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崩れろ肉よ

「誠に申し訳ございません。せっかく村においでいただきながら、このような……」

 深々と頭を下げる村長に長衣(ロープ)をまとった女性は慈悲の笑みを向ける。

「良いのです。頭を上げてください」

「正していただく不心得者を必ずこの場に引っ立てて参ります。どうかそれまで村にご滞在を」

「はい、喜んで」

 『正答の教導者』に属するベラは品行方正の佇まいを崩さないまま、心の中では別の表情を浮かべていた。

(やっ……)

 ありったけの思いを溜めて。

(たーーっ!)

 高らかに解放。

(大異変の後も未だに『教導者』を頼ってくれる村、大好きー! 助かるー! この嘘吐きめって罵られたり石を投げられたりしなーい! 最高!!)

 この間もベラの表情は一切乱れぬすました微笑。

 大異変はこの世界のあらゆる住人に大きな影響を与えたが、特に翻弄されたのは『正答の教導者』といって良いだろう。それまでの世界で『教導者』が正しいと説いていたこと、それが空虚なものだと証明されてしまったのだから。

 今、世界は大きく二つに割れている。竜と王子が示した新しい世界を受け入れる者と拒む者。

 『無貌の作家』など本当は存在しない。深い叡智によって授けられた、と信じられていた物語は当てにできない卑小な心から作られたものにすぎない。

 そんなことが明らかになって『教導者』も以前のようにはいられなくなった。

(いやぁ、驚いた。まさか本当に世界をぶっ壊しちまうなんてなぁ。やってくれたぜ、王子さま。今頃どうしているのやら)




「これを飲むと変身できるのか?」

 クマの毛皮をかぶったマカディオスの手にあるのは、ゴブレットに入った妖しい液体。ウィッテンペンが作った薬だ。紫キャベツを入れたシチューみたいなドロリとした見た目。クンクン匂いを嗅いでみる。薬っぽい甘苦さ。

「そう! 飲みやすいよう甘い味付けにしてあるから安心してね!」

「心配だな。マカディオスが口にする前に俺が試飲する」

 いかにも不服といった眼差しでウィッテンペンが冷ややかにシボッツを見る。

「私の作った薬が信用できないの?」

「いや。甘すぎないかを確認する。極端に甘いものはまだ早いからな。もちろん何が何でも絶対に禁止というわけではなくある程度柔軟に。果物や素朴な菓子なら普段でも食べているし、不健康な甘さもパーティなど特別な日なら良いというのが教育方針で……」

「わかった。説明ありがとう」

 紫のドロドロをスプーンで一すくいして口に運んでいるシボッツを横目に、トムがウィッテンペンにささやいた。

「あの二人はどういう関係? すごく奇妙だ」

「んんー、それはなかなか難しい質問で私の口からは上手くいえない。一ついえるとしたら、私はマカくんとシボッツの関係が好きだな。貴方の目には奇妙に映るかもしれないけどね」

 トムはまだ腑に落ちない顔をしている。

 マカディオスはウィッテンペンの回りくどい言い方が不思議でならなかった。一言で済む簡潔な説明があるのに、どうしていい淀んでいるのかと。

「家族だよ。オレたちはただの家族だ」

 口の中が濃厚な甘みで塞がっているのを良いことに、シボッツは何もしゃべらなかった。


 保護者の許可が出てマカディオスも変身薬を飲むことができた。甘い味だったが薬っぽい変な風味もついていて、好きなだけ飲んで良いといわれても自分から口にしたいとは思えない代物だった。

 ヴォルパーティンガーも自分の分の薬を摂取する。

「準備は良いぜ」

「うん、それじゃいくよ。慣れない人は気分が悪くなりやすいけど、体に害は残らないからね」

 マカディオスとヴォルパーティンガーを座らせて、ウィッテンペンがとっておきの魔法をかける。


 崩れろ肉よ。

 暴れろ動脈。

 引き裂け肌を。

 獣の本能さらけ出せ。


 途端に襲われる浮遊感。頭の中身をわしづかみにされて、そのままブンブンと振り回されたみたいな目まい。体がものすごく熱い。ギチギチと筋肉や関節から不穏な音が聞こえてくる。痛みこそないが、今まで体験したことのない強烈な感覚に吐きそうだ。能天気なマカディオスも少し不安になる。よその家でゲロをぶちまけるなんて最悪な事態は避けたい。ウィッテンペンはステキなお姉さんなので格好悪い姿は見せたくない。

 大丈夫なのか? と確認したかったが、こういう時は静かに待つ方が物事が早く済むパターンが多い。もう少しだけガマンする。少なくともシャンプーや爪切りの場合はそうだった。

 ポン、と軽快な音と共に白い煙に包まれる。数秒後、煙が晴れた頃にはマカディオスの体はすっかり大瘤グマになっていた。ヴォルパーティンガーの角と翼は消え失せて、普通のウサギに変身したようだ。

「大丈夫か? よく頑張った」

 すかさずシボッツが駆け寄ってくる。耳の形がいつもと違う。丸く大きい。ネズミみたいに。よく見れば服の裾からちょろりとした長い尻尾ものぞいている。

「シボッツこそどうしたんだよ」

「うん?」

 自身の異変に気づき、妖精ネズミは小さくあっと声を上げた。

「……薬を味見したせいだな。俺まで変身する意味はなかったんだが」

「中途半端な変身だな。完全にネズミになった方がまだ愛嬌があるものを」

 ごく自然にシボッツをけなしつつ、トムはもふもふのクマとウサギを眺めてほっこりと幸せそうな顔をしていた。

「準備完了だな。いくぞ坊主」

 ただのウサギに変わっても、先生の声の渋さは健在だった。




 除け者。邪魔者。いらない者。

 逃げ出したトムを捕まえなくてはならない。

 自分に与えられた物語をこなせないなんて情けない限りだ。そんなトムに改心する機会を与えてやるのだ。

(欺瞞……)

 追跡者の一人は自分が掲げる思考のあまりのバカバカしさに、声を立てずに笑ってしまった。

 村は除け者を必要としている。物語の正当性が失われたからといって、損な役回りを引き受ける者がいなくなっては困るのだ。

(夜の森は恐ろしい。お日さんが顔を出してる間に見つかれば良いんだがなぁ)

 うっそうとした木々の合間からかすかに差し込む陽光を見上げ、視線を地面へと戻す。利口な犬は間抜けなトムの臭いをとらえている。哀れな犠牲者を逃すことはないだろう。そう高を括っていた。

 彼らの中にもし優秀な狩人が一人でもいたら、森の様子に違和感を覚えたはずだ。

 リスがじっと一行を眺めている。

 小鳥が意味ありげに飛び立った。


 追跡者達は薬草の群生地でついに目当ての人物を見つけた。

 トムは木にもたれかかって休んでいる。まだこちらに気づいてはいないようだ。

 まさに犬をけしかけようとした時、けたたましい声でカケスが鳴いた。トムがパッと顔を上げる。ロクに印象に残らないその顔の視線がガツンとぶつかった。

 パッとトムが駆けだしたが何も問題ない。犬よりも速い人間なんていないし、その上トムは手負いで森に詳しいわけでもない。

 トムは逃げながら後方に何かを落としていった。それは特に使い道もないようなちっぽけな小枝。鋭い棘のあるスグリとノイバラの枝を刈り取ったものだ。

 可哀そうな犬の悲鳴が上がる。

 追跡者達にはトムの背中しか見えないので、この時トムがどんな顔をしていたのか見ることはできなかった。

(凶暴な犬は怖いけど……。それでも犬の悲鳴は心が痛む!)


 追跡者との距離を少し稼げたが、これだけで逃げ切れるものではない。だんだんとトムの息もあがってくる。森の中を走るのは楽ではない。整えられた平地を走るのとは大違いだ。

 追いついてきた犬の牙が迫る。動物好きのトムの脚に喰いつく寸前に、一羽のウサギが犬の脇腹に飛び蹴りをお見舞いして去っていった。村人には何が起きたか見えていない。

(もうすぐだな)

 茂みに飛び込んだ後、先回りして次の危険に備える。目的の地点に到達するまでにトムが追いつかれるのだけは阻止しなければならない。

 無我夢中で逃げる風を装い、トムはある場所を目指して走っていた。仲間達と打ち合わせて決めたポイント。劇的な芝居を見せる舞台。

 高い高い崖にトムは向かった。追手に気を取られるあまり足元の注意が疎かになっていた。そんな不幸を演出し。

 落下。


 村人達が追いついた頃、そこに何かを引きずる不気味な音が加わっていた。

「……トム?」

 恐る恐る崖の下を覗き込む。灰色の毛をした巨大な獣がトムの体を持ち去るところだった。背中に隆起した瘤がいかにも恐ろしげだ。生物としての圧倒的な強靭さを肌で感じる。人間の身では到底かなわない。産まれついての強者、捕食者。肉を喰らい骨を噛み砕く者。

 追跡者は息を潜め、ただ大瘤グマに気づかれないことだけを念じた。トムのことなど、もはやどうでも良い。

 敵を恐れぬゆったりした足取りで人間一人をくわえた大瘤グマが立ち去る。

 惨劇の現場には、血で染まった布切れと片方の靴だけが残されていた。


 クマの姿のまま川の浅瀬をとおるマカディオスの頭に、一羽の小鳥が舞い降りた。頭を突いて三回鳴く。

「お。もう引き上げたか」

 マカディオスはシボッツと違い動物の言葉はわからない。事前に相談していた、追跡者の撤収を報せる合図なのだ。シボッツは家に残り森の鳥獣が伝える情報をさばいていた。

「ありがとう。これで俺は村の連中から死人として扱われると助かるんだが。あぁ、水で足が冷たい」

 靴をなくしたトムがぼやくが、顔にはホッとした笑顔が浮かんでいた。良かったなとマカディオスは素直に思う。

「背中に乗ってけよ」

「良いのかい? ふふふ、貴重な体験だ」

 トムは追手から逃れた安心感か、森の景色がやけに美しくきらめいて見える。クマの背に揺られながら、とりとめのない話をかわす。

「あの血は本物か?」

「鼻血だよ」

 トムが服の一部を裂いて血を含ませたものだ。ウィッテンペンが起こした魔法の事故でトムが鼻血を噴き出した時に思いついたアイディアだった。いかにも獣に襲われて破けたように引きちぎってある。

「トム、お前ってさえてるな。イチゴジャムを使うよりも良いアイディアだと思うぜ」

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