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虚構の月は蝶を誘う  作者: はちす
3/4

~朝暉編 第3話~


日中の熱を含んだままの夕闇を背に再び家に帰りついたロウジは、身をかがめ、ぴったりと扉に張り付き耳を当てた。

また何か小言を言われてはたまらない。

息を殺し、ジッと家の中を探る。まだ家に帰れていないつくつくぼうしの声がジリジリと邪魔をする中、家の奥の方からトントンと軽快な音が伝う。

あっと気がつく腹の虫をぐうと鳴かすおいしそうな匂いがほこほこと漂ってきた。

先ほどまでの警戒が嘘のように、ロウジはすぐさま立ち上がると扉をガラガラと勢いよく開け、バタバタ駆け込み靴を脱ぎ散らかした。


その足音に気が付き、祖母のチドリが奥からにこりと柔らかな皺を作った笑顔を覗かせた。


「あら、ロウジさん。今お帰り?」


ぺったりとした白髪が橙色の電灯の下で、つやつやと輝く。


「ただいま帰りました。」


ロウジもにこりと笑うと母と父から口を酸っぱくして教えられた作法通り恭しくお辞儀をした。


「今日も暑かったでしょう?さぁ、おあがりなさい。」


穏やかな顔で、濡れた手を割烹着の裾で拭いながら、ロウジを迎えいれようと手を差し出す。

その手をさっとかいくぐるとロウジは奥の部屋へと走った。

男は、台所に入ってはいけませんと母に言い聞かされていたが、ロウジは暖簾をくぐり構わず台所に入った。

台所で大きく息を吸うと、母の台所と違って心を安心させるような匂いが漂う。

匂いの元であるチドリの作る料理をキラキラと眺めているとゆっくりとロウジを追いかけてきたチドリが、ようやく到着した。

ロウジの様子を特に咎める様子もなく、ロウジの目にキラキラと映る料理を指さす。


「今日はね、かぼちゃの煮物とアメゴでしょ。」


説明するチドリの隣にぴったりとくっついて見守るロウジの様子にクスクスと笑いながら今度は、鍋を指差し教えた。


「そうそうロウジさんのおやつに、にら饅頭を作ったのよ。」


蓋がゆっくりと開かれると翡翠色の饅頭が油をテカテカ輝かせコロコロと鍋の中においしそうに並んでいた。

また腹の虫が空腹を訴え鳴き声を上げる。


「お夕食までにまだ時間がかかりますから、にら饅頭、召し上がりなさい。」


ジッと無言で鍋の中を見つめるロウジにチドリは優しく言った。


「お皿に盛ってあげますから、手を洗ってくるのですよ。」


鍋の中に手を伸ばそうとしたロウジを嗜めると、勝手口に目をやり行儀よくねと諭す。


「そうそう、手を洗いにいくなら外にキュウリを冷やしているから取ってきてくれる?」


ロウジは軽く返事をすると勝手口の土間に置いてある、大きいサンダルを履き、ガポガポと不安定な音をゆっくりたてながら、素直に外へと出た。

外に出ると真っ赤な太陽が山の向こうへとゆっくり沈んでいき、夜の闇がゆっくりとヴェールを伸ばしている。

先ほどまで、あんなにうるさかったつくつくぼうしは、もう家に帰っていったのだろう。

つくつくぼうしに代わり幾分と穏やか虫の音がさわさわと風の音のように響く。


ここは、自分の家と違い、水道の蛇口がなく、水を使うためには手押しポンプのレバーを握り、水を井戸から汲み上げなければならない。

ゆっくりとひと呼吸し、着物の袖をまくり上げるとレバーをぎゅっと握り締めた。

手押しポンプの横で、桶の中で並んで涼むキュウリを他所に、ザラザラとした手触りのレバーに力を込めて押し下げる。

少し苦労するが、何度かレバーを押し下げると飛沫を上げ勢いよく水が噴き出した。

勢い余った流水が桶の中のキュウリを蹴散らし、辺りを水浸しにしたが、しばらく手押しポンプで遊んだ後にロウジは、泥まみれになったキュウリと手を洗い満足した顔で家へと帰った。


チドリにびちょびちょの手でキュウリを渡した後、軽く叱られ服を着替えるように言われた。

ちぇっと悪態をつきながら、ロウジは自分の部屋に向かい濡れた着物のまま箪笥から着物を取り出した。

着物の横には、自分がここに来る時に来ていた洋服と母が持たせた着替えが数着ロウジに袖を通されることのないまま、眠っている。

袖口に赤い刺繍が入っているのと金色のボタンが軍服みたいでロウジが気に入っている服だ。

紋章の彫られたボタンを指で触りながら、この村には相応しくないとジジィに言われたのを苦く思い出した。


「クソッ…。」


暗くなった部屋で、静かに呟き襖を強く締めた。

居間に戻るとちゃぶ台の上にロウジのためにとにら饅頭が置かれていた。

きょろきょろと様子を伺うロウジにチドリがにこりと笑う。


「召し上がれ。」


さっと手に取り頬張るともちもちとした食感がおいしく、空腹も相まって一つ二つと口に入れた。

ロウジの様に口元をほころばせる。


「お口に合ったようでよかった。」


料理の準備が一段落つき、チドリがよいしょとロウジの前に座る。


「ロウジさんの住んでいた所とお料理がぜんぜん違うでしょ?」


無言で頬張るロウジにチドリが優しく話しかけた。


「うん。」


はにかんだように頷くロウジ。


「確か、魚をいい匂いのする油につけるのよね。」


「オイルサーディンって言うんだ。」


名前は何だったかしらと呟きながら、思い出そうとしているチドリにロウジが得意げに答えた。


「おいさーでん?難しい言葉ね。魚の油づけでいいじゃない。」


クスクスと笑うチドリ。楽しそうに笑っているが、初めて会ったときよりも痩せてしまっていたのは、ロウジにも分かっていた。

開けたままのガラス戸から時折風が吹き込み、チドリの薄い白髪を吹き消すように靡かす。

昼間に太陽をめいっぱい吸収した乾いた木材の匂いと湿気った土の匂いが漂い、夏を居間に静かに伝えた。

しばらく他愛ない話をしていると、外はどっぷりと暗くなってしまっていた。

家に迷い込む羽虫を払いながら、チドリが蚊取り線香に火を灯す。

チリチリと橙色の火を灯しながら白い線を天井へとゆらりと棚引かせていく。


その様子をジッと見つめ、ここは平和なんだなとじっくりと噛み締めた。

蚊取り線香の煙のせいだろう、目に涙がじわりとにじむのを感じ、ロウジはくるりと背を向け、きょとんするチドリを横に縁側へと移動した。


「煙たかったわね。」


ロウジの心を知ってか優しい声で、ロウジの頼りない小さな背中をそっと包む。


「ロウジさんのお父様も蚊取り線香の煙が苦手だったのよ。」


ロウジも知っていた。

煙が嫌いなんじゃなくて、虫を殺すのが嫌いなんだ。


「ああ、でもカルシカは虫を殺すのが嫌だったわね。」


しんみりとした声色でチドリが呟く。

畳に虫が何匹かぽつぽつ落ちていることに気が付き、チドリは、そっと蚊取り線香の灯を消した。


「知らずに入ってきたのに、かわいそうよね。」


父が言いそうな言葉であった。

縁側の奥に薄っすらと見える村の明かりはいつもより多く灯り、山の尾根をぼわりと照らし、賑やいでいた。


「みんな、星祭の準備で忙しいから」


不思議そうに村の明かりを覗くロウジにチドリが優しく教える。

ほしまつり。

その言葉で、昼間にあった胸糞悪いタイウ達との出来事を思い出した。


「ねぇ、星祭って何?」


そして自分だけが知らない星祭の事を知りたかった。

立ち上がろうとしたチドリの裾を掴み、真剣な表情で尋ねるロウジに再びきょとんと目を丸くした。


「あらぁ、お父さんから聞かなかった?」


真剣なロウジと対照的にゆっくりと答えるチドリにこくりと頷いた。

何で、教えてあげなかったのかしらと頭の中の疑問をぶつぶつと漏らしながらも、チドリはゆっくりと星祭について話し始めた。


「年に1回この村で行うお祭りでね。」


ロウジは、今度バカにしてきた時にきっちりとやり返せるよう、しっかりと耳を傾けた。


「亡くなった人の魂が月に無事に帰れるように、弐人の使い様に代わって送ってあげるお祭りなの。」


慰霊祭のようなものだろうか。

寂しい明りの灯った蝋燭を携え、戦死者の霊を見送ったお祭りを思い出した。あれは、お祭りと名はついていたが、息の詰まるような厳かな儀式であった。皆一様に、黒い服に身を包み、風の声のような鳴き声を響かせながら、慰霊碑に行進した。

怒りを面にだすことのなかった父が、震えるような怒りを静かに滲ませていた顔が今でも脳裏に残っている。

顔を曇らすロウジにチドリは優しく頭を撫でると穏やかな表情で星祭の話を続けた。


「そしてね、弐人の使い様に喜んでもらうためにお菓子や社を用意するの。この村には、弐人の使い様の探す半神も悪い魂もいませんとお伝えするのよ。」


よく出る弐人の使い様は、きっと化け物のような存在なのだろう。タイウの手下たちが口をワニの様にがばがばと大きく開き、噛みつく真似をしていたのを思い出した。


「弐人の使い様はね、この村に本当に悪い魂がいないか、子供の目を通して見られるの。だからこのお祭りでは、子供はたくさん楽しまないといけないの。」


ニコニコとチドリが笑う。


「私は、このお祭りでロウジさんが、たくさん笑ってくれたら嬉しいわ。」


ゆっくりとロウジの頭を撫でる。

柔らかな温かさが、ロウジの心にじんわりと届き、また少し寂しい気持ちになった。


「そうそう、昔から伝わっている詩があってね。」


はっと思い出し、チドリは、静かにしているロウジに詩をうたった。




『急げや急げ、水月の天道に弐人の使い様が来る前に、今日は年に一度の星祭、


さぁさ盛大におもてなし、月には月蝶が溢れてる、月には半神はいらっしゃらぬ、


私は聞いたよ弐人の使い様は疲れてらっしゃる、


私は聞いたよ弐人の使い様は探していらっしゃる、


今日は年に一度の星祭、さぁさ盛大におもてなし、金銀朱々のお社と甘い菓子をこしらえて、星の欠片を並べたら、きっと弐人の使い様喜び飛び跳ね大歓喜、あとは半神探すだけ、常世に帰る土産にやろう、ここが月の加護を受けるよう、半神祭ってさぁおしまい、


ただし、一つ忘れてなるなこの約束、水月の天道は決して寄ってはならないぞ、お前が半神でなかろうと、構うものかと弐人の使い様、ぱっくり一飲みだ、


シャンシャラシャン、水月の天道に常世の鈴の音が響く、そろそろおでまし、楽しみだ、これだけ祭りをしたのなら、月はここで暮らしてくれる』





チドリの教える歌には、分からない言葉やタイウ達が、何度か脅し文句の様に言っていた言葉があった。弐人の使い様はもちろんのこと、はんしんやすいげつのてんどう等が気にかかっていた。


「ちょっと最後が怖いわね。」


ぼんやりと黙ったままのロウジにチドリがふふと笑い気遣った。


「ふたびとの使い様って何?」


聞いていいものか悪いものか分からず、恐る恐ると尋ねるが、チドリは平然と答えてくれた。


「弐人の使い様は、月を守る美しい神様の使いのことだよ。」


「月を守る神様?空の上の?」


この世界には、メシア信仰やエウベ信仰等があることは知っていたが、月の神様は聞いたことがなかった。何よりこの村の出身の父からその話を聞いていないのが、不思議でならなかった。


「空の上のお月様とはまた別よ。」


ロウジが月について質問をする前にチドリはゆっくりと答えた。


「月は、死んだ人の魂が帰る場所の事で、空に浮かぶ月のように温かく平安をもたらす場所だから月と呼ばれているんだよ。」


あの世のことかな。

そう考えると月の神様って死神なのだろうかとロウジは考えた。


「はんしんって?」

この弐人の使い様が探されている半神というものもまた気になっていた。


「半神は、弐人の使い様の現世での片割れのことでね。弐人の使い様は、常世という別の世界で暮らすために、この世界に自分の片割れを置いていくんだよ。その片割れを探すことで、偉い神様になることができるんだ。」


「へぇ。」


不思議な神様だが、どこか代表的な神様のメシアに似ているところがあると感じた。メシアは、世界を創造するためにもう半分のメシアが必要なのだという神話があった。


「でもね、弐人の使い様は、自分の片割れじゃなかった者は、悪い魂だと判断して食べちゃうんだよ。」


やはり怖い神様だ。

きっと地方に渡ったことで、メシアが何か別の神様と融合して誕生した民話なのだろう。

姿や形の説明が無い分、ロウジの中では、目玉が蛇のようにぎょろぎょろし、大きな口にぎざぎざの歯を光らせる得体のしれない生物を想像した。

そんなものは存在しないが、ぶるぶると体が震えた。

もちろん、体が震えたのは、縁側から夜風が原因である。

これ以上話したら、ロウジが眠れなくなると判断したのか、よいしょと立ち上がるとチドリは、台所へと歩き出した。


「そうそう、一つだけ約束事があったわ。」


びくりと振り返るロウジに優しいい声でチドリは続けた。


「ロウジさん、弐人の使い様が通る水月の天道には行っちゃダメよ。」

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