第四話:虎屋
False Hunt。
ESという日本の大規模ゲームメーカーがリリースしたパーソナルコンピュータ専用オンラインゲーム。
ジャンルはMMOFPS。ゲームに詳しい、ゲーマーと呼ばれる種類の人間でもそのジャンルには首を傾げてしまうだろう。
FPS、ファースト・パーソナル・シューティングの頭文字を取ってFPS。つまり一人称視点のシューティングゲームだ。一人称視点とは即ち、現実の視点だ。人間に限らず眼球のある生物は生まれてから死ぬまで一人称で世界を視ていると断言していい。要するにFPSとは現実に限りなく近い視点で展開するシューティングゲームなのである。極々平たく言ってしまうなら、リアルな銃撃戦ゲーム。その認識で問題ない。
そしてMMOとは多人数同時参加型オンラインの略称である。オンライン上の空間に数千、数万人のプレイヤー達が集い冒険をする。まさにオンライン上に在るもう一つの世界。
その二つが繋がってMMOFPS。リアルな世界がリアルな視点で展開する仮想現実オンラインゲーム。
その奇抜なジャンルと究極のリアリティがあったからこそ、False Huntは人気を博し、今では世界中から一日に五十万人以上のプレイヤーがログインするほどの大規模オンラインゲームへと成り得たのだ。
その五十万人の中に、黒い凶戦士と呼ばれる青年がいた。
夜の帳が落ちかけ高層ビルの側面が照明に照らされる。そのビルに囲まれた広大な広場の中心には、七色の鮮やかな光を放つ巨大な噴水がある。
広場を忙しなく走り抜けるプレイヤー、噴水の周りで歓談しているプレイヤー達。現実と区別が付かないほどリアルな描写と人の仕草。
その広場の片隅が青く光った。光りの中心から宙に浮いた青い輪が現れ、その輪に包まれるように黒い凶戦士、カイは出現した。
カイは周りを一瞥し、歩き出す。
この町の名前はレイトタウン。高層ビルが並び綺麗に整備された町。だがその整い過ぎた街並みは人の温かみに欠け、どこか寂しげな雰囲気を醸し出している。カイはその雰囲気が気に入り、ここを根城にしているのだ。更にもう一つ理由がある。
広場を抜け、路地をしばらく歩き横道に入る。その路地裏のさらに奥、普通は素通りしてしまうような壁の途中に扉があり、その扉の上には筆で書いた様な字が壁に直接書いてあった。
“虎屋”。
路地裏という場所も相まっていかにも怪しげな感じだが、カイは躊躇わずに扉を開けた。
薄暗い室内、そこには武器、防具、装具、ありとあらゆる装備品が乱雑に置かれていた。拳銃、機関銃、小銃、発射筒、短刀、日本刀、青龍刀、迷彩服、戦闘服、西洋の甲冑、まさに古今東西ジャンル問わずである。乱雑というよりも混沌と言った方が適切かもしれない。
ここは虎屋。名前の通り虎サンが管理運営している個人経営のショップである。カイがレイトタウンを拠点に活動しているもう一つの理由だ。
False Huntではプレイヤーが自由に露天を開ける仕様になっている。しかし、この虎屋のようにきちんと店としてマップ上に存在しているショップになると、ある程度実績と功績を積んだプレイヤーにしか開く事ができない。上級プレイヤーのステイタスと言ったところだ。
もっとも、この虎屋に限っては開店以来訪れた客の数は三人程で、その三人も扉を開けるや否や間髪容れずに回れ右をしたという逸話がある。路地裏という立地の悪さもその理由として言い訳程度にあるのだろうが、この散らかり具合が客を寄せ付けない本当の理由だ。知らない人がここを訪れたら、良くて倉庫と思うか、最悪ゴミ捨て場と勘違いすることだろう。
カイは何度もそのことを虎サンに進言しているが、虎サンは一向に整理する気配がない。それどころか訪れる度に物が増え、それに比例して散らかっていく。商売をする気がないのかもしれない。
「……やれやれ」
カイは床に散乱した商品を蹴る様にして道を作り、店内の隅に行く。そこには少しだけ銃器や弾薬箱が綺麗に並べられ整理されたコーナーがあった。カイの私物が商品と一緒に置いてあるのだ。ここはカイと虎サン専用の倉庫も兼ねている。その時点で商店としては終わっているが。
カイは負い紐で肩に吊っていた主武器のH&K G3を選択し、小銃用の棚に置く。
「G3、悪くはなかったけど少し重かったな。7.62ミリも反動強かったし……」
カイは同じ小銃用の棚から突撃銃を手に取り、銃床を肩付けして見る。それはブルパップと呼ばれる形状をしており、引金機構の後ろの銃床に機関部を収納することにより、小型化を図ったタイプだ。
「IMIのタボール21……よし、今日はこいつを使ってみるかい」
False Huntには銃器だけで二千を超える数が存在する。接近武器、投擲武器を合わせれば四千を超え、カスタマイズを含めればその数はもはや天文学的である。一人のプレイヤーが全ての武器を入手する事は不可能だと断言していい。
普通のプレイヤーはその中から自分に合った武器を幾つか選び、状況に合わせて使い続けるが、カイは違う。
黒い凶戦士は得物を選ばない。その日の気分や用途によって、変幻自在に装備を変える。その理由は単純明快、カイはガンマニアなのだ。できるだけ沢山の銃器を使ってみたいのだ。
カイの唯一変えない装備は黒尽くめのBDUとトレードマークの黒いバラクラバだけである。戦闘時以外は捲り上げてニット帽のように被っているが。
弾倉を各所のポーチに収めてから、カイが鼻歌混じりにタボール21を愛でていると、
「ねえ」
背後から声を掛けられた。
「っうお!?」
あまりに突然のことだったのでカイはみっともない声を上げてしまう。
振り向くと、そこには白いローブを着た少女がいた。ドアを背にした仁王立ち。フードの中から丸眼鏡越しの気の強そうなツリ目が真っ直ぐカイを見据えている。
子供魔法使い、そんな形容がぴったりな少女。
その少女が、
「あなたここの店主?」
とよく通った声で訊いてきた。
カイは暫し返事を忘れ、驚愕の表情で少女を凝視していた。
――――客か? ってゆーかどうやって入った? 普通に入り口から入ったんだろうが、まったく気づかなかった。てゆーか本当に客か? 虎屋に客? このゴミ捨て場に? ありえないだろ……。
とか、色々と失礼なことを考えていると、
「ここの店主かって訊いてるんだけど、聞こえないの?」
少女の露骨に不機嫌そうな声。カイは我に返り、応える。
「あ、いや、違う。今は居ないよ」
「そう。……はぁ」
少女はつまらなそうに嘆息し、踵を返し出て行った。
「なんだあの女?」
カイもつまらなそうに呟いて頭を掻いた。その時、閉じられたドアがほとんど間を置かずに、ガチャリと再び開かれた。少女が戻って来たのかと思いきや。
「………」
しかし、入って来たのは可憐な少女には似ても似つかない、むっさい中年の男だった。
「どうした? オナニーの現場を親に目撃されたような顔して」
開口一番、平気で下ネタを発するその男こそ、この店の店長、火薬庫こと虎サンだった。
「……そりゃいったいどんな顔ですかい?」
「そんな顔だよ」
最新式のHMDはプレイヤーの表情を読み取りキャラクターに反映する。
「さいですかい……」ハイテクを呪いながらカイは応じる。
「で、どうしたんだ? オナニーの現場を親に目撃されたような顔して」
「く、くどい」そのフレーズ気に入ってるのか。「いや、さっき客が来たんですよ。そいつが――――」
「なんと!? このゴミ捨て場にか!?」
カイの台詞を途中で遮り、嬉々と目を見開く虎サン。
「自分で言っちゃったよ、この人……」
「さっきって何時だ!? 何人!? 名前は!? なんて言ってた!? どんなヤツだった!?」
必死に捲くし立てる虎サンに、若干引きながらカイは言う。
「いや、ほんの今さっきです。すれ違いませんでしたか? 一人で白いローブ着た。虎サンの好きそうな年端もいかない美少女ですよ」
「いやあ、そんな素敵な女とは会わなかったな」
本気でそんなことを言う虎サンに更に引きながら、カイは訝しむ。
虎サンがあの少女に会わなかったという事は、あの少女が虎屋を出てすぐに消えた、つまりログアウトしたことを意味する。何かの用事がてら虎屋に脚を運んだのではなく、虎屋の店主に明確な目的があったのだ。現実の世界なら別段におかしなことではないのだろうが、ここはあくまでゲーム内であり、プレイヤー個人を訪ねるプレイヤーなんてあまりいない。ましてやこの虎屋に赴くとは。カイの知る限り初めての出来事だった。
「あと、訂正しとくが女の子が好きじゃない、大好きなんだ!」
「……さいですかい」
カイは思った。自分の顔は見えないが、今はさぞかし残酷な表情をしていることだろう、と。
「で、そいつが店主居るかって訊いてきたんです。居ないって答えたら帰っちゃいました」
「幼女キャラなら引き止めとけよ!」
幼女キャラ以外なら追い返してもいいらしい。
「いや、期待しない方がいいですよ。あのガキ、なんて言うか……嫌な態度でした」
「ま、まさかそれは噂に名高いツンデレってやつか!? いいなぁー、俺も会いたかったなぁー」
勝手にその少女のことを妄想しているらしく恍惚の表情を浮かべる虎サン。どうやら本気で会いたかったようだ。あの態度はどう考えてもツンデレの類ではないが、カイはいちいち説明するのが馬鹿らしくなり、微苦笑するに止めた。
「で、今日はどんなクエストですかい?」
「ああ、それだけどな。今朝ESから変なメールが来てな」
「へぇ、奇遇ですね。俺も来たんですよ、変なメール」
今朝の迷惑メールを思い出し、目を細め虎サンを睨むカイ。
「萌えただろ?」
「萌えませんよ! 朝っぱらから萎え萎えですよ!」
「マジでか!? あのメールはかなりの力作だったんだけどな、まだまだか」
ガックリと肩を落とす虎サン。
「何がまだまだなんですか!? 内容の問題じゃねえですよ!」
虎サンはいわゆる萌系(主に美少女アニメ)の趣味があるのだ。そのくせあまり詳しくない。好きと言うよりは無理矢理好きになろうとがんばっているような、とても不自然な感じである。カイは不審に思い、以前その理由を尋ねた事があるが、未だに教えてもらっていない。
「で、そのメールってのは?」
「ああ、“スペシャルクエスト”ってのに当選したらしくてな」
「スペシャルクエスト? そんなもんあるんですか。初耳ですよ」
「なんでも上級プレイヤーにランダムでお誘いがかかるらしい」
「へぇ……」
カイはFalse Huntを予約購入し、発売日にプレイし始めた最古参の古株に入る。なのでカイには自信があった。この世界のクエストやバトルといった、こと戦闘に関する基本的な知識に限定するなら知らない事柄は無いという自負が、しかし、
「……おもしろそうですね」
あっさり信じてしまった。
そのスペシャルクエストという情報、BBS(掲示板)や、他のプレイヤーから聞いたのならカイは決して信じなかっただろう。くだらない噂と処理していた。しかし、情報元が他の誰でもない虎サンとなると話は別だ。小さな自信や安っぽい自負などどうでもよくなる。それほどカイは虎サンに信頼を置いている。
「でも、それって俺も行けるんですか?」
「行けるはずだ。定員十名で上級以上のプレイヤーをお誘い合わせのうえ、って書いてあったからな」
「なーる。じゃあ早速行きますかい」
おう、と店を出る虎サンにカイも続いた。
普通のプレイヤーは定員十名のクエストと言われたら、友人を誘うなりして十名ないし、それに近い頭数を揃えてからクエストに挑むだろう。定員十名というのは、十名ほどの戦力で丁度いい難易度という意味合いなのだ。
しかし、彼らは違う。彼らはよほどの事が無い限り分隊の最小単位である二人組みで行動する。仲間を集めないのは普通のプレイヤーでは彼らにとって足手纏いにしかならないという事もあるが、それは本当の理由ではない。カイはどうしても虎サン以外のプレイヤーに背中を預ける気になれないのだ。虎サンはそんなカイの性格を熟知しているので、無理に仲間を集めようとはしない。
昔は違った。彼らが“違う名前”で呼ばれていた頃は、カイが信頼を寄せる仲間は虎サン以外にもいた。しかし、今では虎サン、たった一人だけだ。
カイはそのたった一人の仲間と一緒にレイトタワーと呼ばれる建物のロビーにいた。
この建物は先ほどカイが出現した広場の正面に位置しており、一階のクエストカウンター、二階の各種ショップ、三階のバトルカウンター、上階のクランルーム等など、この世界を楽しむための要素が大体揃っている。なので人気がなく、人気の少ないこの町でも自然とそれなりの人数が集まる。現にカイの目の前のカウンターにも何人かのプレイヤー達が屯っていた。
自然とカイの眉間に皺が寄る。
「かはは、相変わらずだな」そんなカイの様子を見かねて虎サンが笑う。「そんな顔してっから凶戦士なんて呼ばれて、変な連中にモテんだよ」
「すいませんね。癖みたいなもんですよ」カイは声まで不機嫌そうである。
「癖ねえ……。お前さあ、怒ってない? ってよく訊かれるだろ?」
「……ええ、よく知ってますね」
カイはその問いが嫌いだった。今まで何度訊かれたかわからない。いきなり人の感情を読んで、しかもそれを本人に確認するというのは無神経過ぎると思うのだ。それに実際怒っていたらどうだというのだろう。その原因を解決してくれるとでも言うのだろうか。おそらくなんの解決にもならない。大体人間いつも上機嫌なんてわけにはいかない。常にニコニコしている方が明らかに不自然だ。
色々と思い出し、更に眉間の皺を深くするカイに、虎サンは苦笑しながらゆるゆると首を振った。
「ある意味、おまえもツンデレキャラだな」
「はい?」
「いや、俺と二人のときは結構いい顔して喋るくせに、他の奴がいるとすぐそんな迷惑面になる。……もしかして、俺に惚れてんのか?」
カイとは対称的に虎サンは上機嫌のようだ、ニコニコこそしていないがその雰囲気でカイにはわかる。
「なっ!? ちょ、ちょっとふざけないでよ! 誰がアンタなんか、もうバカッ…。っとでも言えば満足ですかい? 残念ながら俺の場合は人見知りなだけですよ」
カイはツンデレキャラの王道であろう演技をしてみせた。虎サンはというと本当に残念そうに肩を落としている。
「はあぁー、お前が十五歳以下の女の子だったらなぁー。俺も毎日がエブリデイになるんだけどなぁ」
「十五歳以下って中学生ですか!? ストライクゾーン狭過ぎる。つーか犯罪ですよ! それに毎日が毎日って意味がわかりません」
「愛に年齢は関係ない! って昔の偉人が言ってたぞ」
「愛はどうだか知りませんが、人の道に反してますよ。たぶんそれ偉人じゃなくて異人の間違いです」
そんなやり取りをしながらカウンターに向かう二人。
カウンターには一人、否、一体のNPCが立っていた。紫色のブレザータイプの制服に身を包んだ受付嬢である。
二人が前に立つと、深々と頭を下げて、
「ようこそ、レイトタワーへ。本日のご予定は?」
と如何にも受付嬢といった声色で訊いてくる。
「スペシャルクエストってのに当選したらしいんだが」
「お客様のお名前は?」
カイと虎サンは顔を見合わせた。NPCに名前を訊かれるのは珍しい事だったからだ。
「……虎サンだ」虎サンはどこかバツが悪そうに小さな声で答える。
虎サンという名前はサンまで含めて名前なのだ。その変わった名前を自分で口にするのは抵抗があったのだろう。なんでそんな自己紹介のしずらい名前にしてるのか、カイには謎だ。
そして、その名前を聞いた途端、NPCは停止してしまった。瞬きもせずに、その焦点の合わない瞳を見開いて、固まっている。
カイと虎サンは不審げにNPCを見詰める。これは複雑な会話を要求したときにNPCが見せる反応である。しかし、今は何も複雑なことはない。名前を聞かれて答えただけだ。
「たぶんスペシャルクエスト当選者名簿から名前でも検索してるんだろう」
虎サンが言うと同時、NPCは生き返ったように喋り始めた。
「虎サン様ですね。お待ちしておりました。スペシャルクエスト当選おめでとうございます」
「ははっ、虎サン様ですって」
「うるせえよ」
カイがからかうと虎サンは照れくさそうに目線を逸らす。
「スペシャルクエストの説明を行います」
NPCはそんな二人のやり取りを意に介した様子も無く続ける。もっとも、そもそもNPCに意なんて存在しない。その言動は定められた台本に則っているに過ぎない。
「スペシャルクエストとはES社がFalse Huntの発展と向上のために、不定期的に行っているサービスです。基本的には普通のクエストと変わりませんが、難易度が高いため上級者の方にしか提供しておりません。今回のクエストの詳細をお聞きしますか?」
「なるほど。ようするにテストプレイへの協力ってわけですね」
カイは腕を組み頷きながら言う。虎サンも肯首しながら「お願いする」とNPCに続きを促した。
「クエスト名、ヘルズブリッジ。定員十名。攻めて来る敵軍を撃破し、橋を防衛してください。なお難易度はエクストリームとなっております」
「エクストリーム? 聞いたことないですね。最難関でもベリーハードのはずじゃあ」
「たぶん、その難易度を試すテストなんだろ。俺たちの出来次第で実装されると思うぜ」
「なーる。そりゃいいっすね、ベリーハードじゃ物足りなかったとこですし」
とカイが言った瞬間、またNPCの動きが固まる。
その二回目の停止にカイは首を傾げる。
――――このNPC、いくらなんでも止まり過ぎじゃないのか? これじゃあ大昔のゲームと変わらない。何かおかしい……。
カイが不審を口にしようとした矢先、NPCは口を開いた。
「定員は十名ですが、本日はお二人で参加なさるのですか?」
「ああ」
「かしこまりました。ではただ今よりターミナルから直接、クエストエリアに転送が可能です。何かご不明な点はありますか?」
「いや、結構」
「そうですか。では成功と幸運をお祈りしております」
「うっし。じゃ行くか」
虎サンはタワーの出口に足を進める。カイが横目でカウンターのNPCを見ると無機質な笑顔で旅館の女将よろしく丁寧に頭を下げていた。その様子はいつもと変わらない。
カイは頭を掻いて、虎サンの後を追った。