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False War  作者: IOTA
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False War 10-5




 ストライカー装甲車の薄暗い兵員搭乗スペース。盾の通信を担当するプレイヤー達が声を張る。

「コマンダー! 盾からの連絡。ロシナンテが出現しました!」

「盾は現在、マップスケール一分の一、横軸3の小川にて、ロシナンテと遭遇」

 もう一人の通信員が矢継ぎ早に報告する。

「複数の通信から察するに、後退しないとマズイ状況のようです」

「そうか」ウィスキーは通信員達の語勢と反比例するような至極落ち着いた声色で即答した。「盾の総員に指図。横軸4の尾根まで後退し防衛線を展開」

 あくまでも指図という言葉に拘るウィスキーに、三人の通信員は困ったように顔を見合わせるが、すぐに三者共に似たような科白のボイスチャットを飛ばす。それにより盾に属する分隊の全ラジオマンにウィスキーの指図が伝達された。もっとも、指示だろうが指図だろうが、端的明確を基本とする通信上の会話でそんな微妙なニュアンスの違いを伝えられるわけもなく、結局は同じ事である。

「あと一つ」ウィスキーは更に付け加える。「ロシナンテは恐ろしく頑丈だが殺傷は可能だ。そう伝えて激励しておいてくれ。作戦会議に参加していないプレイヤー達はまた騒ぐだろうが、その説明だけすればいい」

 諒解の返事をした三人は再び通信を飛ばし始めた。ほどなくして喧騒としていたボイスチャットの応酬が収縮すると、一人の通信員がウィスキーに正対し、意を決した風に口を開く。

「あの、シャープシューターとかロシナンテとか、一体何なんですか?」

 それは作戦会議の際にもクエストが始まってからの通信上でも、散々繰り返された質問だった。質問した通信員だけでなく車内の全員がウィスキーに目を遣る。盗み見るような好奇の視線である。ただ一人ビクターだけが憂いの宿った表情でウィスキーを見ていた。

 その質問の真意は、異常なNPCについてだけではなく、この異常事態全てをひっくるめて訊いているのだ。これは一体全体何ですか、と。他のプレイヤー達同様、通信員達にも全てを話したわけではない。カイの話を参考にしたスペシャルクエストの概要は作戦会議の席で語った。具体的には登場する可能性のある異常なNPCについて等である。しかし、カイの話そのものを話したわけではない。つまり、言うなれば異常事態の情報のソースにあたる、カイが体験した異常事態については一切公言していない。

 とは言え、その裏の事情を知るウィスキーとてこれが何かと問われても答えようがない。当のカイにも真相は判らないのだから、それを知るために戦っているのだから、当然である。

 何も答えないウィスキーを見て、質問をした通信員が呟くように言う。

「……エクスレイ、ですか?」

 今回の騒動にカイが何らかの形で関係している事は、この狭い世界では隠しようがなく、そもそもこのクエストに参加している全プレイヤーはカイからクエストの招待を受けた格好なので、もはや周知の事実だった。

 しかしウィスキーは、カイの関与が露骨に疑われた事に対してではなく、エクスレイというその単語にこそ、目元を歪める。

「現在、フォネティックメンバーにXは存在しない」

「え。でも、ブラックレイが」

「奴はもうフォネティックメンバーじゃない」

「えっと、じゃあカイって呼べばいいですか?」ウィスキーの態度にもめげずに通信員は質問を繰り返す。「奴が何か関係してるんですよね」

 ウィスキーは通信員から視線を逸らし、黙り込んでしまった。

「ねえあんた」沈黙を守っていたビクターが唐突に口を開く。「何を気にしてるのか知らないけどさ。気に入らないなら、今すぐ抜ければ?」

「いや、別にそういうつもりじゃ……」

 険悪なビクターの物言いと殺伐とした視線に気圧され、通信員は言葉を濁し、口を閉ざした。以降、車内は重い雰囲気に満たされる。時折、通信員達が各分隊のラジオマンからの通信に機械的に返答しているが、無駄な会話を一切しなくなった。

「マスター」

 ビクターはウィスキーに話し掛けるが、通信員達は誰も気付かない。他者には会話をしている事すさ悟られないウィスパーで話し掛けたのだ。

「あのですね、さっきはああ言いましたけど、別に話しちゃってもいいんじゃないかなー、なぁんて……」

 作戦会議が始まる少し前、ビクターはウィスキーに呼び出され、これから始まるクエストと、その要因と思われるカイの周囲で起こった異常事態のあらましを聞かされた。ウィスキー流の簡潔な言い方ではあったが、重大性を知るには十分であり、昨日に偶然目にしたカイの尋常ならざる様子がそれを裏付けていた。

 ビクターもウィスキーが詳細を伏せたがる理由は理解できる。おそらくカイを好奇の視線に晒させないためだろう。複数の二つ名を持つ最上級プレイヤーであり、その上騒動との関係性を確信的に疑われている時点で、もう十分過ぎるほど目立っているが、詳細を明かせば更に注目を集め、その視線に不審や憐憫や同情が混じり、心無い者なら面白がって罵倒するかもしれない。ビクターはカイの事が嫌いだが、彼がこれ以上傷付くのを望んでいるわけではない。事情を知ってしまったから尚更だ。ウィスキーも同様だろう。だが、それを隠しているがために指揮官であるウィスキーに非難が集中するのは許せなかった。

 しかしウィスキーの返答はビクターの意に反するものだった。

「俺の口から奴についてべらべらと喋りたくはない」

 ウィスキーはカイの事を気に掛けているが、積極的に関わろうとはしなかった。多分に私情を含んだ少々幼稚とも取れる理由だが、確かに、ウィスキーがカイの体験談を他人に話している姿は想像し難い。

 しかし、関わりたくないのならば、なぜカイの頼みを聞き入れ指揮官を任されたのか。ビクターは敢えて問わなかった。察しが付いたからだ。おそらく、あの女ズールが関係しているのだろう。ビクターにはズールがどのように関わっているのか、皆目見当も付かないが、少なくともウィスキーはそう思っているからこそ、話に乗ったのだろう。

「でもマスター」ビクターは気持ちを暗くさせるジェラシーを隠し、違う質問をする。「なんで私には話してくれたんですか?」

「別に理由はない。知るに足る資格を持った人間には、話しておこうと思った。それだけだ」

 ビクターは嬉しくなった。少なくとも、通信員達や他のプレイヤーとは、別物に見てくれているのだ。ただし、別物ではあっても特別ではない。ウィスキーの言うところの知るに足る資格というのは、フォネティックメンバーの古参であるという意味合いでしかないだろう。ビクターは元タンゴの虎サンとも、元シエラシマドリとも元ホテルハンヴィとも顔見知りだった。別段親しかったわけではないが、元は仲間である。元仲間の身に起きた不幸なら、良識的に考えて、伝えるべきだ。ウィスキーはそう判断しただけだろう。

 ウィスキーは感情が無いわけではないが、それよりも効率を優先する。クエスト開始直前に行った“一人の男の非業の死”云々という発言が良い例だ。浅慮に見れば、あんな発言をすべきではない。悪戯にプレイヤー達の興味を煽った形である。カイの相棒であった虎サンの姿が最近見えない事から、察する人間も居るかもしれない。しかしその反面、あの発言により個々の戦闘意欲は確実に鼓舞されただろう。

 何も語らないまま、ただ大規模で奇妙なクエストとして受け止められるか、大仰な物言いをして事の重大性を仄めかし、士気を挙げるか、ウィスキーにとっては後者の方が優れた選択だったのだ。そして、あの時、微細に変化していた声色と表情が、効率の陰から僅かに顔を覗かせた彼の感情の表れである。

「機械に人は従えない。また人間味に過ぎても人は従わない。マスターの機械的な効率と人間的な感情、その黄金比こそが、策士という二つ名にぴったりと符合しているのだ」

「……おい。突然何を言ってるんだ」

 ウィスキーのドス声に、ビクターはハッとした。考えていた事を口に出して喋ってしまっていた。しかも割りと大声で。彼女の悪い癖である。車内の通信員は全員が目を点にしてビクターを見ていた。

 ウィスキーは苛立たしげに嘆息し、双眼鏡を片手に車外に出て行ってしまった。

 そこでビクターは、はたと気付く。

「あれ? マスター、私には感情の方を優先してない?」

 無論、悪い意味で。



 平べったく、湾曲した長方形の箱。底面には針状の脚が四本突き出ている。M18クレイモアだ。草叢の南側入口付近、カンカラスはクレイモアの『FRONT TOWARD ENEMY』と記されている面を北に向け、脚を地面に突き刺し、頂部の挿入口に信管を取り付け、ワイヤーを尾根の頂上まで牽く。これで三つ目だ。

 ジャミとのボイスチャットでロシナンテなるNPCの進行と盾は総員後退し、例の尾根にて防衛線を張る、という鎧からの通信を聞かされ、前線に向かって進んでいたカンカラスは、もはやお馴染みとなった尾根に再びとんぼ返りしていた。

 ビークルカンパニーの車輛もカンカラス同様、Uターンして来て、すでに在った90式戦車隊の隙間を埋めるように尾根の頂上に並ぶ。前線に居たプレイヤー達も続々と草叢から出て来ており、ジャミ分隊と合流こそ出来なかったものの、きっとどこかに居るだろう。

 先の戦闘で穿たれた尾根の爆発痕の内、比較的小さなものを個人用簡易塹壕ざんごうとして、穴の内側にクレイモアの起爆リモコンを三つ並べて置いてから、カンカラスは立ち上がり、眼下を見渡す。

 それにしても、盾のプレイヤーは、随分と減ってしまった。三百名以上のプレイヤーが戦死した事は先のスコアボードの確認で知っていたが、それは数字でしかなく、こうして疎らに退却してくるプレイヤー達を実際に目にすると、戦力がいかに減衰したか思い知らされる。

 そして、戦死したプレイヤー達は、ほぼ全員がゴーストとなってこの戦いの行方を見守っている。別にオカルトの話ではない。基本的にクエストやバトルで死亡したプレイヤーには二つの選択が与えられる。そのクエスト・バトルルームから退出しタウンに戻るか。死体としてそこに留まり戦いを観戦するか。前者の場合、プレイヤーの死体は消えて即座にタウンに再出現する。後者の場合は、死体は消えずに留まり続け、観戦できる。観戦と言ってもマップに幾つか設定された固定カメラによる俯瞰アングルからの見物でしかないし、生存者とは勿論、死したプレイヤー同士でもボイスチャットが出来るわけでもない。言ってしまえば退屈なのである。故に普通は淀みなく退出を選択するのだが、くどいようだが、今回は普通ではない。

 そこここに転がるNPCの死体に混じり、プレイヤー達の死体も消えずに留まり続けているのだ。皆がクエストの結末を気に掛けているのだろう。そしてあわよくば勝利を願っているだろう。

 戦死プレイヤーが観戦を選んだ場合、生存者にもメリットが有る。死体だけでなく、装備も残るのだ。それを拾得し使う事ができる。先ほどカンカラスが敷設したクレイモアもFEFクラン員の死体が持っていたものを使ったのだ。

「今の内に準備しておけ! 奴ら、マジで硬いぞ」

 草叢から這い出てきたプレイヤーの一人が誰に言うでもなしに怒鳴っている。おそらく間近でロシナンテと相対したのだろう。その表情は恐慌だった。

 しかし言われるまでもなく、プレイヤー達は着々と防御陣地を構築している。三トントラックに群がり装備を補給し、地雷や爆薬を手に草叢に出たり入ったりを繰り返す者。点在する大きな爆発痕には数人のプレイヤーが入り、三脚に据えた重機関銃にベルトマガジンを装填している。

 稀に爆音と共に草叢の遠方で黒煙が噴き上がる。殊勝なプレイヤー達が退却してくる道すがら地雷を敷設してきていたのだろう。稀にではあるのだが、その爆発は確実に近付いて来ている。

 不意に、真横を横切る橙色の焔に、カンカラスは目を奪われた。

 背に担いだタンクに、そこから伸びるホース、そして先端部に炎を点す銃部。火炎放射器フレイムスロウワーだ。火炎放射器を背負ったプレイヤーが三人、それぞれ尾根の左翼、中央、右翼と、大きく間隔を置いて、草叢に向かっている。

 そして、後に続くように数十人のプレイヤー達が、筒状の手榴弾を両手に持ち、疎らに尾根を下り始めた。彼らが握っているのはTH3サーメート。焼夷手榴弾だ。

 一体何をしようというのか。それはまさしく火を見るよりも明らか。それでも制止の意味も含めてプレイヤー達は後ろから問う。

「おいっ! あんた達、待てよ。何するつもりだ!」

 中央の火炎放射器のプレイヤーは尾根の中腹にまで達すると、ウッサイのぉ、と振り返る。

「赤犬を這わせるんや。ウチはあんたらほど、お行儀が良くないんよ」

 言って、首元まで垂れていた真紅のフェイスマスクを引き上げ、放射を開始した。

 まるで光線のように集束された炎が、草叢まで伸び、薄に触れた瞬間、炸裂。飛散した炎が周囲に弾け、爆発的に燃え広がる。

 火炎放射器が放つのは炎ではなく、ガスにより加圧された可燃性の液体である。燃えた液体燃料をジェット噴流にして放射しているのだ。一般に想像される嘗ての火炎放射器は、流速が速過ぎると着火されないまま放射されてしまう恐れがあり、流速がかなり抑えられていた。しかし、着火システムの改良が進んだ現代の火炎放射は、驚くほど速く、遠方まで届く。

 そして、TH3サーメートを持っていたプレイヤー達も投擲し、草叢手前側の至る所から、空気を焼くような独特な爆発音と共に巨大な火球が膨らむ。

 火炎放射器から発射される緩やかな弧を描く火炎のレーザーと、随所で持ち上がる火球により、瞬く間に眼下の草叢は、ハンヴィーや90式戦車の残骸を飲み込むほどの炎の海と化した。渦を巻くような黒煙により大気は暗く翳り、火炎により周囲は橙色に染まる。

 プレイヤー達が彼らを止めようとした理由は一つ、火炎によって自分達が仕掛けた罠が無力化、あるいは威力が減衰されてしまう可能性があるからだ。現代の地雷や爆弾は、科学的に安定した爆薬を使っているので高温による誤爆の心配はまずないが、しかし信管やケーブルは熱により破損、断線してしまう。破損を免れたとしても、火災の地形的変化により地雷の向きや角度が狂ったり、焼け落ちた薄が障害になる等、期待する効力が望めなくなる事もある。トラップとは、繊細なものなのだ。

 現に自分の罠が壊れてしまったであろうプレイヤー達の悪態と非難の声が方々から上がる。しかし、その声はさほど多くはなかった。大半のプレイヤーが指令爆破タイプの地雷や爆薬を目視が適う草叢に入る直前の草原に仕掛けていたので、大して問題はないようだった。カンカラスも自身が仕掛けたクレイモアが三つとも健在なのを確認してから、火を放ったプレイヤー達を見遣る。

 目前で火炎放射を続ける男は赤いフェイスマスク、焼夷手榴弾を放ったプレイヤー達も帽子やタクティカルジャケット、バックパック等、装具のどれか一つに必ず赤い色の物を身に着けていた。

「……赤犬あかいぬか」

 実際に目にするのは初めてだが、False Huntで活動する数多のクランを紹介する情報サイトで、その存在は知っていた。曰く、新鋭のバトル畑のクランであり、火炎放射器のプレイヤーが自身でも言っていた通り、あまり行儀が芳しくないクランとして有名らしい。故意によるTKチームキルFFフレンドリーファイア等の露骨な悪行ではなく、マナーだとか協調性だとか、いささか象徴的な素行の悪さが目立つのだと言う。如何にも大味な情報サイト特有の曖昧な紹介であり、カンカラスも詳しくは知らないのだが。

「おっほっほー。こりゃあようけ燃えるのお」

 赤犬クラン員はケラケラ笑いながら火炎放射器を横薙ぎに振り回している。

 赤犬とは放火魔を意味する隠語であり、赤犬を這わせる、と言えば放火行為を意味する。赤猫あかねこと云われる事もある。しかし、彼らはその名前とは裏腹に、別段戦闘で火炎を使う事を得意としているわけではなく、特徴と言えば赤い装具を身に付けているだけで、それ以外では目立った点はない。今回は偶然、行為と名が持つ意味が一致しただけだ。火炎放射器や焼夷手榴弾は三トントラックに積まれていたものを使ったのだろう。

 フェイスマスクの赤犬クラン員がぴたりと火炎放射を止め、尾根を上り頂上に戻ってきた。そして何も言わずに、一輛の90式戦車を見上げる。90式戦車は懸架装置により車体を傾斜させているので、まるで睨み合っているようであった。赤犬クラン員は徐に炎と草叢の境目付近を指差す。一体何がしたいのか。その様子に周囲の者達は懐疑的な視線を向けていた。

 しかし、90式戦車内の砲手には彼の意図が伝わったらしい。数秒後、120ミリ砲が轟爆を噴く。五百メートルほど遠方、緑だった薄を炭化させながら燃え広がる炎が丁度通り過ぎた辺りに着弾。炸裂自体の爆煙と火炎により粉末状になった薄の炭が混ざり合い、立ち昇る黒煙は通常の倍にも膨張して見えた。

 続けざまに二発、三発。四発、五発と、他の90式戦車隊も砲撃を始め、連鎖反応が起きたかのようにプーマ歩兵戦闘車の30ミリ機関砲やハンヴィー、ストライカーも搭載された重火器を撃ち始める。そのどれもが、炎が過ぎ去った付近に着弾している。

「そうか。なるほど」

 カンカラスは覚り、鉄片と爆裂の暴風に曝される只中に目を凝らす。

 点のような人影が幾つか見受けられる。あれが例のNPC、ロシナンテなのだろう。

「くそ。なんで気付かなかったんだ」

 火炎により、鬱蒼としていた薄は炭化し、視界が拓けたのである。つまり、射程が広がった。敵の位置を知り、火力が勝っているのなら、ご丁寧に待ち伏せをする理由はない。NPCが草叢から現れてから肉薄した戦闘を行うより、遠方から強力な火力で叩いた方が良いに決まっている。

 誰もが待ち伏せという雰囲気に支配され、より有効な策を考えようともしなかった中で、赤犬だけはそれに気付いて行動に移したのだ。他との協調性を一切無視し、只管に有利な行動を採る。ちょっとした良識やマナーが割と重視される事の多い野良バトルでは、歓迎されないのも頷ける。しかし、今回のように特異なクエストでは、それがプラスに働いた。

 歩兵であるプレイヤー達も彼方の焼け野原に点々と現れる敵影を発見し、狙撃銃や機関銃などを用い、銃撃を始めた。

 様々な得物による長射程の弾幕。秒間に何百回も音の壁が突き破られるソニックブームの大喧騒。焼け野原と草叢の境界では、さながら絨毯爆撃を浴びているかのような殺意の颶風ぐふうが吹き荒れる。

 カンカラスはSG552を負い紐で背に回すと、補給物資を積んだ最寄の三トントラックへ駆け、荷台によじ登り、射程の長い火器を探す。いくら高性能のSG552であっても、アイアンサイトの突撃銃で半キロの長距離射撃となると厳しいものがある。

 トラックの物資は他のプレイヤー達に漁られた後であり、目ぼしい物は残っていなかった。唯一使えそうな得物を見付けたが、その中途半端さに顔を顰める。

 フォアグリップエンド付近の銃身に二脚バイポッドが取り付けられ、レシーバ上部には十倍のミルドット照準眼鏡スコープがマウントされたボルトアクションの長大なスナイパーライフル。サコー TRG-42だ。

 千メートルクラスの長距離射撃を行える能力を誇っているのだが、カンカラスが中途半端と感じるのはその使用弾薬。.338ラプアマグナム。.50口径、即ち12.7ミリ弾薬では破壊力が高過ぎ、対人狙撃に用いるには人道的に問題があるとされ、7.62ミリNATOと.50BMGの中間的な性能を持つように開発された狙撃用弾薬である。しかし、異常なNPCに人道もクソもない。それが規格外の耐久性を持っているNPCとなれば尚更だ。とどのつまりはパワー不足なのである。

 だが贅沢を言える状況ではない。カンカラスはTRG-42を掴み、丸い玉状の握りが付いた槓桿ボルトを起こし、後ろいっぱいまで引いてから、元通りに前進させ初弾を薬室に送り込む。近くの箱から五発入りの弾倉を幾つか収得すると、トラックから飛び降り、先の塹壕まで戻った。

 折り畳まれていたTRG-42の二脚を開いて地面に固定し、右手で銃把を、左手は肩に当てた銃床を下から支えるように脇下に添える。

 スコープを覗くと、十倍に拡大された視野は筋肉の震えと呼吸により揺れ動く。焼け野原の様子、黒煙が燻り、細かい火の粉が舞っている様まで子細に見て取れた。ライフルの銃口をゆっくりと持ち上げ、丸い視野を走らせると、居た。

 焼け残り青々とした薄を背に、黒く焦げた大地を一歩いっぽ踏み締め、こちらに向かって来るNPCの姿が二つ。視野を左右に振ると、大体五百メートルの大きな間隔を置いて、全く同じ、ツーマンセルのNPCが向かって来ているのが見えた。あれがロシナンテ。

 もし三十キロ全面に同じ光景が広がっていて、後続もなくそれが全てならば、その数は百二十。多いのか少ないのか、相手は異常故に判断し兼ねた。

 最初に発見した正面の敵影に照準を戻す。腰だめに構えたHK21軽機関銃の銃口とフルフェイスバイザーは真っ直ぐにこちらを向いており、まるでカンカラスを凝視しているようだ。

 クエストやバトルで物資として出現する7.62ミリクラスのスナイパーライフルは、射程二百メートルで照準調整サイトインされている。おそらく.338ラプアマグナムは若干遠方に調整されているだろうがほぼ同様だろう。故にカンカラスはスコープ中央の上部に付いている昇降調整エレベーションノブを感覚を頼りに数クリック回すという酷く簡素な照準調整を済ませて、十字線の中心を右側のロシナンテの胸に乗せると、淀みなく引き金を絞った。

 周囲の大気が膨張し、視野が一瞬白濁する。しかし伏射プローンという堅実な射撃姿勢なら照準が跳ね上がるような事はない。大口径の狙撃銃と優秀な射手にとって五百メートルは近距離である。発砲とほぼ同時にロシナンテの胸部に飛び込んだ.338ラプアマグナム弾は、必殺の心臓を貫く。

 外したッ。

 カンカラスは最初そう思った。しかし違った。上級プレイヤーに至るまでに培った経験により、否が応でも即座に訂正させられる。この距離で外す事よりも、更に驚嘆すべき事実を肯定させられる。

 ―――硬い……!

 血液と肉片が飛沫状に霧散するのをはっきりと目にしたし、確実な着弾の手応えを感じた。確かに.338ラプアマグナム弾はロシナンテの胸を貫いたのだ。ただ、リアクションが皆無だっただけだ。

「くそ。冗談じゃないな、これは」

 カンカラスはボルトを操作し、排莢と装填を行い。射つ。今度はヘッドショット。砕かれたバイザーの破片とその内部で破裂した脳漿が飛び散る。しかし、無反応。破片と化したはずのバイザーにも、傷一つ見受けられない。

 三発目を射とうとした時、一瞬丸い視界の隅から黄色い光弾が入り込み、右側のロシナンテに直撃した。舌を打ち、スコープから目を離すと、先まで照準していた辺りが爆煙で満たされていた。90式戦車の120ミリ砲だ。

 再びスコープを覗き、目を凝らす。もうもうと立ち昇る黒煙以外は何も視えない。120ミリ多目的対戦車榴弾の直撃を受けては、いかに頑丈なNPCでも一溜まりもないだろう。

 次の標的を探しに照準を振りかけた時、粉塵の中で揺れる二つの影に気が付いた。

「―――馬鹿な」息を飲み、恐る恐る照準を戻すと、ほどなくして、恐れていた通りの描写が網膜に焼き付く。先と同じように、何事もなかったかのように、二体のロシナンテはこちらに向かって歩いて来る。身体の至る所から煙を噴いているが、外傷は皆無。「有り得ない……」

 先のシャープシューターならまだ容認できる。射撃精度が飛び抜けて高く、それを利用し兵士というよりも兵器のような集団戦法を採ってくるぐらいならば、辛うじてではあるが理解もできる。だが、このロシナンテは、いくらなんでも認めるわけにはいかない。一体どうなっているのか、戦車砲の直撃を喰らい微動だにしないとは。戦車よりも耐久力が高いどころの話ではない。物理法則を真っ向から否定している。

 これはゲームである。あまりにリアルなために時折忘れそうになってしまうが、この世界の全てが仮想現実バーチャルリアルなのである。故に物理法則などプログラム次第で自由自在だ。自由自在ではあるのだが、出来うる限り現実に近づけるのが常識であり、より近づけた方が優とされるのがこのジャンルのゲームでは常だった。あのロシナンテは、物理法則と同時に、このゲームの売りであるリアリティまでも否定してしまっている。

「……」カンカラスは一時、ゆっくりと迫り来る二体のNPCに目と思考を奪われていた。

 ロシナンテの存在は、リアリティを否定してはいるが、人間の最も原始的でありリアルな感情を喚起させる。現実と錯覚してしまうほどリアルな世界で、突如有り得ないアンリアルに遭遇した時に感じるのは、恐慌であり、恐怖であり、戦慄。

 胸の奥で僅かに乱れる鼓動と、頭の中で駆け回る焦燥、これは紛う事なき本物リアルだ。

 虚無を湛える破壊不可能アンブレイカブルの二つのバイザーが放つのは、深い深い、深淵を覗き込んだ時のような、言い様のない死の恐怖。機械のような敵意なき殺意。それが列を成して、迫り来る。

 ぶるりと、カンカラスは寒気に身を揺すり、

「ふ、くはは」

 笑いを発して、引き金を切った。

 カンカラスの笑いは、ゲームの中で恐怖した自分に対する自嘲なのか、それとも心の底で昂揚し始めた闘争本能による歓喜の哂いなのか。

 カンカラス自身も意識してはいないが、少なくとも彼の口角は吊り上がっていた。



「ね、ねえ、ジャミ、今の見た? 戦車砲が直撃したのに普通に歩いてるよ、アレ」

 ライフルにマウントされたACOGスコープを覗きながら、心なしか震える声で告げる分隊員。

「あれでも殺傷は可能なんだってさ!」ジャミはトラックの補給物資から収得したM60E4機関銃を撃ちながら大声で応じる。「鎧の言葉を信じて撃ちまくるしかないよ」

 ジャミの分隊も他の例に漏れず、鎧の指図を受け、尾根まで退却してきていた。

 ジャミは背後に屈んでいる女性プレイヤーを見遣った。ビークルカンパニーのマスター、乗る造にテールと呼ばれていたプレイヤーだ。

 テールは耳元に手を当て、ボイスチャットに専念しているようだった。ビークルカンパニーの指揮を委任されたテールは慣れない通信に苦戦しているのだろう。その表情にはもう乗る造が銃殺された時の陰りはない。

「それにしても、何であれがロシナンテ? そもそもロシナンテって意味わかんないよっ」

 怒気を孕んだ悪態染みた分隊員の独白。ジャミは装填しながら言う。

「のろま」

「えっ! なに!? 喧嘩売ってんの!?」

 射撃を止め、ジャミを睨み付けてくる分隊員。どうやら彼は感じた恐慌を苛立ちに変換して出力する性質のようだ。ジャミは苦笑しながら首を横に振る。

「違う違う。ドン・キホーテって読んだことない? それに出てくる鈍間のろまな馬。それがロシナンテ」

「ああ、そっか。なるほど、だから連中、歩いてるんだ」

 そう、ロシナンテは走れない。作戦会議の際にそういう所以からその呼び名が付与された。参加しなかったジャミ達には知りようもないが、多少の文学の知識があれば容易に想像出来た。

 あの頑丈さで走って来られたら、たまったものではない。もし猛ダッシュでもされようものなら、もうこの尾根にまで達しているだろう。強固に成る代わりに速度を失ったのだ。走れないという事が唯一の弱点。

 とは言え、彼我の距離はもう二百メートルを切っていた。最初は点でしかなった敵影が、今では裸眼でもはっきりと姿形を判別できる距離にまで接近している。

 それなのに、ジャミの見た限りでは、まだただの一体も撃破できていない。約三百メートルを徒歩で悠々と移動する数分の間、ロシナンテの群は通常のNPCなら数十回、いや、百回以上は死傷するほどのダメージを全身に惜し気もなく浴びているのに、倒れるどころか、怯む気配すらない。出鱈目に硬い。

 先の小川でのNPCの大群が波ならば、このロシナンテの群は壁だ。徐々にではあるが、確実に押し迫る硬い壁。

「!」

 ここにきて初めて、徒歩に徹していたロシナンテの挙動に変化があった。ロシナンテの全数が同時に、今までは腰だめで真正面にだけ向けていた銃口を、僅かに振り、動かしたのだ。つまり、こちらを照準した。それは微細な、注視していなくては見逃すほどの動きだったが、ほぼ全てのプレイヤー達が見咎め、掛け声はなくとも皆が姿勢を低くし、ハンヴィー等の弱装甲車輛の銃座に取り付いてたプレイヤー達も車内から飛び出した。

 直後、横殴りの弾雨が尾根を打ち付ける。曳光弾の光線が虚空を切り裂き、至る所で茶褐色の砂埃が弾け、装甲車に着弾し続ける弾丸が休む間もなく火花を散らす。大きな間隔を開けているとは言え、百体以上のロシナンテが毎分九百発の連射速度で7.62ミリ弾を発砲しているのだ。その火力はプレイヤー達が行っていた一斉射撃には及ばないが、それは今までは反撃の兆候が見られず、一方攻撃を仕掛けられた故だ。この反撃はプレイヤー達を怯ませ、火力を減衰させるには十二分だった。

 それでも数人のプレイヤーが起き上がり、膝射の姿勢で射撃を再開するが、ほどなくして被弾し、倒れる。ハンヴィーの銃座に戻ろうとしたプレイヤーも居たが、車体に着弾の火花とガラス片が生じ、車内で絶命する。ロシナンテの射撃能力を見誤ったのだ。それも無理はない。腰だめで構えた軽機関銃による二百メートルの射撃など、精々威嚇か牽制であろうと高をくくって然るべきだ。シャープシューターのように異常に過ぎる射撃精度ではないが、ベリーハードのクエストで登場するNPC以上であり、常軌は優に超えている。射線に長時間身体を晒す事を許すほど、温くはない。

「くそったれがあッ! あんなふざけた撃ち方で、バカみたいに中ててきやがる! 頭を上げるな! 伏せて撃ち続けろ!」

 銃声と着弾音の騒音に負けじとプレイヤー達の怒声が響く混沌の渦中、ジャミは伏射の姿勢で無心にM60E4を撃ち続けていた。本来であれば、一番喧しく他には何も聞こえなくなるほどの腕の中で振えるM60の銃声が次第に聞こえなくなり、他の者の声やロシナンテの銃声、周囲の着弾音等の聴き取るべき聴覚情報だけが、如何なる理屈か、まるで魔法のフィルターを介したようにクリアに聴こえる。自身の射った銃弾がロシナンテの身体を貫いた時の鈍い破裂音が銃把を握った右手に“手応え”として伝達される。

 そして、唐突に、M60の照準器越しに視える粉塵と千切れ舞う若草が、ジャミの思考を現状と全く関係がない追憶に耽らせた。小学生の頃、夏休みに父方の田舎に泊まりに行き、田圃の草刈をする祖父を手伝っていた。草刈機の丸いカッターに削がれた草の破片と7.62ミリ弾の応酬が弾き散らす若草が重なって視えたのだ。

 息をすれば、遠い日の記憶と現在の描写が混ざり合い、草の青臭さや土の生臭さ等のゲームでは感じるはずのない臭いまでもはっきりと感じる。

 リアル過ぎる視覚情報がもたらす錯覚でしかないが、

「あは。あははははは」

 ジャミは笑った。あまりの懐かしさに、そして当に忘却していたはずの記憶がこのタイミングで甦った事に対する不可解さに、M60を発砲し続けながらも、笑ってしまった。

「ジャミ。ジャミ!」分隊員の叫び声。彼は訝むような視線をジャミに向けていた。「だ、大丈夫?」

 大丈夫だよ、と即答しようとしたが、ふと思う。この戦いが始まってから、一体何回大丈夫かと問われただろう。それが可笑しくて、また笑ってしまった。

 不審を通り越し不愉快気に歪む分隊員の表情を見て、ジャミは取り繕うように咳払いをしてから応じる。

「大丈夫大丈夫。……ちょっと思い出し笑い」

「この状況で思い出し笑いするのは大丈夫じゃないと思うけど……。それより、マズイよ。もっと―――ウワッ!」

 言葉の途中で分隊員が左肩に被弾。掠めるように貫けた弾丸により霧状の鮮血が散った。分隊員は悪態を吐きつつ這って後ろに下がる。

「……もっと後退した方がいいかも?」ジャミは射撃を再開しつつ、分隊員が言いさした言葉を引き継ぐ。

「そう。連中、全然止まる気配がないし。何人かは、もう逃げてるよ」

 確かに、尾根に集結した当初に比べてプレイヤーの頭数が目に見えて減っていた。何人どころではなく、三分の一に近いプレイヤーの姿がない。防衛線の所々に隙間が生じてしまっている。ロシナンテの攻撃により倒された数よりも、個人的判断で撤退したプレイヤーの方が明らかに多い。現に今も、ロシナンテの歩みに比例するように、一人、また一人と尾根から離れて行く。

「うん、逃げたい人は逃げればいい」ジャミの言葉は辛辣だったが、不思議と声色には棘がない。「でも、俺達はまだだ」

「まだって、なんで?」

「勝つために」喋っている間も惜しいとばかりに、発砲の合間に、短い言葉を続けるジャミ。「罠だよ。草叢の出口、草原に仕掛けた罠。それが最終防衛ライン。目視で確実に地雷を起爆すれば、与えられるダメージも大きい。それで止まらないようなら、一か八か、後退するしかない」

「草叢ってすぐそこだよ。奴らがそこに来てからじゃあ、逃げ切れないでしょ」

 いくらロシナンテの移動速度が遅いとは言え、罠が設置されたポイントから尾根の頂上までの距離は精々五十メートルほどである。車輛ならまだしも徒歩ではその間に射的外に逃げ延びるのは難しい。後退するプレイヤー達は尾根からの撃ち下ろしの弾雨を浴びることになる。先のカンカラス達がシャープシューターと戦った時と同様、立場が逆転してしまう。

「だから一か八かなんだよ。今、罠と有利なポジションを捨ててまで撤退するよりも、ギリギリまで粘って攻撃を続けた方が良い」

 そう、プレイヤー側は現在、単純な位置関係だけを見れば絶対的に有利なポジションに居るのだ。射線に晒す身体を最小限に留めつつ、眼下の全体を射角に収める事ができる撃ち下ろし。是が非でも確保し続けたい、そして断じて敵に奪われるわけにはいかない、戦略的に重大な拠点なのだ。

 勝つために、とジャミは言った。それが後退したプレイヤー達との気概の違い。己が生き残るためではなく、チームとして勝つために、少しでも多くのダメージをロシナンテに与えておいた方が、後に活かされる。例え己の命を犠牲にしたとしても、勝つために。即ち、小の虫を殺して大の虫を生かす。あの小川の地獄で、ジャミ自身が分隊員にそうして貰ったように。

「でも、後退したいならしてもいいよ。俺は止めないし、責めない」

 分隊員はジャミと後退していくプレイヤー達の後姿を交互に見遣り、何かを吹っ切るように呻きながら大きく頭を振り、北に向き直り、射撃を再開した。

 ジャミはそこでようやく得心した。なぜ自分達のクランがこのクエストに呼ばれたのか。お遊びの馴れ合いクランだと卑下し、別段それを不満に感じた事さえもなかったので、声が掛かった時には大層驚いたものだが、しかし今なら自信を持って断言できる。

 クラッチは、他のクランに見劣りしないほど、精強なのだ、と。



 一時も沈黙せずに火を噴き続けている90式戦車隊、砲身は燃えているかのように常時煙を噴いている。その内の一輛、レッドハンドルが繰る戦車の車内、砲手を担当するビークルカンパニークラン員が諦念の声を上げた。

「ガチでマジィっす。もう砲弾がなくなります。つーか、射角的にもキツイっス」

「ええ、そろそろだと思った」操縦手のレッドハンドルが空かさず応答する。「私達がそうって事は、他も然りか」

 90式戦車隊は全数がほぼ同時に砲撃を開始した。一輛が弾切れなら、他も同様のはずである。更に、懸架装置で車体を傾斜させて得た射角には限界がある。眼下のロシナンテに対して命中弾を狙えなくなるのも時間の問題だ。

「弾切れたら、どうしましょ? 轢殺狙いに行く感じっスか」

「それは却下。味方の地雷や爆薬があるのよ。無闇に防衛線は崩せない。それに、轢いたぐらいで死んでくれるなら苦労しないわ」

「じゃあどうするんスか? 基地まで後退して補給しますか」

「ええ。実はさっきから指示を仰いでるんだけど、応答がないのよ」

「……隊長はKIAで、今は代理をテールさんが引き継いでるんでしたっけ」

「そのはずよ」

 テールからは、隊長である乗る造の戦死とその任を自分が代行するという旨、そして尾根で防衛線を展開せよという指示以降、音も沙汰もない。スコアボードで確認してみたところ、戦死したわけではなさそうだが。わざわざ確認しなければ不安になるほど、沈黙している。

「大丈夫なんスかね。テールさんって指揮執った事ありましたっけ?」

「私の知る限りないわね。でも信じるしかないわ。もし砲弾が切れたら、ハッチの機銃を使いなさいな」

「えー、ヤダなー。モニター越しの射撃じゃないと自信ないっス」

「じゃあ私がするわよ」

「いやいやいやいや! わかりました、わかりましたよっ。オレがやりますから。でも、もしそれで俺が死んだら、ソッコー後退してくださいね。指示を待ってて殺されたら世話ないっスから」

「……そうね、その時はそうするわ。周りの徒歩プレイヤーを拾えるだけ拾ってからね」

 レッドハンドルは応えて、外部カメラのモニターを覗く。

「あ」目を見開き、小さく呟いた。「今、一体倒れたわよ……」



「やったのか……?」

 カンカラスはSG552の銃床から頬を離した。

 正面に見えるロシナンテのペア、その右側。最初に戦車砲が直撃し、TRG-42の.338ラプアマグナム弾を頭部に撃ち込み続けて、更に彼我の距離が二百メートルを切ってからはSIG552に持ち替えて、ラピッドファイアで弾倉三本分ほどのヘッドショットを只管に見舞ったロシナンテが、百メートルと迫った今、唐突に地に伏したのだ。

 カンカラスは脇のTRG-42を掴み、スコープを覗き細部を観察する。膝を折り、前のめりに突っ伏したロシナンテは微動だにしない。バイザーの後頭部が一部、内部から破裂したように損傷していた。最後の弾丸が貫通した時の銃創だろう。それが破損したままという事は。

「倒した。殺せる。殺せるぞ!」

 カンカラスは思わず声を荒らげた。

 せっかく手に持ったのだからとTRG-42で、片割れを失った残る一体にヘッドショットを射ち、即座にSIG552に持ち替えて、セミオートで秒間二発を射ち続ける。

 射ちながらも、冷静に状況を分析する。右側のロシナンテは約四百メートルを進む間に、戦車砲の直撃と.338ラプアマグナム弾、5.6ミリ弾のヘッドショットを百発以上喰らい、ようやく倒れた。今銃撃を加えている左側のロシナンテも砲弾の破片や他のプレイヤーからの銃撃を浴びていただろうが、倒れたロシナンテの致死ダメージ量には遠く及ばないだろう。後百メートルの間に、倒せるだけの銃撃を加えられるか。間違いなく、否だ。到底間に合うとは思えない。それにロシナンテも油断ならない精度で機銃を撃ち続けているのだ。塹壕で身体のほとんどを遮蔽しているというのに、これまでに数十発の弾丸がカンカラスを掠め、数発は命中弾をもらっている。それが致命弾でなかったのは僥倖以外の何物でもない。

 装填の合間に、周囲を見遣り、歓喜の声を聴いた。

「よっしゃああ! 獲ったぞお!」

「一体倒しました!」

「しゃあおらあ! 死んでろボケエ!」

 ロシナンテがぱたりぱたりと、次々に倒れていく。

「流石、精強だな。選ばれたというだけはある」

 倒したのはカンカラスだけではないのだ。カンカラスのように一体に集中攻撃を仕掛けていたプレイヤーは同じような実力故に、同じようなタイミングで討ち取る事に成功しているのだろう。

 しかし、その声もすぐに萎み、聞こえなくなった。

 ロシナンテ達の倒れていくペースが急速に落ちたのだ。それもカンカラス同様、全てのロシナンテに均等にダメージを与えていたわけではない。一体に集中していた故に、ダメージ蓄積が極端なのである。つまり、まだ立っているロシナンテは、まだまだ硬いと見るべきだ。

 三分の一は倒したか。最初の数が百二十体だとしたら、残るは八十。的が減るという事は、その分一体に対する火力は上がるが、残念ながら尾根に留まるプレイヤーも減っているので、プラスマイナスはゼロに等しい。そして車輛部隊の射角の限界も近い。

 後は罠。罠の起爆でどれだけのダメージを与えられるか。それに懸かっていた。

『カンカラス! 聞こえる? あなたも尾根に居るんでしょう』

 突然、耳元からの声。

「レッドハンドルか?」カンカラスは射ち続けながら応じる。「ああ、尾根だが。なんだ?」

『もし罠を起爆させても連中が倒れないようなら、私と合流しなさいな。徒歩じゃあ逃げ切れないでしょう』

「確かにそうだが……」

『ちょうど中央、縦軸Fの辺り、三トントラックの前に居るからすぐわかるはずよ』

「しかし」

『しかしなに? そこから遠いの? だったら迎えに行くわよ』

「いや、俺は縦軸Iに居る」

『なによ、近いじゃない。だったら罠使ってすぐ来なさい、わかった?』

 カンカラスは一瞬逡巡してから、応答する。

「俺はいい。あんたは近くのプレイヤーを拾って後退すればいい」

『はあ? ここで死ぬつもりなの!?』

「じゃあな」

 カンカラスは一方的に会話を終わらせた。別に消声ミュートなどの操作をしていないが、そんな操作をする余裕もないのだが、レッドハンドルが無言になったところから察するに彼女も諦めたのだろう。

 カンカラスとて死ぬつもりはない。ただ、周りのプレイヤーを差し置いて自分だけ後退する手段を得るのが憚られたのだ。彼らに連帯感や愛着を感じているわけではないし、後退は戦略的に然るべきであると理解しているが、ただ、なんだか逃げるようで気に入らない。自身の心持の問題だった。死ぬつもりはないが、その不要な頑固さが仇となり死ぬかもしれない事は、覚悟している。

 近接した着弾。塹壕の縁で砂塵が柱のように立ち昇る。

「っ!」

 カンカラスは瞬時に伏せたが間に合わない。被弾の衝撃で後ろ向きに倒れた。

 右肩に被弾。側頭部にも弾丸が掠めたのだろう、盛大に出血していた。致命傷ではないが、これまでで最も紙一重の銃創だった。

 距離によって命中率が左右するのは、ロシナンテも同様。近付けば近付くほど、中ててくるのだ。

「……そろそろ限界か」

 呟いて、SG552を脇に置き、クレイモアのリモコンを探す。度重なる着弾の土砂により、半ば埋もれてしまっていたが、なんとか見つけ出した。

 頭を覗かせて確認する。ロシナンテとの距離は残り七十メートル。そしてロシナンテと焼け野原の始点、罠を仕掛けたポイントまでの間は、後二十メートル。

 カンカラスは約十五メートルの間隔を置いて三つのクレイモアを仕掛けておいた。ロシナンテは左側のクレイモアの丁度真正面に位置している。この距離では一番右側のクレイモアはほとんど無駄になるだろう。故に左と中央のクレイモアのリモコンを両手に握ると、不意に、轟音と共に草叢が爆ぜた。

 一瞬の橙色の閃光を元に灰煙が弾け、霧散する。明らかに戦車砲や榴弾ではない種類の爆発。それが焼け野原の境界線で連続する。クレイモアを仕掛けたプレイヤー達が次々と起爆させているのだ。

 爆心から少し離れた焼け野原で、薄の灰がさながら黒い霧のように一面に弾け散っている。高性能爆薬によって前方に射出された約七百個の鉄球が加害範囲を蹂躙したのだ。両手大剣クレイモアの名を冠するに相応しい、巨人が剣を横に薙いだような散弾の飛散。すでに辺りは粉塵に覆われ見えなくなってしまったが、数体のロシナンテが吹き飛ぶのが視えた。

 カンカラスも両手のリモコンを同時に三回、クリックした。

 後方爆発による飛散破片の脅威を意に介さず、ロシナンテを凝視していた。視えたのは一瞬、散弾を全身に浴びたロシナンテが血肉の破片を噴くのが視えた。しかし、

「くそ。……駄目か」

 相当なダメージを与えただろうが、粉塵に遮られる直前に見えたロシナンテは、まだ両の足で立ち、こちらに右足を踏み出していた。

 だが諦める気など毛頭ない。塹壕の底に身体を押し付けながら、途絶える事なく継続する他のプレイヤーの発破の嵐に便乗するように、手榴弾のピンを抜き、連投する。悪足掻きだとしても、続ける他ない。持っていた手榴弾もすぐに尽きる。

 カンカラスはSG552の弾倉を交換、

「来いよ」

 ボルトを引き、身体を起こした。



 指向性地雷クレイモアの起爆が終わり、ほどなくして爆薬の起爆が始まった。C4やTNT等の高性能爆薬の発破である。それに手榴弾の投擲も混じり、凄まじい爆裂の嵐だったが、ロシナンテはまだ止まらない。

 まだ半数、およそ六十体のロシナンテが、機銃を連射しながら、尾根を登り始めていた。

「ああ゛ぁぁっ! なんなんだよもう! まだ生きてるよ!」

 ジャミは分隊員のヒステリックな叫びを聞きながら、辺り素早く見渡した。

 ビークルカンパニーの車輛から、拡声器越しの声が響いている。どうやら後退するにあたって徒歩プレイヤーに乗車を促しているようだ。尾根から離れていく車輛には、収まり切らなかったプレイヤー達が屋根にまで乗ってる。まだ尾根に留まる車輛の周囲には、何人ものプレイヤーが押し掛け、群がっていた。

「ジャミ! もう限界だ。俺らも早く乗せてもらおう!」

「うん。先行ってて」ジャミはテールに駆け寄った。「行こう。一時撤退だよ」

「もうちょっと……、もうすぐですから。もうちょっと待ってください」

 テールは動こうとせず、耳元に手を当てたまま地面の一点を見詰めて、うわ言のように繰り返す。ジャミに対して言っているのか、どこぞの通信相手に言っているのか、わからない。

「もう待てないよ。っていうか、さっきから誰と喋ってるの?」

 ほら、もう行くよ、とジャミはテールの腕を取り、最寄の90式戦車に駆け寄る。

「待って、待ってください! もうすぐ、もう来ますから……」

 ジャミはもう耳を貸さずに走り続けるが、不意に腕を振り解かれた。

 見ると、テールは天を仰ぎ見ていた。そしてジャミに視線を落とし、無表情で呟いた。

「来ました」

「は?」

 何が、という問いをジャミが発する前に、その質問に対する答えは天から降ってきた。

 大気をつんざくような甲高い風切り音が上空から近付いてきたかと思うと、刹那後、爆音と形容するには攻撃的に過ぎる大音響、不安定な体勢ならば転倒してしまうのではないかというほどの脚を衝く衝撃。そして、尾根の南側斜面の麓に居るというのに、北側から立ち昇る巨大な爆煙が稜線越しに視認できる。

 尾根から退避しようとしていたプレイヤー達は、皆が一時動きを止め、その黒煙に目を奪われていた。

「おそらく尾根から三百メートル付近に着弾。まだまだ遠いです。私が合図を送るまで、徐々に連発で近付けてください」

 通信で何者かに声を張るテール。その言葉で、ジャミは何かの正体を覚った。

「曲射砲撃……?」



 尾根から南に約十五キロ、そこの小山には旗があり、小山の眼下にはプレイヤー側の基地がある。

 車輛格納庫の正面には、クエスト開始直後には見受けられなかった、特殊車輛群が北に正対し整然と横列に鎮座していた。その数は十輛。

 無限軌道を持つ車体の上には、戦車と比べたら異様に巨大な箱型砲塔が据えられ、そこから車体とほぼ同等の長さを有する砲身が天に向かって斜に延びている。99式自走155ミリ榴弾砲だ。

「ようやく出番だと思ったら、いきなり切羽詰まった状況かよ」

 その車内に収まるのはビークルカンパニーのクラン員。車輛格納庫に待機し、支援車輛の出現を待ち続けていた、ビークルカンパニー内の符丁では“猿”と呼ばれてたプレイヤー達だ。プレイヤー側全体の符丁では『大鎚』。

「ったく、テールの奴、キチガイみたく急かした挙句、おそらくとか、まだまだ遠いとか、随分テキトーな指示出してくれるよなおいッ」

「まったくだね。まともな弾着観測主スポッターが居ないのに、友軍の目と鼻の先に弾落とさなきゃならないこっちの身にもなって欲しいよ」

「逆に向こうの身で考えたら、TKを気にしてる状況じゃないんだろうさ。バンバン撃って、山勘で寄せるしかねえ。“花火屋”の腕の見せ所じゃねえか!」

 砲手席のクラン員が啖呵を切るように叫ぶ。

「“テキトー”な射角調整完了! 射ってえぇ!」

 155ミリの咆哮が轟く。

 ユニ・チャージ式の装薬の膨大な爆轟エネルギーに因り、車体は船舶が波を乗り越えたかのように傾いだ。砲身は僅かに後退し、砲口と砲身頂点部の左右に複数設けられたハイダーから煙が噴出、やや遅れてより濃い白煙が立ち昇る。

 数秒から数十秒の間隔を置いて、十輛の99式自走榴弾砲は連続砲撃を開始した。一発撃つ度に砲身の角度が微細に変化する。着弾地点を南側へと幅寄せしているのだ。

「それにしてもよお。こんなに大量の155ミリを同時に、しかも一点にぶっ放すなんて、このゲームで初の試みじゃないのか」

 北の遠方から、雷鳴のような着弾音が轟いている。



 先のプレイヤー達による罠の起爆が生易しく思えるほどの、炸裂の祭典。台風のように吹き荒ぶ土砂と砂塵。幾筋も立ち上る爆煙は見上げてもその切れ目が見えず、太陽光を遮り、周囲を暗く染めていた。

 使用されているのは砲弾は|榴弾(HE)。90式戦車で使用された多目的対戦車榴弾と違い、人員と軽装甲を加害目標に絞り込んだ分、その破片効果たるや恐るべきものがある。その着弾地点がどんどん近付いて来ている。

「ほら。もっと、もっと撃ちまくって、隊長を銃殺したドグサレ共を粉微塵にしてやってください」

 ジャミは、通信相手に向けて静かに捲くし立てるテールと尾根の向こう側の炸裂を交互に見遣る事しかできなかった。

 凄まじい衝撃に思わず転倒し、膝を付いてしまう。徐々に近付く着弾が、おそらくジャミ達の反対側、尾根の北側斜面の中腹にまで達したのだ。もし尾根も何もない平地で同じ距離に砲弾が落ちたなら、十数名のプレイヤー達が破片に撒かれて肉片と化しているだろう。

「あ、そこですっ。今の地点はたぶんいい感じです。ロシナンテビチグソが一体、空を舞ってるのが視えました。そこからはゆっくりゆっくり舐めるように寄せてください」

「……ビチグソって……」

 口調には渾身の悪意が篭っているのに、無表情でそんな事を言うテール。

「っていうか、通信の設定だけで、どんだけ時間が掛かると思ってるんですか。そもそも普段から非常時の指揮代理ぐらい決めておくべきなんですよ」

 かと思ったら、ぶつぶつと呪詛のように独りで言い訳めいた事を始めた。

「いや、そもそもと言ったら、隊長は普段通り指揮と通信に徹するべきだったんですよ! 私は止めましたからね! ……いや、すぐに諦めちゃいましたけど、でも一応、懸念の意は表明しましたからね! それなのに、私に指揮なんて重荷を推し付けて、後はよろしくねー、じゃねえですよ!」

 それが本音か。

 まあ、無理もない。ゲームとは言え、自分だけではなく他人も参加しているオンラインゲームでは、責任が生じる。そんな場で突如指揮を執らなければならなくなり、しかもそれが大規模な部隊で、更に負けられない戦いとなれば、そのプレッシャーは半端なものではないだろう。小規模部隊とは言え、一応クランマスターを務めるジャミは同情を禁じ得ない。

 テールが口を閉じた隙に、彼女を宥める意味も兼ねてジャミは訊ねる。

「これはビークルカンパニーの砲撃?」 

「はっ、はうっ?」テールは驚いたように肩を揺らしてジャミを見ると、バツが悪そうに頬を染めた。きっと夢中でジャミの存在を忘れていたのだろう。逃げるように北に視線を戻して、続ける。「そうです。支援車輛の操縦を得意とした分隊、猿です。確か全体の符丁では大鎚でしたね。彼らは基地に留まっていたんです。……通信の設定とか、これからの作戦とか、色々手間取ってたら、自走砲の出現の報告があったので、利用したんです」

「そっか。……で、もうそろそろいいんじゃない」

「え? 何がですか」

「いやいやいや、砲撃だよ」

「あっ」

 テールは呆けたように呟き、慌てて砲撃中止の通信を飛ばした。

 中止を命令しても、曲射である。大きく孤を描いてから着弾する分、時間差が生じる。もう撃ってしまった分は止めようがない。数発の爆裂が続き、ほどなくして静寂が訪れた。



 カンカラスは首を振って頭に被った土砂を払った。

 決死を覚悟してロシナンテに身体を晒し、真正面から撃ち合おうとしたのだが、丁度その時、最初の砲撃があった。瞬間的に意味を悟り、塹壕に伏せていたのだ。

「……悪運が強いな、俺も」

 この戦いが始まってから、何度死を覚悟したかわからないが、その度に辛うじて生き残っている。カンカラスは苦笑し、SG552を携え立ち上がった。

 尾根は未だ粉塵と黒煙が晴れず灰暗く、遠くまで見通す事は適わないが、見える範囲にはロシナンテの姿はない。一体でも健在ならば、もう稜線に姿を現しているはずだが。周囲に点在するプレイヤー達は控え目な歓声を上げたり、茫然自失で乾いた笑いを発していた。

 カンカラスは頂上まで登り切り、溜め息を吐いた。クエスト開始当初、ジャミの分隊と一緒に最初にこの尾根から眼下を見渡した時にジャミが呟いた言葉を思い出し、妙に懐かしく感じられ、思わず口を吐く。

「こりゃまた、よろしくやったもんだ……」

 焼け野原と巨大な孔、それだけだ。粉塵に支配された狭い視界には、ただそれだけが一杯に映っていた。

 ロシナンテの死体が見当たらないのは、吹き飛び、四散し、埋まっているからだろう。

「ほんまやね」

 いつの間にかカンカラスの隣には赤いフェイスマスクのプレイヤーが居た。赤犬のクラン員だ。火炎放射器をFN ミニミの7.62ミリSOCOMモデル、Mk48 Mod0に持ち替えている。

「地獄だよ」

 と、赤犬クラン員は妙に芝居がかった口調で付け足して、カンカラスを見詰めた。カンカラスは意図が読めず不審の表情を送る。

「なんやあ、プライベートライアン観てへんのかいな」赤犬クラン員は大仰に嘆息し、首を振る。「オマハビーチでミラー大尉が呟くやろ。プライベートライアンとブラックホークダウンはウチら鉄砲撃ちのバイブルちゃうん?」

「……」

 妙に馴れ馴れしい。先の草叢に火を放った時には、こんなイメージではなかったが。

 カンカラスの表情を読み取ったのか、赤犬クラン員は、ああぁ、と照れ臭そうに微笑する。

「なんちゅうか、ウチはええかっこしーなんよ。あーゆー大勢に注目されてるとこだと、どうも気障になっていかんわ」 

「……そうか」そうか、としか応えようがない。

「いやさ、火かけた後、ウチはあんたの隣の塹壕で頑張ってたんやけど、あんたの動きに感心してなあ。少なくともウチの目の届いた範囲では、あんたが一番腕が立つんちがう」

「そんなことはないだろう。それで、なんの用だ?」

「おっほ、つれないのー。いや、別に用なんてないんやけど、一緒に地獄を生き残った数少ないプレイヤーやん、名前ぐらい聞かせてえな。ウチは零吟れいぎん言うんよ」

「……カンカラスだ」

「よろしゅうにー」

 零吟はそう言うと、尾根を東側へと歩き始めた。きっと他の赤犬と合流するつもりなのだろう。

 カンカラスはどうするか一瞬思案し、踵を返した。前進するにしても弾薬が足りない。三トントラックに戻り補給する必要がある。

 しかし、

 ズン、

 奇妙な物音に、ピタリと足を止め、北を見遣った。

「なあ」零吟も北を見ていた。「なんか、聴こえへん?」

 ズズン、

「ああ、聴こえる」

 爆音、ではない。何か重い物が、大地に落下するような音だ。

 ズズンズズンズズン、

「近付いて来ている……!」

「次から次へと、なんやねんっ。休む間もくれへんのかいなッ」

 まだ砲撃の粉塵は消えない。薄い黄土色の靄がかかったように砂塵が大気を舞い、所々では濃い黒煙が燻っている。しばらくは晴れないだろう。百メートル先ぐらいしか見通せないが、その向こうから、何かが近付いて来ている。 

 ズズンズズンズズンズズンズズン、

 恐ろしく速い。その何かは、視えないのでわからないが、おそらく高機動車なんかよりもずっと速く、距離を詰めて来ている。

 ズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズン。

 ズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズン。

 ズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズンズズン。

 そして一つではない。複数だ。音から察するに、複数の恐ろしく速い何かが、北から迫って来ている。

 危険だとはわかっていた。非常に拙い状況だとわかっていた。北から迫る何かが、歓迎すべきモノであるわけがない。だがどうする事も出来ずに、カンカラスと零吟、尾根に居るプレイヤー達は皆、北を凝視するしかない。

 そしてなぜか視る前から、絶望的だとわかってしまう。もう駄目だと、確信してしまう。

「――――なんや……あれ?」

 そうして出でたモノは、異形だった。

 巨大な、柱のように太く長い、爪のような四つ脚。それが目にも止まらぬ躍動を繰り、炭化した薄を尾を曳くように後方に散らしながら、駆けて来る。

 その脚の中心にあるのは砲塔と多銃身機関砲を有する奇妙な丸みを帯びた本体。

 蜘蛛のような、足長蜘蛛のような機械だ。

 それが五体。いや、五輛なのか、五台なのか。あまりに見慣れぬ異形故に数の単位も定かでない。

 それは、プレイヤー達の目視が適ったのを見計らったかのように、焼け野原の只中で前足を大きく振り被り、ズンと地面に突き立て、慣性に引き摺られ土砂を撒き上げながら、ようやく停止した。

 ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――

 ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――

 ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――

 ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――

 ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――

 そして吼えた。

 本体を傾げて天に向かうようにし、小刻みに震え、鳴っている。重く低く、大きく響く、聞く者の思考を恐怖に塗り替える破壊の咆哮。

 あれはただの機械ではない、紛う事なく、戦闘兵器だ。殺戮の化身だ。

「多脚戦車……?」

 震える声で呟く零吟。

「――――――馬鹿な。何故だ」

 カンカラスは目の前の異形に、脳裏の奥深くに封印していた記憶が共鳴しているような感覚を覚えた。

「無人特殊戦闘車輛『フェンリル』……ッ!」 

 その声は、零吟のそれよりも遥かに深い、不安と混乱を孕んでいた。




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