第12話
強い腐敗臭。
トロールの鈍感な鼻でも感じるほどに酷い悪臭が漂っている。
臭気の元は、大量の腐敗している死骸だ。
どこから集めたのか不明だが、様々な種族の死体が乱雑に折り重なっている。死体置き場というよりも、何かしらの神殿のような雰囲気の場所だが、この有様では祈りを捧げたくなるものはいないだろう。
トロールの集落にも祈りの場はある。
自然を司る大いなる存在とトロールの始祖に繁栄を願う儀式を行う場所だ。他の種族が崇めるような神というよりは、先人たちに対する感謝の気持ちを表す場所で、祈ると言っても頭を下げて崇めたり、助けを求めたり、あるいはご機嫌取りのように捧げ物をするようなことはない。
祈りの場で行われるのは、だいたいが宴会と力比べて、乱交だ。
だが無意味に頭を下げるよりも、ずっと意味のある行為だと思う。なにせ大いなる存在や偉大な始祖たちの姿形は見えないし、見ているかどうかもわからんからな。だったら、普段よりも豪快に楽しみ、競い合い、女を抱くのが一番だろう。
そんなことを考えながら、穢された神殿を進む。
後に続く者たちの反応は様々で、オフィーリアは吐くのをこらえるように鼻と口に手を当て、エドネアはわずかに顔をしかめながら不死者を警戒するように歩き、イリスは特にいつもと変わらず好奇心の赴くままに死体を見聞する。
「北方人に南方人、あ~、国の名前はわかりませんが、色々な国々の人間ですね。男に女、赤ん坊、子供、若者、老人と選り好みすることなく、こっちはゴブリンやオーク、オーガですか、エルフやドワーフもいますねぇ」
死体は死体だ。
疫病が流行する前に燃やすべきだろうが、コボルドにはその程度の知恵もないのだろうか? いや、そんなわけがない。
たぶん、何らかの意図があって死体を集めているのだろう。
ふむ、死体を使った兵器にでもするつもりか?
ある程度の病魔であれば、成人したトロールなら問題ない。だが、子供であればそうもいかない。害獣や冒険者などの魔の手からなら守る自信はあるが、目に見えない疫病には対処することができない。
あるいはもっと別の理由だろうか? 確か魔法の中には、死体を操るというものがあったはずだ。魔法を使うコボルドは見たことないが、悪魔が味方にいるのならば、何かしらの手段があるのかもしれん。
だがまあ、今はこの場所で時間を取る必要はない。
デーモン・プリンスを滅ぼした後、トロールがいたら名誉ある戦士として埋葬を行い、残りは焼き払えばいい。この場所を中心に疫病が広がるのは、俺たちトロールにとっても無関係じゃないからな。
しかし、ドワーフ王から得た知識で、ある程度の広さは把握していたが、実際に歩いてみると予想以上に広い。できれば、死体の山がある場所での休息はしたくはないが……。
「敵か」
俺は拳を握りしめて、何かが動いた方向を睨みつける。
幽霊なんかの物理攻撃が効かない相手なら逃げるしか無いが、肉体がある相手ならば殴り殺して進む。
「ひゃぁあ、肉、肉、にくぅうぅ」
「新鮮でうまそぉおおお~~~」
「俺は目玉を食らうぅ、とろとろの目だまぁああ」
現れたのは、食屍鬼――グール。
その姿は骨と皮ばかりに痩せた、薄紫色の肌を持つ奇形な人間といったところだろうか? 並んだ歯は肉食獣の牙のように鋭く、刃のように鋭い爪を除けばだが。
奴らはごちそうを前にした餓狼のごとく涎を垂れ流しながら、俺たちを包囲する。
数は大体30匹程度だろうか?
恐れる数でもない。
叫び声を上げながら接近してくるグールを2,3匹ほど、まとめて殴り飛ばす。
奴らは面白いように吹き飛んで死体の山に叩きつけられると、そのままピクリとも動かなくなる。
俺は威嚇するように吠えると、奴らは互いの顔を見合わせて、慌てて逃げ出した。
実力差が分かる程度の分別はあるようだな。そんなことを思いながら、俺は神殿を抜けようと歩みを進める。
だがしばらくすると、驚いたことに巨大なグールが待ち構えていた。
先程の連中と比べると、まるで大人と子供ほどに背丈が違う。
身体も痩せてはおらず、むしろ筋肉質だ。
俺と同等、いや、少しばかり大きいだろうか?
「うまそうなにくぅ、食いごたえがありそうだぁ~」
だが、脳みそはあんまり変わらんらしい。
俺のことを美味そうな獲物だと認識しているらしく、正面から襲いかかってきた!
ならば、俺も正面から迎え撃つ。
「食わせろおおおお!!!!」
叫びながら、巨大グールは両腕を振るう。
その攻撃は素早く、威力も高い。だが、正確ではない。
「ふん」
先程の奴らよりは遥かに強いだろう。
確かに速度も、筋力も、遥かに高い。だがこいつの戦い方は戦士のものではなく、ただの野獣と同じだ。
上の階層で戦ったケルベロスの方が、まだ歯ごたえがある。
無茶苦茶に振り回される両腕を難なく回避して、俺は巨大なグールの腕を叩き折る。
巨木がへし折れるような音を響かせて、グールの腕が曲がる。凶獣と化したグールは紫色の肌を真っ赤に変色させて、さらなる猛攻を仕掛けてくる。
だがいずれの攻撃も単純だ。
回避、回避、反撃。
繰り返すこと5回、ついに体力が尽きたらしく、悲鳴を上げて逃げ出そうとする。
「ひ、ひぃいいい~~」
逃がすか!
俺は愚かな挑戦者に追撃を仕掛ける。すでに体力が大きく失われているらしく、逃げる速度は遅く、反撃は弱々しい。だが、挑戦者として待ち構えていた奴を逃してやる理由はない。
戦士としては未熟だったが、こいつから望んできた闘争だ。
その結果は受け入れてもらおう。
俺はすばやく回り込み、力強く握った拳を、巨大グールの顔面に叩き込む。
不愉快な液体が俺の拳を汚したが、その代償として巨大グールの命は奪った。タフさだけはかなりのものであったが、心臓を喰らいたいと思うほどの猛者ではない。
死体を放置して、俺たちは先に進む。
後ろの方からグールたちが、自分たちの親玉の死肉を食らう音が聞こえてきた。
それにしても、このグールたちは何だったのだろう?
コボルドの城塞に居座っているだけで、俺らのことは侵入者というよりも餌として認識しただけだろうか? 襲いかかってきたのは奴らなので、同情の余地などは欠片もないのだが、これから先も関係ない奴と戦うことになるかもしれん。
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グールの巣窟である神殿を抜けた先には、一休みできそうな空間が広がっている。
中央にはグリフォンの彫像が飾られており、その口から水を吐き出している。手入れはされていないのか、場所全体にシダ植物やツル植物、コケ、キノコなどが、好き放題にお生い茂っている。もちろん、その手に植物はグリフォンの彫像にも侵食しており、なんというか、廃墟というイメージを強くしている。
彫像から出ている水は小さな泉を作り出している。おそらくこの場所は休息所のような役割だったのだろう。
俺はお生い茂る草木を押しつぶして、休めそうな場所を作る。
「しばらく休息する。あまり離れるな」
「はい、は~い」
「わかった」
「……ッ」
能天気、無感情、不服、三者三様の感情で返事をする。
こういった場所では、植物系の魔物が現れる可能性もあるが、俺の知る限りでは連中は自分から積極的に動き回って狩りをするタイプではなく、罠を張って待ち構えるタイプが多い。
そして大抵は養分にするために、じわじわと殺していく奴だ。
つまり、余計に動き回らず、必要な時に力を入れて対処すれば、それほど脅威じゃない。 余程のことがなければ、俺やエドネアが後れを取ることはないだろう。
俺は泉の水が飲めるか確認する。
……特に問題ないようだ。
「毒はないが、あんまり飲みすぎるなよ」
俺はオフィーリアに注意した。
人間というやつは生水でも腹を壊したりするらしい。いったいどうして俺たちトロールよりも、遥かに大きな集落を築いて繁栄できているのかと、首を傾げるほど脆弱な生き物だ。長老によれば「肉体的に弱いからこそ、繁栄している」とのことだが、意味がわからない。強くて丈夫な方が良いだろうに。
とはいえ、捕らえた人間には相応の配慮が必要だ。
食事は栄養のあるものを、水はろ過して煮沸消毒したものを、雨風をしのげる家畜小屋を、などなど必要なものが多い。
その点、従属者であるエドネアはその手の問題とは無縁だ。
外見こそ人間だが、トロールの特性はすべて受け継がれている。再生能力はもちろん、飲食や病魔に対する耐性なども、俺たちと変わらない。まあ人間としての経験や趣味嗜好などが残っている場合があるので、俺としては無駄とも思える料理などをしていたりすることもある。
肉は生のままの方が美味いだろうに。
そんな細かい点を除けば、従属者は満足できる人間だ。
「それならぁ、従属者をもっと増やせば良いんじゃないですかぁ」
俺の心を読んだのか、イリスが耳元で囁いた。
「従属者の儀式を受けるのは、強靭な肉体と精神、魂の持ち主であることを示さなくてはならない。安易に従属者を増やすことは、俺たちトロールの生き方を汚すことになる」
「非効率的ですねぇ~」
「そうかもしれん。だが、大事なことだ」
脆弱な肉体と精神、魂の持ち主を、トロールの従属者として認めれば、トロールはトロールでなくなってしまう。それは闘争で敗れるよりも、遥かに嫌悪するべきことだ。
あるいはこの手の弱さを認められないあたりが、俺たちが人間よりも少数である理由なのかもしれない。だが仮にそうだとしても、弱くても増えればいいとは思えない。それではゴブリンと変わらないではないか!
「グロムさんはそのままの方が良いかもしれませんねぇ、そっちの方が、わたしとしても助かりますしぃ」
「?」
「いえいえ、たいしたことじゃないので、お気になさらずに」
蝙蝠翼をパタパタと動かしながら、イリスは飛び去っていく。
何を考えているのかわからんが、たぶん悪巧みのたぐいだろう。悪魔が考えることなど、ろくな事がないものだ。とはいえ、その考えが俺や集落を害するものでなければ、イリスをどうこうするつもりはない。
「グロム」
そんなことを考えていると、エドネアが兎を手にして持ってきた。
黒い毛皮を持つ洞窟兎だ。
そいつが3匹。どうでもいい話だが、兎を「羽」で数える地域もあるらしい。なんでも鳥として数えれば、食べていいとか? 何かしらの宗教的な理由かもしれん。詳しくはわからんが、俺たちトロールは兎は動物として扱っているので「匹」で数える。
洞窟兎は、他の兎よりも大きく血肉が詰まっている。
「3匹仕留めた。献上する」
「受け取ろう。1匹はお前の取り分だ」
そんなやり取りを交わして、俺は兎の血肉を味わう。
頭をもぎ取り、血を飲み干すと、皮を剥ぎ取り、肉を裂いて内臓を傷つけないように取り出す。トロールは不器用ではあるが、この手の解体作業は不思議と得意だ。単純に食い意地がはっているだけかもしれない。
これも不思議な事だが、人間は血や内蔵を好むものが少ないらしい。全部が全部というわけではないらしいが、自分たちのことを「文明人」とか称する奴らほど、料理というものに凝って、部位の多くを食べることなく捨ててしまう。
確かに胆嚢や膀胱、麝香腺などを傷つけると不快な悪臭がこびりつき、肉の味が極端に落ちるのは認めよう。しかし他の部分は、ほとんど全部が食べられるじゃないか。
もちろん、すべての人間が食べ物を無駄にしているわけじゃない。長老の話によれば、北方人――ノルドハイム人とよばれる人間たちは血の腸詰めを好んでいるらしい。他に、遊牧民――モルドニアム人は獲物を調理する時は、血を一滴も体外に零すことがないと言われている。どうやるのか不明だが、是非とも見てみたい。
そんなことを考えながら、俺は2匹の兎を平らげる。
ほどよい満腹感に満足しながら、デザートに残していた骨をガリガリと骨を噛み砕く。やはり脚の部分の骨は、肋よりも歯ごたえがあって良い。
やがて肉の焼ける匂いが漂ってきた。
エドネアが焼いているのだろう。おそらくは虜囚であるオフィーリアのために。
彼女がいなければ、俺がやらねばならぬ仕事である。だが従属者がいれば、その仕事は彼女の管轄となる。
とりあえず、俺は邪魔をしないように軽く眠りにつく。
ドワーフ王から得た情報によれば、エルム・ホドヴェンの鍛冶場まではもうすぐだ。
コボルドも守りを固めているだろう。
より激しい戦いの予感を覚えながら、俺は目を閉じた。
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グール。
討伐難易度:☆☆☆
下級の不死者に分類される。
その姿は紫色の肌をした奇怪な人間であるが、裂けた口や鋭い牙のようなは、刃のように鋭い爪を見れば、人間とは別種の生物であるとわかるだろう。
食屍鬼ともいわれるが、死体でなくとも嬉々として食べる。
彼らがアンデッドであるか、あるいはデミヒューマンであるのか、長い間、議論されており、今もまだ結論は出ていない。だが現在の冒険者ギルドは、彼らを不死者に分類している。その理由としては、神官が扱う「不死者退散」による効果を受けるからだ。
だがゾンビやスケルトンなどと違い、グールには知性や意思と呼ばれるものが、確かに存在する。普段は絶え間ない飢餓感と肉に対する執着に支配されているが、生命の危機に陥った時は、生存を優先するために逃亡するなどの知性を有している。
グールに関しては、それほど研究は進んではいない。だが一部の死霊魔術師によれば、肉を喰らい続けたグールは、その姿を巨大化させていくらしい。
一定以上の大きさになったグールは「グール・キング」と呼ばれる怪物となり、配下のグールにより多くの血肉を持ってくるように命じるという。
とはいえ「グール・キング」のような存在と出会うことはまず無いだろう。冒険者諸君が相手にするグールは、牙や爪の麻痺毒に気をつければ、それほど強い相手ではない。先に述べたように「不死者退散」は有効であり、魔法のない武器でも普通に傷つけることは可能だ。数が集まった場合でも、彼らの知能では数の優位を活かす事ができないので、恐れる必要はない(この点、ゴブリンやコボルドなどの方が厄介である)。
グールの爪や牙などは、錬金や医薬の材料として使われる事があるので、相応の値段で取引される。これらの素材を剥ぎ取るときには、魔法や奇跡による加護か、専用の道具を使うようにしてほしい。
グール自身の強さよりも、彼らを媒介にした疫病――食屍鬼熱病や飢餓脳炎、黄膿爪病などの方が危険なのである。
―― 冒険者ギルドの掲示板 ――