第六話:静かな幕開け
朝の目覚めは最悪だった。もっとも、今までの人生で最高の目覚めなんてもの経験したことはないが。
枕の隣で爽やかに目覚めを促してくれやがるデジタル時計を叩く、しかし音は鳴り止まない……。逃げるように布団にもぐり込むが、攻撃的な機械音は容赦なく惰眠を妨害してくる。
「うぐぅ……野朗ぉ」
ガバッと布団を跳ね除け、時計の電池を抜いてやった。敵、沈黙。
「はっ、機械風情が調子に乗るなよ」
昨日のNPCのこともあり、今は機械的なものが好きになれない。完全に八つ当りだった。しかし、そこでしゃっきり覚醒してしまった自分に気付く。謀らずとも目覚まし時計は自分の役目を全うしたわけだ。敵ながらあっぱれ。
溜め息を一つ吐いて起き上がり、携帯電話を手に取る。返信はなし、か。
手早く着替えて大学へ向かう。
通学途中の電車内でも返信はなし。
授業中も携帯ばかり気にしていたら隣のクラスメイトが冷やかすように話し掛けてくる。
「なんだぁ、彼女からのメールでも待ってんのか?」
俺は「そんな良いもんじゃないよ」と応じて、机に突っ伏した。
午後の早い内に授業は終わった。
帰宅して、丁度アパートの玄関を開けた時、胸ポケットの携帯電話が振動した。
焦るように確認する。しかし通販サイトの宣伝だった。
「妙だな……」
いつもだったら、こっちが迷惑するぐらいマメにメールを送ってくるのに。
俺は軽い焦燥感に駆られ、False Huntを起動した。
レイトタウン広場、いつもの場所にカイは出現した。
周りを見渡す。虎サンの姿はなかったが、止まっているプレイヤーが何人か目に付いた、そのプレイヤーは瞬きすらしていない。
「最近AFKが多いな」
Away From Keyboard、頭文字を取りAFK。
それはリアルのプレイヤーの離席を意味する。操作するプレイヤーを失ったキャラクターは、その場で固まってしまうのだ。
「とりあえず、虎屋で待つか」
独白と共に歩き出す。
カイが虎屋に入るとそこはいつもと変わらない散らかり放題のゴミ屋敷だった。店内の状況こそ変わらない、しかし、いつもと違う物があった。否、者が居た。
「お邪魔してるわ」
そこには白いフードを纏った少女が居た。昨日と同じプレイヤーだ。両手を束ねて、店の奥の壁に背を預けている。
予想外の闖入者にカイが扉を開けた姿勢のまま呆けていると、
「ここの店主はどこ?」
少女は仏頂面で訊いてきた。昨日と同じで虎屋の店主、つまり虎サンを探しているらしい。
その声で我に返ったカイは扉を閉めて、店内に入る。
「さぁ、俺も知らないんだ。待ってりゃ来ると思うけど……、虎サンに何か用か?」
「別に大した用じゃないわ。それにあなたには関係ない」
少女は大きな丸眼鏡の縁を押さえて、見下すように顎を上げて言う。その大人びた仕草は少女の容姿とはあまりにも不釣合い。
――――昨日はクソガキだと思ったけど、こりゃクソババァだな……。
カイは感情を表に出さないように素っ気無く鼻を鳴らして、ライフルが置いてある棚に足を進める。カイがライフルを物色し始めると少女がすぐに口を開いた。
「あなたここの店主とどういう関係?」
あんたには関係ない、と言いかけてカイは思い止まる。虎サンがこの少女に会いたがっていた事を思い出したのだ。
「別に、友人さ」
「ふーん、そ」とそれっきり言及しようとはせず、少女はそっぽを向く。
カイはライフルの物色に戻った。
三十分経っただろうか。カイは隣のショットガンの区画を整理し始め、少女は木箱に足を組んで座っていた。
「ねえ」少女が足の組みを変えながらカイに声を掛ける。「店主はまだ来ないの?」
「みたいだな。いつもだったらもう来るんだが……。やっぱ昨日何かあったのか」
「昨日? 何かあったの?」
カイは独白のように呟いたのだが少女は耳敏く反応する。
「いや、別に」
「何があったの?」
少女は木箱から立ち上がり、語勢を強めてカイに迫った。その静かな威圧にカイは違和感を覚える。
「別に大した事じゃねえよ。あんた、何をそんなに気にしてるんだ?」
「ふんっ、大した事かどうかは私が判断する事よ。言いなさい」
その高圧的な態度に、カイの眉間に深い皺が刻まれ、目尻が小刻みに震えている。
――――野朗ぉ……。すいません、虎サン。もう我慢の限界です。
「はんっ、言うかどうかは俺が判断する事だ」
「なっ」
カイの豹変振りに今度は少女が怯む。
「虎サンに何の用か言うんだったら、教えてやらんこともない」
少女は呆けたようにカイを見詰めた後、不敵にふふっと笑った。
「あー、怖い怖い。噂通りね、黒い凶戦士さん。いや“レイ”って呼んだ方がいいかしら?」
「――――!」
レイという名を聞いた途端、カイの顔色が単純な怒りから警戒へと変わる。
「……あんた何者だ?」
カイの通り名を知っている。それでいて尚カイに普通に話し掛けてくる時点で普通のプレイヤーではない。兼ねてからの知り合いか、カイを尊敬するファンか、侮蔑する者達か。この少女はそのどれでもないだろう。重ねてカイを“レイ”と呼んだ。カイがその名で呼ばれていた事を知っている人間は数少ない。
「あーあ、がっかりしたわ。噂に名高い黒い凶戦士にしては在り来たりな、くだらない質問ね。もし世界に私とあなた二人しかいないんだったら当然の質問かもしれないけど……」
カイは隠そうともせず怪訝そうな顔をする。
「意味わかんねえよ。耳がイカレてるのか? それとも頭がイカレてるのか?」
「頭の悪い坊やね。ここの店主に用があるって言ったでしょう。大事な用なの。他言できる内容じゃないのよ。いくらあなたが彼、火薬庫の相棒でもね」
「はん、そうかい」とだけ言い捨て、カイはショットガンの整備に戻る。話はもう終わりという態度の表れだ。
しかし、少女は終わらせる気がないらしい。カイの後頭部を睨みながら「で?」と言う。
「で、とは?」
「質問を質問で返さないで。昨日何があったの?」
「で、だけじゃ質問とは言えない。それにあんたは俺の質問に答えていない」
「ガキみたいなこと言うのね」
「こちとら頭の悪い坊やなもんでね」
両者共に取り付く島もない。重い沈黙と不穏な空気が流れる。
「お話にならないようね」ふんっと少女。
「お互い様だな」はんっとカイ。
少女は扉の前まで歩き、「邪魔したわね、レイ」と、吐き捨てて去って行った。
残されたカイは舌打ちをして、ショットガンを棚に戻した。
結局、その日、虎サンは来なかった。
金曜日、それは次の日が休みだと思えばなんとか凌げる、最低の曜日。
金曜を最低とするには理由がある。それは俺の精神を徹底的に痛めつけてくれる最悪の科目が存在しているからに他ならない。その科目とは、世に出てもなんの役に立つのかさっぱりわからず、それでいて社会的には重要だと無駄に重宝されている学種。その名も数学。……最悪だ。その名を考えるだけで鬱になる。大学生にもなれば数学なんて学問とは無縁だろうと高を括っていた。しかし、複数選択した内の授業の一つ、その教員が授業初日に事も無げに宣った。「金曜日の一限は応用力を高めてもらうため、基本的な数学問題を解いてもらいます」。ど畜生である。
できない、という理由だけで嫌いな訳ではない。
数学には俺の嫌悪感を増幅する何かが存在していた。それは幼少の頃の算数に纏わる失敗がトラウマになっているのかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない。
もしタイムマシンがあったなら、俺は過去へ遡り数学がない世界を作るためレジスタンスを結成し暗躍する事だろう。もしそんな事したらタイムパラドックスが半端ない事になりそうだ。数学がなかったらタイムマシンなんて超科学的な代物は当然造られないわけで、そうなれば俺が過去に遡る事も不可能なわけで……とか。そんな頭の悪い空想に耽り、補給と退路を失った最前線の兵士のような気分を払拭しようとする。現実逃避とも言う。
目の前の机上には小さなプリントが白紙の状態で鎮座している。いや、正確には白紙ではない。クラスと学籍番号、名前だけは書いてある。黒板を見ると謎の暗号が所狭しと犇めき合っていた。これが例の基本的な数学問題。黒板の暗号の計算式と答えをこのプリントに書けというのだ。一時間でこの問題を全て解いて最後に提出しなさい、確か教員はそんなことを言って何処かに行ってしまった。どんだけ手抜きなんだ。金返せ。
それでも健気に黒板の暗号を見詰めてみる。……ダメだ。解ける解けないの問題じゃない。わからない。少しわかるとかじゃなくて、全然わからない。数字と記号の羅列、その中には読み方すら定かでない記号まで混じってるのだ。読み方も知らないのに意味なんかわかるわけもない。まさにエニグマ。
観念して睡眠学習に入ろうとした時、胸の携帯電話が振動した。
電話を開く、一通のメールが着ていた。送信者は、
――――虎サンだ。
どうやら虎サンは無事だったようだ。心配して損した。
しかし、その本文を見て、すぐに安心感は消え去った。
本文:私は山井徹夫の娘です。
お話したいことがあるので、ここに電話をください。
○○○−○○○○−○○○○
「……なんだ、これ?」
間違いメールかと思い送信者を確認したが、やはりそこに虎サンと表示されている。そもそも間違いメールなんて聞いた事がない。電話番号とは違い、メールアドレスは複雑なのだ。
それにしても、山井徹夫? 読み方は『やまいてつお』で合っているのだろうか。誰だろう。俺の情けない記憶力に頼るなら、少なくともそんな人名は記憶されていない……。なぜ知らない人が虎サンのアドレスでメールを送ってくるのだろうか。
机の下で脚を組み、画面に映し出された文章を見詰める。
話があるから電話をくれ、というのは若干怪しい臭いがする。しかし虎サンの悪戯や迷惑メールとも思えない。そこでふと思い当たる。俺は虎サンの本名を知らないのだ。
山井徹夫っていうのは虎サンの本名で、虎サンに何かあったから娘がメールを寄越したんじゃないか?
一昨日の、地獄の名を冠した戦場での、虎サンの告解が脳裏を過ぎる。『実は俺、皐月って言う二十二歳になる娘がいるんだけど』。
「掛けてみるしかねえな……」
軽く身を下げ、机に隠れるようにして(教員はいながちょっとした罪悪感から)、メールにあった電話番号に掛けてみる。
相手はすぐに電話に出た。
「もしもし?」
『……あ、どうも』
それは女性の声だった。虎サンでは勿論ない。そしてなぜか、その声色は暗く、不安げだ。
『あの、レイさん、ですよね?』
やはり間違いではないようだ。その名を知っているという事は、虎サンの関係者なのだろう。いい加減その名で呼ばないで欲しい。後で虎サンにきつく言わなくては。
「はい、一応そうですが、あなたは?」
『……突然すいません。私、山井徹夫の娘、山井皐月です。それで、あの、……一昨日、父の、山井徹夫の携帯のメールをくれましたよね?』
「あの、山井徹夫さん? とは、その、特殊な関係でして、本名は知らないんです。俺はいつも虎サンって呼んでました。それであなたのお父さんはパソコンでゲームとかしてましたか?」
『ああ…はい、毎晩してました』
虎サンの本名は山井徹夫で間違いないようだ。……その氏名を知って、俺は複雑な気持ちになってしまう。俺の中での虎サンはゲームの中の虎サンであり、虎サンでしかない。山井徹夫という聞いた事もないリアルの名を、更に娘と名乗る人物から聞かされて、虎サンという存在が小さく揺らいだような気がした。当の虎サンを差し置いて随分と勝手な話だ。心の中で自嘲してしまう。
『やっぱり父とはゲーム関係の友人なんですね?』
「はい、間違いないと思います。確かに俺はメールを送りました。それで、何かあったんですか?」
『あの……えっと……それが、………大変申し上げ難いのですが――――』
皐月の名乗った女性の声は更に暗くなり、
『――――父は死にました』
「………え?」
意味がわからない。
『一昨日の夜の十時頃です。近所のデパートの屋上から飛び降りて……即死だったそうです』
意味が、わからない。
『警察の方は自殺と見ています』
意味、が、わからない。
『父の携帯電話が最後に受信したメールがあなたからだったので、何か知っていると思って連絡したのですが……』
知るわけない。
意味が、ワカラナイ。
『あのっ、お願いします。父は自殺なんかする人じゃない! 何か、何か知ってるなら教えてください!』
電話の向こうで突然泣き出す女性の声を聞きながら、俺の頭は真っ白になっていた。
「いや……ちょっと待てください。全然、意味が、わかんないですよ。何言ってんだ……何言ってんだよッ、あんた! ふざけるな!」
そう言って電話を切った。
しばらく携帯を見つめて頭を整理しようとするが、無駄だった。何も考えられない。
ただ、とにかくここに居たくないという気持ちに従って、俺は立ち上がり、プリントやら筆記具やらを無理矢理鞄に詰め込んで、駆けに近い早足で教室を出ようとする。
「ねえ!」
後ろから声を掛けられた。振り向くと、教室は水を打ったように静まり返り、一同が俺に注目している。驚いたように目を丸くする者、怪訝そうに眉根を寄せる者、嘲笑し耳打ちをする者。不意に、中での一場面を思い出す。俺が、カイが、独りで人通りの多い場所を歩いている時、周りから好奇の視線を浴びている場面。何視てんだ雑魚共。文句があるなら掛かって来い。全員殺してやる、と怒鳴り散らしたくなる感情を必死に抑えて、頭の覆面で顔を隠して、攻撃的な外界ともっと攻撃的な自身の情緒を遮断して――――
「ねえってば! どこ行くのぉ? 先生ぇ戻ってくるよぉ?」
最前列の右端、黒尽くめの茶髪少女、長瀬が心配そうな顔で身を乗り出していた。
「……何か、あったのぉ? すごい顔してるけど……」
「………」
その声を無視して俺は教室を後にした。
自室に入り、鍵を閉め、鞄を投げて、携帯を見る。着信が三件。それはさっきの番号からだった。
リダイヤルしようとするが、指が止まる。
「そうだよ。冗談、だよな」
無意味な嘘が口をついた。そんなはずないのはわかっていた。あの女性の泣き声、虎サンへのメール、全てが本物だ。あの女性の話を信じるなら全て辻褄が合う。しかし、そうでも言わないと自分の中の何かが壊れてしまいそうで――――
ピンポーン
「ッ!」
突然、インターホンが来客を知らせた。
玄関のドアを開けようとノブに手を伸ばして、その手が微かに震えているのに気が付く。
「なんだってんだ、畜生」
低く罵り、ドアを開けると、ワイシャツにネクタイ姿の二人の男が立っていた。
手前の男は五十歳前後の中年。一歩後ろで控えている細身の男はまだ若い。一見普通のサラリーマン風だが、帯びている雰囲気は明らかに異質だった。ドアを開けた瞬間からこちらを舐めまわすように、観察するように凝視してくる。
「どうも、突然すいません。私達、警察の者なんですが、少し聞きたいことがありまして」
手前の中年男が喋りながら慣れた手付きで警察手帳を開いて見せる。
驚いた。しかし、呆けていた思考は無意識的に急くように復帰した。訊かなければ、確かめなければいけない。だって警察が来たという事は……。
「あ、あの……、虎サンの事ですか?」
「とらさん?」と怪訝な顔をする中年男。すると細身の男が身を乗り出して、耳元で何か囁いている。
「ああ、山井徹夫さんのゲームでの名前ですね。いやぁ、私はゲームとかネットとか疎くてねぇ。はっはっはっ」
「……」
「それにしても、その話、誰から聞いたんだい?」
途端、二人の男の顔付きが変わる。言い訳や嘘を許さない、迫力のある刑事の顔に。疚しい事がなくてもたじろいでしまうような鋭い目付きだった。
「……ついさっき、虎サン、いや、山井徹夫さんの娘って人から連絡があって」
「ああ、そうか。まったく、我々に任せるようにと言っといたんだけどねぇ。困ったお嬢さんだよ。まあ、おかげで話が早そうだね」
ここでまた中年刑事は、はっはっは、と豪快に笑った。何が可笑しいのかわからない。
「どこまで聞いたかわからないけど、山井徹夫さんはお亡くなりになりました」
……虎サンが死んだ?
他でもない刑事の口からはっきり聞いたというのに、どこか実感がわかない。信じられない、信じられるわけがない。
「一昨日の事です。午後の十時頃、デパートの屋上から飛び降りて。状況から考えて自殺でしょう」
俺の心中を知ってか知らずか、刑事は話し続ける。淡々と、至極事務的に、酷く平坦に。まるでいつも通りのつまらない作業だと言わんばかりに。
「それで、山井さんは最後にゲームをしていたようなんです。彼の家ではパソコンがゲーム画面のまま放置されていました。そして彼の携帯電話には、まるで安否を気遣うようなメールが二通ありました」
「……おそらく、俺が送ったものです」
「ええ、調べるのに時間がかかりましたよ。なんせ、彼の電話帳にはレイとだけあって、本名も住所もわからなかったもので」
そう言うと、刑事はまた笑った。
……この男は悪いキノコでも食ったのだろうか。それとも俺を怒らせたいのだろうか……。
俺のそんな考えが顔に出ていたのだろう。刑事は「失礼」と言って、話を戻す。
「あのメールを送ったのは、あなたで間違いないんですね?」
「…はい、そう言いましたよ?」
「それで、ここからが本題なんですが、なぜあのようなメールを送ったのですか?」
「……」
俺は話した、一昨日ゲーム内で起こった異常事態について。
ゲームに疎いという刑事を相手にスペシャルクエストの異常性を説明するのは苦労した。False Huntの仕様から遊び方、その全てを説明しなくてはならなかったのだ。まるでパソコンについて何も知らない老人に起動からクリックまでを教えるような、事情聴取だというのにどこか呑気で奇妙な感覚。中年刑事は随所で質問を挟んできた。主に虎サンの言動や時間帯について、そして終始にやけていた。
粗方話し終わると刑事は「わかりました」と言う。
「つまり、そのスペシャルクエストっていうので山井さん、いや、虎サンですか? が死亡。しばらく待っても虎サンが戻ってこない。それで君は心配になってメールしたってわけだね?」
「……そうです」
この刑事は本当にわかっているのだろうか。いや、あのクエストの異常さはオンラインゲーマーにしか、False Huntのプレイヤーにしかわからないだろう。
「君の話だと、まるでそのスペシャルクエストが徹夫さんを殺した、みたいな言い方だね」
「そこまでは言いませんが、とても無関係だとは思えません」
「そうです、か。君も徹夫さんは自殺だとは思えない、と?」
君も、というのは、皐月という娘さんも含まれているからだろう。
「はい、あの人が自殺なんかするわけないっ…です」
「そうは言ってもねぇ。あの状況、客観的に見たら自殺以外考えられないんだよ。それに徹夫さんは最近仕事を退職して、新しい職場に馴染めてなかったらしいし。とりあえず君の話を元に調査はしてみるよ」
そう言って、中年刑事は後ろの若い刑事と目配せし、苦笑しながら鼻で嘆息した。
警察はおそらく自殺で片付けてしまうだろう。無理もない。確かに客観的に見たら、俺の言ってる事の方が異常だ。人がゲームに殺された。そんな妄言、普通に考えたら在り得ない。しかし、俺はあの場にいた。あの異常な戦場で虎サンと一緒に戦ったのだ。
それでも俺は「お願いします」と俯く事しかできない。
「ではこれで。ああ、あと一つ」去りかけた刑事はどこかわざとらしく踏み止まり、振り向きながら言う。「君、山井さんに何か言わなかったかい?」
「………」
その一言でわかってしまった。この刑事達が俺を観察していた理由、この中年刑事が自殺を推す理由。
「……どういう意味ですか?」
「うーん、その、なんだ。単刀直入に言うと、山井さんを傷付けるような事、言わなかったかい?」
「………」
被害者と最後に接触した俺は重要参考人、露骨な言い方をしてしまうなら容疑者ってわけだ。
刑事は俺の沈黙を受けて、「いやいや」と弁解するように手を顔の前で振る。
「大の男がそんな事だけで自殺するとは考えてないよ。それでも、長く務めた職場を離れて、家族ともうまくいってない男ってのは意外と脆いんだよ。そんな状態で友人からも見放されたら、あるいは……」
「……言ってません」
「いや、そんな自殺も結構あるんだよ実際。それに、たとえ何か言ったとしても君の所為だって言うわけじゃない。結局のところ、自分で死を選んだ、自殺なんだから」
「言ってませんって言いましたよ。聞こえませんでしたか?」
……耳が悪いのか? それとも頭が悪いのか?
俺の声色は明らかに攻撃的だった。一方、刑事は実にわざとらしく困った表情をつくり、芝居がかったような仕草で嘆息する。
「まあ、ショックなのはわかるけど、君も落ち込まないで。ネットの友達なんて所詮顔も本名も知らない仲なんだろう? こんな事は早く忘れて、もっと現実の友達と遊びなさい」
中年刑事は、険悪な態度である俺への意趣返しなのか、癪に障る事ばかりを言う。偉そうに、何も知らないくせに、ろくに調査する気もないくせに……。
「じゃあ、私達は帰るから、何かあったらここに連絡して。あと、もしかしたらまた事情を聞かせて貰うかもしれないから」
刑事は名刺を手渡すと帰っていった。最後まで沈黙を守っていた細身の刑事が俺を一瞥する。冷たい、澄んだ眼差し、まるで哀れむような、そんな目付きだ。
ドアをゆっくり閉めて呟く、
「くそったれ……」
机の椅子を引いて腰掛け。煙草に火を点ける、深く吸い込み深く吐き出す。
さっきもらった名刺を灰皿に捨て煙草を圧し付けた。ぐりぐりと磨り潰すように圧し、紫煙を見詰めながら、先日帰宅途中の電車内にて必死に謝罪していたサラリーマンを見た時のような“嫌な思考”が満ち充ちてくる。しかし、悲しみはなかった。
虎サンの死がほぼ確定したというのに、悲しみに類似する感情は生じないのだ。あの刑事の言う通り、所詮その程度の仲だったのか?
わからない。……わからねえよ。
もう何も考えたくない……。虎サン、本当に死んじゃったのかい?
その日の午後、俺は、カイはFalse Huntの中にいた。
虎屋にも誰もいない。店主を失った虎屋はどこか寂しげで、いつもより荒れて見えた。
虎屋を後にし、タワーへと向かう。カウンターにはあの時と同じように受付嬢のNPCが無機質な笑顔で立っている。
カイが近付くと「ようこそ、レイトタワーへ。本日のご予定は?」とお決まりの台詞を吐く。
「質問がある」
「どうぞ、なんでもお訊きください」
「スペシャルクエストについて教えてくれ」
「……」
NPCの動きが固まる。しかしそれは一瞬だった。もっともらしい申し訳なさそうな顔をして、軽く頭を下げる。
「すいません。私どもは存じておりません」
「スペシャルクエストだぞ? 一昨日は説明しただろ?」
「すいません。私どもは存じておりません」
「そんなはずない。一昨日このカウンターで虎サンと俺がそのクエストを受けたんだ」
「すいません。私どもは存じておりません」
「……」
カイは暫し言葉を失う。
確かにNPCには複雑過ぎる質問への回答は期待できない。その場合、
「お客様、大変申し訳ありませんが、メールか電話受付にて弊社へ直接問い合わせてみてはいかがでしょうか?」
と慇懃にあしらわれるのだ。
しかし、一昨日は普通に訊けたことが今日は訊けないなんて事があるのだろうか。それとも当選者しか受けれない特殊なクエストだから答えられないのだろうか。カイは不安と疑問と苛立ちで、眉間に皺を刻みながら言う。
「じゃあ、ヘルズブリッジってクエストを調べてくれ」
「少々、お待ちください。……そのようなクエストは存在しておりません」
「……エリアでヘルズブリッジは?」
「少々、お待ちください。……そのようなエリアは存在しておりません」
カイは忌々しげに低く罵り、NPCに鋭い視線を向けてしまう。NPCは少々困惑しているような表情だが、それはプレイヤーの要望に応じられない場合のスクリプトに則っているだけ、意思など存在しない。
「橋の存在するエリアを全て表示しろ。クエスト専用マップ、バトル専用マップもだ」
False Huntの舞台はレイスと呼ばれる架空の島だ。
ほとんどのクエストはレイスの何処かがクエストエリアとなり、その中で行われるのだ。しかし、少数ではあるがレイスとは継続性を持たない専用マップというものが存在する。そのマップは特定のクエストやバトル専用に作られた隔絶されたエリア。
「シークレットクエストの情報はお見せする事ができませんが、よろしいですか?」
頷くと橋の存在するエリアが表示される。それは全長三メートルの小さな橋から巨大な橋まで、その数は二百を超えていた。その一つ一つが橋の全体像を写した写真付きだった。ありがたい、とカイは呟く。もし写真が付いていなかったら、虱潰しで確認しに行くつもりだったのだ。
しかし、それも徒労に終わった。写真を全てチェックしたが、あの橋、ヘルズブリッジらしき姿はなかったのだ。
「……くそ。シークレットクエストを表示してくれ」
シークレットクエスト。それはクエストを受けて、現場に行ってみるまで任務内容などが一切不明という、風変わりなクエスト。大体がレイスの既存エリアであるが、極稀に専用マップで行われる場合もある。そしてその大半が子犬を探せとか、迷子を救えとか、コインを集めろとか、初心者向けの色物である。そこにヘルブリッジがあるとは考え難いが、可能性はもうそこしかない。
「かしこまりました」
シークレットクエストの件名が表示された。その数は実に二百六十八件。
「多いなくそ。虱潰ししかねえかい。じゃあ、最新の二百六十八番を請けよう」
「かしこまりました。ではただ今よりターミナルから直接、クエストエリアに転送が可能です。シークレットクエストですので、万全の準備をしていくことをお勧めします」
NPCの科白を背で聞き流しながら、カイはターミナルへと向かう。
「では成功と幸運をお祈りしております」
ターミナルから転送され、マップロード中の画面にはクエスト情報が表示されていた。
クエスト:ワンワンといっしょ 時刻:1415
敵の戦力:なし 敵戦闘車両の有無:なし 利用可能車両:なし エリア位置:白宜東地域 エリアの規模:エリア2ブロック 制限時間:なし
任務内容:ジェシーの愛犬、ステランをジェシーのところまで導け、最後にジェシーから秘密のご褒美があるかも!?
転送直後、マップを開くが、橋はない。そもそも白宜東地域というのはレイス上のエリアであり、そこにヘルズブリッジがない事は確認したばかりだ。
「ハズレか」
カイが呟くと一匹の犬が駆け寄ってきた。舌を出して、足元にじゃれてくる。
「あばよ、ステラン。達者でな」
カイは犬の眉間にライフルの銃口を押し当て、引き金を引いた。
ギャウン!
『任務失敗』
ワンワンといっしょ シークレットクエスト
point kill die
カイ −10 1 0
カイはレイトの広場前にあるターミナルに戻された。ターミナルは未来的なデザインの駅をイメージさせる造りで、清潔な構内には様々なショップが軒を連ねる。ここから各エリアに転送されるため、ターミナルはエリアを行き来するプレイヤーでいつも混雑していた。そういう所はリアルと変わらない。
カイは足早にターミナルを去り、タワーへと向かい、
「二百六十七番のシークレットクエストだ」
受付嬢のNPCに言い放つ。
クエスト:消えた少女 時刻:1423
敵の戦力:なし 敵戦闘車両の有無:なし 利用可能車両:なし エリア位置:ロイ・トイ南地域 エリアの規模:エリア2ブロック 制限時間:なし
任務内容:少女が行方不明になった! 黄色の帽子にピンクのワンピース姿らしい、探して家に送ってあげよう!
マップを開く。橋はあるが、全長は五メートル程だ。あのヘルブリッジではない。そしてやはりここロイ・トイ南地域もレイス上に存在するエリアだった。
「くそ。またハズレかい」カイは獲物を探すように辺りを見渡すが少女の姿はない。「行方不明ってんだから、居るわけねえか……」
カイは自分の頭部にハンドガンを押し当て、引き金を引いた。
『任務失敗』
消えた少女 シークレットクエスト
point kill die
カイ −5 0 1
こんな作業を繰り返す事、三時間。
カイの苛立ちはピークに達していた。何番まで請けたかわからなくなり、同じクエストを何度も請けてしまうという手違いもあったのだ。
ヘルズブリッジを見付けても、どうにもならない事はカイも知っている。そこにはもう何も無いだろう。異常なNPCも、視えない壁も、虎柄の戦闘服を着たプレイヤーの死体も……。しかし、それでも探さずにはいられないのだ。何かをしていないと落ち着かないのだ。
じっとしていたら嫌でも考えてしまう。カイは故意に何も考えないようにして、ただただヘルブリッジを探していた。
カイが憔悴しきった表情で百五十二番目のシークレットクエストを請けようとした時、画面の下にメールのシンボルマークが現れた。
「……なんだこれ?」
それが親しいプレイヤーから送られてくる簡易メッセージだと理解するのに、若干の間を置かなければならなかった。普通のプレイヤーなら真っ先に気付くような基本的な事だが、虎サンと虎屋で合流し二人だけで行動するというある種の排他的な期間が長く、そもそもその以前からコミュニケーションに熱心ではなかったカイには気が付くのに時間が掛かった。
それをどうにか画面に表示させると、
「これは――――」
それは虎サンからのメッセージだった。
『レイトタウンの臨海公園で待ってます。』
内容はそれだけだった。
明らかに虎サンの書いた文章ではない。虎サンはカイに敬語なんか使わない。しかし、それでもカイは期待せずにはいられない。
「……生きてたのかい? 虎サン」
カイは何かに追い縋るように、臨海公園へと向かう。
そこはオレンジ色に染まっていた。夕日が沈みかけた海は鏡の破片を散りばめたように眩しく瞬く。
――――そこには男がいた。
黄色と黒のストライプのバンダナに戦闘服、サングラスのようなゴーグル、異様に膨らんだリュック。
「……虎サン」
カイは近付いて、そこで気付く、虎サンじゃない。いや、姿形は寸分違わず虎サンなのだが、表情が違った。顔の形は同じだ。ただその顔は生きていない。凍り付いたかのような、時が止まったかのような無表情だった。
その虎サンに酷似したプレイヤーはカイの視線に気が付いたようで、話し掛けてくる。
「……あ、あの、……レイさん?」
男ではない、その声は女性の物だった。
「レイさん、ですか?」
「……い、いや、……人違いだ」
思わずカイはそんな嘘を吐いてしまった。いや、正確には嘘ではない。今のプレイヤーネームはカイであってレイではないのだ。しかし、そんな事、言い訳にしても聞き苦しい。
「え? そうですか」
プレイヤーはそう言うと、海に視線を戻す。そして「…綺麗」と呟いた。
カイはそれを聞き、下唇を噛む。
――――やめろ……。虎サンの姿でそんな声出すな……。虎サンの姿でそんな事言うな……。
「……いや、すいません。俺がレイです。虎サンにはそう呼ばれてました。でも今はカイです」
嘘は言っていないが、客観的に聞いたら整合性を欠いた言葉だった。カイは自分でも何を言ってるのかわからない、そんな様子だ。
「えっ。あの……メッセージを読んで来てくれた人ですよね?」
「はい」
「良かった。ちゃんと送れたんですね。来てくれないかと思ってました。私は山井徹夫の娘、皐月です。電話で話しましたよね?」
「はい。……ところで、それは虎サンのPCですか?」
「え。えーと、そうですけど?」
カイは目の前のプレイヤーの不可解な無表情に納得する。さっきから喋っているのにこのプレイヤーの口は動いていない。瞬きすらしていないのだ。HMDは設定した利用者の顔の動きしかキャラクターに反映しない。虎サンの娘という皐月はまだ自分の顔をキャプチャーしていないのだろう。
「………」
目の前のプレイヤーは虎サンじゃない。虎サンのキャラクターを虎サンじゃない人間が操作をしている。仲の良かった友人が突然別人になり代わり、それを知りながらも普通に会話をしている。……それはカイにとって残酷なまでに奇妙な感覚だった。
しばらくの沈黙。
皐月と名乗ったプレイヤーは覚悟を決めたように口を開いた。
「あの! ……あの、電話で話した通り、父は――――」
「――――私の父は死にました」
「―――――」
突然、目の前が霞んだ。
目の奥から熱いものが込み上げてくる。頬を伝い、顎から落ちる、熱い液体。
虎サンの声が、笑顔が蘇る。一緒に戦った戦場、一緒に組んだチーム。
虚構の死と現実の死がカイの中で今ようやく結びついた。結びついてしまった瞬間だった。
――――虎サンが、虎サンが死んだ。……なんてこった……なんて、こった……。ふざけるな……畜生……くそっ、くそ……。
カイは今すぐHMDを外して逃げ出したい気分になったが、唇を噛み、上を見上げ、堪える。
考えるな。今はまだ、何も考えるな……、そう自分に言い聞かせた。
「……ええ、ええ、事情は知ってます。警察が、来ましたから」
カイは感情を押し殺してできる限り気丈に振舞うが、声が震えていた。
「……そうですか。すいません」
「別にあなたが謝る事じゃない。こっちこそ、さっき電話で取り乱して、すいませんでした」
「いえ、それで、あの、父は最後の晩もこのゲームをしていたようなんです。父にメールをくれましたよね? もしかして、このゲームで父と会っていたんじゃないですか?」
「はい。虎サン、いえ、あなたのお父さんとは仲が良かったですから」
「最後の晩、一昨日の晩も一緒にいたんですよねっ?」
「……はい」
「だったらっ、教えてください! 何があったんですか!?」
カイは迷った。警察に話したように、あのクエストの事を彼女に伝えるべきかどうか。当然伝えるべきなのだろうが、ただ、今のカイには冷静に語れる自信がない。それに果たして正直に伝える事が彼女のためになるのだろうか。知らない人間には一笑に付されて然るべき内容なのである。現に刑事がそうだった。しかし彼女の場合は身内を亡くしている。一笑に付すような冗談では済まされない。話した挙句信じてもらえず、口汚く罵られ、軽蔑されるかもしれない。
「何も、なかったですよ」
「嘘っ! だったらなんであんなメールを送ったんですか!?」
虎サンの姿をしたプレイヤーは動かない。感情的に叫んでいるが顔も口もまったく動いていない。それでも虎サンの娘、皐月の感情はカイに痛いほど伝わってくる。
「……確かに、いつもだったら来るはず虎サンが来なかったんです」まるで言い訳をするようにカイは言う。露骨に声が上ずっていた。「それで心配になってメールを送ったんですけど」
「それだけですか? ……本当にそれだけですか?」
「……どういう、意味です?」
「父は自殺なんかする人じゃない。間違っても自分から死ぬような人じゃありません」
「それは、俺も、俺もそう思います」
「………父に何か言いませんでしたか?」
低い声色で、独白のように呟かれたその言葉に、カイは唇を噛み、俯いた。
皐月は警察と同じように考えているのかもしれない。最後に虎サンと会ったカイが、虎サンを傷付けるような言葉を口にしたと、間接的に死に追い遣った、と。
しかし、カイの必死に堪えるような顔を見て何かを察したのか。皐月は「いえ」と言葉を続ける。
「すいません、気にしないでください。私もあなたが父に何かしたとは思ってません。父はそんな事で死んだりしません。それに父の友人を疑ったりしたら、父に怒られますよね。私はあなたを信じます」
「………」
『私はあなたを信じます』。
屈託のないその言葉を聞いて、カイの内側で罪悪感が込み上げてくる。
しばらくの沈黙の後、
「父の話を聞かせてください」
急に明るい口調で皐月は言う。
「え?」
「父は毎晩のようにこのゲームで遊んでました。そこまでこのゲームに夢中になるにはわけがあるはずです。父がこのゲームでどうやって遊んでたのか。あなたがどうやって父と知り合ったのか。教えてください」
皐月の顔は相変わらず無表情の虎サン。しかし、その声からHMDの向こう、皐月の顔は笑っている事が容易に想像できる。その笑顔は無理をしてつくっている事、努めて明るく振舞おうとしている事を簡単に察する事ができる。
――――虎サン、あなたの娘はあなたに似て、とても強いです。
カイもできる限りの明るい声で応じるが、
「あの、明日でいいですか? 今日はちょっと、もう……」
とても故人の思い出話ができる精神状態じゃなかった。
カイの心中を気遣い、皐月は頷く。
「はい、待ってます。あ、あと、お葬式には出席してくれますか?」
お葬式……死。
死を連想させる言葉を耳にする度に、カイの心は深く抉れ、視界がひどく歪む。
「いや……いや。……葬式には出ません」
「そうですか」と皐月は寂しげに呟いた。
「……」
そして、無言で立ち去ろうとするカイを皐月は「ああ、あと一つ」と、呼び止めた。
「あなたを信じるには理由があります。父は、酔っ払うといつもあなたの話をしていましたよ。捻くれてるけど、……あんなに素直で優しい若者、俺は、知らないって……」
皐月の声は嗚咽に塗れていた。
「わ、わたし、私も、そう思います。父と、仲良くしてくれて、ありがとう、ありがとうございました……」
鼻を啜りならが、深々と頭を下げる皐月。
そんな皐月を見ながら、カイは、俺は、False Huntからログアウトした。
そして、俺は泣いた。
独り、子供のようなくしゃくしゃの顔で、涙、鼻水、涎、全て垂れ流しで。
世間体を気にする事もなく、わんわん大声で泣いた。
皐月、虎サンの言葉を想い出す。
「やめてくれ……。俺は、そんな、人間じゃない。……優しくなんか、ないんだよ……。バカで、弱くて、情けない、どうしようもない、奴なんだ………」
あのクエストで、自分の吐いた言葉を思い出す。
「何かが変わるだって? ……ふざけるな。変わったよ。どうしようもなく変わったよ。なんてこった。俺が…俺が望んだから…俺の所為で、虎サンが死んだんだ」
刑事の言葉を思い出す。
「顔も本名も知らない? だからどうした? ……ゲームの友達なんか忘れて? ふざけるな。……もっと現実の友達と遊べ? うるさい、くたばれ、クソ野朗……」
そして、核心に思い当たる。
「虎サンが自殺? それだけはありえない。じゃあなんで……殺された? あのクエストに、殺されたんだ。あの時、……虎サンの言う通りに、PCの電源切っとけば……死ななかったんだ。俺がバカで、ガキで、わがまま言ったから、虎サンが……死んだ……俺の所為で殺された――――」
ある結論に至った時、そこにはもう子供のような泣き顔はなかった―――――
「待っててください、虎サン。仇は俺が撃ち殺します。絶対に、何においても、何があろうとも、撃ち殺します。それで、俺も、あなたも、浮かばれる……」
――――覚悟を決めた戦士の、戦いを望む凶戦士の、“単独多殺”と畏怖される“黒い凶戦士”の、邪悪に凶つ貌が、そこにはあった。