False War 10-6
※ 今まではFalse War 7-〇、と七話で完結させる予定だったのですが、10-〇と全十話に“とりあえず”訂正しました。正直、まだ未定であり再び変わる可能性は十二分にあります。無計画の象徴です。いらぬ混乱を与えてしまい、申し訳ない限りです。
そしてレイアウトを変更しました。読み難いようでしたら知らせてください。意見が多数の場合は再度変更します。
国内最大級のインターネット掲示板、世界でもトップクラスに情報化の進んだこの国のそれは、深く広く、複雑怪奇に入り組み、一つの文化と化している。
そこには当然のように、今でこそ落ち着いてはいるが嘗ては社会現象とまで化したバーチャルリアリティオンラインゲームである、False Huntに関連するスレッドが無数に存在する。
そして今現在、あるキーワードに関するスレッドが体内に入ったウィルスのように爆発的に増殖し、その中では書き込みが土石流よろしく凄まじい勢いで垂れ流されている。
そんな中の一つのスレッド。
スレッドのタイトルは『スペシャルクエスト実況』。
『千人のプレイヤー仕切ってるのはウイスキー』
『FMのウイスキー?』
『たしかそいつ最上級じゃなかったか。通り名は策士』
『良くある誤認を訂正。ウイスキーではなく、ウィスキーです。そしてFMではなく、PMです。Phonetic Memberの頭文字とってPM。FHやるならそれぐらい覚えろカス』
『小川の地獄で戦死。やべ。夢に出てきそうだ。ガタガタブルブル』
『新たな戦死者キター!』
『経験者キター』
『詳細キボンヌ』
『壮絶、無残、地獄、その一言に尽きる』
『一言じゃないし』
『グローザに予備弾倉十五個持ってったけど、最後弾切れた』
『どんだけ撃ってんだよ』
『そんなに撃たなけりゃならない状況だったってか。想像を絶するな』
『てかグローザって、しぶいねえ。まったくおたくシブイぜ』
『同志よ。私も小川でやられた。ただ今ゴーストで定点監視中。だけど定点カメラのアングルわる過ぎ。戦闘してるとこが全然映んない。ちょっと前に変な奴らが南に歩いてったのが見えただけ』
『確かに滅茶苦茶アングル悪いな。新手の嫌がらせだ』
『FHしながら書き込みしてんの? どゆこと?』
『……大人にはPCを複数持っている人もいるんだよ、ボウヤ』
『つーかケータイあるだろ』
『つーかどーでもいい』
『つーか経験者はどうでもいい書き込みは無視して詳細おせえてくれ! 頼む! 一生のお願いだ!』
『俺も一生のお願いを今使う事を辞さない』
『実況と銘打ってるんだし、しっかり実況しろ』
『だから定点カメラの位置が悪くて、前線が観れないんだって。悔しいが戦闘の進捗が一切わからん』
『そもそも死んじまった奴からの書き込みだけじゃあ実況とは言えない』
『みんな知ってると思うけど、他のサイトの実況スレ覘いてもどこも似たり寄ったり』
『いや、掲示板だけじゃない。動画サイトやブログでスペクエのプレイ画面を生中継するって張り切ってたプレイヤーが何人かいたんだけど、軒並み全滅』
『全滅ってどゆこと?』
『単純にクエストで死んだって事じゃね』
『中継しようなんて奴はプレイが疎かになりがち』
『つーかそんな奴は決まってミーハー。そこまでの腕だったってことだろ』
『でもゴーストでの観戦画面は中継できるはず。カメラアングル劣悪らしいけど』
『いやいや、そんな次元の話ではなく、みんな何かしらのマシントラブルで中継自体ができないってこと。スペクエには普通に参加してるらしいけど、中継画面はブラックアウト』
『……なにそれ』
『どうもみなさん。スペクエ戦死者です。私は個人的にスペクエのプレイ画面を録画しようとしたのですが、そちらも原因不明のトラブルでダメでした。たぶんソフト的な問題だと思うんですけど』
『……なにそれパート2』
『怖っ』
『マジな話、これはどう考えてもおかしい。中継や録画が何故か不能で、ゴーストの観戦画面さえ碌な場面が映らない。外部に情報を晒したくない感じだ』
『恐杉っ』
『参加人数制限するぐらいだから、娯楽的観点ってやつでESが隠してるんじゃね』
『たとえメーカーだろうが本来FHとは一切関係ないはずの中継や録画をそんな風に規制する事は不可能』
『そうそう、漫画の読み過ぎ。誇大妄想。たとえ誰であろうとも、そんなこと不可能』
『可能か不可能かは知らんが、作為を感じるのは明白』
『陰謀説は他所でやれ。ここは実況スレ。たとえ碌な情報がなくても、リタイヤしたプレイヤーから状況ぐらいは聴ける』
『誰か最前線で死んだ奴いないのか!?』
『俺、たぶん最前線。今さっきやられた』
『勇者キター!』
『英雄キター!』
『負け犬キター!』
『しょしょしょ詳細! 詳細詳細詳細いぃー!』
『さっき小川の同志が言ってた南に向かった変な奴ってのは、間違いなくロシナンテ』
『新たなNPC情報キター!』
『新種キター!』
『ロシナンテ?』
『ロッシー』
『ロッキー』
『ドン・キホーテ?』
『シャープシューターの方がカッコいい』
『いや、ロシナンテやばい。まじやばい。滅茶苦茶硬い。アホみたいに堅い。基地外みたいに難い』
『なにそれ、どんなヤツ?』
『人型。見た目は普通のNPC。機銃を腰だめで構えてる。のろのろ歩いてるんだけど出鱈目に硬い。戦車砲の直撃でも微動だにしない』
『!?』
『!!??』
『What the Fu○k!?』
『チーターじゃん!』
『つかブラフくさい』
『おまいら釣られんな』
『反則。そんなのどうやっても殺せないだろ』
『限りなくキビシイけど不可能じゃない。何人かのプレイヤーは遠距離から撃ちまくって獲ってたし、近付かれてからは発破の嵐で結構倒した。RPGのボスキャラ級のHPと言えば分かり易いか?』
『さっきの陰謀説じゃないけどさ。そんなNPCが出てくるって、なんか根本的におかしくね?』
『だからブラフだろ』
『俺もさっきヤラレタんだけど、敵はDIO様だったよ。時止められた』
『信じる信じないは勝手。信じる人のために俺がやられた状況書く。結局ロシナンテに肉薄されて、諦めかけたんだけど、味方の支援砲撃で何とかロシナンテを全滅できたみたい。俺その時砲撃の破片くらって死んだけど』
『プギャー』
『ナイスTK』
『ご愁傷様』
『それが本当ならむちゃくちゃ腹立つな。ドンマイ』
『いや、不思議とそうでもない。怒りっていうか、ただただ悔しい。普段のバトルやクエストならムカつくんだけど、あのスペクエは、なんて言うか、特別だった。本当に切羽詰まってたし、FFやTKビビって砲撃しなかったら、プレイヤーはもっと死んでたと思うから』
『小川で死した者です。なんだかその気持ちわかります。あんな序盤でやられて凄く悔しい。口惜しい。本気でスポーツに打ち込んで芳しくない結果に終わったときはこんな気持ちになるんじゃなかなーと。クサい事言うけど、こんなに本気で悔しいのは、生まれて初めてかもしれない』
『私も、あの戦場で、生まれて初めて本当に本気になっていた』
『リア充ならぬ、アンリア充か』
『ゲームで青春とか、おまえらキモ過ぎ』
『そういうお前はゲームに対する考え古過ぎ』
『進化の止まったスポーツと違って、ゲームとネットは日進月歩。今やゲームは青春傾けるだけの価値がある立派な趣味』
『オタクうぜ』
『良識あるみなさん、呼ばれなかったからって拗ねてるみっともない人はシカトの方向で』
『そうそう、経験者はどんどん書き込んでください』
『今死んだ』
『詳細』
『早いな。砲撃でロシナンテは粗方始末できたもんだと思ってたけど』
『ロシナンテじゃない。間髪容れずにもっとヤバイのが来た。あれ反則だろマジで』
『またまた新手のNPCキター』
『新手のスタンド使いキター』
『ほんとに早い。ラッシュかけられてるの?』
『ここにもKIA一名。あれはラッシュなんてもんじゃない。虐殺だ。もしかしたらもうすぐ終わっちまうかもしれないよ』
『マジかよ』
『今死んじまった。ありえない。なんなんだよアレ』
『うわー。戦死者のラッシュだ。ここの書き込み読んでるだけでヤバイ状況なのがよくわかる』
『マジで終わるのか?』
『ざわざわ』
『で、お次はどんなNPCなの?』
『あれはNPCと呼べるのか……?』
『いや、ノンプレイヤーキャラクターと呼ぶには、全てにおいて桁外れだ』
『なにそれ。どんなやつ?』
『バケモノ』
『殺人機械』
『多脚戦車』
スペシャルクエスト、ヘルズプレーリーで死亡したプレイヤー達は無事だった。死後、劣悪であるという観戦画面を眺めながら記しているという書き込みが健在の何よりの証拠である。
カイに届いたスペシャルクエスト当選のメール、その文面になぞらえて言うならば、彼らは“特別な仕様”の対象外なのだろう。
彼女は小さな、ノートブックと呼ばれるサイズのパソコンの画面を眺めていた。
スレッドの流れていくテキストを目で追いながら、呟く。
「やはり、ね」
『……はい?』
耳元から訝しげな声。彼女はパソコンを繰り、その一方、空いた片手で携帯電話を耳にあてていた。
「そして、そろそろリミットね」
『えと、あの……』
「こっちの話よ。いえ、そっちの話でもあるわね」
『……今は緊急対策会議の真っ最中です。しかし事が事ですので、いまだ結論は』
彼女は電話越しの相手にも聞こえるように、大仰に嘆息する。
「かいぎ、かいぎ、会議ねえ。あなた方のその反応、私が懐疑的になるわ。本当に本気で考えているの? それとも所詮ゲームなんてどうでもいいの?」
『状況は理解しているつもりです』
「あのねえ。本当に理解しているならそんな科白は絶対に吐けないはずよ。このまま、時が経つままに任せていたらどうなるか。私はわからない。あなた方もわからないだろうし、それは誰にもわからない。わからないっていうのは何よりも一番恐ろしい事なのよ」
『………』
相手は黙り込む。その無言には緊張の雰囲気があった。
「責任があるのはそっち、でもこっちにも少なからず非はある。だからこっちで、内々に、この事態をまあるく収めて、混乱を治めて、最後にはこれまで通りにそっちに納めてあげるって、そう言ってるのよ。あなた方にとって、これは絶好のまたとない機会なのよ。大事な事だからもう一回言うけど、またとない機会なのよ。どう、理解したかしら?」
『……少し。少しでいいので時間をください』
「わかった。私が行くまでの間ね」
『え?』
「今から御社のFHメインサーバがある箱モノに向かうって言ってるのよ。受け入れ態勢を整えておいて。じゃないと、本当に手遅れになるかもしれないから」
『え? え、え!? いや、それはあの――――』
動揺する相手を無視して、彼女は電話を切った。
もうすでに外出する準備は整えてある。彼女は車のキーを掴むと立ち上がり、ある一室のドアを開けた。
そこには数名の男女が控えており、各々の前には低い呻りを放つタワー型パソコンの筐体と、それに接続されたHMDとVRGが置いてあった。
「それじゃあ、行ってくるから、手筈通りに」
彼女はニヒルに笑って、ウィンクをする。
「最初で最後の、止めの反撃を、始めましょうか」
ジャミは僅かな隙間から天を見上げていた。
最初、このマップに転送された時には、綺麗な澄んだ青空で、酷く牧歌的な戦場があったものだと思ったが、今ではそこここから黒煙が立ち昇り、大気は灰色がかっていた。全体的にモノクロになってしまったような雰囲気だ。
回復してきた血塗れの四肢を動かし、身体の上に乗っていた物を退かすと、立ち上がった。辺りを見渡す。死屍累々。所々に車輛の残骸があり、その間を部位が欠落し、もはや人型とはいえない形の死体が埋め尽くしていた。
ジャミの上に圧し掛かっていたものは、分隊員の死体だった。片腕と、下半身が消失してしまっている。零れた臓腑と流れる血が土を黒く染めていた。
共に修羅をくぐり抜けてきた彼が最後に何を言い、どう死んだのか。ジャミは思い出そうとしたが、思い出せなかった。自分だけが致命傷を受けずに済んだのは、分隊員が身を挺して庇ってくれたからという気がするが、正確にはわからない。
血と、煤と、死体と、灰と、肉片と、砂と、屍と、車輛の残骸と、臓物と、泥と、薬莢と、死骸と遺体と亡骸と……。
目に付くところには、生きている者は誰もいない。
小川でも地獄を見た。しかし、尾根のこれは、わからない。地獄と形容することさえ出来ない。途轍もなく、途方もなく、あまりにも一方的な、よくわからないものだった。ただ、こうして一人になってしまって、クエスト名にヘルという言葉が冠してあった意味を、否が応でも理解させられる。誰も居ない。ただ独り。孤独。それこそが本当の地獄。
「……独りになっちゃった」
呟いて、その場にへたり込んだ。恐怖を感じる事もできない。感情が湧く余裕さえない。
遠方からの戦闘音に、南へ頭を向ける。死体と車輛の残骸が、点々と続いていた。様子は視えないがその音はどうやら南へと、プレイヤー側の基地へと遠退いているようだ。生き残った盾の要員は撤退したのだ。そして撤退しながら交戦しているのだろう。
しかしその音はこうして聴いている今も現在進行形で萎んでいる。プレイヤー側の手数が減っている。つまり比例して頭数も減っている。
撤退しながら交戦と言えば聴こえは良いが、追い詰められているだけだ。あと何百人が生き残っているのか。いや、もしかしたら何十人かもしれない。
だが、まだ独りではなかった。ジャミは立ち上がり引き寄せられるようにふらりと、南へ向かおうとしたが、止めた。回れ右をして黒一面の焼け野原に、北に正対する。
「違う。こっち、こっちに行かなきゃ……」
自分がたった一人で南に向かったところで、援軍には成り得ない。なんの足しにもならない。徒歩で向かっても追い付けるかどうかさえわからない。
ならば、誰よりも北に突出している自分が、誰よりも近い自分が、たとえ一人きりでも、敵の基地へ行かなくてはと、敵の旗を獲らなくてはと、呆然としながらも、心身共に満身創痍であるはずのジャミは、強くそう思ったのだ。
カンカラスは無傷だった。それは彼が“アレ”を見た瞬間、いの一番に逃亡したからだ。“アレ”に背を向け、何においても逃げた。何よりも逃げた。狂ったように走って逃げた。
真っ直ぐ南に逃走したのでは、すぐに追い付かれる事もわかっていたので、左に折れ、草原を横断、東の森林に飛び込んだ。森は次第に深くなり、振り返っても“アレ”はおろか草原すら見えなくなっても、駆けるをやめなかった。やめられなかった。木々の幹をすり抜け、鬱蒼とした藪を突き抜け、灌木の茂みを掻き分け、気が触れたように逃げ続けた。まるで自分に纏わり付く何かを振り払うように。
傾斜を降っている最中に、蔦に脚を捕られ、藪の中に転がり込み、そこでようやく走るのを止めた。しかし、土に額を擦り付ける彼は、混乱からは逃げ切る事が出来ずにいた。
尾根に居たプレイヤーの中で、まったくの無傷で逃げ延びたのはカンカラスただ一人だろう。それは彼が逃走したからだ。下手に戦おうとせず逃げに徹したからだ。ではなぜ逃走したのか。
それは、カンカラスが“アレ”を知っていたからだ。
「……フェンリルだと。馬鹿な、何故だ。何でだ。何故アレがこのゲームに……」
UGV−XT、開発コードは『フェンリル』。
某大国の軍部に依頼を請けて民間企業が設計した、陸上用無人特殊戦闘車輛の試作戦車。しかしその戦車からは結局、試作を意味するXの頭文字が取れる事はなかった。試作段階で打ち切られ、計画は半永久に凍結された。
国の代表が代わり、“戦争の経営方針”も変わったのだ。曰く、コストパフォーマンスが悪いし、今の段階では戦争をそこまで進化させる必要はない、だそうだ。
カンカラスは最初にそれを知らされた時、仰天し、激怒し、終いには呆れ果てた。しかし、そんな理不尽極まる出来事は彼が関わっていた世界、近年目紛るしい進歩を遂げている無人兵器の開発業界では日常茶飯事によくある、悲劇にもならない些事だった。
そう、彼はフェンリル計画に携わっていたのだ。
日本の工科大で機械工学を専攻しており、そのまま大学が抱える研究所に就職した彼は、ある時、同じ大学を卒業し大国にある民間の軍事研究開発企業に就職した友人から話を持ち掛けられ、海を渡った。
最強を目指して造られた、陸上の王者、戦闘の覇者、戦争の権化。それがフェンリルだった。友人はまるで大好きな戦隊モノについて話す子供のように、来るべき日に戦場を席巻するであろうフェンリルの勇姿を無邪気に、自慢げに語っていた。天性的に身体が弱い自分は、誰よりも何よりも強い存在を創り上げたいのだと。そのためだけに生にしがみ付いてきたのだと。
計画の凍結を知らされた二週間後、友人は自殺した。
カンカラスと一緒に仰天し、怒り、呆れ果てていた彼は、しかしそれはただの振りであり、その内心にあったのは只管に深い虚無であり絶望だったのだろう。だから遺す言葉もなにもなく、死んでしまった。
カンカラスは帰国し、大学関係からの誘いの言葉を一切断り、工業電機製作所に設計として就職。仕事と人間関係に頭を悩ませ、夜はオンラインゲームを楽しみ、たまには買い物に出掛けるという、至極普通の生活を送っていた。
常に心の奥にある、得体の知れない空洞のようなモノを気にしないように努めながら、生きてきた。
そしてその空洞を今、全く関係がないはずのこの仮想現実で、全くの不意打ちで、まともに覗き込む破目になってしまった。
「……何故だッ。一体、何故……?」
何故としか言い様がない。まるで理解できない。
多脚戦車自体は古くから様々なSF作品で取り上げられている。使い古されていると言ってしまってもいい。だが現行で実際に運用されている、もしくはされた事のある兵器しか存在しないはずのFHで、それが突飛に登場するのは明らかに異常。ロシナンテのような物理的に存在不可な敵とは違った種類の異常である。
そして先の多脚戦車は、あまりにフェンリルと似過ぎている。本体上部の機関砲と下部の多銃身機関銃。防御壁も兼ねた特徴的な脚。敵対勢力に恐怖を植え付けるための有機的な挙動と遠吠え。似過ぎていると言うよりも、そっくりそのままだ。偶然の一致では有り得ない。
フェンリルに限らず、開発中の兵器の情報は最上級の機密のはずだ。それが漏洩したのか。しかしカンカラスがその企業に勤めていた間、そして終に計画が凍結されるまで、そんな話は耳に入ってこなかった。では、企業とこのFHがなんらかの形で関わっているのか。それともあの友人が? FHのサービスは全世界でほぼ同時に開始され、その時期はフェンリル計画の凍結直前だったはずなので、彼もプレイしていたのかもしれないが……。
わからない。
だが、
「……恐かった」
いつの間にか、カンカラスからは混乱に因る恐慌の表情が消え失せ、どこか感懐じみた、誰かに優しく語り掛けるような面持ちになっていた。
「そして、やっぱり、強かったよ」
企業の工場内にて試作機が一体造られただけに終わったフェンリル計画。それが日の目を見る事は終になかった。だが、今ここには五体ものフェンリルが存在しており、友人が楽しげに語っていた通り、圧倒的に強かった。プレイヤー達は為す術なく蹂躙されている。
身体の弱かった友人が望み、潰えた時には命まで絶とうというほどの夢が、この現実ではない仮想現実の戦場で、叶っている。彼の夢が今、成就されている。
パキリ。
「――――!」
カンカラスは頭を跳ね上げる。鬱蒼とした藪と樹々が見えるだけだったが、音が聴こえた。木の枝を踏んだような物音が。
パキリ。また聴こえた。やはり気のせいではなく、何者かがこの先、森林の奥に居る。
カンカラスは静かに立ち上がり、SG552をいつでも構えられるように身体の正面に携え、物音のする方向へと近付いていった。
作戦指令兼通信本部である鎧。移動と遮蔽のために使用しているストライカー装甲車は、旗の在る小山から、基地の車輛格納庫の裏に移動していた。
フェンリルの出現により瞬く間に壊滅に近い状態にまで陥った盾から、後退しながら交戦するという旨の報告を受けたのだ。もし敵が基地にまで達した場合、一番目立つ小山の付近に居たのでは、一溜まりもない。
車輛格納庫正面に在る99式自走榴弾砲群は完全に沈黙していた。盾に肉薄する移動目標が相手では大鎚の曲射砲撃は役に立たない。
つい先ほどの連続砲撃の時と比べれば、実際に今は静かであるのかもしれないが、北からの徐々に差し迫る戦闘音が、静寂と形容するには懸け離れた感情をストライカー装甲車内の通信員達に与えていた。一際大きな爆発音が響く度に、通信員の面々は動揺する。
ビクターも通信員達と同様、落ち着きなく視線を彷徨わせているが、彼女が窺い見ているのはウィスキーの顔色だった。
ウィスキーだけは不機嫌そうな仏頂面で、つまりいつも通りの表情で、腕を束ねている。しかし、やはりビクターだけは彼の表情から普段では見られない感情を読み取っていた。それは不審感だ。
ウィスキーは気付いていた。クエストが始まってから現在に至るまでを通して見た場合、一種の規則性が生じている事に。それはパターンと呼ぶべきか、プロットと呼ぶべきか。
その規則性に則して考えれば、この一見切迫した現状でも、決して楽観はできないが、当惑する必要はないはずだった。しかしその規則性こそがウィスキーにやり場のない不審感を募らせる。
「……」
それにしても、フェンリル。カイから聞き及んでいたが、聞きしに勝る恐るべき戦闘能力だ。ロシナンテを撃退した段階ではまだ約六百名ほどの盾要員と十輛以上の戦闘車輛が健在だった。それが今や盾の総員は二百名弱。こうして見ている間も一人また一人と、時には数人ずつ一気に減っていく。ロシナンテとの防衛戦で少なからず消耗していたとはいえ、たった五体のフェンリルに、約四百名ものプレイヤーが殺戮された。
小川の戦闘でも約三百名のプレイヤーが命を落としたが、あれは十数分間に及ぶ戦闘だった。だが、今回はフェンリルが出現してからまだ五分ほどしか経過していない。しかも、撃破を確認した報告はまだ一件もない。
「……フェンリスヴォルフ。神代の怪物か」
ウィスキーにしては珍しい独り言。しかしそれは車内の誰も気付けない程度の音量だった。
その怪物をカイ達はたった五人で撃破した。戦車はおろか、まともな対装甲装備もなかっただろうに、それでも撃破に成功している。無論、途轍もなく厳しい戦いだっただろう。カイ以外の四人は死んでしまったらしいのだから、本当の意味で死んでしまったらしいのだから。
「おっほっほっほお! 上等やないかくそったれえ!」
でたらめのような走行を繰るハンヴィー。左右に激しく後輪を振りながら褐色の土埃を撒き散らし、凹凸の度に車体は跳ねと沈みを繰り返す。そんな殺人的な走行をものともせず、零吟はルーフに搭載されたM134ミニガンを撃ち続けながら哄笑していた。
フェンリル出現の際、真っ先に逃亡するカンカラスを目の当たりにし零吟も戦おうとはしなかった。尾根で戦っていたプレイヤーの中で群を抜いて腕が立つと思われたカンカラスがその姿を認めるや否や逃げ出したのだ。生身で敵う相手だとは到底思えなかった。
飛び交い始めた銃火と、次々と吹き飛んでいくプレイヤー達を縫うように走り、自身も何度か負傷しながらも辛うじて赤犬の一人と合流し、比較的まともな形状で残っていた無人のハンヴィーに乗り込み、南へ走らせた。
その頃には生き残っていた他の盾要員も尾根の防衛線を放棄し撤退を始めていた。
ロシナンテとの戦闘の際に先んじて撤退し、それの撃破を受けて再び尾根へと戻ろうとしていた車輛群や徒歩プレイヤー達は、フェンリル出現に伴い後退してくるプレイヤー達を見て、三度南へと方向転換。それを見た零吟は根性なしどもが、と侮蔑したが、自身達も後退しているので他人の事は言えない。
「おらあ。7.62ミリのシャワーの味はどうやっ!」
六本の銃身が回転し交代で撃発を行う事により単銃身の機関銃では不可能な超速連射を可能にする電動式ガトリングガン。その最高連射速度は実に毎分四千発。故にその運用方法は機関銃と言うよりも、長射程のショットガン。
零吟がボタンタイプのトリガーを押す度に、劈くような銃声を伴いくすんだ金色の空薬莢が雪崩の如く連なって流れ落ちる。約百メートルの距離を置いて追走するフェンリルからは鉄の研削作業をしているかのような激しい火花が弾けた。
ハンヴィーの前方には二人のプレイヤーが徒歩で駆けていた。二人はハンヴィーに気が付き、乗車を求めるように手を伸ばしてきたが、その脇を一切速度を落とさずに走り抜けた。二人は何か喚いているようだったが、直後、フェンリルが放った30ミリ砲弾の直撃を受けズタズタに裂けて散った。
「止まるなや! 止まったら最後、ウチらもああなる」
ハンドルを握る赤犬の仲間に告げながらも、零吟は射撃を止めない。
フェンリルは尾根に留まろうとはせず、只管にプレイヤー達を追い立ててきた。戦略だとか、有利な地形だとか、そんな事を気に掛ける様子は微塵もなく、ただただ狂気のように、野獣のように狩り立ててくる。
しかしフェンリルは追い付こうとはしなかった。置き去りにされる徒歩プレイヤー達は漏れなく八つ裂きにされているが、車輛部隊からは一定の間隔を置いて、付かず離れずの距離を追ってくる。先の登場の際に聴こえた足音から察するに、フェンリルの移動速度の方がハンヴィー等の高機動車よりも遥かに速いはずなのに。
突如、零吟が銃撃を加えていたフェンリルの足元で炸裂が起こる。爆炎の中、フェンリルは転倒し、盛大に草原を転がるが、すぐに体勢を立て直し追ってくる。
「ちいぃっ! へたくそめ! まあた外しやがってからに」
フェンリルが必要に接近しない理由は戦闘車輛にあった。零吟と同じく後退している90式戦車やプーマ歩兵戦闘車。それらの強力な砲撃を回避するために右へ左へ、蛇行しながら追ってきているのだ。その回避行動が走行速度を減衰させている。
しかしそれは車輛部隊も同様。蛇行しながらも、フェンリルの本体上部に搭載された30ミリ機関砲の砲口は車輛部隊の姿を捉え、発砲してくる。そうなれば車輛部隊も蛇行運転し、照準から逃れる他ない。
フェンリル、車輛部隊共に、脈々と続く起伏に富んだ草原をくねくねと蛇行し、回避と攻撃を同時に行っている構図だ。
だが、両者は決して同等ではない。フェンリルは追い、プレイヤー達は逃げているのだ。もし戦闘車輛部隊が停車しようものなら、尾根の二の舞になってしまう。その巨体にはあまりに不釣合いな規格外の挙動を想定外の速度で繰るフェンリルに、戦闘車輛の照準速度は追い付かず、しかしフェンリルの照準は停止している車輛など、いとも簡単に精確無比に捉えるのだ。
「ああーっ。やばいやばいやばい、マジやばいっス。ぜんっぜん中らねえっスよ!」
レッドハンドルの90式戦車も尾根から撤退していた。
「へたくそ!」
「もっとちゃんと狙ってよ」
「俺に代われ、へたくそ」
そして尾根から撤退する際に拾ってきた四名のプレイヤーが同乗しており、通常は乗員三名の90式戦車内はぎゅう詰め状態だった。
「む、ムカつくッ! そしてこいつらムカつくっス! なんとかしてくださいよう」
「すいませんがみなさん」
声を上げたのはレッドハンドルではなく、車長席に収まるテールだった。テールも混沌の中をなんとか逃げ延び、レッドハンドルの戦車に乗車していたのだ。
「我々はビークルカンパニーです。断言しますが、彼が撃って中らないのなら、この場の誰が撃っても中らないでしょう。反論がある人は名乗りを上げてください」
静かな、けれども有無を言わせぬ迫力に野次は止まる。
「……あの、テールさんってこんなキャラでしたっけ?」
砲手のプレイヤーはウィスパーでレッドハンドルに話し掛ける。
「尾根で地獄を見て、何か思うところがあったのかもね」レッドハンドは含みありげに言う。「そんな事より、砲弾は残り何発?」
「えっと、ゲッ。残り三発っス。三発しかないっスよ」
「三発か。あなた風に言うなら、マジやばいわね……」
尾根でのロシナンテとの戦闘の際に砲弾を消費してしまっていた。レッドハンドルの90式戦車だけでなく、他の戦闘車輛も同様だ。もし砲弾が尽きたら、それを覚ったフェンリルはお構いなしに突っ込んでくるだろう。そうなれば反撃の手段を失った車輛部隊は間を置かずに全滅する。そして砲弾を節約するのも難しい。命中させられないにしても、牽制の役割は果たしているのである。長時間砲撃を沈黙させてしまえば、弾切れと同じ結末が待っている。
それに、このまま南下し基地に辿り着いたとしても、それでどうなるというのか。どうにもならない。基地の車輛格納庫に行けば砲弾を補給できるだろうが、そんな悠長な作業をフェンリルが許すとは思えない。むしろ基地には旗と、指揮通信を務める鎧が居るのだ。現状は、本来それらを守護すべきはずの盾が、敵をそこに引率しているようなものだった。勝機はなく、あまりにも救いがない。時間の問題だった。
「近付いてきたっス!」
砲手の声の直後に聴き慣れた轟音が響く。直線的に迫ろうとするフェンリルに120ミリ砲を発砲したのだ。しかしフェンリルは不意に横に飛び跳ね、砲弾を躱してしまう。
「中らない……。やっぱり普通に撃ったんじゃ絶対中らないっスよ!」
90式戦車は照準具安定装置を備えており、その中の自動追尾機能を用いれば移動目標に対して自らも移動しながら精確に行進間連続射撃が行えるという触れ込みだが、それはあくまで相手が戦車や装甲車等の想定範囲内の目標である場合だ。滑るように地を駆け、場合によっては跳躍や姿勢を低くするような動きさえ行う、有機的に過ぎるフェンリルには役に立たない。
そして現在、砲身に装填されているHEAT-MP(多目的対戦車榴弾)は軟目標に対しては近接着弾の破片だけで十分な効果を狙えるが、装甲目標に対しては直撃でなければ意味がない。
そもそも90式戦車もプーマ戦闘車も、このような動きの敵と戦うようには設計されていない。
突如として激しい振動。罵声と悲鳴が上がるが、連続する炸裂音に掻き消される。30ミリ砲弾の速射を浴びている。
「っくうぅ!」
レッドハンドルは車体を大きく左に転換させ、フェンリルの射線から逃れる事に成功。しかしフェンリルの砲撃はそのままレッドハンドルのすぐ前方を走行していたプーマ歩兵戦闘車に直撃し、立て続けの炸裂に車体の後部ハッチが内側に抉じ開き、内部にまで達した砲弾の破片によって兵員乗車スペースに同乗していた六名のプレイヤーは肉塊と化した。執拗に撃ち込まれ続ける砲弾に、とうとうプーマ歩兵戦闘車は黒煙を噴き上げる。
「ああっ! そんな、なんてこと……」
惰性でしばらく走行するが、すぐに停車するプーマ歩兵戦闘車をバックモニターで目の当たりにしたレッドハンドルは息を飲む。
「レッドハンドル」テールの落ち着いた声。「大丈夫です。あなたの所為じゃありません」
「私の所為よ! 私が避けなければ……」
「ええ、あなたが避けなければ私達がああなっていたでしょう」
「……」
「キツイ言い方だけど、彼らが死んだのは操縦手の腕が悪かったから。そして私達が生きてるのはあなたのおかげ」
「そうね。ごめん。もう、大丈夫」
「……いや」砲手のプレイヤーが割って入る。「まだ生きてますよ、あのプーマ」
至る所から黒煙を噴き停車しているプーマ歩兵戦闘車だが、車体上面の砲塔だけが旋回し、間近を駆け抜けようとしていたフェンリルに30ミリ機関砲の砲口を重ね、発砲を始めた。車内の誰かが生きており、砲塔を繰っているのだ。
側面からの不意打ちを喰らったフェンリルは大きく体勢を崩す。砲弾が黒煙を伴う小さな爆発を生む度に本体の装甲が剥がれ、火花が散る。だが30ミリの炸裂砲弾では決定的な損傷を与える事ができず、フェンリルは四本の脚を盾のように本体へ引き寄せた。その直後、跳ねた。高い。十メートルは優に超える跳躍だ。そしてそれはその場高飛びではなく、大きく弧を描くような幅跳びだった。落下の先は、消えたフェンリルを捉えようと砲塔を彷徨わせているプーマ歩兵戦闘車。
鋭い四本の脚の切っ先を砲塔の一点に向けて、落下する。隕石のように、強大な矢のように、プーマ歩兵戦闘車を貫徹し、粉砕した。そのたった一撃で、プーマ歩兵戦闘車は原形留めぬ残骸と化した。
「射てえっ!」
レッドハンドルとテールが同時に怒鳴るが、砲手のプレイヤーはそれよりも速く撃発していた。目の前で起きた恐るべき攻撃、有り得ない破壊。それに驚嘆し慄くよりも先に、獲物を狩った瞬間に動きが止まっているフェンリルの隙を突くべきだと、感じるよりも先に考えたのだ。
120ミリ滑腔砲から放たれた多目的対戦車榴弾は、フェンリルの本体に着弾。熱が伝わるよりも遥かに速い超高圧によって発生するメタルジェット。メタルジェットの運動エネルギーの前では装甲の強度は問題にならない。障害になり得るのは単純な厚みであり、フェンリルの装甲の厚みはそれを防ぎ切る事が出来なかった。内部への侵徹口が形成され、そこから注ぎ込まれた爆風と破片により内部を徹底的に破壊される。
吹き荒れる爆裂の向こう、フェンリルはプーマ歩兵戦闘車の上から弾かれるように吹き飛び、虫の死骸のように脚を上に向けて停止した。本体の側面には放射状に亀裂が入り、その中心の孔から火花と黒煙を噴いている。
「やった……」砲手は小さく呟いて、すぐに歓声を上げる。「やった! 倒した、倒しましたよ!」
他の面々も歓喜するが、奇妙な轟音と衝撃に、空気は凍り付く。
「は? あれ? 嘘。そんな」
レッドハンドルは戦慄する。90式戦車はほぼ停止していた。アクセルは目一杯踏み込んでいるし、覆帯は確実に地を捉えているはずなのに、戦車はのろのろと、何か重い物を引き摺っているかのように、著しく減速している。
「――――つ、捕まったわ! あいつ、私の後ろに取り付いてる!」
フェンリルは五体居るのだ。破壊した一体に気をとられるあまり、側面から接近していた一体に気付けなかった。その一体が、90式戦車の車体後部に前脚の一本を突き立てて、後脚の二本を地に深く埋め、抉れた線を牽きながら、取り付いている。
そして残った前脚の一本を振り被り、
「ひぅ――――!」
90式戦車の砲塔を殴打し始めた。重量がある分、30ミリ機関砲の着弾よりもその衝撃は激しい。凄まじい揺れに、特定の席を持たなかった同乗プレイヤー達は絶叫しながら転げ回る。鋭い脚が振り下ろされる度に、鈍い衝突音を伴って砲塔上面は減り込む。
砲手はフェンリルに向けて砲塔を回そうとするが、長い砲身がフェンリルの前脚にぶつかり、照準できない。
一際大きな轟音、とうとう脚が砲塔の上面装甲を貫通し、車内に侵入してきた。砲手は目前にある禍々しい脚を見て、悲鳴を上げた。
「マジかよ。どんな攻撃やねん……」
零吟は一部始終を目の当たりにし驚嘆していた。やや逡巡してから、運転手に告げる。
「おい! 戻れや。あの戦車、助ける」
「はあ!? 何言ってんだよ? ありゃもう駄目だろ。戻ったところで俺らがやられるだけだ。お前もさっき言ってただろ」
「ああ。けど、あの戦車、あの蜘蛛野郎を一体壊してる」
「知ってるよ。だけどそれがなに?」
「まだ生きてる戦闘車輛の中では、あの連中が一番手練って事や」
零吟は、腕の立つプレイヤーに思い入れる癖があった。尾根でカンカラスと接触したのも然り。顔も名前も知らないのに、奇妙な親近感を抱いてしまうのだ。零吟が人格者というわけではなく、貪欲に勝利を狙う赤犬ならではの癖だ。
「それにわかってるやろ。このまま逃げてたところで、どーにもならん」
「ああっもう」ハンヴィーはドリフトして回頭。遠方の90式戦車と、それに執拗に殴打を繰り返すフェンリルに向かって全速で突進する。「で、どうするんだよ。何か手はあるのか?」
「このまま突っ込めや!」
「はあ!? は、ははは。わかったよくそったれ。もうどうにでもなれってんだ畜生め!」
零吟はM134ミニガンを撃ちまくる。90式戦車に密着するフェンリルに向けて発砲しているので、戦車にも相当数の流れ弾が着弾しているが、如何に連射が速くともミニガンの口径は7.62ミリのライフル弾でしかない。戦車の装甲に対しては、鉄板に釘を打とうとしているようなものだ。フェンリルに対しても同様である。ダメージは期待できない。
それでも零吟はハンヴィーがフェンリルの後脚に衝突する最後の瞬間まで、撃つのを止めなかった。
「!」
殴打ではない、衝撃を伴わない車外からの衝突音。不意に自由になった車体。レッドハンドルは疑問を感じるよりも先にフェンリルから離れる。モニターで確認すると、土煙の中、脚を崩して地に突っ伏すフェンリルと、そのすぐ近くには大破したハンヴィーがあった。
「射って! 止まってるわ。今よ!」
自身を犠牲にして窮地を救ってくれた見ず知らずのプレイヤーに感謝するよりも先に、彼らの意思を無駄にしないためにも、レンドハンドルは砲手に怒鳴った。
だが返事はなく、振り返って見ると砲主席は血塗れであり、砲手自身も席からずり落ちるように力なく項垂れていた。頭部が奇妙な形に潰れ、胸板が深く抉れている。装甲を貫通してきたフェンリルの脚にやられたのだ。
「そん、な……」
レッドハンドルは呆然と渇いた声を発するが、テールの声で我に返る。
「運転に集中して! 私が砲手になります」
指示をしながら車長席に居たテールが砲手の死体を席から乱暴に引き摺り降ろした。その行為は一見、敬意が欠落しているように思えるが、敬意を持って慎重に遺体を扱っているような時間的余裕はなく、それが原因で全滅したらそれこそ砲手も不本意だろう。
「くそっ! 駄目よ。間に合わない!」
それでも遅過ぎた。フェンリルは既に立ち上がり、動き始めていた。
「……いえ」
テールは動きを止め、硬直していた。目を見開き耳元に手を当てている。それは通信の仕種だ。そしてレッドハンドルに視線を移すと、微笑んだ。
「どうやら間に合ったみたいですよ」
その言葉の直後、白煙の尾を引いて上空から飛来した二発のミサイルがフェンリルに直撃。刹那、剥がれ飛ぶ装甲の破片と引き千切れた砲塔が見えたが、膨張する橙色の爆炎に飲み込まれた。
予期せぬ出来事に車内は一時沈黙に包まれ、微かに届くヘリの羽音に、すぐに安堵と歓喜の声で賑わう。しかし、テールとレッドハンドルはどこか腑に落ちない様子で顔を見合わせていた。
「助かった……でも」
「ええ。さっきから、あまりにタイミングが良過ぎる気がします」
「お待ちかねの餌の時間だ!」
突如現れ、制空権と戦闘の主導権を手にしたのは六機のヘリコプター。細いシャープな形が特徴的なAH-1Z。AH-1 コブラシリーズの最新発展形であり、バイパーの名を持つ攻撃ヘリコプターである。
「今日のご飯は蜘蛛の化け物か。待たされた甲斐あってうまそうだ」
パイロットとガンナー、二人乗りの縦一列搭乗席に座るのは、ヘリポートでヘリコプターの出現を待ち構えていた“燕”の符丁を持つビークルカンパニーのクラン員達だ。プレイヤー側全体で取り決められた符丁では『大鎌』。
「おいおい、なんだよ。もう三体しか残ってないじゃん」
「熊が一体壊したらしいね。もう一体はアウトローのアホがつまみ食いしちゃった」
「はあ? 早い者勝ちに決まってんだろ、ナイトストーカー。悪いけどボクちゃんまだ腹ペコ。遠慮しないぜ」
先まで地上部隊に充満していた絶望感など露知らず、燕達はふざけた調子で嘯き合うと、地上から約二百メートルの高度で広く展開。各々が眼下の異形に向けて対地攻撃を開始した。
攻撃ヘリコプターの出現と、嬉々としてそれに乗り込んで離陸していったビークルカンパニーのクラン員を見送った鎧の通信員達は、戦況の回復を告げる報告を耳にするまでもなく、安堵していた。
ただその中で、不機嫌そうな男が一人。それが誰かは言うまでもない。
攻撃ヘリコプターの出現をウィスキーは確信的に予感していた。故に先のフェンリルが接近していた状況でも動揺するような事はなかった。
攻撃ヘリコプターの出現は歓迎すべき事柄であり、実際に助かったのだが、ウィスキーは微塵も喜ぶ気になれない。それはとうに予感していた事であり、そしてそれは偶然などではなく、明らかな故意によるものだからだ。
ウィスキーだけでなく、勘のいい者は気付き始めたはずだ。
挟撃には追加戦闘車輛、ロシナンテには自走榴弾砲。そして今、フェンリルには攻撃ヘリコプター。プレイヤー側が何らかの窮地に立たされる度に、それに対する何かしらの抵抗手段が絶妙なタイミングで与えられるという規則性に。
最初、車輛格納庫に未知のパターンで再出現した戦闘車輛を発見した時に感じた気持ち悪さが、自走榴弾砲の出現で確信に変わり、攻撃ヘリコプターを目にした時には憤りさえ覚えた。
ウィスキーはクエスト開始前に宣言した。お遊びのクエストではないと、互いが本気の真剣勝負だと。だが間違っていた。
これはあくまでもクエストなのだ。キャプチャーザフラッグというバトルのルールが使用されているが、決してバトルとは違う、そういう“仕様”のクエストなのだ。ある程度の筋書と道筋が最初から定められている。特別の名を冠しているが、クエストの一種でしかないのだ。
カイも言っていた。武器がなかった時には物資が、広大なマップにはヘリコプターが与えられたと。非常に難易度は高いが決してクリアが不可能ではない程度に調整されていた、と。
つまり、これは真剣勝負ではない。カイ達が戦い、そして自分達が今戦っている何者かは、真剣ではない。いや、真剣なのかもしれないが、勝利に対して真剣なわけではない。カイの話に出て来たバハムートという女性の仮説通り、面白いゲームをユーザーに提供する事に真剣なのか?
「……」
わからない。結論を導くには情報が足りな過ぎる。今考えても詮のない事だった。
それに忘れてはならない。クリアは不可能ではないという迂遠な言い回しからわかる通り、言い換えればクリアは限りなく不可能に近いのだ。成功するよりも失敗する可能性の方が遥かに大きい、最高難度のクエストなのだから、間違っても楽観などできようはずがない。
今まで与えられた抵抗手段にしたところで、プレイヤー同士の殊勝な連携と各人の高度な能力、そして多少の幸運がなれば意味を成さず、それを生かせなかった瞬間に敗北ないし、それに通ずる極めて不利な状況に陥っていた。喩えるなら、ぎりぎりの綱渡りのロープを数ミリ太くしてくれている程度のものでしかない。落下したらそれまでだ。
相手は真剣でないのかもしれないが、プレイヤー側は常に全力で真剣に臨まなければならない。
「――――マスター」
ビクターの声。ウィスキーは弾かれたようにそちらを見る。彼女の徒ならぬ声色から、ウィスキーはクエストが始まってから一番危惧していた事態が発生した事を悟る。
「暗器が接敵しました……!」
そしてウィスキーはクエストが始まってから、どんな状況であろうとも決して見せる事がなかった負の感情をはっきりとその表情に宿した。明確な焦燥である。