強情
なにかすると突然人が変わったようになる人はけっこういるものだ。「あの人は酒を飲むと仕事の愚痴しか言わない」「車を運転するとものすごく強引になる」。いろいろとみた経験のある人も多いだろう。自分ではそう思っていなくても周りがそう見ているということもある。
職場でヨシナカさんはふだんは穏やかで冷静な人なのだが、なにかについて持論があると、それを主張して決して譲らないところがある。そういう状態になると職場の上司だろうが親友だろうが誰が何を言っても受け付けない。論理的に真っ向から勝負して反論の余地が無いようにしないと引き下がらないのだ。しかし、自分のほうが間違っていたと認めたときはきれいさっぱりと引き下がる。そういう意味では悪い人じゃ無いと思われていた。けれども世の中、正論だからとか、筋が通っているからといってもそれが通らない場面もあるし、論理的に相手をやり込めてしまうのがかわいそうということもある。だから職場ではヨシナカさんと話しているときに「これはヨシナカさんの波だ」と感じたときは素直に引き下がるか「ちょっとトイレ」とかいって逃げたり「ああ、おなかすいた。きょうの昼はハンバーグにしませんか」とか適当に話を変えてしまったりするスキルが必要とされていた。それでも、上司の場合はそういうことができないときもある。自分の指示に従ってもらえないのでは困るからだ。そういう面でヨシナカさんは評価が低くなってしまうので、仕事はそれなりにできるのに出世は平の一個上の主任で止まったまま10年以上経つ。
ある日、仕事帰りに職場の同僚たちで一杯やりに行こうと言うことになった。数人で話しながら目当ての店に向かっているとき横断歩道にさしかかった。信号は赤。この道路は片側2車線だから反対側までそれなりに距離がある。みんな立ち止まって信号の切り替わるのを見ている。そこで一人の年寄りがいて、その年寄りに「一緒に渡りましょう」といって手助けを申し出た男性がいた。見たところ40代半ばくらいの男で薄い茶系のカッターシャツに濃茶のズボンをはいている。信号が青に変わるとその男は年寄りをエスコートして横断歩道を渡っていった。それをみてヨシナカさんの同僚が、
「ああいうことを即座にスッとできる人は勇気があるナァと思いますよ。僕は知らない人に声を掛けるだけでも苦手で」そういった。それに呼応してもう一人が、
「人に奉仕するって、自分も切っ掛けがないとなかなか」そういった。
「人の幸福せの為に働いている人は尊敬しちゃいますね」もう一人がそういった。ここでやめておけばよかったのだが、仕事上がりで気が緩んでいたのか、ヨシナカさんに話を振ったものがいた。
「ヨシナカさんは、こういうことにはなにか意見があるんですか」
ヨシナカさんはこの話題について話したくなかったのかも知れない。少しためらったようにしてから口を開いた。
「人は、自分の利益になることしかしない。わたしはそう考えているので」
ヨシナカさんのこの考えには同僚達も少し反発を覚えた。
「それはなんだかおかしくないですか。われわれも自分のことしか考えていないって言われているようで、あまりいい気分はしません」一番若い同僚が少し口をとんがらせてヨシナカに言った。
「ううん。自分のことしか考えていないといってるんじゃ無いよ。利益になることをしている、といったんだよ。「利益」ということばが引っかかったかも知れないが。誰でも。わたしももちろん、みんなそうだと思っているよ……」
「あの、さっきの年寄りと一緒に横断歩道を渡った人も、自分の利益のためにやってるんですか?」
「そう。あの人は、ああして年寄りを助けた。人助けは尊いことだね。尊敬できる行為だ。だからそういうことをすると幸福を感じられる。だからあの人は人助けをする。人はみんな、突き詰めればすべての行為で、それをすれば幸福を感じられるからやってるんだとは思わないかい?善か悪かではなく……」
ヨシナカのこの言い分には同僚達は、何かモヤモヤした、答えの無い問題を見せられたような感じがして、それ以上誰も何も言わなかった。ヨシナカは後悔していた。でも、もう言ってしまった。彼はこうして最後まで自分の考えを言って幸福を得た。
「さー、お店についたよ」ヨシナカは先頭に出て店の扉を開けた。