閑話2 グレース・モリス
わたくしの名前はグレース・モリス。元は帝国の子爵令嬢でしたが、家の没落で奴隷になり、とある侯爵家に仕えておりました。その侯爵家も奴隷の虐待が国に露見し、なぜか通常よりも重い処分が下されました。そしてわたくしを含めた奴隷が全員奴隷商へと戻されたのです。
莫大な借金は侯爵家への二十年以上の奉仕でも返しきれず、まだ残っています。わたくしももう四十二歳となりましたが、さすがにこの歳になった奴隷はそう売れるものではありません。が、奇特な方というのはいらっしゃるものですね。
わたくしをお買いになったのは、情報ギルド『ヒノマル』という組織でした。聞いたことのない組織でしたが、奴隷のわたくしに選択肢などありません。
ご主人さまとして現れたのは黒髪黒目の小柄な若い男性でした。自己紹介はあとでまとめてするとのことで、すぐにどこかへ行ってしまわれました。
帝都の奴隷商からご主人さまの部下だというロナールという兎人族に連れられてやってきたのは、貧民街との境にある建物でした。ここが『ヒノマル』の帝都支部とのことでしたが、わたくしたちが働く場所はここではないとのこと。地下へと連れられて廊下を進み、扉を潜ると広いドーム状の空間に出ました。
「さっき渡した鍵がないとここは通れないから気を付けるように」
「承知いたしました」
首から下げたカードを見やると、細かな装飾がきらりと光を反射していてとても高価そうです。なんでもわたくし専用で貸し借りはできないとのこと。
それよりも――
地下だというのにさっぱり意味が分かりません。どう考えてもドームの天井は、下ってきた階段よりも高いと断言できます。しかもどこに光源があるのはわかりませんが、うすぼんやりと明るいのです。
「こっちだ」
「あ、はい」
ポカンと天井を見上げていたわたくしに声をかけると、ロナール様が迷いなく進み始めます。扉がいくつもある通路を抜けていくと、一つの扉を開けて潜っていくのでついていきます。廊下に出るとすこし肌寒さを感じました。
「しばらくここで待機だ」
「畏まりました」
「ここにある物は自由に使ってもらってかまわない。呼ばれるまで飲み食いも自由だ」
広い部屋は待合室と言えばいいのでしょうか。イスとテーブルが等間隔に並んでいて、ティーセットやお菓子なども並べられています。先客も何名かいるようですが、皆さん首にわたくしと同じものがついているので、同僚となる方でしょうか。
「こんにちは。私、セバスチャン・ウィンスローと申します。恐らく同じ主人に仕えることになると思いますが、どうぞお見知りおきを」
困惑しつつもロナール様を見送っていると、執事然としたロマンスグレーの男性に自己紹介をいただいたのでこちらもお返しします。
「グレースさんですか、ちなみにどちらからいらっしゃったかお聞きしても?」
「わたくしは帝都から来ましたの。……ここはどこなんでしょうか?」
「それが私もさきほど連れてこられたばかりでして。全員揃ったら改めて説明をしてくださるそうです」
「なるほど……」
「しかし帝都からですか……」
「はい。……何か問題でも?」
考え込むセバスチャン様に少しだけ不安になってきてしまいます。
「いえ……。私はアークライト王国の交易都市ザインから今日連れてこられたのですよ」
「え?」
「あたしはさっき商都から連れてこられました……」
料理屋でウェイトレスをしていたという平民のレイチェルさんが、びっくりしながらも話に入ってきました。
他にも聞けばフェアデヘルデ王国から来た者もいるらしく、どうもこの四か国から奴隷が集められているようです。
「ご主人さまとはいったい、何者なのでしょうか」
「それはわかりませんが、すさまじい魔法の使い手であることは間違いないでしょう」
セバスチャン様がごくりと唾を飲み込む音が聞こえるように喉を震わせます。今日一日だけでこの広大な大陸中から人を集められるなど、まったく想像がつきません。
「うん? 全員突っ立ってどうした」
全員でご主人さまに恐れを抱いているところに、わたくしをここまで案内してくれたロナール様がまた新たに人を連れてやってきました。
「まだもうちょっとかかるからくつろいでくれてかまわんぞ。そこのフィナンシェって焼き菓子は絶品だからぜひ食ってみてくれ」
返事も聞かずに去っていくロナール様に、ふと自分の仕事を思い出します。
「ではわたくしがお茶を淹れますね」
追加でやってくる人のために多めにお湯を沸かし、人数分のお茶を淹れていきます。皆様へ行き渡ったところでわたくしも席へと着き、お茶をいただきます。ロナール様がお勧めしてくださったフィナンシェを籠からつまむと、一口いただきます。
「……おいしい」
「これは……」
しっとりとした食感に、ふんわりと鼻に抜けるこの香りはなんでしょうか。今まで食べたどのお菓子よりも美味しいです。こんな高価なものを奴隷に振舞うなど信じられません。
とても恐ろしい力を持ったご主人さまではありますが、待遇は悪くないどころか今までで最高ではないでしょうか。上げてから落とされる可能性もなくはないですが、可能性は低いでしょう。
そうこうしているうちに時間になったようです。
「よし、全員揃ったな」
ロナール様が最後の奴隷を連れてきてそう告げました。
「今からグランドマスターのお屋敷へ行く。皆ついてくるように」
後について建物を出ると、他に大きな屋敷が三つありました。でも他に建物は何も見当たらず、まばらに生えた木と草原が広がっているのみで、四方を山に囲まれています。本当にここはどこなのでしょうか。
そして案内されたお屋敷にてご主人さまと対面を果たします。ご主人さまがSランクの冒険者ということは心強かったのですが、Sランクの従魔を二体も紹介されたときは血の気が引きました。
わたくし、ここでうまくやっていけるのかとその時は思いましたが、ニルちゃんやフォニアちゃんはとても可愛いですね。今ではわたくしの癒しとなっています。ここは本当に最高の職場です。




