魔性への反応はそれぞれで
そこは吝嗇家には危険な地だった。しかし避けるわけにもいかない。
(必要なのはハチミツと、ガレットを焼くソバ粉。それからマカディオスのオヤツ用に何か果物を……。他の食材は足りている。余計なものは買わないこと)
籐の買い物カゴを手にしたシボッツの高い鼻に市場で売られる品々の香りが届く。
頭巾をかぶった白髪の老婆がパンを売る。ふっくらと焼き上がったふわふわの白いパン。古風な味わいを好む客に向けて、店では黒パンや固焼きパンも取り扱っている。
シナモン、ナツメグ、カルダモン。この辺りの土地では収穫できないスパイスでも目玉が飛び出る高値でもなし。店主を務めるのは異国風の服に身を包んだ長身のハヤブサ。
タライを満たしているのは海水で、黒く長い髪がぷかりぷかりと揺らいでいる。エビ、貝、魚。ほしいものを一声頼めば産地直送で海の恵みが手に入る。
ここは金貨とは別の通貨が動く場所。多種多様な屋台や店舗が立ち並ぶ。あるのは食べ物だけではない。日用品から曰くつきの剣まで。切花や小さな鉢植えもある。
「ふーん、マンドレイクの鉢植えか」
マカディオスの遊び相手に良さそうかと考えたところで首を横に振る。
(いかん、いかん。衝動買いは禁物だが、そのうえしっかりとした計画なしに生き物を育てようとするのはダメだ)
ご機嫌な赤子のダンスのように揺れているマンドレイクのふさふさ葉っぱから目を背け、花の店から立ち去る。
(しかし最近のマカディオスは花や植物に関心があるようだ。学習する良い機会だ。折を見ていっしょに何か育ててみるか。……っと、ここだ)
などと考え事をしている間に目当ての果物の屋台にたどり着く。屋台の傍らに佇む木が風もないのにさわりと音を立てた。大人の人間の背丈よりも多少大きい程度の小ぶりの樹木は、ここで果物を売っている。その姿は木に囚われた人のようでもあり、人を模した木のようでもあった。
客として利用するうちに顔なじみになった店主と軽く雑談をした後にサクランボとプラムを買い求めた。毎年この時期によく食べている。
財布にしている革袋からドングリほどの大きさのチクチクした結晶を名残惜しそうに取り出し、手の中で軽く優しく包み込み別れを惜しんでから店主に渡す。子供の成長痛が結晶化したものを柔らかな若葉の手が受け止めた。
「ありがとう」
次の店に向かいながらシボッツは考える。
さて、そのままでも食べられるがこの果物で何か作っても家族は喜んでくれるだろう。サクランボのクラフティなんて簡単で美味しいし、保存を兼ねてプラムをジャムにしても良い。なんだかんだで料理は楽しい。
(食べる楽しみなんてものは今の姿になる前はしらなかったな)
人間から疎外された魔性の者。その暮らしがこれほど豊かで満ち足りているとは、生前は思いもしなかった。
(なかなかに皮肉めいている)
ハチミツとソバ粉も買わなくては。シボッツは妖精市場に溶け込む。異形の魑魅魍魎がうごめくこの雑踏がひどく安心で心地よかった。
「ふー! やっと落ち着いたよ」
少年は窓辺で頬杖をつきながらため息もつく。
ここ最近のピーターの悩みがやっと解消された。マカディオスがいつものように突然村にやってきたら、いったいどうごまかしたものかと気をもむ数日間。
(彼は雑技団の怪力男だよって言い張ったら、ギリギリ信じる人もいるかもってところだよね。マカディオスが上手くウソに合わせられるかはわかんないけど)
ピーターを悩ませていたのは、村にしばらく滞在していた『正答の教導者』だ。結局あまり歓迎されないまま去っていった。
(まぁそうだろうなぁ。大異変後の『教導者』はかなり落ちぶれてしまったし。もともと大異変の前からここは魔性に寛容な気風ができてたし)
何世代か前の村長の話だ。気難しいが頼りになるイタズラ者の妖精が、村長の納屋に勝手に住み着いていた。妖精はのんびり屋でお人好しの村長を普段は騙してからかっていたが、いざ困った問題が起きるとどんな人間の友より親身になって助けてくれたのだという。
当時の村長は今は安らかに墓地で眠り、納屋にいた妖精がどうなったのかは伝わっていない。けれどもその古い納屋はまだ村に建っていて、ピーターも用事を頼まれて中に入ったことがある。
どんな不思議な光景が広がっているのかと思いきや、埃っぽいだけで何の変哲もないありふれた納屋だった。ちょっと拍子抜けしたのを覚えている。
でも妙な気配もした。勘違いだと大人に断言されてしまえば、首をひねりつつもやっぱりそうかと思うような、それくらい些細な違和感。
(少し奇妙な感覚はしたけど嫌な雰囲気はなかったな)
むしろ温かく見守られているような。
そういう背景もあり、ピーターのいる村では怪物めいたマカディオスよりも権威の落ちた『教導者』の方がずっと煙たがられている。
魔性は人の秩序の外にあり得体のしれぬ者である。だが良好な関係が築けた時には頼れる友になり得る。むろん人間への憎悪を抱える魔性も少なくはないのだが。
人間の中にも魔性への反応はそれぞれで、ひそかに親しみを持つ者や不気味に思いながら目が離せない者、相容れないとしつつも穏やかな不干渉を保とうとする者、そして魔性の存在を断固許さぬ者もいる。
(この村には僕がマカディオスと遊ぶことを咎める大人はいないけど、魔性なんてとんでもないって村だったらこうはいかなかったんだろうなぁ)
近頃顔を見ない暑苦しい友人の顔を思い描きながらピーターは空を見上げた。
凪を思わせる微笑の裏でベラの心にザップンザッパン大波小波が押し寄せる。
(あーもう、だるい)
くたびれた思考とは対照的に街道を歩み足取りは颯爽と。
世の中の変動によって『正答の教導者』に対する人々の態度は二極化している。立派な顔をして無意味なことを強いてきたウソつき集団とさげすむか、この乱れた世界に残された一筋の希望と見るか。
(体感じゃ『教導者』を嫌悪してる連中が多いけどな。ったく面倒くさいこと)
『教導者』に正しさと威光を貸し与えていた『無貌の作家』なんてものは最初からいなかった。民衆に毛嫌いされるのもわかる。ベラ自身もこの状況で活動することにうんざりしているのだ。それでも『教導者』の一員として留まっている。
(今さら一念発起して何かを変えるのも億劫だから、船が沈もうとも壊れた材木につかまって海に浮かんでるわけだけど)
信念でも諦念でもなく、怠惰を理由に。
(何とかして楽に元の生活に戻りたいもんだ。誰か私の代わりに奮闘してくれんもんかねぇ)
いつか会った一人の少女の顔がふっと脳裏に浮かんだ。
(仲の良かった魔性を死なせた子がいたわ。楽に片付くかと思ったのに、意外と厄介な展開になったもんだからあの時のことは覚えてる)
魔性にも人間にも深い興味のないベラは、少女の名前なんてとっくに記憶から抜け落ちてしまっている。あるいは最初から名前なんて聞かなかったのかもしれない。
少女のふさふさとしたボリュームのある黒い髪はなんとなく覚えている。真面目なところもベラによく似ていた。……少なくともベラは自分が真面目な人物に見えるよう振る舞う。そのことにおいて隙はない。
(あの子なんて適任なんじゃねぇの。おお、気高き少女よ。どうかこの世界を正しておくれ)
気品ある顔立ちに厳かさすら漂う微笑を浮かべたベラを見て、そのやる気の欠如したふざけた思惑に気づく者が果たしてどれだけいるだろうか。
シボッツとの取引でトムはひそかに『教導者』の動きに目を光らせていたが、ベラの心の内までは見とおせなかった。