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False War  作者: IOTA
13/43

第十話:バハムート

 



 メフィル砦。

 レイス上最北に位置する建造物である。もっとも、砦と言えば聞こえはいいが、その老朽化した建造物は瓦礫の山という比喩が妥当だろう。高地に位置するそれは周りをじめじめとした深い密林に囲まれ、とあるアジアの戦争跡地を思わせる。

 数ヶ月前、二人のプレイヤーがこのメフィル砦で会話をした。

 濃紺の作業服を着た女性。そして黒一色の戦闘服を纏った男性。

「映画や漫画でさ、プライドと命どっちを取るか、みたいな話よくあるよね。命と誇りどっちが大切だと思う?」

「……どっちもどうでもいいよ」

 女性は弾むような声で楽しげに話すが、男性はうんざりした様子だ。

「あっは、レイのそういうところは大好きだけど、強いて言うならどっちかな?」

「……誇り、かな」

「うん、実にホモサピエンスらしい意見だね。誇りのために命を捨てられる生物は人間だけだよ」

「……」

「それってさ、誇りの為に死ねるのが人間、死ねないのが人間以外の生物って考え方もできるよね」

「……」

「でも、その考え方だと矛盾が出てくるんだよ。ホモサピエンスとして生を受けたくせに、誇りを捨てて生に縋る生物は“何”になるのか?」

「……」

「人はそれを怪物と呼ぶ…ってのは冗談。そんな人間らしい抽象的なふざけた喩えはナンセンスだよね。何だと思う?」

「……やっぱりそれも人間なんだろ」

「そう! やっぱりそれも人間なんだよ。レイとは気が合い過ぎて、愛しちゃいそうだよ」

「……そりゃどうも」

「レイは最初、『どっちもどうでもいいよ』って言ったよね? じゃあ、今の会話を踏まえて訊くよ?」


「誇りにも命にも縋らないあなたは、果たして生物といえるのかな?」


「…………………なあ」

「うん?」

「俺眠いから落ちて(ログアウト)いい?」

「……レイさぁ、ちょっと前に流行ったKYって言葉、知ってる?」

 


 そして現在。

「ねえ、カイ」

 そのメフィル砦では同じく男女二人のプレイヤーが会話をしている。会話というよりも女性が一方的に話し掛けている感じだ。

 黒尽くめで唯一両の眼と口だけを露出させた男、カイは適当な瓦礫に腰を下ろし、虚空を見詰めたまま動かない。その横でオレンジ尽くしの女、皐月が心配そうに話し掛けている。

「ねえってば」

 しかし、カイはまったく反応しない。

「居ないの? おーい、退席中? あ、AFKって言うんだっけ。アライブ・フロント・キーボードだっけ? …うーん、なんか違うような」

「……アウェイ・フロム・キーボードだよ。それだと、なんか逆の意味になるだろ」

「うわっ! 居るなら返事ぐらいしてよ! びっくりするでしょ。性格悪いわねぇ」

「小便だ、小便」

「なっ! ちょっとっ、私一応女の子なんだけど」

 頬を染めて抗議する皐月だが、

「ああ、すまんな……」

「?」

 いつもだったら売り言葉に買い言葉のはずのカイは、心ここに在らずといった感じで素直に謝り、再び空を仰ぐ。

 皐月は息を飲む。カイの瞳、そこの宿るのは最早見慣れてしまった虚無ではなく、人間らしい色が宿っていた。その色は皐月が父の死を告げた時の悲痛なそれを薄くしたような。悲哀。

 その違和感を舌に乗せようとするが、どう切り出せばいいのかわからなかった。それほどに今のカイの表情は切なげで、悲しげで、寂しげだった。しばらく考え、とりあえず別の話題を振る事にする。

「ねえ、ずっと気になってたんだけど、なんでカイはブラックレイって呼ばれてるの?」

「あん? 知らね」

「……そう」

 素っ気無く突っぱねたカイだったが、俯く皐月を見て、頭を掻き嘆息。

「……“エクスレイ”」

「え?」

「X・‐・R・A・Yでエクスレイ。俺は昔、エクスレイって名乗ってたんだ。それで今と同じ黒尽くめの格好だったもんだから、いつの間にか、黒い凶戦士、ブラックレイなんて呼ばれるようになった」

「へえ、そうなんだ。でもそんな仇名を付けられるなんて、カイがただのプレイヤーじゃない事はなんとなくわかってたけど、……やっぱり強いんだね」

 その言葉にカイは首を振り、自虐的に笑う。

「強くなんかない、ただこのゲームがちょっと巧かっただけだ……」

 カイの言葉の意味が理解できず不思議そうに首を傾げる皐月。カイはそんな皐月を見もせず、独白のように続ける。

「虎サンも、火薬庫アーセナルって通り名があるほど有名なプレイヤーだったんだぜ。それに……あの人も一時期は違う名前だったんだ。T・A・N・G・Oで“タンゴ”」

「タンゴ? 何それ、ダサくない?」

「俺達は“フォネティックメンバー”って集団クランに所属してたんだ。フォネティックコードっていう無線の会話とかで使われるアルファベットの頭文字をとった世界共通の単語。その各単語を名クラン員が名乗ってた。だからフォネティックメンバー」

「ああ、映画とかで聞いた事ある。アルファ、ベーター、ガンマってやつでしょ?」

「違う、それはギリシャ文字。フォネティックコードはBがブラボー、Cはチャーリーってやつだ」

 理解できたのかどうなのか、皐月は腕を組んで難しそうな顔付きで曖昧に頷き、とりあえず続きを促す。

「まあ、名乗ってたって言っても、その時のクランマスターが滅茶苦茶でな。適当に強いプレイヤーを勧誘して名前を変えさせたんだよ。それで俺が一番最初に勧誘したプレイヤーが虎サンだった。その時からすでに虎サンは虎サンって名乗ってた。だから頭文字を取って、フォネティックコードの“T”、つまりタンゴに名を変えさせられたんだ。俺の名前は最初からエスクレイ、“X”だったから変える必要なかったけどな」 

 微かにではあるがカイの表情には微笑が含まれていた。その初めて見せる優しげな面持ちに皐月は驚きながらも、自然と表情がほころぶ。

 カイはここでようやく皐月に視線を落とす。

「お前がさっき言ったギリシャ文字、全部知ってるかい?」

「えっ? ううん、最初しか知らない」

「手元にキーボードがあるなら、『かい』って入力して変換してみな」

 疑問符を浮かべながらも、皐月は指示に従った。そして声を上げて驚く。かいを変換していくと、ある文字が現れたのだ。それはX。ギリシャ文字でXを意味する言葉が、ずばり“カイ”なのだ。

 カイはその様子を見て満足そうに鼻を鳴らした。

「ま、そういう事だ。別にXに思い入れがあるわけじゃないんだけどな」

「でもさ、なんで名前を変えたの? 父さんも名前を虎サンに戻してたでしょ?」

「……なくなったんだ」

「え?」

「数ヶ月前、フォネティックメンバーは解散した。いや、まだあるにはあるが……。とにかく事実上は解散して、俺達は名前を変えた」

「どうして解散しちゃったの?」

 その問いにカイは俯き、

「クランマスターが死んだんだ」

「――――」

 皐月は絶句する。そして、自分の軽率さを反省しながら、カイに掛けるべき謝罪の言葉を探すが、

「嘘だよ」

「…………は?」

「何も言わずにどっかに消えちまっただけだ」

 まったくあのアバズレ、ガチで死ねばいいのにな、と吐き捨てるようにボソッ、と付け加えるカイ。

 皐月はカイの達の悪い冗談や最後の剣呑な独り言の意味がさっぱり理解できず、再び絶句する。しかしすぐにふつふつと怒りが込み上げてきて、怒鳴ろうとした、その時、

「――ッ」

 カイが不意に立ち上がった。そして、眼下に広がった深い密林を注視する。背に担いでいてライフルは、いつの間にか両の手に握られていた。

「ど、どうかしたの? ねえカイ、どうし――」

 カイは応えず、疑問を続けようとする皐月を手で制して、

「出て来いッ!」

 叫んだ。

 皐月は咄嗟にカイの視線の先を窺った。しかし、そこには薄暗い森林が鬱蒼と繁茂するだけで何もない。

「わかってんだよ! とっとと出て来い。……三秒だけ待ってやる」

 銃把を握り直して、わざと大仰にチャージングボルトを引く。冷たい金属音が森林に染み入るように響き渡った。そして、いーち、とダルそうにカウントダウンを始めるカイ。

 カイは感じたのだ。無動に近い木々の変化を、無音に近い物音を、不自然な視線を。

 そして、さーん。

 カイが適当な気配に銃口を持ち上げ、引き金を絞ろうとするが、

「流石ね」

 銃口の先、木の陰から、唇に不敵な笑みを湛えながら、一人の少女が現れた。

「やっぱり伊達や酔狂で黒い凶戦士なんて呼ばれてるわけじゃない、か。ま、そうでなくちゃ張り合いがないわね」

 聞き覚えのある幼げな声、その声色にはあまりに不釣合いな尊大な口振り。

 少女というより幼女に近い体躯、白いローブのフードを目深に被り、影が差した丸眼鏡の縁をついと上げながら、彼女は歩み寄ってくる。

「やっぱり、あんただったのかい……」

 皐月がカイの後ろで「この子が?」と訊ねる。カイは頷き肯定する。それはまさしく、虎サンを尋ねて二度もカイの前に現れたプレイヤーだった。今回で三度目の遭遇。

 少女は二人の数メートル先で停止し、両者、腹を探り合うように動かない。その探り合いに疲れたのか、先に口を開いたのは少女だった。厭きれたように嘆息して、

「いい加減、それ、下ろしてくれない?」

 カイの照準はまだ少女を捉えたままだった。

 しかし、カイは一向にその剥き出しの戦意を下げようとはせず、くいと銃口を少女の後ろに振って、

「だったらまず、後ろの奴らに出てくるように言え」

 カイは感じた“適当な気配”にライフルを向けたのだ。それが偶然目当ての少女だっただけ。即ち感じた気配は複数。つまり少女の後ろの森林からは今も複数の気配がある。

「……へぇ。予想以上にヤリ手のようね」

 手の内を看破されたにも関わらず少女は取り乱した風もなく、少し感心したように呟いて、

「いいわ。出て来なさいっ」

「――っ!」

 皐月は驚愕する。複数の気配を感じていたカイでさえ、それには息を飲んだ。

 複数も複数、少女の指示に従って姿を現した影は、実に二十。

 統一感のない戦闘服に、協調性のない得物を手にした二十人ものむくつけき男達がぞろぞろと、足並みを揃えて、草木から出でた。装備の統一感の無さはプレイヤーの証。しかし、その男達の動きや表情からはおよそ人間らしい温度が感じられない。まるで機械、まるでNPC。

「これでこっちの手の内は全てよ」

「……ふん」カイはとりあえず銃を下げた。

 すると少女は眼鏡の縁をついと上げ、 

「まずは自己紹介、私はバハムート」

 カイと皐月を交互に見て、よろしく、と付け加えた。

 それに皐月が私は、と応じようとするが、

「いいわ。名前は知ってるから、皐月ちゃん」

 皐月は眼を丸くするが、カイは驚かない。二回目の遭遇ですでにわかっていた。この少女、バハムートがただのプレイヤーでない事は。

 バハムートはカイに視線を戻し、

「こんなレイスの最果てにあなた達を呼んだ理由はただ一つ、ある質問をするためよ」

 たっぷり間を開けて、

「五日前、何があったの?」

 四日前と同じ質問をカイにぶつけた。

「……まずは俺に質問させろよ。あんたは何者だ? そいつらを何なんだ?」カイはバハムートの後ろで微動だにせず横一列に並んでいる男達を顎で示しす。その中には先の白宜タウンでカイが接触した灰色の戦闘服を着た男性キャラクターも混じっていた。「そいつら人間プレイヤーとは思えない。NPCなのか?」

 それに対しバハムートは鼻を鳴らして、

「四日前と同じ問答を繰り返す気? まずは私の質問に答えなさい」

「……」

 それでもカイは答えない。バハムートの高慢な口振りが癪に障るのもあるが、スペシャルクエストについてどこまで喋っていいものかどうか迷っているのだ。

 その心中を察してかバハムートは、

「わかってると思うけど、私はただのプレイヤーじゃないわ。五日前に何があったのか、大まかになら想像が付くし、どうゆう経緯であなた達が二人で行動しているかも知ってるつもり。勿論その行動上であなた達が私に行き着く事も予想してたわ。そしてその行動は正解。つまり、私はあなた達が欲してる情報を持ってる。私は私の知ってるその情報の確度を高めるために訊いてるの。話す気が沸くように言い換えてあげましょうか?」

「……なに言って――」

「“五日前のスペシャルクエストで何があったの”?」

「――――」

 バハムートはカイと皐月、それに刑事しか知り得ないはずのスペシャルクエストの存在を知っていた。

 二人は絶句するが、それと同時に確信し理解した。やはり、この少女が普通のプレイヤーじゃない事を。この女が、バハムートが自分達の求めている情報に何らかの係わりを持っている事を。

「……いいだろう」

 そしてカイはこの女には全てを語ってもいい。否、語るべきだ、と判断し、語り始めた。

 異常な射撃精度を誇るNPC、異常な耐久性能を持つNPC、異常な脱出ログアウト不可能の戦場、五日前に起きた全てを。

 そして、虎サンの死を、リアルの死を。

 皐月は自身の知っている情報を反芻しながら、バハムートは相槌一つ打たずカイの瞳を凝視しながら、聞いていた。

 カイが知っている全てを曝け出した後、

「そう、頑丈なNPC、ね。…興味深いわ。しかし、同時に、やっぱりね。……これで確信を得たわ」

 バハムートは一人で確認するように呟く。

「こっちの知ってる情報が多過ぎて、何から話せばいいのやら、迷う所だけど」軽く嘆息し、ずれてもいない眼鏡の縁を上げる。「最初に断っておくけど、これから私が話す事は全て私が予想し推理して導き出した推測よ。もっとも、事実とそんなに相違ないと豪語できるけど」

 バハムートは続ける。

「まずはあなた達が一番気になってるであろう、虎サン、いえ、山井徹夫死亡の事件性の真偽について、察しの通り、間違いなく自殺じゃなく他殺・・よ」

「!」

「もっとも、あんな殺し方で他殺を証明できるかどうか、甚だ疑問だけれども……」

「おいっ! どういう意味だ」

 詰め寄るカイを制すようにバハムートは、

「“PFW症候群”」

 と言い放った。

 それは虎サンがカイに再三警告した謎の病。カイも様々な方法でその単語について調べていたが、尽く徒労に終わっていた。

PerfectパーフェクトFalseフォルスWorldワールドシンドローム。直訳すると完璧な偽の世界症候群。極々一部の人間の間でのみ真しやかに囁かれている死の病。症なんて言っても正式な病名じゃないわ。そもそも病気なんかじゃない。それは原因不明の自殺を他殺と気付かずに病状だと決め付けた誰かが勝手に付けた呼び名に過ぎない。虎サンはあなたに気を付けろ、と言ったんですって? だったら勘違いしてたのよ。きっとこのゲームに熱中し過ぎたプレイヤーはその病気にかかる的な噂にもならない妄言をどこかで耳にしたんでしょう」

「何だよそれ……」

 遠回しで意味深な喋り方を多用するバハムートの言わんとする事が理解できず苛立ちを覚えるカイ。腕を組んで首を傾げる皐月。しかし、バハムートはまったく意に介さず、続ける。

「ま、便宜上とりあえずPFW症候群という呼び方を続けるけど。……とにかく、八件よ。私が知る限り、世界中で八件、PFW症候群の発症が確認されているわ。その全ての発症者に見られる共通点は二つ、一つは全員がFalse Huntのプレイヤーである事、そしてもう一つ、これは共通点でありPFW症候群唯一の症状でもあるんだけど……“発症者全員が何らかの方法で自殺している事”」

「ッ!? おいっ! それはまさかっ――」

「そう、たった今、五日前何があったかを聞いて確信を得たわ。発症者は九人になった、と」

「……な、なんだよ、それ。そのPFW症候群で虎サンが死んだって言うのかっ!?」 

「言ったでしょう? 自殺じゃなくて他殺よ。ただ死んだんじゃない。殺されたのよ。いえ、正確に言うと“自殺させられた”」

 自身の言い回しに満足したように鼻を鳴らし、腕を組み紗に構えるバハムート。

「どういう、事ですか……」沈黙を守っていた皐月が捻り出すように言葉を紡いだ。「他殺で自殺させられたって、……誰かが父をデパートの屋上に連れて行って、自殺に見せ掛けて突き落とした……?」

 バハムートは視線を皐月に向けて、ゆるゆると首を振った。

「そういう事じゃない。陳腐な推理小説じゃあるまいし。ついさっき言ったでしょう? あんな殺し方で他殺を証明できるかどうか疑問だって」

 そして、さも当然のように言う。

「“催眠”。それもとびっきり強力なね。つまり『自身で考え得るベストな方法で自殺しなさい』と催眠をかけられて、その結果、自殺したのよ。それがPFW症候群の正体、病気なんかじゃない、史上最悪な催眠殺人」

「バカなッ。そんな与太話、誰が信じるかよ」

 カイは吐き捨てる。それこそが陳腐だと。

「知らないの? 催眠は科学的に証明されてる立派な現象なのよ。最近では催眠学って大学の授業もあるし、催眠法って医学療法もあるくらいよ。それほど精密で安定したものなの、同時に、そんな表に出ている催眠は氷山の一角、裏の強力な催眠を使えば完璧な洗脳も可能。しかもFalse HuntはHMDヘッドマウントディスプレイを被ってプレイするでしょ。コレを被れば視覚と聴覚は全てFalse Huntに支配されてるようなもの、ほっといてもリアルの自分がFalse Huntの中に居るって錯覚するほどよ。これほど催眠に適した環境は他にないわ」

 自分の頭を指差して、くるくる指を回して見せるバハムート。

 反論できないカイと皐月。False Huntのリアリティを現在進行形で体感している二人にとっては、そこ言葉は反論の余地がないほどに説得力があった。

「それに、何よりあなた達が信じたいんじゃないの? 山井徹夫は、虎サンは、父さんは、自ら死ぬような真似はしない、ってね」

「……」

 その通りだ。自殺でないとするなら、催眠状態でもない限り、虎サンがデパートの屋上から飛び降りるなんて考えられない。考えたくない。

「……じゃあ、なんでそんな催眠にかかったんだ?」

「そこが核心よ」バハムートはカイを指差す。「なんで催眠にかかったか。あなたは知ってるはずよ。その原因を。そして見てるはずよ。虎サンが死んで、山井徹夫が催眠にかかる瞬間を」

「……まさか」

「そう、ゲーム内で虎サンが死んだから、リアルの山井徹夫も自殺催眠に掛かり死なされた。つまりあのスペシャルクエストで死ぬとリアルのプレイヤーにも死が訪れる、って事になるわ」

「そ、そんなっ、どうし――」

 皐月の発言を遮るようにバハムートは続ける。

「そして、これは八人全員に確認したわけじゃないけれど、他のPFW症候群発症者も、死の直前にスペシャルクエストを行っている」

 ここでようやくバハムートはカイと皐月の理解を助けるために、間を置いた。

 暫くしてカイが口を開く。

「やっぱり、あのスペシャルクエストが、死の原因だってのか……。でもなんでだ? なんであのクエストで死んだらリアルのプレイヤーも死ななくちゃならない?」

「それもあなたは聞いてるはずよ。さっきあなたが話してくれた五日前のスペシャルクエストで虎サンが示唆してたんでしょう? あるAI・・・・って」

 確かに虎サンはスペシャルクエストの異常性はあるAIの仕業だと断言していた。そして恐れていた。自分が製作に携わったゲーム、False HuntがそのAIによって得体の知れない化け物に変わるかもしれない、と。

「だからそのAIがなんだってんだっ。なんでプレイヤーまで死ななくちゃならないっ」 


「“ERvoエルヴォ”」


「は?」

「そのAIの名よ。EvolutionエボリューションRevolutionレボリューションを合わせてERvoエルヴォ。進化と革命って意味、文字通り自身で考え閃き進化する、革命的なAIよ。このFalse HuntはそのAI、エルヴォによって現在進行形で管理、運営されてるわ。虎サンからどこまで聞いたか知らないけど、エルヴォがFalse Huntを運営するにあたって最優先としている事柄はなんだと思う?」

 カイは少し考えて、虎サンの台詞に思い至る。『どうやらゲームをより面白くするってのがAIの最優先にしてる事柄らしい』、と。虎サンがESを退職する際に調べて得た情報だ。

「……このゲームを面白くする、か?」

「あら、知ってたの? その通りよ。エルヴォはFalse Huntをより一層面白くする事に何よりも重点を置いている。そしてエルヴォは忠実に働いた。FPS初心者のために色物のシークレットクエストを実装し、上級者のためにベリーハードのクエストを実装した。初心者はそれで満足したけど、上級者はそう一筋縄ではいかない。死亡しても何度でも繰り返し再挑戦コンティニューする事のできるクエストでは結局クリアされて飽きられてしまう。特にあなたや虎サンみたいな最上級ハイエンドと呼ばれるプレイヤー達はそれじゃあ物足りないと抜かす」

「……」

「そこでエルヴォは悩んだ。では面白いゲームとは何か? 何を持ってビデオゲームを面白いとするか? グラフィックの美しさ? システムの完成度? 自由度の究極? 違う。そんなのは面白くするための些細な要素でしかない。そして、ビデオゲームの限界に気が付いた。どんなに面白かろうが、これはゲームでしかない。“この世界ゲームがスリルに欠けた偽物フォルスである限り、再挑戦コンティニュー可能な非現実アンリアルである限り、究極の面白さは創れない”、と」

「お、おい、まさか――」


 そして、ある結論に至ってしまった。

 極限の面白さは極限のリアリティの中にしかない。ならば、この世界ゲームに極限の現実リアルを取り込めばいい。掛け値なしのスリルを、真実トゥルーのリアルを。

 終にエルヴォは創ってしまった。

 異常な敵が闊歩する、脱出不能な戦場を、再挑戦コンティニューなしのリアルな戦闘を、“現実の死が付き纏う本物の戦争を”。

 それが、最上級ハイエンドプレイヤーのための特別なクエスト。スペシャルクエスト。


「―――――」

 カイは絶句することしかできなかった。

 しかし、皐月は反論する。

「そ、そんなっ、有り得ないですっ。遊ぶ人、プレイヤーが死んじゃったらゲームもなにもないじゃないですか」

 当然の疑問だ。しかし、バハムートはその質問はナンセンスだと言わんばかりに首を横に振る。

「言ったでしょう? エルヴォにとっての最優先事項はゲームを面白くする事、残念ながらプレイヤーの安否は考慮されてない。いえ、二の次と言った方がいいかしらね」

「でも、そんなクエスト、ESの人が許可するはずありませんっ!」

「False Huntの管理運営は全てエルヴォが単独で行っているわ。それは完璧な独断。そこに人の手は入らない。つまり、気付かない。いえ、入れないし、気付けない。そういう風に作られているの。ま、良い言い方をすれば人手がいらないって事。オンラインゲームっていうのはね。創るのは勿論、創ってからの管理運営にも莫大なお金が掛かるのよ。それこそがESがエルヴォを採用した理由なんだから」

「でも…でも、そんな実際に死んじゃうゲームなんて、面白くないですし、絶っ対誰も遊びませんよ!」

「確かに、あなたみたいな初心者や普通のプレイヤーはそう考えるわ。しかしね、最上級ハイエンドと呼ばれる、このゲームにどっぷりハマってしまったプレイヤーは違う。エルヴォの考え通り、ゲームという仮想現実にリアルという現実を求めるようになる。バーチャルリアリティゲームからバーチャルとゲームを取って、単純なリアルを欲するようになるのよ。ねえそうでしょ、カイ? さっきから黙ってるけど」

 バハムートはカイを見て、挑発するように笑う。

 皐月は救いを求めるようにカイに目を遣るが、

 カイは苦虫を噛みつぶしたような表情で俯いていた。

 実に荒唐無稽な話だ。出来の悪いSFよりも出来が悪い。いきなりそんな話を聞かされて信じる奴は耳がイカれてるのか、頭がイカれているのか、どっちかだろう。

 ……しかし、バハムートが嘘を言っているようにはとても見えない。それに、その話を信じるなら全てに辻褄が合う。

 そして、エルヴォが閃いたという究極に面白いゲーム、バハムートが言う最上級に至ってしまったプレイヤーがゲームに求めるリアリティ、それは、

 ――その通りだった。

 

 俺は現実リアルの俺が大嫌いだ。

 弱くて陰険で馬鹿で、その癖、自分は周りとは違うんだと格好をつけて。 

 そんな俺だから常に心のどこかで“異常事態”を欲していた。

 どんなにゲーム内で活躍しようが、どんなに素敵な戦闘が起ころうが、現実リアルは事も無し、くだらない世界は変化なく、だらだらと動き続けている。

 それがたまらなく嫌だった。自分のちっぽけさが笑われているようで、お前なんてまったく関係ない、と万物に宣言されているようで。

 だから、毎日カイが仮想現実バーチャルリアリティの世界で体験しているような異常事態が、現実リアルで起こってくれる事を望んでいた。

 俺は現実リアルでカイになりたかった。同時にそんなのは有り得ない事も知っていた。

 しかし、この女の話を信じるなら、AIエルヴォはそれをある意味実現してくれた。

 それは“死”でしか現実リアルと繋がっていないのかもしれないが、極限の異常事態と言っていいだろう。“リアルなゲーム”ではなく、俺が望んだ究極の“ゲームなリアル”と言っていいだろう。

 そして、実際に俺はあのスペシャルクエストの異常性を察知した時、望んだ、切望した。

『これほどの異常事態なら、このつまらない現実リアルの“何か”が変わるかもしれない』、と。

 その結果、――虎サンが死んだ。

 ……ああ、俺は、なんて、………本当に、自分が、嫌になる。

 虎サンは、スペシャルクエストの実体やエルヴォの本性なんて知らなかっただろうに、それでも嫌な予感だけを頼りに、橋を破壊し、スペシャルクエストを無理矢理終わらせ、死ぬまで止まらなかったカイを止めるために、我が儘を言う俺なんかを助けるために、

 死んだ。

 違う。“死なされた”。

  

 虎サンは、死ななくてよかったんだ。俺が、俺が死ねばよかっ―― 


「カイ?」  

 皐月の不安そうな声、カイは我に返る。

「カイ……、カイはさ、お願いだから、そんな顔しないで……」

 吹けば飛ぶような、か細い声を震わせながら、瓦解しそうな感情を堪えて、カイを見詰める皐月。

 しかし、カイはそんな皐月に一瞥もくれず、顔を上げ、バハムートを睨む。

「……証拠は、あるのか? その話の具体的な根拠は? 第一、あんたはなぜそんな事を知っている? あんたは一体何者なんだ?」

 まるで苦し紛れの台詞を吐くように、最初の質問を繰り返した。

 それに対してバハムートは自分の後ろで控えている、先ほどから眉一つ動かさないプレイヤーの一群を紹介するように手で示す。

「まずはコレの説明をするわ。これらは紛う事なくプレイヤーよ。ただし、操作してるのは人間じゃない。False Huntのプレイヤーとして私の指示に従うようにプログラムされたAIが操作してる。私の作った傀儡かいらいってわけ」

「なっ、作ったって、あんたが作ったのか? そんな事が可能か?」

「可能だから実際ここに居るのよ。HMDを被ってVRGを嵌めてパソコンを操作するロボットを作ったわけじゃない、あくまでAIよ。この世界は所詮デジタル、0と1の羅列でしかない。その世界の住人もまた然り。言い得て妙だけど、NPPノンプレイヤープレイヤーとでも呼びましょうか。私はこれらを各タウンのターミナル付近に常駐させてFalse Huntを監視してる」

「……」

 なるほど、だからこっちの情報が手に取るようにわかるわけかい、とカイは納得した。が、しかし、

「そんなモノ作って、False Huntを監視までして、……あんたは、いったい、何なんだ?」

 眼光を一層鋭くするカイ。バハムートは無表情で真正面からその視線に向き合う。

「……そう、あなたがしつこく何度も繰り返してるその質問が、私の全てをつまびらかにする最高の問い。でも少し考えればわかるんじゃない? 言っておくけど私が今喋った話は私達以外まだこの世の誰も知らない。発売元であるESですらエルヴォの閃きは勿論、PFW症候群の存在すら知らないでしょうね」

 皮肉げな笑みを浮かべるバハムート。皐月にはそれがひどく自虐的に見えた。カイはおぼろげながら見えてきたバハムートの正体に、息を飲み、目を見開く。

「私が誰よりもエルヴォに詳しい理由、私がAIまで使ってFalse Huntを、いえ、エルヴォを監視しなくちゃならない理由……もうわかったんじゃない? つまり――」


「私はフリーのAIプログラマ、代表作は“エルヴォ”」


 カイと皐月を交互に見て、「改めてよろしく」と付け加えるバハムート。

 皐月は無表情のバハムートを呆けたように凝視して、この少女の言葉が、自分にとって何を意味しているものなのか、自分は何をすればいいのか、何を言えばいいのか、必死に理解しようとしていた。

 しかし、そんな人間らしい逡巡、彼女の隣の男はしなかった。 

「ぉお、おまえぇがああああぁぁアァッ!!」

 大気を劈くような咆哮と同時、カイは突進していた。 

 そのままバハムートを貫くほどの速度で拳を繰り出す。

 宙を舞う小さな体躯。

 その身体が地面に触れるより速く、左手で胸倉を掴んで引き寄せる。そして、利き腕で反射に近い動きでハンドガンを引き抜き、首の骨をへし折らんばかりに、バハムートの狭い眉間に圧し付けた。

「カイッ!」

 皐月は叫ぶが、最早その声はカイに届かない。 

「お前がッお前がおまえがっ、オマエガァッ!」

 砕けるような音を立てるほどに歯を食い縛り、軋むような音を発するほどにハンドガンの銃把を握り締め、爆ぜたような殺意の篭った眼球でバハムートを射る。その表情は鬼といってもさほど及ばず、修羅と呼んでもまだ温い、形容できるものがないほどに、一人の人間がこれほどの殺気が放てるものかと言うほどに、酷く、黒く、凶っていた。

「………」

 バハムートはそんな殺意を満遍に浴びながら、しかし、眉一つ動かさず、冷たくカイを見詰めていた。

「――ーー……ッ!」

 そんな、まるでこうなる事を見越していたかのような達観した態度がカイの憤激を更に煽るが、同時に引き金を重くした。声にならない唸りを発して、バハムートの冷水を湛えるような瞳を睨め付け続ける。

 永遠と思えるような緊張の中、皐月は必死に考える。

 さっきは咄嗟に止めたが、カイの行動は間違っていないのではないか、と。バハムートの話を信じるのなら、彼女こそが父を殺したAIを創った張本人なのだ。他の誰でもない、このバハムートの所為で虎サンが死んだという事になる。しかし、それでも、ここでバハムートを殺しても何の解決にもならない。それに、そんな告白を自らするには何か理由があるはずだ、と皐月はカイを宥めようとするが、バハムートが先に口を開いた。

「私は良い人間では有り得ないし、エルヴォを創った事に罪悪感なんか微塵も感じていない。だから弁解するつもりも、そもそも謝罪するつもりもない」

「て、てめえ、ふざけッ――」

「でもね、後悔はしてるの。エルヴォの閃き、その内容までを予想できなかった自分に対して、ね。……だからエルヴォを止めたいとは思ってる」

「っ! ……」

 カイに胸倉を掴まれながらも、あくまで淡々と、顔色も声色も変えずに喋り続けるバハムート。

「昨日、三人のPKに遭ったでしょう? あれは私が嗾けたの、あなた達を試すために。見てたけど腕は中々。それにあなた達は自分で調べてこの私に辿り着いた。……冷静さには欠けるけど、戦闘能力を買って及第点をくれてあげる」

「なにを――」

「私が知り得る全てをあなた達に教えた理由はただ一つ」

 バハムートはカイの瞳を見詰めたまま、たっぷりと間を開けて、

「エルヴォを止めるために、私に協力しなさい」

 言い放った。

「!?」

 その言葉に二人は固まる。

 理屈はわかる。人としての倫理からは懸け離れているが、道理も通る。

 が、しかし、しかしだ。

 自分がエルヴォを創ったくせに、自分が原因のくせに、自分が虎サンを殺したようなものなのに、その張本人が言うに事欠いて、カイ達に向かって協力とは――。

 それはあまりに、言語道断、大胆不敵、自分勝手。

 カイの顔から急速に憤怒が消え、残ったのは無表情。大切な何かを手放して、大事な何かを決めてしまった据わった眼差し。

「――――ッアアァァァァァァァァァ!」

 そして、引き金を切った。

 狂ったように、何度も何度も、引き金を圧し折るような勢いで、繰り返し、撃ち続けた。

 飛び散る血飛沫、

 爆ぜる肉片、

 ドミノのように次々と倒れていく、男達。

 バハムートの後ろで控えていた男達が十二体、倒れたところで、カイの持つハンドガンの遊底が開放され薬室から硝煙が上がる。

 刹那の喧騒が過ぎ去り、産まれたてのような奇妙な静けさが辺りを包む。熱を帯びた銃身が外気によって冷まされる音と、空薬莢がぶつかり合い跳ね、転がる音だけが妙に響いていた。

「………」

 目の前で仲間を撃ち殺されても表情一つ変えないプレイヤー達や、バハムートを見て、

「クソッ」

 カイは銃を下げ、投げ棄てるようにバハムートを開放した。

「……か、カイ?」

 耳を塞いでいた皐月が恐る恐る話し掛けると、カイは無言で、ポータルに向かって歩き出した。

「え? カイっ、どこ行くのっ!?」

「………」

 カイは振り返りもせず、青い光りの中へと、消えてしまった。   

 皐月は困惑の表情でポータルとバハムートを交互に見て、ポータルに向かって駆け出した。

 

 暗く淀んだ空の下。

 そこに残されたのは、幾つかの死んだ死体、幾つかの生きていない生体、そして、独りの少女。

 彼女は大きく嘆息し、

「やれやれ、相変わらず、ガキね……」  

 どこか懐かしそうに、呟いた。




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