ラン・ライク・ヘル 2-2
「なんだあいつら……」
カイは一瞬で感知した。
筆舌し難い違和感。
何かが、正体はわからないが、何かが明らかにおかしい、と。
しかし、
「先手必勝っ。横取り四十万だぜ!」
虎サンは何も感じていないようだ。陽気な調子で言うが速いかTsKIB RG-6グレネードランチャーを連射する。
小気味よい発射音に伴い蓮根状の弾倉が忙しなく回転。放たれた六発の40ミリの榴弾は放物線を描きながら、三体の足元に着弾した。途端、オレンジ色の火花のような鮮やかな業火が弾け、三体のNPCを飲み込む。
「燃えカス決定の焼夷弾六連発だ。今度こそ終わりだな。悪いが速い者勝ちだぜ。かはは」
虎サンは闊達に笑いながら弾倉をスイングアウトさせ、空薬莢を振り落としてから、一発ずつ40ミリ弾を再装填する。
カイは燃え盛る炎を見つめ続けていた。否、正確には炎の向こう側、燃え盛る壁の中に居るであろう何かを探すように凝視していた。
そして、
「いや……まだ、みたいですよ」
燃え滓になったはずの何かはすぐに現れた。
――――炎の中から三つの影。
その躯には灼熱の火炎を身に纏い、至る所からはジブジブと黒煙が燻っている。しかし、こんな炎は生温いと言わんばかりに、その三体のNPCは無反応。一歩いっぽゆっくりと橋に近づいて来る。その様はまさに歩く屍、ゾンビであった。
「バカな……」
小さく呟いて、暫し絶句する虎サン。
そもそもあの三体は、如何にして林から脱出できたのか。無数の爆破型の罠により、一つの凶器と化した雑木林。その凶器による致死必至の猛攻を満身に浴びたはずなのに、まるで何事もなかったかのように飄々と歩み出てきた。そして今も、悠々と闊歩している。
「……チーターか?」
チーターとはゲーム内でプログラムの不正改造を行うプレイヤーを指す。しかし、
「このゲームでチーターなんて聞いたことないですよ。それにあれはプレイヤーの動きじゃない。あれはどう見てもNPCの動き方です。バグじゃないですか?」
「いや、このゲームにバグはねえよ」
「?」
虎サンの断言するような物言いにカイは首を傾げた。
次の瞬間、三丁分の乾いた銃声が連続して轟く。NPCが腰だめの軽機関銃を発砲し始めたのだ。
「うわっち!」
「危なっ!」
カイと虎サンは同時に伏せた。空気を切り裂くような不気味な高音が頭上を通過。身体を預けた土嚢からは着弾の鈍い振動が響いてくる。
「……チートでもバグでもない。じゃあ、あれもスペシャルクエストだからって言うんですか?」
虎サンは答えない。
「さっきの奴らはまだわかります。異常な射撃精度、それなら特別で納得できます。でも――――」
と、そこでカイは言葉を区切ると素早く身を起こし、一番手前のNPCの中心を狙ってライフルを撃った。その小口径高速弾の三連射は確実に胸を貫いた。綿埃と血煙が混じったようなエフェクトが生じる。
――だが、その身体、灰色の戦闘服にはなんの損傷も見受けられない。そして、NPCはまったく怯む様子もなく軽機を乱射しながら尾根に迫る。
カイは再び身を低くし、鼻から嘆息を吐いた。
「いくらなんでもこれは反則でしょう。死なない敵をどうやって殺せばいいんですか?」
「このゲームでこんな事、有り得ないはずなんだが……」
「……」
カイは先ほどからの虎サンの言葉に違和感を覚えていた。確かに、カイがこれまでプレイでバクと呼べるような現象に見舞われた事はない。掲示板でも聞かないし、噂でも聞いた事がない。しかし、虎サンの言葉には何か特別な意味が含まれているような気がした。
「そうだ。……このゲームに倒せない敵、クリアできないクエストなんかあるわけない」
自身に言い聞かせるように呟く虎サン。
「まあ、普通そうですけど。でも、どうしてそうはっきり言い切れるんですか?」
「え、いや、その、そうじゃなきゃあゲームとして成り立たなくなるじゃないか」
虎サンはまたも露骨にどもる。どうやら嘘を付くのが下手なようだ。長い間行動を共にしているカイは勿論のこと、誰が見ても気付いてしまうほどに不審だ。
無言で、じっと見詰めてくるカイの視線に気が付くと、虎サンは苦笑する。
「………それも含めて終わったら話すよ。とりあえず今をどうするかだ」
「ですね。死なない敵が有り得ないんだったら、殺せるんですよね?」
「ああ、間違いない。そのはずだ」
「じゃあ、“ブロークンアロー”で行きますかい」
カイは不敵に口角を吊り上げながら言う。
「かははっ。いいねえ、久しぶりにやるか」
虎サンもその笑みに乗じた。
「よーし、それじゃあ……オープンファイアー!」
カイの叫びと共に、二人は土嚢から身を乗り出し、各々の得物を連射する。
甲高いライフルの銃声と、小気味良いグレネードランチャーの発射音が重なり、独特の騒々しさを奏でる。
「手榴弾!」
最初に叫んだのは虎サンだった。胸に着いていた手榴弾のピンを抜き、弾体を掴み、そのまま敵に向け投擲、そしてすぐに射撃に戻る。
「手榴弾、行きます!」
虎サンの放った手榴弾が爆発すると同時にカイも叫び、手榴弾を放った。
橋の手前の路上にて、三体のNPCは榴弾と銃弾の嵐に激しく叩き付けられる。砕かれ噴き上がるアスファルトの破片がまるで黒い雨粒のように、天へ地へと跳ね回っている。
ブロークンアローとは、本来窮地に立たされた部隊が全友軍に積極的支援を求めるための符丁。つまり、持ち得る火力の総動員を意味する。二人にとっては単純に、撃って、撃って、撃ちまくる、という意味合いでしかない。
互いに援護しながら攻撃の手を一瞬も緩めず、敵に反撃の暇を与えない。酷く単純な作戦、否、戦法だ。しかし単純故に有効でもある。作戦とは単純な分だけ見破られ易いが効果は高い。
はずだったのだが、
「――――硬ってえなおいッ!」
カイが二本目の弾倉を交換する段になっても、三体のNPCはまったく怯む様子もなく、その淡々とした射撃と歩行は止まらない。そもそもダメージという概念が存在していない、そんな様子だ。
ビシュと、土嚢ではなく、水分を含んだものへと突入した瑞々しい着弾音が虎サンから響く。
「うおっ、くそ。腹にもらっちまった。ついでに装填!」
虎サンは腹部から血を流しながら屈み、ランチャーの装填に掛かる。
「連中っ、マジで不死身なんじゃないですかっ!?」
「そんなはずはねえ! しかし、くっそ、まじぃな」
虎サンは土嚢から頭を出し、眼下を確認、顔を歪める。
三体のNPCはすでに橋の中間辺りにまで達していた。橋を真っ二つにするための爆薬を仕掛けるなら、絶好の位置だ。
「チィッ、ここまで来て失敗かい」しかし、「ありゃ?」
カイ達の心配を他所に、NPCは爆薬を仕掛けるどころか、まったく止まる気配も見せず、一心不乱に軽機を乱射しながら橋を渡ってくる。
カイは思わず射撃を止めてしまった。
「橋を壊さないのか……? なんでだ?」
NPCの黒いフルフェイスバイザーからは表情をまったく読み取れない。だが、その真っ直ぐにカイ達を見据える視線を感じ、
「――――」
二人は戦慄を覚えた。
黒い凶戦士と火薬庫がゲーム内で慄く事なんて在り得ない、初めてと言っていい。
三体の物言わぬNPCからは、どす黒いオーラのようなものさえ感じてしまう。そして、そのオーラが告げている。
――――お前らを殺す。
ぞくりと、首筋を這う悪寒に、びりびりと、肌を奔る緊張に、二人は息を呑んだ。ゲーム内で初めて感じる明確な殺意。
「あ、あいつらの目標は、ターゲットは、俺達だ……」
「っぽいですね。……とりあえず、いったん退きましょう」
橋とは反対方向に小山を駆け下りる二人。その顔には以前のような余裕はなかった。恐怖というよりも、違和感と混乱に曇った相貌である。
「はは、マジでおもしろくなってきましたね」
カイは笑顔で言うが、その表情は若干引き攣っていた。虚勢だ。
「そう、だな……」
しかし、虎サンは心ここに在らずといった風に、何かを必死に思考しているようであった。
二人は走った。只管走った。道路を横断し、尾根を駆け上がり、また下り、草叢を抜け、また尾根を登る。橋から、三体の“何か”からなるべく離れようと、
だが――――
「あれ? なんだ、これ?」
突然、二人の足が止まる。否、足は止まっていない。足は忙しく動いていた。しかし、身体が前へと進まない。緑に満ちた尾根は脈々と遥か向こうまで続いている。
なのに――身体だけが進まない。
二人の目の前には視えない壁が存在していた。壁という喩えには語弊があるかもしれない、そこには何も無いのだから。カイが手を前に出してもその手は空を切るだけ、足元の石を拾って投げてもその石は普通に向こう側へと飛んでいく。しかし、その先へ一歩を踏み出そうとすると、その足の裏はまた同じ地面を踏んだ。
そこには何も無いにも係わらず、どうして先へと進めなかった。まるで身体が、キャラクターが先へ進むのを拒否しているような。
「ん? え? あれ?」
カイは何が起きてるのか理解できない。
「まさか、こんなッ、ありえん」
再び驚愕している虎サンにカイは問う。
「……これ、なんすか?」
「これは、いや、しかし……間違いない。“マップの限界”だ」
カイは絶句した。それは、薄々気付いてはいたが、有り得ないだろうと故意に排他した可能性だからだ。
マップの限界、ゲームの世界は現実と違い、陸が海が空がどこまでも続いているわけではない。いくらコンピュータのスペックが発展し、情報処理能力が高まったとしても、ゲームが極限までリアルに近付いたとしても、ゲーム上で地球を丸々一個シュミレートする意味がない。そんなに広いマップはゲームに必要ないのだ。故にどんなゲームにもマップの限界は存在する。ではマップの限界の先はどうなっているのか。単純だ。作られていない。作られていないところには進めない。足場がないところには踏み出せないのと同じ理屈である。
しかし、この世界の、False Huntのこんなところにマップの限界が存在していいわけがない。False Huntは東京都と神奈川県を合わせたほどの面積を持つ『レイス』と呼ばれる架空の島をシュミレートして作られている。プレイヤーはその島の中なら自由に行動できるはずだが、今まさにカイ達の目の前には確かに存在していた、自由を縛る塀、視えない壁、マップの限界が。
「あっ」とカイは思い出したようにマップ画面を開く。
画面には橋を中心にした周囲の地図が映し出されていた。
「やっぱり、そうですよ。限界って言っても、単純にクエストエリアに閉じ込められてるんだけです。特別なクエストですし、終わるまで出られないだけじゃないですかい?」
作戦を行う範囲が定められたクエストに於いて、指定されたエリアを離れようとすると、警告メッセージが表示される。『これより先はクエストエリア外です。引き返してください』と。そのメッセージを無視して先に進めばクエストは強制的に失敗しタウンへ戻される仕組みだ。
今回はES側が調査目的で行っている特別なクエストだ。だから逃亡が許されないのは仕様なのではないか、とカイは考えたのだが、
「……そうだとしても、やっぱり異常だろ? エリアに閉じ込められるなんて、ゲームのルールを根本から変えるクエストなんて……」
虎サンは憔悴しきった顔で独白のように呟く。その様子を見かねて、カイは笑った。
「ははっ、最初とは逆ですね」
「うん?」
「虎サン最初になんて言ったか覚えてますか? 疑い過ぎだって、これはただのゲームなんだぞって言ったじゃないですかい」
カイは虎サンを元気付けるために言ったつもりだったが、逆効果だった。
「すまん、前言撤回だ。これはゲームだが、ただのゲームじゃないんだよ」
「……どうゆうことです?」
「レイ、気付いているか。――――ログアウトもできなくなってるんだぞ」
「え」
一瞬、カイは虎サンにレイと呼ばれた事も忘れ、呆然とした。虎サンが何を言っているのか理解できなかった。
「ログアウトできないって。……ッ!」
自身でも繰り返し、ようやく理解したカイは不意に恐慌に駆られ、一心不乱にメニュー画面を開き、ログアウトを選択。しかし反応がない。もう一度選択。反応がない。
本来ならここで『本当にログアウトしてもよろしいですか?』『YES』『NO』と、選択肢が出てくるはずだった。だが今は何回選択してもまったく反応がない。
「な、なんですか。これ、完全に、閉じ込められた……?」
虎サンは両目を閉じて、無言で頷き、肯定する。
「――ッ!」
カイは、俺は、思わずHMDを外してしまった。
そこはいつもと変わらない、狭いアパートの一室。
沈みかけた夕日がカーテン越しに窓から射し込み、仄かな茜色に部屋を染めていた。
「く、くく、はははは」
気が付いて、思わず苦笑してしまった。
自分の呼吸が乱れ、肩を激しく上下させていたからだ。
首を振りながら、再び自虐的に笑う。
「俺は何をこんなにビビッているんだ。バカか、俺は……」
そうだ。ログアウトが機能しなくなっているからどうだと言うのだ。現にこうしてHMDを外して、俺は今、リアルに居る。
何が起ころうが、ゲーム内だ。死ぬわけじゃなし。
「……いや」
そうだ。これは俺が待ち望んでいた、“異常事態”じゃないか。
残酷なほどに不変で、嫌気がさすほどにだらだらと動き続けている現実。でもこの状況は異常だ。たとえ仮想現実の中であろうとも、俺が今於かれている状況は紛う事なく完膚なきまでの異常事態に違いなかった。
そうだ。この状況なら、このつまらない現実の何かが変わるかもしれない。
戻らないと――!
「すいません。戻りましたっ」
カイはすっかり落ち着きを取り戻していた。いや、取り戻すどころか、その瞳は遠足前日の子供の様にひどく輝いていた。つい先ほどまでとは、まるで別人だ。
しかし虎サンの表情は暗いままだった。そんな虎サンを見てカイは嘆息し、核心を訊く。
「虎サン、とりあえずここは安全みたいですし、そろそろ話してくれてもいいんじゃないですかい?」
虎サンは虚ろな表情でカイを見詰めて、暫し沈黙する。
長い静寂の後、「そうだな……。何から話そうか」とゆっくり口を開く。
「まずはこのクエストについて、だな。このスペシャルクエストってシステムは俺が仲間と考えたんだ。ゲームルールをメーカー側で支配せず、プレイヤーの協力を得て相互に進化させていく。まあよくあるアンケート調査の延長線みたいなもんだ。最初は“ギフトクエスト”って名前だったんだぜ」
カイは虎サンを凝視する。見開いたその瞳の中はクエスチョンマークが支配していた。
「え、あの、意味が、わかりません」
虎サンはカイの理解を助けるように一拍置いて、続ける。
「俺は、このゲームの、False Huntの開発に携わっているんだ」
ここで虎サンはまた間を開ける。しかし、それでもカイの理解は追いつかない。
「つまり、俺はESの社員だった」
「えっと、ちょっと、ちょっと待った。えーと、待ってくださいよ。……今日はいろいろ起き過ぎて、頭が付いてこない」
今日に限らずともカイはこの告解を理解できなかっただろう。
「まぁ聞けや。俺はESのゲームプログラマだったんだ。最初このゲームの開発を手掛けると聞いたときは身震いしたもんだぜ。感動でな。極限までリアルを追求したゲーム、ゲームの中のもう一つのリアル」
虎サンの口調はいつもと変わらないが、その雰囲気は大きく異なっていた。暗く、哀しげ、それでいて淡々と、まるで自分の罪を懺悔するかのように、語り続ける。
「ゲームの開発が終盤に差し掛かった頃、計画に大きな変更があった」
またも虎サンは間を置いた。しかしその間はカイの理解を助けるためではなく、虎サン自身の覚悟のための時間だった。
「ゲームの管理と運営を全て、あるAIに委託する」
「つまりそれは、ゲームが出来上がってしまえば後はもう人の手が一切入らない事を意味する。俺はそれを聞いた時、途轍もなく嫌な予感を感じた。もちろん画期的だとも思った。興味も惹かれたさ。不具合の修正、システムの改善、バージョンアップ、その全てをAIが独断で行う。自分で考え、閃き、進化するAI、そんなことが可能なら革命的に凄いことだ。でも俺は反対した。嫌な予感を拭い切れなかったんだ。だが結局、会社は下の意見なんか聞かずAIによるシステム管理を決定。……それで俺は会社を辞めた」
カイは黙って聞くことしかできない。どんな相槌を打てばいいのかもわからない。
「辞めたというより逃げたんだ。怖くなってな。自分の子供が、得体の知れない化け物に変わるみたいで……」
「なんで……」 カイはなんとか捻り出すように言葉を紡ぐ。「なんで黙ってたんですか?」
「ゲーム制作側にも暗黙のルールがあってな。自分が開発に係わったゲームを言いふらしてはいけない。ネットゲームなら尚更さ。まぁそんなのは建前で、本当は怖かっただけだ。自分の子供が化け物に変わるかもしれないのに、あれが自慢の息子です、なんて言えねぇよ」
「……そう、ですか」
「俺がこのゲームを始めたのはそのAIを監視するためだったんだよ。監視っつっても個人的に勝手にやってただけだし、普通にゲームしておかしなとこがないか探すだけだったけどな。この八ヶ月間は至って平穏、俺達が作ったゲームそのものだったよ。いや、むしろそのAIのおかげで不具合も何も感じずに楽しめた。だから完全に安心、いや、油断してた。このスペシャルクエストのメールが着た時も呑気に懐かしいなぁ、なんて思ってた」
「これは、そのAIの仕業なんですか?」
「間違いない。お前の言った通りこれは異常だ。俺達はプレイヤーが閉じ込められたり、不死身の敵が出てくるゲームは作ってない。このクエストはAIが独自に作ったモノだろう」
「でも、なんだってそのAIはこんな理不尽なクエスト実装するんですか?」
「わからん、だが……」
虎サンは言葉を区切り、更にその表情に影を落とす。
「レイ、パソコンの電源を切ろう。強制ログアウトだ」
「――!?」
カイは一瞬、絶句した。
「何を、言って、るんですか? ……何をそんなにビビってるんですか!?」
「……わからん」
「だったら」
「わからないから恐いって言ってんだよ!」
カイは虎サンの剣幕に驚く。
――――こんな、こんな、虎サンを見たのは初めてだ。虎サンに怒鳴られたのも初めてかもしれない。
カイの表情は異常なNPCから逃げてきた時のそれに戻っていた。
「……いや、すまんな。でも、わかってくれ、レイ。あのとき感じた“途轍もない嫌な予感”。それを今、また感じているんだよ」
虎サンの哀願するような声、カイはきつく下唇を噛んだ。
――――やめてくれ。虎サンのそんな顔見たくない。止してくれ。虎サンがそんな目で見ないでください。虎サンのそんな声、聞きたくない。
「……い、いやですっ」
カイは俯き、両手を強く握りながら言う。
「レイ!」
「いやだっ!」
暫くの沈黙、その静謐は両者にとって酷く長く感じた事だろう。
「……虎サンは、落ちていいですよ。俺一人でも続けます」
「な、何をそんなに意地になってるんだ!? こんな理不尽なクエスト、続けてなんになるってんだ!?」
「……何かが変わるかも、しれません………」
「何かってなんだ?」
「わかりません。虎サンの予感と一緒ですよ。わかりませんが、だから! だからこそっ! このつまらない現実の何かが変わるかもっ!」
今度はカイが懇願するような声を出す。
その顔は今にも泣き出しそうな、何かを必死に訴える子供、そんな顔だ。
「――――」
今度は虎サンが言葉を失う。
カイと同じように虎サンも初めてだった。カイのそんな顔を見るのは、そんな声を聞くのは。
「それに、俺のつまらない人生で、唯一の自慢なんですよ。このゲームは、このゲームの中でなら俺は、強くいられるっ。このゲームの中でならっ! 俺は、逃げたことがないっ! そう、俺は“エクスレイ”の、カイのときなら、何も考えずにいられるん……です……」
泣き出しそうな表情で捲くし立てた後、カイはまた俯いてしまう。
まるで泣いているかのようだった。いや、本当に泣いているのかもしれない。しかし、それは虎サンにはわからない。それはカイ自身にしか、カイのプレイヤーにしかわからない。
この二人は、まるで肉親のように、もしかしたらそれ以上にお互いを信頼し合っていたが、お互いがお互いの事を何も知らなかった。それは知るのを故意に避けていたからだ。穢れて荒んだリアルの事情を持ち込んで、単純なこの世界が、明快な二人の関係が、複雑になり怪奇になり壊れて汚れてしまうのを恐れていたからだ。
しかし、それは杞憂だった。
この二人の関係は、二人が考えていたほど脆いものではなかった。そんなに薄氷ではなかった。
現実の世界でも稀なほどに、深く強く堅く、そして優しい、絆だった。
「……頑固だな。わかったよ」
呟くような虎サンの言葉に、カイは顔を起こした。
「上等だ。付き合ってやろうじゃねえか。俺も逃げっぱなしってのは癪に障る。自分の子供がどう進化したか見極めてやる」
「……虎サン」
「それにな、自慢じゃねえが、俺も、“タンゴ”も、いや、虎サンもこのゲームで逃げたことなんて一度も無い!」
「あは――――」
「かっは――――」
二人は笑った。顔を見合わせ、小さく、けれども心底楽しげに笑い続けた。
おかしくなったわけじゃない。ただただ可笑しかったのだ。お互い腹の底の奥深くに仕舞い込んでいた秘密を、リアルでの鬱々とした身の上話を、関係を壊さないために隠し続けていたのに、いざ話してみても、何一つとして変わらなかった事が。大切に思うあまりに、大事なことを隠し続け、自分達で勝手に複雑にしてきた事が。可笑しくて仕方がなかった。
「じゃあ、戻りましょうよ。殺るか殺られるかしないと終わらないんでしょ? まぁ、殺られてやる気は皆無ですがね」
にぃ、と唇を歪ませてカイは言う。
「おうよ。やってやろうぜぇ!」
二人は見えない壁沿いを再び走り出す。
その表情には先ほどまでの恐怖と不安は皆無、無邪気に笑う、二人の男がそこに居た。
しばらく足を進めていると虎サンが口を開いた。
「で、作戦は?」
「いや、俺より虎サンが考えた方がいいでしょ? なんたってこのゲームのプログラマだったんですから」
「いいや、俺には不死身の敵を殺す作戦なんて思いつかんよ」
「ははっ、そんなの俺にだって無理ですよ」
二人が林を抜けると、小さな川原に出た。流れの緩やかな浅い清流。例の橋が跨ぐ小川の下流であった。
「うーん、とりあえず橋を偵察しに行きますか?」
上流の方を指差すカイに、虎サンは「いってらっしゃい」と片手を挙げる。
「へ、行かないんすか?」
「俺は作戦を思いついた」
「へえ! どんな?」
「ひ・み・つ・だっ!」
「……ははっ。なんですかい、そりゃ」
呆れ顔で笑うカイ、そこに虎サンは不敵な笑みを湛えながら拳を突き出す。
カイは何も言わず、躊躇わず、その拳を叩いた。
なるほど、とカイは思った。
内側から込み上げてくる気持ち。この何百回繰り返したかわからないグータッチがこんなに良いものだとは、今まで気付かなかった、と。
「じゃあ、幸運を祈る」
「そんなもん必要ないでしょ。お互いに、ね」
「かはは、かわいくねえなぁ」言いながら虎サンは川に入る。が、すぐに足を止め、振り返った。
「ああ、一つ言い忘れた。俺が昨日から気を付けろって言ってんのは、“PFW症候群”だ」
「はい? なんすかそれ?」
「……自分で調べな」
「へ? おーい、ちょっと」
それきり、虎サンは一度も振り返らず、川の対岸へ進んで行った。
「ヤッコさんを目視、三体とも橋の中央にいます」
カイは橋から五十メートルほど離れた林に伏せていた。丁度、橋を真横から見れるポイントだ。
『……だろうな。連中、俺達が逃げられないことを知ってる』
逃げられない相手を追う必要はない。当然の理屈だ。
三体のNPCは橋の上にいた。三体が背中を合わせて各々違う方向に向けて機銃を構えている様は、さながら円周防御のようだ。いや、彼らの異常な頑丈さを鑑みれば、防御陣地と比喩した方が適切かもしれない。
「虎サンはどこですか?」
『見えないか?』と小声で応答する虎サン。
カイもかなり小声で話しているが、虎サンの声はそれ以上だ。そして、その声の後ろからは微かに水の流れる音が聞こえる。
「……まさかっ!」カイはある一点に目を凝らす。
三体のNPCがいる橋、その真下、橋桁を支える橋脚の影に何か動くものが見えた。黄色の戦闘服、それは紛れもなく虎サンだった。
「な、何考えてるんですかっ!」
カイは小声で、それでいて叱責するように怒鳴る。
『あと一発、指向性の爆薬を持ってるんだ。奴らに直接貼り付けてやる』
「それが秘密の作戦ですか!? 危険過ぎますっ。他に何か方法があるでしょう?」
『いや、ダメージを与えるなら、これがベストだ』
「だとしても、それで奴らが死ななかったらどうするんですか? それに殺せたとしてもその方法じゃ一体だけですよ? 残りの二体に蜂の巣にされます!」
喋りながらもカイは気が気でなかった。虎サンの真上には奴らがいるのだ。直線距離にしたら五メートルも離れていない。
『俺の勘だが、奴らは“走れない”。逃げれるさ』
「走れないって……根拠は?」
『ない』虎サンは即答する。
「はあ!?」
『だがそう思う理由はある。ESを辞める直前、俺はそのAIについて調べたんだ。どうやら“ゲームをより面白くする”ってのがAIの最優先にしてる事柄らしい。だから倒せない敵は存在しないはずなんだ。そんな敵がいたらゲームとして面白くもなんともないからな』
「……とにかく離れてください。気付かれます」
カイの忠告を無視し、虎サンは喋り続ける。
『だから、こいつらがどんなに頑丈でも必ず弱点はある』
「……それが、走れない、ですか。でもっ!」
『いいから、始めるぞ。いざってときは援護してくれ』
言うが早いか、虎サンは跳躍、橋桁の縁を掴み、一気に身体を持ち上げた。
一体のNPCが水の跳ねる音に反応し、ゆっくりと首を虎サンの方へ回す。
「これでくたばってくれえぇ!」
虎サンは叫びながら突進、右手には爆薬を抱えている。NPCの視線が虎サンを捉えると同時、虎サンは渾身の右ストレートに乗せて、その黒いヘルメットに爆薬を叩き付けた。
刹那の間、NPCは頭部に張り付いた爆薬を取ろうと腕を伸ばす。他の二体も気付いて振り向いた。虎サンはその間を駆け抜け、橋から跳んだ。
直後、爆発。
粉塵の混じった灰煙に橋は覆われる。
虎サンの貼り付けた爆薬はカイが先ほど倒木に仕掛けたタイプとは異なり、指向性である。爆薬の配置がスリバチ状になっており、爆発のエネルギーが一点に集中する仕組みだ。モンロー効果と呼ばれるそれは、戦車の装甲などに強い穿孔力を持つ。常軌であれば人型の、それも一体のNPCを相手に使うべき代物ではない。その光景は常軌を逸脱したこの状況の象徴ともいえるものだった。
「虎サンっ!」
カイは起き上がり、叫んだ。その時、橋から何かが猛スピードで吹き飛んできた。
バシャと音を立てて着水し、何回か転がり、それはようやく停止する。
「――ッ!」
カイは目の前のそれにライフルの銃口を跳ね上げた。
黒煙を上げながら水に浮かぶそれは、紛れもなく、NPCの身体だった。
カイは息を呑む。そのNPCの身体は至って健常。虎サンが爆薬を仕掛けたはずの頭部にもまるで外傷は見受けられない。水に濡れ黒光りするバイザーは微動だにしないが、その右手はHK21軽機を握ったままだ。
しかし、その腕が持ち上がる気配はない。
浅い清流に身を任せ、川底の岩に引っ掛かる形で止まっているそれからは、再び活動を再開するような予感は感じとれない。
「死んでる……よな」
カイが自分自身に問い掛けるように確認するのと同時、
『やったか』
すぐに声が聞こえてきた。見ると、虎サンは橋の手前、川の中央にある小さな岩場にいた。カイの方を向いて、丁度人が一人隠れられるほどの岩に背を預け、座り込んでいる。
「……ええ、死んでます。こいつ死んでますよ!」
『そうか。くく、やっぱり殺せるじゃねえか』
「そんな事よりっ、残りの二体は!?」
カイは言いながら、橋を見る。そこには何もなかった。その中央には今だに爆発の灰煙が残るものの、NPCらしき敵影は見えない。
「居ない? 殺ったんですか……? 俺達、勝ったんですか?」
『ああ……来てるよ。俺の後ろだ』
呟く虎サンの後ろ、岩場の陰から二体の灰色の兵士が現れた。橋の方から、虎サンのいる岩場を左右から囲むように、ゆっくりと迫り来る。
「っ! な、何やってんすか! 逃げてください!」
『残念ながら無理だ。逃げるとき脚にもらっちまった。胸にもな、致命傷だ。もう長くない』
その言葉の通り、虎サンの足元の水流は赤く染まっている。
「くそっ!」
カイは低く罵り、ライフルを撃った。ひたすらに撃った。弾丸はNPCの腹部を貫く。しかし効果は無い。弾丸はNPCの胸部を抉る。しかし反応がない。弾丸はNPCの頭部を射抜く。しかしその歩みは止まらない。
「クソ、くっそ! 止まれぇ! 止まれえぇ!」
カイの叫びは響く、しかしNPCは歩く。
『もういいよレイ。俺達は勝ったんだ』
「何言ってんすかっ!?」
カイは射撃を止めない。しかし不意に、ガチン、と無機質な金属音が弾切れを報せた。右胸のマガジンポーチに手をやる。空だった。左胸のポーチ、空だ。
「くっそ!」ライフルを投げ捨て、ハンドガンを抜く。
『俺の最後の一手によって、お前は生き残って、終わり。俺達の勝ち。そうだろ?』
かははと、弱々しい声色で虎サンは笑う。
「意味が、意味がわかりませんよ!」
カイは狂ったようにハンドガンを乱射する。しかしNPCはカイの方を向きもせず、岩の裏を見据えて歩き続ける。
『あ、もう一つ言い忘れた。前に訊いてきたよな? なんで詳しくもないのに萌系の話するんですか? って』
「こっちだ! こっちに来い! さもなきゃ止まれ! くそったれども!」
『実は俺、いわゆるシングルファザーってやつでさ。皐月って言う二十二歳になる娘がいるんだけど、その歳になっても定職に就かず、フリーターやってるんだよ。そいつがかなりのオタクでな』
「だからなんの、なんの話ですか!」
カイはハンドガンの空になった弾倉を捨て、新しい弾倉を叩き込み、速射。後先を考えず銃の中の弾丸を全て撃ち切ってしまい、スライドストッパーを押し下げ遊底を閉じるという手動で初弾を装填しなくてはいけない僅かな手間にも舌を打つ。コンマ五秒も要さずに完了する手間だが、今はそのコンマ五秒が惜しかった。即座に射撃に戻る。
『俺のリアルの話さ。それでな、最近あんまり話してくれねえんだよ。まぁ今までずっと素直だったから、ちょっと遅い反抗期だと思うんだけどな』
「くっそ! なんで撃ってこない! なんで俺に気付かない!?」
『だから皐月と共通の話題があれば、なんて思ってな。それでアニメとか漫画とか、とりあえず皐月が好きそうなのを手当たりしだい漁ってたんだ』
「虎サン! 何言ってるんですか!」
カイはハンドガンに最後の弾倉を装填した。
『しかし、そっちの世界も奥が深いな。俺もどっぷりハマっちまったよ。かはは。ミイラ取りがミイラってやつだな。……いや、なんか違うか』
虎サンとNPCの距離はもう二メートルも離れていない。
カイはハンドガンを我武者羅に乱射しているように見えるが、実際に我武者羅ではあるが、それでも確実にNPCに命中弾を送り込んでいた。しかしNPCはまったく怯まない。
「くそっ、くそっ、くっそお! 止まれ、止まれ! 止まれえぇ!」
とうとう弾が切れ、カイはハンドガンを投げ捨て、レッグホルスターに収めてあったナイフを引き抜き、川を逆流するように駆け出した。しかし、岩に足を捕られてうまく進めない。
『でな、俺が言うのも親バカだが、皐月は結構いい女なんだぜ』
ここで虎サンは言葉を止め、左を見て、右を見る。
二つの黒い銃口が、
二つの黒いバイザーが、感情もなく覗いていた。
そして――
『よぉ、くそAIの息子ども。残念だったな、俺達の勝ちだ』
二つの銃声が重なる。
跳ねる水滴、白煙の混じるマズルブラスト、砕ける岩、川に落ちる薬莢、叫ぶカイ、虎サンは血飛沫を上げ、岩に背中を預けたまま、動かなくなった。
「くそ! くそ! くそっ! ちくしょうがァアァァ!」
カイは絶叫しながらナイフを腰に構えてNPCに突進する。
そして、横目で岩場を見る。血塗れで虚ろな目をした虎サンは、そこで止まっていた。
NPCがゆっくりとカイへ銃口を振る。その時、カイは確かに見た。虎サンの口が僅かに動いたのを。そして確実に聞いた。
「レイ、お前にだったら娘を嫁にやってもいい」
そして虎サンは「か、は、は」と笑い、左手に握り込んでいたリモコンを押し込み、
絶命した。
爆音。
橋が爆発した。正確には橋脚が爆発し倒壊、橋は真っ二つに崩れた。
これこそ、虎サンの、火薬庫の最後の一手。
直後、カイの視界は暗転し、『任務失敗』の文字と共にリザルト画面が表示された。
『任務失敗』
ヘルブリッジ クエスト
point kill die
カイ 52 50 0
虎サン 42 36 1
虎サン、死亡(die)、1。その画面を凝視したあと、カイは、俺はHMDを外し。
「くっそおぉおぉぉぉぉ!」
叫んだ、誰もいない狭いアパートの一室で叫んだ。――つもりだった。
声が出ていなかった。
………嫌になる。
リアルに戻った途端、カイじゃなくなった途端、世間体を気にして大声を出す事もできない自分が、たまらなく嫌になる。
自分が本気で怒っているのかどうかも、わからない。
嫌になる。
「くっそ!」
今度こそ叫んだ、自分にだけ聞こえるように。それは言ったという方が正しいだろう。それが精一杯だった。
本当に、嫌になる………。
辺りはすっかり暗くなり街灯や商店、タワーの照明が町を彩っている。
夜が深まるに比例して人口も増えていく、オンラインゲームの特徴である。
その人通りの中心、大きな噴水の手摺に黒い戦闘服を着た青年が腰掛けていた。顔には黒いバラクラバ。辺りの暗さも相まって、その青年はまさに影と化していた。注視しないと、その青年が黒い凶戦士と呼ばれる伝説的なプレイヤーだとは誰も気付かない。
黒い凶戦士こと、カイはレイトタウンの広場にいた。
「……遅い。いくらなんでも遅過ぎる」
カイは呟く。この台詞も何回目になるかわからない。
二時間、あの死闘から二時間が経っていた。本来プレイヤーはクエストが終了したら間髪容れずにタウンの出現ポイント、即ちこの広場に戻されるはずだった。しかしカイの待ち人はいくら待っても現れない。
「たっく、落ちちゃったんすか。……虎サン」
話したいことが山ほどあるのに、話すべきことも山ほどあるのに。そして考えるべきことも山ほどあった。
あのクエスト、AI、虎サンの過去、虎サンの娘。中でも一番気になるのは、やはりあのクエストの最後だ。
虎サンは橋を爆破したのだ。確かに見た。虎サンが最後、左手に握ったリモコンを操作したのを。きっと爆薬をNPCにくっつける前、橋脚に隠れていたあの時に、なんらかの爆薬を仕掛けていたのだろう。クエストの任務は橋の防衛、その橋が破壊されれば任務は失敗、タウンに強制転送される。
おそらく、川原で作戦があると言って別れた時には、すでに橋を爆破するつもりだったのだ。最後の抵抗に失敗したら橋を爆破するつもりだった……。
しかしなぜ? なぜそこまでして虎サンはクエストを終わらせたかったのだろうか?
――――“途轍もなく嫌な予感がする”。
虎サンの言葉が頭を過ぎる。
確かにあのNPC、いや、あのクエスト自体、嫌な感じだった。明らかに異常だった。異常に少ない事前情報、異常な射撃精度のNPC、異常に頑丈なNPC、見えない壁、あげくにログアウトもできずエリアに閉じ込められた。どれもこの世界ではありえない、異常事態だ。しかし、パソコンの電源を切ろうと言うほどのものだろうか? 自ら敗北を選び終わらせるほどのものなのだろうか?
わからない……。
「やれやれ」
独白と共に突然カイの頭上から青い光の輪が出現し、カイを包み込むように下へ移動、光の輪が消えると同時にカイの身体も消えていた。カイはこの世界からログアウトしたのだ。
HMDを外し、机の脇に置いてある携帯電話を手に取る。
「返信は、なしか……」
一時間程前、虎サンにメールを送ったのだが未だに返信はなかった。電話を掛けたいところだが、お互い電話番号までは知らない。
意味がない事はわかっているがもう一通メールを送った。
PCの電源を落とし、時計を見ると十二時をまわっていた。
今日はもう寝よう。明日になれば虎サンはまた元気に迷惑メールを送ってくるに決まっている。
ベッドに入り、
「今日は本当に疲れた……」
ひとりごちる。
そこで自分が虎サンに言った言葉を思い出す。
――このつまらない世界の何かが変わる。
けど結局、世はこともなし、か。……当たり前だ。
本当に何やってるんだろうな、俺は。本当に……自分が……嫌になる。
もうお気付きかと思いますが、この作品、リアルはカイの一人称、ゲーム内は三人称で書かれています。
そんな書き方だから読み難いのかもしれませんが、この作品を書く分にはその方法が一番良いという結論に行き着いてしまいましたので、許してやってください。
読んでくれている方々に感謝を込めて、ありがとうございます!