ラストマン・スタンディング 3-2
淡く白い光に包まれた、神々しいとすら感じる白銀の世界。
一機の黒い影、ブラックホークが一定のリズムの風切り音を発しながら飛行している。低いが、決して低過ぎるという事はない高度で、速くもなく遅くもない、索敵に相応しい速度を保っている。
その機体の挙動は、何も知らない初心者から見たら普通だと思われてしまうかもしれないが、見る者が見れば舌を巻くほどの操縦技術である。
なだらかだが決して平坦ではない雪面から一定の距離を保つように常に高度を微調整し、それでいて速度はまったく変わらないのだ。もし仮に今機内の乗員席に居る者達が眼を閉じて耳を塞げば、彼等は飛んでいるという感覚すら察知できないであろう。まるで機体は浮いているだけで地面の方が動いているような、模範的な操縦だ。
そんなブラックホークの操縦桿を握るのは、首を伸ばしてようやく外が覗けるほどの小柄なガスマスクの少年、ハンヴィだった。
「アイワナビィー・ユアドッグ♪」
陽気な調子で鼻歌を歌いながら、てきぱきと的確に様々な計器に目を運び、色々な操作装置に手を伸ばしている。とは言っても、これはゲームの中であるので、ヘリコプターに限らず乗り物全般、実際の操縦とはまるでものが違い、かなり簡略化されているのだが、しかしそれでも誰にでも出来るというものではない。
乗って動かすだけなら少々の練習で誰にでも出来るようになるだろうが、乗りこなすようになるためには、血の滲むような訓練か、もしくは一万人に一人程度の秀でた特殊な才能が必要になる。
ハンヴィは後者であり、そして前者だ。一万人に一人の才能を持ちながら、それでも驕らず訓練に励み、最上級プレイヤーの一人として、“万能操縦”と呼ばれるまでに至った。
そのハンヴィが後ろの乗員席を振り返り、口を開く。無論、その神懸かった操縦は続けながら。
「とりあえず、今マップの中心に向かってますぅ。その後は中心から円を描くように索敵範囲を拡げようと思ってるんですけどぉ、どうですかぁ?」
カイは操縦席から見て機体右側の全開に開放されたサイドドアの前に立ち、緩やかに過ぎ去っていく雪原を睨むように見渡しながら、ハンヴィに向かって親指を立てて見せた。実はそれには肯定の意味だけでなく、ハンヴィの操縦技術に対する彼なりの称賛も含まれていた。
ハンヴィは「えへへ」と照れたように笑った。
皐月はおっかなびっくりといった風にカイの脇から顔を覗かせ、それでも新鮮な外の風景を楽しんでいるようだった。栞は座席の端にちょこんと小さな体を置き。シマドリはカイとは反対方向のサイドドアから両脚とライフルの長い銃身を機外に出して座っている。
「タンゴのおやっさんが死んだってのは、ほんまか?」
シマドリが唐突に言った。
ややあって、皐月が何か口を開こうとするが、
「本当だ」
とだけカイが応えた。
シマドリは「そうか」と呟き、小さく舌を打った。それだけだった。
沈黙に満たされる機内。ローターの激しい回転音が、逆に場の静けさを強調している。
気不味い雰囲気を払拭するためか、ハンヴィが報告する。
「あのぉ、もうすぐマップの中心ですぅ。風景は代わり映えしない雪、雪、雪で、北の国からって感じですねぇ。どうやら敵影も――――」
しかし、その気を利かせて発したはずの声が、ブラックホークが一際大きな尾根を越えた時、途中で意味を豹変させる。
「……ん、なんですかぁあれ? 前方百メートル付近、ちょうどマップの中心に変なモノを目視。……あれは、一体?」
「停まれぇ!」
カイの叫ぶような命令に、ハンヴィは驚いたようだったが、すぐに機体を空中で停止させ、カイからその変なモノが見やすいように、機体をホバリングさせながら右に九十度回頭させた。
それを見て、カイは眉を顰め、思わず「なんだあれは?」とハンヴィと同じ台詞を口にしそうになってしまう。
眩しい白の中に、黒点が一つ。
灰色に近い黒色をした、若干縦に長い、横が滑らかにカーブした長方形のような物体。大きさは縦六メートル、横四メートルはあろうか。まるで岩のようであるが、違う。眼を凝らせば、それが人工物である事は明らかだ。朝霧の水滴を纏い鈍い光沢を放つそれの素材はどうやら金属のようであるし、その長方形は、二つの縦長の円柱から構成されていた。ひし形から横の角を取って滑らかにしたような上下に鋭角を持つ二つの円柱が立ち並んで、長方形のように見えていたのだ。やや長細いラグビーボールを二つ並べたような、不可思議な形だ。そのすぐ奥にも何か黒い物体が隠れているようだが、遠いしその円柱が邪魔で見えない。
「なに、あれ?」皐月は不安そうな顔色でその奇妙な物体を注視する。
「でかいサツマイモが二つ並んどる……」カイの側のサイドドアに移動してきたシマドリがライフルのスコープを覗きながら、絶妙な比喩を呟いた。
「発売日からこのゲームやってますけど、あんなの見た事ないですよう」ハンヴィは機体の高度を保ちながら言う。「どうしますかぁ? エクスレイ先輩」
「どうするもこうするも、怪しいものは全てぶっ殺せ、だ」
その物体を睨みながら、カイは即答する。
「シエラ……じゃなくて、今はシマドリだったか。この距離で狙えるか?」
「誰にものを言うとんねん。こんな距離、外してくれと土下座でお願いされても、当たっちまうやろ。けど――――」シマドリは言葉を区切り、もう一度スコープを覗き込んだ。「ほんまに撃ってええんか? 確かに怪しいが、ありゃ完璧に停止しとるぞ。よくわからんけれども、もうちょっと様子を見た方がええんちゃうか?」
しかしカイはふんと鼻で笑い、首を振る。
「様子を見るって、何を見るんだ? 攻撃されるまで待機ってかい? 天国からじゃ反撃できねえぞ。アレが敵じゃなければお前の20ミリ弾が一発無駄になるだけで、敵なら僥倖、万々歳だ」
「しかしな――――」と、顔を歪めて反論しかけるシマドリをカイは遮る。
「言ったろう。前回は目に視えない敵と戦わされたんだ。つまり何が起きてもおかしくない。……俺だってあんなもんは見た事ないが、でも、いや、だからこそ、先手を打つべきなんだ」
これは特別なクエストである。シマドリとハンヴィが数多くクリアしてきたであろう常軌のクエストとは、断じて違う。そこで鍛えられた予想や経験はまさに百戦錬磨で大いに役立つ技術と成り得るのだろうが、しかしスペシャルクエストの異常性の前では、逆にそれが命取りになる。予想は驕りへと、そして経験は油断へと繋がる。カイはそれを自らの身をもってして知っていた。
「………」
シマドリは神妙な面持ちでカイをしばらく見詰めた後、射撃の姿勢をとった。腹這いになり、畳まれていた二脚を開いてライフルを固定する伏射だ。長過ぎるダネルNTW・アンチマテリアルライフルの銃身がサイドドアから大きく機外に突き出る。ヘリの機内でそんなダイレクトに揺れに影響される射撃姿勢をとるという事は、操縦者であるハンヴィへの絶対の信頼の証だ。
「さて、どこを狙ったもんか。ま、適当にブルズアイのど真ん中でええやろ。ハンヴィ、このまま動くなや」
言って、軽く身動ぎし、一秒も掛からずに射撃準備を完了させるシマドリ。
「……よし、いつでもええぞ」
「貫け」
カイは即座に、短く、射撃号令を発した。
ズゴウゥン、と、まるで直接稲妻に打たれたような衝撃。そしてびりびりと、肌が痛むほどの振動。
強烈な爆裂により解き放たれた20ミリの徹甲弾は、音速の壁を当たり前に突き破り、空気の層を幾重にも突貫し、そして奇妙な物体の真ん中よりやや左側、左方の円柱に突撃し、
“ガゥィンン”
と、タングステン合金の弾頭を拉げさせた――――そんな手応えをシマドリは感じだ。
「っ!?」
シマドリは眼を見開き、スコープの十字線越しに、自分の銃撃が標的にどれほどの影響を及ぼしてくれたのかをきちんと目視で確認する。
「おいおい、マジかッ。有り得へんわっ」
しかし、やはり手応えの通り、円柱の着弾箇所には小さな凹みが出来ていただけだった。貫通するには遠く及ばず、傷を負わせたとすら言い難い。
「なんちゅう……硬さや……」
装甲車を貫き、戦闘機を撃ち抜き、戦車でも装甲の薄い箇所なら貫通できるはずの20ミリの徹甲弾が、弾かれた。
一体どんな素材で出来ているのか。いや、そんな事よりもまず、銃弾を弾く素材で出来ているという事は、アレは、銃撃を防ぐという概念を持って造られた物という事である。つまり銃火に曝される事を前提に製造された、兵器だ。
即ち、どう楽観的に考えても、敵。
そして、まるで思考がそこまで至ったのを見計らったかのように、
――――奇妙な物体に動きがあった。
シマドリが銃撃を加えた左の方の円柱が大きく持ち上がり、少し距離を置いた位置で、ズズン、と、再び雪面にめり込む。その音は、百メートル離れたローターの回転音が喧しいヘリの機内からでもはっきりと聴き取れるほど、鈍く重い大きな音だった。
そして同じように右の円柱も持ち上がり、若干離れた位置で、雪に刺さる。
それにより、まるで観音開きのように、奥に隠れていた黒い物体が露になる。
「――。………?」
しかし、外界に曝されたところで、それが『何か』はわからなかった。
比較的小さい。それが一同が最初に思い浮かべた感想だった。
二つの円柱と比べたら、露になった黒い何かの縦幅は四分の一ほどだ。しかしそれはあくまで比較的であって、近くで見たら小型の乗用車ほどの大きさはあろう。
そして、大きさの次に目に付くのは、砲塔。
丸みを帯びた砲台から、鉄の砲身が天に伸びている。おそらく歩兵戦闘車両(IFV)などに搭載されている30ミリクラスの機関砲だ。黒い何かの上部から、生えている。そこの裏、黒い何かの下部には小型のガトリング砲。小型と言ってもこれも比較の問題で小型に見えるだけで、銃器としての大きさと火力はトップクラス。
何かはわからないが、あれは間違いなく殺戮の化身。
人を殺すために製造された火器を、更に人を殺すために搭載した、人を殺すためだけに創られた兵器。
そして――――ズズン。
その黒い何かは再び動いた。否、正確に言うのならば、移動した。
最初に動いた左の円柱を持ち上げ、前方に降ろした。それに伴い、黒い何かも前方に横移動する。
つまり、歩いた。
「―――――」
カイ達一同は絶句する他ない。
二つの円柱は“脚”だったのだ。灰色の、まるで巨大な爪のような、関節のない一繋ぎの脚。それが二つ、黒い何かと丸い接続部で繋がっている。そしてどうやら、あまりにも前足が巨大過ぎてその後ろに隠れてしまっているが、後ろにも二本、円柱の脚がある。聳え立つような四本の太く長い足が、小さな黒い何かの側面と繋がっていて、黒い何かは地から浮くように支えられている。
黒い何かは、本体だ。
大きな四本の脚を持つ、小さな体だ。
「……なんっちゅう」
高倍率のスコープを覗き、その様子を誰よりも細部に至るまで観察できたシマドリは、驚嘆を漏らした。
「多脚戦車だ……」
皐月は呟いた。彼女は昔観たSFアニメを思い出していた。アレは、その時に登場した四本足で移動する戦車に酷似している。
しかし、このゲームにはそんな兵器は登場しない。Felse Huntに存在する兵器や銃器は、その全てが現実に使われている物、もしくは使われていた物に限られているはずである。
「あれが、『フェンリル』ですか……?」ハンヴィは首を横に向け、コックピットからその黒い多脚戦車を凝視したまま言う。「フェンリルってそもそもどういう意味なんですかぁ?」
暫しの沈黙の後、意外にも、その問いには栞が答えた。
「フェンリスヴォルフ。北欧神話に登場する、巨大な“狼”の姿をした怪物」
「えっ、狼? あれじゃあ狼っていうよりも、まるで蜘蛛ですよ……」
ハンヴィの言う通り、その立ち姿は狼とは程遠い。長い脚は昆虫を連想させ、それに見合わない小さな体は昆虫の中でも特に蜘蛛を彷彿とさせる。嫌悪感を象徴し、禍々しさと具現化したような、足長蜘蛛だ。
その時である。
「!?」
不意に、蜘蛛のような多脚戦車、フェンリルが、咆哮した。
ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
前足を大きく開き、後足を倒して、体を傾げて天に向かうようにし、付着していた水滴を筋状に垂らして、吼えている。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
重く低く、大きく響く。腹の底が震えるような大音響。
一体どこからそんな音を発しているのか。
機械的な容姿からは僅かも連想できない、有機物的な、声。
それは、天を仰ぐような動作がなければ、フェンリルが発している声だとは判別できないほどに、動物のような、獣じみた、鳴き声だ。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
けれども、その声は決して狼の遠吠えとは似ても似つかず。それどころか、世にいる全ての動物の鳴き声と比較しても、その声とは、近しい生物すら存在しない。
強いて例を挙げるなら、風とサイレンだ。
猛り呻る業風に、狂気じみたと感じるほどにけたたましいサイレンの音を孕ませたような、おぞましい叫び声。
起動の喜びを、これから始まる戦闘への慶びを、開始できる殺戮の悦びを、狂喜しているような声。
オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォンンンンンン……
そしてその声は、まるで車のエンジンが緩やかに冷めていくようにいつの間にか霧散し、その場は、まるで時が止まってしまったかのように凍り付いた。
戦慄である。
フェンリルの叫び声が轟いていた間はずっと呆けていた皐月が、「――ッひぅ」と、しゃっくりのような小さな悲鳴を漏らし、小刻みに震え出した。栞、シマドリ、ハンヴィは震えはしなかったものの各々が息を飲み、固まっていた。
しかしただ一人、
「喧しいなぁッ」
カイは違った。
これでもかと言うほど明確に敵意と戦意を向けられたのだ、もはや逡巡や様子見の必要は皆無。
「断末魔は、これを喰らってから、叫びやがれ」
カイは、背負っていたミサイルランチャーを肩で担ぐようにし両の手で持ち上げて、電子照準器越しにフェンリルをロックオン、そして淀みなく、発射レバーを引いた。
勢いよく空気が抜けるような豪快な風切り音が響き、ランチャーの後端から後方噴射が噴出し、反対のサイドドアに白煙が吹き抜けた。同時に、ミサイルは自らの推進力で発射筒から解き放たれる。白く太い、円柱形の小型ミサイル弾頭だ。
ミサイルはブラックホークの機外へと飛び出して、加速。ロケット推進力はミサイルの後方から燃焼する一筋の尻尾を作り出す。
完全な撃ち放し式であるプレデター短距離強襲ミサイルは、発射してしまえば後は弾頭の自動追尾により目標に着弾する。そのため射手は誘導し続ける必要がなく、使い捨てである単発の発射筒を機外に投げ棄て、弾頭の行方を見守る。
その産みの親の視線に応えるように、ミサイル弾頭は遠方の標的目掛けて吸い込まれるように更に加速。先端部のシーカーでフェンリルの体温である赤外線を捉え、その距離が数十メートルに迫った時――――カーブするようにフェンリルの上方に逸れた。
「あッ、は、外れた……!」
皐月は思わず呟いた。
「いや」
しかしカイは見開いた目で弾頭を凝視したまま、小さく笑う。
「これでいいんだ」
上空に逸れた弾頭は、ちょうどフェンリルの頭上に到達した瞬間、爆発した。
トップアタック。
従来のミサイルのように直撃するのではなく、敢えて目標から上空に逸れる軌道を取り、目標の真上に達したと同時に、下方向への指向性爆発が戦車の弱点である上面装甲を貫く。第三世代対戦車誘導弾の代表的なテクノロジーである。
ズガン、と。炎と衝撃波により形成された赤い大斧が、フェンリル本体に打ち下ろされる。
容姿はアンバランスながらも、挙動は到って堅実だったフェンリルが右前足を折るように大きく傾いた。だがその様子が見えたのは一瞬だ。刹那後にはミサイル爆発の火柱とそれにより巻き上げられた灰煙、雪片、水滴のスモッグが着弾周囲を覆い隠してしまう。
「やったんか……?」
呟いたのはシマドリ。しかしその声は当人以外の誰の耳にも入らなかっただろう。
けたたましい銃声が皆の耳を聾しているからだ。
カイはもうすでに次の行動、否、攻撃に移行していたのだ。膝撃ちの姿勢で構えたM4カービンから、粉塵に包まれたフェンリルの影に向けて、黄色い銃火を迸らせている。指切りのバースト射撃に合わせて、カービン側面の排出口から五発ずつ空薬莢が吐き出される。何個かの薬莢はカツンカツンと硬い音を立ててブラックホークの機内を転がり、何個かは下の雪原に落下していく。
放たれた弾丸は正確にフェンリルの影に送り込まれるが、それが目標にどんな損害を与えているのはわからない。未だ粉塵は晴れず、そもそも先のミサイルがどれほどダメージを与えたのかも目視では確認できないのだ。
それでもカイは射撃を止めない。
三十発を撃ち切り、M4カービンの弾倉が切れたと同時に、今度は銃身下部に装着されたM203グレネードランチャーの引き金に指を掛け、放つ。そしてそれが着弾する前に、ライフルの弾倉を交換。グレネード弾の弾着、爆発と時を同じくして、ライフル弾のバースト射撃に戻る。五発ずつの短連射の合間に、グレネードランチャーの排莢、装填を行い。ライフル弾が切れたら、再びグレネード弾を放つ。
5.56ミリ弾と40ミリ榴弾の着弾により、フェンリル周辺の粉塵はより濃く、より激しくなっていく。
二つの火器から織り成される一人による交互射撃。単独による持ち得る火力の総動員。以前、ヘルズブリッジにてカイと虎サンが二人で採った戦法を、今はカイがたった独りで行っている。
まるで狂ったように、さながら鬼神のように、カイは銃撃を止めようとしない。
そんな、一瞬の間も惜しいと言わんばかりの銃撃の嵐を目の当たりにしたシマドリは、ある事に気付き、スコアボードを表示。
「……! ああ、マジか! クソがッ」
そして悪態を吐き、ライフルの右側面から突き出たボルトハンドルを引いてを排莢、カイの銃撃パレードに加勢する。
スコアボードには、先のシマドリの呟きに対する答えが記されていたのだ。
『カイ:point.0』
カイはこのスペシャルクエストにおいて、まだ一ポイントも獲得していないのだ。つまり先程のミサイルでは、フェンリルを破壊できていない。フェンリルはまだあの粉塵の中に、健在だ。
シマドリの20ミリ徹甲弾が加わった事により、ブラックホークからの射撃はより一層その攻撃力を増す。ライフル弾のリズミカルな銃声に合わせて砲弾の大音響が轟き、その合間にグレネード弾の間の抜けたような発射音が響く。銃器によるオーケストラ。ヘリコプター機内からの個人携帯火器による銃撃で、これほど凄まじいものが未だ嘗てあっただろうか。
「あ、はは……。まるでドラゴンみたいですぅ」
これまで乗り物が用いられる様々な戦闘を経験してきたハンヴィでも、いや、ハンヴィだからこそ、今の二人の銃撃がどれほど凄い事なのか如実に理解できる。魔槍と黒い凶戦士による連携。強者揃いのフォネティックメンバーの中でも個人戦闘能力に関してはトップクラスだった二人が、同時にその能力を発揮している。火力を一箇所に集中している。小銃弾と榴弾と砲弾、この銃撃はまるでAC-130ガンシップ、通称『スプーキードラゴン』による対地集中支援砲撃のようであった。
狼と竜の戦い。今は竜の攻撃。いや、今の限らずこの戦いが始まってから一度もフェンリルは攻撃らしい攻撃をしていない。稼動して歩いて吼えただけだ。だから、
――そろそろくるか……。
カイは銃撃を止めた。
これはゲーマーとしての勘だ。おそらく、そろそろフェンリルが何らかのアクションを起こすだろうという予感。野球のようなものである、こちらの攻撃の後には、あちらの攻撃が訪れる。だからこそ先攻の内に一発でも多くの得点をフェンリルに与えておきたかったのだが、『カイ:point.0』、そしてシマドリも『シマドリ:point.0』。スコアボードは未だにイーブン、0対0だ。
シマドリも、名残惜しむように最後に一発、砲弾を撃ち出し、スコープから顔を離した。
20ミリ弾の音響が唸る中、機内に居る面々は百メートル先の灰煙を凝視する。正確には、その煙の中に居るであろうフェンリルを目視しようとしている。
ほどなくして、カイの予感通り、フェンリルに動きがあった。
ゆらゆらと立ち込める灰煙が細かな粒子へと霧散していき、その中心に薄っすらと影のように視える蜘蛛のような多脚戦車は、最初に発見した時のように、巨大な前脚を二本、まるで本体を守る盾のように並べていた。
その前脚には所々に灰色の塗装が剥げた銀色の凹みや煤の黒い焦げ跡が見られ、先の銃撃の嵐をそれで凌いだのは明らかだ。あれだけの猛攻を受けても掠り傷だけとは、あの脚は破壊不可能な堅実な盾。
そして突然、バシュッ、と周囲の灰煙が大きく揺らぐ。
フェンリルの側面、おそらく後足の付近から、何かが二つ、飛び出した。
「!?」
飛び出したものが、空中のブラックホーク目掛けて高速で直進してくる。
それは細長い筒状の――――
「RPGや! 避けぇ、ハンヴィ!」
シマドリが叫ぶと同時、ブラックホークの機首は大きく傾き、加速しながら下降した。一瞬の無重力。何も心得ていない皐月だけが悲鳴を上げて機内で転倒する。
空中に白い尾を残し迫り来る二発のロケット弾はそれで容易に回避できた――――かに思えたが。
次の瞬間ハンヴィの顔が凍り付く。
「RPGじゃない……ミサイル、SAMですぅ!」
前進下降したブラックホークの動きに合わせるように、側面から迫るロケット弾は緩やかにカーブし、機体の背後を追尾してくる。ロケット弾では有り得ない、小型の対空ミサイルだったのだ。
「くっそ、尻に付かれたぞ!」シマドリは迫る二発のミサイルを睨め付け怒鳴る。「フレアか何かないんかい!?」
「そんなのないですぅ! これは一応輸送ヘリですよう!」
シマドリは舌を打ち、サイドドアから上半身を覗かせ対物ライフルの銃口を持ち上げた。が、今度は声に出るほど大きく舌を打ってライフルを下げた。流石のシマドリでも完璧な背後に付きたまに頭を覗かせるだけのミサイルを、揺れる機内から撃ち落すのは不可能だった。
「しっかり掴まっててください!」
言うと同時、ハンヴィは機体を更に加速させ、上下左右に蛇行させる。しかし、二発のミサイルはその動きに合わせてうねうねと、背後に食い付いたまま離れない。その速度は既存のどの対空ミサイルよりも遅い。鈍足と言ってもいい。しかしそれは同時に小回りが利く事を意味している。そして遅いながらも確実にその距離を縮めて来ている。被弾は時間の問題だ。
「ぁぁあああっ! マズイマズイ、このままじゃまずいですよぅ!」
その近い未来を誰よりも鮮明に想像できるハンヴィは叫びながらも、今までの経験と周辺状況から回避方法を探すが、見当たらない。
「クソッ! なんとかならんのか!?」
シマドリはコックピットに顔を覗かせ、怒鳴る。
「え? なにっ!? どうなってるの!?」
皐月は未だ状況が飲み込めないようで、きょろきょろと誰かに説明を求めている。
そんな混沌の中、カイは自分の胸に付いている手榴弾群に手を触れ確認してから、コックピットのハンヴィに目を遣る。
「おい、あれは赤外線誘導のミサイルだな!?」
「えッ!? ええ、たぶんそうですぅ! だからもっと太陽光が強ければ、そっちに上手く誘導させるんですけど……」
「だったら、俺が合図したら一気に左に旋回しろ!」
「え? は、はいっ!」
「おい、黒いの!」シマドリは言う。「何するつもりや!」
「決まってるだろ。尻を追い駆けてくる来るしつこい奴らをぶっ壊してやるんだよっ」
カイはサイドドアの前に立ち、顔を覗かせミサイルを見る。
ちらちらと、尾翼の後ろで見え隠れする二発のミサイル。はっきりと眼で見る事のできる殺意。これでもかと言うほど明確に迫る死。自分の死まで、あと二十メートル。
そしてカイの顔は、笑っていた。満面の笑顔とは言えないまでも、確かに微笑していた。
ああ、ヤバイな。ああ、これはやばい。こわいコワイ怖い恐い。こわいな畜生。でも――――こうでなくちゃいけない! なんて楽しい! なんて愉しいんだっ!
腹から込み上げてくるのは重苦しい嘔吐感であり満たされた充実感だ。
早鐘のように鳴る心音はくだらない恐怖であり最高の高揚だ。
脳の奥で滾るのはつまらない思考ではなく、全てをふっ飛ばす本能だ。
「ヘイッ、準備はいいかい!? ハンヴィ」
弾むようなカイの声。
「え!?」一瞬ハンヴィは耳を疑ったが、それでもすぐに返事をする。「りょ、諒解! いつでもいいですぅ!」
「それじゃあ……」カイは胸から二発の円筒形の手榴弾をもぎ取り、口で安全ピンを抜き、安全レバーも解放する。「ワンセカンドワン、ツーセカンドツー――――今だ!」
カイの声を合図に、機体は大きく左に旋回した。ちょうどカイの立つサイドドアから追尾してくるミサイルが真正面に見える位置だ。そしてカイは両手の手榴弾を放した。投げたのではなく、両手を開いて、放したのだ。高速で旋回する機体から分離された二発の弾体は慣性に従い、まるで空中に残るように投げ出され、ミサイルの数メートル手前で、爆発した。
重い熱と激しい光。ビシユュュュュュ、と空気を焦がすような音を発して橙色の業火が四散する。
そして二発のミサイルは狙いをブラックホークに定めていたにも係わらず、その炎の中心に矛先を変え、吸い込まれるように突進、二重の爆発音が轟いた。
「ぅわぁ! っとと」
爆風により揺れる機体をなんとか立て直してから、ハンヴィは言う。
「凄いです! エクスレイ先輩! フレアの代わりに手榴弾使うなんて、その機転に痺れる憧れるぅですう!」
「ただの手榴弾じゃない。サーメートだ」
カイが放った手榴弾の名称はTH3焼夷手榴弾。テルミット法という一瞬で高温を生み出す技術を利用した焼夷手榴弾だ。その最高燃焼温度は実に摂氏2200度にも達する。まさに小型の太陽。そしてそこから発せられる熱は、赤外線誘導ミサイルのターゲットを誤認させるに十分過ぎる量となる。
通常の破片式手榴弾でも上手くいったのかもしれないが、それが焼夷手榴弾なら確実、しかも二発ならば盤石だ。
「しかし、今ので焼夷手榴弾は全部使っちまった。次はないぞ――――」
そう言いながら、カイは何気なく下の雪原に見遣り、その心配が最早杞憂になってしまった事を知り、
「おい……。これ、何の音や?」
ズズンズズンズズンズズンと、いつから響いていたのか、連続する真下からの轟音に、シマドリもサイドドアから頭を出して、
なぜ蜘蛛のような形状をした多脚戦車が、大狼の名を冠しているのか、その意味を知った。
そこには、フェンリルが居た。
走っている。
二本の前脚と、二本の後脚を、交互に動かして、硬い雪面を砕き、粉雪を舞い上がらせながら、駆けている。
鈍重で不安定で機械的な見た目からは一片も想像できないような、軽快で安定した有機的な走り。
まるで獣のように、まさに狼のように、跳ねるような躍動、荒い息遣いが聴こえてきそうな疾駆。
ブラックホークの真下を、フェンリルは並走している。
「――――――」
おそらく、ずっと並走していたのだろう。ミサイルを放った直後、フェンリルはもう駆け出していたのだろう。
カイ達は空中に気を取られるあまり、地上への警戒を怠っていたのだ。……いや、例え警戒し並走に気付いていたとしても、どうにもならなかったのかもしれない。
フェンリルは速い。
ミサイルを回避するため最高速で蛇行飛行し、現に今もかなりの速度で飛行しているブラックホークの、そのすぐ真下を付いて来ているのだ。気付いていたとしても、距離を置く事は不可能だった。
「ああぁ……ゴメンなさい」
そして、脚を躍動させる度に激しく上下に揺れ動くフェンリルだが、その上部から生えている砲身は、常に一定の方角を向いていて、
常にこちらに黒い砲口を向けていて――――
「どうやらこれから、撃たれます」
被弾を確信した瞬間、ハンヴィの時間は停止する。
真っ白になった思考は、『終わった』という四文字に埋め尽くされ、他の思考を許さない。それは諦めではなく、ある種の覚悟。写真で切り抜かれたように停止した視界には、自分を殺そうとする敵と、呆ける自分が写っている。無論、錯覚だ。時間は停止したり戻ったりしない、ただ前に進む可能性の方が絶望的に、残酷なほどに高いだけなのだ。
そんな刹那の錯覚の後、地獄が機内を支配した。
ドガン、ガン、ガガン、幾台もの大型トラックに連続で衝突されたような衝撃と音響。悲鳴を発する余裕もない。ただただ機内から振り落とされように、機体を穿っていく大穴に自分の足場が選ばれない事を祈りながら、最寄の手摺にしがみ付くしかない。
ほどなくして地獄は去った。永遠に思えた時間は、実際には二秒ほどだったのではないだろうか。
黒煙が充満し、幾つもの巨大な弾痕から風が入り、乱気流のように荒れた機内。
「……あのぉ、みなさん無事ですかぁ?」
ハンヴィの申し訳なさそうなか細い声が響く。
乗員席に居る面々は無言で各々の顔と身体を見合わせ、全員が五体満足な事を確認し合った。奇跡的である。いや、それは奇跡などではなく、撃たれながらもパイロットのハンヴィがフェンリルの照準から少しでも逃れようと努力をしてくれた賜物であった。
しかし、そのハンヴィだけが先と同じくどこか弱々しい声色で続ける。
「テイルローターをやられました。もう長く飛べません。これから下降するんで、その隙に飛び降りてください」
「おい」その声の異変に逸早く気づいたシマドリはコックピットに駆け寄りながら言う。「下降できるなら着陸もできるやろ? なんで飛び降りなあかんの――――」
そしてコックピットを覗いて、絶句した。
レバーを握るハンヴィの体は鮮血で染まっていた。腹部は左半分が抉れ、片足が大腿部の付け根から消失していた。滝のように流れる血液が血溜りを作り、その中では消失した先の足が無造作に転がっている。
「あ、はは。すいません、僕やられちゃいましたぁ。致命傷ですぅ。だから、どうせ死ぬならあのクモ戦車に一矢報いてみようかなぁと」
ガスマスクのガラス窓から覗くハンヴィの眼は、笑っていた。しかし、その笑顔は誰の目から見ても悲痛なものでしかない。
「……ぉ、ぃ」
シマドリは、その後に何と言葉を続けたかったのか、ただただ小さく頷く事しかできなかった。
「おい」
しかしカイははっきりと口にする。口にせずにはいられなかった。聞き逃すわけには、いかなかった。
「お前、何するつもりだ? 一矢報いるって、特攻する気かッ?」
「ええっと、まぁぶっちゃけて言えばそうですねぇ」おどけるようにハンヴィは言う。「でも神風って言ってもらった方がプチ右翼の僕的には有り難いですぅ」
「ふ、ふざけんな! わかってんのか? さっき言っただろ、そんな事したらお前――――」
お前、死ぬかもしれないんだぞ!
カイのその言葉に、機内は一瞬静まり返る。
「あ、はは。またその話ですかぁ。それなら大丈夫ですよ。ええ、僕は、大丈夫ですから」
「大丈夫だと!? 大丈夫って何だッ!? 何が大丈夫だ! 大丈夫なもんか! 虎サンは、死んだんだぞ!! お前だって」
「じゃあどうすればいいんですかッ!?」
ハンヴィの絶叫に、カイは、いや、カイだけでなく、機内の全員が止まる。
「さっき言った通り、これじゃあ長くないですよ。操縦が専門の僕でも、それぐらいわかります。だから、ね?」
もうすでにブラックホークは垂直下降を始めていた。マップの隅、針葉樹林の中の比較的拓けた空間だ。どうやらフェンリルは追って来ていない。
「……おい黒いの」シマドリはカイの腕を掴む。「行くで」
テイルローターから黒煙を放ち、ガタガタと奇妙な音を立て、それでも雪面から一メートルの高さでホバリングを保つブラックホーク。
呆けるようにハンヴィを見詰めるカイ。その腕を引っ張りながら、シマドリはまず皐月と栞に無言で降下を促し、最後にハンヴィを一瞥して、飛び降りた。
「エクスレイ先輩」
そしてカイは聞いた。
飛び降りる瞬間、確かに聴いた。
「僕はね、今、結構楽しいんですよ。不思議ですよね、でも先輩ならわかるんじゃないですか? だから大丈夫ですよ」
四人を残して、ブラックホークは上昇する。
黒い猛禽は、死に損ないの機体にも関わらず、豪速で遠方の尾根へと消えて行き、一つの爆発音が轟いた。
それは、命が散るには、果敢無過ぎる、乱雑過ぎる、音であった。