第五話:ラン・ライク・ヘル 2-1
スペシャルクエスト:ヘルズブリッジ 時刻:0613
敵の戦力:不明 敵戦闘車両の有無:不明 利用可能車両:なし エリア位置:不明 エリアの 規模:不明 制限時間:無制限
任務内容:橋を敵から守れ
「ほお、ここが戦場か」
「……」
空には黒色に限りなく近い暗雲が隙間もなく広がっていて、辺りは薄暗い。夕暮れ時というのもあるだろうが、この天候では日中でもさほど変わらないだろう。雨が降っていないのが不自然なぐらいだ。
周囲の起伏の激しい尾根には所々背の低い林が繁茂している。
そして、その尾根の中心には橋が架かっていた。
大きな岩がそこここに転がる川原に挟まれた浅い小川。それを跨ぐ小さな橋で、全長は二十メートルほど、幅は五メートルといったところだ。カイ達が出現した舗装道路は真っ直ぐに橋へと伸び、更に向こう岸へと続いているが高い尾根が視界を遮っており対岸の奥の様子は確認できない。
田舎の街道、そんな印象の戦場だった。
「どうした? さっきから黙りこんで」
カイは視線こそ橋に定めてはいるが、何かを考えている様子だった。
「マップロード中のクエスト説明、おかしくありませんでした?」
「ああ、不明、不明、不明ってやつだろ?」
「しかも時間無制限って。普通防衛任務は制限時間護り抜けば勝ちでしょう。でも今回はどうやったらクリアなんですか。敵の殲滅ですか?」
「確かにな。でもこれは普通のクエストじゃない、スペシャルってぐらいだぞ」
「そうかもしれませんが、任務内容も橋守れって、あっさりし過ぎじゃないですか? それにさっきのNPCも――――」
「おいおいおいおい」と虎サンはカイの台詞を遮った。「疑い過ぎだぞ。それも悪い癖だな。いいか、これはただのゲームなんだぞ?」
「………」
理屈ではわかっている。これはただのゲームでしかない。だがカイにとってもはやFalse Huntはただのゲームなどではなかった。
カイの生活の全てと言ったら過言だろうが、半分は占めているだろう。このゲームが存在しない世界なんて考えられない。このゲームが発売される以前は、どうやって日常を過ごしていたのか思い出せないほどに、熱中していた。それを否定するような台詞を他ならぬ虎サンからは聞きたくなかった。
「わかってはいますよ……」とカイはあえて曖昧に言う。
「まあ、大丈夫だと思うが。……気を付けろよ」
――――また、気を付けろ、だ。
普段なら聞き流すところだが、今のカイはこの台詞が妙に引っかかった。
「やっぱり、わかりません。それ昨日も言いましたよね。何に気を付ければいいんですか?」
「……いや、だから、色々さ」
「だから、昨日もそう言って誤魔化したでしょ?」
カイは静かに、それでいて責める様に問い詰める。
しばらく沈黙が続き、虎サンは観念したように肩を竦めた。
「悪かったよ。だがお前のために言ってんだ」
「それがわからないんですよ。俺のためなら詳しく教えてください」
ばつが悪そうに頬を掻く虎サン。
「虎サンっ」
「……わかってくれ。お前には説教したくないんだよ」
虎サンは伏目がちで申し訳なさそうに言った。その表情はとても切なげで寂しげだった。そんなまったく予想外の反応にカイは戸惑う。いつもの虎サンだったら絶対にそんな顔は見せない。
「意味がわかりませんよ。……何かあったんですか?」
先ほどまでの強気な態度は消え失せ、カイも神妙な顔付きで問う。虎サンは何か悩むように黙り込む。カイも急かすようなことはせず虎サンが口を開くのを黙って待った。
数秒後、虎サンは覚悟を決めたように語り出す。
「俺はな、ゲームにリアルを持ち込まないようにしてるんだ」
それはカイも同じだった。暗黙の了解として、いつの間にか両者の間に生まれた掟のようなものだ。彼らはその掟に従い、リアルの悩み等はここに持ち込まないようにしている。
それをこの世界に持ち込んでしまったらリアルとゲームが混ざり合ってしまう。“カイの住むこの世界”が崩壊してしまう。カイにはそんな不安があるのだ。
おそらく虎サンも同じ理由で話さなかったのだろう。
「だからお前にも説教じみたことやリアルの相談なんかはしたくなかった。でもやっぱり話せることは話しといた方がいいのかもしれないな」
カイは聞き入るように虎サンを見つめていた。否、見つめることしかできなかった。
――――虎サンのこんな声初めて聞いた。虎サンのこんな顔初めて見る。
カイは急に焦燥感に駆られる。不安になったのだ。自分から訊いたくせに、これ以上虎サンの話を聞きたくない。虎サンのリアルを知りたくない、と。
「ま、なんにしてもこの戦いが終わってからだな」
虎サンはさっきまでの暗澹とした声色とは打って変わって、いつもの調子に戻った。思わずカイは「へ?」と呆けたように口を開く。
「そろそろお客さんの歓迎準備をしねえと、いらっしゃっちまう」
「そ、そうですね」
カイは内心、驚愕していた。心から安堵している自分に気付いたからだ。
冷静に考えたら、ただ友人から身の上話を聞こうとしていただけなのだ。なのに、なぜこれほど焦らなくてはならないのか。リアルを持ち込まないという沈黙の掟があったにしても、先の反応は過剰だった。
今のカイにはその理由がわからなかった。
それから五分後、敵が来た。
T-72戦車一輛を先頭に歩兵が六人、スタガードコラムと呼ばれている縦二列のフォーメーションで続いている。その歩兵の服装は全員が同じ、灰色の戦闘服に黒のフルフェイスのバイザーという未来的なものだ。この装備の統一感こそがNPC兵士の特徴だった。
「来ましたよ」
出現地点の対岸、橋を渡ってすぐ、川原を登り切った岩場にて、ドットサイト越しに敵方を覗きながらカイは言う。
『ああ、目視した。まだまだ遠いな』
耳元から虎サンの声が聞こえてくる。
チームに属したプレイヤー同士で成せるボイスチャット。距離に関係なく会話が行える。実体のない長距離無線のようなものだ。
虎サンはというと、カイから見て左方、道路の脇の茂みに伏せている。
敵の一団はゆっくりとだが確実に橋に迫る。地響きに似た戦車の走行音が聞こえてくる。その音は次第に大きく明確になり、もはや地響きというより小さな地震と感じるほどに、岩に隠れるカイのすぐ側を通過して行く。
『連中、頭から罠に入るぞ』
虎サンはほくそ笑みながら言う。が、その時である。地響きが、戦車が不意に停まった。
二人が潜む地点を通り過ぎた直後、橋に入るほんの手前だ。それは虎サンの罠、即ち対戦車地雷の手前でもあった。
『くっそ。地雷に気付いたか?』
虎サンは静かに立ち上がり、素早く背中に手を回し、AT-4ロケットランチャーを肩に構える。
「いや! まだです」
カイは細めた声で虎サンを制止して、耳を澄ませる。
「この橋か? よし作業にかかるぞ! 前進!」
戦車のエンジン音に混じって、微かにNPC兵士のわかり易い台詞が聞こえてきた。その直後、地響きが再開する。戦車が動き出したのだ。敵は罠にもカイ達の存在にも気付いていない。
カイは岩場から上半身だけを傾かせ、タボール21アサルトライフルを構えた。指示を飛ばしていた敵の指揮官であろうNPCの後頭部を照準。引き金をゆっくり絞る。
『よし! 踏め! 踏め! 踏め! 踏んだ!!』
虎サンが対車輛用に仕掛けた二つ重ねの対戦車地雷が爆発するのと、カイの持つタボール21の撃針が5.56ミリ弾の雷管を叩くのはほぼ同時だった。
轟音。
橙色の炸裂が戦車の腹を穿ち、カイのライフルから吐き出された弾丸が次々とNPC兵達を貫く。
待ち伏せに気付いて、怒号を放ち散開しようとするNPCだが、遮蔽に身を隠す前には急所への命中弾を送り込まれ、次々と卒倒する。
六体という数は決して少なくない。しかし不意打ちという優位条件が加わるのなら、上級プレイヤーにとっては難しい数ではない。カイにとっては、まさに朝飯前だった。
戦車から二次爆発が生じ、大破を意味する黒煙が噴き上がる頃、その周囲に立っている者は誰一人としていなかった。六体の死体が累々と転がっている。
「………」
一時の静寂が戦場を支配していた。嵐の後の静けさと言ったところか。文字通り嵐を凌いだ兵士にしか味わえない時、そして次の嵐に備えるための時。
「……ありゃ? 来ませんね」
「ああ、妙だな」
しかし数分待っても嵐は来なかった。本来、防衛クエストでは怒涛の如く波状攻撃を受ける物である。故に一瞬の待機はあっても待たされることは有り得ない。
「んっ?」と虎サンは突然、何かに反応するように空を仰ぐ。
虎サンだから反応できた微妙な空気の振動。虎サンの本職はアンチマテリアル。対人ではなく、対物なのだ。
嵐は来なかった。到来したのは嵐なんて生温いものじゃない。ハリケーン、サイクロン、トルネード、比喩するならそんなレべルの代物だった。
「おいおいおいおい、マジかよ……」
ゴーグルを額にずらしてから、絶望したように虎サンは呟いた。
空からは先ほどの地響きによく似た振動が伝わってくる。
対物は門外漢のカイも異変に気づき、虎サンに問う。
「これなんの音ですかい?」
「……C-130輸送機が、たぶん五機。AH-1攻撃ヘリが……三機、近づいて来てる」
「……マジっすか」
カイは驚愕した。その敵戦力は勿論、音だけでそれだけの情報を得る虎サンに対してだ。
その虎サンはと言うと、もうカイの脇の草叢にはいない。先ほど仕留めた戦車にせっせと登り始めていた。
「何してんすか?」敵兵の死体を跨ぎながらカイは虎サンに近づく。
「何って準備だよ。うし、機銃はまだ生きてるな」虎サンは戦車の砲塔上に付いた機銃を取り外しに掛かる。「あと三分後には地獄絵図だな」
虎サンはその台詞に合わず嬉々としていた。まさに水を得た魚である。その様子を見てカイは「俺の出番はなさそうですね」と嘆息して死体の上に腰を下ろした。
「いやいやいやいや、言ったろう? 爆撃機じゃない、輸送機だ。連中は空挺で来る気だぞ」
「空挺って、エアボーンですか? そんな説明聞いてないですよ」
空挺作戦、高度より航空機から落下し、パラシュートで敵地の奥深くまで侵入する。奇襲作戦の中の奇襲作戦である。
カイと虎サンは数多のクエストをこなして来た。当然、空挺部隊を相手したこともある。しかしその時はこんな貧相な装備ではなかった。事前にしっかりとしたクエストの詳細説明があったのだ。
カイはカウンターのNPCを思い出し舌打ちをした。
「それも言ったろう? スペシャルクエストだぞ。いつも通りのわけがない」どっこいしょ、と機銃を持ち上げ、戦車から飛び降りながら虎サンは続ける。「兵士をばら撒く前に落とせりゃいいが、こっちはまともな対空火器もない。ましてや二人じゃ無理だろうな。俺の相手はヘリになるだろう」
「俺の相手は空挺ってわけですかい?」
「そゆこと、C-130に何人乗ってるかわかんねぇけど、とりあえず十人だとして、それが五機、最低五十人だな」
「へー……」カイはバラクラバをグイと巻くり上げ、「無理です! さすがに五十も獲れませんよ!」
「ふん、ズールじゃねえんだ。無茶は言うが無理は言わんよ」
“ズール”という名を出した虎サンの表情は嬉しそうであり、どこか悲しそうでもあった。カイにはその表情の意味が痛いほどわかる。
「ふん、あの女ならきっと散々高慢なことほざいて、観戦モードを決め込みますよ」
カイはそっぽを向きながら不機嫌そうな声色で言う。しかしその表情は虎サン同様、声とは反してどこか嬉しげであり悲しげでもある、不思議な雰囲気を帯びていた。
「かははっ、無理が通れば道理が引っ込むってのがあいつの考えだからな。懐かしいよ。あの頃のシゴキに比べりゃ、楽勝だろ」
「ははっ、かもしれませんね」
虎サンは落ち着いた笑みでゴーグルを戻し、カイに拳を突き出す。
カイも照れくさそうにバラクラバを被り、その拳を叩いた。
間もなくして、
「おいでなすったぞ」
虎サンのその声にカイは空を仰ぐ。確かにヘリの羽音は聞こえるが姿は見えない。
しかし、虎サンは周囲で一番高い尾根の頂点に向けて、徐にAT-4ロケットランチャーを構え、そして撃った。
「なっ!?」
カイは白煙を尾のように噴出しながら飛んで行くロケット弾を目で追いながら、目を見開く。
ロケットの弾道は真っ直ぐ、吸い込まれるように尾根の頂上をかすめ、そして、突如、尾根の後ろから低空飛行で現れたヘリに、ぶち当たった。
「ななあ!?」更に驚くカイ。
ヘリは黒煙を吹き尾根の向こうへと消えていく。直後の衝撃音を聞いて、虎サンは小さくガッツポーズを取った。
「よしよしよしよし。幸先いいな。ワンキルだ!」
「……」
カイは開いた口が塞がらない。
虎サンはランチャーを撃った。放たれたロケット弾は尾根の頂上を通り過ぎ、そして同じく尾根の頂上から顔を出すように低空で現れた攻撃ヘリに直撃した。カイの目にはまるで“ヘリからロケット弾に向かって飛んできた”ように映っていた。いくら思考してもそのようにしか見えなかったし実際そうだった。そこから出される答えは一つ。
「虎サン……。適当に撃ちましたね?」
「適当じゃねえよ。勘だよ♪」
虎サンは鼻歌混じりで白煙を燻らせる使い捨ての砲身を投げ捨てた。
なるほど“勘”か。カイは納得した。おそらくはヘリの羽音だけを頼りに撃ったのだろう。今まで何十回、何百回と殺人機械を相手に戦ってきた勘、と言うより堅実な“経験”が成せる技だ。人型相手なら同じような勘が働くカイには理解できた。
カイは虎サンと数え切れないほど共戦してきたが、彼の技量にはその度に驚かされる。
「お! 残りの二機が左右に別れたぞ。今のは斥侯だな……ヤバイ、距離を取ってる。挟み撃ちでくる気か?」
虎サンはまるで目の前で起こっている出来事を説明するかのように話す。カイも音を頼りに敵を探ろうとするが、反響した羽音があちこちから聞こえるだけでまったく戦況を掴めない。
カイは諦めたように首を左右に振って、虎サンに訊く。
「俺の相手、空挺はどうですか?」
「すぐそこに来てる。向こうだ」
虎サンの指差す方向は、戦車が登場した道路の脇、細い樹木が連立する林だった。そしてその向こう側、木々の隙間から拓けた大地が僅かに窺える。
「多分、ここには直接降りてこないだろう。向こうの拓けた場所に降りるんじゃねえかな」
虎サンは指差した手をそのまま開いて、シッシッとカイを追い払うように振った。
「……ヘリは任せていいんですか?」
「かはは、勿の論だ。俺は俺の狩りをする。お前はお前の狩りを楽しめ」
「諒ー解」とだけ言い残しカイは林へ疾走する。
林を抜けると、なだらかな降り傾斜になっており、眼下には広大な草原が広がっていた。パラシュート降下には打って付けの、まるで降下するために作られたような拓地だった。
「良いところじゃないか」カイは邪悪に笑い、目に付いた倒木に身を屈める。
後ろからはくぐもった爆音が連続して轟いている。ヘリの機関砲だろう。虎サンの戦闘が始まったのだ。
「大丈夫ですか? えらく叩かれてますね」
『問題あるが、難題じゃねえな。どうとでもなる。手前の心配しとけっ』
機関砲の着弾音と混じるように虎サンの大声が返ってくる。
その会話が終わると同時に、カイは気付いた。
正対する方角の空から飛来してくる巨大な黒い影が五つ、C-130輸送機だ。その姿はようやくカイの視界にも映った。
その五つの影はまるでカイに目視されるのを待っていたかのように、見せ付けるかのように、カイの前方でパラパラとバラバラと、小さな影を分離する。落下する影からはすぐに白い球体が花開き、十まで数えて、カイは数えるのを放棄した。大きな機影と小さな人影の間でユラユラと揺れる大量の白いパラシュート、その様は海を漂う海月か、蒲公英の綿毛のようだった。
仕事を終えたばかりのC-130輸送機がカイの頭上を通り過ぎる。
「ご苦労さん。そして」上空で揺れるパラシュートの群れに目をやり、「地獄へようこそ、お前らの便は文字通り地獄への片道切符だぜ」
まるで映画の悪役のような気の利いた台詞を吐き、ははっとカイは笑った。変なテンションの自分が可笑しいのだろう。
この手の地形は空挺降下し着地するには最高の環境だが、ある条件で最悪の状況に追い込まれる。その条件とはアンブッシュ、即ち待ち伏せだ。拓けているという事は、遮蔽物が皆無という意味でもある。遮蔽物がまったく無い状況で敵の銃火を浴びる。考えただけでゾッとしない、まさしく一網打尽。待ち伏せを受けたらこの場は処刑場と化すだろう。
そしてここに一人、黒衣に身を包んだ“処刑執行人”がいる、カイだ。
カイはドットサイトを覗く。その丸い枠の中、空挺部隊は風に揺られながらも流されることなく、この拓地を目指して降下してくる。
「ふぅー……」
息を吐きながら地上から一番近い最初の獲物を照準し、カイは動きを止めた。否、正確には止まっていない。揺れ動く標的を照準しなければならないのだ。よって銃口は不規則に小刻みな調整微動を続けているが、それは止まっていると錯覚するほどの堅実な射撃体勢だった。銃身を固定するように真っ直ぐ伸びる肘、その肘は同じく真っ直ぐ大地に固定された膝に乗っている。よほど安定した射撃姿勢でなれば体勢を保ち続けることさえ難しいとされる撃ち上げであるが、カイの強固な膝撃ちの姿勢はもはや肉体による対空用銃架と言っても過言ではない。
きつい過ぎず、ゆる過ぎないストックの肩当て、強過ぎず、弱過ぎないグリップの握り、姿勢は完璧。後は呼吸、カイの肩はほんの僅かだが上下に揺れていた。その揺れに合わせて、ドットサイトの枠の中に浮かび上がる赤い光点も上下に揺れる。だがその揺れを無理に抑えようとはせず、むしろ身体の自然な揺れに照準を委ねる。左目は完全に閉じてしまうのではなく、僅かに細めるだけに留める。
「……ふぅー」
もう一度息を吐き肺の中の空気を抜いて、ドットサイトの光点よりも更に小さな敵影の中心に視野を定め、
そして、カイは処刑を開始する。
指切りによる短連射。初弾の命中を視認ではなく“手応え”で確認しながら、次の獲物に照準し引き金を切る。その動作をただただ速く精確に機械の様に繰り返す。マガジンが空になったら捨て、新しいマガジンを叩き込み、ボルトを引く。その一連の動作すらただの単純作業だと言わんばかりの素早く素っ気の無い動き。
空気を切り裂く様な銃声。白煙を伴う発射炎。カイの横で金属音を立て散らばる薬莢。まるでパレードのような騒々しさだったが、カイの精神は湖の水面のように静かだった。
カイの目に映っているのは敵だけだ。
空中で首に被弾し血飛沫を噴いたNPCは一瞬もがくがほどなくして絶命し、足から鮮血を垂らしながら操り人形のように力なくパラシュートにぶら下がるだけの物体と化す。
弾丸を浴び無数の穴を穿たれたパラシュートはコントロールを失い、他の者のパラシュートに絡まり高速で地面に叩きつけられ、鈍い音を響かせる。
降下の途中でパラシュートを切り離し、反撃に転じようという殊勝なNPCもいたが、如何せん高度が高過ぎ落下の衝撃で死亡。
運良く生きて大地に立った者も銃を構えるその前には射殺された。
大地に降りた者で誰一人起き上がる者はいない。上空の空挺隊員達はなんとか撃たれまいと右往左往に散らばるが、そんなものは射場の動く的と変わらない。
次々と着々と淡々とカイは作業に勤しんだ。勤しんでいたが――――
「……つまんねえ」
三本目のマガジンを投げ捨て、四本目をライフルに籠めながら呟く。三十発入り弾倉三本、即ち九十発、カイの横には九十発分の空薬莢が小さな山を作っていた。
「エクストリームでコレかよ。赤子の手を捻るのだってもっとむずいぜ。まったく期待ハズレもいいとこだ。ま、この状況じゃしょうがないのか」
カイは本当につまらなそうに呟きながらも、射撃をやめる気配は一向にない。しかし、百二十発目の弾丸を放ったところで停止した。そして、
「……いっちょ遊んでやるかい」
まるでとびっきりの悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべ、五本目のマガジンを装填する。
「虎サン、そっちはどうですか?」
『ああん? 林の中を駆けずり廻ってる最中だよ。まったく連中、親の敵みたく撃ってきやがる』
その声と遠方から聞こえる爆音でカイは納得する。
「いいなあ、楽しそうで。こっちはつまらんです。ちょっと遊んでいいですか?」
『かはは! 五十人相手でつまらんってか、恐ろしい奴だな』
「入れ食い状態なんですよ。だからちょっと退いてみようかなと――――」
『オラアッ! 死ね!』
虎サンの脈絡のない罵声と共に、一際大きい爆発音が聞こえた。その直後、爆音とは違う轟音が響く、衝突音だ。まるでトラックが正面衝突したような音。重量物が地に落下したような破壊音。
「おっ? 一機落としたんじゃないですかい?」
『おうともさ、こっちはやっとこ一匹だよ。そっちは……』
一瞬の間。
『四十六キルって……鬼め』
虎サンはカイの殺害数を言い当てた。さっきの間で虎サンは戦況確認画面を確認したらしい。
クエスト中や対戦中、プレイヤーはスコアーボードを何時でも確認できる。スコアボードには細かい戦況がリアルタイムで更新されていく。個人の成績、残り時間、等々だ。
『一人で殺し過ぎ、まさにアローンオーバーキルだな』
虎サンはかははと笑う。
False Huntは決して非現実的ではない。NPCを相手取るクエストでも、一人のプレイヤーが何十人、何百人と簡単に敵を倒せるランボースタイル、あるいはスポーツスタイルと呼ばれる種類のゲームではないのだ。
ゲームとして楽しめる範囲のリアリティの追究、これがこのゲームのコンセプトである。グラフィックもリアルと見分けが付かないほど美しく、プレイヤーの行動もリアルと同じく限りなく、戦場もリアルと肉薄し過酷なものだ。
そしてリアルと同じく常識の枠に収まらない“例外”が存在する。
ハイエンドプレイヤーと呼ばれる例外的な者達。ゲーム内の階級は初心、初級、中級、上級までだが、上級と呼ぶには余りある異常なプレイヤーは最上級と呼ばれる。最高にして終焉、故にハイエンド。無論、黒い凶戦士と火薬庫がそこに名を列ねているのは言うまでもない。
「だ・か・ら! 入れ食いですって! 降下途中の空挺ですよ。的にしかなりません。それに生身で攻撃ヘリを二機を撃ち落とす人に言われたくねえですよ」
カイはそう言うが、もし他の上級のプレイヤーが同じ状況に置かれたらそうはいかないだろう。おそらく、数十体を撃ち倒す頃にはすでに降下を完了した敵に囲まれて、反撃を受けてしまう。カイの特筆すべき能力は射撃の速さと精確さにある。照準の精度、装填の速度、その全てがプレイヤーのスキルに一任されるこのゲームに於いて、その能力は圧倒的な戦力を発揮する。この異能こそ、カイが黒い凶戦士に次ぐもう一つの二つ名、単独多殺と呼ばれる所以である。
『いやいやいやいや、俺のはただの当てずっぽうだ』
そう言う虎サンの場合はどうだろうか。数キロ離れたヘリを感知し、目視が叶う前に撃ち落とす。おそらくそんな芸当ができるのはFalse Hunt内で虎サンただ一人だろう。多岐にわたる知識と膨大な経験が成せる神業だ。
――――それらが上級と最上級の圧倒的で埋めようのない力の差なのだ。
「ま、そういうことにしておきますよ。で、退屈なんで少し遊んでいいですか?」
『かははっ! そっちはお前に任せたんだぜ? 好きにしろや』
「諒解っ」
カイは言うが速いか立ち上がり、来た道を逆走した。
林に入ってすぐの所に一際大きい大木が根元から折れ、横たわっているのが目に付いた。カイは跳び蹴りを繰り出すようにその木の裏に飛び込む。
「じゃあ、いっちょお手並み拝見」
倒木に身を預け、顔を覗かせるカイ。
降下中の空挺隊員が拓地の向こう側、尾根の稜線に吸い込まれるように降下していく。
「チャンスをやったんだ。あんまりガッカリさせないでくれよ」
カイはその様子を見守りながら、腰のポーチから取り出した何かを左手で倒木に叩き付けた。まるで瞬間接着剤で固定されたように貼りついたそれは、所謂プラスチック爆薬だ。目標破壊用の爆薬である。この場合の目標とは多岐に渡るが主に戦闘車輛や防御陣地等を指す。本来、対人は用途に含まれていないのだ。
しかし勿論、カイの標的は人間だけだ。カイにとって兵器の能書など、どうでもいい。ようは殺せるか殺せないか、それだけなのである。
「まあ、一応保険だ。脱出用の」
カイが一人で言い訳めいたことを言うと、尾根の稜線に影が現れた。その影は警戒していなければ見逃してしまう程小さなものであった。
カイは悟られぬよう、さながら獲物を前にした狩人のようにゆっくりと銃を持ち上げ、影に狙いを付ける。その影は本当に小さく米粒のようだ。しかしそれだけでカイにはわかる、その影が空挺の斥侯のもので、頭だけを覗かせ今まさに双眼鏡で索敵している事、その後ろ、尾根の中腹で控えているであろう敵の部隊の様子、全て手に取る様にわかってしまう。これがカイの経験に基づいた勘である。
カイは鼻で溜息を吐きながら、
「やれやれ、チャンスは二度も……やらないぜッ」
引き金を引いた。銃声と共にその小さな影はガクッと尾根の後ろに消え失せた。
数秒の沈黙の後、尾根の向こうから灰色の煙を放つ筒状の物が幾つか放られる。それは尾根とカイのいる林を挟む拓地に落下し、更に数秒後、爆発的な白煙を放つ。辺りは瞬く間に斑な白に彩られた。
「ふん、煙幕かよ。バンザイ突撃する気かい?」
カイはそう言いながらも余裕の笑みである。だが次の瞬間、その笑みは消え去った。
白煙の中からの複数の銃撃。
「っ!?」
煙幕とは中から外は見えるが、外からは中が見えないものだ。煙幕の位置は丁度、カイのいる倒木と敵のいる尾根の中間、故に煙幕からの射撃は在り得ないはずなのだ。カイからも敵は見えないが、敵からもカイは見えない。
はずなのに――――
「くっそ、マジかい」
カイは倒木の裏に倒れていた。左肩から血を流して。
煙幕の向こうから牽制射撃を受けるケースもあるだろう。しかしそれは問題にならない。あくまでも敵がいるであろう方向に向けた牽制。見えない的を射抜けるわけが無いからだ。
だが今の銃撃は違う。紛れも無い初弾に、カイは肩を抉られた。まるでカイを視認しているかの様な完璧な射撃。そして今も続くその掃射は、カイの隠れる倒木を吹き飛ばさんばかりに叩いている。一切の障害物を透視しカイの姿が見えているかのように。
「……熱源視認スコープか?」
熱源視認スコープとは、その名の通り熱源を視覚化し照準器に映し出す特殊な電子光学照準器だ。それを用いれば、温度変化が極端ではない遮蔽ならば向こう側を透視して、標的をおぼろげなシルエットとして捉える事ができる。煙幕程度ならば無き物として照準できる。だが、
「いや、違う。連中の銃にそんなごついスコープは付いていなかった」
暗視照準器であれ、熱源視認照準器であれ、そうした高度な電子光学照準器は大型になりがちであり、先の空挺降下中のNPCがそのような代物を持っていれば、カイが見逃すはずがない。
「まさか、難易度のせいか?」カイはブツブツと呟きながら思考する。「これがエクストリームなのか。……冗談じゃねえ。これじゃあまるで……」
カイが違和感の正体を考えていると、虎サンの声が聞こえてきた。
『おい、気付いているか。連中、ちとおかしいぞ』
おそらく虎サンも徒ならぬ状況に追い込まれているのだろう。共通の疑問を抱いていた。
「ええ、これじゃあまるで、一昔前の理不尽ゲームと一緒ですよ」
物陰から顔を出した瞬間にヘッドショット、動き回る標的を同じく動き回りながら精確にヘッドショット、出会い頭に理不尽な超反応でヘッドショット。単純なルーチンワークで組まれた不出来なNPCはもはや人間とは呼べない動作を繰る場合がある。まさに精確無比なロボット。一昔前の高難易度ゲームではそれが主流だったが、False Huntは断じてそんなゲームではない。究極のリアルを求めた仮想現実ゲームなのだ。このゲームでNPCがこんな動きをしていいはずがない。このゲームにはそんな理不尽なアンリアルが少ないからこそ、史上でも最も多くのFPSプレイヤー達が没入しているのだ。
「ESはこんな理不尽なクエストを実装するつもりですかね?」
『さあな、上の考えることはわからんもんよ』
虎サンは溜め息混じりに呟く。まるで愚痴を言っているかの様だ。
「上?」
『あ、いやいやいやいや、こっちの話しさ』
露骨に取り乱す虎サン。おそらく上というのもリアルの話なのだろう。気にはなったが、今気に掛けるべき事ではない。
カイは思考を切り替え、苦笑しながら、冗談半分で言う。
「このふざけた難易度が実装されるんなら、負けちゃった方がこのゲームのためかもしれませんね」
『いや、逆じゃねえかな』
「逆とは?」
『たぶん、俺らが負ければ実装される。難しさを売りにしたクエストなんだからな。だから一発でクリアすれば、難しくないクエストってESは判断するだろう』
「……なるほど。じゃあ、やられる訳にはいきませんね」
『そういうこったな』
「やれやれ、忙しくなりそうです」
言って、カイは自身の身体を確認する。左肩の出血はもう止まっていた。戦闘服に穿たれた孔も塞がっている。
False Huntではそれが致命傷で無い限り、ほどなくすれば傷は癒える。少し前からFPSではトレンドとなっている自動回復システムである。False Hunt内で数少ない非現実的な箇所だ。しかし、そもそも回復アイテムを使用すれば立ち所に傷が癒え、数値あるいは目盛化された体力が増幅するのもおかしな話で、それならばいっそのこと戦闘継続が可能な軽傷であれば癒えてしまった方がある意味ではリアルと言える。それによりスムーズな戦闘が楽しめならば、その方がいいに決まっている。
『じゃ、いっちょパパッとスムーズに――――』と虎サンの言葉を、「――――片してやりますかい」カイが引き継いだ。
その二人の声は、心底愉しそうである。
カイは倒木に背を預けながら、胸に付いていた手榴弾を二発、両手に取った。そして親指で安全ピンを引き抜く。安全ピンを失ったM67破片手榴弾は自身の爆発を急くように安全レバーを押し上げるが、カイの四指はそれを許さない。
「やっぱり連中、近づいて来てる」
さきほどから、虎サンとの会話の最中でも感じていた差し迫る複数の気配を確認し、カイは手榴弾の安全レバーを開放した。レバーというちっぽけな堤防を失ったM67は雷管に小さな鉄槌を振り下ろす。カイは両の手に握ったそれを顔の前に翳して、ゆっくりと数を数える。
「ワンセカンド・ワン、ツーセンカンド・ツー……」
そして、後ろ手に投げた。手榴弾弾体が二発、宙を舞う。
「吹っ飛び、くたばれ、クソッタレ」
カイの呟きに反応したかのようなタイミングで、M67は炸裂した。それと同時にカイは身を起こしてライフルを構える。
煙幕の白煙と手榴弾の粉塵の中で、数体のNPCがバラバラに吹き飛んでいた。その後ろでこちらに向かってくるNPCの一団を確認し、カイはライフルを撃つ、討つ、射つ。カイが四人目を屠ろうとした時、鋭い衝撃が右手を襲う。
「く――――そッ!」
カイは咄嗟に身を隠す。その右腕には裂けるような裂傷。指先まで引き攣ったように小刻みに痙攣し、流れた大量の血が戦闘服を汚していた。
「ほんっとに冗談じゃねえ! なんつう反応速度だ。ライフルが握れねえじゃねえか、くそ!」
悪態を吐きながらも、まるで独自に意思を持った生き物であるかのように左手が動き、ショルダーホルスターからハンドガンを抜いていた。歯で咥えてスライドを引く。
カイがサイドアームに頼る状況は久しぶりだった。つまり追い詰められた。ついさっき偉そうな事言っといてこの様じゃあ、格好が付かないじゃないか、と。カイがハンドガンを見詰めて悩んでいると、
『オイ、俺が援護する。お前はそのまま橋まで退け』
虎サンの声。
「えっ、虎サンここにいるんですかヘリは?」
『とっくに片したよ。さっきの会話なんだと思ってたんだ?』
言って、含み笑いを漏らす虎サン。
「えぇー……。信じらんないよ、この人」
虎サンお得意の高みの見物だ。違う状況で等しく追い詰められているのだろうと思っていたが、どうやら危険な状況なのはカイだけだったようだ。虎サンはこうしている今もどこぞで双眼鏡を片手に、カイの方を見て、にやにやしているのだろう。
『退屈なんで遊ぶーとか、ちょーしこいた事言ってた奴がどれほどの神プレイを見せてくれるのかと思ってな』
「……期待に副えなくてすいませんね。でもそれじゃあ、橋は大丈夫ですか空挺は囮で本命が向かってるかも」
カイと虎サン、プレイヤーは二人しかいないのに、二人ともここに居るのでは防衛目標である橋が留守になってしまう。二人が生存していても橋を破壊されれば敗北なのだ。
『かもな。でも罠しかけたから動きがあればわかるはずだ』
「なるほど、じゃあお願いします。俺も手が回復したら、狩りに戻ります。……俺の分もとっといてくださいよ」
『はん、バカ言えや。俺はそんなに悪食じゃない。こいつらは全部お前の分だ。俺はちょちょいと撫でてやるだけさ。D4で合流って事にしようや』
それを聞くと、カイはすぐさまマップ画面を表示し確認する。無数の縦線と横線がひかれた衛星写真のような周辺地図。横軸のD、縦軸の4、それが重なる座標が即ちD4。そこは橋を渡ってすぐの丘、最初の出現地点近くの小山だった。
虎サンが場所を示す。それが意味することは一つ。橋へのルートもすでに虎サンの“武器”と化している。それを想像したカイは「流石です」と呟き、「諒解」とだけ告げた。左手には先ほど仕掛けた爆薬の無線起爆装置を握り締めている。
『よし、いくぞ。……今だ! GOGOGOGOGO!』
虎サンの掛け声を合図に、カイは弾かれたように走り出す。敵が迫っているであろう背後は振り返らず、わき目を振らずに、その瞳はただ前だけを見据えていた。行く手を遮る樹々をすり抜け、橋への最短距離を全速力で駆け続ける。
しかし、精確無比な敵弾はそれを許さない。恐ろしく速い甲虫が間近を通過したような弾丸の飛来音。左の肩を突き飛ばされたかのような衝撃。
「くそ! また肩かよッ! 俺の肩に恨みでもあるのかい」野球部のエースピッチャーのような科白を喚き、カイは耳元に手を当てた。「虎サン、援護はッ!?」
叫ぶと同時、後ろから.50口径機関銃の重い銃声が連続して轟く。虎サンだ。最初に戦車から収得していた重機関銃を使っているのだろう。
それでも数発の弾丸が足元に着弾し、地が掘り返されるような不気味な振動に因り何度も転びそうになった。カイはより濃い遮蔽を求め、林の奥へ奥へと身体を滑り込ませる。そして左手に握った起爆装置のレバーを握り込んだ。
後ろからの衝撃波がびりびりと木々の枝を震えさせる。
『おいおいおいおい、一人しか殺れてねえぞ』
重機関銃の射撃音と一緒に虎サンの陽気な声がその起爆の残念な成果を告げた。
「三、四人は屠ったつもりだったんすけどね……」カイは走りながら拗ねたように唇を尖らせる。「まあ、爆弾は専門じゃないですし」
『ふん、いくら連中が異常だからって、ちょっと焦り過ぎ――うわっち! やっべ、撃たれた! くそ、なんだってんだ!』
焦ったような虎サンの息遣いに、カイはへへん、と鼻を鳴らす。
「焦りが、なんですって?」
『まあ、銃撃は専門じゃないし、と言い返してやりたいとこだが、前言撤回、奴ら本当にとんでもねえな。こりゃ焦るわ。俺も迂回してD4を目指す』
「そうしましょう。お互い援護なしの全力疾走の方がいい。奴らの視界に入ったら、間違い無く間髪容れずに撃たれます」
『やれやれだ。視界に入ったらゲームオーバーってか、とんでもねえ鬼ごっこだな。それなんてクソゲって感じだ』
言葉の後ろの藪を進むような物音で、虎サンも移動を始めたのがわかる。
「そうでもないですよ。奴ら命中率はズバ抜けてますが、急所狙ってるわけじゃなさそうです。運がある限り、即死はしません」
『なるへそ。でも、その運がなくてお互い苦労してんだけどな。こんなクエストに招待されるぐらいだ』
「いやいや、招待されたのは虎サンだけでしょう。俺は巻き込まれただけですよ」
カイは雑木林を抜け出した。だが、素早く視線を走らせ状況を確認すると小さく舌を打った。そして、クエスト開始直後、戦車を待ち伏せした岩場に飛び込み、身を翻して射撃姿勢を取る。
これより先には目ぼしい遮蔽物が無いのだ。虎サンの言うD4を目指すにしても、ここで敵を迎え撃つしかない。姿こそ見えないが林からは複数の気配が近付いてくる。見敵瞬殺。目視が適った刹那に全てを撃ち倒すしかない。右手の回復に気付き、ハンドガンをタボール21アサルトライフルに持ち替えた。左肩の負傷は未だ癒えず、ハンドガードを支える左腕は小刻みに震えていた。自然と手に力が入る。
しかし、その気配の主達がカイの視界に入ることは、果たしてなかった。
爆音と衝撃波。遅れて腐葉土と枯葉の混じった粉塵がカイの照準する先、林から噴き上がる。
「――――!?」
カイが驚愕している間も、次々と連鎖的に爆発が生じる。計四回の爆発の音響が消える頃、敵の気配も消失していた。
カイはそれでも油断なく射撃姿勢を解かないまま、心当たりに訊いてみる。
「……虎サン、いったい何したんですか?」
『言わなかったか? 罠しかけたって』
さも当然のようにけろっと答える虎サン。
この林はすでに虎サンの武器と化してる。その武器に敵や味方は関係ない。自分の役割を果たすだけ、つまり作動させた者を殺す、罠とはそういう物である。
「いや、でもまさか俺の退路にも仕掛けてたなんて……」
カイは何も考えず一心不乱に林を駆けて来たが、虎サンの予想したルートを少しでも外れたら、NPCと同じ運命を辿っていただろう。
カイは内心、畏怖を抱いていた。虎サンの、火薬庫の真の恐ろしさは味方にして初めてわかる。
『スコアボードを見る限り、今の罠で十二匹は屠ったから、そっちは安全じゃないか?』
「マジすか」
カイは確認に行こうか迷ったが、それはできない。罠があることを知りながら自らそれに飛び込むほど馬鹿ではない。カイは諦めたように首を振る。
「結局俺の分まで獲っちゃってるじゃないですか」
『あっ、そういやそうだ。横取り四十万ってか!』
「四十万? なんすかそりゃ?」
『かはは、今の若い奴は知らんか。それはそうとそろそろD4だろ?』
「そうですけど、そっちは大丈夫ですか? 追われてるんでしょう」
未だに散発的な銃声が林の奥の遠方から聴こえてくるのだ。敵は二手に別れ、カイだけでなく、虎サンも追いかけているはずだ。
「虎サンの足じゃ、結構きついんじゃないですかい? 罠があるから助けにも行けないですよ」
虎サンの装備は、一人のプレイヤーが持てる重量制限を超えている。完全に重量オーバーだ。その制限を超過したプレイヤーは移動速度が極端に鈍足になってしまう。虎サンの全力疾走はカイのそれと比べると六割ほどの速度でしかないだろう。その装備の豊富さ故に虎サンは火薬庫と呼ばれているわけだが、比例してデメリットも増えるのだ。
『かはは、お見通しか。実はすでに三発もらっちまった』
「三発って、結構ヤバイじゃないですかい」
『大丈夫だ。俺もすぐに着く』
「……了解」とカイは渋々、D4を目指す。
橋の手前では最初に破壊した戦車が今だに黒煙を噴いている。橋の向こう側、道路の左方には小高い尾根が広がっていて、その一際高い小山の頂上には土嚢が積んであった。D4だ。
「D4目視。橋は無事です」
『それはなによりだ』
カイは橋を渡り、小山を登り切り、土嚢に飛び込む。一息付いて周りを見渡す。
「D4到着。なるほど、絶景ですね」
その尾根からは辺りが一望できた。ついさっき渡った橋、逃げてきた林、空挺を狩った拓地、さっきの岩場。この土嚢陣地自体は虎サンが用意したわけではなく、最初からマップに設定されている簡易防御陣地なのだろう。それを見付けた虎サンがいざとなったら利用しようと記憶していたのだ。
カイが橋を挟んだ対岸に目を遣った。丁度その時、林の中に人影が見えた。
「お、虎サン目視」
虎サンは林から飛び出し、そのまま川原を転がるように川に飛び込んだ。
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
『ゴボゴボッボゴゴッ!』
水中で何か言ってるらしい。
「何言ってるのか全然わかりません……」
カイが苦笑した。
次の瞬間、
巨大な火柱が立ち昇った。
「うおぅ!」
虎サンが飛び出してきた林の辺りから、天を衝く勢いで噴き上がったそれは橋の半分を飲み込むほどの広範囲に、劫火の壁を形成。世界が一瞬、鈍い閃光に包まれ、熱風がカイの居る小山にまで吹き荒ぶ。
爆風はほんの一瞬だったが飛び散った炎は消えず、橋から林にかけて辺り一面はまさに火の海だ。曇天の薄暗さが橙色に染まり、とぐろを巻く濃密な黒煙が充満している。
「……ナパームなんて仕掛けてたんすか。しかし凄い量ですね。五発ぐらいですか?」
『ゴボ、ゴッボボボ』
お約束であった。
「……もう大丈夫ですよ」
『ボゴッ、ふぃー、六発だ。奴らから逃げるために装備を軽くする意味合いも兼ねてな』虎サンはトビウオよろしく川から跳ね上がる。『林の罠と今のナパームで持ってきた商売道具ほとんど使っちまった』
「でしょうね。そんな身軽な虎サン見るの久しぶりですよ」
『ああ、こんなに身軽になったのは久しぶりだぜ。一匹狼マンとまではいかなくてもスピードマンぐらいには動ける気がするぜ』
言いながら虎サンはずぶ濡れの身体で橋の上の炎をピョンピョンと避け。カイの居る小山、D4に近付いてくる。
「誰ですかいそいつら?」
『おいおい、マジかよっ。今の若い奴はラッキーマンも知らねえのか? 寂しい限りだ……』
「まあどうでもいいですけど。結局、全部獲られちゃいましたね」
『わりぃ、殺られそうだったもんでついな』かはは、と虎サンは悪びれた風もなく笑い声をあげる。
「ま、いいですよ。まだ終わってないみたいですから」
『っぽいな。クエスト完了の御達しが無いっつーことは、まだ敵がいるんだろう』
「またしばらく待ちっすね」
「よっと」虎サンは土嚢を飛び越え、すとんとカイの隣に着地する。「だな」
直後、二人の予想は裏切られる。
――――――爆音。
見ると、カイが駆けて来た向かって左側の林から粉塵が立ち昇っている。
「おっ、さっそくかかったな。ま、これで死んだだろうけど」
しかし、
―――――爆音、爆音。
明らかに先ほどの爆発よりも近い位置で、再び粉塵が噴き上がる。弾けた枝や葉が塵のように舞っていた。
「しぶといな。大群か?」
――――爆音、爆音、爆音。
その連続する爆発はまるで意思を持った生き物のように、視えない巨人が闊歩しているかの如く、尾根へと、カイ達へ向かって真っ直ぐ林を突き進んでくる。
「……これ全部虎サンの罠の爆発ですよね? どんだけ罠仕掛けたんですか」
まるで絨毯爆撃でも受けているかの様な爆発が迫る。ゆっくりと確実に。
「確かに俺のだが。……しかし、なんで収まらない? それほど大群なのか」
自然と二人の声に緊張が宿る。
カイはゆっくりと林の出口に向けてライフルの照準を据えて、虎サンも隣でグレネードランチャーを構えた。
――――爆音。そして、三体。
最後の一際大きな炸裂と共に、荒ぶる粉塵の中から、三体の兵士が現れた。
その見た目は今までカイ達が倒したNPC兵と変わらない。灰色の戦闘服に黒のフルフェイスバイザー。
唯一違うのはその得物。H&K HK21軽機関銃。分隊支援火器と呼ばれるその銃器を、三体が三体とも腰だめで構えていた。
読んでくれている人に大感謝!