リトルフラワー 2-2
「カイさん?」
「………」
「おーい、カイさんやーい」
「………」
「…レ、レイさん?」
どこぞの岩山からレイトタウンに戻って来てからというもの、カイはまったく口を開こうとせず、文字通り黙々と歩いていた。
「カイ、ねえカイ! 聞こえてないのかな……? ってか私が視えてない?」
その後を追従する皐月は完全に無視されている。皐月が、自分は透明人間になってしまったのではないか、と不安になるほどの無視っぷりだった。
「ねえぇ、カイったらぁん」と艶めかしい声で呼んでみる。
反応なし。
「おい! カイ! 聞いてんの!?」と荒々しい声で呼んでみる。
反応なし。
「カイのバカッ。もう、いいわよっ!」とツンデレ風に拗ねてみる。
「――ッ……」
微妙に反応した。
完全に調子に乗った皐月はさっき撃たれたこともあり、ここぞとばかりにカイに話し掛ける。
「あ、あの、カイさん? ……話してくれたら、嬉しいかな、かな……」
これは大人しいメガネっ娘風。
「ねえ、ちょっとあんた聞いてんの!?」
これは幼馴染みのツンデレ風。
「ヘイ! カイ! あたいを無視したらマキシマムガッデムだっぜ!」
覚えたての言葉も使ってみる。
しかし、カイは皐月の奇声を完全にしかとして、不意に大通りから脇道に折れ、薄暗い裏路地へと入っていく。
「ちょっとなに? こんなとこ連れ込んで、あんたおかしな事する気じゃないでしょうね?」
カイのお気に入りらしいツンデレ幼馴染み風に皐月は言う。そんな皐月の方は見もせずに、カイは路地の途中の扉の前で立ち止まり「入れ、バカ野郎」、と吐き捨てた。そのバカ野郎には渾身の悪意が篭っていた。
「や、やっぱり聞こえてたんだ……」
皐月はばつが悪そうに目を逸らす。と、その逸らした視線の先、コンクリートの壁面に奇妙な文字が書かれていた。『虎屋』。
「ここは?」
視線を戻して問い掛けると、カイはすでにドアを開けてその中へと入っていく。皐月も恐る恐る後に続き、驚嘆した。
十畳ほどの室内、その中は足の踏み場もないほど物で溢れていた。銃器、爆薬、戦闘服、刀剣。四方の壁面には棚らしきものが見えるが、すでに満載の状態であり、溢れ返った物が乱雑に床に積まれている。否、投棄されていると言った方が適切だろう。まさにゴミ捨て場。
「うあー、こりゃひどいね」
皐月は素直な感想を漏らす。
カイは奥の唯一まともに整理されたと辛うじて言える空間で立ち止まり、覆面をグイと上に捲り上げた。そこには皐月の知っている青年の顔があった。しかし、やはりその双眸は大きく異なっていた。黒く深く暗い、直視しているだけで恐怖感を抱くような瞳。
そしてカイは小さく嘆息してから、口を開く。
「ここは虎屋。名前の通り、あんたの親父の店だ」
「店? ここが?」
皐月は顔を顰めて辺りを見渡す。どう贔屓目に見ても倉庫にしか見えない。
「気持ちはわかるよ。ほら、これ」
カイは胸のポケットから何かを取り出し、皐月に手渡した。弾丸のキーホルダーが付いた小さな鍵だった。
「なにこれ?」
「この店のマスターキーだ。それを持ってる奴にこの店の所有権がある」
「所有権?」
「店開くとマスターキーが二個貰えるんだよ。この店開いた時に虎サンが一個俺にくれたんだ。でも虎サンが死んだ今、この店の所有権はあんたにある。俺が勝手に持ってるわけにはいかない」
「……そんな、私受け取れないよ」
皐月は困惑した表情で鍵をカイに返そうとするが、カイは首を横に振る。
「あんた以外、誰が受け取るんだよ」
「じゃあ、私が一回受け取って、また返す。この店の所有権をカイに委託するって事で」
「……わかったよ」カイは面倒くさそうに頭を掻いて鍵を受け取った。「親父に似て強情だな」
「ところで、何でさっき無視したの?」
「このゲームには俺を快く思ってない連中が大勢いるんだよ」
「ああ、さっきの岩山みたいな」
「そんな連中に仲良く話してるとこ見られたら、あんたも狙われるぞ」
そういえば、と皐月は思い出す。レイトタウンに戻ってからこの店に入るまで、妙に周囲からの視線を感じたのだ。
「ふーん、そっか。でも、うふふ、なーんだ、ふふふ」
突然、不気味に笑い出す皐月。
「なに?」
「ううん、何でもない。うふふ」
カイは皐月の身を按じて、故意に無視していたのだ。皐月は父の、虎サンの言葉を思い出していた。――捻くれてるけど素直で優しい。
一人で笑う皐月をカイは眉根を寄せて見詰めていた。
「あ、ゴメン。でも、なんで快く思われてないの?」
しばらく沈黙してからカイはどうでもよさそうに言う。
「たぶん、殺し過ぎたんだろうな」
カイのこの言葉はある意味、的を射ていた。カイは戦い過ぎた。強過ぎた。殺し過ぎた。それ故、黒い凶戦士という通り名も通り過ぎた。その結果、ブラックレイは一種のブランドと化している。ブラックレイを殺せば箔が付くと考える悪質なプレイヤーは少なくないのだ。
勿論、皐月はまったくの初心者なのでその言葉の意味を理解できるはずもない。考え込むように複雑な表情をしている。
「……父も、虎サンも狙われてたの?」
「いや、あの人はそれでも社交的だったから。俺も虎サンと一緒の時はここまで絡まれなかったんだが」
この言葉は半分正解、半分間違い。自分では気付いていないが虎サンが死んでからこの三日間、カイは以前より確実に荒れていた。虎サンと一緒の時は気にならなかった些細な悪口や周囲からの奇異の視線が彼の心を乱すのだ。そしてカイは考えもせずに銃を抜き、躊躇いもせずに引き金を引く。カイにちょっかいを出した者達は、例外なく屍を晒す事になる。その悪評が広まり、更に他の悪質プレイヤーを呼び寄せてしまう。悪循環である。
「ふぅん、よくわからないけど、そうなんだ……」
「………」
会話が途絶え、気まずい沈黙が流れる。カイは逃げるようにライフルが置いてある棚の前に行き、何やらガチャガチャと作業を始めた。
皐月はカイの後ろ姿を見詰めながら、切り出す。
「それであの、これが本題なんだけど、やっぱり最後の晩、何かあったんだよね?」
カイは手を止める。
皐月の様子から察するに何も知らないようだった。警察はカイが語ったスペシャルクエストについて、彼女に何も話していないのだろう。しかし、当然と言えば当然だ。客観的に考えたら、あんな情報は妄言だと思われても仕方ない。結局、警察は自殺という事で断定するに違いない。
カイは振り返り、皐月を見遣る。
客観的に見たらどうであるにせよ、カイは確信していた。虎サンはこのゲームに係わって死んでしまったのだ、と。そもそも客観的な視点が常に正しいとは限らない。当事者にしか、実際にあの戦場で異常を体験したカイにしかわからない事もある。だから、下手に興味を煽るような事を教えて、もしそれを皐月が信じた場合、彼女はこの危険が付き纏うゲームに飛び込む事になるだろう。
「……何もなかったよ」
「うそっ! 私にはやっぱり父さんが自殺するなんて思えない! カイもそうでしょ!? だとしたら、このゲームで何かあったとしか思えない。お願い、何か知ってるなら教えて」
皐月は縋るようにカイに詰め寄る。
そんな必死の表情を見て、カイも思うところがあった。虎サンのリアルを知っている皐月から話を聞きたい。そんな賢しい考えもあるが、それよりも自分の父の不可解な死について真相を知りたいという純粋な娘の想いを、どうしても蔑ろにすることができない。
「……危険があるかもしれないぞ」
「や、やっぱり何かあったんだね!? 危険ってどうゆうこと?」
「……虎サンみたいに、死ぬかもしれないって意味だ」
カイにも一般的なモラルはあるが、敢えて言葉を選ばなかった。ストレートな言い方をして皐月の覚悟を試そうと思ったのだ。しかし、それは逆効果だった。
皐月の顔色は毛ほども変化せず、カイを真っ直ぐに見詰めたまま、ゆっくりと頷いた。
短く嘆息し、カイは語り始める。
あのクエストの始まりから終わりまで、あった事の全て、あの刑事達に話した時よりも遥かに細かく、虎サンとのやり取りや感じた事まで交えながら。勿論、False Hunt初心者の皐月にも刑事達と同じ様にクエストの伊呂波からゲームの仕様までを説明しなくてはならなかったが、カイは不思議と悪い気はしなかった。それは刑事達とは違い、皐月からは本気で理解しようとしてくれている誠意が感じられたからだ。
そして、あのクエストを説明する上でカイはある覚悟をしていた。それは虎サンの死の責任について。
――――自分が虎サンに従ってPCの電源を切り強制的にログアウトすれば、こんな事にはならなかったかもしれない。自分の我が儘に付き合った為に、虎サンは死んでしまったのかもしれない。
その罪悪感から、カイは皐月に罵倒される事、あるいは泣き崩れられる事を覚悟していたのだ。
しかし、カイの予想は裏切られる。
カイが話し終えた時、皐月の表情は怒りでもなく、悲しみでもなく、微笑みに溢れていた。
思わずギョとする。
「ど、どうした!?」
「……やっぱりカイはやさしいんだね」
「は?」
「このゲームが危ないって知ってたから、私の事を心配して今まで話さなかったんでしょ?」
カイは心底、驚いた。
確かに話さなかった理由としては、皐月の身を按じての事でもあったが、その実、何よりも虎サンの死の責任を求められる事を恐れていたのだ。しかし、あんな話を聞いても皐月はカイを恨む事も、罵る事もなく、むしろ褒めたのだ。優しい、と。カイの所為で父が死んだなんて微塵も感じていない。
それでもカイの心中は安堵ではなく複雑なものだった。自分の罪を告白して蔑まれる事をどこかで望んでいたのかもしれない。
「……俺を責めないのか」
「え? なんで?」
「俺の所為で虎サンが死んだんだぞ」
「なに言ってんの? 全然カイの所為じゃないじゃん」
「虎サンはあのクエストに殺されてんだぞ。根拠は無いが……。それでも虎サンの言う通りPCの電源切っとけば、こんな事には――」
「だからっ、それカイの所為じゃないじゃん。父さんは自分の意思で逃げなかったんでしょ? 自分の覚悟で残ったんでしょ? もしかして父さんが死んだ事に罪悪感とか感じてる?」
無言で肯定するカイ。
「だったら、そんな罪悪感は捨ててっ。父さんも私もそんなの望んでない」
その皐月の言葉には今度こそ怒りが篭っていた。カイがそんな感情を抱いていた事に対して本気で怒っているのだ。
無言のカイを睨み、「わかった?」と凄む皐月。
呆けたように頷く事しかできないカイ。
皐月の言葉には裏がない。まったく純粋に心から望んでいるのだ。免罪符、とまではいかない。罪悪感がなくなったわけではない。それでもカイの心は動く。皐月の前ではこの話はしないようにしようと、そう決めた。
「……じゃあ、俺の番だ」
「え? なにが?」
「あんたは俺の知らない虎サンのリアルを知ってるだろ。そうだな、最近、虎サンの周りで何か変わった事はなかったか?」
「うーん。ごめん。特になかったと思う……」
「そうか……。そうだろうな」
ゲームの中でも同じ。最後の日までいつも通りだった。
「……親父さんの葬式はもう終わったのかい?」
「もう、終わっちゃったよ。一番の友達は来てくれなかったけど」
皐月は横目でカイを睨む。どうやら山井徹夫の葬式に出席しなかった事を恨んでいるようだ。
「言ったろ。俺の友達は虎サンだ。山井徹夫さんじゃない」
「意味わかんないけど……。私との待ち合わせはすっかり忘れてた癖に、そんな事は覚えてるんだあ」
更に目を細め睨む皐月。ジト目だ。カイはバツが悪そうに視線を逸らせた。
「悪かったな。それで、その葬式で何か変わった事はなかったか? 誰か変わった奴が来たとかさ」
「うーん、特になかったわ。父の親族とか友達とか会社の同僚とかしか来なかったし……。あ、そういえば」
言葉を止める皐月に、カイは小首を傾げる。皐月は微苦笑しながら小さく首を振る。
「いや、関係ないとは思うんだけどさ。変わった人っていうか、美人の女の人が来たのよ。なんでも父さんの前の会社の関係者だとか。凄い美人だったから覚えてる」
「……ふん、前の会社、ね。その女の連絡先とか知ってるか?」
「ううん、私も気になって、父さんの携帯電話とかで調べてみたんだけど、わからなかった」
「そうかい。じゃあ、虎サンがESに務めてた頃には、何か変わった事なかったか?」
「ないね。いきなり会社を辞めてきた時には驚いたけど。原因がそんなAIだったなんて教えてくれなかったし」
「そうか。……他に何か手掛りになりそうなものはないのか?」
「………ごめん」
皐月の申し訳なさそうな言葉に、カイは嘆息し額に手をあて眉間を揉むようにする。
そもそも露骨な変化があれば警察も調査するだろうから、大して期待していたわけではないが、どうやらリアルには糸口は皆無のようだ。
しかし、そこで皐月は毅然とした面持ちで告げる。
「でも私、一つわかった事があるよ」その言葉にカイは顔を上げた。「あなたも父さんの死に疑問を感じて調べてるって事」
溜めるように間を空けて、
「私と協力しよう。ううん、協力してください。お願いします」
皐月はまっすぐに、ただただ真っ直ぐにカイを見詰めて、握手を求めるように手を伸ばしてくる。
それはまるで不安なんて微塵も感じていないような態度、感じてないはずがないのに――
それは明確な未来が見えているかのような澄み切った瞳、一寸先もわからないくせに――
カイはそんな皐月を見て、ふーっ、と深呼吸するように長く嘆息した。
そう。事実はどうあれ、それを突き止めるまで絶対に止まるわけにはいかない。原因を屠るまで、諦めるわけにはいかない。そう誓ったのだ。
「……嫌だ、と言ったら?」
「それでもついてく」
皐月の即答に苦笑してから、カイもその瞳を見詰め返す。こうなる事はわかっていた。皐月の覚悟を知った時点で。
「……いいだろう。死んでも文句言うなよ」
――こいつは、紛れもなくあなたの娘ですよ。……そうでしょ? 虎サン。
「握手じゃない、こうだ」
カイは手を差し出したままの皐月に近寄り、握り締めた右手を突き出す。
「こう?」
皐月は小首を傾げながらカイを真似て右手で握り拳を作る。
カイは自身の拳で、皐月の拳を、軽く叩いた。