無限地獄の鏡台
命の尊厳と軽蔑された人生を、天秤掛けてはいけない。
そこは、都心からそう遠くない自然豊かな山村にある施設で、要介護者の高齢者の人たちが、その施設で数儒人ほど生活をしていました。
その施設には、毎朝、備え付けの鏡の前でお化粧をしている女性の高齢者がいました。私が、田中さんと声を掛けると「あら、身だしなみなの」と言って、微笑んでいらっしゃいました。
娘さん家族と生活をしていましたが、86歳になり少し認知症の症状が出始めて仕事で多忙な娘に迷惑を掛けたくないと言って、自ら介護施設へ入所してきました。
ある日、私が田中さんの部屋の前を通りかかると「ね、見てみて、素敵でしょう」と言って、娘さんがアンティークショップで買って来たという、高級そうな三面鏡を嬉しそうに見せるので「あら、素敵な鏡台ですね、娘さんからのプレゼントですか」そう聞くと、彼女は満面の笑顔を浮かべていました。
それから毎日、田中さんは鏡の前でお化粧を楽しんでいました。
ある日、田中さんの部屋の前を通りかかると。いつものように三面鏡の前に座り、お化粧をしているのかと思いましたが少し様子が変なんです。鏡の前に座ってはいるのですが、自分の顔をしきりになぜ回すように触りながら「あら、私の顔が変になっている」と言っているのが聞こえたので、私が「田中さん、どうかしましたか」と聞くと、田中さんは私の方を向いて「私のかをが変になってない」と聞くので、私は認知症が進んでいるのだろうかと思いながらも「何ともないですよ、いつもと変わりありませんよ」そう答えると、田中さんは「あらそう」怪訝な顔をしながら、また鏡を観ていました。
数日たったある日、田中さんはいつものように三面鏡の前に座り、今度は誰かと話しているようでした。それから、数日たったある日のこと、同僚の介護士さんから田中さんが私を呼んでいると言うので、田中さんの部屋へ行ってみると。田中さんは嬉しそうに「ねねね、こっちへ来て」田中さんが座っている三面鏡の前に行くと、田中さんは「ほら、こっちを見て。この鏡の手前から3番目にいる人が、私にこっちへ来ないかって誘っているのよ」田中さんが示す右側の鏡が、合わせ鏡のように成っていて、無限に続く鏡の手前から3番目に、写るはずの無い人影がこっちを向て手招きをしていたのです。恐怖で背筋が寒くなる感覚に襲われた私は「だめ!この鏡を直ぐに閉じて」慌てて私は、田中さんのお気に入りの三面鏡を閉じました。両手を上げて後ろに仰け反るように、目を見開き驚いていた田中さんは「きゃっ!何するの」と云うので、田中さん、「この鏡は危険だから当分の間は使わないで」そう強く言い聞かせて、三面鏡にカバーを掛けて部屋を出ました。
私は、次の日が休みなので引継ぎの介護士しに、田中さんの三面鏡の話をしておきました。その介護士は「うんうん、認知症の人に良くある幻覚なのかもしれないわね」と言って、話を軽く受け流していました。
休み明けに田中さんの部屋を観ると、部屋を片付けをしている人がいるので「田中さんは、部屋を変わったんですか」と聞くと、その人は「あら、知らないの。田中さんは昨日急に容態が悪くなって、お亡くなりになりましたよ」それを聞いて、あんな元気だった田中さんが亡くなるなんて信じられませんでした。そして、まさか、と思いながら、部屋の隅に置かれている三面鏡のカバーを、恐る恐る取り外して三面鏡を開くと、合わせ鏡になっている右側の手前から3番目に、笑顔で手を振る田中さんが居たのです。私は思わず「きゃっ!」と悲鳴を上げると、部屋の片づけをしてをしていた人が、どうしました。と私に近づいてきたので「ね、これを観て」と言って、田中さんが居る鏡を指さすと。その人は「何も写っていないわよ」と私を奇異な顔して私を見ていた。私が、もう一度鏡を観返すと、今度は左側に田中さんが映っていました。「ね、こっち側に写っている」と言うと、その人は「何も写っていないじゃん、大丈夫」と、その人が真ん中の鏡を見ると、無限大に続く合わせ鏡に、田中さんが居たのです。その人も、顔を強張らせて「やだ、嘘でしょう」二人恐怖で震える手で三面鏡を閉じて、二人とも部屋を出ようとしたとき突然、皆既日食の様に周囲が暗くなり時空が歪むようにドアや壁が歪み始めて、先に部屋の外に出ていた人が「早く出て!」と叫びながら右手を差し出した。
私は、彼女の手を掴もうと必死で右手を伸ばした。その瞬間、意識が飛んで気を失ってしまいました。
気が付くと、私は白い寝台のようなものに寝かされていました。
起き上がり、清代に腰掛けて周囲を見渡すと、壁から天井や床まで一面鏡張りのような部屋いました。すると、鏡の中から全身透き通るような人が現れて「今日は、貴方にとって恵の日です」と意味不明な事を云うので、私は「ここは何処ですか」と尋ねると、その人は「生命の根源、光満ち溢れる場所」はぁ?何を言っているのだろこの人、って言うか透き通っていて人かどうかも分からない。少し苛立ち「だから、此処は何処なの!私は帰りたいの、速くここから出してください」すると、その人は鏡の中へ溶け込むように消え去っていった。
腰掛けていた寝台から、鏡張りの床へ降りようとしたときです。それは、床では無く私は無限に続く合わせ鏡の中へ落ちてして行きました。
「うぁぁぁ」体を伸ばすように手足を広げて、心の底を見渡すように周囲を見渡すと、無限に続く鏡の中に亡くなったはずの田中さんが見えました「田中さん」一瞬目が合った時です。脇腹や手足が攣る感覚がして「ぅぅぅっ」呻くと、周囲から人影に取り囲まれ、人の声が「田中さん、大丈夫ですか」田中さん、違う私は田中さんじゃない。私は必死で声を出そうとしましたが、声が出ません。喉に人工呼吸器が装着されているみたいだ。手足を動かそうにも、手足が攣り1ミリも動かせない。心の奥此処から誰か助けてと叫び続けました。
私は、いつの間にか気を失っていたようでした。全身が焦げるように熱く感じて、目を覚ますと紅蓮の炎に包まれていました。「助けて!熱い、熱い、熱い、助けて、此処から出して」叫び続けていると、遠くの方から「ね、起きた」と声が聞こえてきました。
聞き覚えのある声で「佐藤さん、大丈夫、大丈夫、だからね」うっすらと目を開けると、看護師の鈴木さんが、私の顔を覗き込むように見つめていました。
部屋の中を見回すと、個室の病室のベッドに私は寝かされていました。鈴木さんに「田中さんは?三面鏡は、と聞くと。奇異な顔をして「何言っているの、田名さんも三面鏡なんて無いわよ。あんたはね、部屋の清掃作業中に薬品中毒で意識不明になったの」先生、佐藤さん・・・
次に目を覚ますと、病室の窓から白いカーテン越しに、陽光がキラキラと射しこんで、遠くから甘い花の香が風越しにしていました。ベッドのスイッチを操作して、上半身を起こして孫越しにそのと風景を観ていると、鈴木さんが私服で近づいてきたので「ここは何処なの」と聞くと、鈴木さんは「そうよね、分からないわよね」安堵を浮かべた顔をして「良かった、完全に意識が戻ったみたいね」そう言って、笑顔で私を見つめていた。
病院を退院して数日たったある日、同僚の鈴木さんから聞いた話によると。
私は、その介護施設が病院だった頃に病室だった部屋(今は倉庫)の清掃作業中に、床掃除に使う洗剤と棚から落ちて来た薬品が混ざり中毒を起こしてしまい、倉庫のドアの前で倒れていたそうです。私が、昏睡状態でいたのは7ヶ月ほどでした。
それから、私は介護士の仕事を辞めて実家のある島根県へ戻り、暫らく静養することにしました。
実家に戻った私は、窓を開け放った縁側に寝ころび、山々を流れる雲と風を感じて寝てしまいました。しばらくして、起きて座敷の奥にある鏡台に目が留まり、鏡台に掛けられていたアラベスク模様の布製のカバーを取り、鏡台の鏡を開けると、「えっ!」そこには、鏡越しに彼女を見つめる田中さんが手招きをしていた。逃れ慣れない悪夢に「嘘だー!」と恐怖した。
国後刑務所精神矯正施設、ガラス窓越しに寝台に寝かされ、手足を拘束された女性受刑者を見つめる男女2人の刑務官、女性「これ、あと何回やるの?」男性「あと、125回かな」女性「これ、本当に効果が有るのかしら」男性「さーね、法律で責任能力の無い凶悪犯罪精神異常者にも刑罰を科す、遺族感情に配慮した法律が出来たから仕方ない」女性「それにしても、本人は刑罰を受けている自覚していなければ意味がない」男性「意味は有る、彼女は認知症の高齢者を、分かっているだけでも180人も殺した凶悪犯罪者だ」
彼女と同じ凶悪犯罪を犯した精神疾患のある受刑者たちが、ずらりと並んだ寝台に拘束され、受刑者たちがロボトミー刑を受けているのであった。