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僕の家族を紹介するね

「できない……。できないよぉ……」

 村はずれの林で、その子は涙をポロポロこぼしながら錬金フラスコを撹拌し、税の種類を歌うように暗唱し、ずっしり重たい冒険テント一式を背中に担いでいた。

 なんて面白いことをしているのだろうとマカディオスは枝から手を放して木から飛び降りる。地面を彩っていた落ち葉が衝撃でぶわっと舞い上がる。子供は悲鳴も上げずにただ尻もちをついた。

「やけに難しそうな遊びだな」

 少年の頭に乗った黄色い枯葉を大きな手指で器用に取り払う。干し草色のふわりとした髪。マカディオスの指は、少年の腕と同じくらいかそれ以上に太い。

「……ありがとう。君のことを待っていたのかもしれない」

 感謝の言葉と小さな笑顔。マカディオスは素直に照れて喜んだ。疲れ果てて病んだ子供がどんな笑顔をするかなんて、彼がしるはずもない。

「怪物って本当にいたんだね。頼みがあるんだ。僕の腕を小枝みたいにへし折って」

「このオレにアームレスリングを挑むとは良い度胸だ。気に入った」

 少年は首を横に振る。落胆やあきれた様子はない。なんの感情も浮かんでいない目だった。

「その腕で僕を打ちのめして。僕を助けてほしいんだ。つべこべ言わずにボカンとブン殴って。ボロキレみたいになった僕を見て、もうがんばらなくてもいいよって、思わず父さんと母さんが言うくらい」

 相手の言っていることはよくわからなかったが、切羽詰まった気迫はひしひしと伝わる。それは千本の針のようにマカディオスの足をその場に釘づけた。


「順を追って話すね」

 淡々とした声で少年が事情を打ち明ける。懇切丁寧わかりやすく説明する。自分をボロキレみたいに打ちのめしてもらうために。

 少年の名はピーター。彼に与えられた物語はのどかな村人の一生。波乱万丈の盛り上がりとは無縁だが、素朴な物語を実に上手く紡いでいた。

 ごく普通の村の子。でも頭が回って気が利いて、冷静にして度胸がある。ピーターはそんな子供。

 ごく普通の村の大人にすぎない両親も、そんな息子が自慢の種でよく鼻を高くしていた。我が子がいかに素晴らしいか、息子を亡くした老夫婦にさえも自慢する。

「もし物語に役割を定められてなかったら、優秀なうちの子供はなんにでもなれるのに。っていうのが父さんと母さんの口癖でね」

 そう持ち上げられるのは悪い気はしなかった。口癖だけで済んでいれば、そのまま気分良くすごせたのだろうが……。

「大異変が何もかも変えちゃった」

「らしいな」

 さも理解している風にマカディオスはうなづいた。本当はよくわかっていない。わからないことばかりだ。

「無貌の作家から託された物語に本当は意味なんてないってことが明らかになったでしょ? 役割からの解放? これからは自由?」

 肩をすくめ、不機嫌そうに吐き捨てる。

「まったく! 冗談じゃない! あの二人はとんでもないことをした! 何もかもめちゃくちゃだ! やるべきことを皆が見失っただけじゃないか!」

 話している間、ピーターはずいぶんと表情が豊かになってきた。最初は死んだように無気力だったのに、怒りをまき散らすことで少しは命の活気が戻りつつあるようだ。

「怪物の君が住んでるところも荒廃してるの? 近頃盗賊団やら物騒な事件が増えたのは、自分の物語を見失った人が多いからなんだって。結局あの二人のせいでこんなことになってるんでしょ。本当に迷惑」

 ありふれた村人という物語はもはやピーターを縛る枷ではなくなった。自分達の息子はこれですごい大物になれるのだと両親は大喜びで両手を上げて、少年はひそかに頭を抱えた。

 大異変の後に、これからどう生きるかを決める家族会議が開かれた。少年がその才能を活かすため、賢者の石を作り出す錬金術師、百年先まで名前が残る吟遊詩人、未知の土地を発見する冒険家、ごく普通の役人、いずれかになることが二対一で決定された。少年の家は三人家族。

「無茶だよ! いくら僕が利発で抜け目なく愛らしい顔立ちの村の人気者だからって!!」

 だいぶ元気になったようで良かった、とマカディオスは少年の様子を和やかに見守る。

「というわけで、僕をズタボロにのしてほしい」

「どういうわけだ?」

 小さな舌打ちの音が聞こえた。お腹を空かせた赤ん坊の口が立てるチュッという音にも似ていたが、どうも少し違うようだ。幼く未熟なことは同じなのに、愛嬌だけが欠けた音だ。


「つまりさ。僕は両親が望むような立派な大人になりたくて努力していたんだけど、不幸にも怪物に襲われてしまうんだ。君はその馬鹿力で、僕を包帯だらけの可哀そうな男の子にしてくれれば良いってわけ」

 ピーターは無邪気にくるくると回ってから、おねがい、という風に両手を合わせてみせた。かなり元気を取り戻している。声と動きに人間らしさが宿ってきた。目の生気は失せているが。

「『僕が』期待を裏切ることなく、父さん母さんに夢をあきらめてもらうには、これしかないんだ」

 両親の期待にそうようにピーター自身は全身全霊で努力をしたのだが、個人の力では太刀打ちできない不幸なアクシデントが降りかかり、非常に不本意ではあるが理想をあきらめざるを得なかった。誠に残念である。……という筋書きを今のピーターは求めていた。

「そんな目で見ないでよ。僕はただゆっくり休みたいだけなんだ。君も疲れたら休むでしょ」

 マカディオスは思わず後ずさった。

 少年が太い腕に追いすがる。

 細い指につかまれる。

 小さな手は弱々しく、だが棘縄のごとくマカデイオスをとらえた。

 疲れた口元に笑みを浮かべ、病んだ瞳を希望に輝かせ。

「ね! 協力してくれるよね!」

「オレはお前をボロキレみたいにはしない」

「……」

 マカディオスはピーターの頼みを断った。

 期待を裏切った怪物に、少年は落胆の色を隠さない。冷え冷えとした視線が突き刺さる。思わず大胸筋(むね)をおさえた。

 両親の期待を裏切ることをどうしてあんなに恐れていたのか、話を聞いてもずっとピンとこなかった。

 今のピーターの顔を見て、彼の恐れをマカディオスも実感する。

 あの酷薄な顔こそが、家族の望みに上手く応えられなかった時にピーターが見てきた顔なのだろう。


「なるほどね。僕は死ぬまで努力をさせられる」

「休むのに、わざとケガする必要なんてない」

 今度はマカディオスが説得する番だ。

「正直な気持ちを打ち明けたらどうだ?」

 皮肉めいたため息が返ってきた。

「僕の親のことをわかってないね。まだ頑張れる健康な体でそんなことを言ったって、聞き入れてくれるわけがないよ」

 そんなことってあるか? という言葉をマカディオスは呑み込む。たしかにピーターの置かれた環境は自分には想像のつかない世界だ。想像が及ばないというだけで当人の苦しみをないものとして扱うのは……なんというか誰の救いにもならない判断だ。

「……お前が本当の気持ちを話しても、それでも考えを変えないってんなら……その時は」

 どこかの誰かが引き起こした大異変なのものが、人々を役割から解き放ったのならば。

「そんな二人の息子でいるのはやめちまえよ」

 ピーターの目が丸くなる。

「そんなことして良いの? 家族っていうのはそんな簡単に……」

「え? どうせもう何もかもめちゃくちゃなんだろ?」

 あちらこちらで盗賊団が暴れ回るほどめちゃくちゃに壊れた世の中だ。災いから逃れて幸せをつかむために、子供だってしたたかに立ち回って良い。

「そうだけど……でも」

 ピーターがうつむく。服のすそをきゅっとつかんで、靴の爪先で地面をつつく。

「……父さんと母さんは、僕と離れ離れになるのを寂しがると思うよ。まぁでも一応、手段の一つとして頭に留めておくことにしよう」

 今日のところは帰って良いよ、とピーターはマカディオスに手を振った。

「あの。僕の話を聞いてくれてありがと、怪物……」

「オレのことは格好良いマカディオスと呼べ」

「またね、ヘンテコで愉快なマカディオス」



 城に帰ったマカディオスは手洗いとうがいをして、白い竜を探した。城は広大だが竜の居場所はだいたい決まっている。朝から夕方までは火のそばにいることが多い。台所の釜戸や居間の暖炉の前に。日が沈んでからは、絢爛豪華な洞窟みたいに快適に整えられた竜の部屋でくつろいでいる。

 今は午後。だが釜戸にも暖炉にも竜の影はない。竜の部屋にも気配はなかった。

 白い竜イフィディアナは庭にいた。この寒い時期にもたくましく咲く花々が庭を彩ってはいたが、竜の瞳は地上の花に注がれてはいなかった。その視線の先をマカディオスも追う。

「塔を見てるのか?」

 嘆きの塔は静まり返っている。

「あの塔には誰がいるんだ?」

 大切な人なのだろう。塔を見るイフィディアナの目は優しく温かで、そして寂しくつらそうだ。どうでも良いものにそんな目はしない。

「ああ。おチビさん」

 問いかけには答えずに竜はマカディオスに呼びかけた。

「いつか教えてあげようね」

 竜の翼にそっと包まれる。嗅ぎ慣れた匂いがマカデイオスの鼻をくすぐった。イフィディアナからはいつも清らかで厳かな百合の香りがする。

 この城は秘密ばかりだ。

 ここで自分の気持ちを正直に打ち明けたら、イフィディアナはどんな反応をするだろうかとマカディオスは想像する。翼に覆われた目を静かにそっと閉じてみた。




 何日かして、マカディオスはピーターのところに遊びに行った。

 はじめて会った場所には彼の姿は見当たらない。林で一番高い木に登って村の様子を見渡すと、すっかりほがらかな表情になったピーターがいた。もう両親から課せられた無理難題に悩まされてはいなさそうだ。

 マカディオスはホッと大胸筋(むね)をなでおろす。

 ピーターのそばを歩いている二人は心を入れ替えた両親だろうか。なかなかのお年寄りに見える。


「お二人には本当に感謝しています」

 礼儀正しい笑顔をピーターは二人に向けた。

「良いんだ」

「感謝したいのはこちらの方よ」

 老夫婦はピーターのような子供といっしょに暮らせたらと、ずっと望んでいた。

 人の気持ちを踏みにじるような両親と共にいたら、ピーターにも悪い影響があると常々危惧していた。

 そんな子供のためにならない両親から、ピーターが自分から距離をとりたがることを前々から期待していた。

 自由と解放。世界をめちゃくちゃにしたあの二人がもたらした変化もそう悪いものではないと今なら思える。

「諸々の手続きも助かりました」

「そんなこと気にしないで」

「物語に縛られた時代は終わったんだ。その役割に相応しくないと判断すれば、人の手で立場を剥奪することもできる。これから私達は不当な存在に自分達の力で立ち向かうことができるんだよ」

「分不相応の立場から引きずり下ろすことができるのよ」

 ピーターはにっこりと微笑む。

 なんだか丸く収まったようだ。


 一匹の犬がけたたましく吠え出した。

 林の木に登ったマカディオスの姿に、村の犬が気づいて怯えながら吠え立てたのだ。木の上の怪物に気づいた老夫婦は悲鳴を上げ、ピーターを連れて逃げようとした。

「大丈夫! ちょっと怖そうに見えるけど、マカディオスは僕の友達なんです」

 驚く老夫婦を落ち着かせると、ピーターは木の上のマカディオスに大きく手を振った。

「また会えて嬉しいよ! 僕の家族を紹介するね」

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