False War 10-4
規則性を生まないようにランダムな走行を続ける90式戦車。上空から見ると、キャタピラに踏み均された薄の轍が縦横に入り乱れていて、いかに右往左往しているかが窺い知れる。しかし、120ミリの砲身だけは常に尾根の稜線を捉えており、砲塔の裏で屈む者達も稜線の敵影に向けて絶え間ない銃撃を行っていた。
「ヤバイ! 撃ち止めだ。弾くれ!」
「アホか! 俺のはファマスだぞ。お前のは89式小銃だろ! 弾丸は同じでも弾倉に互換性がないっつーの! この状況で一発ずつ弾丸取り出して入れ替えるのか!? やってみろコラ!」
この状況でそこまで喋りまくれるのも十分アホだ。事あるごとに繰り返されるFEFクラン員の掛け合いに、カンカラスは呆れを通り越し、感心しながら、砲塔上面に搭載されているブラウニングM2を指差す。
「.50口径を使え。援護するから、急いで取り付け。行け!」
MC51の照星を尾根の稜線から新たに現れた敵影に重ね、射つ。命中と殺傷を手応えで確信しつつ、次の標的に狙いを定め、射つ。只管に射つ。
「駄目だ! おい、戻れ戻れ!」
それでも追いつかずに次々と現れる敵影に、カンカラスとFEFクラン員は屈み、M2に取り付こうとしていたFEFクラン員も飛び跳ねるように戻ってきた。直後、砲塔の正面からけたたましい金属音が幾重にも響き、掠めるほどの頭上に通弾の衝撃波を感じる。
杞憂だとわかってはいるが、シャープシューター達が放つ9x39ミリ亜音速弾の束が、その内に90式戦車の複合装甲をも貫いてしまうのではないかという気がしてならない。
着弾に反応したように砲塔が微細に旋回し、120ミリ多目的対戦車榴弾が撃発される。砲塔の真後ろに居るカンカラス達はたまらない。暴力のような轟音に全身を叩かれる。
「うわぁくそッ」FEFクラン員が悪態を吐く。「助かるんだけど、これなんとかならないか」
「レッドハンドル」カンカラスはチームスピークで90式戦車の操縦手の名を呼んだ。「出来れば撃つ時には合図をくれ。突然撃たれたら衝撃波をもろに喰らう」
「出来るわけないでしょう! 撃ってるのはレムよ。流石に話し合ってる余裕なんてないわ。それにそんなとこに居たらどうしたって喰らうわよ。我慢なさいな。男の子でしょう!」
「……」
レッドハンドルの繰る90式戦車は縦横無尽に草叢を往来しているようでいて、実はかなり厄介な制限を強いられていた。90式戦車の砲塔は車体上面積の約半分を占めており、カンカラス達は後部の極僅かなスペースに無理矢理屈んでいる状態なのだ。尾根に対して車体を平行にすれば、なるほど、より安全で簡易な走行が可能だが、しかし砲塔という遮蔽を失ったカンカラス達は敵にとって動く的と化してしまう。故に、尾根に対して常に車体を正対ないし斜めにしての移動を繰り返すしかなく、その上で敵の対戦車猟兵に軌道を先読みされぬよう、不規則に動かなくてはならないのだ。更に、撃つ時には合図をしてくれなどと言った日には、怒鳴られてもしょうがない。
「はっはっはっは。怒られちゃったな。どんまいカンカラス!」
着弾により敵に生じた隙を利用し砲塔上面のハッチに滑り込み、M2に取り付いたFEFクラン員が哄笑しながら射撃を始めた。
決して速くはないが、威力を約束された.50口径の重い連射音。尾根の頂上付近の土と若草が東から西へ点線を引くように次々と噴き上がり、直撃を受けたNPCが血肉を散らしながら尾根の向こう側へと沈む。
「こりゃいい! もっと早く使えばよかったぜ!」
「ああ、お前のでけえ頭が邪魔で、こっちは撃てなくなっちまったけどな!」
「うるせっ! その気持ち悪い銃を更に気持ち悪くしてるグレランで曲射でもしとけや」
「なんだと! ファマスのどこが気持ち悪いんだ! フランスに謝れ、国粋主義者め!」
「黙れ、売国奴! お前に90式戦車の上に乗る資格はねエ!」
「ふふっ。くくく」
カンカラスは思わず含み笑いを発した。仲間など居ても煩わしいだけだと思っていたが、今は素直に笑えてしまう。なるほど、こんな楽しみ方もあるのか。カンカラスにとっては新発見だった。
しかし、西からの、嫌というほど聞き覚えのある破壊音に、すぐに笑顔を消した。
西の遠方、こちらの90式戦車と共に草叢に退避してきた、もう一輛の90式戦車が、草叢の只中で火花を伴った火炎を盛大に散らし、黒煙を噴いていた。残骸に成り果てつつもしばらく惰性で走行し、すぐに停まる。
カンカラス達がレッドハンドルの繰る戦車に合流した直後、西の草叢に潜んでいたNPCを排撃しに向かい、そのもう一輛の90式戦車と協力し辛うじて撃破した。その後はその一輛も草叢を駆けながら、主に尾根の西側からの襲撃に対し果敢に反撃していたのだが。レッドハンドルの戦車と違い“目”を持たなかった分、瓦解も早くに訪れてしまったのだろう。
「あっ、チクショウ、西がヤバイ! 尾根の九時方向、NPCが下ってくるぞ」
西に二百メートルほど離れた尾根の頂上、戦車が排された事により、十数体のNPCが稜線から身体を晒し、北進しようとしていた。
「ようし、俺に任せろや」
言って、M2の旋回式銃架を西に振ろうとするるFEFクラン員だが、カンカラスは制止する。
「いや、待て! お前は正面を見張ってろ。西は俺達がやる」
M2のFEFクラン員が射線と重なり、どの道正面への射撃はまともに行えないのだ。ならば警戒方面を分担した方がいい。
不整地を走行し続ける戦車上からという悪条件にも関わらず、カンカラスとFEFクラン員の遠距離射撃は精確だった。銃火により次々と倒れるNPC。しかし、残りのNPCはカンカラス達には目もくれずに草叢に向かって駆けて行く。数体はもう尾根の中腹にまで達していた。
「なんとか尾根を下り切る前に始末するんだ! 草叢に入られたら終わりだぞ」
先に述べた通り、すでに草叢に入っていた小数の敵を排除するのも、二輛がかりで辛うじてだったのだ。大量の敵に入られたら、しかも積極的にこちらの撃破を狙っているとなれば、到底勝ち目はない。正しく終わりである。
FEFクラン員がファマスの銃身下部に取り付けられた40ミリグレネードランチャーを放ち、尾根の麓で炸裂。麓に向かって下っていたNPC達は自ら殺傷範囲に飛び込む格好となり、破片と爆風を浴び、倒れ込む。致命傷を負いつつも息のあるNPCが数体のた打ち回っていたが、止めを刺している余裕はない。NPCは疎らにではあるが続々と尾根を下って来る。
「一体何匹居やがるんだっ!?」FEFクラン員がグレネードランチャーを装填しながら怒鳴る。「さっきから結構な数を殺してるぞ」
もうすぐ終わるはずだ。カンカラスは心の中で答えた。こちらの手に負えないほどの数だったら、端からこんな攻め方はしてこないはずだ。全数が一斉に尾根から突撃してくるに違いない。そうしないという事は、突撃できるほどの数は揃っていないからだろう。カンカラスはそう踏んでいた。しかし実際に尾根の向こう側を見たわけではないので確信は持てなかった。
「みんな、もうちょっと辛抱してちょうだい」レッドハンドルがカンカラス達の焦燥が届いていたかのようなタイミングで拡声器越しに言う。「援軍がこっちに向かってるらしいから」
「援軍?」カンカラスは聞き返す。「なんだそれは。どこから何が来るんだ?」
M2のFEFクラン員はちらちらと西に視線を送りながら、歯噛みしていた。自分の重機関銃ならば尾根を下って来るNPCを一瞬で殲滅できる。.50口径弾にとって二百メートルの射程など、銃口を眉間に押し当てて撃つようなものである。それなのにカンカラスは正面を見ていろと言う。しかし、正面からの攻撃は一時的に沈静化していた。静かなものだ。ならば、西の防衛に手を貸すべきではないか。FEFクラン員は耐えかね、銃架を西に回し、撃ち始めた。
「馬鹿! 駄目だ!」
カンカラスの制止を聞かずに撃ち続け、すぐに西の尾根を一掃した。
「ほら見ろ。俺がやれば、こんなに早いじゃん」
得意げに言い放ち、銃架を正面に戻すFEFクラン員だったが、最後に目にしたのは高速で飛来してくる黒い影の塊だった。
敵はこれを待っていたのだ。西の尾根を下るのは囮。カンカラス達の火力が西に集中し、M2の重い射撃音が聞こえてきたのを合図に、正面の尾根に潜んでいたカールグスタフの砲手が六体、一斉に立ち上がり、90式戦車を照準。だがレムの反応の方が極僅かに速かった。稜線の敵影を認めると、主砲を発射した。尾根の頂上付近で爆ぜる多目的対戦車榴弾。結果から言えば、轟爆をもろに受け、砲手達は全滅する。全滅するのだが、その零コンマ二秒前、多目的対戦車榴弾の炸裂が花開き始めた時、六体の砲手はほぼ同時に84ミリ対戦車榴弾を発射していた。
カールグスタフを扱うシャープシューター。六点から放たれた砲弾は、砲弾同士が空中でぶつかるのではないかというほどの一点に集中し、90式戦車の砲塔上部、角になっている部分に衝突。
カンカラスは伏せた。瞬間、炸裂の衝撃波だけで後方に弾き飛ばされ、草叢に墜落。
「――――」
きーんという高音だけがはっきり聴こえ、他の音は全てくぐもっている。赤く、そして暗く霞む視界。立ち込める粉塵越しに、90式戦車を見上げた。
砲塔上面のM2は奇妙な角度に拉げ、取り付いていたFEFクラン員は上半身が所々引き千切れ、残った部分も黒く焦げていた。しかし戦車自体は黒煙を噴いていない。カールグスタフを放たれる寸前に撃った120ミリ主砲が功を奏したのだろう。爆風の煽りを受け、84ミリ砲弾はやや上方に逸れ、致命的な直撃を免れたのだ。それでも無傷では済まなかった。砲塔の上方、丁度真ん中の辺りがダンボールの角を潰したように減り込み、主砲の付け根はメタルジェットの超高圧により穴が開いている。
「カンカラス! レムがやられちゃったわ! 誰か生きてる!?」
尾根の稜線には敵影が幾つか。90式戦車は主砲同軸の機関銃を撃ち続けていた。死亡したというレムに代わってレッドハンドルが砲手席に移り、操作しているのだろう。しかし、その射撃も不意に途絶えた。
「機関銃の弾が切れた! 主砲も潰されて使えないわ! 誰か!」
レンドハンドルの声が響くが、今のカンカラスには不明瞭に雑音にしか聞こえない。
カンカラスは呻きながら立ち上がり、同じく吹き飛ばされたのであろう、すぐ隣で横たわるFEFクラン員の脚を掴み、90式戦車の裏まで引き摺って行った。
もう戦車上には登ろうとせず、角から身を覗かせ、尾根の敵影を撃つ。意識外に腕が微動し照準がぶれ、発砲の度に反動で身体が仰け反る。重度のシェルショック状態に因る素人のような射撃だった。しかし物理的な負傷とは異なり回復も早く、すぐに視界と聴覚が常態に復帰していく。
「おい」カンカラスは一向に起き上がろうとしないFEFクラン員を見遣る。「いつまで寝てる」
しかし、彼が起き上がる事はなかった。右腕が付け根から深く抉れるように消失していた。六発の84ミリ砲弾が90式戦車に着弾した際、伏せるのが遅れ、爆風と破片を喰らっていたのだ。即死だ。カンカラスが引き摺っていた時には、すでに事切れていた。
今回のクエストに参戦したFEFは、これで全滅してしまった。
「……くそ」
罵り、振り返ってMC51を敵方に持ち上げ、引き金を引くが、弾は発射されなかった。弾切れだ。MC51の銃身左側面から飛び出しているレバーを目一杯手前に引き、溝状のスリットに引っ掛けてから、ポーチを手で探るが、全てのポーチが空っぽだった。カンカラスはバトルやクエスト前には常に必要になるであろう弾数を予想し、その数だけを携行するようにしていた。今回携行していたのは二十発弾倉を六本。銃本体に装填されていた分を合わせても百四十発。あまりに少ない。読みが甘過ぎた。
「くそ」
もう一度罵り、MC51を投げ棄てた。淡い期待を込めてFEFクラン員の死体を再び見遣るが、彼の持っていたファマスは腕と一緒に何処かに吹き飛ばされてしまったようだ。
嘆息を吐き、戦車に背を預け、ずり落ちるように力なく座り込んだ。腰のホルスターから回転式拳銃、スタームルガー GP100を手に取ってみたが、この状況ではあまり役に立つとは思えなかった。
ハンマーを起こし、90式戦車の角から上半身を傾かせ、両手保持で敵を照準し、発砲する。やはり中らなかった。拳銃で命中弾を狙うには距離が空き過ぎている。以降はダブルアクションで立て続けに二発、三発と発射する。.357マグナムの鋭いキックにより腕が跳ね上がるだけで、まるで命中する気がしない。
六発目を放とうとした瞬間、自分を照準する敵の姿をはっきりと目にしたが、隠れようとはせず、引き金を絞り落とした。諦めによる自暴自棄だ。だから、鮮血を伴って右腕に大きな裂傷が形成され、後方に倒れ込んでも驚きはしなかった。即死しなかった自身の悪運の強さには若干驚いたが。
「レッドハンドル、生きてるか?」
「ええ、一応ね。戦車は丸腰状態だから、なんの役にも立てないけど」
「俺も撃ち止めだ。でも、あんた自身は武器を持っているんだろ。俺が囮になって敵の注意を惹き付けるから、その隙に戦車から出て応戦しろ」
「無理無理! 絶対無理だから」レンドハンドルは断言してから、遣り切れないといった風に嘆息する。「ビークルカンパニーの携行する銃器は申し訳程度なのよ。全員がそうとは言わないけど、少なくとも私は生身でドンパチする自信はゼロ。だったら戦車で轢殺狙った方が期待できるわ。あっ、そうだ! ハッチ開けてそっちに銃を投げるから、あなたが使えばいいんじゃない。確かシグとか言う小さいライフルよ」
「552か。しかし、それこそ無理だ。何か囮がなければ、あんた、ハッチを開けた瞬間、銃を投げる間もなく首がトぶぞ」
カンカラスは身を捩り、ちらりと尾根を見遣った。稜線にはこちらを見張っているであろう敵影が幾つか。そして、数体のNPCが尾根を駆け下りて来ていた。
「……もういい。奴らを轢き殺しに行け」
「私が動いたら、あなたが撃たれるでしょう」
「だから俺の事はもういい。見えてるだろう? 奴らが来てるぞ。ここに居たってどうにもならない」
「え?」レッドハンドルは不意に疑問符を発すると、何が可笑しいのか、くすりと笑った。「ああ、そうか。さっきは途中で遮られちゃったから言えなかったけど、私はね、待ってるのよ」
「何を……?」
「援軍。ほら、噂をすれば」
雷鳴が轟くような南からの遠い爆音。それは聞き慣れてしまった味方の車輛が大破する時の破壊音ではなく、紛う事なき砲撃音。
次の瞬間、NPC達の居る尾根の地面が膨らみ、弾けた。視界一杯に吹き荒れる土砂とその中心でそそり立つ幾筋もの黒煙。
「なんだっ。どうなってる?」
畳み掛けるように連続する尾根の破裂。身体を埋めんばかりの勢いで降り注ぐ土砂の雨を浴びながら、カンカラスはなんとか立ち上がった。黒煙と粉塵が晴れると、尾根の頂上は大きく窪み、稜線の形が変わってしまっていた。無論、NPCは欠片すら見受けられない。
ほどなくして、低く重い地鳴りが鼓膜を敲き始め、稜線から大量の車輛が姿を現した。90式戦車やプーマ歩兵戦闘車等の戦闘車輛が十輛以上。ストライカー装甲車、ルーフトップにグレネードランチャーやミニガンを搭載したハンヴィーが数輛。クエスト開始直後、車輛格納庫に出現したのと同程度の数の車輛がそこにあった。
先と同じように90式戦車だけが尾根の頂上に留まり、プーマやストライカーなどは続々と尾根を下り、カンカラスの横を通り抜け、草叢へと入って行く。
「これは」カンカラスはそれを横目で見ながら、90式戦車のハッチから顔を出したレッドハンドルに訊ねる。「どういうことだ?」
戦車から飛び降りたレッドハンドルは、いかにも戦車兵らしいフードのような帽子を引っ手繰るように投げ棄てると、ショートカットの髪を掻き上げて不敵に微笑む。
「彼らはビークルカンパニーよ。あなた達をここまで送り届けて、尾根の裏で待機していた輸送車輛チーム」
そういえば、とカンカラスは気付く。最初に背後から奇襲を受けた時、いきなり尾根の頂上に在った戦車隊が撃破された。輸送車輛グループが尾根の裏に留まったままだったなら、まず先に彼らが攻撃を受けていたはずだ。つまり、あの時にはすでに輸送車輛グループは尾根の裏には居なかった。
「私も最初に聞かされた時には驚いたけど、今回の乗り物出現パターンは随分と異常みたいね。撃破されたら再出現じゃなくて、私達が格納庫から持ち出してから数十分後にはすでに再出現していたらしいの。敵の罠を予想していた鎧がそれを見付けて、うちの隊長に連絡したってわけ」
旗の防衛は任せろ、と鎧は言った。再出現した車輛に乗り込んだ輸送車輛チームが北へととんぼ返りするその道中に索敵も行い、もし旗を目指す敵を発見した場合は遊撃するつもりだったのだろう。戦闘音が聞こえなった事から察するに、背面攻撃を仕掛けてきた敵はどうやら旗を奪取しようとするまでには至らなかったようだが。
しかし、そんな事より……。
「……鎧が敵の罠を予想していた? 確かにそう聞いたのか」
「え? いや、隊長が具体的に何言ったかなんて覚えてないわよ。あなた達に伝える余裕もなかったんだから。でも、確かそんなニュアンスだと思ったけど」
「そうか」
カンカラスは素っ気なく返事をしたが、その内心では様々な不審感を募らせていた。
プレイヤー側の有利に直結するような車輛の大盤振る舞いと、計ったように都合の良過ぎるタイミングには気味の悪さを覚えるが、それ以上に不審なのは鎧、つまりはウィスキーである。おそらく、“策士”のウィスキーならばカンカラスやFEFのそれよりも遥かに早く、罠の存在を予感、否、ほぼ確信していただろう。確信していたのならば、なぜそれをプレイヤー達に伝えなかったのか。
カンカラスはスコアボードを表示し、現在生存しているプレイヤーの総数を確認する。そこには『679』とあった。クエスト開始直後に確認した時には『996』だったので、開始から小一時間で三百十七名のプレイヤーが戦死したことになる。約三分の一が死亡したのだ。更には北からの継続的な戦闘音から、前線では今も死傷者が増え続けているであろう事を予想できる。
もしウィスキーが前もって罠の存在を警告していたら、ここまで被害はでなかっただろう。
確かに、ここに集ったプレイヤー達はいくら腕が立つとは言え、とどのつまりは寄せ集めでしかなく、積極的な連携なんて望めない。警告していたとしても、個々が殊勝な対策を採るとは考え難い。それに結局のところ、罠の詳細を極細部に至るまで把握していなくては大雑把な対策しか採りようがなく、大雑把な対策では少なからず被害は出ていただろう。罠というものは、例え存在を看破していたとしても、対策に回らなければならない時点でもう後手なのだ。その観点から見れば、罠を喰らってから素早く具体的な対策を行った方が有効な場合もある。
しかし、それでも、今回は事前に警告するべきだったろう、とカンカラスは強く思う。結果オーライと言うには、あまりにもプレイヤー側の被害は甚大だ。無論、ウィスキーだってそんな事はわかっていただろうに。判り切っていただろうに。
まるで本気を出していないような。クエスト開始直前に自ら行った宣言と相反するような……。
「策士め」カンカラスは吐き棄てるように呟く。「何を企んでいるんだ」
不意に近付いてくる地鳴り。カンカラスは思考を中断した。尾根の頂上に在る90式戦車隊の内一輛が、尾根を下って来ていた。カンカラスとレッドハンドルの真横に停車すると、ハッチから一人の男性プレイヤーが上半身を覗かせる。
「どうも、レッドハンドルさん」プレイヤーは軽い挙手の敬礼をしてみせる。「遅れちゃってすいません。鎧の連中が、蟻の子一匹見逃さないように索敵しながら進めー、なぁんて言うもんスから」
「いいわよ、助かったし。旗を獲られたら元も子もないんだから」
「それにしても、マジ半端ねえ戦いだったみたいスね。他の戦車隊は全滅っスか。レッドハンドルさんとレムさんが頑張ってくれなかったら、前線の連中もソッコーで全滅でしたよ」
「彼らもよ」レッドハンドルは語気を強めて言った。「彼、カンカラスやFEFの人達が頑張ってくれたからこそ、時間を稼げた」
「へえ、そうなんスか。それは、どうもありがとうございます」
頭を下げるプレイヤーに、カンカラスは曖昧に頷いた。オンラインゲームで頑張ったからという理由で、お礼を言われるのは妙な気分だった。そもそも謝礼するような場面ではないし、されるような筋合いもない。別に誰かのために頑張ったわけではなく、ただ自分の好きなように戦っただけだ。それがプイレヤー側の利害と一致しているだけの事。
「で、レッドハンドルさん。そのキューマル、もうオシャカみたいっスね」
「ええ。レムもやられたわ」
「そうスか……。じゃあこいつを使ってください」
「あなたはどうするのよ?」
「俺は砲手をしますよ。レムさんの代わりってわけにはいきませんが」
会話を始めたビークルカンパニーの二人。カンカラスはいつの間にか回復していた右手で付近に投げ出されていたGP100を拾い上げ、ホルスターに戻した。そして彼らに背を向け、北に歩を進めようとした。
「ちょっと」
レッドハンドルに呼び止められ、振り返ると、彼女は何かを投げてきた。カンカラスは受け取る。それは先ほど話していたレッドハンドルの武装、シグ SG552だった。
カンカラスが何かを言おうとする前に、レッドハンドルはシグの弾倉が何本か刺さったマガジンポーチも投げ渡す。
「弾、切れたんでしょ」
「いいのか?」
「私が持っててもどうせ使う事はないしね」
「あのぉ、ちょっといいスか?」男性プレイヤーが会話に割って入り、尾根の頂上に並んで停まっている三輛の三トントラックを親指で示した。「銃と弾だったらあそこに沢山ありますよ。消耗した歩兵のためっつー事で、武器弾薬庫に湧いたのを粗方掠って来たんスよ」
確かに、トラックの荷台には様々な形と大きさの箱が満載されている。
「それはありがたい」カンカラスはSG552とポーチをレンドハンドルに返そうとする。「あっちにある物を使うよ」
「なんか気に入らないわね」レッドハンドルはつまらなそうに唇を突き出し、受け取ろうとしない。「いいから、それ使いなさいよ。よく知らないけど、結構良い銃なんでしょう? 高かったんだから」
「……」
何を怒っているのか。カンカラスは渋々SG552を持ち上げ、観察する。ハンドガードのピカティニーレールにバーチカルグリップが装着されているだけで、他に手を加えてある様子はない。銃を他人から借り受ける場合、様々なオプションパーツが装着されているとある種の癖が生じ、扱い難くなってしまう。それでなくても銃にごちゃごちゃと装飾するのをカンカラスは嫌っており、その点、レンドハンドルのSG552は外部照準器の類さえ着いておらず、好印象だった。
半透明のマガジンに一杯までシグシリーズ独自の5.6ミリ弾が詰まっているのを視認し、レシーバーの右側面から飛び出ているチャージングハンドルを軽く引き、薬室に装填されている事を確かめた。
SG552は、高い精度と信頼性、それに優れた携帯性を併せ持っており、それ故かなり高価。少々心ない言い方をしてしまえば、戦車兵が緊急時用のPDWとして持つにはもったいない代物だ。カンカラスが先まで使っていたMC51は、H&K社のG3を他社であるFRオーディナンス社がサブマシンガンサイズまで短小化したものであり、口径こそ違えどSG552も似たコンセプトのコンパクトアサルトライフルである。MC51に慣れ親しんだカンカラスにとっては、長大な自動小銃よりも扱い易い。実際に使った事もある。それに、確かにレッドハンドルの言う通り、クエストやバトルで出現する突撃銃は概して平均的な物ばかりであり、群を抜いた高性能は望めない。SG552のような代物はないだろう。
「わかった。じゃあ使わせてもらうよ」
「ええ。それと、ボイスチャットはこのままにしておきましょう。伝えてくれれば、優先的に援護するわよ」
「独立した“目”というわけか」
「ふふ、短い付き合いだけど、あなたらしいシブい言い回しね」レッドハンドルは小さく笑った。「今度さ、プライベートでも一緒に遊びましょうよ」
今だってプライベートだろうと思ったが、流石に野暮であろう事を察しその言葉は口にせず、カンカラスは頷き、北の前線へ向かった。
ショットガン独特の筋状の火花を伴った発射炎。その先では散弾を受けた二体のNPCが吹き飛び、裂けた衣服の繊維が埃のように舞っている。
ジャミはモスバーグ M590のフォアグリップを素早く引き、排莢。そして即座に押し戻し次弾を装填。対岸の狭い川原に倒れた二体の内、より損傷が軽そうな方のNPCの頭部を照準し、止めを放つ。
仲間から拝借して少し前まで使っていたステアー AUGアサルトライフルの弾が尽き、次に拾得したこのM590を使い始めてからの数十秒で、ジャミは学習した。散弾では、急所への直撃でなければ一発でNPCを殺せない。殺せないにしても盛大に転倒させられるだけのマン・ストッピングパワーの有用性は否定できない。
そしてこのM590もまた、死した同じクランの仲間が使っていた物だった。
「装填!」
ジャミは叫ぶと膝射ちの姿勢から更に低く屈んだ。すると後方に控えていた一人のプレイヤーがジャミの前方に身を翻し、北の対岸を照準し射撃に移る。
戦闘中、銃への装填は無防備な時間である。安全な遮蔽物に隠れて行うのがベストだが、多少の草木が生えているだけの川原に遮蔽など望むべくもない。そのため二人は無防備な時間そのものを生じさせないように、交互に射撃と装填を繰り返す戦法を採っていた。
残り一人になってしまった分隊員の銃から排出される7.62ミリ弾の空薬莢。それがすでに地面に大量に転がっている薬莢にぶつかった際の甲高い金属音を聴きながら、ジャミはベルトから二発ずつ抜いた12ゲージのバックショットシェルを銃身下部に平行して走るチューブマガジンに挿し込む。薬莢の落下音同様、ショットシェルが筒状のチューブマガジンに挿入されていく小気味いい音も、はっきりと肌で感じる。普段は雑音として、気にも掛けないというのに。
ジャミが装填を終えるのと、分隊員が持つライフルの弾が切れるのはほぼ同時だった。装填、という掛け声を合図に流れるように位置を入れ換え、一人は射撃を、一人は装填を行う。
対岸から現れるNPCの勢力は、当初より明らかに衰えていた。一辺の隙間もない雲霞のようだった群が、いつの間にか疎らに、そして新たなNPCが現れるまでのインターバルも長くなっている。だからこそジャミ達のように一人ずつ射撃を行う程度の火力で留めていられるわけだが、それでも辛うじてという前置きは消えない。プレイヤー達の消耗は、明らか過ぎるほどに甚大なのだ。
ビークルカンパニーの隊長は未だに対岸側、死体の小山の裏で両足を投げ出して座り込んでいた。プレイヤー側の南の岸に退避する余裕はない。プレイヤー達が撃ち漏らし、川を渡ろうとする近場のNPCを背後から射殺し、彼の位置に気付き、積極的に狙ってくるNPCには、弾や破片を何発か受けながらもなんとか凌いでいる。転がり落ちてくる手榴弾を何発投げ返したかわからない。三、四発を同時に投げられたら、間違いなく助からないだろう。
「ねえ、ジャミ」
背後の分隊員からの声。ジャミは二時方向へ五十メートル、ビークルカンパニー隊長が潜む死体の小山の敵影に銃撃を見舞いながら、曖昧に返事をした。
「なんか、笑っちゃうぐらい調子いいよね、俺達」
確かに、言われて初めて気が付いたが、その通りだった。何も考えていないのに、驚くほど素早く身体が勝手に最善の行動を繰る感覚。普段のバトルやクエストでも、極稀に同じような感覚を味わう事がある。そしてその時は決まって大量のポイントを収得したり、勝利に直結するような活躍をしていた。それでも常軌の場合はその現象は極短時間、精々数秒であり、終わってから初めて今の動きは良かったと感想を抱く程度なのだが、一体何時からか、今は現象が継続している。自分に現象が起きている事を意識できる。
理由があるとすれば、気概の違いか。常軌でも手を抜いているつもりはないが、どこかで負けても構わないと、お遊びだと感じていたのかもしれない。でも今は、心の底から本気で勝ちたい。
「……終わった?」
ジャミは呟く。対岸から現れるNPCの勢力が急速に収束を見せ、遠方からの数発の銃声を最後に、不意に静寂が場を支配した。
「まだわからないよ」背後の分隊員がジャミの肩を掴み、後ろに押し遣りながら言う。「装填しておいた方がいい。あと、今の内に武器弾薬を拾っておこう」
東西を見渡しても、誰一人として川を渡ろうとするプレイヤーは居なかった。皆が慎重を期し、警戒しているのだ。
「いや、ビークルカンパニーの隊長を助けに行く。援護して」
「えっ!? あ、ちょっと」
分隊員の制止を聞かずに、ジャミは駆け出した。
ビークルカンパニー隊長は右足の大腿部を鮮血で染めていた。おそらく最後の敵襲にやられたのだろう。命に別状はないだろうが、回復には時間が掛かりそうな負傷だった。この静寂が仮初めであるかもしれないなればこそ、助けるなら今しかない。
ジャミは対岸の動きに注意を払いながら、川を斜めに横断。死体の小山の陰に滑り込んだ。
ビークルカンパニー隊長はジャミの姿を認めると、笑顔で片手を挙げた。
「やあ、ショットガンの兄さん。援護射撃、ありがとう」
「いいから」ジャミはショットガンを負い紐で首に掛けると、ビークルカンパニー隊長の腕を掴んで引き起こし、背負うようにする。「乗って。今の内に向こう岸に行こう」
「ははっ、おんぶか」ビークルカンパニー隊長は照れくさそうに笑いながらも、ジャミの背中に体重を預ける。「今まで数え切れないぐらい乗り物に乗ってきたけど、人に乗るのは初めてだよ」
「バイクってわけにはいかないけど、全力で飛ばすから、落ちないでね。俺はジャミ」
「ジャミか、よろしく。俺は乗る造」
「の、のるぞうぅっ!?」
随分と色物っぽい名前だった。乗り物クランであるビークルカンパニーのマスターに相応しいとも言えるが。
ビークルカンパニー隊長改め、乗る造は比較的軽装であり背負って移動する分には好都合だった。しかし浅いとは言え川の中は足場が悪く、更にはそこここに転がる屍を避けて通らねばならない。全力で飛ばすなどとジャミは言ったが、これでは振り落とす程の速度もでない。
南の岸の分隊員は落ち着かない様子でこちらを見遣っており、何時の間にか、その隣には乗る造と一緒にバイクで飛び出してきた女性プレイヤーが急かすように手招きしていた。バイクが健在であれば、彼女が乗る造を救助した方が遥かに速いのだろうが、少し離れた位置に倒れている二台のバイクには幾つもの風穴が穿たれ、とてもじゃないが使い物になるとは思えない。遮蔽物として利用したのだから無理もないだろう。そして一台のバイクの陰には一人のプイレヤーの遺体が在った。乗る造、女性プレイヤーと共に川原に馳せ参じたビークルカンパニーの一人であるが、先の激戦の最中に死亡したのだろう。
「!」
二人が川の中間に達しようという時、唐突に銃声が再開した。遠方からではあるが、絶え間ない銃声。徐々に近く、秒増しに激しくなっていく。
「また始まったっ……!」
ジャミは身体を揺らし乗る造の脚をしっかりと腕で挟み、出来る限りの全力で駆ける。後ろを振り返る余裕などなく、とにかく前を見て進むしかない。
分隊員と女性プレイヤーもジャミ達の背後に銃口を向け、射撃を開始した。分隊員は銃弾がジャミを掠めるほどのすぐ真後ろに短連射で発砲すると、次の標的を照準しようと銃口を振るが、そこで動きが固まった。
「――――」
何か信じられないものを見るかのようにこちらを、盛大に眉を寄せ目を見開き、ジャミ達の背後を凝視している。女性プレイヤーもジャミ達の背後の何かに目を疑っていた。しかしそれは刹那。
「は、速く! 頭を低く、速く来いって!」
ジャミに向け怒鳴ると、二人は再び銃撃を始めた。短連射ではなく、引き金を絞りっ放しにした連射で、ただ一点に向けて撃っているようだ。
ジャミも背後の何かの異常を感じ、恐怖から後ろを振り返りたい衝動に駆られるが、堪えて走り続ける。しかし乗る造はジャミと違い上半身は自由だ。身を捩り、キャリコ M950を片手保持で後ろに向け、
「まさか……“ロシナンテ”か?」
「ロシナンテ?」
背中に衝撃。ジャミは前につんのめり、乗る造を落としてしまう。いや、違う。乗る造がジャミを突き飛ばし、自ら落下したのだ。
「な、何してんの―――っ」
乗る造を振り返るが、同時に見てしまった。背後から迫る何かの正体を。
そこに居たのは、たった二体のNPC。
森林迷彩が施された戦闘服に、同じ迷彩のフルフェイスバイザー。今まで散々、嫌と言うほど目にしてきたNPCだ。
違うのは、緩慢と感じるほどゆっくりとした歩行。腰だめで構えたH&K HK21軽機関銃。そして、分隊員と女性プレイヤーの銃撃を浴び、まるで霧吹きを吹き続けているかのように、まるで身に纏うオーラのように弾け散る装具の破片や血肉、それなのに、何の損傷も見受けられない身体。
「なんだ……あれ」
「行けえっ!」
固まっていたジャミは、乗る造の怒声で我に返る。
「速く! 俺はいいから、速く行けって!」
「でもっ……」
ジャミは逡巡するが、乗る造が倒れた姿勢のまま二体のNPCに向け発砲し始めたのを見て、唇を噛み締め、背を向け駆け出した。
乗る造は二体の内の一体に向けて、更に頭部を狙って集中的に銃弾を送り続けた。バイザーが砕けたであろう粉状の破片に時折血飛沫が混じるが、しかし、掠り傷すら付ける事ができない。それどころか、絶え間ない銃撃を浴びているというのに、微塵も怯む気配すら見せず、淡々と歩み、近付いてくる。射出された弾丸が有するストッピングパワーを無視している。
二体のNPCが三メートルに迫った時、乗る造はNPCが持つ長大な得物、HK21軽機関銃に目を付け、銃撃を加える。身体が駄目なら武器を破壊しようとしたのだ。しかし結果は同じだった。火花と破片が散るだけで、傷一つ付かない。
「ハ、ハハ……流石にこれはちょっと、反則だろぉ」
キャリコ M950の弾が切れ、乗る造は力なく腕を下ろし、苦笑した。
二体は乗る造のすぐ目前に達すると、まるでそこでようやく彼の存在に気付いたように足を止め、平行に構えていた銃身を下げ、乗る造に向け、
「テール!」銃口を覗いた乗る造は弾かれたように振り返り、南の岸に居るビークルカンパニーの女性プレイヤーを見詰めながら早口に捲くし立てる。「VCの指揮は君が採れ! 大丈夫、君なら出来る。よろしくね」
そして連射。乗る造は激しく痙攣するように倒れ、身体を貫通した弾丸が幾つもの赤い水柱を噴き上げた。
南の川原に到達したジャミは、乗る造の最後の言葉と二丁の軽機の銃声を聞きながら、テールと呼ばれた女性プレイヤーを見遣った。彼女は何かを叫んでいるようだったが、同時にライフルを連射していたので、何を言っているのかわからなかった。だが、苦悶を湛える表情を見れば、彼女の気持ちを理解するには十分だった。