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False War  作者: IOTA
27/43

ラストマン・スタンディング 3-3

 



 カイは、ハンヴィの最後の言葉を考えていた。

 そして思う。

 ああ、わかる、わかるよ。俺もだよハンヴィ、いや、ホテル。

 やはりたのしい。最高に、楽しい。

 楽しくてタノシクテ愉しくて、頭がブッ飛んじまいそうだ。

 自分は今言いようのない充実感を感じている。憂いや苦悩や自己嫌悪を全て無視し、普通で不変なつまらない現実ではなく、この非凡で異常な仮想現実の世界でこそ、生を感じ謳歌している。

 とても不謹慎だという事は自分でもわかっているが、やはり今の充実感はそれを覆い尽くして、塗り替えて、吹き飛ばしてくれる。それは否定できない事実だ。具体的な理由はわからないが、きっと性に合っているのだろう。

 ――――でもだ。 

 矛盾。

 今、カイの中で渦巻いているのは、まさに混沌とした矛盾だ。

 でもでもでもでもでも。

 ホテルが、死んだ。

 俺が、死なせた。

 危険だとわかっていてバトルの誘いに乗った。スペシャルクエストが発生する可能性を認識していながら、みんなを巻き込んだ。いや、むしろそれを望んでみんなを利用した。その結果、ハンヴィが殺された。

 俺が、殺した。

 虎サンの時も、そうだった。

 フォネティックメンバーの親友と戦友を、俺は殺した。

 ……俺だけでいいのに。

 死ぬのも、ここに居るのも、俺だけでいいはずなんだ。他の連中は邪魔だ。せっかくこんなに楽しいのに、みんな邪魔で邪魔でしょうがないんだ。

 俺一人の時はスペシャルクエストも何も起こらない癖に、なんでこいつらが居る時に限って起こるんだ。しかも、なんでこいつらだけHMDを外せないんだ。なんでこいつらだけ逃げられないッ。なんで、なんで俺だけが逃げられるんだ。

 頼むから、俺を一人で戦わせてくれ。

 お願いだから、俺を独りにしてくれ。

 俺が悪かったから、これ以上こいつらを死なせないでくれよ。

 どうしようもない自己嫌悪、これから起こるであろう惨劇への悲哀、やりようのない疑問への憤怒、そして、それら全てを含めても、自分が根底で感じている異常事態に対する悦び。 

 そんな、狂気のような思考と本能の渦の中で、カイは――――



 高く聳えた深緑の樹木、その根元、褐色の幹に囲まれた硬質の雪上から、軽快な金属音だけが響いてくる。

 きちんと着込めばその場によく溶け込むはずの森林迷彩の戦闘服を杜撰に着崩して、阪神の野球帽を庇を逆にして被った細身の青年シマドリは、対物ライフルの弾倉を交換して、照準眼鏡スコープを取り外しにかかっていた。大型の高倍率スコープから、小型の低倍率のスコープへと付け替えたのだ。最後に弾倉を交換し、ガシャン、とボルトハンドルを引いて初弾を薬室に送り込む。

 その場には他にも三人、人間が居た。

 まるで耳を立てた兎のように背筋を伸ばして辺りを警戒している紫の忍び装束を纏った小柄な少女、栞。雪面に穴を開けるかのように終始俯いてるオレンジ色の作業ツナギを着た背の高い女性、皐月。

 そして、立木の間から微かに覗く遠方の黒煙を、虚のような無表情で見詰めている漆黒の青年、カイ。

「で、どないするんや?」

 シマドリは淡々とした声で、敢えて何も考えていないような声色で言う。

「スコアボードを見る限り、あのクソ戦車、まだ生きとるで。ここにおっても壊せんぞ」

 ハンヴィの捨て身の攻撃がフェンリルにどのような損害を与えたのか、そもそもそれが成功したのか、四人には知る術がない。しかし残酷にもスコアボードは結果だけを表示する。『ハンヴィ:point.0 die.1』。

 ハンヴィの神風攻撃ではフェンリルは破壊できず、そしてハンヴィだけが死亡した。

「………」

 シマドリの言葉に皐月と栞は彼を見るが、何も言わない。ややあって、三者の視線は自然とカイに向かう。

 カイはまだ遠くを見詰めたままだった。その瞳に映るのは、やはり尾根の向こうの一筋の煙。そしてカイは無言のまま、何かに呼ばれたようにフラリと、危うい足取りで一歩を踏み出す。

「おい、待て。どこ行くんや」シマドリは制止する。「奴をブッ壊すにしても、何の策もなしに行くんわ危険過ぎるで」

「………」

 しかしカイは応えず、二歩目を踏み出す。

「カイ。ねぇカイっ、ちょっと待ってよ」

 皐月の制止にも、やはりカイは応えない。

 危うかった足取りが、一歩いっぽを踏み締める度に確実な物へと変わっていき、片手でぶら下げるように持っていたM4カービンは、ゆっくりと持ち上げられ両手に携えられる。

 そしていよいよ駆け出そうとしたその瞬間、シマドリがカイの肩を掴んだ。

「オイッ! 待て言うてるやろ」

「……放せよ」

「アホか、すぐ放すなら掴んだりせんわ」シマドリは唇の片端を吊り上げニヒルに笑う。「頭冷やせや。一人で行っても返り討ちやぞ」

「頭なら冷えてる。ああぁ、ここはクソ寒いからな」

 カイは宙を見上げ、はぁーと白い息を吐き出した。

 冗談なのだろうか、と一同は思った。ゲームの中で温度を感じれるわけがない、このマップが雪原でも寒いわけがない。

「あ、そうだ」どこか危うい雰囲気を漂わせながらカイは続ける。「良い案を思い付いたぞ。お前らは、叫べ」

「はぁ?」

「HMDを被ってても声だけは外界に聞こえてるはずだろ。だから大声で叫べばきっと誰かが異常に気付いてHMDを外してくれる」

 カイが咄嗟に閃いた案は一見秀逸に思えたが、シマドリは「無理やな」と一蹴する。

「わしはこう見えても防音の結構ええ部屋に一人で住んどるんや。三日三晩叫び続けても、たぶん誰れも気付かへん」

「それに誰かが気付いたとしても、かえって危険だ」沈黙を守っていた栞が静かに口を開く。「HMDを自ら外せなくなるような催眠にかけられているのならば、外界からの強制ログアウトに何のペナルティもないとは考え難い」

 栞はつまり、HMDを第三者により外されそうになるような事があれば、その先に待っているのもやはり死かもしれないと、そう言いたいのだ。HMDに搭載されたセンサーは、頭部から外されそうになるような微動作を鋭敏に感知する。その瞬間、自殺を促す催眠映像が流される可能性も十二分に考えられるのだ。つまり、助けが来たとしても、それが助けになるかどうかはわからない。むしろ危険過ぎる賭けなのである。

「そもそも、それほど悠長な事を実行できるとも思えない。あの多脚戦車が何時来るとも知れないのだ」

 逃げ道がなく、時間もない。

 スペシャルクエストからの脱出は、勝利以外に在り得ない。それは議論の余地がない事実。何者かによって計算し尽くされたオモシロイゲーム。

「………」

 一同が沈黙した、その時、

 ズン、ズズン、ズズンズズンズズンと、つい先程耳にしたのとまったく同じ連続する轟音が聞こえてきた。

 それは戦車の足音。

 黒煙が上がる尾根の向こうから、近付いて来ている。

「!」

 硬直は一瞬。一同が悪しき音源の方角へと頭を向け、思わずシマドリはカイから手を放してしまった。同時にカイは駆け出した。それに対し一同はもう一度硬直する。カイの頭が冷えているわけがない。今のカイが冷静なわけがない。ここは楽しい戦場なのだ。自分以外は邪魔なのだ。これ以上誰かの死は、決して断じて絶対に、見たくないのだ。

 銃声が響いた。

 カイは転倒した自分に気付く。

 足が動かない、撃たれた。

 身体の下敷きになったカービンを引っ張り出し、フェンリルが迫るであろう尾根に向けて構えるが、フェンリルの姿はない。まだ遠い。では何に? いや、誰に?

「ねえ、カイ」

 後ろから、皐月の声が妙にはっきりと聴こえた。

「最初に私と会った時の事、覚えてる?」

 皐月はカイから借りたショットガンを構えていた。その銃口には、白い硝煙がゆれている。

「最初っていうか、父さんのじゃなくて、私が自分のキャラで最初に会った時ね。あのハワイの火山みたいな戦場。あの時さ、カイは私を撃ったよね」

「――――お、お前、何を……!」

「これはあの時のお返しだよ」

 そして皐月は笑った。涙が滲んだ目を力一杯持ち上げて、悪戯に、満面に笑った。

 カイは皐月の頭を疑ったが、それは一瞬、次の彼女の言葉で、すぐにその真意を理解する。

「さぁ、シマドリさん、栞ちゃん、カイが回復して馬鹿な事しない内に、あのクモ、やっつけるよ」

 硬直していたシマドリと栞も遅れて意味を解し、その判断に大きく同意する。

「ナイスや皐月ちゃん! よっしゃ、じゃあいっちょあのクソ戦車にデカイのお見舞いしてやろうや」

「うむ、絶対に倒そう」

 そうして三人は動き出す。

 シマドリは木に登った。雪原と森林の境界にある、一際高い杉の樹だ。ライフルを背に身軽に登って行く。

 栞は倒れているカイに近づき、その胸から手榴弾をもぎ取った。「貰うぞ」と一言。呻くカイを無視して雪原に向かう。

 皐月も同じく栞から横に二十メートルほど距離置いて雪原に向かう。そして去り際に振り返り、カイを見る。

「じゃ、行ってくるから。良い子にしててね」

 カイは言葉を失った。

 これがあの皐月だろうか。戦場に武器を持ってこないような、あくまで非戦闘員を気取っていた、あの弱い女だろうか。まるで百戦錬磨。まるで――虎サン。

「もしダメだったらさ、カイはHMDを外して」

「ふっ、ふざけんなよ! 俺だけ逃げろって言うのか!?」

「そうだよ。逃げて、生きろって、そう言ってるの。じゃ、いってきます」

 皐月は駆け出した。

「おいッ待て……くそっ、くそくそクソッ!」

 カイは自分の足を見る。血塗れだ。ダブルオーのバックショットを至近距離で喰らったのだ。回復には時間が掛かる。一分もせずに回復するだろうが、現状ではそれは永遠と思える長い時間だ。まさか自分が貸した銃で撃たれるとは、しかも自分を護るために、撃たれるとは。

「なんだってんだよ。頼むから、行かないでくれよ……」

 


 数十秒で樹の天辺にまで登り詰めたシマドリは、泣きそうだった。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 それは遠方から迫るフェンリルが、明らかに先程よりも移動速度が遅いからだった。そしてその体に、大きな外傷が見られるからだった。

 左前脚の丸い接続部にひびが入り、その脚だけ他の三脚より稼動率が悪い。本体の上部には大きな亀裂があり、そこからは微かにではあるが確実に黒煙を噴いている。

 ハンヴィの特攻は無駄ではなかった。ハンヴィの最後の一撃は、確かにフェンリルに一矢報いたのだ。

「ははは! あっハハハハハハハハハ! よっしゃあ、よくやったでホテル! やっぱお前の操縦は最高や!」

 シマドリは樹の枝に足を置き、幹に背中を預けるようにして、対物ライフルの砲口を跳ね上げ、撃つ。

 発射時に生ずる凄まじい反動で極太の幹がしなり、葉に積もった雪が下に落下する。

 放たれた20ミリ徹甲弾は、狙いから逸れ、フェンリルの右後方の雪面を噴き上げた。しかしシマドリは動じない。それはそうなるべくしてそうなった、道理だったからだ。低倍率のスコープに付け替えてから照準調整サイトインを行っていないのだ。そのまま撃てば、スコープの中心に着弾しないのは当然である。

 常軌であればスコープの調整ダイヤルを回して、更に数発の試射を行い照準を合わせるのだが、無論そんな悠長は事をやっている暇はない。故にシマドリは微かに銃身を振り、スコープの十字線クロスヘアの中心をフェンリルの左下の雪面に乗せることにより、照準調整を完了させた。右上に着弾したならば左下を照準すればある程度狙い通りに着弾するはず。慎重且つ繊細とされる狙撃手には有るまじき力業である。

 しかし、本当に狙撃手に有るまじき行動は、ここからだった。

 シマドリは射ち。射ち。射ち。撃った。手動装填ボルトアクションのはずのライフルが、素早い手の動きにより、まるで半自動小銃のように火を噴き続ける。スナイパーでは有り得ない連射だ。しかしシマドリは普通の狙撃手スナイパーではない。遠距離戦闘だけでなく、近接戦闘でもこのダネルNTWライフルを愛用し続ける射撃魔トリガーハッピーだ。目視による適当な照準など日常茶飯事。速射での狙撃など、または狙撃での速射など、手馴れたものである。

 勿論、それでも数発は狙いから外れたが、一発はフェンリルの前脚接続部のひびに入り込み、一発は本体の亀裂に突入。

 フェンリルは前のめりに転倒した。砕けた雪片を盛大に舞い上がらせながら、巨体は宙を翻り、前転し、停止する。

「ヨシ! よしよしよし! ざまあみさらせッ!」

 シマドリは歓喜の声を上げながらも、ライフルの弾倉を交換しつつ、狩った獲物フェンリルから目を離さない。 

 長い脚を上に向けて反転している様は、まさに虫の死に様だ。神話に登場する誉れ高き大狼とは似ても似付かない、無様なものだ。しかしそれはフェンリルにとっては関係のない事だ。アレは意思を持たぬ殺戮の化身。自分の今の姿など、意の外。そもそも意など存在しない。

 否、そもそもというのならば、あれは死に様などではない。フェンリルはまだ生きている。バランスを失い転倒しただけで、兵器としての殺傷能力は健在だ。

 いつも相手にしている人型にんげん車輛くるまとは全く異なった形状を持つ今回の相手てき、故に生死の判断はスコアボードに頼るしかなく、当然のようにシマドリは自分のスコアの不変からフェンリルがまだ稼動している事を既に察していた。

 だから、起き上がり例の機関砲で反撃される前に出来るだけ多くの銃撃をその裏返った腹部に浴びせようと、ライフルを持ち上げるが、スコープを覗いて敵の裏側の細部に到るまで観察出来た時、自分の失敗に気付く。

「ああ……くそ。なんて馬鹿なんや、わしは……」

 失念していた。

 フェンリルの上部に付いた機関砲に気を取られる余り、下部に付いていたガトリング砲の存在を忘れていた。上からの射撃という有利なポジションを選んだ事も、その失念の因るところとしては大きい。上からだと、フェンリル本体が死角となって、下部のガトリング砲が視野に入らなかったのだ。

「くそが」

 天地が逆転したフェンリルにしてみれば、樹の上に居るシマドリはガトリング砲の丁度良い射角に居る。もうすでに六連の銃身は回転を始めていて、給弾された7.62ミリ弾は従来の撃針着火では有り得ない、電気着火特有の恐るべき連射速度で吐き出される。

 その銃声はまるでノイズ。

 ザッーと、刹那も途切れる事のない弾雨。その一発一発が必殺必死。

「く―――ゾ―――がぁ――――アァァ……!」

 シマドリは、自身の身体を現在進行形で死に至らしめていく数多の銃弾を体感しながら、左腕が肘から吹き飛び、右大腿部を切断され、下腹部は幾度にも渡り穿たれるのを認識しながら、落下する間際、残った右手を前に突き出し、拳銃のように構えた巨大なライフルから、最後の一発をひり出した。

 その一発は、フェンリルのガトリング砲の付け根の部分に激突。甲高い金属音の直後、歯車に不純物が噛み合うような鈍い音をたて、銃身は止まった。回転するための稼動部を破壊したのだ。つまりガトリング砲を潰した。

 全くの僥倖なのか、それとも確かな技術なのか、どちらにしても魔槍ブリューナク。そう畏怖されるに相応しい驚異的な射撃だ。

 しかし、その功績をシマドリ自身が知る事はなかった。

「……お、ぃ……ぉいッ」

 カイは雪面に血の跡を伸ばしながら這い進み、樹の上から無造作に落下してきたシマドリに声を掛ける。返答はない。身体の至る部分が欠損し、比較的元の形状を保った上半身だけが、カイの方へと頭を向けている。それはすでに亡骸だ。

 カイの下唇から一筋の血が滲み、血の味がする。それはカイというキャラクターだけでなく、リアルのカイも、出血するほど強く唇を噛んでいるからだ。

 シマドリの最後の表情かおは、苦痛によってなのだろうか、両目を強張るように閉じていたが、口元だけが皮肉ニヒルな笑顔のそれであった。



 栞はフェンリルに肉迫していた。

 転倒し反転したフェンリルは、起き上がろうとしているのだろう、天に向けた脚が忙しなく動いている。

 小高い尾根から栞は駆け下りる。身を低くして側面から接敵する。眼下で蠢く異形に神経を集中させ、加速する。 

 シマドリがフェンリルを転倒に追い込んだ事も、そのシマドリがたった今殺された事も、栞は知らない。知ろうと思えば簡単だ。スコアボードを一瞬表示するだけでいい。しかしその一瞬が、今の彼女には惜しい。零コンマ五秒も要さない操作だが、そんな事をしている余裕はない。栞は今、一刻も早くフェンリルに接触したかった。自分の間合いに相手を収めたかった。

「フッ」

 栞は息を吐き、跳躍した。

 フェンリルはぐるんと右の前脚と後脚を回転させ、地面に突き立て大きく傾く。 

 そして、フェンリルが体を起こすのと、栞がフェンリルの本体に着地するのは、同時であった。

 フェンリルは起き上がってすぐに自身を足蹴にしている異物に気付き、前後左右に激しく揺れ動く。栞は体を宙に投げ出されながらも、咄嗟に伸ばした左手でフェンリルの砲身を掴んだ。まるでジェットコースター、いや、ジャイアントスイングという比喩の方が適切であろう。

「く、ぅぅ……!」

 腕を基点に栞の体はぐるんぐるんと振り回される。しかしそれでも栞は手を離さない。離すわけにはいかない。今、フェンリルは体を揺さ振るぐらいしか抵抗の術がないが、栞はようやく自分の間合いを得たのだ。ようやく自分の土俵で戦える。

 打ち合わせはなく、会話すらもなかったが、しかし個々の動きは互いに絶妙なバランスを保ち、連携する。シマドリの銃撃があったからこそ、栞はフェンリルまで到達できたのだ。そしてシマドリはハンヴィの特攻があったからこそ、フェンリルを転倒させる事に成功したのだ。更に言うのならば、実は最初にカイが放ったミサイルがフェンリルに軽傷を与えていたからこそ、ハンヴィの特攻が活きたのだ。ある程度力を持った者達は自分の全力を出すだけでいい、作戦などなくとも、上手くやれる。一見別々に見える個々の行動により、歯車は噛み合う。

 栞は空いた右手で刀を引き抜き、振り回されるタイミングを見計らい、フェンリル上部の亀裂に突き刺した。

 鋭い金属の手応え。

 だが、その切先は確かに刺さった。

 砲身の他に掴む箇所を得た栞はそちらに移動、刀の柄を両手で握り膝をついて体重を安定させ、そして刺さったままの刀を抉るように動かす。

 もしフェンリルが生体ならば、呻き声の一つでも上げていよう。フェンリルは錯乱したように四本の脚を振り回し、雪片を舞い上がらせ、純白の雪原に大穴を穿ち続ける。その激しさに負けじと、栞も体内に捻じ込んだ刃を滅茶苦茶に掻き混ぜる。

 パキン。

 それは呆気ない音だった。栞の刀はすぐに折れてしまった。丁度刃の真ん中から真っ二つに折れた。支えを失った栞は振り落とされそうになるが、しかしまだだ。今度はその亀裂に手を掛け、暴力とも言えるほどの遠心力に耐え忍ぶ。

 刀は斬るためのものだ。金属を突き刺し、ましてやそのまま抉るなど言語道断。折れてしまうのは自明の理。紫の影シャドウステップと謳われるまでの刀剣遣いである栞がその事を知らないわけがない。刀での攻撃は彼女の意地であり、保険だった。刀剣遣いとしてプライド、刀で一矢報いたいという個人的な願望。そして次の真の攻撃を活かすための保険。

 先の栞の攻撃により、フェンリルの亀裂は、ほんの僅かにではあるが、拡がり、深くなっていた。

 その穴に、栞はカイから貰った手榴弾のピンを抜き、投入した。

 そう、全てがこれをする為の作業。いかに強固なフェンリルといえど装甲の内部からの爆発に、ただで済むわけがない。

 栞は一秒、二秒と、ギリギリまで粘ってから、退避するため手を離そうとした、その時、

「……不覚」

 たった一つの、けれども取り返しのつかない誤算に気付いた。

 それは彼女の予想よりも、フェンリルの抵抗が激しかった事。その暴れ様が尋常ではなかった事。

 確実に穴の中に投入したはずの手榴弾だったが、内部で跳ね、外に転がり落ちてきたのだ。

 栞は瞬間的に手榴弾を掴み、自身の腕ごと、亀裂に突っ込んだ。

 彼女の覚悟は、一瞬だった。

 否、それはすでに決まっていた。

 リアルでカイ達と会合し、彼らに関わろうと決めた時に、すでに腹は括られていた。

「いやはや、どうやら今日は、手榴弾で死ぬ星の巡り合わせにあるらしい」

 静かに目を閉じて、栞はフェンリルの亀裂を身体で覆い隠すようにした。爆発のエネルギーを逃がさないために、次に来る仲間の足手纏いにならないよう、即死のために。

 そして、爆発。



 皐月は笑っていた。

「ふ、ふふ……。さっきの私、ちょっとかっこよかったかも」

 しかし、彼女自身は笑っている顔を作っていると意識しているが、その顔は誰の目から見ても明らかに笑顔のそれではなかった。押し寄せる感情の波に表情が付いて来れなくなった時に人間が見せる、痙攣したような引き攣った顔である。

 今の彼女を支配している感情とは、無論、恐怖以外に有り得ない。 

 自分の意思外にぶるぶると手が振るえ、ガチガチと歯が鳴る。息を吐く度に胃の内容物まで吐き出しそうになり、ずきずきと疼く動悸は最早胸の激痛だ。――――だが、足だけは敵方にひた進む。かりかりと雪を踏み締めて、微塵も危うさを感じさせない駆け足で、恐怖の元凶へと向かっている。

 なぜだろう、とそんな疑問は愚問である。そもそも彼女は今何も考えていない。嵐のような恐怖に全身を打ち付けられているのだ。無論頭もその例外ではなく、使い物にならない。なのに唯一足だけがまるで別に生き物のように、感情から独立して駆け続ける。恐怖の嵐に逆らっている。必死に、抗っている。

 真っ白い尾根を一つ越え、二つ越え、しばらく平地を走り、また一つ尾根を越えようと頂上に達した時、それは在った。

「……!」

 彼女が立っている尾根のふもと、そこには幾つもの大穴によってひび割れ、純白を犯されたように汚れた雪原。そして、脚を折るよう前のめりに停止している多脚戦車。

 一見、それは完璧に壊れていた。スクラップという比喩が適当なほどに、破壊されていた。内部から破裂したように割れた装甲からは、切断されたケーブルと奇妙な形に変形した機械類が覗いている。その亀裂は本体の正面から上部の機関砲座にまで達していて、おそらくあれでは機関砲はもう使えまい。

 ガトリング砲つめ機関砲きば、二つの暴力を潰された野獣フェンリルは、見ず簿らしく、雪原に突っ伏している。

 しかし、そんな事はどうでもよかった。

 停まっていようが、武器を破壊されていようが、死んでいようが、皐月にはどうでもいい。

 彼女が唯一注目したのは、その配色と、周囲に転がる奇妙な破片。

 とても冷たい、無機質な灰色をしていたフェンリルだったが、今は違う。

 今は、蒸気を昇らせるほどに熱い、有機的な赤に、フェンリルは染まっていた。

 そしてその周りの雪面は赤い霧雨が降ったかのように、薄く紅色に染まり、赤黒い、肉片のようなものが散らばっていた。

「――――……」

 すー、と皐月は自分の体温が急速に低下していくのを感じた。

 斑に色めくその赤があまりにも血液のようで、その赤い体の所々に付着している紫の布の切れ端に見覚えがあり過ぎて、彼女の恐怖は爆発し、霧散した。

 それは静かな、けれども激しい、青い炎のような爆発だった。

 皐月は歩き出した。

「……倒す、倒すっ。ぜったい、ぜったい倒すから」 

 叫ぶ事もなく、喚く事もない、ただただ呪詛のように呟いて、この世界で始めて出来た女友達の血を浴びた怪物フェンリル目掛けて、前進した。

 歩きながらショットガンの銃口を持ち上げ、撃つ。扇状に放たれた散弾は、狙いから大きく外れてフェンリル後方の雪面で弾ける。しかし彼女は微塵も怯まない。

 皐月は更にフェンリルに接近しながら、虎屋でカイが銃を弄っていた映像を頭の片隅に思い出し、腰だめで構えたショットガンのスライドを引いて排莢に成功、すぐに二発目を撃つ。今度は中った。フェンリルの右前脚に着弾し、四散した粒弾がオレンジ色の火花を生む。ぶ厚い装甲に散弾が弾かれる音響は、銃声よりも大きいほどだ。だが、対人用の散弾で20ミリ徹甲弾さえも防ぐフェンリルの脚部に傷を与える事など出来るわけがない。

 それでも皐月は一歩、二歩、三歩と、そして三発、四発、五発と、歩調と比例して射撃を行う。  

 そして六発目の散弾がフェンリルの本体に炸裂した瞬間、今まで鉄の塊と化していたフェンリルが、蘇った。

「!」

 ギギギギギギ、と巨大な鉄が絡み合うような再起動。

 雪面に突っ込むように傾がっていた本体がゆっくりと持ち上がり、二メートルにまで迫った皐月と正対する。

「―――――――」

 奇妙な一時停止。

 凍り付いた空気。

 両者共に、動かない。

 皐月の顎から一滴の汗が落ち、フェンリルの本位から赤い鮮血が一筋流れた。瞬間、先に動きを再開したのは皐月。ショットガンを持ち上げ、銃口をフェンリルの亀裂に突っ込んだ。

 しかし速かったのはフェンリル。フェンリルは先の緩慢とした再起動が嘘だったかのような躍動で大地を蹴り、跳躍した。上にではない。前方にである。

「あッ」

 バン、大きな音。

 次の瞬間、皐月の意識は地面にあった。

 身体は動かない。フェンリルの重量がどれほどのものかはわからないが、軽くない事は間違いない。中型のトラックほどはあろう。それにねられたのだ。

 意識ははっきりとしていた。当たり前である。これはゲームなのだ。皐月というキャラクターが瀕死なだけで、現実リアルの皐月は健全だ。しかし、それも時間の問題かも知れない。

 皐月は鮮明な意識と視界で、大きく弧を描くように方向転換してこちらに戻ってくるフェンリルを捉えていた。雪の大地を砕きながら、止めを刺しに、自分を死なせに迫るフェンリル。

「ごめん、ごめんねみんな……わたし、倒せなかったよぅ……」

 皐月は下唇を噛み締め、ぽろぽろと大粒の涙を流して、強く両目を閉じた。

 ポン、と気の抜けるような音。

 死の音とはこんなに間抜けな音なのだろうか、と皐月は思った。

 だが違った。

 刹那後に、死の迫る方向からの凄まじい爆音と微かな衝撃波が身体を揺さ振った。極めて攻撃的だが、自分に向けられたものでないのは明らかだ。

 皐月は思わず瞼を開き、数十メートル前方で粉塵に包まれ怯むように停止しているフェンリルと、そして、遠方の尾根を見て、再び涙が溢れ出す。

 黒い青年が居た。

 尾根の頂上で、ライフル下部のグレネードランチャーから白い硝煙を燻らせている、漆黒の青年。

「あ、ああぁぁ……」

 彼を助けるために戦うと決めたのに、独りで苦しむ彼の力になろうと覚悟したのに、彼をもう一度見れただけで、その覚悟は消え去ってしまった。彼女は、弱い皐月に戻ってしまった。

「カイ、カイッ、カイ! ごめん、助けて、助けてよぅ!」

 

 カイは思い出していた。

 最初の戦場。ヘルズブリッジだ。

 川の中で血を流して蹲る虎サン、そこに迫る二つの影、無力な自分、それに対する苦悩、悲痛、そして死。

 眼下の情景の、全てが重なる。

 左方に倒れる皐月、右方の巨大な影。

 そして邪悪な影が再び動き始めた。カイにではなく、皐月に向かって、駆け始めた。

「虎サン……今度こそ、今度こそ助けます……!」

 カイは走り出した。

 尾根から滑り降りながら、カービンを乱射する。そう、乱射だ。その銃撃は敵に対する攻撃ではなく、敵の注意を自分に引き付けるための威嚇である。つまり囮。

 それでも何発かはフェンリルに命中しているのだが、にも関わらず、その程度の攻撃では真っ先に排除すべき標的として認識されないのか、フェンリルは倒れている皐月目掛けてまっしぐらに突進して行く。

「オイッ、クソったれ! こっちだ、こっちを向けェえ!」

 グレネードランチャーを装填し、撃つ。ほぼ平行に飛翔した擲弾は、フェンリルの足元で爆裂した。ばら撒かれた大量の破片に側面を打ち付けられたフェンリルは大きく揺らいで走行速度を緩めるが、すぐに元の速度に戻る。そしてその鋭い脚の矛先は皐月に向けられたままだ。側面からでは、皆の力で形成したフェンリルの弱点とも言える装甲の穴、正面から上部に掛けての亀裂を狙えないのだ。

 フェンリルは皐月まで、あと二十メートル。一方、カイはフェンリルまで、あと四十メートル。間に合わない。このままでは、数秒後には皐月はフェンリルの槍のような脚によって串刺しにされてしまう。

 あの時と同じだ。目の前で友人が殺されそうになっているのに、自分は何も出来ない。

「くそっ、待てよ! 待て、待て、待ってくれよおぉ!」

 カイは、まるで駄々を捏ねる子供のように目尻に涙を浮かべ、鼻を啜り、叫び、駆ける。そしてカービンを連射しながら必死に考える。が、思い浮かばない。良い案は、何も思い浮かばない。

 皐月を見る。彼女は地に手を付いて、よろめきながらも上半身を起こし、そしてもう片方の手を伸ばして何かを叫んでいる。カイに手を伸ばして助けを乞うているのか。いや、違う。フェンリルを指差してカイに何かを伝えようとしている。

 皐月が示す指先を見て、カイは気付いた。

 一本、奇妙な物体がフェンリルの本体から生えている。まるで角のように伸びたそれは、カイの物であり、皐月に貸した散弾銃。ベネリ M3スーパー90ショットガン。グリップを天に向けるように、銃身が亀裂に入り込んでいる。皐月がフェンリルに撥ねられる直前に突き入れたのだ。それが落下せずに亀裂の奥まで深くめり込んでいる。

 再び皐月を見る。彼女は大きく口を開けて訴えている。声は届かずとも、その口の動きでカイは彼女の奇策を理解した。

「そんなっ――――バカか……。危険過ぎる……!」

 皐月の案は酷く無謀、痛烈に稚拙、あまりにも愚策。誰が考えても成功するとは思えず、成功したとしても良い結果に終わるとは考え難い。最悪な状況の中で提示された、最悪な作戦。しかし万が一、万に一つでもその作戦が上手く転べば、最良の結果が訪れるかもしれない。それは万に一つに更にかもしれないを重ねなければならないほどマイナス方向への天文学的な数値なのだが、他に何も思い付かない。

 ならば、やるしかない。

 この状況では、むしろそれが採るべき最良の選択に思えてしまう。

 カイは、それでもしばらく迷ったが、

「――ッ……クソッ!」

 皐月の案に乗る事にした。

 駆けていた足を落とし、スライディングしながら堅実な膝撃ちの姿勢を取り、グレネードランチャーのグリップを押し開き、空の薬莢を落とし、腹部のポーチから取り出した40ミリHE擲弾をシュカンと銃身に押し込み、グリップを閉じて装填した。

 ふぅーーー、とゆっくりたっぷり息を吐く。肺の中に詰まった射撃の天敵となる空気を全て抜きながら、狙うべき箇所を確認。

 ライフル銃身の左上に取り付けられた擲弾照準器越しに見えるのは、親友の娘であり、今では掛け替えのない女友達でもある皐月が怪物に切り刻まれる直前の映像。フェンリルは皐月まで、あと十メートル。もはや息の掛かる距離、その四本の脚は今にも皐月を捲き込みそうだ。

 だが、焦ってはいけない。そして、考えてはいけない。

 要求されているのは絶対の射撃精度と最高のタイミング。それが揃ったところで、上手くいくかどうかわからないのだ。一度のミスも、許されない。許されるわけがない。

 皐月の死を遅らせようと引き金を引きたがる指を、皐月の死を避けるために必死に押さえ込んで、カイは意識を一発だけに絞り込む。

 フェンリルと皐月の距離は、あと七メートル。まだだ、まだ遠い。いや、それは十分過ぎるほどに近いのだが、まだだ。

 不意に、意識に過去の記憶が入り込んだ。

 小川で蹲る虎サン、両脇に立ったフルフェイスバイザーのNPC、二つの機関銃が火を噴く度に、虎サンは激しく痙攣して、倒れ込んだ。

「――ッ」

 自分の意思とは関係なく、くんと反射のように引き金に掛けた指の腱が動きかけるが、寸での所で何とかとどめる。

 あと五メートル。長い。実際にはグレネードランチャーを構えてから一秒も経っていないのだが、カイの体感時間では刹那が永久のように長い。まるで拷問のようだ。

 カイの我慢の臨界が訪れるのと、フェンリルと皐月の位置関係が絶好のポイントに達するのは、どちらが先だったか。

 あと四メートル。カイは指に力を入れた。引き鉄に掛けた人差し指の爪先が、圧迫されて白くなる。

「      」

 あと三メートル。射った。

 カイの全身全霊を持ってして解き放たれた擲弾は、雪面を撫でるような緩やかな放物線を描き、皐月まであと一メートルに迫り目前の標的を切り裂くために前脚を大きく振り被ったフェンリルの、その後脚の足元に着弾、炸裂した。

 

 HEハイエクスプロージョン擲弾の爆発は、全てを吹き飛ばし天高く舞い上げるためのそれである。そのため破片式の擲弾とは異なって、破片が少なく殺傷範囲も狭い。

 すぐ二メートル手前でその強烈な爆発に曝された皐月は、吹き飛びそうになる身体とその身体から抜け落ちそうになる意識を、雪面にしがみ付く事によりなんとか堪えながら、顔を起こした。

 そこにはフェンリルが居た。

 飛んでいた。否、跳んでいた。いや、浮いていた。

 皐月を轢き殺すために加速していたフェンリル、その地面への摩擦は減少し、自重への重力が前方に引っ張られ、それが最高潮に達した時、足元で高性能炸薬が爆発したのだ。全速力で駆けている時に足を払われた格好となる。どれほどの重量を誇っていたとしても、無動というわけにはいかない。疾駆により生まれた推進力は、転倒したからといって消えてしまうわけではない。

 フェンリルは今、地に脚が着いておらず、前のめりでつんのめるように、皐月の方へと吹き飛んでいた。

 皐月の視界には、いっぱいにフェンリルの禍々しい体が映っている。

 剥げた塗装、表面にある無数の小さな傷、地の灰色から斑に垂れる血の一滴。軽く手を伸ばせばそれら全てに触れられるほど、近い。現在進行形でどんどん迫っている。それはもはや接触と言った方が適切な距離。そして、火花を生む大きな亀裂、そこに突き刺さったショットガンのグリップ。

 前のめりになった事により、高い位置にあったそのグリップは、丁度皐月の目の前に位置している。

 皐月は、高速で押し迫るそれに、両手を伸ばす。

 大切な人から貰ったそれを、愛しそうに、大事そうに、必死で、皐月はしっかりと掴んだ。

 そして強く、眼を閉じる。

「これでいいんだよね。これで……」 

 そして思う。

 今の私、やっぱりちょっとかっこいいかも。


 衝撃音。

 大きく重い物体が地面に墜落した時に起こる、鈍くも喧しい大音響。

 カイは、その振動を足の裏で微かに感じながら、口を開け、目を見開いていた。

 響き渡る衝撃音に、違う種類の音が混じっている。

 それは銃の声。銃声だ。

 ショットガンの銃声の後半の部分だけが、悲鳴のように、雪原に反響している。

 フェンリルは停まっていた。

 頭から雪面に突っ込み、身体を半分雪に埋めて、完璧に停止していた。

 そして皐月は、その下だ。

 フェンリルと雪の間に、皐月は居るはずだ。

「……ぉぃ……」

 カイはだらしなく開けた口から、声にならない呟きを漏らして、駆け出した。

 フェンリルの元まで駆け寄り、敵の生死を確認するよりも先に、もっと大事なことを確かめるために、下の雪を掘り返す。両手でざっくざっくと掘り起こす。硬い雪に手が切れて、血が滲む。ひたすらに、我武者羅に、気が触れたように、ただただ、自分の両手を乱暴に道具のように扱って、掘る。

 当たり前だ。こうなる事はわかりきっていたはずだ。奇跡的に上手くいって、皐月がフェンリルに刺さったショットガンを掴み、引き金を引いて、それでフェンリルを破壊できたとしても、フェンリルそのものが消えて無くなってしまうわけではないのだ。下に居る皐月は、潰されるに決まっている。

 皐月はきっと、始めからこうなる事を知っていた。死ぬつもりで、この作戦を選んだ。

 なぜ気付かなかった。

 あいつは虎サンの娘なのに、

 なんで気付いてやれなかった。

 虎サンと同じで、最後まで俺を庇うに決まっているのに―――。

 そしてじわりと、

「……ぁあぁぁ……!」

 自分の血以外の鮮やか赤が、下の雪から滲み出てきた時、カイは掘るのを止めた。

 ぱたんと、両手を垂れ下げて、天を見上げて、叫ぶ。

 



          『任務成功』


 ヘルズスノウフィールド    スペシャルクエスト

   

      point  kill  die

 カイ    0    0   0

 皐月    20    1   1

 栞     0    0   1

 シマドリ  0    0   1

 ハンヴィ  0    0   1




 雪が降り出した。

 カイは、自分が再び、そして本当に、独りになってしまった事を知った。






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