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虚構の月は蝶を誘う  作者: はちす
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~朝暉編 第4話~

水月の天道には行ってはいけない。

昨日のチドリの話で、眠れなかったロウジは、ぼんやりとした顔で畑仕事を手伝っていた。

頭上の太陽は、ロウジを容赦なくジリジリと照らし、額に汗がジワリと伝う。

水を含んだ土も、太陽に照らされることで、ほんわりと香ばしくも苦い匂いをキラキラとした蒸気と共に漂わした。

蒸しっとした湿気の漂う畑で、ゆっくりとしゃがむと雑草を力強く抜いた。

頼まれた仕事はちゃんとしておかないとジジィにまた殴られる。

根っこにくっついてきた土粒がパラパラと粉塵のように舞い、雑草の青臭い匂いと土の香ばしい匂いが指先に纏わりついた。

これも夏の匂いに似ている。

いく筋も額に汗が伝い、その汗を拭うように一矢の風が吹き抜ける。

水月の天道とタイウの腰巾着達が言う常世の祠について聞くことができなかったな。


「ロウジ、どうしただー?」


風が過ぎ去った方向をジッと見つめるロウジに与作がにこやかに声をかけた。

その手には、むしり取った雑草がしっかりと土と共に握られ、手は土で茶色に染まっている。

与作の声に意識を取り戻し、流れる汗をぬぐった。

無言でジッと見つめるロウジに与作は首を傾げ、手に這い上がってくる甲虫を指でピンと弾く。


「ねぇ、水月の天道と常世の祠って何?」


ジジィに尋ねるよりましと思い、思い切って与作に尋ねてみた。

だが、与作は、目を丸くし


「ぜってぇー、祭りの日は行っちゃなんねぞっ!」


ロウジの予想と反する反応を示すと、声を荒げた。

いつもの与作らしくない反応に、ロウジは少したじろいだ。


「すまねっ、ロウジは、なんも知らんべな?」


与作は、自分の行いに溜息をつき、首を垂れると無言で佇むロウジにバツが悪そうに微笑んだ。

その質問にロウジはこくりと頷いた。


「星祭って言っでな」


無言でうなずいたロウジに優しい声で与作は、ゆっくりと話した。


「星祭は、婆ちゃんに聞いた。」


「ああ、そりゃいい。ばっちゃは、弐人の使い様を迎える家のもんだべよ。」


また、気になる言葉が出てきたが、今はロウジに関わる常世の祠と行ってはいけない水月の天道について知るのが先だ。

与作のもとに近づき、掴んでいた雑草をばっと払い捨てると話を促した。


「それで、水月の天道と常世の祠って何?」


与作は、うーんと唸り答えるか少し迷っていたが、ジッと見つめるロウジに負けて口を開いた。


「東に祠があんのは知ってんべ?」


ロウジは静かに頷く。

毎年、豊穣を祈ったり、村で子供が生まれたりする時に、報告をするこの村の神様を祀った祠があるのを知っている。

太陽が照っていて、蝶々がよく飛んでいるので、気分転換にたまに捕まえに遊びに行く。

神様を祀っているからか、その場所に行くとすーと心が晴れやかになった。


「そん反対に、水月の天道があっでよ、そん先に弐人の使い様の世界と繋ぐ常世の祠があんべや。」


そう言い、西の山の尾根を指した。

以前、東の祠から家に帰る際に、参道が西に続いているのに気が付き手前まで歩いて行ったことがあった。

だが、灯篭の続く参道の奥は、薄暗く、虫の鳴き声も一切聞こえてこなかった。

線香のような煙たい匂いが奥から立ち込め、来るものを監視するような大きな杉が左右に並び、その杉には、恐ろしい妄想を掻き立てるように縄が巻き付いていた。

東の祠と対極的にまるで何かが立ち入るなと強く言っているように不気味な雰囲気であったのを覚えている。


「水月の天道は、弐人の使い様が祭りに通る道の名前だ。」


昨日のチドリの話だと弐人の使い様は、悪い魂を食べる怖い得体のしれない恐ろしい生物であった。

ロウジはぶるると悪寒が走るのを感じた。

きっと先ほどの風が寒かったのだろう。

蝉がジリジリとした鳴き声をあげ、ロウジに暑さを思い出させた。


「いっがぁ、絶対行っちゃねぞ。おめぇは、ただでせ、よそさから来て、軍人さ言うとんべよ。」


震えているロウジを見て、与作はかわいいところもあるものだとにこやかに笑った。

そして軍人を悪く言うなと食って掛かろうとするロウジの頭を抑えるとわしゃわしゃとその頭を撫でる。

汗で蒸れたロウジの頭も、入道雲の似合う夏の匂いがしていた。


「弐人の使い様に捕まって食われんように気を付けるべよ。」


そう言うと与作は、グッと青空に背伸びをすると肩をぐるぐると回し、再び畑へと向かった。


「さ、仕事すんべや。休んでっと、じっちゃにどやされっぞ。」


あっと声をあげるロウジにそう応えると、せっせと再び雑草を抜き始めた。

その後は、何も聞けずロウジもブスッと黙ったまま、雑草をぶちぶちと力任せに抜いた。

仕事をする背中に、蝉の声が、陽炎を作るようにゆらゆらと熱を含み響く。

暇であったら、二度と鳴けないようにその羽を全部むしってやりたい。

太陽に背を焼かれながら、幾筋も流れる汗を土の微かについた腕で拭う。


「根っこをしゃんと抜けっ!」


蝉の声を一斉にかき消す声がロウジの背中にびくりと響く。

いつの間にか姿を現していたジジィが、根っこごと雑草を抜かず、ちぎった草をそこかしこに散らかしている様に活を入れる。


「うるせぇ…。」


熱さに少しふらつくロウジに、いつもの元気はなかった。


「ジっちゃ、やぐら組み終わっただか?」


与作が、畑から顔を上げ、ジジィに嬉しそうに尋ねる。


「終わった。」


ジジィは、軽く答えたが、自身の仕事の達成に誇らしげに鼻で息をしていた。

バカみたいだと見つめるロウジにジジィは、ニカッと笑い、いつになく上機嫌であった。

村の仕事ができることはそんなに偉い事なのか。

くだらない。

そう思いながら、休憩用にジジィが持ってきたお茶を一気に飲み干した。

キュウと音が鳴りそうなほどに冷えた麦茶が、熱さと疲れを一気に癒し、ロウジはふぅと一息ついた。

蝉の声もどこからか連れてきた涼しい風に戯れるように静かに響き始めた。

さわさわと草が揺れる音が心地よく、ロウジを柔らかくまどろませた。

はっと気が付いた時に、ロウジは自分が寝てしまっていたことを知った。

木陰でついうとうとと眠ってしまったみたいだ。

日に焼けないように被された麦わら帽子をさっととるとジジィの背中が視界に映った。

怒られる。

咄嗟にジジィを見たが、ジジィは目を覚ましたロウジを怒ることはなく、不思議そうに見つめた。


「どうした、怖い夢でも見たか?」


作業をしていたのだろう、腰をとんとんと叩きながら、のんびりとした口調で尋ねる。

少し拍子抜けだ。

慌てている自分が少しバカみたいだったので、顔を伏せ別にと呟いた。


「与作、しばらくは屋台の準備さ、力入れるぞ!」


また気合を入れるようにジジィが吠える。

たかが田舎の小さなお祭りで、何をそんなに熱くなっているのか分からない。

そしていつになく見せるキラキラとしたジジィの姿は、子供じみていてロウジは何故か嫌な気持ちを感じた。


「おうよ、ジっちゃ!」


ブスッとするロウジを横に、与作も腕をまくり、祭りに対する気合を見せた。

その様に、にかッとジジィは笑い、橙に輝く熱い太陽に負けないように空を見上げた。

命令をしたり笑ったりと忙しないジジィに、何故か素直になれないでいた。

ジジィに手を引かれ帰路につく際、ロウジは静かに思った。

手を繋ぐまでは、恥ずかしい気持ちが何故か自分をイライラさせ嫌がった。

だが、手を引かれながらその曲がっていても大きな背中を見ると心の奥でほっと安心する気持ちがあった。

もう返事が来ないことをロウジは、気が付かないまま、心の奥底で知っていた。

そんなロウジを包み込むようにここの自然はとても綺麗で、温かかった。

絵具を買ってくれて、群青や茜色、黄色を程よく混ぜた空の色がどれだけ美しかったか、父は熱く語っていた。

その空を今、自分も見ていると静かに伝える。

一人ではないとかさかさとした温かい手がロウジに伝え、それを確かめるようにロウジは手に力を少しいれた。

群青と茜色それに黄色を少し入れたような夕日を背に二つの影が帰路につく。


「ロウジ。」


ジジィが少し照れたような声でロウジの名前を呼ぶ。

ロウジは、んと適当に気のない返事をしたが、ジジィはその態度を咎めることなく続けた。


「お前も、祭りで、いっぱい笑えよ。」


もっといろいろ言いたいことがあるのだろう。


「田舎の祭りなんて、興味ねぇよ。」


心の中で、熱くなる何かがその気持ちを隠すように悪態をつく。

ロウジの気持ちを分かっているのだろうか。

ジジィは、やはり咎めることなく笑っていた。


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