会長、仕事してください!
暖色に染まった木々の間に、肌寒い風が吹き抜ける。
季節は秋。世の高校生は、文化祭という一大イベントに心を躍らせる時期。
我が校でも例に漏れず、来たる文化祭に備えて準備が始まっていた。
俺も、その一員として作業に参加している。
ただし、俺の場合は少し特殊で――それは俺が、生徒会役員だから。
生徒会。それは文化祭の運営側である、責任ある重大な立場なのだ。
今日も生徒会室では、文化祭を盛り上げるための建設的な会議が――
「ちょっと! 仕事してくださいって!」
「んー……ん」
「聞いてますか!?」
「聞いてなーい」
「ちょっと!」
開かれていなかった。
「ままま、そうかっかしないで。ほら、お菓子でも食べて落ち着いたら?」
「そもそも、なんで生徒会室にお菓子があるんですか!」
「ひょれはもひほんははひは」
「ほらもう食べ始めちゃって何言ってるのかわかんないし!」
俺の前でスナック菓子を貪りながら喋る、この女性。彼女は何を隠そう、我が校の生徒会長――である。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。文武両道容姿端麗、完璧超人。校内での彼女の評判は、だいたいこんな感じだ。そして、それは決して間違ってはいない。流れるような黒の長髪をなびかせる姿は優雅だし、プロポーションも抜群。成績は優秀で、運動神経も言わずもがな。先生や生徒に対する愛想も良く、誰にでも優しい。まさしく、全校生徒の尊敬の的だ。
……だがそれは、彼女の一面として正しくはあれど、まったく本質を突いてはいない。
誰もが憧れる生徒会長、椋龍光華。彼女の本質を表す言葉があるとしたら。
「ふわぁ……食べたら眠くなってきた。おやすみー」
それは『適当』以外に、存在しないだろう。
「いや、寝ないでくださいって! 仕事中ですよ!?」
「眠れるお姫様は、王子様のキスで目覚めるのだー」
「王子様って誰のこと言ってます!?」
「にゅふふ、少なくとも修一じゃないねー」
「そうでしょうね知ってたよチクショウ!」
俺は、高校に入ったら生徒会に入ると決めていた。人に胸を張れることがしたかったのだ。
生徒会長の評判は聞いていたし、きっと有意義な活動ができるのだと心の底から信じていた。
だが、現実はそんなに甘くなかったのだった。
「じゃあ修一、ちょっとキスしてみる?」
「あんた本当に頭で考えて喋ってんの!?」
というわけで、生徒会に入ってからの俺は、この適当会長に振り回されっぱなしです。
「うふふ。駄目ですよ、姉さん? あんまり修一くんをからかったら」
と、柔らかな声を発したのは、俺の隣に座る少女。
当たり前だが、生徒会は俺と会長の二人というわけではない。俺の役職は庶務なのだが、生徒会には他に副会長、書記、会計がいる。今の声は、生徒会会計であり光華の妹、そして俺のクラスメイトでもあるのものだ。
「めんご星來、修一が可愛くてついやっちゃった!」
「まったく、乙女が簡単に唇を許すなんて言っては駄目ですよ」
肩まで伸ばした黒髪に、大きなリボンつきのカチューシャ。くりくりした瞳が目を引く星來は光華さんの妹だが、光華さんよりよっぽどしっかりしている。仕事もするし、素行も真面目だ。いや、光華さんも生徒会室の外では完璧人間なんだけど……。
「えー、キスなんて口と口をくっつけるだけじゃーん」
つん、と唇を突き出して、両手を伸ばして机に突っ伏し拗ねる光華さんの姿には、完璧超人の面影もなかった。
「いいえ、キスというのは大切なものです。お互いを大事に想っている二人が、愛を確かめるための儀式。そう……」
それに比べれば、妹の星来はよっぽどまともだ。ただひとつ――
「わたしと姉さんのような、愛しあっているふたりが!」
これさえなければ。
「というわけで、キスしましょう姉さん!」
「おー、いいぞー」
そして、乙女ふたりの距離が徐々に近づいて……。
「やらせねーよ!?」
その唇がくっつく前に、ふたりを思い切り引き離した。
「ちょっと! 邪魔しないでください!」
「こっちのセリフだよ星来! 勝手に俺の目の前で百合の花園を展開しないでくれる!?」
「修一くん。……遺言はありますか?」
「俺死ぬの!? 姉妹のキスを止めただけで殺されなきゃいけないの!?」
「おれしぬの、しまいのきすを……」
「光華さんはメモを取らないでください! それ遺言じゃないですから!」
ぜえ、はあ、と肩で息をする。
これは駄目だ。姉の話になると星來は止まらないし、光華さんは常に悪乗りしかしない。
俺は助けを求めようと、視線を彷徨わせ……。
「相武さん! このふたりになんとか言ってください!」
ちょうど目が合った、生徒会副会長――に救援を要請した。
「あのね、雲雀くん。生徒会室は遊ぶ場所じゃないのよ?」
「俺ですか!? え、この状況、俺が悪いんですか!?」
「だって、さっきから雲雀くんの叫び声ばっかり聞こえてくるんだもの」
「それは俺が一番困ってるからです! っていうか聞こえてたなら助けてくれません!?」
まさに大和撫子といった風貌の相武さんは、その凛とした姿に見合わず毒舌だ。が、こんなに話が分からない人じゃない。
と、俺の目は相武さんの口の端が、すっと吊り上がるのを捉えた。
この人……楽しんでいる……!
「雲雀くん。人の恋路に首を突っ込むなんて、趣味が悪いわよ」
「してませんって! っていうか、ガッツリ話の内容まで聞いてるじゃないですか!」
「ちょっと、私は自分の仕事をしていたのよ? 人の話を聞いてる余裕なんてないわ」
「あなた、自分でなんて言ったか覚えてます!?」
「私、前だけを見て生きていたいから。後ろは振り向かないようにしているの」
「それはご立派なことですねえ!」
相武さんは……嗜虐的なところがある、というか……ぶっちゃけ、ドSなのだ。
だから、今の俺みたいに隙だらけの相手を見つけると……。
「それにしても……雲雀くん、実はちょっと期待してたでしょ? 会長のキス」
「し、してないですよ! だいたいですね、女の子がそんな簡単に――」
「ふふ。じゃあ、私がしてあげようか? キ・ス」
「はいっ!? ななななな、なにを言って……」
「ま、もちろん冗談なんだけどね。雲雀くん、かーわいっ」
「うああああ! わかってても動揺しちゃう俺のバカ!」
こうやって、水を得た魚のように弄ってくる。
っていうか、なんで俺は相武さんに話しかけたんだ! そりゃこうなるよ!
「天虎さん! 助けてください!」
そして俺は生徒会最後の一人、書記――に助けを求めた。
だが。
「……なんで、わたくしが弦子より後ですの?」
天虎さんは、わなわなとその小さな体を震わせていた。
「へ?」
「なぜわたくしに先に助けを求めなかったと! わたくしより先に弦子に助けを求めたのかと! そう聞いているんです雲雀修一!」
びしっ、と俺に人差し指を突きつける天虎さん。
あ、これは駄目だ。もうこの時点で、嫌な予感しかしない。
「えっと、たまたま目に入ったからと言いますか……」
「たまたま……それはつまり、無意識下でわたくしより弦子を頼りにしていると?」
「曲解ですよ! 偶然に理由なんてありませんって!」
「私の魅力的な唇に、目が吸い寄せられちゃったんでしょ?」
「相武さんはややこしくなるんで黙っててくれません!?」
「ケ、ケダモノ! 汚らわしいですわ! まさか、わたくしも毒牙にかけようと……」
「してませんって! ほらもう収拾つかなくなっちゃった!」
びくびくと怯える天虎さんは、低身長と童顔も相まって、小さな子供にしか見えない。
つまり、今のこの状況は、絵的にどうなっているのかというと。
「姉さん、通報しましょう」
「修一、面会には行くよー」
「すいませんそれだけは勘弁してください!」
完全に、幼女をいじめる男の図。はい、どう見ても事案ですありがとうございました。
「大丈夫よ、羽玖。雲雀くんは、巨乳にしか興味がないわ」
「なんですって!? えっちなのは許しませんわよ、雲雀修一!」
「だから弦子さんに惑わされないでくださいって! 嘘ですよ嘘!」
「でも修一、あたしの胸たまに見てるでしょ。女の子はそういうの、わかるんだぞ」
「へえ……修一くん、今の話は本当ですか? 詳しく聞かせていただきたいのですけれど」
「み、見てないよ! 見てないから、そのハサミを下ろして! ってかどこから出したのそれ!」
四面楚歌になった俺は、それから必死に弁解を続けて。
みんなが落ち着いた頃には、もうかなりの時間が過ぎていて。
「お、いつの間にかこんな時間じゃん。ほんじゃ今日はかいさーん、また明日ねー」
結局、文化祭の準備はなにひとつ進むことはなかった。
……俺、生徒会、やめようかなあ。