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False War  作者: IOTA
38/43

False War 10-8



 濃紺の作業服を着た女性と、黒一色の戦闘服を纏った青年。

 朽ち果てた砦の跡地にて、二人は適当な瓦礫に腰掛けている。

 女性はつらつらと愉しそうに語る。

 ねえ、レイ。この場所の裏話、教えてあげようか。実はこの砦はね、近接戦闘の対戦用に構築されたマップなの。元々はきちんと細部まで造り込まれた豪奢な砦だったんだけど、結局試験過程で候補から落選しちゃってね。つまりカットされたの。まあ、ゲームに限らず商業用創造物にはよくある話。

 でも、その砦に思い入れのあるマップクリエイター達は諦め切れずに、このレイスの最果てに構築し直した。て言っても、何の用途もない立派な砦がこんな場所にそびえているのは不自然だから、ご覧の通り、朽ちた建造物として見るも無残に改装されちゃったんだけどね。元の面影は欠片もない。

 この場所は、強い想いの残り滓。FPSのメーンたる対戦マップから、寂れた観光名所に成り下がらせてまで遺したかった想いって何なのかな? 私は全然わからない、意味不明。わからないから考えるためにこの場所によく来るの。

 レイにはわかる?



 平坦な草叢の只中にぽつりと隆起する小山の頂上には、無造作に瓦礫が積み上げられていた。煉瓦と木片から成る瓦礫だ。

 しかし、良く見れば所々には煉瓦が壁状に残っており、太い木片が柱のように直立している事から、嘗ては煉瓦造りの建造物であった事が窺える。

「あれが基地……?」

 先のシャープシューターの待ち伏せ以降は敵と遭遇する事もなく、終に森林が拓け、一同の視界に飛び込んできたのはそんな物寂しい、けれども底知れぬ重圧と得体の知れない違和感を放つ光景だった。

「おいおいぃ。道間違えてないよなぁ」

 言って、センチピードはマップ画面を表示する。北北東の端、森林が途切れた付近に自身の位置を示す矢印のシンボルマークが映っている。そして矢印が示す先、つまりセンチピードが正対している方向には、滑走路、車輛格納庫、ヘリポートといった南のプレイヤー側の基地と全く同じ大規模な軍事基地が展開している。

 はずなのに、実際に視野に映るのは何もない更地であり、目に付くのは打ち捨てられた建造物を載せる小山だけだった。

「あれは、えーっと。懐かしい感じ」

「うん、懐かしい。だけどなんだっけ?」

 キロとリマは顔を見合わせ小首を傾げる。

「確か一番北、レイス最北の」フォックストロットも瓦礫の小山を見詰めながら額に手を当てる。「駄目ですねえ。名前が出てきません。色々と感懐深い場所であるはずなんですけどねえ」

 その朽ちた建造物に見覚えがあるらしい三人。彼らの共通点はフォネティックメンバーであるという事。

「メフィル砦……」

 カイの呟き。三人は思い出したようで得心いった風に相槌を打った。

 それはFalse Huntの世界、レイス上の最北に位置する建造物だった。砦と言えば聞こえはいいが、その実は瓦礫の山でしかない。用途もなにもなく、ただ単に最北を意味するランドマークに過ぎない。故にそれを実際に目にした事のあるプレイヤーは冒険や観光と称してタウン外をうろつく物好きなプレイヤーか、そんな者達を獲物とするPKに限られる。

 ではなぜフォネティックメンバーがこんな場所を知っているのかと言えば、マスターのズールがこの場所をメンバー同士の会合の場として度々選定していたのだ。

 カイは思い出す。

 数ヶ月前、何度かズールと二人だけでここを訪れて意味のない会話を長時間行った事。無駄に長く、内容も雑談だったが、不思議と不快には思わなかった。

 数週間前、バハムートに導かれて皐月と二人でここを訪れた事。バハムートが説明した仮説。カイは激情に駆られてバハムートの傀儡たるNPPを撃ち殺した。

 メフィル砦は、カイにとって様々な感情が起伏した感慨深い場所だった。

 しかし、レイスとは全く別のスペシャルクエスト専用マップであるはずのここに、なぜメフィル砦が在るのか。それにマップ画面と実際の地形がここまで懸け離れるなどFalse Huntでは聞いた事がなく、バグの一言で済ませるには過ぎた異常だった。

 だが、

「ちゃんと旗はあるみたいね」ディスは言う。「ほらあそこ、頂上の辺り。マップ画面と同じところに旗が視える」

 旗だけはマップ画面に示される通りの場所に在った。瓦礫に隠れて全容は視えないが、反物が風に煽られ揺れている。プレイヤー側の旗は黒色だったが、敵方の反物は無地の白色だった。何色にも染まっていない、何色にも染まり得る純白。あらゆる色を寄せ付けない黒とは正反対の色である。

「だったら、とっとと行こうぜ」GGBが意気揚々とリボルバーの銃口で小山を指した。「幸い留守みてえだしよ」

「確かに敵影は視えないけれど、見通しが良過ぎるわね」

 カイ達の居る森林の出口から瓦礫の小山までは約三百メートル。ディスの言う通り、その間には背の低い若草が頼りなく靡いているだけで身を隠せるような遮蔽が皆無だった。もし遠方にシャープシューター辺りが潜んでいれば狙い撃ちは必至だ。

 カイは一歩を踏み出すと、小山から草叢まで広く視線を這わせてから、センチピードを見遣った。

「迎えの準備だ。急ぎでな。突っ切るぞ」

「諒解ぃ。ここでこうしててもしょうもないしなぁ」センチピードは耳元に手を当てると二、三通信で会話をして、再びカイに告げる。「今は横軸6の辺りの森林に隠れてるってよぉ。順調にいけば十五分かそこらで到着するとさぁ」

「迎え?」

 カンカラスはディスに尋ねた。暗器分隊に飛び入り参加した彼は事前の取り決めなど知る由もない。

「ええ。実は私達のずっと後方にハンヴィーを二輛待たせてあるの。口の堅い・・・・ビークルカンパニーの専属ドライバー付きよ。私達が旗を獲ったらそのハンヴィーに乗り込んで森林に沿って一気に南下する、そういう手筈。流石に徒歩で帰るわけにはいかないでしょ」

 旗を獲るだけでは戦いは終わらない。自軍の旗本にまで持ち帰らなければならない。そしてその時に厄介になるキャプチャーザフラッグでは一般的な仕様がある。それは旗の位置がリアルタイムでマップ画面に反映されるという事。つまり誰かが旗を獲り移動すれば、その位置はそのままマップ画面を開くだけで露見される。得点獲得をより困難にして戦いを盛り上げるための仕様だ。

 目標物である旗を手に移動すれば、暗器の隠密性は失われるのだ。味方にも、当然敵にも公然と表面化してしまう。故に旗を獲ってからはスピードこそが要となる。移動する旗を巡っての混戦と化してしまう前に、一気に終わらせてしまおうという作戦だった。

「にしても、今までは過剰なほど慎重だった癖に脱出手段は少し乱暴だな」

「こればっかりはね。期待してた輸送ヘリは未だ出現してないし、攻撃ヘリは手一杯みたいだし」

 とどのつまりは出来る限りの準備し、後は臨機応変にやるしかない。その辺りの不確定要素もウィスキーからしたら作戦と呼ぶには度し難い所以なのだ。

「準備はいいか」

 カイはSCAR-Hの銃把を握った右手を一度開き、小指から人差し指までを順番に畳み、丁寧に包み込むように握り直した。それを二度繰り返す。

「正直、私は気が進まないな」ディスは僅かに表情を曇らせる。「嫌な予感がするわ。具体的には罠の予感。賭けてもいい」

「ああ。俺もさ」カイはクエストが始まってから初めて皆に微笑を見せた。明らかに皮肉の混じった不敵な微笑みではあったが。「だがこの状況で気の進む案なんてあると思うか」

 ディスはやれやれとばかりに首を竦めつつ、それでも自身のチームに向かって鷹揚に頷いた。アーマメントオーダー社員達は小さく首肯を返す。

 他の面々も視線を小山に据え、佇まいを正した。

「行くぞ」

 カイの言葉を合図に皆が森林から飛び出した。

 カイをセンターに個々の間隔を五メートルほど取って疾走する。風を切る音と荒い息遣いに支配される聴覚。しかしそれでも僅かな異音でも聞き漏らさないほどに皆の神経は研ぎ澄まされていた。外周側を走る者は主に側面に気を配り、中央付近の者達は前方、殿しんがりの者は不規則に振り返り背面を警戒する。

 センチピードは暗器を指して急ごしらえのタスクフォースと揶揄していたが、今の彼らは百戦錬磨の陸戦部隊が如く。打ち合わせなどなくとも個々が自分の役割を理解し、それを忠実にこなしていた。

 連携には二種類ある。努力を以って生むものと、自然発生的に生まれるものだ。彼らの場合は後者。ある程度の実力を持った者達は積極的な連携など考えず、ただ自己のベストを尽くせばいい。それが自然と連携を生む。

 そしてメフィル砦に到着した。

「……」

 皆が駆け足を止め、緩慢な足取りとなる。遮蔽を得た安心感からではなく、遮蔽物の只中に這入った事に因る死角からの不意打ちを警戒しているのだ。誰もが息を切らしていたが、その鋭利な神経を弛緩させる事はなく、背を合わせて全周警戒の構えを採りながら慎重に瓦礫の中を進み続ける。

 カイは視線を配りながら、既視感に似た感覚を覚える。中の様子も煉瓦一つの配置に至るまでメフィル砦と同一。レイス最北からそっくりそのまま持ってきたかのようだった。

 一際大きな煉瓦の壁に四方を囲われた、嘗ては大広間があったであろう空間。随所が崩れており、穴だらけである。その穴の一つから一同は踏み入り、中央に鎮座する物を視た。

 旗だ。

 全長は二メートルほど。細長い銀の柄、その先には長方形の白い反物。無地の白は、一切の光線を反射して、微風に煽られ堂々とはためいている。

 誰も何も口にしなかったが、カイが歩み出て旗の柄に手を伸ばした。力強く掴み、持ち上げる。羽のように不自然に軽いそれは、地面から簡単に持ち上がる。

 そしてこの瞬間、プレイヤーカイが敵方のフラッグを掌握したという事象が成り立った。

「ビクター、こちら暗器。フラッグを掌握。繰り返す、カイがフラッグを掌握したぁ」

 通信で報告するセンチピード。その森林を出てから初めて発せられた言葉は僅かではあるが明らかに喜色を帯びていた。まだ勝利したわけではないので手放しでは喜べず、何の抵抗もなく、呆気ないほど簡単に旗を入手できてしまったという気味の悪いさも拭えない。それでも折り返し地点に到達できたのは揺るぎない事実なのだ。

 進退を繰り返していた戦況が、今秘密裏に大きく進展した。

 カンカラスはふと考える。もしこの事実をこの戦場で志半ばで果てた者や今も尚死闘を繰り広げているであろう生き残り達が知ったら、騙されていた事に怒るだろうか、それとも歓喜の声を上げてくれるだろうか。

 カイは左手に旗を、右手にSCAR-Hの銃把を握った状態でセンチピードに訊く。

「戻るぞ。迎えは?」

「いやいや、まだ十分ぐらい掛かるだろぉ。何の抵抗もないとは予想外だったしぃ」

「ほんとにね。私の勘が外れるなんて、賭けが不成立でよかったわ。それでどうするの? 防御体勢をとる?」

「いや。森まで退こう」カイは歩き始めながら言う。「徒歩で森を逆走して、ハンヴィーが到着したタイミングで草原に出て拾ってもらう」

「計画だとランデブーポイントはここだろ? 勝手に動いて大丈夫かよ」

 GGBの言葉にカイは問題ない、と応じる。

「マップを開けば俺達の位置は丸判りだ。いちいち通信で位置を知らせる必要もない」

 カイの歩みに同調して、マップ上の旗のシンボルマークの位置も僅かに動いていた。もしプレイヤーの中にマップ画面を凝視している者がいたら、すでに気付かれているはずだ。

 それは敵も同様。ただし敵の場合はマップ画面で確認するまでもない。くどいようだが今回は対人戦ではなく、あくまでもクエストなのだ。故に敵は無生物のNPCノンプレイヤーキャラクターであり、彼らはユーザーであるプレイヤーとは全く別次元の存在である。その行動原理は予め組み立てられたスクリプトに従っているに過ぎない。

 そしてフラッグを奪取するという行為が、無数に分岐したスクリプトの一端に抵触した。始動キーを押し込んでしまった。

 そのスクリプトの内容は残酷なほどに至極単純――――敵を逃がすな・・・・・・

 タッタッタッタッ、と。

 何者かが駆けるような軽快な足音。

「ッ!」

 全員が一斉に各々の銃器を跳ね上げた。銃を構えただけでは映画のようなガチャガチャという雑音はしない。足音のような異音は極小さい、微かな音量だったが、皆の研ぎ澄まされた聴覚は確実にその音源を捉えていた。水を打ったような静寂の中、数人が音のする方向へ銃口を向け、警戒の漏れを防ぐために他の者はそれぞれ違う方角を索敵している。

「?」

 しかし足音のする方向には何もない。

 それなのに、足音はどんどん近付いてくる。草叢を土を瓦礫の上を、足取りも軽く駆ける音だけが近付いて来る。

 その足音は最早カイ達の目前にまで達していた。音の大きさから察するに、もう姿が視えていなくてはおかしいはずなのに――――

「そこを退けぇ!」

 カイが音の正体を察して、音源と重なるように立っていたA・O社員の一人に向けて怒声を発するが、遅かった。

 タッ、と踏み切るような音の直後、

「ア」

 その社員は母音を一言呟いた。小刻みに痙攣し、突撃銃と一緒に両腕を力なく垂れ下げる。その右の眼窩には眼球を真っ二つにするような縦の創が入っていた。

 何か・・が深々と突き刺さったような、視えない刃・・・・・に貫かれたような刺創。

 けたたましい銃声。カイが片手保持のままSCAR-Hを連射した。指を引きっ放しにしたフルオート射撃。側面の排薬口から硝煙を牽く五十一ミリ長の空薬莢が連なって弾き出される。

 社員のすぐ手前に向けて撒かれた銃弾。何か・・に着弾したような鈍い音のみが響き、吹き飛んだ何か・・が数メートル先で墜落したような土煙だけが舞う。

 支えを失ったように社員は膝を折って倒れた。傷は脳にまで達していたのであろう、絶命している。

「“インビジブル”だ! 囲まれてるぞ!」

 二度目のカイの怒声。気が付くと、先のような奇妙な足音があらゆる方向から聴こえていた。

「マジかよぉ……!」

「ラグ遣いと非難されるわたくしもビックリのチートですねえ」

「半信半疑だったけど、本当に全然視えないのね」

 カイから過去のスペシャルクエストについて聞き及んでいた暗器の面々は、驚愕しながらも近付く気配に向けて散発的に発砲し始めた。

 一体どこから湧いて出たのか。メフィル砦を囲むのは視えない敵だった。二度目のスペシャルクエスト、小雨の降るモノクロな街にて、バハムートの命を奪った不可視のナイフ遣いだ。

 作戦会議の際に決められた符丁はそのまま不可視インビジブル

「なんだと……?」

 戸惑うのはカンカラスである。先ほどカイから聞かされた体験談にはそこまで細かい説明はなかったからだ。それでも問うている場合ではない。インビジブルという名称から、このNPCは不可視である事は明らか。 迫る足音と土埃に向けて、SG552を連射した。何もない所に吸い込まれる弾丸だが、克明な手応えだけが命中を報せている。不気味で奇妙な感覚だった。

「来る!」

 距離を取って窺っているようだった複数の気配が、一斉に距離を詰めてきた。腹を空かせた肉食動物の檻に生餌を放り込んだかの如く、押し寄せてきた。

「円周防御ォ! 撃ちまくれえぇ!」

 センチピードの叫びを皮切りに、数秒前までは寂静じゃくじょうとしていた瓦礫の小山は、一瞬にして銃火に彩られる。事情を知らずにはたから見れば、虚空に向けて闇雲に弾丸をばら撒いているような、正気を欠いたかのような光景だった。

「痛った!」

 GGBが転倒した。その大腿部からは鮮血が流れている。揉み合っているのだろう、一人芝居のように、あるいはパントマイムのように七転八倒し仰向けになり、自分に馬乗りになっているであろう視えない何かにS&W M500の銃口を突き付けて撃鉄を落とす。ちょっとした爆発のような発射炎が銃口から迸り、何かに遮られるように四方に霧散。

 その近くに居たA・O社員はGGBの方に注意を取られてしまい、その一瞬の隙に接近してきたインビジブルに右の肩口を深く刺突され顔を歪める。なんとか振り払おうと藻掻いている内に、今度は背中に縦一文字の裂傷が奔る。驚きの表情が出来上がる前には腹部から出血。

 殺到だ。

 一体が作った隙を他の一体が突き、その一体が生じさせた死角を他の一体が利用するといった具合に、インビジブル達は数に物を言わせて、不可視である事を最大限利用して襲い来る。

 終に倒れ込んでしまったその社員には無数のインビジブルに群がり、視えない大型除雪車の回転ブレードに巻き込まれたかのように、切断された四肢と血飛沫が撒き散らされる。くぐもった悲鳴と呻き声が凄惨に響いていた。

「GGBを退かせ!」

 カイの声。カンカラスはその意図を察し、倒れたままのGGBの襟元を左手で掴み、片手でSG552を連射しながらカイの方へと引き摺った。

 カイは右手中指でSCAR-Hの装着型アッド・オン擲弾発射器グレネードランチャー、EGLMの引き金を絞った。

 前部銃床に取り付けられ弾倉部を包み込むように延長するSCAR用に開発されたEGLM。そのトリガーガード一体型の引き金はちょうどライフル本体の引き金の真下に位置するので、右手人差し指をライフルの引き金に、同じく右手中指をEGLMの引き金にとVサインの指を折り曲げたような独特な握り方をする事により、元来のアドオンランチャーのように握り直す必要はなく、片手が旗で塞がっている今の状態のままでも撃てるのだ。

 密封空間が開放されたような小気味良い発砲音。藻掻く社員の頭上にて空中破裂エアバースト弾のように炸裂する40ミリ榴弾。実際にはインビジブルに直撃しているのだが、不可視故にそのように視えた。

 爆ぜる灰煙を中心に明らかに破片に因るものではない土煙が点々と周囲に生じる。爆裂に引き千切られたインビジブルの身体が飛散しているのだ。もし視えているならば赤黒い血煙が霧のように辺り一面に充満しているだろう。カンカラスに引き摺られたままの姿勢だったGGBの腹部にその視えない身体の一部が載り、みっともない悲鳴を上げながら掃っていた。

 粉塵の下で社員は事切れていた。カイの榴弾に因るものなのか、インビジブルにやられたのかはわからないが、カイが撃たなくても手遅れだったのは明白であり、誰も責めようとはしなかった。

 旗を一旦地に突き立ててSCAR-HとEGLMを装填するカイ。AK-102を連射しながらセンチピードが背中を合わせてきた。額から血が流れている。

「よお、よおぉ! どうするよぉ。キリがないぞ」

 先ほどから相当数のインビジブルを撃ち殺しているが足音の数は減るどころか、むしろ一秒毎に増えている。まるで一つの意思を持った生き物がとぐろを巻くように瓦礫の小山を駆け回り、その中心のカイ達に向けて雪崩れ込む。

 気配という曖昧な手掛かり、具体的には足音や砂埃、転がる小石や倒れる若草等、そんな微細なものを頼りに戦い続ける難しさは過酷を極める。致命傷ではない程度の斬撃や刺突を受けてから、ようやくその接近に気付く場合も少なくなく、誰もが手傷を負い、血塗れだった。発砲される銃弾の内六割は目標を外れ、虚空や瓦礫を穿っていた。それでも四割の命中率を誇る彼らは驚異的と言えるが、どんなに贔屓目に見ても戦力差は明らか。すでに二名の暗器分隊員の命が奪われており、人数の減少に比例して防御能力も著しく低下する。弾丸だって時間に比例して減少する。すぐに限界が訪れるのは誰の目にも明白だった。

「森林に戻る! 突破口を開くぞ!」

 言って、装填したばかりのEGLMの砲口を森林の方角へと転じるカイ。センチピードとディスは瞬時にカイの言動の意味を悟り、他の者の援護を受けながら順番に手榴弾を投擲。

 手前の瓦礫上、小山の中腹、森林へと続く最短ルート上に投じられた二つの手榴弾。

 まず加害範囲キルゾーンぎりぎりというほどの手前に落下した手榴弾が炸裂し、その爆音に負けじとカイは叫んだ。

「走れえっ!」

 荒ぶる粉塵の中に飛び込むように一同は駆け出した。

 一塊の密集隊形で側面を外周側の者が、爆発により生じた突破口に新たに立ち塞がるインビジブルには前列の者がそれぞれ連射で薙ぎ払いながら走り続ける。手榴弾の爆風で撒き上がった砂塵を浴びた事により、最寄のインビジブル達の人型のシルエットが僅かではあるが露になっていた。疾走しながらという過酷な状況でも、何も視えないよりは遥かに照準し易い。

 煉瓦の垣を飛び越え、メフィル砦から脱したタイミングで、小山の中腹の二つ目の手榴弾が爆発した。

「止まるなぁ! 走れ、走れぇ、走れえぇ!」

 土砂を頭から被りながら、センチピードは次の突破口を形成するための手榴弾を投擲した。

 弾が切れたら中央の者と立ち位置ポジションを入れ替え、射撃と装填を交互に行う。それを繰り返す事により全員弾切れという絶望的な隙を生じさせないよう、継続的に周囲に弾丸をばら撒き続ける。

 そんな中で活躍するのが装弾数の多い得物を持ったフォックストロットとキロとリマの三人組トリオだ。

 フォックストロットは諸手に携えた二丁のP90をそれぞれ違う方向へと忙しなく振り回し、シャワーのように真鍮の空薬莢を撒き散らす。

「わっ。もうっ、薬莢が顔にぶつかったよ。クソ狐」

「そうだよ。邪魔だよ、クソ野朗。死ねばいいのに」

 キロとリマの非難の声。本来、利き腕を問わずに使用できるためと、このような事故が起きないために銃本体の下面に設けられたP90の排莢口イジェクトポートだが、撃ちながら振り回せば意味を成さない。フォックストロットは愉快気に頭を揺らす。

「いい気味ですよ、クソ双子のクソガキども。むしろわたくしの華麗なるガン=カタが間近で見物できる有り難さに涙を流してもらいたいぐらいです」

「よく言うよ。下手くその癖に。敵が近いから当てられてるようなものなのに」

「そうそう。敵が視えないからいいものの、実はほとんど外れてるんじゃないの」

 二人に残念な射撃能力を周知されていたフォックストロットは反論に詰る。

「う。それを言われると些かつらいものがありますねえ。言うよねえー、って感じです」

 そんなふざけた遣り取りをしながらも、三人の乱射魔トリガーハッピーは銃撃の手は緩めない。

 キロとリマが持つ特徴的な細長い形状をしたMG3軽機関銃が、ラッパ状の銃口から発射ガスと発射炎を激しく吐き出している。大型の工業機械が無数に稼働しているような独特な発砲音が絶え間なく轟く。

 MG3は第二次世界大戦時にドイツ軍に正式採用されたかの有名なMG42に多少の改良を加えた代物だ。電動ノコギリ・・・・・・の異名で連合国軍に恐れられた傑作機関銃が一世紀近く経った今でもほぼそのままの形で現役使用されている。

 電動ノコギリたる所以はその独特な発射音と、毎分千二百発という.30口径クラスの軽機関銃では破格な連射速度。その連射をまともに浴びれば、人間など容易く真っ二つになってしまう。

 フォックストロットを馬鹿にした二人だが、彼らも精確な照準など意の外。引き金を引きっ放しにして銃口を左右に振る。そんな出鱈目な射撃でも並外れた射速が可能にする弾幕は、さながら殺虫スプレーを吹き付けるが如く、インビジブルを寄せ付けなかった。

 三発目。先ほどセンチピードが投げ、小山の麓に落下していた手榴弾が炸裂。

 周辺に降り注ぐ砂塵の雨を浴び、小山を降り切った草原にも重なるように立ち並ぶ人垣のシルエットが現れた。

「くそっ。草原まで包囲されてるのか」

 カンカラスは、いつの間に拾得したのか、最初に殺害されたA・O社員が持っていたレミントン ACR突撃銃に同じく拾得した弾倉を叩き込みながら悪態を付く。弾が切れたSG552だが、借り物であるため捨てるわけにもいかず、スリングで背に回してあった。

「ちょっと不味いわね」殿を務めていたディスはバックステップで隊に追走しながら、追い縋るインビジブルに掃射を浴びせていた。「残弾数が半分を切った。森林まで辿り着けるかしら」

 そして物欲しげな視線でカンカラスを一瞥。それに気付いたカンカラスはディスに幾つかの弾倉を投げ渡す。

 A・O社部隊は全員が主武器、副武器ともに同一のものを使っていた。マグプル MASADAのレミントン社モデル、レミントン ACRである。部隊内で共通の武器を持つ事により弾倉やパーツの共有化を図るためだ。

「サンキュー。……余計なお世話かもしれないけどさ。さっきのグレネードランチャーの時といい、あなた連携に向いてると思うな」

 カイがEGLMを撃とうとした時、カンカラスは加害範囲内からGGB引き摺り出した。カイの意図に逸早く気付いたのはカンカラスだった。

 とことん連携が不得手とは思わないが、自ら進んで行うほど得意ではない。それがカンカラスの自己評価だった。そして何より煩わしいと感じていた。だがそれは食わず嫌いだったのかもしれない。このスペシャルクエストで何人ものプレイヤーと共闘しているが、煩わしいとは一度も感じなかった。

 それは今この場にいる者達が一人の漏れなく生粋のFPSプレイヤーシューターだからかもしれない。性格や趣味嗜好は異なるが、芯の部分では同類なのだ。つまり同志。いや、そんな綺麗な言葉は彼らの関係に相応しくない、同じ穴の狢と言った方が適切だ。

 そしてその狢の一人の久しい声がカンカラスの耳を打った。

『カンカラスさん。それは一体何してるんですか? 教えてください』

「あんたは、ジャミか!? 生きていたのかっ」

 驚嘆と同時に、ジャミの言葉の意味を察して周囲に視線を配る。ジャミは何処かからこちらを視ているのだ。

「視えない敵に囲まれてる。今どこに居るんだ?」

『視えない敵……。ま、驚きませんよ。こちとらこのクエストが始まってから、信じられない事をいっぱい体験してるから』

 酷く平坦な声色で喋るジャミだが、突如として豹変する。

『そんな事よりッ! それは・・・いったい・・・・なにしてるんだよッ・・・・・・・・・!?』

 恫喝染みた詰問を受けて、カンカラスは痛感する。

 ジャミは旗の事を言っている。盾が必死に戦っている時に秘密裏に前進して旗を攫う暗器分隊。それを最初に発見した時のカンカラス同様、暗器に憎悪を抱いているのだ。


 たった一人で北へと進み続けていたジャミ。焼け野原を横断し小川を渡り、薄の草叢を往く途中で、北から近付く敵の大群に気が付いた。咄嗟に身を隠し、もう駄目だと諦め死を覚悟したが、大群は南へと過ぎ去っていった。

 そこで殺されていた方がましだったかもしれない。敵は単に気付かなかっただけなのだが、不安定になった精神は常識的な思考を奪う。自分は取るに足らない存在だと、敵からも蔑ろにされていると、より一層情緒を乱し孤独感を強める事になった。

 旗を収得し敵に一矢報いるという執念さえも忘れかけ、半ば惰性のように草原を走り続けた。

 敵の旗がある小山が視えてきた時、不意に銃声が聴こえた。有り得ないはずの北からの戦闘音だ。そしてほどなくして彼の視界に飛び込んできたのは、周囲に銃を撃ちまくりながら小山を駆け降りる一団。

 その中心では黒尽くめのプレイヤーが片手に旗を持っていた。

 ジャミが、みんなが目指していた旗を、騙した味方を囮にしてこっそりと近付いたであろう泥棒のような集団が掲げている。

 裏切りとも言うべき行為であった。

「許せないよ。……許せるわけがない」

『……気持ちはわかる。俺も最初は憎かった。だが全ては勝つためだ。わかってくれ』

 カンカラスの言葉は、ジャミの心に届いているのか。

 二脚に据えたM60E4軽機関銃の銃床を肩に当て、頬を圧し付け、四角い枠型の照門の中に遠方を走る一団を捉えた。テロリストのような目出し帽を被った旗を持つ男に、据わった眼差しで照星を重ねる。


 見付けた。

 南南西。カンカラス達から見て二時方向に三百メートル。目指している森林の始点からちょうど真西に位置する若干隆起している丘にて、伏せてこちらを窺っている人影があった。ジャミだ。

「――――! くそっ!」

 否、最早味方ではない。伏射ちで機関銃の銃口を向けてくる、排除しなくてはならない敵影だった。

 カンカラスは反射的にACRを跳ね上げる。しかし、インビジブルに囲まれているので脚を止めるわけにはいかず、全力疾走に近い状態での照準だ。更には不慣れなホログラフィック・サイトが搭載されており、三百メートル先に命中弾を送り込めるとは到底思えなかった。

 ジャミが真っ先に狙うとすれば旗を持つカイ以外考えられず、そしてカイだけは死なせるわけにはいかない。

 カンカラスは一度脚を止めてジャミを撃ち倒す事も考えた。その刹那後に隊列から離れた自分がインビジブルに引き裂かれる事になろうとも、それが最も合理的だと理解している。だが、心のどこかにあるジャミへの期待がそれを渋らせていた。

「頼む、ジャミ。勝つために――――」

 ジャミのM60E4の銃口から白煙の混じった鈍い発射炎が瞬き始めた。

 暗器分隊の周囲で次々に地が弾け、細かな土砂が噴き上がる。砂塵を浴びて晒されるインビジブル。直撃弾を受けて転倒するインビジブル。カイ達を狙った銃撃でないのは明らかだ。

「なんだあ!? 援護射撃だとっ!?」

「あそこだ。M60ピッグの銃声だな」

 カイが指し示す方向を防御の手を緩めずに皆が交代で一瞥する。

『勝つために、ここから援護します。勝つために・・・・・。絶対に基地まで持ち帰ってください』

 ジャミの声は脱け殻のような先とは違い、感情を取り戻していた。

 カンカラスはジャミが見てくれているかわからないが、大きく頷いた。

「ありがとう。……これが終わったら、また会おう」

『……ええ。また遊びましょう。クラッチのルームへ招待しますよ』

 進むにつれ、進行方向に立ち塞がるインビジブルの数は減少していった。森林の目前にまで達した時には、もう前方に気配は見受けられない。ジャミからの援護射撃も、暗器分隊の背後、通り過ぎた直後の地を撃つように変わっていた。インビジブルの包囲網を突破したのだ。

 しかし、駆け足の速度を緩めるわけにはいかない。まだ無数のインビジブルに追われているのだ。

 樹々の間に飛び込む一同。

 しかし、数人の者が森林の入り口で立ち止まり、振り返り、差し迫るインビジブルの大群と正対していた。

「おい! 何やってんだ」

 それはキロとリマ、GGBだった。

「あんな物騒な連中をハーメルンよろしく引き連れて、入り組んだ森をピクニックしたくねえだろ」両手に握った回転式拳銃の撃鉄を起こしながら、GGBは横顔を振り向けて不敵に笑う。「行けよ、ブラックレイ。援護してくれてるランボー野朗と一緒に、ここで俺達が食い止めてやるぜ」

「そうそう。だから速く行ってよ。エクスレイのお兄ちゃん」

「そうだよ。速く行って。追い付かれちゃうよう」

 沈黙する一同だが、その逡巡は一瞬。

「……わかった。頼むぞ」

 轟き始めた銃声に背を押されるように、森林の奥深くへと突き進んでいく。

「メイ……」そう呟いて、不安げに後ろを振り返るセンチピード。「まったく、カッコつけやがって、馬鹿」

「メイ?」

 カイは聞き覚えのある名に首を傾げる。長瀬の親友である内向的な眼鏡の少女。彼女の名前が朋絵メイだった。

 センチピードは「ヤベッ」、と口を手で押さえるが、すぐに観念したように苦笑した。

「いやあぁ、きつく口止めされてたんだけどさぁ。実はあれ、メイなんだよぉ」

「……アレ?」

「いや、だからGGBがさ」

「……は?」

「いやいやぁ、信じられないかもしれないけどぉ、GGBのプレイヤーはメイなんだってぇ」

「……はああ!?」

 衝撃的過ぎる告解。

 しかし、よくよく考えれば思い当たる節もあった。昨日部屋でカイのステータス画面を映したモニターを長瀬だけでなく、朋絵も興味深そうに覗き込んでいた。False Huntのプレイヤーでない限りそんなものに興味を示さないだろう。そして、大学の食堂で長瀬にカイである事を問い詰められた際、朋絵は不思議がるわけでもなく、長瀬を止めようとおろおろするでもなく、沈黙したままじぃっとカイを凝視していた。

 カイに遭遇した時にその声を録音し、センチピードなる長瀬に聴かせたのが、GGB、つまり他でもない朋絵だったのだ。

 ユーザーの容姿を取り込んで操作キャラクターに反映させる事のできるFalse Huntだが、それは強制ではなく、元来のゲームのように自由自在にメイキングする事もできる。性別でさえも。そもそもリアルの顔をそっくりそのまま使うプレイヤーの方が少ない。自分の顔をベースに多かれ少なかれ手を加えるのがトレンドだった。

 邪悪で自己主張の激しい髑髏のPKが、その実、内向的眼鏡少女だったとは。懸け離れたと形容するにも余りあるギャップ。

「そのギャップがまた萌えるだろぉ? 一応かなーり厳しく口止めされてたからさ、GGBには内緒な」

「いや……お前の萌えのポイントは理解できないし、つーかそこまで口止めされてたならもっと粘れよっ。諦めるの早過ぎるだろ」

 カンカラスに裏の事情を説明しなくてはいけなくなった時といい、センチピードは口が軽いのかもしれない。というかおっちょこちょいだ。そんな彼女に洗いざらいぶちまけてしまった事に、カイは今更ながら僅かな羞恥心と一抹の不安を覚える。

「うん、まあ、そうだなぁ。ハハハ……」

 心なしか渇いた笑いを発するセンチピード。彼女は昨日の出来事を思い出していた。

 昨日、カイの自宅を訪れた時、そもそもなんで長瀬と朋絵がカイのアパートの住所を知っていたのか。カイは友人を部屋に招いた事がないらしく、学友達に訊いても住所まではわからなかった。個人情報厳守のこのご時世、大学側に問い合わせるにしても然るべき理由が必要になる。

 ではなぜか。それは、予てから朋絵がカイを尾行していたからだ。所謂ストーキング行為である。昨日、まるで通い慣れている・・・・・・・という風にカイのアパートのドアの前まで案内して見せた朋絵メイ。どうかしたの、と虫も殺さぬような無垢な表情で小首を傾げる朋絵に、長瀬は冷や汗が止まらなかった。シャイキャラでありヤンデレであり、ゲーム内ではツンデレ。そのハイブリッドは長瀬に次世代を感じさせたという。と、流石にそこまでカイに教える気はない。知らぬが仏である。

「迎えは今どの辺り?」

 背後からのディスの問いに、センチピードは頷く。

「ああ、見付からずにうまく進めたっぽいよ。もうすぐ着くってさぁ」

 森林を進み続ける。と、ほどなくして、草原の方からの機動車の呻るようなエンジン音が皆の耳に届き始めた。西に進んで森林を抜ける。ちょうど二輛のハンヴィーが南の稜線から跳ねるように現れる姿が、一同の視界に飛び込んできた。

 急ブレーキを掛け、慣性に従って地を滑る車体が土煙を撒き散らし、カイ達の目の前で停車する。一輛はM134ミニガンを、もう一輛はMk19自動擲弾発射器グレネードマシンガンをルーフに搭載していた。

 腕を伸ばして助手席のドアを開け放ったビークルカンパニーのドライバーが不敵に笑う。

「へい、帰りの足を探してるんだってな? 乗れよ」

「へいじゃないってのぉ。たくぅ、こっちは死ぬおもいで辿り着いたってのによぉ」

 苦笑するセンチピードを先頭に、暗器の面々は二輛に分乗した。

 途端、二輛のエンジンが獰猛に吠え立て車体が180度反転。南へと頭を向け、全速で発進する。

「たく、はこっちの科白だぜ」ドライバーが助手席に座ったセンチピードを横目で睨む。「散々お預けくらった挙句、秘密部隊の足とはね。仲間達に知られたらボロクロに言われちまうよ。いい貧乏くじだ」

「そう言うなってぇ。旗の護送なんて、勝利に直結する栄えある役割だぜぇ」

 文句を言うドライバーだが、センチピードの言う事も理解しているのだろう。言葉とは裏腹に別段悪い気はしていないようだった。

「よく敵に見付からなかったな」カイは訊ねながら中央の銃座に座り、天井のハッチから旗を突き出す。「戦線はどんな様子だった?」

「ああ、俺らもひやひやしてたんだけどよ。なんか……それどころじゃないって感じだな」

 そこでドライバーは振り返る。笑顔と呼ぶにはあまりに歪な、唇の片端が引き攣ったような表情だった。

「恐ろしいほど、愉しそうな事になってたぜ」



 てらてらと脂光りする臓物に黒ずんだ土が塗されている。

 砲弾の直撃によって大地に穿たれたクレーターのような爆発孔の中、零吟は隣で事切れる女性プレイヤーの遺体を見詰めながら、子供の頃に食べたケーキを思い出していた。うつ伏せで倒れ、内側から破裂したような背中の裂傷に降り積もる土が、苺の入ったチョコレートケーキを彷彿とさせたのだ。

 ハンヴィーでフェンリルに向かって決死の突撃を敢行した零吟だが、奇跡的に一命を取り留めていた。ドライバーは死亡していたが……。回復してきた四肢を動かして、ハンヴィーのハッチから這い出した頃には、基地にて補給を終えた盾の残存部隊が再び北へと進行しており、彼らと合流し例の尾根に達して、今に至る。

「ほら、悪いね。ちょっと退いてや」

 零吟はそのプレイヤーの遺体を退かして、下敷きになっていたAT-4ロケットランチャーを掴み上げる。血に溶け泥となった土でおぞましく汚れていたが、気にしている場合ではない。

 膝立ちになり、肩に担ぎ上げ安全装置を外し、ちっぽけな照準器を覗き込み発射レバーを押し込んだ。

 射出された光弾が向かう先は、尾根から二百メートルに迫ったロシナンテと、その背後に控えるシャープシューターの分隊。ロシナンテの足元に着弾、炸裂し爆炎を伴った土砂が噴き上がる。AT-4のHEDP弾は対人用ではなく、対構造物や対バンカー用なのだが、それでもその近接爆発は人間を吹き飛ばすには余りある威力。数体のシャープシューターが爆煙に巻かれ、引き千切れるのが見えたが、しかし、ロシナンテだけは何事もなかったかのように、悠々とした足取りで尾根に迫る。

「畜生めッ」

 白煙を吐く使い捨てであるAT-4を投げ棄てながら、零吟は伏せた。途端、幾重もの空気を切り裂く音と、土を抉る破裂音。僅かに遅れて軽機関銃の絶え間ない銃声が聞こえてくる。頭上では曳光弾の光の筋が橙色に瞬いている。ロシナンテの持つHK21による銃撃だ。シャープシューターも発砲しているのだろうが、専用の亜音速弾を放つVSSヴィントレスに銃声はない。

「厄介なタッグやのお……。まともに攻撃できんわ」

 先の戦いのように、ロシナンテだけならば、ある程度は余裕を持って集中して攻撃する事ができた。しかし、その背後にシャープシューターが控えているとなると、余裕など皆無。数発の銃弾、一発の砲弾を放った直後に伏せなければ、隣の女性プレイヤーのような骸を晒す事になる。

 しかし、プレイヤー側も先とは違う。

 南の遠方から、巨大な獣が喉を鳴らす雷鳴のような音が轟き。数秒後、大気を劈くような落下音を伴って大地を揺るがす発破が生じる。

 零吟が頭を出して見ると、先ほど攻撃を仕掛けたNPCの一団の周辺で、火山の噴火のような爆発が立て続けに起きていた。最早シャープシューターの姿は影も形も見当たらず、ロシナンテでさえ、数発の近接着弾を受け、ダメージ蓄積が限界に達したというように膝を折って倒れ込んだ。

 基地の99式自走155ミリ榴弾砲からの曲射砲撃だ。誰かが積極的に弾着観測手スポッターを務めているのだろう。その砲撃は精確であり効果的だった。

 そして零吟は頭を出したまま、眼下の光景に思わず見蕩れて・・・・しまう。

 戦争。

 その言葉が意味するのが、持つ者による持たざる者へと一方的な攻撃へと変わってしまった現代。持つ者の被害者が数千で、かたや持たざる者の被害が数十万。持つ者達は悲惨なものだと涙を飲み、持たざる者は激情に駆られ、一矢を報いるつもりでテロルを起こす。それら全てが経済的に調整され、どこかの誰かが命を落とす事により、どこかの誰かが至福を肥やしている。

 しかし、今、眼下で繰り広げられるその光景は、打算も何もない、調整もくそもない、まさに力と力の衝突、本気と本気のぶつかり合い、本物の、正真正銘の戦争だった。

 90式戦車とプーマ歩兵戦闘車か成る戦闘車輛部隊が、縦横無尽に焼け野原を駆け回り、その砲口は絶える事なく火を噴き続ける。AH-1Z バイパー攻撃ヘリコプターが所狭しと空を飛び回り、ロケットとミサイルの雨を地上へと降り注いでいる。

 そして、無人特殊戦闘車輛フェンリルが、笑えてしまうほどの有り得ない挙動で疾駆し、跳躍し、野獣の咆哮を轟かす。

 無数の銃弾が飛び交い、数多の砲弾が爆ぜ、ミサイルが上へ下へと白煙の尾を描く。

 戦車が大破し、歩兵戦闘車が黒煙を噴き、攻撃ヘリコプターが落ち、フェンリルが突っ伏す。

 そこここで一秒毎に命を懸けたドラマが生じている。

 尾根の頂上にて防衛戦を張る歩兵部隊と、基地の砲撃部隊大鎚でロシナンテとシャープシューターを、戦闘車輛と攻撃ヘリコプターの機械化部隊で尾根の麓に広がる焼け野原に展開しフェンリルを、誰かからの指示があったわけではないが、自ずとそのような役割が決まり、皆がそれに徹してる。

 ビークルカンパニーを主とした空と陸の機械化部隊は互いに巧みに連携する事により、効率的にフェンリルの群に損害を与えている。だがしかし、それ以上に、フェンリルは彼らを破壊している。

 現在、フェンリルの総数は九体。六体の破壊に成功しているが、機械化部隊の戦力は当初の半分を切ろうとしていた。残存戦力と言ってしまっても大袈裟ではないほどに、消耗している。

 戦況は拮抗していない。プレイヤー側の不利は明らか。負け戦だ。そんな事は誰もがわかっていた。敵の戦力を見た時点で理解していた。けれども攻撃の手は緩めずに、余計な事など考える暇もなく、狙いを定めた敵を破壊する事のみに、集中し、熱中・・していた。

 最初は偶然だった。

「……嘘やろ」

 ふと、零吟はマップ画面を開いてしまった。こんな状況でマップ画面を開く必要性は皆無であり、それは誤操作によるものに違いなかった。慌てて閉じようとしたが、しかし、そこに映るものを見て、眼を疑い、硬直してしまう。何かの誤りだろうと、あるいは眼の錯覚だろうと、マップ画面を閉じ、もう一度開いて見るが、やはり、そこには有り得ないものが映っていた。信じ難い現象が起きていた。

 移動している。敵方の旗が、こちらに向かって、東側の森林の縁に沿って、凄い速さで南下しているのだ。

 零吟は弾かれたように立ち上がり、マップが示す方向を見る。

「嘘やろう……」

 そしてもう一度呟いた。

 尾根の東側にいた零吟の右前方、遠方から、二輛のハンヴィーが向かって来ていた。

 高低差の度に浮き沈みを繰り返す二輛。その後ろの一輛、屋根のハッチから突き出された旗の純白の反物が風に弄られ激しく揺れているのが、はっきりと見えた。

「は、ははははは。マジかいな……。嘘やろ嘘やろ嘘やろうっ。ほら、ほら、見てみいや」

 笑いながら女性プレイヤーの遺体の肩を叩く零吟。

「あ、れ……? う、ウソやろう――――」

 しかし、不意に豹変する戦場の雰囲気に、凍り付いた。



「え……? なに?」

 90式戦車の砲主席で、テールは眉根を寄せた。

 こちらに向かって突進していたフェンリルが、ぴたりと、硬直したのだ。

 いや、それだけではない。既存する全てのフェンリルが、ロシナンテが、シャープシューターが、時が止まってしまったかのように固まっていた。

 しかし、その奇妙な硬直は一瞬だった。

 途端、全てのNPC部隊が、東側へと頭を向け、そちらに向かって駆け出した。

 つい刹那前まで、真正面からぶつかっていた強大な敵が、突然、他所へ向けて脇目も振らずに疾走していくのだ。皆が呆気にとられていた。

「どうなってるの?」操縦席のレッドハンドルも怪訝そうな声を上げる。「逃げ出したってわけじゃないよね……」

 何気なくマップ画面を開いて、テールは目を剥く。

「――――え。これって」

 敵の旗が、自分達の東側、森林の縁を尾根に向けて移動しているのだ。

 その時、乗る造の死後、彼に代わりボイスチャットを繋げておいたある人物の声が耳を打つ。

『VCマスター、こちら鎧。我々は旗の掌握に成功した。旗を護送する部隊が現在、縦軸H横軸3の付近を南下中』  

 それはウィスキーの声だった。

「な、なんですか、それ!? どういう事です!?」

 激昂するテール。どういう事かと問うたが、訊くまでもなくすでに察していた。

 盾は、旗を収得する秘密部隊のための囮だったのだ。その存在はテールには知らされておらず、そしておそらく乗る造にも知らされていなかったはずだ。騙すような真似をされて、穏やかでいられるわけがない。

『……敵が彼らに喰い付いてしまった。既存する全部隊は彼らの護衛にあたってくれ』

 ウィスキーは淡々と繰り返すが、その声には確かな感情が滲んでいた。

『黒い凶戦士を死なせてはならない。繰り返す、エクスレイを護ってくれ……!』

 ウィスキーはカイをエクスレイと呼んだ。

 それは高圧的な指示ではなく、打算的な指図でもない。

 ただただ静かな、痛切な懇願だった。




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