鏡の森への大冒険をおっぱじめるぞ
洞窟めいたイフィディアナの部屋でマカディオスは腹ばいで分厚い本をめくっていた。こんなだらしない姿勢での読書をシボッツが許すことはないが、イフィディアナは気にしない。くつろいだ様子で宝箱の中身を愛でている。イフィディアナのお気に入りは血の色をした枝珊瑚と犬の歯型の歪真珠。
マカディオスが開いているのは魔法に使う材料の図鑑兼地図だ。特別な植物を探している、とイフィディアナに伝えたらこの本を見せてくれた。マカディオスはまだ文字を完璧には読めないが、絵が豊富なので眺めているだけでも楽しい。
大ガラスの全体や一部は多彩な魔法の材料となるが、特にその羽は遠方の相手に効果を及ぼす目的で組み込まれることが多い。人面に見える自然物はその表情によって用途は異なるものの、感情に関わる魔法に使われる。獣の牙や爪は攻撃的な魔法の定番素材。魔法の素材には一つ一つに意味があり、例えば大ガラスの羽の代わりにカワウやクロウタドリの羽を用いれば、その魔法は不発になるか予期せぬ効果をもたらすだろう。
……といったことも書かれていたのだが、マカディオスにはどれだけ理解できたことやら。
「ああ、あったぞ!」
つい本の中で寄り道してしまったが、目当ての素材とおぼしきページにたどり着く。マカディオスは精密に描かれた絵をよく見た。可愛らしいハート型の葉が三枚、四枚。
(クローバーだ)
採取場所の地図も載っているが、どうも位置がわからない。地名もちょっと難しい。
「わからないところがあるから教えてほしい!」
そう呼びかけると、白い竜は珊瑚と真珠を数えるのを止めてマカディオスの方に顔を向けた。
「どれ、見せてごらんなさい。ああ」
まずイフィディアナは東西南北の見方をマカディオスに説明した。地図上の記号としての方角と、実際に進む時の方角を。
「北は正面、東は右ってこと?」
「地図だとそう見えるでしょうね。でも実際に進む時は東は右だとは限らないのよ、おチビさん。お日さまやお月さまで判断すると良いわ。自分は方角をしる目印にはならないの。自分っていうのは世界における現在位置」
自分の位置では直接方角はわからないけれど、いきたい場所にたどり着くにはどっちの方角に進めば良いかを教えてくれる。
「それじゃ、ええと……。ここにいきたいなら西に進めば良いのかな?」
「そのとおり」
次に距離の縮尺を。
「本当の距離のまま地図を描いたんじゃいくら紙があっても足りねぇもんな」
「この城から人間の足なら三日三晩かかるところ。おチビさんならトーストが焼き上がるころにはたどり着くんじゃないかしら」
最後にその地の名は鏡の森だと教えてくれた。
「鏡の森。イフィディアナはいったことあるか?」
「ええ」
マカディオスがしるイフィディアナは城でのんびりと暮らしてばかりだが、以前は宝のコレクションを増やしに活発に冒険をしていたこともあったそうだ。
「でも私は植物にはそれほど興味がなくて。この森に集まるものが目当てでいったのだと思うわ」
ブレアといっしょに鏡の森へいってみよう。だがその前に危ないものがないか確認する。遊びに誘った場所がものすごい危険地帯だったらとても気まずい。
「ここって入っても大丈夫? 入っちゃいけないところだったりするか?」
「あらあら、おチビさん。何も怖がることはないの。結界も番人も罠もないところよ」
「オレは怖かねぇや! ただ……その、他の子供は怖がるかもしれないからな!!」
「ふふ、お友達?」
「うん! ……違わい! ないしょだぜ!!」
マカディオスのバレバレの秘密をイフィディアナはそれ以上しつこく追求しなかった。
「穏やかな森だわ。お墓みたいに」
朝の日課の後、マカディオスはブレアとの集合地点に向かった。
最初に出会った原っぱでまた奇妙な犬に襲われると面倒なので、待ち合わせはそこから少し離れた場所にした。
ルピナスが咲き誇る荒野。紫色の毛をした獣がフサフサの尻尾をピンと立てて草むらに隠れているような。ルピナスというのはそんな花だった。
(そこにある白い大岩! じゃなかった、一本そびえるニレの木に集合だ)
待ち合わせ場所を決める時、最初ブレアは大岩を挙げた。けれどもすぐに撤回してニレの木に変えたのだ。
大きなニレはすぐに見つかった。わかりやすくて木陰もあって、良い待ち合わせ場所だ。このルピナスの荒野で人と待ち合わせるつもりなら誰もがまずここを指定するだろう。
(そんなら、どうしてブレアは最初からここにしなかったんだ?)
ちょっとだけ疑問が頭をかすめたが、友達に会えたのだからもうそんなことはどうでも良い。ブレアは木にもたれて待っていた。
「よっす、ブレア! 鏡の森への大冒険をおっぱじめるぞ!!」
鏡の森。そう聞いた時、ブレアの目がくっと丸く見開かれた。けれども素っ気ないつぶやきを返した。揺れ動いた感情を隠すかのように。
「大冒険なんて興味ないよ。目当てのものだけ手に入ればそれで」
気だるそうな声で淡々とつぶやいてから、少女は弾みをつけてニレから離れた。黒い髪がキレイな軌跡を荒々しく描いた。
「それじゃいこっか。マカディオス」
マカディオスの背中にブレアがぶら下がる。ルピナスの荒野から鏡の森までどっちにどのくらい進めば良いか、おおまかに勘定してある。
「ついたぜ。ここだ」
幹も葉も鉄色、赤銅色、真鍮色の木々が生える不思議な森。木々は適度にバラけていて、日当たりの良い明るい森だった。地面を覆い尽くすのは図鑑で見たハート型のあの三葉。そして金属でできた何かがあちらこちらに置き去りにされている。金属の鏡。儀式用の鈴。どこかのカギ。こんな人気のない辺鄙な森に放っておかれているのに、どれもマメに手入れされたようにピカピカだった。
「私一人じゃこんな遠くまでこられなかったよ。ありがと、マカディオス。四葉のクローバー、見つかると良いね」
好奇心を掻き立てる不思議なものがあるのにブレアの関心は揺るがないようだ。しゃがみ込んで植物に手を伸ばす。地味なワンピースが一瞬ふわりとふくらんだ。
その布の動きが格好良かったので、マカディオスは対抗心を燃やして自慢のマントをバサッとやった。もう一回、バサリ。納得のいくまで、ヴァッフアァーン。もちろんすべて華麗なポージングつきだ。
「……何やってるの。気が散るからあっちでやって」
ジトッとした視線を向けられ怒られてしまった。
「美しいものを見る目がねぇってのは悲しいことだな」
全然落ち込みも反省もせずマカディオスは僧帽筋をすくめた。
二人はこの前と同じように離れて四葉を探した。でも今回はおしゃべりする声が届く程度の距離。
「なんか森の中に色々置かれてるのが気になるな」
磨かれた鏡を横目で見た。鏡の中で自分の姿がぼんやりとした影になっている。金属の鏡はそれほどハッキリと像を映さない。なんだか自分まで曖昧な存在になった気分だ。
「そりゃ不思議といえば不思議だけど。人に忘れ去られた古い道具がただ集まってきてるだけだよ。ここはそういう森なんだって」
「へー! ブレアはものしりだな!」
感心して素直に褒めたのにブレアはなぜかちっとも嬉しそうではないのだ。
「……別に。教えてもらっただけだよ……」
すっかり沈み込んでしまい、しばらくの間二人は黙々と四葉探しを続けるだけになった。
突然、ブレアがすっとんきょうな声を上げるまでは。
「あっ……!」
何か不都合なことに気づいた顔で、いいづらそうに叫んだわけを教えてくれた。
「鏡の森の草はクローバーじゃない。思い出した」
特徴的なハート型の葉。形はクローバーにそっくりだが、じつは別物だ。
「これはカタバミ。オキザリス。金属をピカピカにする草。似ているけれどクローバーじゃない」
「なんだ。構いやしねぇよ! こんだけそっくりなんだから」
葉っぱの形も可愛らしいし、四葉のカタバミでもアイウェンへの贈り物になるだろう。
だがブレアはこれでは困るらしい。頑なに首を横に振る。
「代わりのものじゃダメなの」
マカディオスはうーんと唸った後、すっくと立ちあがった。
「んじゃひとまず帰るか」
でもせっかく本で調べてここまで来たのに、なんにもならないのはつまらない。帰るまでにマカディオスは鏡の森のカタバミをプチプチ摘み取ってベルトポーチにありったけ詰め込んだ。
「四葉捜索は仕切り直しだな。また今度」
「ただいま、イフィディアナ。お土産あるぜ。ジャーン!!」
ありふれた三葉のカタバミ。植物に興味はないといっていたが、金属をピカピカにするなら宝物好きのイフィディアナの役に立つはずだ。
「まあ。おチビさん、ありがとう。昔むかしに鏡の森からさらってきた古い剣をこれで磨きましょうね」