第十三話:開試、開戦
先の発言の通り、数分も経たない内にカイは白宜のタワー、その三階に戻って来た。
そして、戻って来るなり顔を顰めて、小さく毒づく。
「暇人どもが、見せモンじゃねえぞ……」
それはディスプレイ前に居座ったプレイヤー達の視線がカイに集中していたからで、しかもその人数が明らかに増えていたからだ。
先のカイ達の遣り取りを盗み聞いていたプレイヤーの一人が、黒い凶戦士と紫の影がデュエルで相対するらしい、と噂を広めていたのだ。
人垣の中から皐月は這い出て、カイに近寄り、ふと、その姿をに微かな違和感を覚えた。
意外にも、その違和感の正体を逸早く見抜いたのは、いつの間にか皐月の背後に居たバハムートだった。
「ふぅん。余裕綽々ってわけ」
その言葉の意味がわからず首を傾げる皐月だったが、ほどなくして彼女もその何かに気が付いた。
「ああ、鉄砲がないのか……」
目出し帽と同じくカイのトレードマークと化していた背に担いだライフル。今はそれを携行していない。更に、いつも脇からぶら下げていたショルダーホルスターは見当たらず、その代わりに大型拳銃を飲んだレッグホルスターが右大腿部に巻き付いている。
「だから鉄砲言うな……。それに余裕綽々ってわけじゃねえ。あの忍者モドキに長物は、まさに無用の長物なんだよ」
「ふぅん? よくわからないけど…。でも邪魔なだけだったなら私、預かったのに。ああ、もしかして、俺の鉄砲には誰も触るな的なこだわり?」
「……」
皐月は鉄砲という呼び方を正す気がないらしい。
ガンマニアであるカイにとって、その呼び方は非常に許し難いものがあったが、いちいち訂正するのが面倒になり、ゆるゆると首を振った。
「そんなこだわりねえよ。ただ、ちょっと欲しい物があって虎屋に行ってきたから、ついでに置いてきただけだ」
「欲しい物?」と説明して欲しそうに訊いてくる皐月。
しかし、カイは「説明してもわからんさ」と話を切り上げ、カウンターのNPCの元へ足を運んだ。
「ようこそ、白宜タワー、バトルカウンターへ。本日のご予――」
「バトルサーバー表示」
お決まりの台詞をピシャリと遮るカイ。
それでも嫌な顔一つせず、朗らかな、貼り付けたような笑顔で、かしこまりました、と指示に従う受付譲型のNPC。
「………」
いや、これは当然、元来こうあるべきなのだ、とカイは思う。
書かれたプログラムに従って、決められたタスクのみを行う。それこそがNPCの、ゲームのあるべき姿だ、と。
…NPCが、AIが、ゲーム自体が、自ら勝手に進化するなんて、あってはならない。その進化に制作側の人間が一切関与できないとなれば尚更だ。人間が完成させたのではく、“勝手に完成していくゲーム”。そんなものは、もはやゲームではない。
「……ふん」
もっとも、バハムートの言う説が正しいのであれば、という前置きは消えないが……。
カイの画面に表示された無数のバトルサーバー。
チームデスマッチを筆頭に、チームキルカウント、デスマッチ、キャプチャーザフラッグ、ハンバガーヒル、コンクエスト、etc…。
「デュエル…、ソロデスマッチだけを表示」
カイの言葉通り、無数だったバトルサーバーの表示はソロデスマッチだけに絞られた。
回線速度順(といっても、この時代の回線環境を考えれば速度の差なんてあってないようなものだが)に並ぶソロデスマッチサーバー。
その十四列目、ESオフィシャルデュエルサーバー14。参加人数、1/2。
「ほう……ご丁寧に、待ってくれてんのか」
この一人は間違いなく栞だろう。
デュエルサーバーには敗れたプレイヤーから去るという暗黙のルールがある。カイにしてみればキングが素直にそのルールに従った事は意外だったが、栞が自分を待って残るであろう事は予想していた。栞にしてみればカイではなくキングが最初に挑んで来た事は予想外だったであろう。しかし、彼女は全く動じず相手を葬った。ただただ目の前の標的を屠った。False Huntを殺し合いのゲームとして愉しむ生粋のプレイヤー。即ち、彼女はカイと同じ種類の人種。
「………」
その事実にこそ、カイの血は自身でも気付かないほど静かに騒いだ。
そして、おそらくそれは栞も同様。
カイがデュエルサーバー14への転送をNPCに促そうとした時、
「カイ」皐月が駆け寄って来て囁く。「えっと、なんて言うか……気を遣ってね?」
気を付けてね、ではなく、気を遣ってね、と。
意味がわからず怪訝そうな顔をするカイ。
「いや、カイに勝って欲しいけどさ……。でもその、相手は女の子なんだし、あんまり酷い倒し方しちゃダメだよ」
「ハッ、リアルは男かもしれんだろうが。それに男も女も関係ない。言ったろ? これ殺し合いするゲームだぞ。殺しに酷いもクソもあるかよっ」
そう吐き残して、カイは同類が待つ戦場へ出陣した。
遠巻きからその遣り取りを見ていたバハムートは、皐月の台詞の自身でも気付いていないであろう真意を悟り、ほくそ笑む。
「気を遣えとか、倒し方とか。圧勝する前提じゃない。まったく、そこまで信頼されてるなんて、大した色男……」
「……ふぅー」
戦場に到着し、カイはゆっくりと肺の空気を抜いた。
瞳は遮蔽物の向こうに居るであろう標的を射るように、右手は大腿部のホルスター、指先はそこに収まったMk23 ソーコムピストルに念を送るように小刻みに動かしながら、精神を研ぎ澄まし、開戦を待った。
刹那的な間の後、
『ファイブ、フォー、スリー――』
何処からか、デュエル特有の安っぽいカウントダウンが仄暗い戦場に響く。
『――トゥー、ワン――』
そして、
『GOッ!』
自由になった脚で、カイの体が弾けた。
目前のコンテナの縁を掴み、一気にその上に跳び乗った。つまり先の栞と同様の動き。それは先のキング戦で栞の最初の動きを見た瞬間に、決めていた動きでもあった。
――あの忍者モドキはいつも通り、コンテナの上に乗るだろう。だったら俺も登ればいい。この均等な高さのコンテナの上同士でなら遮蔽物は関係なくなる。直接栞を狙える。先手が打てる。初弾が撃てる。
実に単純だが効果的に思えたカイの先手兼相手の先手潰しだった。が、
「チイッ!」
栞がコンテナの上に登った所まではカイの読み通り。しかし、栞の方が迅かった。カイが身体を持ち上げる前に、栞はすでに対辺の上界に居た。カイの銃口がその姿を捉える前に、栞は下界の闇へと消えていった。
「まあ、当然だわな」
そう、当然の話だ。何百、何千とその動きを反復してきた栞に迅さで敵うわけがない。そして、カイが上に来たのなら栞は下へと戻ればいい。上界と下界、二分された戦場ならば常にどちらかが死角になる。栞にしてみれば無理に上に陣取る必要はない。今までは相手が下に存在したから上に移動していたまでのこと、相手にとっての死角が下になるならばその死角へ隠れればいい事だ。
「…ふんっ」
どの道死角ができるなら慣れた地面の方がマシだ、そう判断したカイは跳び降り、突貫する。
栞が居るであろう対辺に向けて、コンテナの間を縫うように我武者羅に。
バハムートはカイが何らかの策を持っているのだろうと勘繰っていたが、策というものが次の動きまできっちりと定められた物だとするならば、実をいうとカイに策なんてなかった。カイに見得ているのは次の動きではなく、最後の動き、つまり栞の殺し方。そこに達するまでの過程なんて、どうでもいい。
カイが闘技場の中間辺りに差し掛かった時、それはきた。
完璧な死角、左後方からの、飛苦無。
後ろから訪れた不意打ち、流石のカイでも察知できる訳もなく、見事に二本、背と肩にざっくりと突き刺さってから初めて気が付いた。
「痛ッ、てえなぁおいっ!」
言いながら、追い打ちを恐れて近くのコンテナの裏へ跳び込んだ。
そして、刺さったクナイを抜くという隙を作るような愚は犯さず、一気に飛び出し、クナイが飛んで来た方向、相手が居るであろう左後方へ、銃口を突き出す。
そこに、栞は居た。
そもそもどうやってカイとすれ違ったのか。単純だ。足音でカイが下界に降りた事を悟った栞は、再び上界に戻ったのだ。そうなれば後はコンテナからコンテナへ、遮蔽物から遮蔽物へ素早く静かに跳び移ればいい。なぜカイより速く移動できたのか。当然だ。遮蔽物が障害物と化す下界より遮蔽物が移動の足場と成る上界の方が遥かに速く移動できる。
戦場を上界と下界に二分し、常に相手の死角を移動する栞からすれば、至極単純で明快な理屈だ。
しかし、問題なのは今栞が立っている場所、数十メートル離れてはいるが、彼女はカイと同じ下界に脚を着けている。死角ではなく敢えて身体を晒している。
再び死角へ隠れる事も出来ただろうに、追い打ちを仕掛ける事も出来ただろうに、まるで振り向かせるためだけにクナイと投げたと言わんばかりに、まるで態と急所は外したと言わんばかりに、
栞は日本刀をテニスのラケットの様に正面で中段に構え、脚を開き腰を落として、カイの動きを窺うように首を傾げて、朱雀戦で見せた“弾避けの構え”でそこに居た。
あくまで無言、無表情だが、その態度からは撃ってこいと挑戦的な威圧がまざまざと感じ取れた。
カイは唇の両端を邪悪に吊り上げて、
「余裕かよ。いいぜ、ノってやる……」
十メートル先の忍者を照準、引き金を切った。
一発、――外された。
二発、三発、――避けられた。
四、五、六、七発……――躱される。
「――――ハッ、確かに、こりゃすげえな。マジで避けやがる」
機敏なサイドステップ、それだけの動きで次々飛来する弾丸を、躱していく。
無論、カイは出鱈目に撃っているわけではない。初弾が外されたなら、二、三発目はそれを踏まえて栞の動きの先を読み、照準し発砲した。それでも避けられたなら、四、五、六、七発以降は避ける暇と空間を与えないよう次から次へと、先の先へと、乱れ撃っている。
それなのに、弾丸は当らず、栞の後ろのコンテナにけたたましい金属音を発し風穴を穿つばかりだ。
しかし、それは、掠りもしない、わけではなかった。
「―――…っ―――――」
時折、風を切るような音と共に紫の綿埃と布片が宙を舞う。
そう、栞とて決して余裕で躱している風ではないのだ。ぎりぎり、躰から本当にすれすれの所を弾丸は通過している。紫の忍び装束を断裁するほど距離を貫通している。それは先の朱雀戦での弾避けでは見られなかった紙一重。カイの射撃技術の賜物か、単純に得物の装填数の多さか。おそらく両方だが前者の方が割合的には大きいだろう。
だが、それでも、いくら辛うじてでも、躱されるという事実は変わらない。
「チィッ――」
先に根を上げたのはカイだった。否、カイの持つ.45口径自動拳銃だった。
ガチン、と固定された遊底が、開放された薬室が、装填数の零を告げる。
「撃ち止めかいッ」
カイは空弾倉を落としながらコンテナの陰へ戻り、新たな弾倉を叩き込み、
タンッ
何が跳ねるような音を聞いて、ぞくりと、首筋に悪寒が奔って、
「ッ、くゥ」
身を屈めた。途端、背後の頭上から振り下ろされた白刃がカイの肩を掠めてコンテナを削る。
カイの隠れたコンテナの上に移動していた栞はそのまま飛び降り、今一度刃を振るう。追撃だ。朱雀戦でもキング戦でも見せなかった明確な殺意を孕んだ追い打ちを栞は仕掛けた。
「…黒い凶戦士」その刃を薄皮一枚で躱され「流石中々。久々に殊勝ッ」
栞は舞うように斬撃を続ける。瞳の奥を強敵への誉れで滾らせながら。それは言葉通り、久しく見せる紛う事なき彼女の本気。
「――ッ! 調子にッ――」三度目の斬撃に若干腹部を裂かれながら、「――ノンなっ!」
カイの銃口は目前の栞を捉えようと動く。
しかし、その銃口が微かに動いた瞬間、栞はピタリと追い打ちを中断、一気に距離を取った。
二杖、約六メートル程の距離を置いて、二人は対峙した。
「………」
カイは身体を斜に、拳銃を片手保持で突き出した構え。
栞は真正面からその銃口を睨み、腰を落とした弾避けの構え。
この状況から次に何が起こるか、それは考えるまでもなく明白。なので急く必要はない、と両者共に動こうとしない。
張り詰めた空気の中、あそうだ、とカイは思い出したように口を開く。
「なあ、あんた、自分が強いと認めた相手としか話さないんだってな。だったら一つ約束しろよ。俺が勝ったらこっちの話を聞いてくれ」
ややあって、
「承知」
栞は静かに頷いた。
この戦い、開始からまだ一分も経っていないが、モニターで観戦している皐月とバハムートから見たら、つまり初心者から見たら、全くの互角に見えただろう。両者の致命打が当らないのだ。なのでそう見えても仕方のない事である。しかし、玄人とまではいかなくとも、栞の実体を知っているプレイヤーが見たら、決してそうは思わない。栞は辛うじてとはいっても確実な技術で弾丸を躱していた。それに比べカイはほとんど僥倖に近い反応で斬撃を避けていた。栞はまだまだ躱し続ける事が出来るだろうが、カイの僥倖がいつまでも続くとは考え難い。戦いが長引けば長引くほど、栞が斬撃を繰り出せば繰り出すほど、カイは追い詰められていく。
いや、はっきりと言うならば、もう一度栞の接近を許し、斬撃を出されたなら、そこで勝負が決するだろう。
「よし、約束したからな。……だったら――もういいか」
だが、それはこの調子で戦いが続けばの話だ。
栞は弾を躱す、そのカイにとって絶対的不利な大前提が続けばの話だ。
「―――?」
試合が始まってから、栞は初めて顔を歪めた。
それは目前の対戦相手が奇怪な行動を取ったからで、
カイは新しく装填したはずの弾倉を落とし、遊底を引き薬室に入った一発も排莢し、違う新たな弾倉を叩き込み、遊底を戻し薬室に初弾を送り込んだ。
平たく言うなら、満タンに弾丸が込められたはずの銃からわざわざ弾丸を抜き、また満タンに弾丸を込め直したのだ。装填不良を起こしていたわけでもないのに、それはまるで無駄な行為。
その一連の再装填動作は一秒も掛からなかったが、栞が動くには十分の隙だ。しかし、彼女はそれをしなかった。そもそも動こうという発想自体なかった。彼女にとって隙を突くという行為は相手の死角から行うべきものであり、こうして身体を晒して、下界で対峙している時に考えるべきは“弾丸を躱す”それのみであった。それは弾丸を躱せるという技術に絶対の自信があるからだ。
カイはそれを知ってか、邪悪に笑い、
「躱してみな」
撃鉄を落とした。
栞は動いた。最初と同じように左へのサイドステップ。
最初と同じようにそれで躱した。はずだった、が、
「!」
自身の出血に気付いた。
大腿部、下腹部、胸部、肩、腕、右半身からの夥しい出血。
針で刺したような無数の小さな傷口。
――散弾ッ!?
それはこの世界なら立所に癒えてしまうような浅く小さな傷だった。放って置いても問題なく動けるような掠り傷だった。が、栞の混乱がそれを気付かせない。その隙をカイが見逃すはずがない。
「ハッ、やっぱりな。何が起こったかわからねえだろ?」
「――ッ!」
その声に栞は正面を睨め付け次弾に備え、カイの発砲と同時、動くが、結果は同じだった。今度は左半身に無数の銃創が穿たれる。
「クッ――!」
「無理だな。あんたは躱さず、逃げるべきだった」
カイは一歩いっぽ近付きながら、畳み掛けるように散弾の速射を栞に浴びせる。
栞はその度に何とか射線から逃れようと身体を捻るが、その度に紫の装束が裂け、無数の鉛粒が肌に喰い込む。
「―――――――」
カイが一メートルと迫った時、栞はとうとう力なく膝から崩れた。
片手を突き転倒は免れたものの、その出血の量はすでに行動不能な域に達していた。震える頭を起こしてカイを見る。
「ふん、説明して欲しそうな顔だな。いいだろう、出血大サービスだ。ま、出血してんのはあんただけどな。ハハッ」
カイはニヒルに笑い、硝煙の上がる銃口を栞の額に向けて固定し、語り出す。
「あんたは弾丸を躱してるわけじゃない、弾道を避けてるんだ。違うか?」
「………」
栞は無言でカイを見つめ続ける。
その無言を肯定と受け取り、カイは鼻を鳴らす。
「そもそもこれはリアルが売りのゲームだ。弾丸を躱せる人間が居てたまるか。あんたは相手の射線とタイミングを見切って、撃たれる瞬間、弾道から身をずらしてたんだ。それがあんたの弾避けのトリックだ。いや、テクニックと言ったほうがいいか。だが、それは弾道が一本で直線の場合だ。避けられない弾もある」
「……」
「例えば“散弾”とかな。あんた、リボルバーが相手の時は余裕かましてたくせに。さっきのキング戦、即行で仕留めてただろ。つまり、相手がショットガン持ってる時は余裕がなかった。なぜなら、散弾の弾道は扇型に広がる。しかも粒弾の飛来も不規則だ。つまり弾道が読めない、って事は散弾は躱せない」
「……」
栞は銃口越しにカイの瞳を凝視している。しかし、彼女の顔には怒りや恐怖、その類いの負の色は一切なかった。
「そして、俺の得物がハンドガンだと視てあんたは油断した。当然だ。普通ハンドガンの弾道は一本で真っ直ぐだからな。だが弾丸には色んな種類があるんだよ。“拳銃弾にも散弾はある”。スネークショット、聞いたことあるか? 名前の通り、蛇とか小動物を撃つためのもんだ。だから威力は期待できなかったんだが、人間サイズの標的にもシコタマ撃ち込みゃ動きを止める分には使えるみたいだな。俺もこんなもん初めて撃った。まさかデュエルで使う事になるとはな」
ここで栞は呟くように小さく口を開く。
「……そこまでわかっているのに、何故始めから使わなかった?」
そう、カイは弾避けのカラクリがわかっているからこそ、虎屋に赴きスネークショットを装備してきたのだ。だったら始めから通常の45ACPではなく、スネークショットを装填しておけば、最初の発砲の時点で勝敗は決していた。なぜカイはそれをしなかったのか。
「いや、通常弾でもうまく狙えば当てられると思ったんだがな。…それに実際見てみたかったし、あんたの弾避け」
「―――」
そこで栞は悟った。
カイは、始めから勝てたのにちょっとした興味、ただそれだけのために態と戦いを長引かせたという事実を。
自身が手加減されていた事を、カイの手中で踊っていた事を。
それを知った彼女はゆっくり瞳を閉じ、
井の中の蛙大海を知らず。
「囲いの戦士は戦場を知らず」
縛られた戦法は兵法に及ばず、か、と呟き。
「拙の負けだ。約束通り、話を聴こう」
両の目を開け、銃口越しにじっとカイの瞳を見詰めたまま、力強く頷いた。
カイも照星越しに栞の瞳を見詰め返し、軽く頷き、引き金を切った。
この戦い、栞の敗因は油断でも驕りでもなく、カイとの立っている場所の相違だった。それは上界や下界といった些細な地形の話ではなく。カイと栞ではそもそも成り立っているステージが違うのだ。レベルではなくステージ。
栞は試合をしているつもりだった。己の力量のみを頼りに勝負に勝つ。しかし、カイにとって戦いとは常に殺し合い、死なせ合い。力量なんて関係ない、どんな奇策を使おうと、どんな外法に頼ろうと、殺した者が勝者で、殺された者が敗者。
ただそれだけの違いだった。
白宜のバトルカウンターに戻ってきたカイと栞を出迎えたのは、観戦客達の様々な視線と、
「えーと、なんて言えばいいんだろ。お疲れ様、でいいのかな…?」
皐月の曖昧な労いだった。
「まあ、とにかく、私は皐月です。よろしくお願いします。栞さん」
笑顔で栞に手を差し出す皐月。栞は不思議そうにその手をしばらく眺めて、軽く握手を交わした。
そして、笑顔だった皐月はカイに目を遣り、表情を一変。
「カイ、酷い事しないでって…私言ったよね?」
計何百発もの粒弾に裂かれる少女、カイの殺し方はとても綺麗と言えるものではなかった。
「だから何回言わせんだよ……。殺しに綺麗も汚いもあるかッ」
「それにしたってアレは酷い過ぎっ! 暴力、ホラー、その他グロテスクな表現が含まれまくりだったよっ。……薄々勘付いてはいたけど、もしかして、カイってドS…?」
「――なっ! ………し、知るかっ」
その遣り取りを見ていた栞は目を丸くして、
「……ふふふ」
口に手を添え静かに笑った。
「……?」
カイは栞の笑いを聞いて既視感に似た感覚を覚える。最近、そんな笑い声をリアルで聞いたような、と。
カイの思考が巡る前に、バハムートが口を挟んできた。
「ご歓談中悪いんだけど、私は手早く用件だけを済ませたいの。…でも、そうね。ここじゃあ人間が多いわ。レイトの虎屋に行くわよ」
言うが早いか、エレベーターに歩き出す。
三人は顔を見合わせ、後に続いた。
タワーを出て、皐月は何やらごちゃごちゃと栞に話し掛け、カイは無言で、バハムートはずんずんと先行して、いつものようにターミナルに向かう。そしていつものようにレイトへの転送を選択。
この時、カイも皐月も、バハムートですら、完全に油断していた。いや、それを油断と言うのは少し酷かもしれない。これから四人の身に起きる事は、この世界では起こりえない、起こってはいけない、全くの異常事態だったのだから……。
確かに四人はレイトタウンへの転送を選択したはずだった。それはいつもと変わらない、いつも通りの作業だった。はずなのに、
ロード中の画面に一瞬ノイズが奔り、砂嵐のような画が刹那表示され、その直後、
「――! まさかっ…これって」恐慌する皐月。
「……ふむ」瞠目する栞。
「そんな…バカな……在り得ないわ………」驚愕するバハムート。
そして、カイは、
「は――、ははハハハっあっはっはっハッハッ! よしよしよしよしっ! やっとだ! やっときやがったッ! せんめつ、センメツ、殲滅、か! 最高な響きじゃねえかッ!」
スペシャルクエスト:ヘルズタウン 時刻:2326
敵の戦力:不明 敵戦闘車両の有無:不明 利用可能車両:なし エリア位置:不明 エリアの規模:不明 制限時間:無制限
任務内容:“敵を殲滅せよ”
――――所在不明の戦場で、正体不明の戦闘が、正真正銘の戦争が、幕を開く。