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会えて嬉しいよ、マカディオス

 初夏の朝の空気は目には見えない緑色。ヒスイ、木漏れ日、レモンの葉。

 マカディオスは少し早起きして、城の中庭でバラの花と向き合っていた。花を咲かせている時のバラは普段よりも水を多く欲しがる。ブリキのジョウロで水をまく。ずっしりした水の重さも、ざぁざぁ流れ出す軽やかさも、なんだか不思議で面白い。

 そして思ったとおり、今日も嘆きの塔から視線を感じる。塔にいるのがどんな相手かわからない。

(城の住民ならオレも会ってみたい)

 イフィディアナとシボッツが家族だと認めている者なのだから。

 マカディオスはゆっくり塔を見上げ、手を振ってみた。

「おーい! おはよう!」

 しばらく返事はなかった。高い塔にこもりきりの相手だ。引っ込み思案の恥ずかしがり屋なんだろう、とマカディオスは気楽に構える。

「オレはめちゃくちゃ元気だぜ。そっちはどうだ?」


 窓辺の人影がゆらいだ。

「おはよう。まあまあだね」

 黄金の朝日が塔の主の顔にも降り注ぐ。ほのかに赤みを帯びた明るい髪は陽光の下でバラのように色づいた。

 そこにいたのは髪の長い女の子でもヒゲを伸ばした魔法使いでもなかった。一人の男性だ。

「マカディオス。もっと近くでお前の声を聞き、お前の顔を見たい。塔を登って私に会いにおいで」

 しらない相手の呼びかけならマカディオスは絶対に誘いに乗らなかっただろう。子供に害をなそうとする大人は、子供を気遣い守る大人そっくりの優しい手口で邪悪な目的を果たそうとする。シボッツからたびたびそう警告されていた。マカディオスの体がぐんぐん大きくなって並の人間の大人よりずっとたくましくなっても、シボッツは世の中の悪意を警戒していた。

 だがマカディオスはこのお呼ばれに乗り気だった。嘆きの塔の主は家族の一員だ。イフィディアナやシボッツに塔の話をするとたいてい詳しいことははぐらかされるのだが、こうもいっていた。

 大丈夫。いつか会える。

 悲しみに愛情の砂糖衣を効かせた声だった。

「おう。今行く」

 だから、会うことを恐れない。

 目に見える唯一の入口はあの高い窓。入る方法はいくつか考えられる。シンプルによじ登る。アクロバティックに高跳び用の棒を用意して飛び込む。創造的に塔のすぐそばに高いヤグラを建てて移る。

 マカディオスは考えた。

「オレの体は太い骨と丈夫な筋肉でずっしりしてる」

 腕の力も強いとはいえ、よじ登るのは大変そうだ。

「高く跳ぶのは良いとして、窓にすっぽり上手く入れるかな?」

 コントロールを間違えば壁に激突。その後地面に落っこちる。

「オレが持ってる積み木をありったけ使っても、ヤグラの高さは足りねぇだろう

 もちろん、城中のガラクタをありったけ集めても。

「となると現実的なのは……塔を駆け登ることだな!!」

 マカディオスは助走の距離をとると、えいやっと塔目がけて猛然と走り出した。

「どうぞお入り。入口を開けたから」

 堅固に侵入者を阻んでいた塔の壁が脆く崩れて穴が開く。ほろほろのアーモンドクッキーが砕けたような。固めた砂に水がかかったような。

 マカディオスはぽっかり開いたその穴に突っ込んでいった。

 お客を招き入れた後、嘆きの塔の入口はぷちぷちと耳がくすぐったくなる音を立て急速にふさがる。奇妙でぞわっとするのにどこかクセになりそうなその音は、大地や海にあふれ返る得体のしれない小さな生き物のささやき声のようだった。


 思いがけず塔の一階部分に転がり込んだマカディオスは、薄暗い闇に目をこらす。ここは雑多な気配であふれている。落ち着かない。

 白いぼんやりとした人の姿が無数に重なり合って、立ち消える寸前の煙のようにゆらいでいる。丸い塔の中、同じ場所をぐるぐる回る。飽きもせず。口をパクパク動かし何かしゃべっているが雑音のようで聞き取りにくい。その言葉に注意深く耳を傾ける気にはならなかった。

 白い煙の人の見た目はさまざまだったが、奇妙な共通点もある。手にしているのは諸刃の剣。感情のままに振るう凶器は持ち主に災いを招くが、煙の群衆はそれに気づいていない。そして浮かぶ表情はどれも陰険。誰かを悪しざまに罵っている時の人間の顔だ。

 煙の奥に上へと続く階段が見えた。階段に近づくためにマカディオスは煙の人混みを突っ切っていくしかなかった。少々強引だが、通してもらえないか頼んでも反応がなかったので仕方がない。

 血と肉と骨でできたマカディオスの体は煙とぶつかってもどうということはなかった。煙の方はぐちゃぐちゃに入り乱れて消えてしまったが。

(なんだったんだ?)

 大胸筋むねに手を当てる。何かものがぶつかった衝撃さえも感じなかった。煙は見苦しいだけで特に害はなく、もちろん有益なことももたらさない。


 二階もまた似たようなものだった。白くうっすらとした煙がひしめく。ただ集まっている煙の様子が少し違う。

 ある者は絵で。ある者は短い語りで。ある者はおどけた仕草で一人芝居。

 ある作品はユーモアの中にハッと考えさせる鋭さがあり。ある作品は皮肉な毒をてんこ盛り。ある作品は自身の憎悪を雑に創作の体裁にあてはめただけ。

 表現方法や出来栄えに差はあるが、ここにいる者は誰もが一人の人物への風刺に夢中になっていた。あらゆる筆先、舌先、矛先を向けられているのは塔の主。

(何をやったんだ?)

 マカディオスだって人を怒らせるような過ちをしたことが何度もあるが、ここまで執拗に非難されたことはない。

 次の行き先を探してマカディオスがキョロキョロしていると、煙の一人がすっと手を伸ばし階段の場所を指し示す。

「お。ありがとよ」

 控えめな頷きが返ってきた。二階の煙にはこちらの姿が見え声も聞こえるようだ。


「いらっしゃい。よく登ってきてくれたね」

 窓辺に立つ男性が振り返る。彼が明るい陽射しから離れて室内の奥へ足を進めると、バラ色だった髪は淡い赤茶へと変わった。これもキレイな色だ。白いティーカップに一口分だけ残された紅茶。あるいは古い鉄をゆるやかに食む錆。

「混んでいて大変だったろう」

 塔の主はかすかに微笑みを浮かべる。柔らかな枯葉を踏んだ音がしそうな力ない笑顔だった。くしゃり。かさり。

 そんないかにも弱く脆そうな顔をしておいて、その瞳には研ぎ澄まされた金属の輝きが潜む。ぎらり。ばちり。

「会えて嬉しいよ、マカディオス。私が塔にこもっている間にずいぶんと大きくなったんだね」

 もっと大きく見えるよう、すかさずマカディオスはサービスした。自分が考える最高に格好良い仕草でマントをヴァッサアァとひるがえし、自慢の筋肉にぐっと力をこめる。

「まだまだこんなもんじゃねぇ。オレはもっとデカくなるぜ」

「それは頼もしいことだね。まぁそこで話そうか」

 小ぶりな丸いテーブルをはさんで革張りのスツールが二脚。小さめの椅子だが、肘掛けがないので大柄なマカディオスでも座りやすい。

 この部屋では実用性が秩序の王だ。厳選された家具と道具。日常で使いやすい位置に適度に散らかされている。絵画や置物といった明確な用途を持たない飾りのようなものは一つもなく……いや、一つだけあった。揺り籠風に編まれた小さなバスケット。その中には、柔らかに布にくるまれてやけに分厚く頑丈な卵の欠片が微睡んでいた。これと似た卵の殻はシボッツとイフィディアナの部屋にもある。

「私はアイウェン。お前の父親だよ」

 父親。てっきり自分にはいないものと思っていた人物が目の前にいる。

 城の住民は皆家族。それがマカディオスの大ざっぱな認識だった。そこに父や母といった明確な区切りは存在していない。

「父親だってんなら……」

 マカディオスは注意深く問いを投げた。

「オレを肩車できるんじゃないか? 一つ頼むぜ」

 いまいちつかみどころがなく底知れぬ男が、心の内を明かさない無害な笑顔を浮かべたままたじろぐ。

 アイウェンは人間の男性として普通かちょっと高いくらいの背丈だ。塔に閉じこもる暮らしが続いているが、かつて過酷な冒険を成し遂げた体はまだ衰えきってはいない。

 が、マカディオスはアイウェンよりもデカイ。分厚い。みっしりしている。

「……やってみよう」

 重々しく椅子から立ち上がる。己に試練を課したアイウェンの決断。

 しかしその決意もむなしく、圧倒的な骨と筋肉の重みにあえなく撃沈する。

「大丈夫か?」

「なんとか」

 床にべしゃりと潰れたアイウェンの背からマカディオスがどく。

 アイウェンにマカディオスを持ち上げることはできない。そんなことは彼にだってわかっていたが、これは挑む意味のある無謀だった。

「肩車ができなくたってお父さまだぜ」

 お気に入りの物語の主人公の言葉をまねて父を呼ぶ。人間の姫君と海の魔物を両親に持つ少女の冒険譚が、今マカディオスの中で一番熱い本である。

 その前にハマっていたのは大泥棒の大活躍を描いた子供向けの短いお話シリーズ。タフで器用で頭も切れる大泥棒。ずるくてダメなところも多いが人情味もある。お話の見せ場では変幻自在にマントを操っていた。

 さらに昔の愛読書は巨人の絵本。ちょっと言葉遣いが荒っぽいが気は優しくて力持ちな巨人の物語は、ほのぼのと温かかった。腰巻だけ身につけたほとんど裸ん坊の姿もまた憧れだった。

「優しい子に育ったね」

 嬉しいような切ないような申し訳ないような顔だ。

「シボッツはお前に降りかかるだろう災いに備えて、色々と手を打っているそうじゃないか。私もお前に自分を守る備えをさせようと思ってね。どれほど可愛い子にも苦難の荒波は押し寄せるものだ」

「ああ、わかるぜ」

 半人半魔の少女の横顔を思い浮かべながらマカディオスが頷く。長いまつ毛に縁どられた神秘的な眼差しをた少女には、多くの困難が待ち受ける。

「私から我が子への贈り物は……渦巻く悪意への対処法。いつかお前が人の怒りや憎しみや敵意と直面した時に、おののくことなく自分で道を切り開けるように」

 どんなに幸せな子供でも、心がぐしゃぐしゃに塗り潰されるような出来事にいつか遭遇する。要領の良い大人でさえ嫌なことを完全に避けるのは難しい。不可能といっても良いだろう。だから困った事態の乗り越え方やしのぎ方、迂回ルートやズル技なんかも駆使して、どうにかこうにか潰れないよう日々を送る。

 ただアイウェンの口ぶりは、マカディオスに降りかかる苦難を確信を持って予期している風でもあった。

「贈り物か! ありがとよ!」

 マカディオスはお返しに何を渡そうかとワクワクして考えていた。

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