第二話:火薬庫
どんなに腕が立つ兵士も無敵というわけではない。
人間である以上、撃たれれば怪我をするしそれが致命傷なら死亡する。それは人間の身体の仕組み、ルールと言ってもいい。
この世界は少々特殊だが、決して非現実的ではないのだ。よってその絶対的なルールは適用される。遵って無敵には成り得ない。
そんな訳で黒い凶戦士ことカイは今、追い詰められていた。
「畜生、動けねえ」
先の尾根から二百メートル程に離れた道路の真ん中に砲撃によってできたであろう爆発孔があった。その孔に張り付くように、カイはうつ伏せで這いつくばっている。
孔は銃を構えた敵に取り囲まれていた。敵は孔に向けて牽制射撃をしながら、ゆっくりと、しかし着実に距離を詰めて来ている。まさに八方塞の四面楚歌だ。
何発もの弾丸が孔の周りに着弾し、けたたましい破裂音と共に粉塵を噴き上がり、雨粒のようなコンクリートの破片がカイを叩きつける。
「追い詰められた。ちょっと調子に乗り過ぎたな」カイは顔に掛かった砂を払いながら淡々と告げる。「あー、虎サン聞こえる? すんません、どうやら俺はダメそうです」
その口調はこんな状況にも関わらず、どこか愉しそうだ。
『かっはっはっは、ああ、見てる。完璧に囲まれてんな』
カイ以上に愉しそうな中年男性の声。
彼は高所からカイを見ていた。辺りを一望できる一際高いビルの屋上、そこの隅であぐらを掻いて、双眼鏡を覗きながら、
『かっかっか、絶景かな絶景かな』
カイよりもずっと露骨に、愉快げに膝を叩いて笑っている。
「見てるって、高みの見物かい!? 見せモンじゃないっすよ! 酷い人だぁ……」
『いやいやいやいや、そう言うなよ。お前のそんな姿、滅多にお目に掛かれないからよ。もうちょっと待ちなって。あ、手榴弾投げられたぞ! ちょうどお前の目の前だ』
その声とほぼ同時、カイの目の前に手榴弾が転がり落ちてきた。
「くっそ!」
カイは素早くそれを掴むと前方に投げ返して、さらに身を低くして頭を抱える。
すぐ近くで爆音が轟き同時に腹を突き上げるような衝撃。小石や砂がカイに降り注ぐ。
『かっはっはっはっは! 大丈夫かぁ? まだ死なれちゃ困るぞ』
「ちっくしょう。……なんで俺がこんな間抜けキャラみたいな目に。キャラ的には虎サンの役だろ。大体、男のドジっ子なんて全然萌えねぇよ……」
中年男性の大爆笑を聞きながらカイはブツブツと呪詛のように呟く。
『おーい、聞こえてんぞ。誰が天然ドジっ子ツンデレ眼鏡委員長だって!?』
「そこまで言ってねぇ! 属性増え過ぎです!! ……あっ、でもそのキャラ割と鉄板かも」
『だろ!? やっぱツンデレと眼鏡と委員長属性は地球を救う力があるよなぁ』
そんなふざけたやり取りをしている内に、カイの目の前に二発目の手榴弾が転がってきた。
「ってそんな話をしている場合じゃねぇですよ!」手榴弾を投げ返しながらカイは怒鳴る。「地球より先に身近な命を救ってくださいっ!」
『かっははは、あーあ。もう十分愉しんだし、そろそろいいかな』
「へ?」
カイのその間の抜けた声を聞く限り、十分間抜けキャラに思えた。もっとも黒尽くめの覆面男に萌えの要素は皆無だが。
『お前が尾根に向かう途中、そんな孔開いてたか? その孔は保険さ。万一お前が追い付かれた場合のな』
途端、中年男性の声に力が篭る。
「……なんだか嫌な予感がするんですけど」
『耳を塞いで口を開けろ。いくぞ、ファイアインザホール』
中年男性が半笑いでそう呟くと、カイのいる穴を囲むよう、三つの小さな円筒形の物体が地中から跳び上がった。
その物体は地面から一メートルほどの高さまで上がると、ピッ、と無機質な機械音を発し、炸裂した。
見た目は灰色の煙がほんの一瞬広がっただけの地味なものだ。しかし地味なのは見た目だけで恐ろしい大音響と衝撃波が空間を揺さぶり数千個もの鉄球が四方八方に飛散する。そのベアリングは殺傷範囲内の全てのものを切り裂いた。
爆発から数秒後、周囲に独特な音響と粉塵が立ち込める中、運良く難を逃れた数名の敵は恐る恐る物陰から様子を窺った。つい先ほどまでは人型だった仲間達が、寸断された骸と成り果て転がっている。爆心地からはいまだに灰色の煙がモウモウと上がっていて中の様子はわからない。彼らは互いに顔を見合わせ、意を決したように物陰から飛び出した。
その瞬間――――
煙の内で閃光が奔る。遅れて銃声、更に遅れて倒れる仲間。そしてまた閃光、銃声、倒れる仲間。
その閃光の元、銃声の主、光弾の射手、それは黒い凶戦士、カイであった。先の大爆発の灰煙、その中心で彼はライフルを撃っていた。
その構えは強固な膝射ち。その表情は、怒っているのか喜んでいるのかわからない。覆面から覗く目は怒りを湛えたように鋭く吊り上がり、しかし、口だけは心底嬉しそうに半月状に開いている。
「はっはっはっはっは」
笑っている。喜んでいるようだ。
今のカイの動きは尋常ではない。その単射は、まるで連射射撃と見紛うほどのラピッドファイア。銃の性能ギリギリの疾さ。
――――加速する。
撃たれる相手は銃を持ち上げる暇さえ与えられない。彼らはカイにとってはもはや敵ではなく、ただの的だ。
――――俺の全てが、加速する。
今のカイは何も考えていない。精神が研ぎ澄まされて、外界の無駄な情報が一切遮断されていた。銃声は音として認識されず、後退する遊底が空薬莢を弾き飛ばし、複座バネの反発で再び前進した遊底が弾倉の弾丸をくわえ込む作動音だけを肌で感じる。そして銃口から発射炎が花開き、その先で血煙を噴く敵を眼で感じる。ただただ、倒れた敵から次に倒すべき敵へと条件反射のように銃口を振り、引き金を切る。
――――周りの全ては、遅過ぎる。
この世界の、こと銃撃戦に限ってはカイの能力はその他大勢を凌駕する。その戦闘能力こそがカイを黒い凶戦士たらしめる由縁だ。
灰煙が晴れる頃、その場には頭部か頚部、胸部を穿たれた死体が累々と転がり、その中心にカイがいた。膝射ちの姿勢で止まっている。連射により熱せられた銃身が冷やされる事により僅かな収縮音を放ち、銃口からは硝煙が立ち昇っていた。
『……レイ』
――――思考がクリアになってきた。
『…レイ!』
――――もう終わりか。つまんねぇ。
『おい! レイ!』
何度目かの耳元の叫びに、カイは立ち上がりながらようやく応えた。
「……はいはい、なんですか?」
『はいはいじゃねぇよ! 何回呼んだと思ってんだ?』
「えっ、ああ、すいません」
しかし、カイの心は今だここに在らずといった感じだ。
中年男性はその声色から何を悟ったのか。不安そうな声で、
『……気付けろよ』
「へ? 何にですかい?」
『いや、なんつーか、いろいろさ』
露骨に口篭り意味不明な事を言う中年男性。
やはりカイはその言葉の意味を理解できないらしく「…はぁ」とだけ短く答えた。
「あっ、そういや虎サン、さっきどさくさで何回も俺のこと“レイ”って呼んだでしょ!」
思い出したようにビルの上方の小さな人影に向かって言うカイ。
『気のせいだろ』
フヒューフヒューと吹けもしない口笛を吹こうとする中年男性。
「……そういう事にしておきますよ。あの地雷は見事だったから許します」
『かははっ、何回一緒に戦ったと思ってるんだ?』
先の爆発について説明すると、まず中年男性はカイと別れてから道路に穴を掘った。それもカイが追い付かれた場合そこに隠れるであろう位置を予測して、そして掘った穴を囲むように三つの指令起爆型跳躍地雷を埋設した。その跳躍地雷のキルゾーンには例外がある。真下には破片と爆風の被害が及ばないようにできているのだ。
もっとも、それはあくまでも構造上の已む無い例外であり、死角として利用すべきものではない。いくらキルゾーンの死角とは言っても、自身の真上で爆弾が三発も爆発したのだ。カイは肉体から精神が吹き飛ばされるような衝撃波と、シェルショックと呼ばれる現象で一時的に聴力を失ったわけだが。
そんな大胆かつ巧妙な罠を仕掛けた中年男性の名は、虎サンである。
彼にも黒い凶戦士と並び称される程の通り名がある。
火薬庫。
その名の通り虎サンは多種多様な爆発物を使いこなす。発破のエキスパートだ。
「でも、もうちょっと深く穴掘ってくれてもよかったんじゃないですか? 隠れられる高さギリギリでしたよ」
『言ったろ、保険だって。他にも仕掛けにゃならんのにそこだけに時間かけられんよ。それに、こっちが本当の理由だが、あんまり深く掘るとお前反撃しようとして無茶するだろ? だからあの高さで丁度いいんだ。敵弾は凌げるが反撃はできない、あの高さで』
「……ちなみに、あと幾つ罠仕掛けたんですか?」
『あと三個所、同じような罠がある』
事も無げに平然と答える虎サン。カイと別れてから現在まで十分も経ってはいない。その限られた時間の中でここまで手の込んだ罠を四つも仕掛けていた。
カイは改めて感服する。
「なんて言うか、やっぱりさすがです。参りました」
『ふん、人のこと言えるかよ。十人殺せりゃ十全とか言っといて、お前ひとりで二十人ぐらい屠っただろ』
「気のせいじゃないですかい」
『そんな気のせいがあるかっ!』
その時、二人は完全に油断していた。あれだけの猛攻を凌いだのだ。油断しても無理はないし普通なら問題も無い。一斉攻撃とは全戦力で一気に叩くのがセオリーである。なのでその攻撃を凌いだという事は同時に敵の全滅を意味しているからだ。しかし、今回は普通ではない。普通ではない集団が敵側にいる。
「いやいや、まあ、―――っ!?」
突然、少し離れたビルの陰から二輛のジープが現れた。
ルーフトップに据えられた機関銃を乱射しながら、所々に転がる死体を縫うように、カイに向かって猛突進してくる。
カイは反射的にライフルを持ち上げた。が、舌を打ってすぐに踵を返して逃げるように走り出す。
五十メートル先のジープの運転手を撃ち貫くぐらいカイにはわけないが、猛スピードで不規則に蛇行しながら、しかも二台とも機関銃で自分を狙っているとなると話は別だ。
「くっそ! 蛇行運転かよ! 心得てやがる!」
カイ自身の直進的に後退するのではなく、機関手の照準に捉えられないように右往左往と、蛇行で必死に駆け回る。
『カイ! 正面の土嚢まで走れぇ!』
カイは走りながら確認する。道路の十メートル程先、そこには土嚢が積んであり、ちょっとした壁を形成していた。防御陣地としては頼りないが、遮蔽物としてなら十分の大きさだ。
「了っ解!」
土嚢まで三メートルと迫った。その時、カイから鮮血が飛び散った。ジープの機関銃が放った弾丸がカイの大腿部に着弾したのだ。
「くっそったれぇ!」
カイは着弾の衝撃で転がりながらも、なんとか土嚢の裏に飛び込む。
カイを撃ったジープは追い討ちを掛けようと、土嚢の右脇を抜けようとした。しかし、それはできなかった。否、させて貰えなかった。一人の男の罠によって、土嚢の手前で突然爆発炎上したのだ。
真横で炎上した味方のジープを見て、残りの一輛は急ブレーキを掛ける。地雷があると見抜いたのだ。しかしそれでも遅過ぎた。車輪が地面から突き出した突起を踏むと同時、真下から突き上げる突然の爆裂が車体を突貫、ほどなく乗員ごと炎上した。
『対物は俺の仕事、だろ?』
勿論、土嚢を積んだのは虎サンである。そして土嚢の手前に対戦車地雷を埋設しておいたのだ。まるでこうなる事がわかっていた様な完璧過ぎる罠。
無論、虎サンはエスパーではなく、未来を予知できるはずもない。しかし予想はできる。こと戦闘に限っては予知に近い予想が働く。それこそが虎サンを火薬庫たらしめる由縁。
「お見事! 助かりました。あれがビークルカンパニーの連中ですかい、結構やりますね」
カイは土嚢の内壁に背中を預けながら言う。脚には大量の血が付着しているが致命傷ではないようだ。
『おう、みたいだな。動けるか? 連中まだ終わらせてくれそうにないぞ』
「へ?」
二度目の間抜けな声を上げた瞬間、背後からの激しい衝撃がカイを襲った。
先ほどジープが飛び出してきたのと同じビルの陰から、角ばった形のキャタピラの装甲車が砲塔を覗かせ、機関砲を連射している。
「キッツいなぁ、おい! ありゃAPCか!?」
カイは必死に伏せながら土嚢の脇から顔を出し確認する。
FV510ウォーリア歩兵戦闘車両(IFV)、装甲兵員輸送車(APC)と似た様な形状だが性能は段違い。積極的な戦闘参加を前提としている造られている。
その30ミリ機関砲がカイの隠れている土嚢を容赦なく打ち付ける。カイは必死に伏せているが、30ミリの砲弾はそれで防げるほど甘くはない。銃弾ではなく、炸裂砲弾なのである。
次々と土嚢を吹き飛ばし、炸裂した砲弾の破片がカイの生命を激しく削っていく。
「ああ、くっそ! 動けねぇ、あ、視界が霞んできた。死ぬぅー」
屋上の虎サンはその光景を見て、AT-4ロケットランチャーを素早く構え、刹那の逡巡。しかし、
「あばよ、先に行ってらぁ」
そう言うとランチャーのレバーを引いた。
発射されたロケット弾は真っ直ぐに飛翔。歩兵戦闘車の弱点であるハッチに直撃、指向性の炸薬が装甲を突貫し内部機器諸共乗員達を吹き飛ばし、IFVは黒煙を噴いた。
「おおっ、助かりました。さすが虎サン」カイは這いずる様になんとか姿勢を起こす。「あれ? 虎サン?」
いつもの応答が帰ってこないことを不審に思い、カイは虎サンがいたビルの屋上を見上げようとした。しかし、ビルを見上げるその前に、嫌でも目に入ってくるモノがあった。それはビルの向こう、百メートルほど離れた距離で禍々しく白煙を上げる戦車の砲身。その砲身は虎サンがいたビルの屋上に照準を合わせている。
ビルの屋上は角をぶつけたダンボール箱の様に一辺が欠け、そこから瓦礫が落ちる。
ビークルカンパニーの物量勝ち、と言ったところだ。先のジープとIFVは虎サンが、火薬庫が潜んでいる場所を特定するための囮だったのだ。
それでも虎サンはこの展開を予想、戦車の登場による不意打ちも予感していた。しかし、考え得る全ての可能性に対抗策を用意できるほどの時間がなかったのだ。
「なるほど、そっちが本命かい……」
カイは眉間に皺を寄せ、つまらなそうに呟き、戦車に向けてライフル下部に装着されたグレネードランチャーを構え、引き金を引いた。40ミリの榴弾は放物線を描き戦車の側面に直撃し爆発するが、対人対軽車輛用の火力では戦車の装甲が少々痛む程度のダメージしか与えられなかった。そして粉塵の向こうで戦車の砲身がゆっくりと動き出す、狙いは無論カイである。
「おら! おら! おら! おらぁ!」
カイは戦車に向けてライフルを連射する。その抵抗は虚しく、戦車の装甲に弾かれるだけだ。
戦車の砲口がカイを捉え、砲弾が砲身に装填され、戦車の130ミリの砲身が、火を噴いた。
放たれた軟目標用の榴弾は高速で回転しながらカイへと突き進む、榴弾がカイの足元にめり込んだ。
炸裂する、その刹那、
――――両者の時が止まった。
まるで時間が止まったかのように両者共に微動だにしない。その表現は比喩ではなく実際に時間が止まっていた。先に破壊されたIFVから立ち昇っていた黒煙も、虎サンがいたビルの屋上から剥がれ落ちた瓦礫の破片も、カイのライフルから吐き出されたされた空薬莢も、そしてカイの足元で橙色の爆裂を放つ砲弾も、全てが写真のように時間を切り取られて、文字通り停止している。
「あぅ、このタイミングで時間切れかい……」
カイが呻いた。次の瞬間、視界を文字と数字の羅列が支配した。
オーシャンシティー チームデスマッチ
レッドチーム
1st カイ point:45 kill:39 die:0
2st 虎サン point:32 kill:21 die:1
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・
・
『お疲れさまです、カイ様。タウンに戻られる場合は〔戻る〕を、このまま終了される場合は〔終了〕を選択してください。同じサーバで続けられる場合は――――』
スクロールしていく画面に合わせて、聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。
その音声を遮るように慣れた手付きで終了を選ぶ。
画面は刹那暗転し、メニュー画面が映し出された。
「ふぅー……」
HMDを外し、VRGを脱ぎ、椅子に深く座り直す。
キーボードの横に置いてあった煙草を銜え火を点ける。深く吸い込み、ゆっくり煙を吐き出す。
時計を見て、
「二時か。明日起きれっかな」
ひとりごちた。
根元まで吸った煙草を灰皿に押し付けながら、パソコンの電源を落とし、ベッドに横になった。
やれやれ、今日も疲れた。ゲームで疲れてちゃ世話ないけどな。
ここまでが真のプロローグですw
ここから面白くなってくる予定ですので、あわよくば付き合ってやってください。