第十七話:ラストマン・スタンディング 3-1
眩しい。
先ほどまでの薄暗い廃墟とは打って変わって、ここは明るい戦場だ。明る過ぎる。カイは天を仰ぎ目を細めた。
光暈の輪をかたどった太陽からは激しくも優しい光が降り注ぎ、その太陽光は地表で反射し、下からも目を刺すように照り返される。雪だ。前日の温暖か雨、そして深夜の冷え込みにより表層のみが凍り付く『しみわたり』と呼ばれる雪国の早朝で稀に見ることのできる現象により、アスファルトのように硬くなった雪が辺り一面を白銀に彩っているのだ。
その白い世界の上に、まるで点々と不純物が混じったように五人のプレイヤーが居た。
「なんじゃぁ? どないなっとんのや?」
シマドリが一歩を踏み出すと、足元のしみわたりの雪がカリ、と小気味好い音を立てる。硬くなった雪は表面が砕けて足跡を残すだけで、足が埋まるような事はない。
「えと、バグってわけじゃなさそうですよねぇ? マップチェンジしたわけでもないでしょうし……、そもそもこんなマップありましたっけ?」
ハンヴィは辺りを見渡す。勾配の緩やかな純白の尾根が脈々と広がり、遠方には雪化粧の間から所々に深緑の針葉を覗かせる直立の杉の樹が連なっている。理想的とさえいえるような、絵に描いたような雪原、スノウフィールドだ。
「それにさっきのロード画面、スペシャルクエストって……?」
そう言ってハンヴィは、カイに視線を移す。
カイはM4カービンをいつでも構えられるように両手に携え、慎重な足取りで回転するように周囲に目を配っていた。
栞もカイと同じように、何か危険に備えるように注意深く辺りを警戒している。
「そんな……」皐月は目を丸くし、小さく開けた口から震えるような白い息を漏らす。「また、なの……?」
その三人から只ならぬ緊張を感じ取ったハンヴィとシマドリは、互いに顔を見合わせた。
「おい」シマドリが言う。「この状況、何か知っとるようなら説明してくれるか?」
カイはシマドリを一瞥したが、すぐに視線を警戒のそれに戻して、徐に口を開く。
「これはスペシャルクエスト。ここで死んだらリアルでも死ぬかもしれない、そういうクエストだ」
「はあぁ!? なんの冗談や? まったく笑えんわ」
「当たり前だ、笑わすつもりはねえからな」カイはここで言葉を区切り、全員を見るようにして言う。「お前ら、HMD、外せるかい?」
その問いに、ややあってから皐月と栞は諦めたように静かに頭を振り。一方、ハンヴィとシマドリは意味不明という風な表情を作りながらも、視えない何かを外すように頭に手を当て、そして混乱の疑問符を発する。
「あれ? え、えっ? なんですかぁこれ? は、外せませんよ!? ってかHMDが無い!? え、そもそもここどこですかぁ!?」
「おい、おいおいおいおいっ。なんじゃあこりゃ? どないなっとんのじゃ!?」
リアルを見失い、ゲーム内に意識が取り込まれる感覚。つまり、リアルとゲームを倒錯し、戦場から抜け出せなくなる催眠。
カイは「そうかい」と短く呟いて、そして例の“一時停止”をしてから続ける。
「今試してみたが、やはり、俺だけは外せる。そしてログアウトも出来ない」
「なんじゃそりゃ!? お前は外せるって、HMDをかっ? なんでや?」
カイはシマドリの詰問に取り合おうとせず、皐月に目を向ける。
「どうやら、お前の説が正しかったようだな。これは間違いなく俺達を狙ってる。エルヴォだかなんだか知らないが、とにかく俺達は明らかに故意にスペシャルクエストに参加させられている」
「………」皐月は何も言わずにカイを見詰め返していた。
「おいコラっ! 無視すんなやっ。ちゃんと説明せえっ!」
「あの、ちょっとこれ、凄くヤバイ臭いがするんですけどぉ! エクスレイ先輩っ!」
うるせえな、と。
騒ぐシマドリとハンヴィに、カイは瞬間的な苛立ちを覚え、それを隠そうともせず顔を歪める。
「一週間ぐらい前、俺と虎サンはこのスペシャルクエストを請けて、虎サンはキルされた。そしたらリアルの虎サンも死んだ。で色々調べてたら一人の女に会って、つい二日前そいつもスペシャルクエストでキルされた途端、音信不通になった。意味わかるか? その女も死んだかもしれないって、そういう意味だッ。俺だけHMDを外せるのはなぜかわからんし、そもそもこのクエストが何なのかもさっぱりわけがわかんねえンだよッ。どうだ? これで満足かい? ああッ!?」
その突然の捲くし立てるような怒声に、ハンヴィは固まってしまい、
「お、おい。……タンゴのおやっさんが、死んだ……?」シマドリは呆けるように呟いた。
重く静まる雰囲気がややあって、カイは落ち着きを取り戻そうと鼻から嘆息し、静かに言う。
「とにかく、詳しい話は後だ。ログアウトが出来ずにHMDも外せず“死んだら危ない”以上、今はこのクエストをクリアするしかない」
「………」
シマドリとハンヴィは沈黙し、もう疑問を呈そうとはしなかった。カイの言葉と態度から現状の危険度を察知したのだろう。その理解の速さは実に殊勝なのだが、しかし通常を生きる人間から少々逸脱してしまっている最上級プレイヤー特有の決して褒められたものではない精神構造からなのかもしれない。つまり、危険に対する恐怖を否定して怯えるのではなく、それを肯定して抗える、否、糧にして戦える人種。恐いからこそ戦える。恐いからこそ“盛り上がる”。
カイは続ける。
「さっきのクエスト説明の『フェンリル』だったか? それが何だかはわからんが、達成目標が破壊せよだった。だから破壊しなくちゃならない。マップ画面を開いて見ろ」
カイにそう言われて、一同はマップ画面を表示した。そこには、木々に囲まれた数十キロメートルにも及ぶ広大な雪原を真上から見た、航空写真のような地図が映し出されていた。そして、雪と樹の中にカイ達以外の不純物が他にもあった。
「これは……ヘリですかぁ?」ハンヴィがカイを見て首を傾げる。「この形はたぶん、UH-60ブラックホークですよ」
「俺達が居るのはマップの一番下、最北だ。そしてそのヘリはここから東に百メートルぐらい、あの尾根の向こうにあるはずだ」カイはそう言って、東の尾根を指差す。「このマップは広い。だからヘリを使って目標を探せって、そういう意味なんじゃねえのか?」
「なんじゃそりゃあ。キルされたら死ぬだのなんだの言っといて、矛盾しとるやろ」
「前回もそうだったからな。目に視えない敵をわんさかと相手にさせたくせに、なぜか武器の詰まったサプライボックスが置いてあった。無茶な難題を押し付けられるが、決して無理ではない……そういう事らしい」
「視えない敵って、そんなもんと戦ったんか……」シマドリは感心したように、もしくは寒心したように嘆息した。
「クリアが不可能なゲームはゲームにあらず、か」栞は静かに呟く。
「じゃあ、とりあえずそのヘリのところに向かってみるんですかぁ?」
ハンヴィの問いに、カイは頷く。
「固まらずに、四周を警戒しながら付いて来い」
そうして五人は東へと歩き出した。空気まで凍り付いてしまったかのような雪原に、カリカリと、軽快な足音だけが静かに響く。
皐月はカイから借りたショットガンを不慣れに、怯えるように、まるで荷物を持つかのように胸に抱えながら、はぁーと白い息を吐き出した。寒いが、とても清々しい。不純なものによって高められた体温が低下し清められるような感覚、いや、錯覚。これはゲームなのだ。気温なんて感じるわけがない。
そして辺りを見渡す。おそらくこのマップの時間帯は早朝なのだろう。産まれたてのような薄っすらと赤い太陽光によって、世界が色濃いコントラストで彩られている。思わず呟く。
「綺麗な場所……」
先頭のカイは振り返り、皐月を一瞥した。皐月はその視線に気付き、「ごめん。不謹慎だったね」とばつが悪そうに謝った。しかしカイは小さく首を振る。
「いや、本当に綺麗な場所だよ。懐かしい」
穏やかな口調でそんな事を言うカイに、皐月は「へっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「もしかしてカイ、今懐かしいって言った?」
「ああ……俺の地元は豪雪地帯でな。ガキの頃、こういうしみわたりの日にはよく近所の山を駆け回ってたもんだ」
「へ、へぇー、そうなんだぁ。へぇぇ」皐月は微妙な半笑いで相槌を打つ。「それは中々、想像を絶する光景だね」
「なんだよ。どういう意味だ」
「いや、ごめんごめん。カイにもそういう頃があったんだなぁって、ちょっと嬉しくなっただけ」
「………」カイは皐月から視線を切り、前方に向き直って、頬を掻く。照れているのだ。
皐月はそんなカイがたまらなく愛おしくなり、思わず口から出掛かった言葉を、寸での所で飲み込む。そしてカイと同じく、頬を染めた。
今度カイの地元に連れて行ってよ、皐月はそう言いかけたのだが、冷静に考えたら、なんて科白だ。愛の告白とも取れるではないか。それに、“今度”なんて、ある意味それこそ不謹慎ではないか……。
尾根を越えると、それはすぐに目にとまった。
薄くて長い回転翼と、黒く大きな機体。黒鷹の名を持つ多目的ヘリコプター。UH-60ブラックホークだ。純白の雪原に忽然と着地しているその黒い佇まいは淋しくもあり、それでいて巨大な存在感をこれ見よがしに発揮していた。ミニガンやグレネードランチャーなど、火器の類は装備されていない。
ブラックホークが着地している地面だけは雪ではなく、アスファルトのヘリポートになっていた。『H』と、ヘリポートを示すアルファベットが白く塗装されている。しかしその『H』は、単純にヘリポートだけを意味しているわけではなく、まるで特定のプレイヤーに向けて『使え』と示唆しているようでもあった。
カイはハンヴィに目を遣り、シマドリがハンヴィの背中を押す。
「ハンヴィ。いや、“H”、出番やぞ」
ハンヴィは頷き、ブラックホークのドアを開け、操縦席に乗り込んだ。
「最初に言い訳しておきますけど、最近はもっぱら戦車とかジープとかで、ヘリの操縦は久しぶりですよぅ」
カイ達もサイドドアから機内に入り、シマドリがコックピットに顔を覗かせて言う。
「久しぶり言うても、得意には違いないやろう。“万能操縦”の異名は伊達やないってとこ、見せたれや」
「まぁ確かに伊達ではないんですけどぉ、酔狂なのは間違いないですよ」
ハンヴィは笑いながらそう言って、ブラックホークのエンジンに火を入れた。
ヒィゥンヒィゥンとメインローターが回転を始め、徐々に速度を上げていく。その旋風により雪の表面が僅かに溶けて、小さな水飛沫がブラックホークを中心に白い輪を形成する。そして離陸。地上から二十メートルほど上昇し、そのまま滑るように前進。低空飛行を開始する。
「えー、ご搭乗のみなみなさまぁ。機長のハンヴィですぅ。本日は謎の雪原観光ツアーをご利用いただき誠に有難うございます。本機は全席禁煙となっております。状況により揺れる場合がありますのでご注意ください。尚、射撃は外に向けて発砲する分にはご自由にどうぞ。それでは快適ではないかもしれない空の旅をお楽しみください」