第1話 再会
皆様に楽しんでいただけるようにがんばります。
よろしくお願いいたします。
「木須様の携帯でよろしかったですか?」
「はい……」
嫌な予感がしたんだ、終電前、今日の残業を終えて帰り支度をしている時にスマホが鳴り出した。
液晶に浮かび上がる『動物病院』の文字。
恐る恐る電話を取った。
「ノアちゃんの状態が良くないです。すぐにいらっしゃれますか?」
「え……あ、その……まだ職場で……」
先生の焦った声と、背後で聞こえるバタバタと慌ただしい声で、事態が急を要していることが伝わってくる。
「どれくらいでいらっしゃれますか!?」
「え、あ、あの、1時間くらいで……」
「なんとかもう少し早くこれませんか?
現在ノアちゃんは自分で息が出来なくなってしまっているんです」
目の前が真っ暗になった。
……わかってはいたんだ。
ノアは保護した猫で、元々白血病とエイズにかかっていた。
12歳と最近の猫の寿命からすれば初老程度でも、その2つの病気をもつキャリアーであるノアはいつ何が起きてもおかしくない年齢で、そして、恐れていた病気の発症が起きてしまった。
寝る間も惜しんでミルクをあげて、うんちやおしっこの世話までして育てた記憶が、頭の中でぐるぐると巡っている。
「……木須様!? 聞こえてますか!?」
「あ、す、すみません。
できる限り、ううう……できる限り、早く向がいまず……ううう……」
目の前がカーっと熱くなり、涙が溢れてくる。
「最善を尽くします。お待ちしております!」
通話が切れて、スマホの明かりが消える。
職場では俺のデスクだけがスタンドの光で照らされている。
一瞬呆けてしまったが、直ぐに椅子にぶつかりながら動き出す。
「あ……行かなきゃ……」
頭が熱くなって、よく考えがまとまらないが、とにかく病院へ……
俺は、スマホを掴み、椅子にかけたスーツを羽織って職場を後にする。
よく覚えていないが、気がつけばタクシーに乗り込んでいた。
電車よりも10分くらいは早くつける。
病院の名前と場所を運転手にきちんと言えたのかわからない、俺は車内で泣き続けた。
「……残念ながら、様々な手を凝らしましたが……
最期に合わせることが出来なくて、申し訳ありません」
すでに時計は日をまたいでいたが、病院では多くの人達が慌ただしく動いていた。
しかし、台の上、真っ白なタオルに包まれたノアは、ピクリとも動くことはなかった。
「ありがとうございます……い、いままで、お世話になりました……」
「すみません……」
「いえ……ここまで、頑張ってこれたのは先生のおかげですから……」
ここの先生やスタッフには本当に長い間お世話になった。
わかっていたんだ。この時が訪れることは。
むしろ入院して今日という日まで生きながらえてくれたのが奇跡だった。
「明日、お返しする日まで……もたせられませんでした……すみません」
「いえ、本当にあやまらないでください。
先生や皆さんには、本当に良くしてもらいましたから……」
今日仕事を上げれば、明日明後日は家につれて帰って、一緒に過ごす予定だった。
先生の話では、治療をやめれば、その2日が最期に一緒に過ごせる時間になるだろうと言われて、覚悟を決めていた。
最期の時間を精一杯楽しむために、通販で色んなものを買ってあったけど、無駄になっちゃったな……
お会計を済ませて、お箱に入れてもらったノアを抱え、地元の町をトボトボと歩いていると、色んな事を思い出す。
ノアは俺の全てだった。
小さい頃に事故で両親をなくした俺は、腫れ物を扱われるように叔父と叔母の家で育った。
悪い人ではないし、本当に感謝しているが、いい意味で俺に干渉しない人たちだった。
ただ、そこの子供との折り合いはよくなく、高校を卒業すると同時に就職し、一人暮らしを始めた。
就職先は、典型的なブラック企業だった。
始発で会社に入り、終電前に帰る。残業代はでない。
週に1日か2日はサービス休日出勤があった。
もともとネットで無料文庫を読むくらいしか趣味がない俺は、その生活を受け入れた……
とにかくこれ以上叔父や叔母の家にお世話になりたくないと言う一心で働き続けて数年、オレの心は壊れていた。
そんな時にノアが俺のもとにやってきた。
小雨の降る帰り道、そう、ちょうどそこの空き地、今はアパートが建っている場所で、ノアが懸命に鳴いていた。
一度は通り過ぎたんだけど、気になって引き返すと、鳴き声が止んでいて道路の直ぐ側でノアが倒れていた。持ち上げると驚くほど小さく痩せて、そして冷たかった。
俺はそのまま駆け足で動物病院へ向かい、そして、懸命の治療の末にノアをうちに迎え入れた。
病院に預け続けることは経済的に無理だったので、職場につれてミルクと排泄のお世話をしながら仕事を頑張った。
そう、ノアのためにという気持ちが、オレの心に日をつけて、仕事を頑張らせてくれた。
意外にも職場はノアとの同伴出勤や世話を許してくれて、ノアをきっかけに少し職場が明るくなった。
そして、ノアとの生活が始まった。
この12年間、ノアのおかげで俺は生き続けられた。
どんなにきつい仕事も家に帰ればノアが居る。
ノアのために仕事を頑張る。
丸くなったノアを背中に乗せて寝っ転がってスマホで本を読むことが何よりも好きだった。
ノアが、俺の全てだった。
気がつけば、俺の瞳から大粒の涙が流れ、ノアの遺体の入った箱を抱えて、マンションの前で泣いていた。
雨と風は強くなり、俺の体を容赦なく雨粒が打ち付けたが、それに身を任せている方が楽だった。
差していた傘は風に飛ばされてしまった。
「ノアが……濡れちゃうな……」
すでに箱はビショビショになってしまっていた。
すっかり軽くなってしまったノアの体が収められている箱が、水を吸って重くなる。
「帰ろうかノア、お家に帰ろう」
踵を返した瞬間……猛烈な風が吹いて、俺は思わず目をつぶり、その場によろけてしまった。
車道にふらっと出てしまった俺。
薄目に広がる強烈なライト。
けたたましくクラクションが響く……
ドンッ!
強い衝撃。
俺はノアを離すまいと箱を強く抱きしめ、次の瞬間硬いモノが激しく頭を打ち付け、何かが砕ける音が体の内側から自分の耳に届いたような気がした。
俺の、木須 戒斗としての人生は31歳で終わりを告げた。
ノア以外に得るものは無かったが、薄れゆく意識の中で、ノアと逝ける事を少し喜んでいた自分がいたような気がした……
そんな前世の記憶を……
俺は急に思い出した。
森の中で。
真っ黒な……
猫と出会った瞬間に……
「ノア!!!」
自然と口からその猫の名前が飛び出した。
「にゃー!」
黒猫は嬉しそうにこちらに駆けてきて、胸に飛び込んでくる。
「ノア! ノア! ノア!!」
抱きしめて撫で回すとゴロゴロとあの頃のように喉を鳴らして体を擦り付けてくる。
気がつけば頬を大粒のナミダが溢れていた。
その場にへたり込むように座り、心ゆくまでノアを撫で回す。
もう二度と取り戻すことが出来ない時間を取り戻した。
「どうしてノアがここに、それに、この記憶……」
自分の中の2つの記憶が混じり合い頭がぐるぐるしているが、とにかくノアと出会えた嬉しさがそんな物を吹き飛ばしてくれている。
この世界での自分の名はキース・カイト。
前世である木須 戒斗はこの世界レグリナークに転生した。
転生したと言っても、今さっき急に思い出すまで、全く自覚していなかった。
カイトとして普通に生まれて、6年間、カイトとして生きてきた……
田舎の小さな村で、村人と、優しい両親と暮らす、どこにでも居る村人、カイト。
俺の人生は、
ノアと一緒に、
今、
本当に意味で、
始まるのだった。