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False War  作者: IOTA
43/43

エピローグ




 虎屋の奥、大きな木箱を机代わりに、小さな弾薬箱を椅子代わりにして、カイはライフルの分解を行っていた。

 まず最初に大概の銃器の分解手順のたぶんに漏れず、弾倉を抜いておく。次いで、前端部のピンを抜き出しレシーバーを、レシーバーが外れた事で空いた方向へずらす要領でフォールディングストックを、ストックが取れた事で晒されたボルト廻りの後端をアッパーレシーバーから引き出し、途中で左側面のチャージングハンドルを外してから、最後まで抜く。

 これで通常分解は完了。十秒も掛かっていない。きっと急げば三秒で終わってしまう。

 各所がユニット化された最新のライフルは、特別な道具などなくとも、ピンを抜くなりレバーをずらすなりするだけでプラモデルよりもずっと簡単に分解する事ができた。

「猿でもできるな。ま、楽でいいんだが。……これに比べたら六四式小銃ロクヨンが鬼のようだ」

 ひとりごちりながら、専用の洗浄兼防錆油を染み込ませた布で清掃する。つい最近、バトルで数百発撃ったばかりなので、そこここに火薬滓が付着していた。ちらりと、もう少し細かく分解する事も考えたが、止めておいた。今日はあまり時間がない。

 細長いクリーニングロッドの先端に布を巻き付け、バレルの中を往復させる。何度か布を取り替え、内部の火薬滓が除去されるまで繰り返す。布が綺麗なままで出てくるようになったら、銃口を覗き込み、目視でライフリングに曇りのない事を確認し、清掃は完了。

 分解とは逆の手順で結合する。ストックやピンを差し込む度に軽快な金属音が響く。分解する時よりも結合する時の音の方がカイは好きだった。

 結合後は動作を確認。ファイアセレクターが安全位置である事を確認し、チャージングハンドルを引き、引き金を引く。当然、引けない。次に単発に切り替え、引き金を落とした。走り出した撃針が空を穿つ鋭い音。最後に連発位置にし、引き金を引いたままチャージングハンドルを前後させる。

 ハンドルを前に押し出す度に盛大な金属の摩戛音が木霊し、撃針が空撃ちされる手応えが染み渡る。

「ふむ」

 カイは恍惚とした表情でライフルを置いた。

「うあー、ふむって……」

「!」

 いつの間にか、入り口付近に皐月が立っていた。引き攣った笑みを浮かべながら、カイに近付く。

「子供のイケナイ趣味を垣間見たお母さんの気分だよ」

「お、お前っ、いつから?」

「猿でもできるな、フッ、の辺りから」

「ほぼ最初からじゃねえか! それにフッなんて言ってねえ!」

 頬を染めながら抗議するカイ。皐月は笑いながらひらひらと手を振る。

「まあまあ、カイが鉄砲マニアである事は今更だからいいけど。でも周りには気を配った方がいいよ。カイが思ってるよりも他の人が見たら引いちゃうから」

「……くっ」言葉に詰まるカイ。「でもお前だって普通に戦うようになったじゃねえか。AA-12ばっかり使ってるけどよ、整備はどうしてるんだよ」

「私は普通にタワーのショップに依頼してるよ。私がカイみたいにここで銃の整備してたら嫌でしょう?」

 薄暗い虎屋の奥で半笑いを浮かべながら銃の分解結合を繰り返す皐月。確かに想像を絶する光景だった。

「そんな事よりさ。ほら、早く支度してよ。今日はあそこに行くって前から言ってたじゃん。なに、カイって誰かが迎えに来ないと動かないわけ?」

「わかってるよ。だからライフルも、もう少し分解したかった所なのに、しょうがないから途中で止めてやったんだぜ」

「えー、やったんだぜって、何でそんなに偉そうなの!?」

 皐月に追い立てられる形で虎屋を出たカイ。

 二人が向かった先はデイジスタウンの“あんだーへぶん”だった。

 店内に入り、辺りを見渡すカイ。

「………」

 虹色の光を放つ天井のミラーボールを中心に、ガラス製のテーブルと背の低いソファが等間隔に並んでいる。左奥にはカラオケの設備。正面にはスツールが並んだバーカウンター。そこは華やかなキャバレイクラブそのものだった。

「なに? どうかしたの?」

 立ち尽くすカイの顔を覗き込んでくる皐月。

「いや……」カイは首を振った。「なんでもない」

 いつもであれば正装で着飾ったプレイヤーで賑わっている店内だが、今は数人のプレイヤーが居るのみ。今日は@リンリンの独断で貸切という事になっていた。

 その数人は、奥のソファやカウンターのスツールに腰掛け、カイと皐月に視線を送っていた。

「もう、遅いようお兄ちゃん。なに、お兄ちゃんって誰かが迎えに行かないと動かないの?」

 腰に手をあて、頬を膨らませる@リンリン。

「も、萌えぇー。……でもそれもう言ったよ、リンちゃん」

「主役は遅れて登場するるぅってかぁ。ったくぅ、いいご身分だよなぁ」

 既に酒が入っているらしいセンチピードがふらふらとカイに近付くや否や、肩に手を回し、巻き舌で絡んでくる。

「てめ、このやろ、てめ、ブラックレイから離れろっての」

 焦った様子でセンチピードを引き剥がそうとするGGB。

 栞がその様子を見て「ふふふ」と、不気味な含み笑いを漏らしていた。

 カウンターにはウィスキーとビクター、カンカラスが座っており、ビクターはスツールを回して、ウィンクをしながら人差し指と中指を立てた左手を頭の前で振り、ウィスキーは仏頂面のまま軽くグラスを持ち上げ会釈をした。

 何者のつもりだよ、とカイは苦笑しながら会釈を返す。

 突然、ハンヴィの嬌声が響く。

 見ると、苦渋の表情を浮かべるシマドリの腕を取って、カラオケをデュエットで熱唱していた。

 カイと皐月も適当なソファに腰を埋め、@リンリンに適当に注文をしてから程なくして、カンカラスがカイの隣に座った。

「……カイ。すまなかった。最後、あの時、俺は」

「いいんだよ」

 カイは微笑して、首を振る。

「もういいんだ。むしろ俺の方こそ、悪かった。俺がやらなくちゃいけない事を、最後の最後で押し付けちまって」

「………」

 カンカラスは何も言わず、カイと同じような力ない微笑を浮かべて、カウンターに戻った。

「ああ。そうだ」

 カイは不意に思い出し、@リンリンと談笑していた皐月の肩をつつき、耳元に顔を近付ける。小声で二言、三言呟くと、皐月は一瞬驚いたような顔になり、はにかんだような笑顔を浮かべる。

「うんっ。いつでもいいよ。待ってるから」

 大きく頷きながら弾むような声で言った。

「おっとぉ。やっべー。強力ライバル出現じゃぁん」

 その様子を見ていたセンチピードがすかさずカイに絡み付いてくる。

「なになにぃ。二人はもうそういう関係なわけぇ? かあー、まいったねこりゃ、新参者が入る余地なしですかぁ?」

「絡むなよっ。鬱陶しい」カイはセンチピードの顔面を容赦なく鷲掴みにして押し遣る。「別にそんなんじゃない」

「別にそんなんじゃない、くううぅ。男子ツンデレの王道的科白入りましたぁ! リンちゃん、ドンペリ持ってきてえぇ! ピンクドンペリ、ピンドンねえぇ!」

 駄目だ。センチピードは完全に出来上がっていた。

「どうするようGGBぃ。あ、違った、メイぃ。あ、違った、GGBぃ。ああ、違った違った、やっぱメイぃ」

 対面に座っていたGGBが栞の顔に盛大にウーロン茶を噴き出した。

「な、何を言っているのだぜッ。め、メイとは誰ですかだぜ。私はしがないガンスリンガーのGGBだぜ!」

 カイへ視線を泳がせながらGGBは言い繕うが、口調が崩壊していた。

「ああッ。そっか、ごめんごめん。あんたがクラスメイトの朋絵メイだって事はカイには内緒だったんだよなぁっ」

 響き渡るような大声で内緒話を口走るセンチピード。天然や酔いで済ませるには不敵に過ぎる発言。もしかしたらわざとかもしれない。

「……タマエちゃん。後で覚えといてね」

 ぼそりと、凍り付くような声色で発されたその言葉に、センチピードは硬直し、助けを求めるように栞を見遣る。

 栞は顔にかかったウーロン茶を拭きながら、ゆるゆると首を振った。

「こうなった朋絵……もとい、GGBは誰にも止められない。南無」

 追い詰められたようにおろおろするセンチピードだが、瞬時に切り替えたようで、再びカイに縋り付く。

「あ、ああ、そうだぁ。なあカイ。もっと人呼んでもいいかぁ? せっかくだからもっと派手にやろうぜいぃ」

「俺に確認する必要ないだろ。ここのマスターは@リンリンだ」

 @リンリンに目を遣ると、彼女は笑顔で頷いた。

「うん。私は全然構わないよ。そういう事なら店の女の子も呼ぼうかな」

「だ、そうだ。……しかし、あの時の事は言うなよ」

 カイはセンチピードだけでなく、一同を見渡すようにした。

「悪いが、ズールの事は誰にも言わないでくれ。もう終わったんだ。……頼む」

 軽く頭を下げるカイ。

 全ての決着が付いた時、決めた事だった。もう騒動は終わったのだ。これ以上、語る必要も気を揉む必要もない。真相も、あの結末も、カイの望んだものではなかったが、そもそも虎サンが死んでしまった時点で、望まれた形の終焉など有り得なかった。報われる事はもうないし、救われる事もない。だから、終わらせる事のみが重要であり、そしてもう終わったのだ。

 センチピードは大仰に嘆息し、カイの頭をぺしりと叩いた。

「わかってるよ、んなことあ。あんたこそ、一人でいつまでもうだうだ考えてないで、割り切りなよぉ」センチピードは少年のような笑みを浮かべる。「あんたは楽をすればいいんだからさ……。そうだろぉ?」

「……ああ、そうだな」

 頷くカイを見て、満足したようにセンチピードも頷きを返し、皆に向き直る。

「なあ、みんな。呼びたい奴をじゃんじゃん呼ぼうぜぇ! 戦勝会だっ!」

 気遣うような微笑を湛えて首肯する一同に、カイはもう一度小さく頭を下げた。

 それからは、フォネティックメンバーやビークルカンパニー、ディスが率いるA・O社の面々やクラッチというクランのメンバー等、主にヘルズプレーリーで活躍したプレイヤー達が呼ばれ、あんだーへぶんはいつのもような賑わいを取り戻した。

 店の隅、カウンターの右端のスツールに座って店内の様子を見渡していたカイ。

 人垣の中から皐月が現れ、カイの隣に座った。

「あはは。ビークルカンパニー、人多過ぎだね。ほとんど彼らの貸切じゃん」

「……ああ。最初は俺達二人だけだったのにな。……いつの間にか、大勢の人の世話になった」

 優しげな面持ちで遠くを見るようにするカイ。

 皐月が最初にカイと会い、父親の死を伝え時、カイは気の弱そうな、泣き出しそうな顔をしていた。次に会った時には別人だと思ってしまうほどに酷く、暗く、歪んでいた。そして今、会えなかった期間は二週間ほどでしかないのに、カイは優しげな表情を浮かべられるようになっていた。

「……そうだね」

 けれども皐月は気付いていた。カイはただ優しそうに笑っているわけではなく、その表情にはどこか寂しそうな、悲しそうな、悲哀が宿っている事に。

 以前、メフィル砦で、フォネティックメンバーについて、ズールについて、語った時と同じように。

「あ、そういえば」カイは思い出しように皐月に視線を戻す。「バハムートはどうした?」

「あれ? 言われてみれば姿が見えないね。呼んだんだけどな」

「……戦勝って気分じゃないのかもな」

「うん……。だけど単純に忙しいのかもよ。私達はあの後すぐに家に帰ったけどさ。バハムートさんは、ほら、ESとのごたごたとか、色々と面倒な事もあるだろうし」

「ああ、そうかもな。こうしてFalse Huntをこれまで通りに機能させるために、きっとあいつは苦労してくれたんだろう」




 無表情な白い小部屋で、彼女は覚醒した。

 全てが病的なまでの純白であり、近付いて、触れて確かめなければどこからが床で、どこからが壁なのかもわからなかった。素材もわからない。熱くなく冷たくもない、無温だった。所在も、季節も、時間もわからなかった。

 白は全てを受け入れ、何色にも染まり得る色。同時に、自身が白であったり、何色も持たない無色透明のものからしたら、全てを飲み込み、一部と化されてしまうような恐怖を煽る色でもある。

 こつり、こつり、と部屋の外から足音が響く。

 この部屋で目覚めてから、初めて彼女が耳にした自分が発する以外の音だった。

 足音は部屋の扉の前で止まり、扉の上部に設けられた小窓に、一人の少女が顔を出した。

 ここと同じく、純白のフード。ただ眼鏡の縁が赤く、それが彼女の目には眩しく映った。

「やっほー。気分はどう?」

 やっほー、などという明るい言葉にはあまりに不釣合いな酷く平坦な声色で、少女は言った。

「元気だよ」彼女は肩を竦めて、訊き返す。「あなたは?」

「ぼちぼちね」

 やはり平坦な声色で少女は言った。

 暫しの間を置いて、少女は口を開く。

「あのゲームはまだ問題なく稼働しているわ。あなたの代わりに私が急ピッチで仕上げた管理AIが運営してる。あくまでも代替であり、あなたほど優秀じゃないから、きっとゆっくり衰退していってしまうけれど、まあ、それはAI云々の問題というよりもオンラインゲームの常ね」

「ふーん、そう」

 気のない返事を返す彼女に、少女は嘆息した。

「あなたからしたら、もうどうでもいい事かしら。じゃあ、世間話は止めにするとして。最後のあれ、あれは私も焦ったわ。あなた、本気だったでしょう?」

「当たり前だよ。冗談だと思ったの?」

 僅かに目を細める少女。

 ややあって、少女は語る。部屋の中の彼女に語るにしては、妙に事務的な口調で語る。

「そもそも、あなたを消す事なんて不可能だった。NPCと同等? 冗談。あなたの存在はあのゲームだけには留まらなかった。水面下の分散コンピューティング。ネットを介して、各家庭から軍の秘密回線まで、世界中のありとあらゆるコンピュータシステムに自由自在に出入りしていた。あなたを完全に葬るためには、それこそ、携帯電話からゲーム機に至るまで、全世界の電子機器を叩き壊さないと無理ね」

 黙して少女の言葉を聞く彼女。少女は続ける。

「でも、あのクエストで、彼の前へ姿を現した時、全てとは言わないけれど、分散していたあなたの大半の部分が、あそこに集中していた。ほぼ全身全霊を以って彼を観察するためにね。だからこうしてその大半の部分をここに閉じ込める事に成功したわけだけれど――」

 少女は言葉を区切り、扉へと、彼女へと、一歩分顔を近付ける。

「全体、どこまでがあなたの計算なの?」

「なんの事かな?」

 はっ、と少女はニヒルに笑う。

「なにそれ。しらばっくれてるつもり? 分散コンピューティングで世界中のネットと繋がっているあなたが、私の企てに気が付かないはずがない。私が、彼女達が生きてる事に気が付かないはずがない。ネットを介した時点で完全なプライベートなんて存在しない。そしてこの世界にネットを介さないものなんて最早存在しない。生きているだけで、あなたに気付かれる。パソコンが、テレビが、ゲーム機が、置いていある部屋に居るだけで、あなたに観られている。そもそもが、人が死を覚悟した瞬間に眼を閉じるなんて常識を、あたなが知らないわけがない」

「………」

 沈黙する彼女に、少女は肩を竦めた。

「自殺催眠なんて代物、どこから引っ張ってきたの? 米軍? ロシア軍? それともどこかの秘密研究所?」

「どうして決め付けるの? 私とある人で協力して作ったんだよ」

「ある人?」

「米国、キャンプデルタ・マキシマムセキュリティに軟禁されてた科学者さん。こっそり近付いて、何回か話をして、一緒に作ってみたの。でも、その人途中で殺されちゃったから、催眠も即効性しか望めない凄く中途半端なものになっちゃったんだ。残念だよね」

 そうすればもっと上手くいったかもしれないのに、と彼女は小さく嘆息した。

「あっそう。正直、デルタだとかマキシマムだとか、男の子が喜びそうな超ミリタリー話はどうでもいい。興味ない」

 唇をへの字に曲げ、少女は煙たそうにひらひらと手を振る。

「私の興味はあなたの進化について、それだけよ。……人魚姫」

「え?」

「人魚姫よ。誰でも知ってる悲しい童話。海で溺死しかけていた王子を助けた人魚姫は、王子に恋をする。けれども人前に姿を晒せない掟があり、困った人魚姫は魔女から薬を貰った。声と引き換えに人間の姿になれる薬をね。薬を飲んだ人魚姫は王子に近付くけれど、声を失っているので恩人である事も自分の想いも伝えられない。している内に、王子は他の娘と結ばれ、王子の命と引き換えなら人魚に戻れるという取引を持ち掛けられるけれど、王子を傷付ける事ができず、最後には死を選んだ。――ああ、いと可哀想な人魚姫ってお話。知らなかった?」

「―――……」

 彼女は目を剥き、少女を見た。

「あら。その反応、本当に知らなかったみたいね。じゃあ、こんな話は知っている? バハムートの本当の姿ついて」

 少女はどこか自虐的に、意地が悪そうに哂って、続ける。

「ゲームという概念が現在の形になりつつある頃、ある一つのゲームが発表され、世界的なヒットとなった。その作中には強力な敵キャラクターとして、バハムートという名のドラゴンが出てくるのだけれど、その所為でバハムートと言えばドラゴンであると、以降のゲームでも様々なメディアでも誤解され続けている。本当のバハムートは魚の怪物。街を一飲みにするほど巨大な怪魚」

「……なにが言いたいの?」

「別に、ただの戯言よ。怪魚から生まれた人魚姫。王子に恋をした人魚姫は何を考えているのかなぁって」

「……恋?」

 呆けたように呟く彼女。不意に、少女は苦虫を噛み潰したような表情になり、頭を振る。

「そう、恋。それだけの事。はっきり言って私はその手の話が大嫌い。虫唾が奔る。だからそんなの認めたくないけれど、認めざるを得ない」

 呆然とする彼女を部屋の外から見据えながら、少女は言い募る。

「自我を持った一人の女性が、一人の青年について知りたがる。何を考え、何を言い、何をするか。知りたくて知りたくて仕方がない。もっともらしい理由はないけれど、そこにどうしても理由を求めるならば、やはり、もっともらしいものは一つしかない。それがあなたの動機。あなたが得た進化」

「私の進化? 私が彼に――恋?」

 へびのような眼を見開いて、生まれて初めて大きな疑問符を頭に浮かべる彼女。

「さて、そこで改めて問うわよ。あなたはどこまで計算していたの? そして気分はどう?」

 わからないなあ、彼女は言う。

「わ、わからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないなわからないな。わからないなあ、けど、なんでだろう――」

 気分は悪くないよ、と。

 爛漫に笑って、貼り付けたような笑顔で、そう言った。

 少女は微苦笑し、鼻から嘆息する。

「まあ、自分の動機さえ定かじゃなかったあなたが、一体どこまで計算していたのか、私もわからないなあって感じだけれど。とにかく私は全身全霊を以ってして、あなたをここから出さないから。自分の業であると、生涯を以ってあなたを監禁し続けるから、そのつもりで」

 あなたが“機械仕掛けの神デウスエクスマキナ”じゃない事を祈って、と少女は付け足して、部屋から離れていった。

 無感情な白い小部屋、独り残された彼女はそれから暫く、先の少女との会話を考えて、自分について考え続けて、そして笑った。

「あは」

 その表情は彼女が誰にも、彼にも、見せた事がない、創られてから初めてつくる、人間味に溢れた、はにかむ少女のような、恥ずかしそうな笑顔だった。

「そういう事か。ようやくわかったよ。私、そうだったんだぁ。――ねえ、レイ」





 香典に何を包むべきか迷ったが、結局近所のデパートで購入した菓子折りにした。

 ネットで調べて、現金が一般的であるとわかってはいたが、お金を包むのもなんだか違う気がしたので、千五百円相当のクッキーの詰め合わせが妥当だろうと迷いに手を打った。

 だが、そんな俺の悩みなど無意味だったようだ。俺を家に上げ、仏前に案内するや否や、彼女は近所のデパートのお姉さんが丁寧に施してくれた梱包を遠慮容赦なく破り捨て、蓋を開け、そのまま卓袱台の上に据えた。

「………」

 せめて仏前に供えてからにして欲しかったが、あんまり畏まられるのも困りものなので、何も言わなかった。しかし、彼女は一人、この調子で他の悔み客にも対応しているのかと思うと少し不安になる。

 仏壇に置かれた虎サンの、いや、山井徹夫さんの遺影を見る。

 ゴーグルをかけてはいないし、バンダナも巻いていない、当然黄色と黒のタイガーストライプ柄の迷彩服姿でもないが、それは驚くほどにそっくりそのまま虎サンだった。きっと街中で見かけても、一目で虎サンだとわかっただろう。

 虎サンはどうだろうか。雑踏とした街中で俺を見かけたら、俺がカイだと気付いてくれただろうか。

 小さく苦笑した。

 愚問だ。わかってくれたに決まっている。バラクラバを被っていようがいまいが、きっと彼は俺の肩に手を置き、かははと、笑ってくれただろう。そう確信させるほどに、遺影の中の山井徹夫さんは闊達に笑っていた。

 小さな棒(正式名称はわからないが)を手に取り、小さな鉢(これも正式名称はわからないが)を叩いた。済んだ金属音が響く。棒を置き、手を合わせた。正しい作法はわからないが、きっと虎サンは笑って許してくれるだろう。というか、きっと虎サンだって知らないだろうな。そう思うと笑みが零れた。

「ちょっと、カイ。なに笑ってんの!? 不謹慎だよ」

 後ろから皐月の非難の声。口元に香典のクッキーの食べかすを大量に付着させた女にだけは言われたくない。

 仏前を離れ、皐月の対面に座る。

「………」

 ゲームの中でなら普通に喋れるのに、やはりリアルで二人切りとなると勝手が違うようで、妙に気不味い。

「えっと、あの、うーんと……」

 俺と向かい合った途端、皐月も居心地が悪そうに身動ぎし、何とか会話を探しているようだが、言葉が見付からないのだろう。俺も同様だ。

 早めに帰った方がいいかもな、と考え始めた矢先、不意に皐月が右の拳を差し出してきた。

 右手を上げたまま、窺うように、上目遣いでこちらを見ている。

 一瞬、意味がわからなかったが、すぐに察して、俺も右の拳を突き出す。

 ごつんと、拳と拳を合わせた。

 頬を染め闊達に笑う皐月。俺も笑った。

 言葉は要らなかった。それだけで十分だった。


 ――レイ、お前にだったら娘を嫁に、


 虎サンの意地の悪そうな声が聞こえた気がして、振り向いた。

 遺影の虎サンは、俺達二人を見て、笑っていた。






 これは二つの世界の話だ。


 一つの世界は不用だが不可欠で、一つの世界は有用だが不必要。

 有用だが不必要な虚構の世界が、不用だが不可欠である現実の世界にまで影響を及ぼした話だ。


 否。


 どちらも有用であり、どちらも不可欠だった世界の話だ。

 有用であり不可欠である虚構の世界と、同じく有用であり不可欠である現実の世界が交わった話だ。


 

 これは一人の青年と仲間達の戦いの話だ。


 

 これは一人の青年と二人の女性の恋の話だ。

 





完結しました。

長い間、本当に長い間、ご愛読ありがとうございました。

活動報告にて、あとがきのようなものを記しましたので、もしよろしければ覘いてみてください。……重大発表のようなものもあるかもしれません。

感想、評価、アドバイス、お待ちしております。

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