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False War  作者: IOTA
14/43

第十一話:利用協定

 



「とりあえず、状況を整理しようよ」

 メフィル砦を去った後、レイトタウンの虎屋に引っ込んで黙り込むカイに向けて、皐月は語る。

「えーと、まずこのゲーム、False HuntはエルボってAIが管理してて、そのエルボはゲームを面白くする事しか考えてない」

 顎に手で撫でうろうろしながら語る皐月。その様はさながら推理中の探偵を思わせるが、如何せん、それには語気が欠けていた。カイはそんな皐月は見もせず、奥の弾薬箱に俯きながら座っている。

 皐月はめげずに続けた。

「それでその結果、ゲームで死んだら催眠にかかって現実でも自殺させられちゃうクエスト、スペシャルクエストを実装した。……それで父さん、いえ、虎サンも、その被害にあった……」

 その切なそうな言葉にカイは反応するが、それでも頭を上げない。どうしても顔を見たくない来客が虎屋にはあったのだ。

「エルボは完璧に独立してる。だからESの人ですらそれに気付かない。でも、そのエルボを創ったAIプログラマのバハムートさん、バハムートさんはそれに気付き、エルボを止めたいと思っている。それで私達に協力して欲しい……と」

 そこで皐月は同意を求めるように、入り口の方へと目線を運ぶ。

 そこには招かれざる客、バハムートが立っていた。

 バハムートは店の入り口付近、壁に背を預けている。そして、はぁ、と一つ嘆息して口を開く。

「訂正が三つ。まずエルヴォはゲームを面白くする事しか・・考えていないわけじゃない。他にも人間じゃ到底追いつかない様々な思考をルーチンしているわ。優先順位の問題よ。ゲームの面白さ向上が最大の課題であって、プレイヤーの安全配慮の順位が低いだけ」

「だけって! それを一番に配慮するべきだと思うんですけど……」

 非難の目を向ける皐月、しかしバハムートは構わず続ける。

「二つ目、私は協力して欲しい・・・わけじゃない。双方の利を考えれば協力し合った方が得策だと思えただけ。協力させてあげてもいい、と言い換えてもいいわ」

「手前な……!」

 そのあまりの言い草にカイは顔を上げ、殺意をみなぎらせた瞳で、ハンドガンを抜き、バハムートに向けようとするが、その銃口はバハムートの足元でピタリと止まった。タウンではあらゆる攻撃的行為が不可能。銃口を向けることすらできない。このゲームの仕様ルールだった。

 カイは忌々しそうに舌打ちをして、銃を下げた。

 バハムートは冷めた眼差しでカイを一瞥し、心配そうにカイを見ている皐月に視線を戻す。

「そして三つ目。これは最大の訂正よ。いい、エルじゃなくて、エルヴォ・・よ。BOじゃなくてVO。わかった?」

 どこか怒りを孕んだ口調で訂正するバハムート。その初めて見せる人間らしい感情に、皐月は驚きながら、はあ、と頷く。

 しかし、ここでとうとうカイの堪忍が瓦解した。

「ボとかヴォとかっ、んなこたあどうでもいいンだよッ! なんであんたがここに居るっ!? とっとと出てけ!」

 それは二度目の怒声だった。

 レイトに転送され、カイと皐月が虎屋に入った直後、バハムートも我が物顔で極自然に入って来たのだった。なんとか皐月に宥められ、その時はとりあえず落ち着いたカイだったが、それでも内心穏やかなわけがない。

 バハムートはそれがわかっている癖に、は? と首を傾げる。

「なんであなたにそんな事言われなくちゃいけないの? どこに居たって私の自由でしょう」

「自由じゃねえ。この虎屋は、……今は俺がここの仮店主だ」

「そ、じゃあ私は客よ。帰りに9パラ一発ぐらい買ってあげるわよ」

「――ーー…ッ!」

「それにまだ答えを聞いてないしね。どうするの。協力するの? しないの?」

「くっ……」

 答えに詰るカイ。

 無論、バハムートに協力する気なんて皆無だが、それでも彼女の言ってる事が真実だとしたら、協力せざるを得ないのかもしれない、と。虎サンの仇を必ず葬る、と誓ったカイだったが、その仇が人工知能では、False Huntそのものでは、手の出しようがない。 

 カイはしばらく考えて、

「……確認させろ」と続ける。「AIが暴走してるんだったら、ESに報告して止めてもらえばいいんじゃないのか? っていうかあんたが、そのAI、エルヴォを作ったんだろ。だったらなんとかして止められないのか?」 

「私に止める事はできない。私はESの人間じゃなく、フリーのAIプログラマでしかないのよ。個人的に研究、開発してたエルヴォがESに買われただけ。あなたの言う通り、エルヴォを止める手段としてはFalse Huntサーバー大本のESに掛け合うしかないでしょうね。でもそれが問題なのよ。そもそもエルヴォは暴走してるわけじゃない、私が作った通りに、ゲームを一層面白くするって最優先のタスクを実行しているにすぎない。だからエルヴォに絶対の信頼を置いているESは気付いていない。それに掛け合うにしても、九人、被害が出てると言ってもたった九人よ? 何百人ならともかく、一桁の被害者じゃあ妄言だと思われるのがオチ。大企業というのは得てしてミスを認めたがらないものだしね。だから決定的な証拠が必要。プレイ中にHMDが火を吹いたとか物理的な不具合ならともかく、一般的に被害者は自殺とされてる今は物的証拠が皆無――」

「待てよ」

 カイはつらつらと台本を読むように語るバハムートを遮った。

「ESですら気付かないような事なのに、どうやって、あんたは気付けたんだ?」

「言ったでしょう? 私は個人的にエルヴォを監視してた。制作者として責任、というのか、エルヴォが何を閃くのか興味があったから。その監視の過程でプレイヤーの不可解な死に気が付いた。そして、スペシャルクエストの存在を知ったのは五件目の被害者が出た時。それから私はスペシャルクエストに当選するであろうプレイヤー、つまり最上級と呼ばれるプレイヤー達に片っ端から接触を試みた。でも虚しくも、尽く空振り、被害者は八人になったわ」

「それで次は虎サンに接触を試みたってわけかい。でもすれ違いになって、九人目か……」

 カイは心の中で悪態を付いた。

 ――だとしたら本当に悔やまれる。あの日、スペシャルクエストを受ける直前、バハムートは虎屋を訪れたのだ。それがもう少し遅かったら、虎サンがもう少し早かったら、あの一瞬の時間差がなければ、こんな事には……。

 バハムートもそれには同意見なのだろう。

「その通りよ。私がおざなりになってた所で急にビンゴとはね。しかし、残念。虎サンはこのゲームのプログラマで、しかもAIに不審を感じてたっていうじゃない。惜しい人を亡くしたわ」

 軽く俯き眼鏡の縁を上げながら、軽く嘆息した。

「……でもあんたは、仮にそのスペシャルクエストに当選したプレイヤーと接触できたとして、どうするんだ。危ないから受けないようにって警告でもするのかい?」

「そうね。警告はしたでしょうね。でも人間というのは愚かな生き物で、事が起きてから初めて後悔し反省するのよ。受ける前にそんな話を聞かされて、信じるプレイヤーがいると思う?」

「……思わねえな」

 虎サンはエルヴォの存在を知っていたので信じたかもしれない。しかし、カイはその話を事前に聞かされたとしてもおそらく、否、間違いなく信じなかっただろう。痛いプレイヤーの与太話だと、処理していた事だろう。実際に警察ですら自殺で片付け、信じようとはしなかった。

 バハムートはずれてもいない眼鏡をつい、と上げる。癖なのかもしれない。

「そう、まず信じない。そのプレイヤーは興味本位でスペシャルクエストを受けるでしょうね。だから私は、スペシャルクエストに同伴を求めるつもりでいた」

 ここで皐月が「同伴?」と口を開く。

「そう、証拠集めのためよ。エルヴォを止めるためには確かな証拠が必要。だからスペシャルクエストに同伴して、その異常性、あわよくば催眠の映像も録画、それを証拠にESに掛け合うつもりでいるの。ま、その辺りは実際やってみないと詳しくはわからないけれど」

「なるほど」頷く皐月だったが、すぐにあれ? と首を傾げる。「でも催眠の映像なんて録画したら、その、バハムートさんも被害者になっちゃうんじゃ…。それに同伴させてくれるプレイヤーの人も……」

「そうね。同伴させてくれるプレイヤーがどうなるか、実際行ってみないとわからない。でも残念ながら・・・・・私は大丈夫」

「え?」

「そもそも私はスペシャルクエストに参加できないのよ。あなたもね」

「どういう意味ですか…?」

 カイはバハムートの爪先から頭まで視線を見遣る。

「……あんた上級プレイヤーじゃないのか」

「そう、階級クラスは初心者。スペシャルクエストは上級プレイヤー専用にエルヴォが創ったものよ。だから当然、私には参加資格がない。エルヴォだって節操なくプレイヤーを殺しに掛かってるわけじゃないんだから」

「あ、そうか……。でも、だったらどうやって映像を記録するんですか?」

 皐月の問いにバハムートは手を伸ばし、後ろ手で入り口のドアをノックした。すると間髪容れずにドアが開く。

 現れたのは三人、否、三体のプレイヤー。

 プレイヤーであり人間プレイヤーに非ず。バハムートが言うところのNPPノンプレイヤープレイヤーだった。

「この子達は監視用じゃなく、戦闘用のAIが組み込まれたNPP。今まで対戦やらクエストやらに散々参加させてたから、ランクも上級よ。この子達を同伴させて、映像を録画させるわ」

「そんなもん普通の対人戦で戦わせてたのかよ……。不正行為チートじゃねえか」

 文句を言いながらも、カイは納得した。確かにその方法ならスペシャルクエストでキルされて、自殺催眠を掛けられても、誰も死なない。むしろキルされれば、自殺催眠の何らかの映像、つまり決定的な証拠を撮れる。

 しかし、

「……同伴させる以前に、それはスペシャルクエストに当選したプレイヤーが判明したら、の話だろ? それともあんたはそれを判別できるのか?」

「その通り。残念ながら識別方法は皆無。そこで、あなた達の協力が必要なの。いえ、正確にはあなた達じゃなく、カイ、あなただけのね」

 あん? とカイは片眉を吊り上げる。

「識別方法がない今は、とりあえず私がやってきた通り、実に地道だけど、最上級プレイヤー一人ひとりに接触していくしかない。しかしね。最上級ハイエンドなんて呼ばれる連中はほとんどが廃人か変人よ。私みたいな初心者がのこのこと会いに行っても同伴どころか、話すら聞いてもらえないわ。実際に今まで接触したプレイヤーのほとんどがそうだったし、あなただってこんな状況にならなければ話を聞かなかったでしょう。そこで、同じ変人の一人としてあなたに、失礼、黒い凶戦士とまで謳われている最上級プレイヤーのあなたに接触してもらう。そうすれば話ぐらいは聞いてもらえるでしょ」

「……誰が変人だ」

 明らかな皮肉にカイは顔を歪めた。

 しかし、バハムートは、

「あなたの場合、狂人って呼んだ方がいいかしら?」挑発的に言葉を続ける。「それで、協力するの?」

「………」

 カイはバハムートを睨め付けながら、

「もう一つ確認させろ。仮にあんたの言うプランがうまく行って、エルヴォを止めたとしよう。そうしたら、このFalse Huntはどうなるんだ?」

「無論、停止されるに決まってるじゃない」

「………」

 沈黙するカイを見て、バハムートはその心中を察したように、嘲笑う。

「なに? もしかして未練でもあるの? 黒い凶戦士さん」

「……黙れよ」

 未練は無い、と言ったら嘘になる。このゲーム、False Huntはカイにとって特別なゲームだ。カイがカイで居られる唯一無二の場所だった。しかし、今では特別の意味が大きく異なってしまった。まだ一週間も経っていないというのに、嘗てはどのように楽しんでいたのか、きっと純粋に愉しんでいたのだろうが、それが思い出せなくなってしまうほど、わからなくなってしまうほど、異なってしまったのだ。

「協力しないの? 早く決めてくれる。私も暇じゃないのよ」

 面倒臭そうに嘆息するバハムート。

 ぎり、とカイの奥歯が軋んだ。

 実に気に入らない。どうあれ、目前のこの女、バハムートが、原因のろくでもないAIを創った事には変わりないのだ。 

 しかし、

 そこで皐月がカイに身体を寄せ、顔を近付ける。

「カイ、気持ちはわかるけどさ……。たぶん、この人の言う通り、よくわからないけど、他に方法はないよ」

「………」

 その通りだ。

 バハムートの言う事が真実なのだとすれば、その上で虎サンの仇を討ちたいと願うならば、エルヴォを停止させるしかない。そして、そのためにはバハムートと協力し合うしかない。今は他にそれらしい真実や、目ぼしい方法が思いつかないのもまた、事実だった。

「私は、何もできないからさ。カイには協力して欲しい、かな」

 自身の無力さを認め、申し訳なさそうに付け加える皐月。

 更に、しばらく考え、カイは、

「……協力はしない」

「カイ……」悲しげな声を上げる皐月。

 バハムートは肩を竦めて、店を出ようとする。

 その小さな背中に向けて、カイは、

「利用だ」

 振り返るバハムート。

「あんたは俺を利用すればいいさ。しかし、俺もあんたを利用する。断じて、協力じゃない」

 微笑する皐月に、カイは視線を逸らせて小さく舌を打った。

 バハムートはふふん、と鼻を鳴らす。

「そうね。確かに、利用し合う、と言った方が私達の関係に当て嵌まるわ。それじゃあ、さっそく、最初に会ってもらうプレイヤーは――」

「って、ああぁぁー! ちょっと、ちょっと待ってくださいっ!」

 唐突な皐月の奇声に言葉を遮られたバハムートは、不機嫌そうにむっつりとした視線で皐月を見遣る。

「こ、こんな話、ここでしたらマズイんじゃないですか? だってこのゲーム、そのAI、エルボに管理されてるんですよね? 今の話も全部聞かれてるんじゃ……」

 小声で話す皐月。どんなに小声で喋ろうが、ゲーム内である以上、記録ログとして残り、当然、エルヴォに露見するだろう。

 しかし、バハムートは呆れたように嘆息し首を振る。

「ええ。現在進行形で全てのプレイヤーの会話を記録してるでしょうね。でもマズくはないわ。言ったでしょう? エルヴォは人間に反旗を翻したわけじゃない。自身を守ろうとしてるわけでもない。いくら進化すると言っても、AIよ。所詮、デジタルの管理装置でしかないの。私達に、いくら自分を停止させる算段を企てられても、どんなに剣呑な会話をされても、意にすら介さないはずよ。そして、いい? エルボじゃく、エルヴォよ。覚えの悪い子は嫌いよ」

「そっか。……す、すいません。ハハハ」皐月は安堵しながら、照れくさそうに頬を掻く。「でも、変な話ですよね。ゲームは普通に動いてるのに、エルヴォは良かれと思ってスペシャルクエストを作ったのに……、それが、こんな事になるなんて」

「変じゃなくて、皮肉な話よ」と自嘲気味に言うバハムート。

「ふざけた話の間違いだろ」と唾棄するように言うカイ。

 カイとバハムートは、暫く睨み合って、

「………ふぅ」

 先に折れたのはバハムートだった。三体の戦闘用というNPPにドアを開けさせ、退場を促す。

「明日、午後九時、このタウンのタワーに集合。詳しい話はそこでするわ」

 そして、去り際に、

「遅れないように。来なかった者は死刑だから」

 と吐き残していった。

 それは少し前に流行ったアニメから拝借した、バハムートなりのジョークだったのだが、如何せん、そんな事は露とも知らないカイは眉根を寄せる。

「なんだあいつ? 相当イカれてんな」

 皐月は元ネタを知っていたが、それが冗談なのか本気なのか、理解できず難しい表情をしていた。

 ほどなくして、皐月が口を開く。

「ねえ、カイはさ、バハムートさんの話、信じる?」

「なんだ。おまえは信じたから協力して欲しいとか言ったんじゃないのか?」

 怪訝そうな顔をするカイに、皐月は腕を組んで考え込むように首を傾げた。

「正直、わかんないよ」

 そうか、とカイは視線を皐月からバハムートが出て行ったドアに移して、

「俺もわからん。ただ他に手掛りがない。それに……」

 そこで言葉を止め、それっきり口を開こうとしない。しかし、それだけで皐月にはカイの言わんとする事が理解できた。

「うん。だよね」

 ドアに目を遣り、頷いた。

 二人の心境は同じだった。バハムートの説を信じるか否か。その問いへの答えは、わからない。だが、しかし、虎サンの死、それを自殺ではなく他殺とするその説を蔑ろにする理由はなかった。

 カイは立ち上がって「そういや」、と舌を打った。

「あのアマ、結局、何も買ってねえ……」

 関係者以外で虎屋に最長滞在時間を記録した、記念すべき最初の客人、バハムートは、大きな遺恨と僅かな糸口を残して、去って行ったのだった。




 嫌に眩しい朝日、無駄に爽やかな空気、自転車にでかい鞄を積んで登校する野球部員風の高校生。

 俺は窓から顔を出して、そんな見慣れた朝を眺めながら、煙草ふかすといういつもの日課をこなしていた。清々しい朝の象徴のようにベランダでは小鳥やら何やらの有象無象が、ピーチクパーチク騒いでいる。

「他所でやれ」

 強めに窓ガラスを叩くと鳥共は散っていった。

 頭の片隅で、次に彼らが向かう場所に俺のような心の狭い人間が居ない事を願いながら、俺は真剣に悩んでいた。

「さて、どうするか……」

 大学に行くべきか否か、だ。当然、行くべきなのだろうが、正直行きずらい。

 最後の教室を思い出す。確か俺は電話に向かって怒鳴り散らした挙句、止める長瀬を無視して教室を飛び出したんだ。

「……行きたくねえなぁ」

 あの時は混乱してたから仕方ないが、後から考えるとかなり痛い。痛恨の悔恨だ。登校したら何か言われるだろうか。それとも腫れ物扱いでみんなに優しくされるのだろうか。それを思うと酷く気が重い。

 皐月からの電話で虎サンの事件を知ってから一週間近く経過している。その間、俺は大学を自主休校してFalse Huntにログインしっぱなしだった。

 無理に行かなくてもいいのではないか。一週間ぐらい休んでもバチは当たらないだろう。一週間や二週間、平気でサボる連中もいるんだ。そこが一人暮らしの大学生の利点だ。特権と言ってもいい。その特権を使わない手はない。

 と、そんな事を思考しつつも服を着替え、鞄まで抱えた自分がいる。

 認めたくないが、仮初めの真実を聞かされ、あの女と利害関係を結んだ事により、心に余裕が生まれたのかもしれない……。

 小さく舌打ちをして。

「……行きますよ」

 切実に嫌がる心と体、それをもっと切実な単位欠落の恐怖で引っ張って、俺はアパートを後にした。

 クラスメイト達の反応は予想通りだった。 

 俺が入るや否や、そこそこ親しい連中は話し掛けてきて、そうでない連中は遠巻きで物珍しそうに眺めている。

「弟が事故った」

 居もしない弟を負傷させる事で大人しくなった連中を尻目に席に着く。弟というのがポイントだ。妹や姉だとハイエナのような野朗共に要らぬ期待を与えてしまうからな。両親だと重いし、親戚だと薄い。

 自分の狡猾さにほくそ笑んでいると、ふと、おかしな視線に気が付いた。

 右端最前列に居座る、ロックバンド風の女性、長瀬。俺と目が合うと、にやっ、と笑い、手でハンドガンの形を作り、パーン、撃たれた。

「?」

 その不敵な笑みとアクションの意味が理解できない。彼女の性格を鑑みるに、真っ先に詰め寄ってきそうなのに……。変な奴だとは思っていたが、不審な奴にランクアップしといた方がよさそうだ。

 昨日早く寝過ぎたせいで授業中に惰眠を貪る事もできず、退屈な授業がようやく半分終わった。

 昼休みに入り、ざわつく教室を後にする。

 しかし、教室を出るや否や、不審者の長瀬がこちらに歩み寄ってきた。

 その後ろには二人の女子生徒が追従している。節目がちでおどおどしている大人しそうな眼鏡の娘。その眼鏡の娘の両肩を掴み押すように歩いている長い黒髪のお嬢風の娘。

 長瀬の外見とはあまりに不釣合いな二人だが、仲が好いらしく、いつも三人一緒な気がする。

「ぃよう、いっしょに飯食おうっぜ」

 長瀬は気軽に俺の肩を掴んで、話し掛けてきた。

「は?」

 驚いた。朝の射撃事件の事もあり、てっきり詰問されるものだと思っていたのだが。

「飯だよ。フード、ランチ!」俺の不審を他所に、長瀬は肩をバンバン叩いてくる。「いっしょに食おぉ」

 長瀬の肩越しに後ろを窺う。眼鏡の娘はさっと俯いて顔を隠すようにバックを胸元で抱える。黒髪の娘は無表情でじぃと見詰めてくる。

 なんだこいつら。……不審者β、γ。

 俺はとりあえず、うーん、と一応考える振りをする。無論、答えはすでに出ている。

「悪いけど、また今度……」

 社交辞令を言いかけた所で、長瀬に睨まれる。なんだ?

「悪いけど……」

 今度はガシッと両肩を掴まれた。何なんだよ?

「わる……」

 長瀬の手に握力が加わる。痛い。意味がわからん。

「わかった食うよ、食う。食やいいんだろ?」

「あっはぁ、生まれて初めて女の娘に誘われたからってそんなに喜ぶなよぉ。かわいい奴だなぁ」

 長瀬は満足そうに頷きながら随分と失礼な言葉を抜かしている。野朗ぉ。

 俺の怒りを意に介さず長瀬は振り返り、「じゃ、行こっか」と後ろの二人に告げ、歩き始めた。

 B棟を出ても長瀬はずんずん先行していく。自然と長瀬の後を三人で追従する形になる。昔のRPGみたいな不自然な構図だ。隊列で言うならコラム、縦一列のフォーメーション。とても友達同士で食事に行くようには見えない。周りの目が痛いのは気のせいか?

 たまらず長瀬の隣に並ぶ。

「おい、飯に行くのはいいが、あの二人は?」

「ん? 友達だよぉ。萌えるでしょ」

「友達を萌えるとか言うなっ」女娘同士の『可愛い』は挨拶のようなものらしいが、萌えるというのは初耳だった。「そうじゃなくて、一緒でいいのか?」

「大丈夫! 二人ともいい娘だよ。そして何より萌えるじゃん」

 萌えるの部分を嫌に強調して言う長瀬。

「だからっ、萌える萌えないじゃなくて、あの二人も知らない男と飯って気まずいだろ?」

「知らなくないよぉ。クラスメイトだし、少なくとも名前くらいは知ってるでしょうよ。あんた、まさか名前も知らないのっ!?」

 バレた。つーか知るわけない。お前の下の名前も知らないんだぜ、とは口が裂けても言えない。

「ま、まっさかー、ハハハ、バカ言うな」

「じゃあ、あの二人の名前はぁ?」

「お、おいおい、知らない訳ないだろう。クラスメイトだぜ? えーと、あれだ、ほら……」

 目を細め睨んでくる長瀬。その視線から逃げるように後ろを窺う。

 一定の間隔を保って二人は付いて来ていた。眼鏡の娘は俺の視線に気付くとすぐに俯き。黒髪の娘はさっきと変わらない無表情でじぃーっと見詰めてくる。

 ……ダメだ思い出せん。そもそも記憶してない事を思い出せるわけがない。

「すまん、わからん……」

「はぁーあ、信じらんない」長瀬は本気で軽蔑してるようだった。「二年も一緒のクラスだったのにぃ」

「いやいや、お前だってクラスの男の名前全部知ってるのかい?」

「あんたよりはねぇ」

「うぐ」

 反論できない。クラスの規模は六十人程だが、名前を知ってるのは……四人か? しかも全員名字だけ、更にその四人には長瀬も含まれている。少なっ。自分で自身に驚愕してしまう。

 友達がいないわけではない。普通に喋ったり、たまに遊んだりはしている。ただ、一緒にいるその時だけは名前を覚えるが、暫く経つとすぐに忘れてしまうのだ。高校までの友達は今でも名前を覚えていて、時折連絡を取り合ったりしているが、大学に入学してからというもの、からっきしだった。大学に入ってから本格的にオンラインゲームにのめり込み、放課後の付き合いを蔑ろにしているからかもしれない。

 ――――お前なぁ、少しは他のプレイヤーに興味持てよ、と。不意に虎サンの言葉を思い出してしまった。

 そうだ。のめり込んだはずのオンラインゲームの中でも、俺は狭い世界でのみつるみ、外の世界を見ようとはしなかった。故意に矮小な世界でのみ生きてきた。……そんな俺に付き合ってくれていた事を虎サンは、どう思っていたのだろうか。迷惑を掛けていただろうか。本当はもっと他のプレイヤーと遊びたかったのではないだろうか。

 我が儘な俺に付き合い続けて、最後にはその所為で――――。

「ちょっとぉ。どうしたのぉ?」

 心境が顔に出ていたのか、長瀬が不思議そうに顔で覗き込んできた。

 俺は眠くもないのに欠伸をして、眼を擦り、誤魔化しながら訊く。

「で、あの二人の名前は?」

「ったくぅ。しっかり覚えてあげてよ。いい、あの二人は詩織とメイ。メガネっ娘が朋絵ともえメイで、ヤンデレが柿崎かきざき詩織しおり

「ヤンデレって……。知らんがな」

 長瀬は覚え易いように変な属性を付けてくれたのかもしれないが、どうせ忘れるし……。

 している内に、食堂棟に到着した。地下一階から地上三階まで全てが飲食店になっている、金がある学校ならではの贅を尽くした施設だ。それでいて安くてうまいと学校内外問わず有名なのだが、俺は滅多に利用しない。理由は一つ、混むからだ。現に今も数十人の学生が入り口で屯っている。

 自然に、俺の眉間に皺が寄る。

「うーん、今日は和食って気分かなぁー。あんた達はぁ?」

 長瀬が訊いてくる。

「なんでもいいよ」俺は適当に、

「わ、私も…なんでもいい、かな」朋絵という娘は俯きながら、

「右に同じ」柿崎という娘は無表情で、

 三者が三様に応じる。

 まったく同じ答えなのに、ここまで個性が出るものか。そういえば初めて二人の声を聞いたな。

「じゃ、決まりぃ。二階の金井亭ねぇ」

 長瀬はそう言うとまた先行して歩き出す。どうやらこの三人組は長瀬がリーダー的な存在らしい。最初は不釣合いなデコボコトリオだと思ったが、意外と良い組み合わせなのかもしれない。

 そんな勝手なことを考えながら、階段を登って行くと、突然、長瀬が奇声を発した。

「うっひょう、空いてんじゃん」

 確かに金井亭は空いていた。この時間帯で空いているなんて意外だ。もっとも俺は入学当初一回利用しただけなので、これが常と比べてどうなのかは知らないが。

「……ここは高いから、お客さんあんまり来ないんだよ」

 そう言ったのは朋絵メイだった。最後まで極度のシャイキャラを突き通すと勝手に想像していたので、少し意外だった。

「高いってどのぐらい?」

 そう訊ねてみると、朋絵はなぜか驚いたように目を丸くし、

「えっ!? ええ!? あ、ああの、えーとですね。キツネうどん六百円、カツ丼七百八十円、ザル蕎麦六百円、天ザル 蕎麦千円、天ぷら定食千三百円、焼肉定食九百円、日替わり御前千円――」

「も、もういいよ。ありがと」

 早口言葉のように止めどなく喋り続ける朋絵を慌てて制した。よく値段なんて覚えてるものだ。……少し怖い。

 朋絵は次のメニューを言いかけた口をゆっくり閉じ、曖昧に頷く。その顔は心なしか嬉しそうに見えた。たぶん気のせいだろう。

「うふふ」

 そこで柿崎詩織が不気味な含み笑いを漏らす。

「……なに?」

「いや。ふふふふふ」

 柿崎は口元を手で隠してくすくす笑い続ける。……こっちはかなり怖い。

 四人で店内に設置された券売機で食券を買って、カウンターで注文。ちょっぱやで出来上がった食事をトレイに乗せて奥のテーブルに座る。

 長瀬は和食が食いたいとか言ったくせに焼肉定食をトレイに乗せている。焼肉定食が和食かどうかは判断しかねるところだが、和食と言われて焼肉定食を思い浮かべる人はあまりいないだろう。

 長瀬は満足そうに口いっぱいに肉を頬張りながら、「ところでさぁ」と喋リ出す。

「今日はもう授業ないよなぁ?」

「う、うん。そうだね」

 俺の隣に座っている朋絵が相槌を打つ。見るとザル蕎麦をお上品に摘まんでいる。見た目通り、長瀬とは正反対の性格のようだ。

 てゆうか俺は今日が午前放課なのを今知った。知ってれば長瀬を押し退けてでも帰ったのに……。

「でさ、どこ遊び行く? やっぱ駅前のデパート?」 

 遊びに行くとこは決定事項らしい。しかし、この二人も聞いていなかったようで、困った風に顔を曇らせる。

「えっ? きょ、今日も遊ぶの?」

「なんだよぉ、嫌なのかよぉ」

「い、嫌じゃないけど。……詩織ちゃんは?」

「すまないが、私は野暮用がある」

 柿崎は縋るような朋絵の声にぴしゃりと即答した。背筋をピンと伸ばし焼鮭をついばんでいる。初めて柿崎の声をまともに聞いた。普通に喋れるじゃないか。まあ普通の喋り方ではないが。

「えぇー、じゃあ、カイは?」

「いや、俺も――――」

 ………え?

 こいつ、今なんて? カイって言ったのか……?

 硬直してしまった顔の眼球だけを動かして長瀬を見ると、口角をにぃと持ち上げて、俺の目を覗き込んでくる。その相貌は、まるで罠にかかった小鹿をどう料理するか考えているような……。

 しくった……。そうゆうことか。迂闊過ぎる。話し掛けられた時点で怪しんでいたが、もっと警戒するべきだったか。

「はぁ? 何言ってんだ? お前」

 すかさず自身にフォローを入れる。ここでアドバンテージを捕られたやばい。

「もう遅いよぉ。カイさん。いや黒い凶戦士って呼んだほうがいいかなぁ? かな? かなぁ?」

 長瀬はその唇を更に歪める。ここで動揺するわけにはいかない。俺はできる限りの平常心を装う。

「だから誰だよそれ。前言ってたゲームのプレイヤーか?」

「そうだよぉ。黒い凶戦士、アローンオーバーキル、ブラックレイ、つまりはカイ、即ち、あ・な・た」

 と、ここで長瀬は不意に手を伸ばしてきた。ひたり、と冷たい他人の手が頬を這う感触。

 なんのつもりだ。

 その手を払って言う。

「はいぃ? だから何言ってんだよ。そんなゲームしたこともねえって。言ったろ? オンラインゲームはやらない主義なんだ」

「その顔……カイとそっくりなんだよねぇ。知ってるだろうけど最新のHMDはプレイヤーの顔をスキャンしてキャラに反映するんだよぉ。ファンサイトにはカイの顔写真とかも普通にあるんだぁ。知らなかったかぁ? 自分のファンサイトなのにぃ?」

 言いながら長瀬はまた手を伸ばしてくる。今度はその手を強めに払い退ける。

「だからっ! 知らないって。そのカイって奴はそんなに俺と似てるのか?」

「その声……。一昨日、髑髏のPK、GGBって奴に会わなかった?」

 あの男、まさか。

「あたし聞いちゃったんだぁ、あなたの声を。実は前々から疑ってはいたんだけど、まさか本当にあなたがねぇ」

 ……やばいな、完璧にバレてる。いや、だが証拠はない。そうだ。俺が白状しない限りそれは疑いの域から出ないはずだ。それ以外には確かめる術がないのだから。

「違うって。GGBって誰だよ」厭きれた風に嘆息して見せる。「もし、仮にそうだとして、どうしたいんだよ?」

「とりあえず謝る。ゴメン。昨日の子達は問題児でね。マナーがなってないんだよぉ」

 頭を下げる長瀬。

 問題児? あれが長瀬じゃないのか。じゃあどうやって俺の声を聞いたのだろう。録音だろうか。

 しかし当然そんな事を訊くわけにはいかないので、やれやれ、と首を振って見せた。

「わけわかんねえけど、俺に謝ってもしょうがねえだろ」

 これで話は終わりだ、と俺は目の前のカツ丼に箸を伸ばす。

「もうぅ! いいかげん認めろよっ! 証拠多可だよぉ? 目撃者に声紋まで揃ってるんだぜぇ? 刑事裁判だったらとっくにお縄だぞぉ! だいたい――」

「待て」

 と、ここで沈黙を護っていた柿崎が長瀬の台詞を遮った。

「……」

 その声には長瀬を黙らせるほどの凄みがあった。

「彼は違うと言っている。それにたとえ彼がその黒いなにがしだったとしても、詮索するものではない。違うか? 長瀬よ」

「でもさっ!」

「違うか?」

 反論しようとした長瀬だが柿崎のドス声に、うっ、と怯んで、不承不承といった感じで頷く。

「それでいい」

 柿崎は達観した感じで頷き、鮭の解体の戻った。

 険悪な空気の中、俺は早めにカツ丼を平らげて、逃げるように三人と別れ、帰宅した。

「ふぅー」

 自宅にて、ようやく落ち着いて紫煙を燻らせる。

 バレてしまったことは仕方がない。それほどあのゲームは流行している。その中で顔も声も変えずにプレイし続けているのだから、遅かれ早かれこうなる事はわかっていた。

 煙草を消して、VRGを嵌め、HMDを被る。そこで小さく苦笑した。まるで癖のように、さながら条件反射のように、その一連の動作をする自分が、今更ながら少し可笑しかった。

 そう。気を掛けるべきかもしれないが、別段に気を揉む必要はないのだ。俺が認めない限り完全に露呈してしまう事はないだろうから。

 False Huntにログインした。


 


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