閑話2 楓
「お母さんも元気そうでよかった……」
入院しているとお父さんから聞いたときは心配したけれど、お父さんとじぃじとお見舞いに行ったら泣いて喜んでくれた。こんなところに引きこもってる場合じゃないってお母さん言っていた。
私がいなくなって精神的に参ってたって後からお父さんから聞いて、そりゃ元気になるはずだってみんなで笑ってた。すぐに退院できるかわからないけど、私がこうして帰ってきたし大丈夫だと思う。
「じゃああとは、お婆ちゃんに報告だな」
「うん……」
お父さんの言葉に気分が沈む。私が異世界へと召喚されてから二年ほどで亡くなったらしい。おばあちゃん、あんなに元気だったのに。
私がいない五年間でいろいろなことがあった。お母さんのこともだし、お婆ちゃんのこともそう。本当なら私も高校生のはずだけど、小学校も卒業できていないしこれからどうなるんだろうって不安もある。
車で三十分ほど走ると、少し小高くなっている丘の上のお墓へと到着する。お父さんとじぃじに案内されて階段を上っていくと、お婆ちゃんのお墓の前に立った。
「お婆ちゃん。楓が帰ってきたぞ。ほら、見えるか?」
お花をお供えして墓石を綺麗にしながら、お父さんが話しかけている。じぃじも嬉しそうにして私の帰還を報告しているけど、どうしても私の気分は晴れない。
家族からお婆ちゃんが亡くなったことは数日前に聞かされていたけれど、ぜんぜん実感なんて湧かなかった。
「お婆ちゃん……」
だけど、実際にお墓の前に立てば嫌でもわかってしまう。お父さんやじぃじにとっては二年前だろうけど、私にとってはついこの前だ。零れ落ちる涙を止められずに、声をあげて泣いた。
「楓……」
お父さんとじぃじに背中と頭を撫でられる。
向こうだと十五歳で成人を迎えるから、私はもう大人になった気分だった。でもここではまだまだ私は子どもなのだ。
なんとなく恥ずかしくなってちょっと涙が引っ込んだ。
ちょうどそのとき、奥にあったお墓のお参りを終えた男の人がこっちに近づいてくる。すれ違うために端に寄ったけれど、ちょっとだけお父さんとぶつかってしまった。
「あっと、すみません」
謝りながらも早足に去っていく男性。
「まったく……」
お父さんが憮然とした顔で見送っていると、去っていく男性がスマホを取り出して、そのまま駆け足で走り出す。
「……待ちなさい!」
駆け出す理由にピンときた私は、ほぼ反射的に声を上げて男を追いかけ始めた。
「楓?」
驚いたお父さんとじぃじから声がかかるけど、このまま男を逃がすわけにもいかない。
男もこっちを振り返ると、驚いた顔をしたまま速度を上げて階段を駆け下りていく。同じように階段を下りていけば追いつくのに時間がかかるので、私はそのまま手すりを乗り越えて飛び降りる。
「楓っ!?」
背後から悲鳴が聞こえるけれどあとは落下するのみだ。
「うわああっ!?」
下の通路へと着地した瞬間に、先に逃げていた男も悲鳴を上げて立ち止まる。
ゆっくりと立ち上がって男を見据えると、男が怯えたように後ずさっている。
「な、なに……?」
「何って、わかってるんでしょう?」
とぼけた顔で聞いてくるけれど、こういう輩はあっちの世界にごまんといた。現行犯でとらえれば、証拠品を自分自身で持っているので言い訳はできない。
「さっさと盗ったもの出しなさい」
「……は?」
「だから、さっきお父さんから何か盗ったでしょう?」
「何のことだよ?」
戸惑いと苛立ちの入り混じった声で男が荒立てる。
「急いでるんだけど、なんなのさ?」
手元のスマホを覗き込むと、顔を顰めている。
「楓! どうしたんだ急に!」
「あ、お父さん!」
しばらくするとお父さんたちも階段を下りて男の後ろから現れた。
「安心して。ちゃんと盗られた財布返してもらうから」
「はぁ?」
「へ?」
「うん?」
私がそう宣言すると、男からは呆れた声と、家族からは素っ頓狂な声が上がる。
言葉が浸透してきた頃にお父さんがポケットや上着の内側を確認するも、首を傾げている。
「なんも盗ってねぇし! なんなんだよ!」
「そんなわけないでしょ。じゃあなんであの時走り出したのよ」
「急いでるんだよ! もう時間がねぇの!」
スマホを見せながら抗議する男だけれど、ここまできて認めないとかちょっと潔さがないな。
「あー、楓」
「なに?」
しかし、戸惑ったままのお父さんから告げられた言葉はまったく予想していないものだった。
「お父さんは何も盗られていないぞ?」
「……え?」
聞いた言葉が信じられなくてお父さんを見れば、何度もポケットや上着の内ポケットを確認している。もちろんその中には財布もあって、取り出して見せられれば一目瞭然だ。
「ほらみろ! くそっ、急いでんのに……、なんなんだよ」
呆然としていると男も疑いが晴れたのか、そのまま私の横を悪態をつきながら走り去っていく。
「はは、怪我はないか、楓」
「三メートルくらいあったけど、大丈夫なのか?」
「……あ、うん」
私が飛び降りた高さを見上げながら、お父さんとじぃじが心配とも呆れともつかない表情を浮かべている。
「ここはそんなに治安は悪くないんだぞ」
「あっ」
苦笑しながら口にしたお父さんの言葉に、ここはあっちの世界じゃないんだと思い出した。
「ご、ごめんなさい……」
「ああ、儂はいいんだがな」
そうだった。謝る相手はあの男性だ。
そう思って振り返るもすでにその姿はなくなっている。急いでいるのは本当だったのだ。あのタイミングで走り出したからてっきりそうなのかと思ったけど、スマホで時間を確認していたのか。そう思えば不自然でないのかもしれない。
恥ずかしさと申し訳ない気持ちで俯いていると、頭の上にポンと手が載せられる。
「ゆっくりと慣れていけばいいさ」
「そうだな。時間はまだいっぱいあるんだ」
「うん」
お父さんとじぃじの言葉に、こっちはこっちで大変そうだと実感するのだった。




