっかりでした」
「一度口に出した言葉は引っ込められない。マカディオスをどうやって誤魔化すか。口裏を合わせてもらうぞ」
ウィッテンペンは首を縦には振らなかった。言いづらそうにしながらも、勝手に話を進めようとするシボッツに待ったをかける。
「うーん……。ねぇ、本人にきちんと説明した方が良いよ」
マニキュアを塗ったオシャレな指が、落ち着かない様子で無意味な動作を繰り返す。
「……全部、話せというのかあの子に」
不安を押し殺したような声だった。
「俺はマカディオスを城の外に出すのも嫌なんだ。イフィディアナがどうして平気でいられるのか、俺には理解できない」
吐き捨てるような乱暴な響きの中に、脆く壊れそうな不安がある。
「貴方の立場もツライよね。一人で全部対応しようとしないで。私も手を貸すし、マカくん本人を頼っても良いと思うの」
「マカディオスを?」
そんな発想はシボッツには完全になかった。
イフィディアナがどう思っているかは知らないが、シボッツにしてみればマカディオスは幼児同然。もうハイハイすることはないし、手当たり次第に落ちてるものを口に入れこそしないが、それでも産まれてわずかな年月しかたっていないことには変わりない。大異変の後に産まれたマカディオスはまだ三年も生きていないのだ。
「人間とは明らかに成長速度が違うでしょ。子供っぽいところはあるけど、内面はメキメキ成長してるように見えるけど」
シボッツは反論の言葉を持たないが、それでも気持ちとしては反対したい、というような顔をしていた。
歩み寄ったのはウィッテンペンの方だった。
「貴方を言葉で追い詰めたいわけじゃない。シーちゃんとマカくんが取れる選択肢を増やしたいだけで」
貧弱な肩にウィッテンペンは手を置いた。小さなスミレに触れるかのように、そっと。冬服の厚い生地の上からでも、彼が痩せっぽちなのが感触で伝わってくる。
「わかってる。ありがとう」
お礼を言われたのにウィッテンペンは浮かない顔。抱えた不安を取り繕って口にした言葉だと見抜いている。
「話題変える?」
「……アイウェンの具合はどうだった?」
これでは話題を変えた意味はないではないか、と言いたくなるのをこらえる。気が重い内容だったがウィッテンペンは情報を正しく伝えた。
「アイウェンさんを膨大な呪詛がじわじわと苛んでる。私の魔法でも呪いをすべて打ち消すことはできないよ」
ここまでは確実。
これからは憶測。
「……あくまで私の見立てだけど……。アイウェンさんの心は呪いを受け入れているのかも」
シボッツはしばらくの間、押し黙った。やっと小さく応える。
「あぁ、あの子は優しく聡明だからな」
その後の言葉は聞き取れないほどかすかなネズミのため息。途切れ途切れで不明瞭。はっきりとした音にはならなかった。けれどウィッテンペンはシボッツの唇の動きを読むことができた。
――だからこうなった。
「ウィッテン。協力してもらっているのに色々とすまなかった。マカディオスの腕輪の一件は、お前との情報共有を怠った俺の落ち度だと思う」
「んえぅ」
意味をなさない声は、ウィッテンペンの口からもれたもの。
それを意に介さずにシボッツは続ける。ウィッテンペンは時々よくわからない声を出すクセがあるものと前々から認識していた。
「あれがどういう腕輪なのかマカディオスに教えてやってほしい」
「話す内容はあくまでも腕輪についてのみ、っていう理解で合っているかな?」
ウィッテンペンが呪術師の顔に戻る。
「基本的にはそうなるな。向こうから何も質問されないようなら、それでおしまいだ。腕輪の話を聞けば自ずと疑問が生じるだろう。何故そんなものを物心つかぬうちからつけられているのか、どうして必要だったのか、と」
そこで疑問に思わない者はまだ真実を知るには時期尚早である。というのがシボッツの判断だ。
「マカくん、お待たせ―!」
本を読み終わる前に二人は部屋に戻ってきた。マカディオスはきちんと栞を挟んで本を閉じた。本の開いたページを下にして放置すると、シボッツがたいそう嫌がる。自分の本でなくともそうなのだ。彼の私物の本でそれをやった日には、ものすごく長い小言を覚悟しなくてはならない。
「話ってのは終わったのか」
「はーい! でもこれから、マカくんにお話があるよ。手首を見て! キレイな腕輪があるでしょ? その腕輪について説明していくからね」
ウィッテンペンは呪術に精通したお姉さんで、身に着けた者の力を封じる魔法を込めて作ったのがこの腕輪。意図せず大きな力を発揮してしまわないように産まれた直後に装着された。マカディオス自身の安全にも関わるものなので、何があっても外さないと約束してほしい。
ここまで聞いてマカディオスは真剣な顔で尋ねた。
「オレの筋肉はもっと強大だった……?」
「あ、そういう疑問にいくのかー」
その質問は流された。
「安全のため腕輪は簡単には外れないし普通の手段じゃ壊せないように作ってあるよ。でも強力な力を抑え込み続けると負荷がかかって壊れちゃう。腕輪の石に七つのヒビが入るまでにお城の人に伝えてね」
「そうか。一つ確認しておきたいんだが……」
マカディオスの言葉に、成り行きを見守っていたシボッツは身構えた。
「七つまで、っていうのは七は含む? 含まないんだっけ?」
「んふぁ!? ちょっと待ってね。以下と以上は含んで、未満と超過は含まないでしょ。より大きい、より小さいも含まない。まで、までは……。明日までに、って言われたら明日も含むよね? でも日が暮れるまでに、って言われた時は日暮れは含……含まない? 何が正しいの!?」
助けを求めてウィッテンペンはシボッツの方に振り向く。
過保護な妖精はすでに答えを持っていた。
「一つでも石にヒビが入った時点で忘れずに俺に報告するように」
「頑張るぜ」
マカディオスはそれで納得した。
「他に何か聞きたいことはあるかな?」
「他……」
いくつかの質問が思い浮かぶ。
ウィッテンペンは夕飯を食べていくのか。
夕飯のメニューは何か。
今度はいつ来るのか。
別室で何を話したのか。
腕輪を壊すとどうなるのか。
他の人達も産まれてすぐこの腕輪をつけたのか。
どうしてシボッツは色々なことを隠そうとするのか。
お話の中の少女にも、友達になったピーターにも、母さんと父さんがいた。母と父はいかなる存在なのか。
聞きたいことはたくさんあった。
「いや、もう大丈夫だぜ」
マカディオスは問わなかった。
それまでハラハラと事態を見ていたシボッツは、この結末に明らかに安堵している。
シボッツが抱える苦労も隠している秘密も数多い。そこにどういう思惑が働いているのか、マカディオスには見当もつかない。
けれどシボッツの様子を見ていればわかることもある。深く追求してほしくない事柄なのは間違いない。なんたって置き去りにして隠し事の相談をするぐらいだ……。別に根に持ってはいないけれども……。
これ以上シボッツの悩みの種を増やしたくはなかった。口うるさいけれど、温かな気持ちを向けてくれているのは疑いようがない。
シボッツの心の準備が整うまで、マカディオスは秘密を聞くのを待つことにした。
今はまだ時期尚早というやつなのだ。