ワンルーム
男は息苦しさに目を覚ました。機能し始めた耳に重低音が滑り込んでくる。次いで、規則的な秒針の進む音が聞こえた。そしてやっと、寒さが身を襲った。毛布を手繰り寄せようとした手が空振る。手の届く範囲に温もりがないことに苛立ちを募らせながら、男は破れた黒革のソファから起き上がった。
大いに雑然とした、見慣れたワンルームが目に入る。絡まった充電器のコードや、昨日食べたインスタント食品のカップ。テーブルの上はそんなごみで散乱している。遠くでどうしてか、石油ストーブに覆い被さっている毛布が見えた。
それを拾い上げて、ソファに移動させた。そして思い出したように身震いする。見れば部屋の上部の窓が、何故か少し開いている。寒さはそのせいか。外は明るいが、今はもう1月だ。まだまだ冷え込んでくる。
外に見えるビルの谷間には、大きな気球が浮かんでいて、ポルノ規制を進めようとするスローガンが大文字で、扇情的に書かれていた。ガラスを通して見える、大小様々に連なり合うコンクリートの摩天楼にはスクリーンが埋め込まれていた。その中で黒い膚をした男が、アップテンポな音楽と懐中電灯のようなライトとそれから赤外線染みたセンサーを背中に浴びて踊っている。
耳を叩き壊すようなドラム。威嚇的なヴォーカル。生まれつきのブラック。今はああいったのが流行りらしい。日光や人目を拒むように外出を絶った男にとって、世間を知る方法はこの小さな窓一枚なのだ。
電源の付いていないテレビに写った自分の顔は、えらく老け込んでしまい、げっそりと窶れている。髭も長い間剃ってはおらず、毎日同じスウェットを履く始末だ。
枕代わりのクッションからは加齢臭がするし、何本も毛が抜けていた。抜け毛や加齢臭など、男の年齢を鑑みれば早すぎるというものだ。だが男の顔を見るに、もしかすると肉体というのは案外精神に引っ張られるのかもしれない。
男は、脂ぎった頭髪を撫で付け、寝起きで気持ちの悪い口腔内を舌でかき混ぜる。溜まった唾液をどこに吐きだしてやろうかと逡巡すると、ブルーのバックライトが目に入った。嫌な気分になりながらも、クッションに埋没していた携帯を拾い上げた。
液晶を見ると着信が一件。ローレインに住んでいる祖母からだ。だが、掛けなおす気には到底なれなかった。80メートル先からでも聞こえてくるような祖母のキンキンとした声や、自分の経験論をさも皆にとっての正解であるかのように語ってくるその口調を、今は聞きたくなかったのだ。
祖母は自分の理解の及ばない事柄を、とりわけ前衛的なものに関してを蛇蝎の如く毛嫌いし、悪と断する癖があった。その反面、埃の被った因習を信仰しているのだから救えない。
彼女に言わせれば墓は常に磨かれているべきで、その為には毎日行く必要があるし、天気予報はまず当たらない。更に言えば、足を崩したり舌打ちをする女は下品で愚か極まりなく、恐らくは頭も穴も緩い。もっと言うと、食洗機も地域住民センターも老後行くだろう施設も、全てが彼女にとっては屑同然なのだ。自由恋愛を奨励し、倒錯的な性癖に肯定的なオーウェン・ルフテインなど死んでしまえばいい。
祖母は最早男にとっての社会的な要塞と化している。
悪い人では決して無い。だが好きにはなれなかった。
皮脂がべっとりと付着した液晶を拭って、男は携帯を投げ捨てた。仕事を辞めたせいで、今はただでさえ憂鬱なのだ。不安が積み重なって、胸を押し潰される。それは一種焦燥感にも似ているが、誰もこの感情を理解してはくれない。それは母も祖母も例外では無い。だが無理もない。自分でも名称が分からず、カテゴライズすら出来ないのだから。
男は以前、ある会社の清掃員をやっていた。この築36年のアパートの一室を借りると同時に就職した。ここの目の前にあるラクシエンタ2番通りに面した、リーン・ステーションから一駅行った場所にあるウォル・セント社が勤め先だ。いや、だったと言う方が正確であろう。
片道2ドルの通勤。
働いていた頃は、誰に申し訳なく思うこともなく電車の座席に座り、自分が労働者であることを、誰かに誇示したくて仕方がなかった。必要もないのに社員証を首から提げてみたり、仕事道具をわざと手に持ったりもした。
だが、そこの清掃員になれたのも、自分の力では無く叔父の紹介故だった。上司は好人物ではないにしろ温厚で、清掃の仕事も順調だったし、正当な給料が支払われる会社だった。
だというのに何故辞めたのかなんて、自分にも分からなかった。ある日突然に、全ての事がどうでもよくなったのだ。目の前がガスに包まれてホワイトアウトしたような。辿るべき道がある日途切れてしまったような。兎に角そんな感覚だった。
自分は熱意を失い、精神科では眼鏡を掛けた白衣に鬱病と診断された。しかし男は自信を持って言えるが自分は病気ではない。きっと、心が少し疲れただけなのだ。男の精神を視覚化出来たとしたら、きっと全ては磨耗し、もう擦り切れかかっている。
いつもそうだった。背中を押されないとまともに行動すらできないのに、やっと行動に移しても中途半端でいつも投げ出してしまう。男がこれまでに何を為したか。いや、何も出来てなどいない。自分の意思主張に欠陥があることを恐れて、自分を殺したことが何度繰り返されただろう。
人目を気にして前に進めずその場でうろうろと彷徨ったことが何度あっただろうか。何かと対峙することに臆して、すごすごと引き下がった事など、数えきれない。そうやって男は向上のない人生を、無為に送ってきたのではなかったか。
恩を仇で返すとはこのことだろう。退職し、それから自分は家に籠って、鍵を閉め、何をするでもなく過ごしている。叔父には謝罪の電話を一本入れただけだ。
時々心配した母から野菜が送られてきたりもするが、ラディッシュなんて食べようとは思えなかった。そして、いつも自分と同じように腐らせてしまうのだ。
申し訳ないからとその都度メールをしても、相も変わらず時々チャイムがなって、ダンボールが届く。
男は自炊など出来ない故、いつもそれを持て余した。キッチンには、その残骸がある。投げ出された圧力鍋の底には茹でたキャベツがへばり付き、フライパンは焦げ付いたまま流しに放棄されている。床に落ちたナイフや、コードの千切れた電子レンジ、破れたチューブ、曲がったスプーン。ぶちまけられたスパゲッティは配管に詰まって、キッチンは食詰まりを起こしている。最早、男はキッチンに入る気にはなれない。
デジタルクロックの青い発光線は、1時を示している。男はソファに座って、ぼんやりと向かいのテレビを眺めた。デッキの上に無造作に置かれたブラウン管の中では、アジア系の目の小さい男が、ラッパを手になにやら飯を掻き込んでいる。
美味しいのだろうか。最近では味覚も薄れた。それに、肌の色も白くなって、体力も落ちた。集中力も著しく低下している。どれも良くない傾向だ。だが一番よくないのは、頭が働かなくなることだろう。
例えば、テレビを見ていても、言葉を言葉として認識できなくなることが多い。母国語で話すキャスターの言葉が段々と理解出来なくなっていくのだ。天気予報が次第に難解な暗号みたく聞こえてくる。それは、異国の言語を聞くのに似ていた。
ニュース、あれは特に駄目だ。動物たちのドキュメンタリーも、無論教育番組も駄目だった。でも星空を見ていると少し癒された。淡い白の点と点を見ていると、無に浸れる。だがそれも一時しのぎだ。
好みの音楽ももう、滅多に聞かなくなった。ラジオから溢れるジャズは耳障りでしかなく、ノイズを聞いた方がましだし、レコードから垂れ流れるクラシックもくそ食らえだ。
新聞も、男の眼には単なる記号にしか映らない。アルファベットは古代文字に見え、次第に目が痛くなる。きっと、今見ているチャイニーズムービーももうじき雑音と化すのだろう。そうなる前に、男はテレビの電源を落とした。もううんざりだ。
急に、部屋に静寂が戻ってくる。聞こえてくるのは冷蔵庫の駆動音だけだ。その音を聞いているうちに空腹感に襲われた。腹が冷たく収縮する。男はそれを恥じた。何ら労働もせずに、腹だけは減るのか。お前はなにもしていないだろう。なに一つ。
眼にうつらない誰かに痛罵される。そして、途轍もない自己嫌悪に毎日責めたてられるのだ。自分は生きていても良いのかと、疑問に思う。自分が酷く無価値であるように思うのは常の事で、男は何度も重い病気に罹って死にたいと願った。病気という盾で世間体から身を守り、自分の死を正当化したいのだ。
昔はあった筈の、何にも裏打ちされていない自信や希望といったものも、今はすっかり見失ってしまっている。
自制を続けるも、男は空腹に敗北した。空無を引っ掻きながら這うようにして冷蔵庫に縋りついた。薄汚い手で冷蔵庫のドアを開ければ、7度の冷気が外へ雪崩れ込んでくる。リスカ痕が潰瘍のように疼いた。
男は冷気を払うようにして白い箱の中身を物色した。入っているのは、何時の物とも知れぬ卵が2つと、500ミリリットルのミネラルウォーター。そして最後にバター。がらんどうの冷蔵庫には、男の胃を完璧に満たしてくれるものなど有りはしなかった。
男はドアを開けっぱなしにしたまま、冷蔵庫の前に座り込んだ。どうしようもなく、虚しいのだ。これはニヒリズムではない。喉がつっかえて、目頭が熱くなる。空虚だ。自分には何もないのだと、今突き付けられたようだった。
どうして自分は生まれて来たのかと、何度自問したことだろう。そのたびに答えは出ない。
自分は何処で間違えてしまったのか。考えるまでもない。初めからだ。まず生まれを間違った。男は素晴らしい女性を母としてこの世に生を受けたが、父親は人間では無かった。人間では無いといっても、生物学的に言うならば父は人類に当てはまる。
だが、父は男の教育費を支払わないどころか、酒を飲んでは手が出るような男だった。母は常に痣だらけで、父の酒で濁った眼に男はいつも怯えていた。
次に生き方を間違った。男は学生になっていじめに遭った。床に打ち付けられ、物を壊され、飼っていた猫は死んだ。スクールカーストの最底辺に蹴り落とされて、ぎりぎりだった心とプライドは音を立てて自壊した。
そして男は外界を隙間なく遮断して、道を踏み外したのだ。踏み外した先は深淵だ。濃霧によって視界が効かず、当時は舳先をどこへ向けたら良いかも分からず、またどこに進めば良いのか検討もつかなかった。
今思えば、それが最善ではないにしても抵抗すれば済む話だったのかもしれない。だが男は暴力を甘受し、誹りを曖昧に流し、ただ逃げ続けた。
逃避は何の解決にもならないのだと、あの頃の自分には理解出来なかった。それから男はタトゥーを入れ、スキンヘッドにし、肌を焼いた。そして皆が自分から遠のいていった。孤独は死を齎す。凄惨ないじめが、男の人間性の形成に大きな傷を与えたのは言うまでもない。そして最後に選択を間違った。
この長い人生において、選択をしなければならない瞬間は数多あった。時には無理矢理に選択を迫られる時もやってきた。そして、完璧な選択をすることは極めて困難だ。良い選択が出来るときもあるだろうし、結果的にその選択が失敗だったと知る日もある。そして、男の選択はその殆どが間違っていたといえる。
勿論結果論に過ぎないが、進学先も就職先も、ホームステイに来た彼女に対する態度も、すべてが良くなかった。
昔の自分に会えるのならば、男は謝りたい。昔の自分に、今の自分の姿を見せればなんと言われるだろうか。軽蔑されるかもしれないし、口汚い言葉で詰られるかもしれない。良くない人生を歩んできたし、人並みの幸せすら得られることがなかった。
だが、結局のところ。どんな選択をしようと、今の自分とそう変わらない未来が待っていることだろうと男は思う。そう易々と自分という人間は変えられるものではないのだから。どうやったとしても、きっと今のような末路を迎えてしまうのだろう。
あの日エリイに謝っていたとしたら、セントホールではなくヤエイスタンに引っ越していたら、面倒くさがらずに母に感謝していたら。そんなもしもを一つ一つ修正していって完璧な人生を歩んだとしても、自分は恐らく立派な大人になることはなかっただろう。
男は罪跡感から自嘲の笑みを溢し、立ち入る事を止めた筈のキッチンへと足を進め、落ちていたナイフを拾い上げた。
これを読まれて私を三十そこそこの失業者と誤解される方が居るやもしれません。しかしこのエッセイは私の身に実際に起こったとても辛い出来事を失業という形に置き換えて書いたものであります。