キル・ゼム・オール 3-3
時間軸が多少前後してしまうが、カイが文字通り必死に駆け回っている頃、場面は転じて、ゲームセンター。
「あの、私どうすれば……?」
辛うじて平静を取り戻した、というより辛うじて恐怖を押さえ込めた皐月は栞に問う。
「私どうすればいい? その、よくわからないけど、何かすることはある?」
対する栞は、ゲームの筐体を叩き壊し、ゴミ箱をひっくり返し、視えない敵の侵入を察知するために、一階の床全てにガラス片やゴミを敷き詰めようと先ほど作業を再開していた。
ほどなくして、作業を終えた栞は皐月に目を遣る。
「……もし敵が入って来たら拙の指示に従って貰う。具体的には上に退く。拙が喰い止める故、その間に貴方は二階に逃げろ」
「二階…? でも上に逃げたら行き止まりだよ」
皐月の言う通り。このゲームセンターは四階建てである。地下一階に地上は三階までしかない。それ以上は逃げられず、袋の鼠。ジリ貧だ。
「その通り。しかし他に案はない。ログアウトできず、現実でも死亡するかもしれないと言うのならば、このクエストを成功させるしかない。つまり、敵を殲滅するしかない」
助かりたいのならば、と栞は付け加え、黙ってしまう皐月を見据えながら続ける。
「凶戦士はここで待てと言った。何か案があるのだろう。ならばその案を待つのが妥当。そして何より、外に逃げるよりここに留まった方が、拙は時間を稼げる自信がある」
確認するよう店内を見渡す栞。
床を満たすように敷き詰められた様々な塵。密林のように並んだクレーンゲームの巨大な筐体。迷路のように入り組んだ狭い通路。そう、彼女にとってまるでここは慣れ親しんだソロデスマッチの闘技場。すでにここは栞のフィールドである。視界の拓けた屋外よりも、死角に満ちた屋内の方が栞にとっては遥かに有利なのだ。
カイがあの状況でここまで見越して指示を出したのならば、脱帽ものだ。
尊敬に値する、と栞は不敵に呟く。
初心者である皐月はそこまで理解が及ぶわけもなく、不安そうに言う。
「……でもさ、カイの案ってなんなのかな?」
「それはおそらく――」
と、栞が応えようとした瞬間、
聞き慣れた、自動ドアの開閉音が入り口から響く。
「――――!」
咄嗟に身構える二人だったが、そこに居たのは姿の視える者達だった。若い女と青年の二人組み。カップルという設定であろう一般人型のNPC。
栞が大半の筐体を破壊した故、店内に居たNPCは筐体で遊ぶというルーチンワークを失い、店内から失せてしまったが、新たに入店するNPCまでは防げないようだ。
その二人のNPCは楽しそうに会話をしながら露で滴る傘をビニール袋に収め、そこで、目当ての筐体が破壊されている事を察知してか、一瞬、蝋人形のように硬直し、しかしすぐに何事もなかったかのように楽しそうに会話をしながら外へと戻って行った。
皐月は溜め息混じりに胸を撫で下ろす。
「……でも、変な感じ。あんなにリアルなのに、やっぱりあの人たちはこのゲームのキャラクターなんだね」
ここが現実ではないという確信を得てか、若干余裕を持った様子で、皐月は同意を求めるように栞に目を遣る。
しかし、栞は入り口を凝視したまま動かない。皐月が首を傾げると同時、
―――カシャン
注意していなければ聞き逃すほどの小さな音。“何か”がガラス片を踏むような些末な物音。
「居る」
――――今のNPCと一緒に入って来た。と栞は囁き、動いた。
腰を低くし、音がした方へ疾走しながら、腕を伸ばすような一振りのアンダースローで、三本の苦無を扇状に投擲。そしてその一本が、まるで宙に浮くように視えない何かに突き刺さり、その苦無の辺りを居合抜きで斬り裂いた。
バッサリと、音しかしないが人間大のモノを両断したような手応えと、何か液状のモノ、おそらく鮮血が降り掛かる感触。
その一秒にも及ばない殺陣に、皐月の理解は付いていけず、
カシャン、カシャンカシャンカシャンカシャンカシャンカシャン
「え、え、え?」
連続し、店内のいたる所から発せられる物音に、視えない何かがガラス片の上を徘徊する複数の気配に、ただ呆けることしかできず、
「退け!」
栞の声で、我に返った。
いつの間にか、皐月の前で立ち塞がるように、視えない敵と対峙するように刀を構えている栞。
その小さな背中を見て、皐月は口から出掛かった言葉を飲み込み、後ろのエスカレーターに向かう。駆けながら唇を食い縛り、皐月は思う。なんて無力。いや、無力以前の問題だ。武器を持たず、持っていたとしても戦い方を知らない彼女には何も出来ない。護ってもらう事しか出来ない。完全な足手纏いだ。私も戦う、なんて口にするだけで邪魔になる……。
栞は皐月が二階に上がる気配を背面で感じながら、同時に、正面で蠢く複数の気配を感じていた。
じりじりと、栞を取り囲むように展開していく気配が三、いや、五体以上。
「……倒せるか」
疑問なのか、確認なのか、小さくそう呟いて、栞は動く。
腕を凄まじい速度で連続して振るように、身体のいたる所に仕込んであるクナイを投擲する。まるで華麗に舞うように放たれる無数の刃。秒間五投にも及ぶクナイの連射。横一線の扇状に投擲されたクナイは、ほとんどが筐体や壁に当り弾かれるが、幾本かは空中で停まった。観えない敵に刺さったのだ。しかし、投げナイフ程度で致命傷を与えられるわけがない。それは栞が誰よりも知っている。これは目印だ。曖昧模糊な気配ではなく、明確な居場所を知るためのマーキング。そして、そのマーキング目指して、栞は駆ける。
「フッ」
視えない敵がナイフを繰り出す風圧。それよりも遥かに迅く、栞の一閃が気配を裂いた。血飛沫が噴き出したであろう瑞々しい音と、沈むクナイが敵の絶命を知らせている。
そこで栞は跳ぶ。包囲を縮めるようになだれ込んできた気配に、筐体の上に避難した。そして間髪容れずに包囲の外に飛び降り、背後から敵に斬りかかる。
圧倒的だ。視えない敵と比べ、栞の速さは圧倒的だった。しかし、それでも戦力差を補えるほどではない。
「くッ……」
目前の敵を斬り捨て、そのまま次の標的に刀を振るう栞だが、背後からの刺突に下腹部を突かれた。辛うじて身を翻し致命傷は避けられたものの、腹部からは出血。栞は再び筐体の上に避難する。
数の暴力。いかに栞が接近戦のスペシャリストで、いくらこのゲームセンターが闘技場の環境と酷似していたとしても、姿の視えない複数の敵を同時に相手にするのは無謀といえた。
本来、栞は一対一を専門とするプレイヤーだ。多数対多数の対戦は勿論、クエストですら受けたことはない。複数の敵を相手にするのはこれが初めてなのだ。いや、初めてというのならば、
「……――ッつぅ」
今、栞を支配している感覚こそが生まれて初めての経験だろう。
血液で赤く滲んだ腹部が激痛を生む。――無論、錯覚だ。
出血により鮮明だった意識が朦朧と霞む。――当然、有り得ない。
これはゲームなのだ。仮想現実ゲームなのだ。受けた傷が痛むはずもなく、それで現実のプレイヤーの意識が飛ぶなんて有り得ない。いかにゲームの中に存在意識が取り込まれる催眠に掛けられていようとも、リアルの自分は現実に居る。
これは恐怖心から生まれる錯覚だ。実際に死ぬかもしれないという死の恐怖。信じているわけではない。しかし、かもしれないという可能性が栞の心に重く圧し掛かる。
破裂するように高鳴る動悸。噴き出すように額から滲む冷たい汗。――――これは、本物だ。
「だが――やるしかない……!」
栞は、筐体から筐体へと飛び移りながら、覚悟を決めたように呟き、安全な上界から危険な下界へ、再び舞い降りた。
刀に全体重を乗せた振り下ろしで、敵を真っ二つに両断する。
包囲される前に距離を取り、筐体の裏に隠れ、追って来た敵を貫く。
いつの間にか側面に回っていた敵に、肩を浅く斬り付けられるも、身を捻った袈裟切りでカウンターを見舞う。
「………」
気配はなくなった。
最初の接敵から数十秒、店内は元の静寂に戻った。
栞は筐体に背を預け、息を吐く。疲れているわけではないのに上下する肩、一向に収まらない動悸。そして何より、
「……フッ、ふふふっ」
死の瞬間を回避した者にしか理解できない高揚感。
栞は確かに、今この瞬間を楽しんでいた。
彼女もまた、紫の影という二つ名を持つほどの最上級プレイヤーなのだ。カイと同じく、恐怖を逃避ではなく、戦闘意欲に繋げられる類の人種。即ち、社会不適合者。
もっとも、最上級プレイヤーが一人の漏れなく社会不適合者だとは限らない。それは重要条件かもしれないが、必須条件ではないのだから例外もあるだろう。しかし、最上級と謳われる程にこのゲームに熱中している人間は、各々がこのゲームに現実には無い何かを求めているのは間違いない。
彼女の場合は、生への現実感。
肥沃に満たされた現実は生きることが容易過ぎて、“生きている”という現実感が欠如してしまっている。その結果として常に感じるどうしようもない虚無感。
――――渇望するは生のリアリティ。それを満たすは死のスリル。
生きるために危険を望む。酷く歪んだ生存願望。命ある生物としての目的と手段が、異常をきたしてしまっている。
故に、このFalse Huntにソレを求めた。決闘という命と命の一対一のぶつかり合いに、現実には無いスリルを求めた。しかしどんなに対戦相手を屠ろうとも、どんな強敵と死合おうとも、今まで一度もソレが満たされる事はなかった。楽しいとは感じたが、虚無感を埋めてくれる事はなかった。――――それが今、生まれて初めて満たされている。
「死ぬかもしれない、か……。怖いな…。ああ、それは、とても、怖い……」
体の内側から満ち満ちてくる負の感情。全身にヒタリと、冷たい布が纏わりついたような恐怖感。高鳴る動悸と反比例するかのように増していく寒気。しかし、それら全てを受け入れて、場違いに吊り上げる目と唇。
「まったくもって、面白い事に巻き込まれたものだ……」
皮肉ではなく、本心から栞がそう呟いた。その時、
再び、自動ドアの開く鈍い音が店内に響いた。
栞は即座に立ち上がり、身構えるが、
「――――」
すぐに身を翻し、二階へ続くエスカレーターを駆け上がる。
無理だ、と判断したのだ。
数秒経っても自動ドアは一向に閉まる気配がなく、店内のガラス片を踏み鳴らす音は、渦巻くように増え続けていく。
十や二十ではない。現在進行形で店内に乱入してくる視えない敵の数は、姿が視えないので数えようもないのだが、おそらく四十体ほど。二十畳ほどの広さの店内を、埋め尽くさんばかりの勢いで殺到してくる。
別段、おかしな事ではない。クエスト最初に表示された情報には、敵の戦力は『不明』とあった。ならば敵が数百いようが、あるいは数千といようが、何もおかしくはない。問題なのは、それら全ての敵を殲滅しなければならないという、不可能とも思える達成目標だ。
二階に駆け上がった栞を、不安そうな顔をした皐月が出迎える。
「どうしたの!?」
栞は応えず、エスカレーターのすぐ脇にあった自動販売機に目を付け、
「これで塞ぐ。手伝って欲しい」
皐月に声を掛け、二人で自動販売機を押し、エスカレーターの手すりに立て掛けるように通路を塞いだ。すると、下から殺到してきた気配が間髪容れずに自動販売機に追突した。
しかし、当然エスカレーターの構造は吹き抜けだ。自動販売機一つで完全に通路を塞げるわけもなく、一瞬のその場凌ぎにしかならない。
「上に退く!」
栞は皐月の手を取り、反対側へ周り、更に上の階へと駆け上がる。しかし、そこまでである。このゲームセンターは三階建てだ。これ以上は逃げようがない。
栞と皐月は先と同じように、近くにあった自動販売機で簡易バリケードを築き、更にテーブルや動かせる筐体で補強した。それが終わると二人は肩を揺らしながら、どちらからともなく顔を見合わせ、
「……ど、どうしよう?」
絶望した声色と表情で皐月は栞に問い掛ける。
それに栞には俯き、懐から一振りの小太刀を取り出し、皐月に手渡した。
「っ! こ、これって……」
それをどういう意味と受け取ったのか、皐月は青ざめ息を飲む。しかし栞はゆるゆると首を振り、
「勘違いするな。自害するなとは言わないが、どうせ死ぬなら一矢報いてから死んだ方が利口だろう。……出来得る限り拙が喰い止める。しかし、それが不可だった場合、貴方も戦え」
そう言い終わると同時に、視えない敵が自動販売機を押し退け、雪崩のように殺到する。
「拙の後ろから離れるな!」
栞は皐月を庇うように立ち塞がり、クナイを乱れ投げ、それでも接近してくる気配には薙ぐような袈裟斬りを見舞う。
エスカレーターと筐体の間、本当に狭い通路での大立ち居振る舞い。体感型の巨大な筐体が立ち並ぶ三階は、一階や二階とは違い一際窮屈で、面ではなく点で敵と対峙できる分、防衛側、つまり栞には有利と思えた。
しかし、それでも圧倒的な戦力差は埋められない。
一体を斬り捨てても、その死体を足蹴にするように、我先にと押し寄せてくる無数の気配。蟻の巣穴を細い針で塞ぐようなものである。やがて耐え切れなくなり、瓦解する。
その瓦解は、ほどなくして訪れた。
「――――ッ!?」
栞は唐突に、自分の脚に違和感を覚え、見ると、両脚の腱の辺りがバックリと切れていた。足下の、殺したと思っていた敵に息があり、その敵にやられたのだ。
「栞さん!」
皐月は叫んで手を伸ばすが、膝を折るように倒れた栞に、数多の視えない敵が殺到し、それこそ蟻が生餌に群がるように、栞の身体は無数の刃に切り裂かれる。
敵の身体は透き通るように視えない故に、穿たれ、出血する栞の胴体が、もがれ、転がる栞の腕が、皐月からもはっきりと、嫌というほど、まざまざと見せ付けられた。
「い、イヤ……。し、栞さん。いやあぁぁぁぁ!」
絶叫しながらも、皐月は先ほど栞から渡された小太刀を振り被り、助けようと突進した。
――――その時である。
――――伏せろ!
くぐもった、それでいて聞き慣れた声が、遠方から聴こえた気がして、皐月はその声の主を確信し、そして信頼。微塵も逡巡することなく即座に伏せた。
それと同時、
けたたましい大音響と共に、道路側のガラス張りの壁が砕け散り、飛来する無数の何かが筐体を砕き、壁に穿たれ、そして、視えない敵を引き千切る。
破片と粉塵の嵐により煙が充満するように霞む店内。数多もの獰猛な獣が吠え立てるような音響。時折視えるオレンジ色の光の筋、それは通過した曳光弾が残す燃焼による尻尾。
当然、現在進行形で店内を蹂躙している無数の何かとは、弾丸であり、
無論、弾丸の射手は一人しかいない。
皐月達が居るゲームセンター、そこから道路を挟んで対に位置した雑居ビル。その三階の一室、オフィスであろう調度が並ぶその窓際に、銃声というより連続した爆音を響かせ、発射炎により黄色く染まる一人の青年。
「死ね死ね死ねシネッ! 吹っ飛びくたばれクソッタレども!」
カイだ。
開け放った窓の枠に固定するように軽機関銃を据えて、銃床を左手で保持し肩に当てながら、圧し折らんばかりの勢いで引き金を絞り続けている。
拳銃しか持っていなかったはずのカイが、なぜ軽機関銃を持っているのか。それを説明するにはクエストの、いや、オンラインFPSゲーム全般における基本を説明しなければなるまい。
戦闘行為を行うためには武器が必要であり、戦闘行為が始まれば武器の損失や破損は避けられない。そのため戦いが長引きそうなバトルや苦戦を強いられそうなクエストの場合、マップの随所には“サプライボックス”なるオブジェクトが配置される。サプライボックスとは銃器、弾薬、爆薬等など戦うための物資が詰まった箱のことだ。各プレイヤーはマップ画面を開けば、そこにサプライボックスの位置が弾丸のシンボルマークとして表示され、把握できる仕様だ。
カイは『クリアできないクエストは存在しないはずである』というヒントからマップ画面を開き、サプライボックスの存在を確認し、それに一縷の希望を賭けたのだ。無論、これは常軌を逸脱したクエストであり、何かしらの罠という可能性も十二分にあった。しかし、実際にサプライボックスはそこにあり、カイは得物である銃を手に入れた。
鬼に金棒、水を得た魚。もはやそうなれば視えないだけの敵など、取るに足らない。しかも、カイが手に入れた銃器は、この戦いに最も相応しいと思える、一瞬で大量の鉛弾を吐き出せる軽機関銃だった。
順当なら皐月達が居るゲームセンターに乗り込むべきカイだったが、この銃器ならばそれよりも効率の良い戦法を採れる。離れた位置から弾幕を張れば、それだけで敵を八つ裂きにできるのだ。故に、外壁が全面ガラス張りのゲームセンターを、すっぽり射角に収められる対面に位置した雑居ビルに陣取った。
その誉れ高き銃の名は、FNハースタル・モデル・ミニミ。米軍正式採用のライトマシンガンだ。
「あっは、あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
被虐の後の加虐。狩られる立場から狩る立場に転じた時の、どす黒く淀んだ爽快感。
カイは哄笑しながら、撃ちっ放しのミニミを左右に振る。正確な照準なんて必要ない。毎分千発というミニミの連射速度は、つまり毎秒約十六発にも及ぶ5.56ミリ弾の嵐。それは連続というよりも、もはや継続。コンマ一秒も絶えることない弾丸による放水、イメージはレーザービーム。
カイの足下で増え続けていく無数の空薬莢の数は、即ち、何かを破壊した数とイコールで直結する。
「ッ! 後ろかぁ!」
咄嗟に、銃声と銃火によりパレードのように乱された意識の中でも、カイは背後で動く微かな気配を察知し、銃口を後ろに振る。
粉塵を弾く机、綿を吹くソファー、火花を散らすテレビ、そしてズタズタに吹き飛ぶ視えない敵。
「ハッハー! あめぇンだよクソどもがッ。ステルスだろうが何だろうが、そこに居るならぶっ殺せるぞ!」
背後から接近していた敵の全滅を確認すると、カイはミニミのチャンバーを開放、弾数の少なくなったベルトマガジンをプラスチックの弾薬ボックスごと捨て、新しいベルトマガジンを装填、叩くようにチャンバーを閉じ、ボルトを引く。
そして、再びゲームセンター側に向き直り、ミニミを構えるが、
「………殺ったか…?」
静まり返る場の雰囲気に、引き金から指を放した。
たった十数秒ほどの刹那に、約二百五十発の弾丸に蹂躙されたゲームセンター。
ショートする筐体の黒煙と、至る所から立ち昇る粉塵の中、皐月は恐々と顔を起こした。
「………」
だらしなく口を開けた放心状態の皐月は、自分が生きているかどうかさえ定かではない曖々昧な意識の中で、それでも、
「――――栞さん!」
床に伏し、血だまりを作る栞に、微かに息がある事に気付いた。
しかし、それも時間の問題だ。素人目にも、誰がどう贔屓目に見ても、栞の傷は致命傷。数分、いや、数十秒も持たないだろう。
その時、
カシャンと、
フロアの隅の方から、何かが動く音がした。
敵とて馬鹿ではない。下手に動き気配を放てば、カイの銃火の餌食になる事を学習したのだ。故に生き残った極少数の敵は、息を潜め、反撃のチャンスを窺っている。
初心者である皐月には、そこまで理解が及ばない。しかし、『敵を殲滅せよ』というこのクエストが終わらない事から、まだ生き残っている敵が居る事を悟り、そして敵を殲滅し、このクエストを終わらせれば、もしかしたら瀕死の栞を助けられるかもしれないという一心で、
「カイ!」
立ち上がり、外の、対面のビルのカイに向けて手を伸ばす。
「――――?」
カイは、その皐月の行動がどういう意味か、一瞬考え、すぐに理解。
ミニミの銃床を掴み、思い切り振り被り、
「受け取れえぇ!」
皐月に向けて放り投げた。
ミニミは宙を舞い、道路を横断しゲームセンターに飛び込んだ。皐月は胸元でキャッチ。ミニミの重量は約七キロ。かなりの衝撃が皐月を襲ったが、そんな些事を気にする余裕はない。
皐月はほとんど無意識に、近場の筐体の上によじ登り、微かな物音がした方に向けて、ミニミを腰だめで構えた。しかし、
「視えない、よ……」
皐月はカイや栞とは違い、全くの初心者である。物音がした方向なんてアバウトな情報で敵の位置を把握できるわけもなく、気配なんて不確かなもの、感じ取れるわけがない。
どうにかしなくちゃいけないが、結局自分には何も出来ない。皐月は震える下唇を噛み締め、ミニミを構えたまま、背後の栞を見遣る。
まるでボロ雑巾、全くの誇張でなく、そんな比喩がぴったりの有様だった。無数の裂傷と千切れた右腕。鮮やかな紫だった忍び装束は、もはや見る影もなく、血に染まり、斑な黒色と化している。
自然治癒が追いつかないほどの致命傷を負ったプレイヤーは、瀕死状態として扱われ、極僅かな最後の時間を与えられる。今の栞の状態だ。
父はどうだったのだろうか、と皐月は考えてしまった。
その時、唐突に、
「……迂闊。もっと早く気付くべきだった。外は雨が降っていた。だから敵も視え易かった。ならば、ここにも雨を降らせてやればいい……」
と、言いながら栞の左手がゆっくりと、それでいて淀みなく持ち上がり、天井の一点を指差した。
「――――! し、栞さん!」
皐月は声を掛けながらも、栞が指し示した天井に設置されたある物を目にして、その真意を悟り、力強く頷く。
そしてすぐさま振り返り、天井の一点に向けて、ミニミを乱射した。
この世界で、皐月が初めて放った弾丸は、そのほとんどが狙いから外れ天井の薄板を貫通するが、一発だけが、皐月の狙った物体に命中。
間髪を容れずに、フロアは、――――突然の豪雨に見舞われた。
スプリンクラーだ。皐月の放った弾丸がスプリンクラーに命中し、火災消化システムを作動させたのだ。元来、火災の高温で作動するスプリンクラーが、弾丸の着弾という設計上ありえないハプニングで作動したのは全くの僥倖だったが、しかし、確かに作動した。
天上から迸る幾つもの扇状の放水は、フロア中を包み込み、そして、その隅で、水を浴びる不可思議な物体が、水が境界線を張るように滴り落ち、その人型のシルエットを顕にした三体の透明な敵が、はっきりと見て取れた。
「――視える…!」
呟くと同時、皐月はその敵に、ミニミの銃口を向けて、そして、引き金を絞る。
敵を撃つことへの躊躇いも、敵に対する憐憫もない、
「――――――――」
そもそも思考する事すらなく、皐月は唇を一文字に食い縛り、引き金を引き続ける。
生きたいという生存本能か、栞を助けなくてはならないという責任感か、否、それともその両方か、否否、そんな事の全てを真っ白に塗り替えるような無意識で、皐月は生まれて初めて、敵を屠った。
発射の度に暴れまわる銃口を、左手で必死に引っ張って、とにかく敵の方へと、弾丸を送り続ける。
それはFalse Huntという仮想現実の中ではあるが、敵はNPCという実際には存在すらしていない無生物ではあるが、生まれて初めて向けられた明確な殺意に、生まれて初めて殺意で応えた瞬間だった。
「!」
その時、不意に皐月の視界の隅にあるテキストが映し出された。
『プレイヤー・カイが、あなたにチームスピークを要求しています。要求を受けますか? 〔YES〕 〔NO〕』
それは、距離に関係なく会話が行えるプレイヤー同士のボイスチャットの要請だった。対戦やクエストで同じチームに属したプレイヤー同士の、個人無線機のような役割を果たす機能だ。
当然、初心者であり説明書すらろくに読んでいない皐月が、そんな事を理解できようはずもなかったが、それでも〔YES〕を選択。
するとカイの声が耳を打つ。
『おいっ、もういいぞ。引き金から指を放せ。そこの連中は全部片付いたみてえだ』
「え?」
その言葉で、ようやく皐月は自分が今だに銃を撃ちっ放しだった事に気付いた。
「あっ、あ」小さな悲鳴を漏らしながら、慌てたように引き金から指を放し、思わず銃ごと床に落としてしまう。
『ふん、FPS初心者が初めて撃ったにしちゃ上出来だ。スプリンクラーの機転も悪くない。才能があるのかもしれないな。虎サンの血筋か……』
微かに笑っているようなカイの声。カイが初めて皐月に向けた賞賛の言葉だった。
「え、いや、違うの。スプリンクラーは栞さんが――――そうだ! 栞さん!」
皐月は筐体の上から飛び降り、後ろで倒れたままの栞に駆け寄る。
「栞さん! 大丈夫!? ああ、良かった…。まだ生きてる……」
涙ぐみながら栞を抱き起こす皐月。
その涙を見て、栞は目を丸くした。
「ふ、ふふふ。貴女は面白いな。ゲームの中で死にかけて、涙を流されるのは初めてだ」
無残な身体とは相反する流暢な栞の声。それは、栞というキャラクターは瀕死だが、栞を操作しているリアルのプレイヤーは無傷という事の証明である。
『おい。忍者モドキ…栞だったか? あいつは無事なのか?』
「無事じゃないよ! ひどい怪我で、死んじゃいそうだよ! ねぇ、栞さん助かるよね!? ねえカイ!」
怒鳴るように問う皐月に、カイは暫し沈黙し、
『お前がさっき殺した敵で最後なら、クエストは完了。栞は助かるだろう。あれだけの数で攻めて来たんだから、もう終わりだとは思うんだが――――』
と、カイは言葉を区切り、
『ビンゴ。俺達の、勝ちだ』
その声と同時に、カイ達三人の視界が暗転し、文字の羅列が表示された。
『任務成功』
ヘルタウン スペシャルクエスト
point kill die
カイ 45 39 0
皐月 4 3 0
バハムート 0 0 1
栞 11 8 0
画面は再び暗転し、そして、見慣れたターミナルの構内に、レイトタウンの出現ポイントに、三人は転送されていた。
「…………」
中央には青く光るポータルがある、清潔に保たれたターミナルの構内。幾人ものプレイヤーが忙しく行き来し、数人のプレイヤーは固まって談笑し、二、三人のプレイヤーは物珍しげにカイ達を見ている。
カイ、皐月、栞の三人は目を丸くしながら立ち尽くし、誰からでもなく、呆けたように顔を見合わせた。
まるで夢を見ていたかのようである。
栞を仲間にし、とりあえず虎屋に行こうと、白宜からこのレイトへの転送を選んだはずの三人だったが、なぜかスペシャルクエストが発生し、死闘を繰り広げた。三人にはさぞかし長く感じられた事だろうが、実際にはその間、僅か二十分ほどの刹那である。そして致命傷を負ったはずの栞だったが、今は無傷だった。クスエトが終了すれば無傷の状態に戻されるのは、このゲームの当然の仕様ではあるのだが、それが更にその印象を強めた。
そう、まるで悪い夢だ。
しかし、夢という可能性を否定する事実もある。
「ねえカイ」皐月は呟くように言う。「バハムートさんは……?」
バハムートの姿が見当たらないのだ。
バハムートも、カイ達と同じく、スペシャルクエストに参加させられ、そして殺された。しかし、常軌のクエストであれば、キルされたプレイヤーは脱落と見なされ、即座にタウンのターミナルに転送されるはずである。
三人は、とりあえずターミナルを出て、すぐ外の噴水のある広場を見渡すが、バハムートの姿はどこにも見当たらない。
どこか違う場所に居るとは考え難い。あんな異常事態に遭ったのだ。順当に考えるならば、カイ達の生還をターミナルで首を長くして待っているべきである。しかし、バハムートは居ない。虎サンの時と同じである。それが何を意味するのか……。
カイは皐月を見て、問う。
「お前、あの女のプレイヤーアドレスとか、携帯の電話番号とか、知ってるか?」
「プレイヤーアドレスってなに?」
「名刺みたいなモンだ。プレイヤーアドレスを交換すると、簡易メッセージとか送れるようになるんだよ。お前も前、虎サンのプレイヤーキャラクター使って俺に送ってきたろ?」
「ああ、あれね。知ってるわけないよ……。電話番号も知らない。カイは?」
「知らないから訊いたんだよ」
「………」
沈黙する二人。
その様子を傍観していた栞が、口を開く。
「詳細を求む」
えらく端的で短い要求だった。しかし、ほとんど何も知らない栞からしたら、当然の要求である。
カイは栞を見て、しばらく考え、そして言う。
「そういや、お前らHMDが外せないとか言ってたが、今もか?」
「――――あ!」
その言葉でようやく思い返したのか、栞と皐月は同時に硬直した。その硬直が何よりの答えである。つまりAFK、即ち、HMDを外せたのだ。すぐに二人は蘇ったかのように瞬きを再開し、言う。
「外せたよ! 良かったあぁー」
「右に同じ」
カイはその言葉を聞き、顎に手をやり再び考え、
「そうか。だったら、とりあえず落ちろ」
「えっ。落ちろって、ログアウトしろってこと!?」
「そうだ。正直、今は何もわからん。スペシャルクエストを不意打ちで喰らった今となったら、あの女、バハムートが言ってた仮説が当ってるかも、定かじゃなくなった。本当に、さっぱりの状態だ。わけがわからん。……ただ一つわかってるのは“危険”だってことだ。HMDを外せなくなるなんて、どう考えてもヤバ過ぎる」
「確かに…そうだけどさ……」
俯く皐月に、カイは追い打ちをかけるように言う。
「はっきり言って、バハムートも死んだかもしれん」
「そ…そんな…」
「今はまだ、かもしれんとしか言えないが、その可能性もあるってことだ。危険なんだ。だから、お前らは落ちろ」
皐月は顔を上げ、不安そうな顔でカイを見る。
「……それで、どうするの? 今ログアウトして、それからどうするの? 父さんは? 父さんの事件の調査はどうするの?」
「………」
カイは沈黙してしまった。無論、カイには諦める気など毛頭ない。ただ、皐月や無関係の栞が危険に晒されるのを善しとしない故の発言だった。しかし、栞はともかく、皐月の場合、何を言っても諦めないだろう。虎サンの娘である皐月の、父の怪死に対する憂いはカイ以上に強いのだ。
重く静まる二人。それを払拭したのは、意外にも栞だった。
「このゲームが危険なのは理解した。ならば、一度“外”で会ったらどうか?」
「は?」「え?」カイと皐月の疑問符がかぶった。
栞は二人の視線に若干怯み、咳払いを一つして、続ける。
「不謹慎なのかもしれないが、拙は今回の騒動に興味を引かれた。故に是非とも詳細を知りたい。しかし、このままここに居るのが危険だというのならば、外で会うのが得策だろう」
「ソトって……現実でってこと?」
皐月の問いに頷く栞。
ほどなくして、皐月は神妙に何度も頷く。
「うん、それいいかも……。うんうん、それいいよ! 外で会おうよ! 二人はどこに住んでるの?」
「東京都の○×市」即答する栞。
「ほんとに!? 近いよ。近い近い。私も都内だもん! カイは?」
「いや、実は俺も○×市なんだが……でもちょっと待――」
「ほんと!? 凄い偶然だね! じゃあさ、駅前のファミレスわかる?」
カイの反論を無視して、皐月はなぜか嬉しそうに捲くし立てる。
「知っている」
立案者である栞も、すでに会う気満々のようだ。
「なるべく早い方がいいよね。だったら明日とか――――」
この後、文句を言うカイは蚊帳の外にされ、結局、明日の午後六時に某所のファミリーレストランで会合する運びとなった。皐月がログアウトする間際に“絶対に来い”とカイに念を押したのは言うまでもない。
「……ったく」
一人残されたカイは、頭を掻きつつ、虎屋に向かった。そして、主武装にアサルトライフル、副武装にショットガンといった、持ち得る限りの武装を整え、ターミナルに戻り、どこともなく転送を選んだ。
タウン間の転送を選んで、スペシャルクエストに強制参加させられたという事実は、カイ達の調査を硬直させ、更には後退させるような、芳しくない事態だったが、それでも新たな展開には違いない。カイにはその展開に縋りたいという気持ちがあった。故に、たった一人で転送を繰り返し、あわよくば先ほどと同じような異常事態に遭遇しないだろうかという期待からの行為だった。
しかし、実を言えばカイには調査の進捗よりも期待している想いがあった。それは、
――――もしスペシャルクエストが発生したなら、もっと虎サンの仇を殺せる。
――――あのとても楽しいクエストで、また戦いたい。
この二つだった。その二つのどちらの方が強い想いなのか、それはカイにもわからない。しかし、唯一つ確かなのは、カイにとってスペシャルクエストは、忌むべきモノではなく、切望するモノと化している、という事だった。
そんな一見無意味な転送作業を繰り返すこと二時間、結局、無意味に終わった。つまり、何も起こらなかった。
それは喜ぶべき事なのか、それとも否なのか……。
少なくとも、カイは舌を打った。
読者様へ
投稿が遅れた事をお詫びします。
実はかなり前から今話の執筆は完了していたのです。しかしながら、賢明な読者様はお気づきになられたかと思いますが、今回の話の舞台は、最近ある痛ましい事件が起きた某電気街です。故に、変更するべきか否か、葛藤があったのですが、この作品はあくまでフィクションであり、ゲームという仮想現実を舞台にした話ですので、無修正で投稿させてもらいました。
「気にし過ぎ」と突っ込まれるかもしれませんが、一応ここで宣言しておきます。