第九話:クラン巡礼
夕日が落ちて間もない浅い夜。鮮やかなネオンが乱雑とした街並みを照らし始める。
その光りが溢れた、けれども薄暗い通りをカイと皐月が歩いていた。
「今日は撃ち合いしないでね」
「無茶言うな。これ撃ち合いするゲームだぞ。昨日のPK達だって別に悪い事してるわけじゃない。あれもこのゲームの遊び方の一つだ」
ジト目で睨みながら話す皐月に、カイはやれやれと肩を竦めて面倒臭そうに応じる。もはや定番になりそうなやり取りだった。
「それにしたって、昨日みたいな殺しはダメッ!」
「……はん、努力するよ」
無論、そんな気は皆無のカイ。問答が面倒になったのが見え見えである。たった一日の付き合いだが皐月もそんなカイの性格を把握したのか、これ以上の問答は無駄だと諦めて話題を変えた。
「で、今日はどこ行くの?」
「しょうがねえから情報屋に行く」
「しょうがねえって……、普通は真っ先にそういうところに行くんもんじゃない?」
「そんなとこの情報は、決まってBBSの二番煎じだ。行くだけ無駄なんだよ」
「そんなの行って見なきゃわからないじゃない」
「……」
確かに皐月の言う通りだ。しかし、カイには行きたくない理由が他にもあった。
カイは憂鬱っぽく嘆息混じりに肩を竦め、
「……それを確かめに行くか」
二人のいるタウンの名はデイジス。
悪徳の街と呼ばれるほどに、ダーティーなプレイヤーが集う場所だ。ダーティーなプレイヤー、即ちPK。このタウンにいるプレイヤーの半数が他のプレイヤーを非正式に殺す事を極上の悦びとしている、実に剣呑な街である。そんなわけで、PK殺しとしても名の知れたカイにとってこの町は鬼門のような場所なのだ。デイジスに着いてからというもの、カイ達を見るプレイヤー達の視線は憎悪に塗れたものだった。
もし、タウンでのPK行為が禁止されていなかったら、この街の秩序は秒単位で崩壊するだろう。
「ねえ、なんか周りの視線が怖いんですけど……」
その周囲からの敵意に気付き、皐月はカイの腕に縋り付く。
「くっ付くな。気色悪い」
「き、気色悪いって何よ! 私これでもバイト先じゃ看板娘なんだよ! 明るく可愛いボーイッシュな妹系だよ皐月ちゃん、で通ってるんだからね!」
「……どんなバイトしてんだよ」
昨日はPKからの巻き添えを警戒して皐月を無視していたカイだったが、行動を共にする事になれば巻き添えもくそもない。狙われるのは必至だ。諦めて普通に会話する事にしたのだった。
「で、その情報屋ってどこ?」
そこ、とカイが顎で示す先、タワーの真横という一等地に一等眩しいネオンが輝いていた。
「……あんだーへぶん?」
そのカラフルなネオンで彩られた看板にはでかでかと平仮名でそう書かれていた。荒んだ印象のデイジスにはアンマッチな、女学生が使いそうな丸文字である。
そんな外見から連想されるのは、
「……キャバクラ?」
「クランあんだーへぶん、そこのショップだ。ここのクランマスターが情報通で有名なんだよ」
カイは扉の前で立ち止まり嘆息して、しばらく躊躇っていたが、覚悟を決めて店に入った。
皐月はそのカイの様子をいぶかしみながらも後に続いて、息を飲んだ。
「すご」
その中はまさに華やかなキャバレイクラブそのものだった。派手な衣装で客人をもて成す女性プレイヤー、スーツ姿で両脇に女性を抱える男性プレイヤー。虹色の光を放つミラーボール。カウンターに並んだ無数の酒。カラオケまで完備されている。
「なにここ、本当にキャバクラじゃん……」
「リアルに限りなく近いってのがこのゲームの売りだからな。こういう実用性のないショップも結構あるんだ」
「でもなんでみんなスーツやドレスなわけ?」
店内のほとんどのプレイヤーがスーツやドレスで着飾っている中、カイは戦闘服、皐月はつなぎ、二人は完全にこの場で浮いていた。二人を目で追いながら嘲笑している者が多いが、カイの通り名を知っている者は瞠目していた。ブラックレイがこんな場所に何の用だ、と囁き合っている。
「ここはクラン同士の社交場でもあるのさ。だから戦意丸出しの服装は禁止……とまでは行かなくても、暗黙の了解で禁忌って事になってる」
カイはそう言いながらも大して気にした様子もなく、カウンターへと直進する。皐月は周りからの奇異の視線に引き攣った苦笑で対応しながら後に続く。
「なんかカイ慣れてるね。初めてじゃないの?」
「一回連れて来られたんだ。……虎サンに」
「……そう、なんだ」
カウンター席の中央にはチャイナドレスの少女が一人で座っていた。
カイはその少女の隣に座り、皐月はカイの隣に座った。
皐月は回転椅子を回して店内を再び一瞥、
「それにしても、ゲームの世界でこんな現実と変わらないような事して、楽しいのかな?」
と隣のカイに問うたつもりだったが、
「ゲームの楽しみかたも人それぞれだよ、お姉ちゃん」
「え?」
予期せぬ声色に振り向くと、その声の主はカイの隣に座っているチャイナドレスの少女だった。
「……えっと、あなたは?」
「リンって呼んで、お姉ちゃん」
リンと名乗る少女は屈託のない笑顔を皐月に向ける。
「……そう、私は皐月。よろしくね、リンちゃん」
なぜか皐月は見惚れるような表情で応じる。リンは笑顔でよろしく、と返す。
「ところでカイ、その情報通ってのは? ここで待ち合わせでもしてるの?」
「なに言ってんだ。自己紹介まで済ませただろ」
「へ?」
皮肉げに笑うカイ。皐月はまさかと少女に目を遣った。リンは笑顔のままである。
「え、えぇ? もしかしてこの子が……」
「クランあんだーへぶんのマスター、@リンリンだよ。よろしくね、皐月お姉ちゃん」
少女はいたずらっぽい笑みでそう言った。
「え、えぇえぇ!?」
確かに、年端もいかない可憐な少女がキャバクラの店長だと聞かされて驚かない者はいないだろうが、ここは現実ではなく仮想現実なのである。リンを操作しているプレイヤーが幼年の少女だとは限らない。それをまだいまいち理解していない皐月は驚かざるを得ない。
カイは構わず切り出した。
「で、情報が欲しいんだが――」
しかし、
「ダメ」
とリンはカイの言葉を遮るように人差し指を自分の唇に重ねる。
「ダメだよ、ブラックレイのお兄ちゃん。ここに来たら楽しまなくっちゃ」
「十分楽しんだよ。ここに座りながら周りの空気を、この店の熱いソウルを感じたね」
「ぶー、そんなの楽しんだって言わないもん」
リンは頬を膨らませてカイを睨む。
「……か、かわいい」と、皐月はそれを見てうっとりと恍惚の表情で呟く。
「虎サンみてえな反応するな……」
カイは溜め息の後、クルッと椅子を反転させて周りを見渡す。見渡すというよりも挙動不審にキョロキョロしている感じだ。カウンターの様子を窺ってたプレイヤー達は視線を逸らす。
皐月は首を傾げながら尋ねる。
「なにしてんの?」
「女体を凝視してんだよ。目の保養だ」
「……最っ低」
二分後。カイは椅子を戻して、リンに向かい合った。
「よし、十分だ。もういいだろ」
「もういいだろって言う時点で全然楽しんでないよ! もうっ、お兄ちゃんなんて知らないっ」
リンは腕を組んで、プイッとそっぽを向いてしまった。
「……か、かわいい」と再び恍惚の皐月。
「それはもういい……」
「っていうか、さっきからなにやってるの?」
「この店のルールだ」カイは忌々しげに嘆息する。「楽しんでからじゃないと情報が聞けない」
「楽しむって、具体的には?」
「それがわからんから苦労してる。前、虎サンと来た時はうまくいったんだが……」
カイはカウンターに頬杖を付き横目でリンを睨むが、リンはまったく動じず、足をバタつかせながら応じる。
「あの時、アーセナルのおじちゃんは楽しんでたもん」
「どうしろっつーんだよ」
皐月はカイとリンを交互に一瞥、考えるように宙を見上げて、
「……じゃあ、私はどう?」
皐月の台詞に二人は首を傾げる。
「私は本当に楽しんでるよ? リンちゃんの萌えっぷりに久々に燃えたわ」
カイは渋い顔を見せるが、リンは驚いた様子だ。
「あっは、あはははははは。さ、皐月のお姉ちゃん、お、面白い」
突然、腹を抱えてリンはころころと笑い始める。
「うん、うん、いいよ。お姉ちゃんにならなんでも教えてあげる」
「……なんだそれ」と呟きながらもカイは納得していた。
以前、虎サンと来た時も少し話しただけでリンは情報をくれた。あの時、虎サンは楽しんでいたのだ。美少女との会話を。血の成せる業である。
「それで何が知りたいの?」
「うーんと、スペシャルクエストって知ってる?」
「なにそれ? 知らない。聞いた事ないよ」
「じゃあ、ヘルブリッジは?」
「知らない」
「死なないNPCって聞いた事ある?」
「ないよぅ。クエストでの話? だったらそんなの居るわけないじゃん」
「うーん、そっかぁ……」
尽く期待を裏切られ項垂れる皐月。カイは予想通りの展開にはっ、と皮肉げに嘲笑う。
「ほら見ろ。知ってるわけねぇよ」
「ブラックレイのお兄ちゃんには言ってないよっ」
唇をひん曲げるカイに、リンも拗ねたように唇を尖らせ言い返す。
皐月はそんな二人を眺めながら、
「じゃあ、最近なんか変わった事なかった? なんでもいいわ」
「そうだねぇ。うーん……」
リンは小首を傾げて、人差し指を下唇に当てて、如何にもな考える仕草を作る。
「……も、萌えぇー」皐月恍惚。
「……」
カイは突っ込みたかったが、その皐月の態度を気に入ってリンは情報を提供しているわけで、下手な事は言えなかった。単純に面倒になったというのもあるが。
「一番最近のは、昨日デイジス東の森林のポータルでPKが三人、キルされたらしいよ」
「――――」
その言葉にカイはゆっくりとそれでいて剣呑に、リンを見据えた。
リンは笑顔のままだったが、その笑顔はさっきまでの屈託ないそれではなく、どこか含みのある陰湿な笑みだった。
「へー、えらい最近のを知ってるんだな。そんな事知ってんのは加害者と被害者と加害者を嗾けた奴ぐらいだろ」
「うふふ、どっちが加害者なんだか……。まあ、皐月お姉ちゃんの顔を立てて教えるけど、キルされた、いえ、誰かさんがキルしたのはカオスインテルのPK、あそこのマスターは私と仲良しなんだよ」
「なんだ。じゃあどうでもいいや」
嗾けた奴はお前じゃなのかい、とそれがわかった途端、カイは興味を失いカウンターに突っ伏した。
「あそこのチーム、ソード・オブ・カオティックは性質が悪いって有名だよ。加害者さんはいいとして、皐月のお姉ちゃんは気を付けてね?」
「え、ええ、そうね、ありがと……」
皐月は今の遣り取りで理解してしまった。この子も普通じゃないんだ、と。ある意味ではカイと同じ種類のプレイヤーなんだ、と。
「……ほか、他にはないの?」
「あとはそうだね。BBSで変な奴が暴れてるとか、ソロデスマッチで無茶苦茶強い刀剣使いがいるとか、謎の少女の都市伝説とか、そんなのばっかりだね」
「ん。おい、最後のを聞かせろ」
謎の少女に反応するカイ。しかし、
「……」
リンは反応しない。
「おいってば」
「……」
「おーい、シカトか? 耳がイカレたのか? 頭がイカレたのか? いや、後者はお前のデフォルトか、ははっ」
いちいち一言多いカイである。
「……楽しんだの?」
「あん?」
「加害者のお兄ちゃん楽しんでないじゃん。そんな人とは話せません。ねー皐月お姉ちゃん?」
首を傾げ同意を求めるリンに、皐月は苦笑いで応じる。
「はぁー、面倒くせえなあもう」
カイは盛大な溜め息を吐きながらリンを睨む。双方の間で見えない火花が散っていた。
皐月はカイが来店を渋った理由を察した。情報通である店長と相性が悪く、近寄りたくなかっただけなのだ。犬猿の仲とは言わないが、とことん馬が合わないのだろう。おそらくタウンじゃなかったらカイはとっくに銃を抜いている。
皐月は、まあまあ、と二人の間に割り込んだ。
「じゃあ、私にその謎の少女の話を聞かせてよ」
「皐月お姉ちゃんにならいいよっ。詳しくは知らないんだけどね。最近白いローブを着た女の子がタウンやタウン外をうろうろしてるって話」
「白いローブ……」カイは呟く。
「面白いのはその続きで、その女の子が現れるとAFKが異常発生するの」
「AFK?」と皐月は首を傾げる。
「AwayFromKeyboard。ゲーム中にリアルのプレイヤーがキーボードから離れる。つまり退席って事。昨日、お前が吐いた時みたいな状況だ」
淡々と説明するカイを皐月はキッと睨んだ。
「ほんっとにデリカシーないねっ」
「いや、わかりやすいかと思ったんだけど……」
「ま、いいわ。それで続きは? リンちゃん」
「私が知ってるのはそれだけだよ。結構の美少女らしいから、R&S同盟の人達は詳しく知ってるかも」
「ちっ、またそんな。……勘弁してくれ」
カイはR&S同盟という名を聞いた途端、忌々しそうに項垂れる。
「どうしたの? R&S同盟って何?」
「……俺が知る限り、最低最悪の連中だ」
「……」
皐月は絶句し、息を呑む。カイが最低最悪と称する相手とは、いったいどんな連中なのだろうか。想像すらできない。
「ま、行くしかねえかい」
カイは立ち上がり足早に店を出ようとするが、
「待って、お兄ちゃん」
「んだよ。俺なんかと話せないんじゃなかったのかい?」
「これは情報じゃない、忠告だよ。お兄ちゃん達が何を探してるのか知らないけど、何事も深追いはダメだよ。引き返すのも勇気なんだよ」
「……はん、巨大なお世話だ」
カイは振り返りもせず吐き捨て、店を後にした。
「あ、ちょっと待ってよ、カイ。リンちゃん、いろいろありがとね」
「うん、ブラックレイのお兄ちゃんが嫌になったら、いつでもおいでよ。皐月のお姉ちゃんなら大歓迎だよ」
リンは爛漫な笑みで皐月を見送った。
二人はターミナルへ直行して、集団R&S同盟が存在する、白宜へと向かった。
白宜、そこは喧騒とした東京の街そのものだった。雑然とビルが乱立し、プレイヤーが急がしそうに行き来する。ゴチャゴチャとした看板や商店が町の整備の頭散さを主張している。デイジスが暗く荒んだ印象なら、白宜は明るく汚い印象だ。
白宜に到着した早々、皐月は辺りを見渡し、なぜか嬉しそうに口を開いた。
「ねえ、ここって……」
「ああ、ここのモデルは秋葉原だ」
「やっぱり! ほら、凄い数のメイドがいる! あれプレイヤー? あははっ、ちょっと多過ぎじゃない? 私先週行ったばっかりなんだっ。なんか新鮮だなぁ」
カイははしゃぐ皐月を横目にふぅと嘆息した。その露骨に呆れた態度に若干腹を立てた皐月はカイに問う。
「ねえ、なんでアキバにメイドが多いか知ってる?」
「知るか」
「アキバにはメイド服が制服の高校があるのよ」
はっ、と鼻で笑ったカイだったが、真面目な皐月の顔を見て「マジで?」と訊いてしまった。
「うっそーん! そんな萌える高校あるわけないでしょ! あははははっ」
ささやかな意趣返しだ。
「……」
無表情で皐月を睨むカイ。気にせず皐月は笑い続けるが、
「ははははは、は、……なにあれ?」
表情が一変、口角を引き攣らせながら、あるオブジェを指差す。
二人の立つ位置は現実の秋葉原で言うと駅前である。そこには本来、小さな時計塔が建っているはずだった。しかし、そこにあるのは、この街の全ての象徴とも言うべき銅像だった。
「ああ、この町の連中は女神像なんて呼んでる」
「女神って……」
そこには少女の銅像が建っていた。エプロンドレス姿で左手に“マンガ”と書かれた本を抱え、右手ではフィギュアらしき物を高らかと掲げている。某自由を象徴した女神を意識しているのは明らかだ。
「……うあー、あれウケ狙いなの? それにしても安直過ぎる。……このゲーム作った人の顔が見てみたい」
「お前の親父だよっ!」
すかさず突っ込むカイに、そういえば、と苦笑いの皐月。
皐月の父親にして火薬庫と呼ばれたカイの相棒、虎サンはこのゲームを作ったESの元社員でもあった。彼がゲーム創作において具体的にどのような役割を担っていたのかわからないが、あの銅像の建設に携わっていると言われても別段不思議ではない。むしろ関っている可能性が高いと勘繰ってしまう。
「ねえ、ところでR&S同盟ってなんなの? 詳しく教えてよ」
「俺の口からそんな事が言えるかよ。……汚らわしい」
唾棄するような言葉。カイがここまで嫌悪するとは、皐月は内心で恐怖を感じる。
「……で、なんで謎の少女に食い付いたわけ? 何か心当たりがあるの?」
「最後の晩、虎サンとスペシャルクエストに行く直前会ったんだ。白いローブを着た美少女に」
「でも、そんなの偶然じゃないの? ローブの子なんか結構いるし」
皐月はタワーの前で仲間と楽しそうに喋っているピンクのローブを着た少女を一瞥しながら言う。
「スペシャルクエストに行く直前に虎サンを訪ねて虎屋に来たんだぞ。その次の日も、何があったんだ、と問い詰めてきた。あの時は俺もそんな事があったなんて知らなかったから追い返しちまったが、今思えばあいつは明らかに何か知っている感じだった。……おそらくただのプレイヤーじゃない」
「……ふーん」
二人はそのピンクのローブの少女を横目に、タワーの扉を潜る。
「なんだ。タワーの中はどこの街も同じなのね」
緑の床、白い柱、大理石の壁。その壁に二十個ものエレベーターの扉が並んでいる事や、無数の店舗が空港の土産物売り場よろしく所狭しと犇いている所を除けば、タワー内装は高級ホテルのロビーといった印象だ。
二人は最寄のエレベーターに乗る。本来なら階数が表示されているはずの行き先表示パネルにはショップカウンター、バトルエントリーカウンター、各クランの名前、等など文字列が並んでいた。
カイが『R&S同盟』の表示に触れると、ドアが閉まり重低音が密室に響く。チン、とほとんど間髪容れずに在り来たりな電子音が目的地への到着を告げた。
二人が廊下に出ると、隣のエレベーターからも一人の女性が出てきた。
黒いタイトスカートのスーツに赤い縁の眼鏡、髪は後ろで纏めている。まさに美人秘書といった風体だ。
「あら、お客さん?」
スーツの女は眼鏡の縁を上げながら、二人に訊いてくる。
「ああ、ちょっとな」
「私はテン煉、この階のクランのサブリーダーよ。よろしくね」
なぜかカイを素通りし皐月に握手を求めるテン煉、カイは眼中にないようだ。
「はあ、どうも。……皐月です」
「おい」皐月の手を握ったまま離そうとしないテン煉にカイは横から声を掛ける。「ここの情報通……、いや少女キャラに詳しい奴はどこだ?」
「うん? そうね。キングが奥にいるわよ。案内してあげる」
数十メートルの長いエレベーターフロアの先、一つの扉があった。テン煉は扉を開けて、カイと皐月を招き入れる。
中に入って、
「うわぁー」
「げっ、物が増えてやがる」
皐月は感嘆の声を上げ、カイは苦い声を上げる。
三十畳ほどの広い室内、その中は物で溢れていた。壁に限界まで並んだ無数の棚には展示してあるかのように雑誌や漫画、フィギュアが正面を向いて並んでいる。その全ては少年や少女のアニメ調な物ばかりだ。壁や天井にも数え切れないほどのポスターが貼ってある。勿論、それも全てアニメ絵の少年少女だった。それでいて同じく物に溢れた虎屋とは違い、きちんと整頓され不潔な印象は一切しないが、しかし精神衛生的にはよろしくないかもしれない。
「すっごーい。ゲームの中なのに、こんなに色んな本があるなんて、全部読めるんですか?」
「勿論よ。皐月は初心者?」
テン煉はすでに皐月を呼び捨てだが、当の皐月は気にする様子もなく「はいぃ」と答え、棚に駆け寄り恍惚の表情で見渡している。
「ふふ、壮観でしょう? このゲーム内には無数のアイテムがあるの。それはなにも武器や装具だけじゃないわ。漫画、アニメ、フィギュア、小説、同人誌まであるのよ。まさにもう一つのリアルね」
「えぇ! 同人まであるんですか!?」
「ええ、描いたものをES側に提出してOKが出たら、アイテムとして登録されるの。残念ながら版権ものやアダルトものは厳しいから、ここでの同人は有名なプレイヤーものがメインね。その場合、本人の許可もいるけど」
「はっ、ES側がOKね……」
実は以前、カイの元にも同人を刊行してもいいですか? と、問い合わせがあったのだが、カイは物騒な文言で一蹴した事がある。
しかし、虎サンの話が正しければ、このFalse Huntの管理運営は全てAIが独自で行っているはずだ。カイはAIが同人誌の合否判定をしている姿を想像し、鼻で笑った。
「これなんか最新刊よ。銃を一切使わないくせに上級になったプレイヤーの同人。彼女、人気があってね。うちのキングのお気に入りよ」
テン煉は一冊の本をとって皐月に手渡す。
「あげるわ」
「えっ! いいんですか!?」
「ええ、代えなら奥にいくらでもあるもの」
「ありがとうございますっ!」
会って数分、皐月はすっかり飼い慣らされてしまった。
「オタクどもめ……」
カイは厭きれて嘆息しながら首を振る。
二人はテン煉の同人解説やら何やらを聞きながら案内され、奥の部屋へと辿り着いた。
ここよ、と部屋に入るテン煉に続いて、
「――――」
カイと皐月は絶句した。
そこには一人の男がいた。上半身裸でトランクス一丁の小太りの男。
「栞たん。栞たぁん。はぁ、はぁ」
前の部屋より狭いが、変わらず物に溢れた室内の片隅で、その男は蹲りながら漫画をめくっている。
「栞たん、いいおー、かわいいおー。会いに行こうかなぁ。はぁ、はぁ、はぁ」
どうやら男は三人に気付いていない。
生理的な恐怖から皐月は男に気付かれないよう小声で恐々とテン煉に話し掛ける。
「あ、あのー、R&Sってどうゆうクランなんですか?」
「うふふふふ、知らなかったの?」
そう言うとテン煉は皐月に近寄り、耳元で囁く。
「私達はロリ・ショタ同盟、男の子やおんにゃの子キャラを愛するクランなのよ。もっとも、私はロリっ娘じゃなくても全然イケるけど……」
べろりと舌なめずりをするテン煉。
「お、おんにゃの子…ですか。そう、ですか……」
更に密着してくるテン煉に皐月は形容しがたい恐怖感を覚え、逃げるように距離を置く。
そこで突然、
「い、遺憾の意を表明する!」
半裸の男が叫んだ。
「な、なな、なんでここに知らない奴がいるんだお! しかも二人っ! 二人もだっ! やめろよぉ、見るなよぉ、僕をそんな目で見るなおぉ!」
「あ、あのキング?」
流石のテン煉も若干、声が上ずっている。
しかし、キングと呼ばれた男にはそんな声聞こえていないらしく、ぎゃあぎゃあと叫ぶばかり。
カイはたまらず口を開く。
「おい! 別に何もしやしねえよ。ただ聞きたい事が――」
「い、嫌だおぉ! 知らない奴の話しなんか聞きたくないお! ……って、あれ、あれれ?」不意に硬直し、カイを凝視するキング。「も、もももしかして、あなたブラックレイさんでいらっしゃる?」
「……俺はカイだ。そう呼ぶ連中もいるが――」
「うわあああぁあぁぁああん!」
カイの台詞を遮って、キングは跪いて泣き叫ぶ。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ! ここ殺さないでぇー! いや、だめだぁ。殺されるに決まってるお。ぼぼ、ぼくも、僕もアローンオーバーキルされるんだおぉ。やめておぉ、殺さないでぇぇ。栞たんに会いに行くんだおぉ。それまでは、こ、殺さないでぇー。うわぁん、助けておぉ、栞だーん」
キングは埋まらんばかりに地面に顔を埋めて、泣きじゃくり始めてしまった。
「…………」
カイと皐月はドン引きとか、もうそういう次元の話じゃない。完全に呆気に取られて半ば放心状態だ。
「なにコイツ。薬でもやってるのかい? キマり過ぎだろ……」
「やってない…と信じたいわね。とりあえず出ましょう」
テン煉はカイと皐月を追い出すように前の部屋へと促した。
「やれやれ、変な奴ばっか。……だから来たくなかったんだ」
心底だるそうに嘆息するカイ。
テン煉は後ろ手でドアを閉めながら、まじまじとカイの爪先から頭まで視線を這わせる。
「あの、まさかとは思うけど、あなたほんとにあのブラックレイなわけ?」
それにカイはもう一度嘆息し、
「だからっ、俺はカイだ。そう呼ぶ連中も居るんじゃないか?」
ぶっきらぼうに応える。
テン煉は瞠目しつつもそれを表に出さないように、へぇそうなんだぁ、と努めて気丈に振舞って、咳払いを一つ。
「それで、なんで少女キャラに詳しいプレイヤーを探してるわけ?」
「ちょっと会いたいプレイヤーがいてな」
「ふぅん、そのプレイヤーが少女ってわけね」
と両手を組むテン煉。何かを考えているようだった。
「私でよければ話を聞くわよ。私も女キャラには詳しいから」
「で、でしょうねぇ……」
テン煉の舐め回すような横目を感じながら、皐月は顔を引き攣らせる。
「……」
カイは事情を説明した。事情といってもあまり込み入った事まで話さず、単純に白いローブを着た少女キャラを探している、とだけ。
適当な説明が終わるとテン煉は、ええ、と頷いた。
「確かにいるわ。私、声を掛けたからよく覚えてる」
「ほう、そいつの特徴は?」
「白いローブ着て、ツリ目で丸眼鏡をかけてたわね。アニメで言うと風間ユウって感じ」
「いや、なぜアニメで言う……?」
しかし、わからないのはカイだけのようだ。なるほど、皐月は神妙に頷いている。わかるのかよ、俺の周りにはこんな奴ばっかりだな、とカイはウンザリしながらも、
「…でもたぶん間違いない、そいつだ。何を話したんだ?」
「大したことじゃないわよ。タイプだったから私の女にならないかって」
しれっととんでもないことを口にするテン煉。
「大したことだろ、それは……」
「そしたら、ガン無視されたわ。あれはきっといわゆる一つのツンデレね。もしくは極度のシャイキャラか」
「……あっそ。で、どこで会った?」
「この街の広場よ。彼女が出現して着たの見て、声掛けたんだもの。そう言えば彼女と同時に何人かのプレイヤーが出てきたんだけど、それっきり動かなかったわね。私が知ってるのはそれぐらいよ」
「どうゆうこと?」と皐月は小首を傾げる。
「AFK……。そいつらの特徴は?」
「うーん、そうねぇ。全員、戦闘服着てたわね。あなたみたいな」
「……そうか、もう十分だ。邪魔したな」
カイは片手を挙げて、エレベーターに向かって歩いて行く。
足早にカイの後を追う皐月、しかし、テン煉に「ねえ皐月」と呼び止められた。
「は、はいっ!」
ビクッと肩を揺らして固まる皐月。その背中に向けテン煉は、単刀直入に言い放つ。
「私の女にならない?」
「ご、ごご、ごめんなさい!」
脱兎の如く逃げる皐月。
一人残されたテン煉は不気味に笑い「残念」と呟いた。
「はぁ、怖かった。本当に恐ろしいクランね」
もうすでにタワーの外に出ていたカイに追い付いた皐月は胸を撫で下ろし、溜め息を吐く。
「なんだ。オタク同士で相性がいいと思ったんだけどな」
「あの人はオタクって言うより、もっと違う、得体の知れない何かよ! えっと、なんて言うか…その…」
「レズだろうな」
「さらっと言うなぁ! ……いや、待ってよ。もしかしたらテン煉さんゲームじゃ女キャラだけど、リアルは男の人なんじゃ?」
「残念、あいつは女だ。白宜の百合って二つ名まである」
「なんでそんなくだらないことはしっかり覚えてるのよ!」
隣で騒ぐ皐月に、カイは独り言のように語る。
「人間である以上、現実じゃあ常識とか世間とか体裁とか、そういった仮面を被って過ごすしかない。しかし、顔が見えないココなら自分の本性を剥き出しにできるのさ」
「顔が見えないって、このゲーム、リアルの自分の顔をキャラに取り込めるじゃん。ほとんどのプレイヤーが取り込んでるんでしょう? ちなみに私のコレも現実の私の顔だよ?」
カイは皐月の顔を一瞥し、虎サンに似てねえなぁ、母親似か、なんて事を思いつつ、
「だから余計に、だよ。現実の自分と仮想現実の自分、それをダブらせるのさ。現実とひどく似てるくせに、現実と違って、好き勝手しても誰にも文句言われないこの素晴らしき世界ってなもんだ。だから自分の分身を本性のままに動かして、現実のウサを晴らしてるんだ」
そこで、カイは自分がこの仮想現実でも仮面を被っている意味を考えて、
「はっ、まったく。俺が吐ける台詞じゃないな……」
ひどく自虐的に冷笑した。
皐月はその台詞と冷笑の意味が理解できず、何を言おうか迷っていると、
「っと。もしかして、あいつか?」
カイは一人のプレイヤーに目を付け、歩き出した。
「え? 誰?」
追従する皐月の問いにも応えず、カイは一直線にそのプレイヤーの目前まで進み、正面から見据える。
人通りの多い大通りの片隅、そのプレイヤー、灰色の戦闘服を着た男性キャラクターは止まっていた。瞬きすらしていない。一点を見つめたまま固まっている。
「おい」
反応がない。
「おーい」
反応がない。と思ったその時、プレイヤーに動きがあった。首を左右百八十度にゆっくり動かし、また停止。
動いたという事はプレイヤーが操作をした事を意味するが、しかし再び停止したそれはまた瞬きすらしない、AFK状態に戻っているのだ。見ていると、また首を回す動きを見せ、硬直した。それを延々と繰り返している。その様は可動式監視カメラを彷彿とさせた。
カイが訝んでいると、
不意にそのプレイヤーが口も動かさず、言葉を発した。
「今すぐ、メフィル砦に来なさい」
「――――!」
その良く通った声は男性のそれではない。
「……女、の人? あの、それってどういう?」
思わず皐月が訊き返すが、そのプレイヤーはそれっきり声を発することはなく、また首だけを動かす作業に戻った。
不審に首を傾げる皐月。しかし、その声に聞き覚えのあるカイは不敵に笑って、
「……やっぱりあのババアかい」
ターミナルへ向かって駆け出した。
「え? あ、ちょっとっ」
皐月は意味がわからないまま、とりあえずカイの後を追った。