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False War  作者: IOTA
37/43

False War 10-7




 攻撃ヘリコプターが出現する数分前。

 カンカラスは目の前の人物に向けてSG552の銃口を据えていた。だがそれ以上、動かない。動けない。瞬きすら許されないほどの緊張感に充ち満ちて、今にも弾けそうだった。

 カンカラスにも銃口が向けられていた。その数は六つ。

 オーバーオールタイプの紺色のフライトスーツを着た、双子のように似た二人の子供が体躯に不釣り合いな軽機関銃を左右の斜め下から。顔面に髑髏のフェイスペイントをあしらった長身痩躯の男が巨大な回転式拳銃を左から。白色の戦闘服に狐の鉄仮面を被った男がブルパップ形状の短機関銃を両手に一丁ずつ持って右から。カンカラスは銃口に囲まれていた。

「銃を下ろしな。あんたがやってる事は洒落にならないんだよぉ、マジで」

 そして黒い革のジャンパーに短髪の女性プレイヤー、センチピードが正面から突撃銃を向けていた。

 物音のする方向に進んでいたカンカラスは、藪を抜けた出合い頭に集団と遭遇。驚きのあまり、反射的にSG552を跳ね上げ照準してしまった。それと同時、最寄に居た者達に銃口を突き付けられた。

「そういう事か……。俺達は、盾は囮だったんだな」

 センチピードが持つ突撃銃、AK-102の銃口をまともに覗き込む形のカンカラスは、しかしまるで物怖じせずにSG552の照準器越しに一人のプレイヤーを睨み付けていた。

「答えろ。黒い凶戦士ブラックレイ

 膝や肘にサポートパッドが巻かれたBDUバトルドレスユニフォームの上に大量のマガジンポーチと手榴弾が装着されたタクティカルベスト。腰にはグレネードランチャーの40ミリ擲弾が連なって織り込まれたベルト。右大腿部のレッグホルスターは自動拳銃を飲んでいる。装具そのものは、いささか重装備ではあるが、一般的な特殊部隊員風であり散見される物だったが、それら全てが病的なまでに暗黒一色であり、同じく暗黒の覆面バラクラバを見紛うはずがない。

 それは、黒い凶戦士ブラックレイ単独多殺アローンオーバーキルといった複数の異名を持ち、嘗てはX−RAYエクスレイと呼ばれていたプレイヤー。そして今回のスペシャルクエストの当選者であり、一連の騒動の中心に居る人物。カイだった。

 カイの表情は覆面をしているのでわかり難いが、それでも暗黒にぽつりと覗く双眸と口元を見るだけで、何やら面倒くさそうな顔をしているのは明らかだった。

「一人か?」

 カイからの問い掛け、カンカラスは自分の問いが無視された事に眉間に深く皺を刻む。緊張感を加速させる不穏な沈黙が流れる。

 しかし、不意にカイはカンカラスから視線を切り、北へと駆け始めた。

「おいっ。待て」

「待たねえよ。暇じゃないんだ」

 足を止めずに進み続けるカイ。だが今度は髑髏のフェイスペイントの男が制止の声を掛ける。

「ブラックレイ! こいつ、ここで殺ってまおう」ガチリと、リボルバーの撃鉄が起こされた。「チクられたら面倒な事になるぜ」

「構うな。時間がないんだ。急ぐぞ」

「だってさ。大将がそう言ってんだ。とっとと行こうぜぇ」

 言って、カイに追従するセンチピード。

 髑髏の男は舌を打ち、他のプレイヤー達も銃を下げ、カイの後を追う。双子のような二人が去り際に振り返り、悪戯っぽく笑いながら人差し指を小さな唇に重ねた。

「しー。内緒だよ」

「そう、内緒。わたしたちは秘密部隊なのだ」

 毒気を抜かれたカンカラスは沈黙するしかなく、SG552を下ろした。と、そこでカイの後を追わずにその場に留まる数名に気が付き、その中の一人を見て目を剥いた。

「お前は、ディス?」

「ハァイ。また会ったわね」

 それは軽装にタクティカルベストというPMC(民間軍事会社)のような格好をした女性プレイヤー、ディスだった。カンカラスの顔見知りであり、ロイ・トイのタワーにてクエストエントリーを行う際に遭遇しているが、それ切り見かけることはなかった。

 周囲には彼女のチームである四名のプレイヤーが控えており、多少の違いはあれど皆が等しくPMCスタイルだ。

「あなたの事だから、例の如くソロプレイなんでしょ?」

「……」

 カンカラスの無言を肯定と受け取ったのか。ディスはチームに前進の合図を送ると、自身も進みながらカンカラスを手招きした。

「だったらリークの心配はないわよね。見付かったのがあなたでよかったわ。説明してあげるから、とりあえず追いましょう」

 カンカラスは無言のままディスと並走する。前方の黒い背中に鋭い視線を向けながら。

 ディスから説明を受けるが、説明されるまでもなく、こんなマップ最東の森林に彼らの姿を認めた時点で理解していた。だからさっきも条件反射で行ったに過ぎないはずの照準を、解こうとはしなかった。

 盾は囮だったのだ。全てはカイ達を隠すための陽動。

 ウィスキーは盾を攻撃と防御の要と説明していたが、あれは嘘だ。盾に期待されていたのは敵と真正面からぶつかり進退両難の長期に渡る消耗戦であり、攻撃の本命はマップの隅である森林のルートを秘密裏に移動するカイ達だったのだ。

 なればこそ、まるで本気を出していないようなウィスキーの態度にも説明が付く。ウィスキーが挟撃を予想していたにも関わらず、それを盾に知らせなかったわけ。それは陽動であり、時間稼ぎのためだった。

 策士の二つ名を持つほど指揮作戦に長けたウィスキーが本気で盾を進軍させようと協力的に逐一情報を提供し、積極的に指揮を執っていれば、なるほど盾は軽微な被害の内に更に北へと進めたかもしれないが、それは一時的なものだ。プレイヤーの進攻により追い詰められた敵がどんな対抗策を送り込んでくるかわからない。それこそ一瞬で壊滅するような更なる脅威を送り込んでくるだろう。現に今、送り込まれた。フェンリルである。ならば、敵の手の予想が付く内は主力はあまり進攻させずに、あえて苦戦に持ち込む事で時間を稼がせ、決定的な一手を隠密に進めた方がいい。

「それが私達、隠密部隊。符丁は暗器。つまり秘密兵器シークレットウエポンね」

 盾、大剣、大鎌、大鎚、鎧に続き、もう一つの知られざる符丁。人目に触れないよう隠された、暗殺のための必殺の武器、暗器である。

 まさかこんな広大なマップを、しかも道の悪い森林の中を徒歩で横断するとは誰も思うまい。

「……敵を騙すには味方から、か」

「そう。それにね。あなただってカイに銃口を向けたでしょ。あなたはまだ話がわかる方だからいいけど、強いってだけの理由で集められたプレイヤーなんだから、そうじゃない連中も沢山いる」

「PK」

「あたり。ただ目立ってるからっていうだけの理由で引き金を切るような狂気で生粋のPKもいる。そんな連中の只中に彼を放り込むわけにはいかない」

「今回はマップ情報が少ないから露見せずに済むが、友軍の位置が全て表示される仕様だったらどうするつもりだったんだ?」

 今クエストでは各々のマップ画面に表示されるのは自分自身の位置と正対方向を示す矢印のシンボルマーク。それに両軍のフラッグの位置だけである。だが通常は味方の位置ぐらいは少なくとも表示される。そうなればいくら隠密行動を心掛けようともマップ画面を開けば一瞬で味方に発見され、策を読まれてしまう。

「あらゆるパターンに対応した策を考えてたみたいだよ。私には想像も付かないけど。その辺りは策士の面目躍如ってところね」

「ふん。作戦はないとか言ってた癖に、しっかり磐石みたいじゃないか」

 皮肉げなカンカラスの言葉に、ディスは微笑して首を横に振る。

「いいえ。ウィスキーからしたら、こんなの作戦の内に入らないみたい。あくまでも布陣の一環。戦闘隊形の延長線上でしかないらしいわよ。実際に始まるまでパターンの絞込みができない時点で、やっぱり作戦とは呼べないんでしょ」

「そうか。……それにしても、随分大事にされているみたいだな」

 カンカラスはカイの方向を顎で示す。カイの四周にはディスの部下が一定の距離を置いて並走していた。他の者達と比べたら少々過剰なほどに油断なく周囲に目を配っている。重要護衛対象プリンシパルを警護する構えだ。

「ええ。その通り」

 ――――彼は、絶対に、何があろうとも、死なせるわけにはいかないのだから。

 と、深刻な様子で力強く言い切るディスに、カンカラスは徒ならぬものを感じた。

「だから私達は雇われたの」

「雇われた? ゲーム内マネーでか」

 ディスほどのプレイヤーになれば、高報酬の高難易度クエストでも容易にこなせるはずである。そんなプレイヤーにとってゲーム内のクレジットなど桁が増え続けるだけの数値でしかない。現にカンカラスもそうだ。そんな物に食指を動かすとは思えない。

 ディスは意味深げに微笑むと、カンカラスの耳元に顔を近付けた。

「ここだけの話、リアルマネーで雇われてるのよ。ドルでね。ま、通常業務に比べたらお小遣い程度なんだけど」

「リアルマネーだと? それに通常業務というのはどういう意味だ」

「PMC、正式にはPMSCs、Private Military and Security Companiesなんだけど。なんで彼らが軍服を着ないか知ってる? それはジュネーブ条約に抵触するからよ」

 ディスの軽装を見遣り、言わんとしている事を察して固唾を呑む。

「私達は本物のPMSCsなの。企業名はアーマメント・オーダー。名刺を渡したいところだけど、持ち合わせがなくて」

 カンカラスは兼ねてからディスと彼女のチームが纏う、まるで本物の軍隊のような雰囲気を感じ取っていた。故に普通は信じ難いようなディスの言葉にも納得できた。

「このゲーム、False Huntは訓練にちょうどいいのよ。ま、半分は個人的に部下とやってる遊びみたいなものだけど」

 テレビゲームが軍事訓練に使用されるのは有名な話だ。実際に某大国は新兵獲得と訓練のために、訓練内容まで克明に表現し、オンライン対戦にまで対応した本格的なFPSの無料ダウンロードサービスを実施している。

 ゲームでは身体を動かした訓練はできない。だが銃弾飛び交う仮想の戦場で実際に銃を手に戦えるのだ。体力等は鍛えられないが、戦闘時に於ける個人の動き、隊員の動かし方など、ただ訓練では学べない事も多々ある。血の流れない実戦だ。それがこのFalse Huntのように、恐ろしいほどにリアリティに富んだ仮想現実ゲームなら尚更である。

「雇われたと言ったな。一体誰から。ブラックレイ自身からか?」

「こういう業務の場合、雇い主を言わないのが鉄則なんだけど、でもまあ、あなたのお友達でもあるだろうから、いいわよね。あんだーへぶんのマスターよ」

「@リンリン……」

「まったく、彼女は恐ろしいわね。私達だって自分達の素性は一応隠してるのに、いきなり『いくらでブラックレイのお兄ちゃん護ってくれるー?』なんて言い出すんだから。どこで知ったのやら」

「なんだぁ?」センチピードが速度を落とし、カンカラスとディスに並んできた。「あんたら、知り合いだったのかよぉ」

「ええ。彼は大丈夫。かなり強いしね。ミスタ・カンカラスよ。聞いた事あるんじゃない?」

「あー、あーあー。へー、あんたがあの。あらゆるクランからの誘いを頑なに蹴る上級プレイヤーなんだってなぁ。二つ名は“一羽鴉ローンクロウ”と命名しよう」

「ろ、ローンクロウ……」

 きっとカンカラスという名前の後半を鴉になぞらえ、一匹狼ローンウルフと掛けているのだろう。安直、且つ、劣悪な語感、それでいてそこはかとなくダサい。マジでやめて欲しいカンカラスだった。

「自己紹介した方がいいかぁ?」

 前方の面々を手で示しながら訊いてくるセンチピード。カンカラスは必要ないと首を振った。

 ソロプレイに徹するカンカラスだが他のプレイヤーに興味がないわけではなく、情報収集には余念がない。双子のように似た少年と少女、少年がキロで、少女がリマ。狐鉄仮面の男はフォックストロット。彼がラグ遣いという極めて特異な存在である事まで知っていた。情報を努めて収集しようとしなくても、嫌でも耳に入ってくるほどの有名人だ。フォネティックメンバーなのだから。

「よろー」と双子は声を重ねる。

「鴉と狐。なんだかあなたとは仲良くなれそうな気がします。以後お見知りおきを」と勝手な事を宣うフォックストロット。

 髑髏の男が何かを期待する目でカンカラスを見ていた。

「悪い。あんたは知らない」

「ああぁあぁん!? カオスインテルの斬り込み隊、ソード・オブ・カオティックを知らないとは言わせねえぜ! そしてその第六席、人呼んで、拳銃使いガンスリンガーのGGBとは俺の事よ!」

 GGBはホルスターから巨大なリボルバー、S&W M500を抜き取ると華麗にガンアクションを決めた。下半身は忙しく駆け足を続けたままなので些か間抜けに見えるのが残念だ。それにカオスインテル全体で第六席というのならばともかく、その中のいちチームで六席というのは威張れるほどの位なのだろうか。

「いや、本当に知らない」

 そしてカンカラスのリアクションも極めて残念だった。

「デジャビュ!? 第八話参照ぅっ!」

 なにわけかんない事言ってんだよぉ、とセンチピードは苦笑してから、改めてカンカラスを見詰めた。

「ま、ご覧の通り急ごしらえのタスクフォースだ。技量と度量があるのなら、歓迎するよぉ」

 度量……。初めは騙されていた事に嫌悪感を顕わにしたカンカラスだったが、冷静になってみればウィスキーのこの作戦を理解できるし容認もできる。未知であり、強力である事だけは確かな敵と相対する時、確実な勝利を狙うならば、馬鹿正直に真正面からぶつかり合うだけでなく、奇を衒った不意打ちを、裏をかいた奇策を用意しておいた方がいい。

 本気を出していないなどと勘繰ったが、ウィスキーは誰よりも勝利に真剣であり貪欲だった。約千名のプレイヤーを騙すような策を講じて、更に被害を度外視してまで暗器が前進するための時間を稼がせた。断腸の思いであったとは言わないが、そのプレッシャーは半端なものではなかったはずだ。

「ああ」カンカラスは頷く。「手を貸そう」

「よかった。で、別に責めようってわけじゃないんだけどさぁ。あんたは何でこの森に入ってきたの? あたし達の存在に気付いたってわけでもないんだろぉ?」

「……フェンリルから、逃げてきたんだ」

 重々しい口調で言うカンカラス。

「通信で盾は壊滅寸前だって聞かされたから、私達は急いでたわけなんだけど」ディスは南西、遠い戦闘音が断続的に響いてくる方向に視線を遣り、嘆息する。「やっぱりあっちはヤバイんだね」

「おい、カイ」センチピードがカイの背中に問う。「なんか弱点ないの? あんた一度ヤリ合ってるんでしょ?」

 その言葉に、カンカラスは俯き加減だった頭を起こし、カイを見る。

「弱点なんてなかった。ただアレの脚は恐ろしく硬い。攻撃が通じるのは本体だけだろう」

 何食わぬ口調でそんな事を答えるカイに、カンカラスは思わず語気を荒らげてしまう。

「おいッ。ちょっと待て。どういう事だ。何でそんな事を知っているんだ。一度ヤリ合ってるだと? フェンリルが登場したのは、今回が初めてじゃないのか」

 カイの過去を知らないカンカラスからしたら、それは当然の疑問である。

「……」沈黙する一同。センチピードは失敗した、という風に舌を打ちつつ頭を掻く。

 カンカラスは、以前にカイがフェンリルと戦ったという話が、この一連の騒動の所謂いわゆる舞台裏と関係している事を察した。それはつまり、カイがスペシャルクエストの招待を受けるに至った理由。カンカラスの知らない所で起きていた重大な何か。ウィスキーが仄めかしていた事件云々。

「……頼む。教えてくれ」

 カンカラスは真剣な、いや、深刻な表情で頼んだ。ただの裏の事情ならカンカラスはここまで真剣に聞き出そうとはしなかった。だが以前にもフェンリルが登場していると聞かされたら、引き下がるわけにはいかない。フェンリルが関係している事柄なら、土下座してでも聞き出さなくてはならない。興味本位の願望ではなく、心を縛る鎖のような、絶対の義務だった。

「頼む。誰にも言わないし、訊かれても答えない。だから頼む」

 静かな、けれども切実に繰り返される懇願。

 カンカラスは誰というわけでもなく、この場に居合わせる皆に向けて頼んでいたのだが、

「わかった」カイが口を開いた。「けどこんな状況だから、簡単にしか説明できないぞ」

 まるでそれが自分に科せられた責務、犯した罪への罰だと言うように、カイは自ら淡々と語った。

 前置きの通り、カイの説明は簡素だったが、事の重大性を理解するには十分だった。

「………」

 語り終え、以降閉口するカイの後頭部をカンカラスは見詰めていた。話を聞いた後でも、なぜ自分の勤めていた企業で研究開発中だったフェンリルがこのゲームに登場するのか、それはわからないままだったが、それよりももっと重大で聞き捨てならないある事柄に、カンカラスの思考は囚われていた。

 スペシャルクエストで死亡すると、催眠にかけられて自殺させられる。

 自殺。

 カンカラスは自殺した友人の事を思っていた。当然、フェンリル実現のために生きてきたと豪語する友人が、その夢が潰えた時に受けた絶望は計り知れないものだっただろう。自殺するほどの絶望だったのかもしれない。だが、友人の自殺となぜかフェンリルが登場するこのゲーム、両者を一切関係ない事象であると割り切る事はできなかった。

 そして、

「わかったでしょう」ディスは囁くように言う。「彼、カイを死なせてはならない理由が」

 そう。カイに届いたという当選メールの文面曰く、カイだけが今もリアルの死を孕んでいる。

 すでにこのクエストで死亡したプレイヤー達の安否は、方々のメディアで確認済みらしい。それも文面通りだ。スペシャルクエストの特別な仕様の適用外だという。ディスもセンチピードも、カンカラスも、カイ以外はみんな、死亡しても普通のクエスト同様、観戦するかタウンに戻るかを選ぶだけでしかない。

 だがカイだけは、ここでの死亡がリアルの死に直結している。

 カンカラスは先ほど自分がカイに銃口を向けてしまった事を思い出し、血の気が引いた。その時のセンチピードの言葉、マジで洒落にならない、というのはそういう理由からだったのだ。

 あの時、恐怖するでもなくただ鬱陶しそうにカンカラスを見ていた洞のような双眸。

 今も躊躇いなく駆け続ける暗黒の後姿に、カンカラスは背筋が寒くなるのを感じた。

 

 次第に薄の姿が目立ち始め、ほどなくして薄は背の丈ほどに繁茂するようになる。そこを抜けると視界が不意に開け、小川が現れた。

「よっしゃあぁ! 五分の四は進めたぞぉ! ここまで来れば敵の基地まで目と鼻の先だ」

 センチピードの言葉を受けて、フォックストロットが愉快げに頭を揺らす。

「ここから先はまったくの未知。敬愛なる盾の大きい友達諸君もこの小川から先は進んでいないようですしねぇ。この小川は、言うなれば敵勢力の支配地域を線引きするボーダーライン」

「戦闘準備ね。それとブービートラップにも要注意。行くわよ」

 ディスの掛け声に皆が小川を横断し始めるが、カイだけは立ち止まり、川の水流を凝視していた。

 川の水は斑に赤色がかっていた。上流での戦闘がいかに激しかったかが窺い知れる。

 あの川に似ている、とカイは感じていた。虎サンを失った戦場である。しかし共通点を強いて挙げるとすれば、浅いという事だけであり、川幅は全然違うし、薄の草叢に挟まれている等、地形的にも違う。第一ここには橋がない。

 空になったプラスチック製のマガジンが流れてきて、カイは何気なく西の上流側に目を遣った。

「――――」

 そこには、黄色と黒のストライプ柄の戦闘服に、同じパターンのバンダナ。サングラスのようなゴーグルをかけた壮年の男が、蹲っていた。

 彼から流れ出た血が、川を赤く、紅く、染めて――――。

「エクスレイのお兄ちゃーん」

 声に、カイは顔を正面に戻す。キロとリマが不思議そうな顔で小首を傾げていた。

「早く行こうよ。ここ目立つから」

「うん。目立つから、見付かっちゃうよう」

 カイは生返事をしながら、川へ足を踏み入れる。もう一度上流を見るが、そこには何もなかった。

 川を渡り切った所で再び足を止めるカイ。空を仰ぎ見て、センチピードに告げる。

「ヘリだな。鎧は何か言ってるかい?」

「はいぃ? ヘリなんて」

 センチピードの言葉の途中には、皆の耳にも微かなヘリコプターの羽音が届き始めた。

「ほんとだ。よく聴こえたねぇ。ちょっと待ってぇ」

 言って、センチピードは耳元に手を当てた。この暗器分隊では彼女がラジオマンの役割を務めている。

「攻撃ヘリが出現したんだって。フェンリルと交戦中。戦況をなんとか立て直しつつあるってよぉ」

「んっふっふ。ヘリが出たとなっちゃあ、その多脚戦車がいくら強かろうが楽勝だな」

 GGBの楽観した言葉に、カンカラスは首を横に振る。

「いや、どうだろうな。フェンリルは対空戦闘も想定して造られてる」

「ああん? なんで手前がそんな事知ってんだよッ」

「いや……別に」

「向こうは盾と大鎌に任せよう」カイは駆け始めながら言う。「俺達は俺達の仕事をする」

 薄の草叢は途中から再び鬱蒼とした森林に姿を変える。

 軟らかい腐葉土を踏み締め、その上に積もった葉を散らしながら、走り続ける。西の、草原の方の大気は立ち籠める黒煙に因って全体的に黒い霞がかかったように翳って見えるが、森林の上空は晴天のままだった。折り重なる木々の葉の間から、木漏れ日が筋状に降り注いでいる。

 曇天、雨、雪、そして晴天。

 スペシャルクエストは四度目にして、初めて天候に恵まれた。それには何か特別な意味があるのだろうか。いや、ない。カイは即座に自分の疑問を否定する。これを画策している何者かは、そんな抽象的で曖昧な、いかにも人間らしい感慨など、持ち合わせてはいないだろう、と。

 チリ、と。

 カイは首筋に奇妙な刺激を感じて、左の拳を振り上げ、開いた掌を地に向けてゆっくり下げる。停止して身を低くし待機しろ、とハンドシグナルで示したのだ。

 皆が声も物音を発さずに速やかに従う。

 ほどなくして聴こえてきたのは、連続する直下型地震のような足音。大地に大きな孔を穿ちながら駆ける魔獣の群の犇き。あまりの揺れと音に、足元の枯葉が小刻みに震え、樹木からはまだ青い葉が舞い落ちる。

 その足音の正体を知るのはカイとカンカラス。カンカラスは息を呑む。足音から察するに、その数は一体や二体ではきかない。十体、いや、それ以上か――――。

 音は近付き、しかし遠退いていった。カイ達の西、草原を北から南へと、凄まじい勢いで疾駆していった。やや遅れて、幾つもの鈍いエンジン音が聴こえ、それらも同様に南へと遠ざかる。

「まずいね」ディスは立ち上がりながら、見えるわけもない基地を仰ぎ見るようにする。「きっと最後の攻勢だよ」

 南の基地手前では、未だに盾と大鎌が戦っている。そこにあれほどの大群を送り込まれたら、どれほど持つのかわからない。

「でも俺らからしたらラッキーじゃねえか。敵の基地の戦力が減ってくれたわけだし。もしあれだけの敵が基地に留まったままだったとしたら、ぞっとしないぜ」

「それも一理あるけどぉ、そもそも盾が全滅して旗を捕られたら元も子もないんだぜぇ」

「……急ぐぞ」

 呟いて、カイは再び走り出す。そのペースは速く、駆け足というよりも全力疾走と言った方が近い。

「ちょっと! 先走らないでよ。あなた自分の立場わかってるの!?」

 ディスの制止を無視し、護衛のためであるはずの彼女のチームを置き去りにし、カイは先頭を疾走する。

「おいカイ! 待てってぇ! 罠があるかもしれないだろうがぁ!」

 用心深い者ならば死角である森林からの接敵を警戒して、地雷や爆薬、基地の周辺にそういった類の物を埋設、隠蔽している可能性もある。

 だがカイは確信していた。敵はそんな真似はしないと。根拠があるわけではない。勘でしかない。だがそれは三度に渡るスペシャルクエストの経験則に基づく勘だ。その勘が確信的に告げていた。敵はブービートラップなどというまどろっこしい戦法は採らない、と。

 採るとするなら、

 カイは前方の立ち木に違和感を覚える。無数に連立する樹木の内、幹の形が不自然なものがある。それは裏に誰かが隠れているような――――

待ち伏せアンブッシュ!」

 叫ぶと同時、カイは足を止め、FN SCAR-Hバトルライフルを跳ね上げ、約三十メートル先、樹の幹の陰から僅かに覗くNPCの肘に7.62ミリ弾を精確に撃ち込んだ。

 着弾の衝撃により体勢を崩し、晒されたNPCの上半身に向けて、指切り射撃による二点射ダブルタップを叩き込む。胸部から血飛沫が散り、頭部のバイザーが砕けて粉塵状に舞う。

 その周りの樹々から、まったく同時にNPCの姿が現れた。

 その数はおよそ二十体。

 手にはVSSヴィントレスを携えている。カイ達の進路を塞ぐように、ライン状に展開していた。予め網を張って警戒していたのだ。

 カイはSCAR-Hを振り、続けざまに二発ずつ発砲。NPCがVSSヴィントレスを持ち上げる前に、その数を二つ減らし、すぐ右側の樹木の裏に転がり込んだ。

「コンタクトッ!」

 ディスの声。彼女と彼女のチームであるアーマメント・オーダーの社員達は牽制射撃を見舞いながら、最寄の遮蔽物へと身を隠す。

 カンカラスと近くの窪みに身を伏せたセンチピードは耳元に手を当て怒鳴る。

「ビクター! こちら暗器。敵と接触した! 繰り返す、敵と接触したぁッ!」

「くそ」カンカラスは伏せながらSG552を構え、呆然と立ち尽すGGBを照準しようとしていたNPCを射つ。「なにやってるんだ! 早く隠れろ! あれはシャープシューターだ。撃たれるなよ!」

 樹の裏に張り付いていたキロとリマ、フォックストロットは顔を見合わせると、首の頷きだけで「せーの」と合図。樹から飛び出し、各々の銃器を連射する。フォックストロットのFN P90の二丁拳銃、キロとリマのグロスフス MG3。どちらも装弾数が多く、連射速度が速い。その横薙ぎの弾雨に、シャープシューター達はたまらず樹の裏に隠れた。

「グレネード! 燻り出せ」

 カイの怒声がどこかから響いてくる。

「オーケーボーイズ、ファイアインザホール!」

 ディスは軽快な掛け声と共に手榴弾を投擲。彼女のチームも同じタイミングで手榴弾を放った。安全レバーを虚空に残し弧を描いて飛翔する五つのM67手榴弾の弾体は、シャープシューター達が潜む樹々の裏の、左、正面、右、奥へと、まるで機械が投げたかのような精確さで最大範囲の破片効果を期待できるに配置に落下。

 逃れようと身体を晒したシャープシューターは瞬く間に射抜かれる。数秒後の爆発に枯葉と腐葉土が噴き上がり、樹々の枝は折れ、飛散した破片が樹に突き刺さる軽い音が響いた。

「……」

 一瞬の静寂。灰煙が立ちこめ、枯葉がひらひらと舞っていた。 

「や、やったのか?」

 GGBの声にカンカラスは首を振る。

「いや、まだだ。まだ何体か隠れているはずだ」

「あれっ?」窪みから頭を覗かせたセンチピードは焦ったように左右を見渡す。「おいおいっ! 大将はどこだよぉ!」

 樹に隠れていたはずのカイの姿がなかった。

 突然の銃声。皆が一団で居る所から少し離れた地点からだ。

 手榴弾の灰煙が吹き荒ぶ中、ドットサイトの赤い光点をシャープシューターの頭部に重ねて、引き金を切った。チークピースに当てた頬に発射ガスで押し出されたピストンがボルトグループを蹴り出す小気味良い衝撃を感じる。音速の二倍で飛翔する7.62ミリの完全被甲弾フルメタルジャケットがフルフェイスヘルメットの側面を貫き、バイザーの内側が赤く染まった。

 そのすぐ後方にいたシャープシューターが射手の姿を捉えようと頭を振るが、射手の方が遥かに疾い。そのバイザーの中央に弾丸が飛び込み、見開かれた両目の間に赤黒い孔が穿たれる。

「は。こんなもんかよ」

 不敵な声の主はカイだ。カイは制圧射撃の隙に迂回する形で森林を北東に移動、生き残りのシャープシューター達を側面から攻撃していた。

「あの時はもっと骨があったろうが」

 カイが思い返しているのは最初の戦場。空挺部隊として登場したシャープシューター。あの時も森林だった。あの時に苦戦したのは、カイと虎サンの二人だけだったからであり、シャープシューターの特性もあの時とは微妙に変化している。

 チラリと、右の奥、重なるように連立する細い樹々の隙間から上半身を覗かせこちらを照準しようとしている敵影を視界の隅に認めると、カイは流れるような動きで膝射ちニーリングの構えを取り、刻むような短連射で三度発砲した。直線的に樹々の枝が弾け、その先のシャープシューターは血の筋を牽いて倒れる。

「おせえよ」

 反応速度と照準速度があの時と比べて明らかに遅い。千人近いプレイヤー達の平均レベルに合わせて調整されているのか。

 すぐ右の樹、枯葉を踏み締める音に、カイはSCAR-Hを手放しスリングで身体の正面に吊り下げると、レッグホルスターからH&K HK45を抜き取り、樹の裏に突進した。VSS ヴィントレスの円筒形の銃身が見え、それを掴んで引き寄せる。銃ごと引き摺り出されカイに肉薄したシャープシューターは銃を取り戻そうと藻掻くが、それが叶う前に四発の乾いた銃声。脚の両脛と腕の両肘を撃ち抜かれ、内股で力なく座り込んだ。腕はだらしなく垂れ下がっている。カイの右手のHK45から硝煙が燻っていた。

「……」

 もし、NPCの戦闘能力がプレイヤー達の平均に合わせて調整されているのなら、その平均を底上げしている存在の最上級ハイエンドプレイヤーにとっては些か物足りないだろう。

 カイは周囲を見渡し辺りの気配を一掃した事を確かめると、膝立ちのNPCのバイザーをじっと見詰める。スモークがかかったバイザーは暗く、中の表情はわからない。

 もし、これがプレイヤーなら小さな悲鳴を発し硬直しているだろう。それほどにカイの双眸は暗く、深く、無感情だった。

 二発の銃声。シャープシューターは心臓に二発の.45ACP弾を受け、卒倒した。

 その様子を遠巻きで見ていた一同は息を呑み、沈黙していた。

「……やべぇ。惚れそうだ」

 センチピードの呟きに、なぜかGGBは鋭い視線を向けた。

「なるほど、黒い凶戦士ブラックレイ」ディスは不敵な表情で呟く。「あの反応速度、射撃能力。きっと黒い光線レイって意味でもあるのね」

 そして瞠目しているチームの面々を見渡し、小首を傾げて微苦笑する。

「それで、誰を護れって言うのよ、ねえ?」


  

 戦場には生態系に似たサイクルがある。

 歩兵は一番脆弱であり、最多である。歩兵の天敵は戦車。戦車の天敵はヘリコプターや戦闘機といった航空機。そして航空機の中でも最強なのが戦闘機だ。コストの観点からもその構図は成立する。戦闘機に対抗し得るのは戦闘機と対空砲や対空ミサイルであり、そして対空砲や対空ミサイルを破壊するためには歩兵が密かに近付くのが一番だ。

 そんないくら時が移り変わろうとも不変であるはずのサイクルが、今この戦場では崩壊していた。

 既存の枠に収まらない新たな戦闘兵器フェンリルの存在によって。

地対空ミサイルサムだ! フレア、フレア!」

 AH-1Z バイパーのタンデムコックピット内、銃手ガンナーの怒声が響く。

 操縦手パイロットはレバーを目一杯倒して機首の方向を転換、Gに歯を食い縛りながら、フレア放出スイッチを押し込んだ。

 バイパーの機体下部から次々と眩い光球が撒き散らされ、白煙の尾を牽きながらゆっくりと落下する。

 下方から迫っていた二発の赤外線誘導ミサイルはバイパーの軌跡上に残るフレアを機体のエンジンだと錯覚。それに吸い寄せられ、爆発。

 激しい振動に揺さ振られながらも操縦手は首を忙しなく回してミサイルの発射主を捜す。しかしその視野は草原に点々と朽ちる車輛の残骸を捉えるばかりで、フェンリルの姿がない。

「どこだ!? 視えない、クソッ。ロストした。どこへ消えた!」

 ミサイル爆発の振動が収まると同時、休む間もなく新たな衝撃が襲来。視界の焦点が定まらないほどの凄まじい縦揺れ。

 バイパーの機体から矢継ぎ早に小規模な炸裂が生じ、その度に外装板が引き剥がされ破片が飛び散る。

「うあぁ畜生があぁ! 対空砲だっ! 撃たれてるぞ! どこからだッ」

 けたたましいアラートが鳴り響く中、二人は完全に冷静さを欠いて怒鳴り合う。

「わからない! あああぁ、駄目だ。落ちる、堕ちる、墜ちる!」

 テイルローターが弾け飛び、コントロールを失った機体はくるくると落ち葉のように頼りなく舞い落ちる。その豪速で回転する視界の隅、機体のほぼ真下の位置にフェンリルの姿が在った。

「腹の下だとッ。くそ、視えるかよ……」

 まっすぐにこちらに据えられる30ミリ砲口、そこから黄色の閃光が迸った瞬間。操縦手と銃手の意識は終わった。

「アウトローが落ちた! 何が起きたんだ! アウトローが墜落したぞ!」

 それを目撃していた他の燕達は楽勝モードを豹変、通信上で恐慌の声を漏らす。

「みんな油断するなよ! アレはただの戦車じゃないぞ! 対空ミサイルに対空砲まで搭載してるみたいだ!」

「あの砲塔は機関砲と対空砲を兼ねているのね。二次大戦のドイツ軍ばりの発想だね」

「くそったれが。それに凄まじく速い! 巨体の癖にちょこまかと動きやがってからに。機関砲の照準が追いつかねえ。距離をとって長距離ミサイルヘルファイアで始末するぞ」

 地上から二百メートルの高度で巡航していたバイパーは、皆が方々に散開して高度を上げ始めた。

「おい、アズテック! 下だ! 狙われてるぞ、気を付けろ!」

 しかし、南西に向かった一機のバイパーの直下、その草叢に映る機影に重なるように、二体のフェンリルが並んで疾駆していた。斜め七十度に向けられた二つの砲身が同時に火を噴く。

「どわああぁ! う、撃ってきた! 躱せっ躱せ!」

「やってるよ! お前こそ喚いてないないで撃ち返せ、馬鹿野郎!」

 機体を大きく旋回させ照準から逃れようとするが、なまじ高度を上げ相対距離が伸びた分、フェンリルからしたら照準は容易だった。顔の周りを飛び回る蝿は見え難いが、距離が開けば良く見えるのと同じ理屈だ。 

 追い討ちのようにミサイルが射出され、機体に迫る。フレアを大量にばら撒いて欺瞞に成功。ミサイルはフレアに吸い寄せられ爆発するが、

「おい、おいおいおいおい! もう一発きたぞ!」

 もう一体のフェンリルもミサイルを放った。つるべ撃ちだ。

「ざっけんなっ、フレアはもうないぞ! どうしろってんだよ、くそったれがああぁあ」

 断末魔が途切れた瞬間、ミサイルアラートの機械音声が虚しく鳴り、ミサイルはエンジンの排気口に飛び込んだ。機体は爆発炎上、木っ端微塵に飛散した。 

 残るバイパーは四機。対するフェンリルは三体。

 バイパーが出現した際に一体のフェンリルを屠っているが、それは遠距離から放ったヘルファイアミサイルに因るものだ。不意打ちに近い。真正面の対戦と相成ってからは一体も破壊していない。それどころか二機のバイパーが失われた。

「マジか……」盾が経験させられた暗澹とした思いが、そのまま大鎌に引き継がれる。「何なんだよ。冗談じゃないぞ」

 地を這う者に対しては無敵であるはずの攻撃ヘリコプターが逆に蹂躙されている。無敵を目指して創られた神代の怪物。歩兵、戦車、攻撃ヘリコプター、フェンリルはあらゆる戦闘兵器にとっての天敵なのだ。

 次の獲物に方向を転じようとしていた二体のフェンリル。その時、それらの付近で次々と爆裂が生じる。畳み掛けるような噴き荒ぶ土砂の只中でフェンリルは怯み、相次ぐ直撃弾を受け、ゆっくりと膝を折るように力尽きた。

 砲撃の射手は南から接近する複数の車輛。90式戦車、プーマ歩兵戦闘車、重火器を搭載したハンヴィー。それは盾だった。大鎌がフェンリルを抑えている間、基地に戻って手早く補給を行った盾の総員が戻って来たのだ。

「燕、熊が戻りました」

 レッドハンドルの90式戦車砲主席に収まるテールの力強い言葉が現存するビークルカンパニークラン員に告げられる。

「VC各員。地上と空で連携して畜生を撃滅。産まれてきた事を後悔させてやってください」

 勝機を得て俄かに活気付いた返答がテールの耳に届く。そしてその通信が落ち着きを取り戻す前には、残り一体のフェンリルは大破していた。如何にフェンリルと言えど圧倒的な数の暴力と天と地からの立体的な挟み撃ちの前には為す術がない。今まで手痛くしてやられていた分の意趣返しが相乗され、砲弾とミサイルが雨霰の如く降り注ぐ。飽和攻撃による過剰殺害。フェンリルは産まれてきた事を後悔する前には破片サイズに寸断されていた。

 一機のバイパーが舐めるように地上すれすれを飛行。硬い四歩の脚を残して消し炭のようになったフェンリルの残骸に、操縦手と銃手は共に中指を立てて舌を出した。

「へっ、ざまあーみろ」

「うっし。このまま北へカチコミかけるぞ。吶喊とっかんッ!」

 そうしてバイパーは再び舞い上がり、北へと据えた機首を傾げて突出しかけるが。

「そこっ! 先走らないでください」テールの鋭い声が燕達の耳を打つ。「反省してないんですか。もうこれ以上消耗するわけにはいかないんですよ。地上部隊と足並みを揃えて慎重に飛んでください」

「ご、ごめんなさい。調子に乗りました」

 叱責されて意気消沈した燕達。その心情と比例するようにバイパーのエンジン回転速度が落とされて滑空飛行に切り替わる。

 随分と数が減ってしまったが地上を進む盾と上空からそれを援護する大鎌。ウィスキーが最初に説明していた通りの進行布陣。シンプルであり如何なる状況にも即応し得る柔軟な戦闘隊形だ。

 敵影もなく、北への進行は順調に進む。例の大きな尾根の姿が見え始めた。数々の激戦が繰り広げられ、その痕跡が生々しく残る稜線の向こう側は燻る黒煙に因ってベールのように覆われていた。

 そんな光景を目の当たりにして、戦争映画に通じているプレイヤー達は皆が例外なく畏怖を以って呟いた。

「ハンバーガーヒル……」

 高低差のある地形での局所的な激戦を指して用いられる言葉だ。

 時は六十年代、ベトナムのとある丘陵地帯の戦場。焦土と化した大地にて人間を挽肉ミンチに変えて、その躯が肉板パテの如く積み上げられた死闘。マップを東西に横断する座標グリッド横軸4の尾根の様はまさに屍山血河しざんけつが。目に見える範囲には夥しい死体。一度噴き上がり再び降り注いだ土砂が埋葬してしまった死体もあるだろう。ハンバーガーヒルと呼ぶに相応しい様相を呈していた。

 そして、その尾根で再び戦いが始まろうとしていた。

 ――――ズズンズズンズズンズズン、と。

 誰もが聞き覚えのある、一生忘れる事が出来ないであろう魔獣の足音。それが重なり、錯綜し、木魂する。外部の音が全く聞こえないほどに雑音に満たされたはずの走行時の90式戦車の車内でも、その音響と地揺れを克明に感じ取れるほどに大きく、多い。

 最初に大鎌がその姿を認め、尾根の頂上に達した盾も目の当たりにする事になる。

 フェンリル。その数は十五。先ほどの三倍。東西に点々と等間隔に並び、餓えた狂犬のように疾駆する。

 そしてその後ろには二十輛もの大型トラック。徐に停車すると、幌の付いた荷台は次々とNPCを吐き出した。一輛につき十体ほどのNPCが降車する。先頭を悠々と歩くのは機銃を腰だめで構えたロシナンテ。その背後には密集隊形を採るシャープシューター。

 撒き散らされる薄の灰を波のように、オーラのように背に纏って、迫り来る。

 プレイヤー達は驚倒し愕然として、――――しかし不敵に嗤った。

 無数の屍が並ぶ戦いを好み、血を血で洗う死闘を望み、そしてそれを執行するためにこの戦場に集った選りすぐりのFPSプレイヤー。普遍の日常生活で爪や牙を隠して生きる成らず者ノーマッド。闘争本能を発揮できる唯一無二のこのFalse Huntで、誰も経験した事のない史上最大の戦闘に身を投じる事ができる。

 斯くして、地獄の草原の死の丘にて、決戦の火蓋は切られた。




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